その最期の言葉は、死刑執行人・サンソン医師の足を踏んでしまった際に
○◎ “ごめんなさいね、わざとではありませんのよ。 でも靴が汚れなくてよかった” ◎○
◇◆ 最も洗練された、享楽的な貴族文化の絶頂期の王妃 ◆◇
「マリー・アントワネットについて考えるとき、首を斬られるということは、極端な悲劇的な意味をおびる。 幸運な時期における彼女の尊大な軽薄さは、事情がやむをえなくなったとき、不幸を前にした崇高な美しさと変る。 儀礼の化粧をほどこした心ほど、品の悪いものはない。 舞台が変り、喜劇が悲劇になったとき、宮廷の虚飾によって窒息させられた魂ほど、気高いものはない。」と、詩人ジャン・コクトーがマリー・アントワネットの肖像を、短い言葉で的確に、描き出した。
続けて、「彼女の歯の浮くような名門意識が、フーキエ・タンヴィルの裁判所では、そのまま彼女の役割に天才の輝きを添える。 彼女の白くなった捲毛には、もう尊大な風は見られない。 一人の侮辱された母親が、反抗を試みるだけである。 彼女の言葉は、もう自尊心によってゆがめられることがない。 口笛で弥次られ通しのこの女優は、まことに偉大な悲劇役者となって、見物席の観衆を感動させるのだ。」
更に、「女王の最良の肖像画は、むろん、ダヴィッドによって描かれた、荷車のなかに座って刑場に赴く彼女のそれである。 彼女はすでに死んでいる。 サン・キュロットたちが断頭台の前につれて行ったのは、彼女ではない別の女である。 羽飾りや、ビロードや、繻子や、提灯などのいっぱい入った箱の下に身をかくし、自分自身を使い果たしてしまった別の女である。」
たしかにコクトーのいう通り、幸運な時期における誇り高い「悪女」が、心ならずも歴史の大動乱に捲きこまれ、思ってもみなかった数々の試練を受けることによって、悲劇の女主人公に転身してゆく過程は、きわめて感動的である。 平凡な人間が、運命のふるう鞭に叩かれ、歴史の悪意に翻弄されて、その運命にふさわしい大きさにまで成長してゆく過程を、このマリー・アントワネット劇ほど、みごとに示してくれるものはないであろう。
たしかにコクトーのいう通り、幸運な時期における誇り高い「悪女」が、心ならずも歴史の大動乱に捲きこまれ、思ってもみなかった数々の試練を受けることによって、悲劇の女主人公に転身してゆく過程は、きわめて感動的である。 平凡な人間が、運命のふるう鞭に叩かれ、歴史の悪意に翻弄されて、その運命にふさわしい大きさにまで成長してゆく過程を、このマリー・アントワネット劇ほど、みごとに示してくれるものはないであろう。
オーストリアの女帝マリア・テレジアの娘として、爛熟したロココ時代のフランス宮廷に輿入れした彼女は、その軽佻浮薄な精神、贅沢好き、繊細、優雅、コケットリーの誇示によって、十八世紀のロココ趣味の典型的な代表者となった。 大きな不安を目前に控えた、この十八世紀末の束のまの一時期こそ、最も洗練された、享楽的な貴族文化の絶頂期といえよう。 そして彼女の態度、容貌、生活そのものが、まさに完璧に時代の理想を反映していたのだ。
マリー・アントワネットは自分の好みにしたがって、ヴェルサイユ庭園の片隅に、小さな独自の王国を築き上げた。これが名高いプチ・トリアノンの別荘で、フランスの趣味がかつて考案したうちでも最も魅惑的な建物の一つである。美しい女王にふさわしく、極度に線が細く、うっかりすれば崩れそうな繊細巧緻な趣きは、小さいながら、この別荘をロココ芸術の精髄たらしめている。 マリー・アントワネットはここで仮面舞踏会を催したり、芝居を演じさせたり、さては、池や小川や洞窟や、農家や羊小屋さえある牧歌的なその庭で、若い騎士たちとかくれんぼをしたり、ボール投げをしたり、ブランコ遊びをしたりして、ひたすら気ままに遊び暮らすのである。
ヴェルサイユから馬車を駆って、お気に入りの扈従ともども、夜ごとにパリの劇場や賭博場へ出かけては、空の白むころにやっと戻ってくるようなこともしばしばであった。 衣裳やら、装身具やら、宝石やらに用いる金はおびただしく、ために借金は嵩み、賭博によって補いをつけなければならなかったのだ。 警察は王妃のサロンへは踏みこめない。 それをよいことに、王妃の仲間はいかさま賭博をしているという、不名誉な噂が巷間の話題になった。
たえず何ものかに急《せ》きたてられるように、次々と遊びを変え、新しい流行に飛びついてゆく彼女の気違いじみた享楽癖は、いったい、どういう性格上の理由によるものだったろうか。 宗教心あつい厳格な母親からの警告を聞いて、マリー・アントワネット自身は次のように率直に答えている。すなわち、「お母さまは何をしろとおっしゃるのでしょう。 わたしは退屈するのが怖いのです。」と。
この王妃の言葉は、十八世紀末の精神状態を見事にいいあらわしている。 崩壊一歩手前で休らった、革命前の貴族文化にとっては、すべてが充足しているという、退屈以外のいかなる精神も見出せないのである。 内面的な危機から免かれるために、ひとびとは決して終らないダンスを踊りつづけなければならなかったのである。
それに、マリー・アントワネットの場合には、不自然な結婚生活という、特別な理由が加わっていた。 天下周知の事実であるが、彼女の夫であるルイ十六世は、一種の性的不能者で、結婚以来七年ものあいだ、その妻を処女のままに放置しておいたのである。 このことが、マリー・アントワネットの精神的成長におよぼした影響は、決して軽々に看過すべきではなかろう。
彼女が次々と快楽を追う気まぐれな生活のうちに、怖ろしい退屈を忘れなければならなかったのも、ひとつには、むなしく刺激を受けるだけで、一度たりとも満足させられたことのない、幾年にもわたる夜のベッドの屈辱の結果であった。 最初は単に子供っぽい陽気な遊び癖であったものが、次第に物狂おしい、病的な、世界中のひとびとがスキャンダルと感じるような享楽癖と化してしまい、もうだれの忠言も、この熱病を抑えることは不可能となってしまうのである。
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