王妃メアリーとエリザベス1世 =09=
○◎ 同時代に、同じ国に、華麗なる二人の女王の闘い/王妃メアリーの挫折と苦悩 ◎○ ◇◆ ダーンリー卿の暗殺 ◆◇ 1567年2月10日の深夜。 メアリーが宮殿へ帰った直後、ダーンリーの寝起きしていた館が何者かによって爆破されたのだった。 翌日の午前2時ごろ、カーク・オ・フィールズの村の住人は、すさまじい爆発音で眠りをやぶられた。 音は、館のほうからだった。...
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○◎ 同時代に、同じ国に、華麗なる二人の女王の闘い/王妃メアリーの挫折と苦悩 ◎○ ◇◆ ボスウェル伯との再々婚そして廃位 ◆◇ ボスウェル伯はやはり強引だった。 1567年4月23日にボスウェル伯によるメアリー誘拐事件が起こる。 彼はすでに結婚していたが、メアリーとの結婚を決意したときから離婚の手続きを進めていた。...
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○◎ 同時代に、同じ国に、華麗なる二人の女王の闘い/王妃メアリーの挫折と苦悩 ◎○ ◇◆ イングランドへ亡命 ◆◇ メアリーは最後のチャンスに賭けた。 メアリーは、脱出は不可能といわれていたロッホリーヴン城に幽閉されていたが、10カ月後の1568年5月2日、そこからの脱出に成功する。 数カ月かけて脱出作戦を練った後、ついに、ロッホリーヴン城を脱出し、ニドリー城まで落ち延びたのだ。...
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○◎ 同時代に、同じ国に、華麗なる二人の女王の闘い/王妃メアリーの挫折と苦悩 ◎○ ◇◆ 16世紀後半のイングランド、血まみれのメアリー ◆◇ 16世紀のイングランドは、プロテスタントとカトリックが激しく対立していた時代だった。 ここで、スコットランドの女王メアリーがイングランドに亡命してきたころの、イングランドの時代背景について触れておくことにする。...
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○◎ 同時代に、同じ国に、華麗なる二人の女王の闘い/王妃メアリーの挫折と苦悩 ◎○ ◇◆ 16世紀後半のイングランド、処女王・エリザベス1世 ◆◇ エドワード6世のプロテスタント時代には、異端とされたカトリックが火刑になることはほとんどなかった。 それがメアリー1世の時代になると、プロテスタントの多くの司祭や信者が火刑にされるようになった。...
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○◎ 同時代に、同じ国に、華麗なる二人の女王の闘い/王妃メアリーの挫折と苦悩 ◎○ ◇◆ 亡命者・スコットランド女王メアリー ◆◇ 1558年11月20日、ハットフィールド・ハウスにいたエリザベスは姉・ネアリー1世死を知る。 メアリー1世死去の証拠として彼女の婚約指輪を携えたロンドンからの使者がハットフィールドに到着したのだ。 こうして誕生したのが、エリザベス1世=処女王=だった。...
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○◎ 同時代に、同じ国に、華麗なる二人の女王の闘い/王妃メアリーの挫折と苦悩 ◎○ ◇◆ 処女王・エリザベス1世 ◆◇ 1558年11月に、ハットフィールド・ハウスでエリザベスは姉の死を知らされた。 姉とは・・・・イングランド国教会に連なるプロテスタントに対する過酷な迫害から、ブラッディ・メアリー(血まみれのメアリー)と呼ばれた母違いの姉である。 見せかけだけの姉妹であった。...
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○◎ 同時代に、同じ国に、華麗なる二人の女王の闘い/王妃メアリーの挫折と苦悩 ◎○ ◇◆ 処女王・エリザベス1世 ◆◇ 1558年11月に、ハットフィールド・ハウスでエリザベスは姉の死を知らされた。 姉とは・・・・イングランド国教会に連なるプロテスタントに対する過酷な迫害から、ブラッディ・メアリー(血まみれのメアリー)と呼ばれた母違いの姉である。 見せかけだけの姉妹であった。...
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○◎ 同時代に、同じ国に、華麗なる二人の女王の闘い/王妃メアリーの挫折と苦悩 ◎○ ◇◆ エリザベス1世の治世 ◆◇ エリザベス1世が即位した後、結婚に踏み込まず処女王と呼ばれることに甘んじたのは、少女期から運命に翻弄されたて形成されたエリザベスの慎重な性格に追うところが多いのではないか。 統治のための男性の助けを必要とせず、いや 退けた感がある。...
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○◎ 同時代に、同じ国に、華麗なる二人の女王の闘い/王妃メアリーの挫折と苦悩 ◎○ ◇◆ 俘虜の旅路・メアリー ◆◇ 1568年5月、エリザベスに援軍を期待してスコットランドを脱出してきたメアリーだったが、そのままイングランドに留め置かれることになった。 カーライル城は、メアリーの、イングランドでの最初の監獄となった。...
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○◎ 同時代に、同じ国に、華麗なる二人の女王の闘い/王妃メアリーの挫折と苦悩 ◎○ ◇◆ メアリーと相次ぐ陰謀事件 ① ◆◇ 1569年、カトリックの信仰が根強かったイングランド北部で、7代ノーサンバランド伯トマス・パーシーや6代ウェストモーランド伯チャールズ・ネヴィルが中心となった反乱があった。...
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○◎ 同時代に、同じ国に、華麗なる二人の女王の闘い/王妃メアリーの挫折と苦悩 ◎○ ◇◆ メアリーと相次ぐ陰謀事件 ② ◆◇ このころローマ教皇は、スコットランド女王メアリー・スチュアートとボスウェル伯ジェイムズ・ヘバーンとの離婚を認めていた。 裏でそれを働きかけていたのは、メアリーと結婚したがっていたノーフォーク公だったと言われている。 彼とローマの利害は一致していた。...
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○◎ 同時代に、同じ国に、華麗なる二人の女王の闘い/王妃メアリーの挫折と苦悩 ◎○ ◇◆ メアリーと相次ぐ陰謀事件 ③ ◆◇ 1569年9月23日にノーフォーク公がノーフォークの居城ケニングホールへ移ったことで、エリザベス女王は反乱準備と疑い、防衛向きのウインザー城へ移った。...
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○◎ 同時代に、同じ国に、華麗なる二人の女王の闘い/王妃メアリーの挫折と苦悩 ◎○ ◇◆ メアリーと相次ぐ陰謀事件 ④ ◆◇ 話をノーフォーク公が立役者であったリドルフィ陰謀事件の前に戻す。 1570年、カトリック勢力は、公然とエリザベス1世の追い落としの行動にでてきた。...
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○◎ 同時代に、同じ国に、華麗なる二人の女王の闘い/王妃メアリーの挫折と苦悩 ◎○ ◇◆ メアリーの身辺に危機が迫る ◆◇ 当時のサー・フランシス・ウォルシンガムは、イングランドの諜報機関の総元締めで、いまでいえばMI5(国内防諜機関)とMI6(対外諜報機関)をたばねたような機関の長だった。 そして国内はもとより、ヨーロッパ中に諜報網を張りめぐらしていた。...
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○◎ 同時代に、同じ国に、華麗なる二人の女王の闘い/王妃メアリーの挫折と苦悩 ◎○ ◇◆ 二人の女王の闘い ◆◇ 1586年10月15日、フォザリンゲイ城で、スコットランド女王であったメアリー・スチュアートをイングランド女王にたいする反逆罪で裁く裁判がはじまった。 メアリーは、尋問にたいして命乞いをすることもなく、「わたしに責任はない」と毅然として答えたという。...
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○◎ 同時代に、同じ国に、華麗なる二人の女王の闘い/王妃メアリーの挫折と苦悩 ◎○ ◇◆ メアリーの処刑 ◆◇ 1586年10月15日、フォザリンゲイ城で、スコットランド女王であったメアリー・スチュアートをイングランド女王にたいする反逆罪で裁く裁判がはじまった。 メアリーは、尋問にたいして命乞いをすることもなく、「わたしに責任はない」と毅然として答えたという。...
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○◎ 同時代に、同じ国に、華麗なる二人の女王の闘い/王妃メアリーの挫折と苦悩 ◎○ メアリーの最後については、いくつかの逸話が残っている。 斧を手にした処刑人は、緊張していた。 盗賊や極悪人の処刑には慣れていた。 いつもならば、何も感じなかった。 しかし、貴婦人の処刑は初めてだった。 それも、異端とはいえ、女王なのだ・・・・・・という。...
View Article断頭台の露と消えた王妃 =01=
その最期の言葉は、死刑執行人・サンソン医師の足を踏んでしまった際に ○◎ “ごめんなさいね、わざとではありませんのよ。 でも靴が汚れなくてよかった” ◎○ ◇◆ 最も洗練された、享楽的な貴族文化の絶頂期の王妃 ◆◇ 「マリー・アントワネットについて考えるとき、首を斬られるということは、極端な悲劇的な意味をおびる。...
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