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Channel: 【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》
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断頭台の露と消えた王妃 =02=

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その最期の言葉は、死刑執行人・サンソン医師の足を踏んでしまった際

○◎ “ごめんなさいね、わざとではありませんのよ。 でも靴が汚れなくてよかった”  ◎○

◇◆ 欧州一の皇族・ハプスブルグ家の皇女としての奔放さが・・・・ ◆◇

 マリー・アントワネットの鬱積した欲求不満の結婚生活の一方、夫君である国王ルイ16世のふしぎな道楽といえば、錠前仕事と狩猟をすることで、専用の鍛冶場で黙々と槌をふるったり、獣を追って森を駆け抜けたりするのが、彼にとって何よりの幸福であった。 派手好きな妻とは趣味が合わないが、彼は妻に対して男性としての引け目を感じているので、まったく頭が上がらない。 生まれつき鈍感で、不器用で、優柔不断で、いかなる場合でも睡眠と食欲を必要としないではいられない彼は、およそ繊細とか、敏感とかいった気質と縁がない。 つまり、妻とは正反対の気質の持主である。 といって、夫婦のあいだに風波が起ったということは一度もなく、この二人は子供こそないが、まことにのんびりした、平和な夫婦であった。

 後節で詳細を記述するが、マリー・アントワネットは神聖ローマ皇帝フランツ1世シュテファンオーストリア女大公マリア・テレジアの十一女としてウィーンで誕生している。 ドイツ語名名は、マリア・アントーニア・ヨーゼファ・ヨハーナ・フォン・ハプスブルク=ロートリンゲン。 幼少時からイタリア語やダンスを習い、作曲家グルックのもとで身に付けたハープやクラサンなどの演奏を得意とする活発な王女である。 3歳年上のマリア・カロリーナが嫁ぐまでは同じ部屋で養育され、姉妹は非常に仲が良かったと言う。 オーストリア宮廷は非常に家庭的で、幼い頃から家族揃って狩りに出かけたり、家族でバレエやオペラを観覧した。 寛大な皇帝の庇護の下、幼い頃からバレエやオペラを皇女らが演じて楽しむ皇室でのびのびと育った皇女であった。

 フランス国王ルイ16世と結婚した後に、マリー・アントワネットの兄ヨーゼフ二世がひどく心配し、ウィーンからパリにやってきて、国王ルイ16世に勧めたのが外科手術だったと伝えられる。 その結果、力づけられた王は新たな勇気をふるい起して、結婚の義務の遂行にとりかかる。 こうして七年間にわたる悪戦苦闘の末に、ようやくマリー・アントワネットは母になる幸福を味わうことになった。  「わたしは生涯において最大の幸福に浸っております」と彼女は、はじめて夫が満足に義務を果たしおえた日の翌日、母のマリア・テレシアにかき送っている。

 ロココの王妃がトリアノン小宮殿の別荘で贅沢な祝典に明け暮れしているあいだ、彼女の知らない外部の世界では、次第に新しい時代の動きが準備されつつあった。  緊迫した時代の雷鳴が、パリからヴェルサイユの庭園はとどろきわたるころになっても、彼女はまだ仮面舞踏会をやめようとしない。 時代の空気をよそに、相変わらず享楽生活をあきらめず、国庫の金を湯水のように蕩尽する彼女に対して、避難攻撃の声が高まりはじめたのである。

 オルレアン公の庇護のもとにパレ・ロワイヤルルーヴル宮殿の北隣に位置する。もともとはルイ13世の宰相リシュリューの城館)に集まった改革主義者、ルソー主義者、立憲論者、フリー・メイソンなどといった不平分子たちのあいだに、活発な啓発運動、社会改革を意図する挑発的なパンフレット活動が開始される。 フランス王妃は「赤字夫人」と渾名され、卑しい「オーストリア女」と蔑称され始めた。

 アントワネット王妃自身、自分の背後で悪意のこもった陰謀がたくらまれていることを、はっきり感じ取ってはいるものの、生まれつき物にこだわるということを知らず、ハプスブルク流の誇りを片時も忘れたことのないマリー・アントワネットは、これら一切の誹謗やら中傷やらを、十把一からげに軽蔑するほうが勇気ある態度だと信じている。 王妃の尊厳が、賎民のパンフレットやら諷刺小唄などで傷つけられるはずはないと高をくくっている。 誇り高い微笑を浮かべて、彼女は危険のそばを平然と歩み過ぎるのだった。

 市民の王妃に対する反感をいやが上にも煽り立てる原因の一つとなったのは、有名な「首飾り事件」であった。次節是その詳細を記述べるが、この馬鹿馬鹿しい詐欺事件に、王妃は実際何ひとつ責任がなかったのである。 がしかし、 少なくとも王妃の名のもとに、このような犯罪が行われたという事実、そして世間がこれを信じて疑わなかったという事実は、拭い去ることのできない彼女の歴史的責任といえよう。 トリアノン小宮殿における長年の軽率な愚行が世間に知られていなければ、詐欺師たちといえども、こんな大それた犯罪を仕組む勇気はとてもなかったにちがいないからである。

 この詐欺事件によって、旧制度の醜い内幕が一挙にあばき出されることになった。 市民たちは初めて、貴族と呼ばれる連中の秘密の世界をのぞき見ることになった。 パンフレットがこんなに売れたこともなかった。 「首飾り事件」は革命の序曲である、といった史家もいるのである。

 

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