○◎ 同時代に、同じ国に、華麗なる二人の女王の闘い/王妃メアリーの挫折と苦悩 ◎○
◇◆ メアリーと相次ぐ陰謀事件 ④ ◆◇
話をノーフォーク公が立役者であったリドルフィ陰謀事件の前に戻す。 1570年、カトリック勢力は、公然とエリザベス1世の追い落としの行動にでてきた。 ローマ教皇ピウス5世は、彼女を破門し、「イングランドをカトリックの国に戻した者は、天使たちに導かれて天国に招かれるであろう」と、エリザベス1世の暗殺を煽動した。 そして、ロベルト・リドルフィというイタリア人の銀行家を中心に、エリザベスの暗殺と体制転覆の陰謀がひそかに進められたのである。
このリドルフィという人物は、じつは、ローマ教皇のスパイだったという。 そしてフランスとスペインが、裏でかれの計画を支援していたとされている。 さらにこの計画には、またしても4代ノーフォーク公がからんでいた。
5月、この陰謀は、エリザベスの側近のひとりで彼女の秘密警護隊長でもあったサー・フランシス・ウォルシンガムの諜報網に引っかかって発覚した。 「リドルフィ事件」と言われているものである。
リドルフィらは、暗号で書いた手紙のやりとりで連絡をとりあっていた。 しかし、ノーフォーク公がフランスからの資金を移送しようとして失敗したことがあり、そのときに、手紙や書類などと同時に、暗号解読表も押収されていた。 その結果、一味の陰謀の全貌が明らかになったのである。
前節で記したように、この裁判は有罪判決ありきの「見せしめ裁判」の色が強く、公平な裁判ではなかった。 ノーフォーク公は弁護士を付けることが許されず、訴状の写しさえ見せてもらえなかった。 ノーフォーク公の有罪を立証する証人たちがつぎつぎと証言台に立ったが、突っ込んだ尋問が行われることもなかった。 ノーフォーク公は全ての起訴事実について無罪を主張したものの、結局26人の陪審員の全会一致で有罪判決を受けた。 今回は、さすがのノーフォーク公も、手紙が決定的な証拠となり、言い逃れができなかった。そして彼は、1572年6月2日、ついに反逆罪で処刑されたのである。
エリザベス女王はノーフォーク公爵の死刑執行命令書署名に際して動揺を見せた。 1572年2月9日に死刑執行命令書に署名したが、その日の夜に取り消し、さらに署名・取り消しを三度も繰り返した。 宰相の初代バーリー男爵ウィリアム・セシルがフランシス・ウォルシンガムに送った手紙によれば「陛下のお気持ちは様々に揺れ動いている。 ある時は自分が危ない立場にあるという話をされて、正義は行われねばならないと結論する。しかし、別の時にはノーフォークが自分に近い血縁だの、身分がとりわけ高いだのと話される。」という状態であったという。
しかし乍ら、この時期には議会が召集されており、ノーフォーク公とメアリーの処刑を求める意見が庶民院の大勢だった。 エリザベス女王は≪この段階では≫メアリーの処刑には応じなかったが、代わりにノーフォーク公の処刑には応じ、ついに彼の死刑執行命令書に署名した。 これによりノーフォーク公は、1572年6月2日にロンドン塔のタワー・ヒル刑場の断頭台において斬首された。 36年の生涯だった。 ノーフォーク公は最期の言葉として女王陛下への忠誠を宣言するとともに「自分は宗教という物がどんな物であるか分かっているのでカトリック教徒であったことはない」「人がこの場所で死を迎えることは好ましいことではないが、女王陛下の御代でそうなるのは自分が最初で最後になれば嬉しい」と語った。
リドルフィ事件は、イングランドのカトリック勢力の中心にいた最大貴族の処刑という結末で終わった。 この事件以降は、イングランド国内のカトリックにたいする締め付けはいっそう強化されていった。 そして、1581年には、「反カトリック法」が成立し、イングランド人にカトリックへの改宗を勧めた司祭は死罪となり、信者には罰金が科せられるようになった。 この結果、カトリック勢力の表立った動きはしばらく鳴りをひそめたが、陰謀の動きはあとを絶たなかった。 1583年には、スペインのからんだエリザベス1世暗殺の陰謀が発覚し、翌1584年1月に、イングランド駐在スペイン大使が逃亡するという事件が起きている。
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