○◎ 同時代に、同じ国に、華麗なる二人の女王の闘い/王妃メアリーの挫折と苦悩 ◎○
◇◆ ダーンリー卿の暗殺 ◆◇
1567年2月10日の深夜。 メアリーが宮殿へ帰った直後、ダーンリーの寝起きしていた館が何者かによって爆破されたのだった。 翌日の午前2時ごろ、カーク・オ・フィールズの村の住人は、すさまじい爆発音で眠りをやぶられた。 音は、館のほうからだった。 外に出てみると、土ぼこりに混じって、硝煙のにおいがしていた。 夜が明けたとき、村びとが館のほうに行ってみると、そこで目にしたものは、がれきの山と化した館だった。 そしてそこから少し離れたところに、寝巻き姿の男が倒れていた。 ダーンリー卿だった。
彼はすでに死亡していたが、遺体はきれいだった。 しかし、首のまわりには縄目の跡があった。 ダーンリー卿は爆死したのではなく、絞殺されていたのである。 村びとのなかには、爆発音がするだいぶ前に助けを呼ぶ人の声のようなものを聞いたと言う者もいた。 ダーンリー卿を殺害した者たちは、この夜、館に爆薬を仕掛けてかれを暗殺しようとしていた。 そのとき、ダーンリー卿が物音に気づいて逃げだしたので、暗殺者たちは彼を捕らえて絞殺し、それから館を爆破して逃げたのである。
ダーンリー卿の死が暗殺だったことは、だれの目にも明らかだった。 証拠はなかったが、「首謀者はボスウェル伯ジェイムズ・ヘバーンではないか」と噂された。 そして「女王メアリーもこの謀殺にかかわっていたのではないか」とささやかれた。 それというのも、メアリーが夫ダーンリー卿から自由になりたいと思っていたことは、だれもが知っていた。 そして野心家のボスウェル伯は、メアリーとダーンリー卿との仲にきしみが生じてきたときから、メアリーのもとに足しげくかよい、彼女にとり入っていたからである。
因みに、この事件にメアリーが首謀者として関わっていたかどうか、諸説あってはっきりしない。 メアリーが暗殺に加担した「証拠」といわれるものも存在したが、でっち上げの偽物だった可能性も高い。 メアリーは無実であったと思う。 マリ伯を含めた大貴族たちにとって、すでに王子が生まれ、摂政として実権が握れるチャンスが巡って来た以上、メアリー夫妻は用済な上に邪魔者だった。 二人とも、抹殺しようと考えても不自然ではない。
その陰謀の中心はおそらくマリ伯ジェームズ・ステュアートとボスウェル伯ジェームズ・ヘップバーンであったが、直前になって、ボスゥエルはメアリーを利用するつもりで生かしておく気になったのだろう。 密かに知らせを受けたメアリーは、自分だけでも助かりたい一心で逃げ出した。 そして哀れにも、夫・ダーンリー1人がテロの犠牲になったのだ。
実はダーンリー卿は爆発では死ななかった。 前述のようにガウン一枚で飛び出した彼は、作戦の失敗を知った暗殺者の手で、改めて絞殺されたのである。 知らせを受けたエリザベス1世(処女王)は、あれほど怒っていたにもかかわらず、メアリーにあてて、「すぐに自分が疑われないよう犯人を検挙して、身の潔白を証明しなさい」という忠告の手紙を送っている。 そこで形だけ詮議が行われ、ボスゥエル伯が怪しいとなったわけだが、何しろほとんどの大貴族が加担している暗殺事件である。 事態はうやむやのまま流されてしまった。
その後のボスウェル伯の行動を見れば、かれがダーンリー卿謀殺の首謀者で、なにを考えていたかは明らかだった。 ボスウェル伯は、ダーンリー卿が殺害されて2カ月もたたないうちに、メアリーに結婚を申し込んだのだった。 かれはメアリーとの結婚で、スコットランドを手に入れようとしたのである。 しかしメアリーは、ボスウェル伯の求婚にすぐには応じなかった。 彼女は、ダーンリー卿との結婚で懲りていた。 男を見た目だけで判断し、結論を急ぎすぎたあまりに失敗していたからである。
ダーンリー卿は、ただの軽い男だった。 それにたいしてボスウェル伯は、その正反対だった。 かれは落ち着いていた。 しかし野心的で、強引なところもあった。 腹の底ではなにを考えているのか分からないような怖さもあった。 そこがまた、メアリーにとっては魅力と感じるところでもあった。 だがメアリーは、少し時間をかけて、慎重に結論をだそうと思っていた。 そしてかれへの返答を、遅らせていた。 ところがボスウェル伯は、4月、彼女をフォース湾に突き出た岬にあるダンバー城へ強引に連れてゆき、そこで彼女に結婚に同意するように迫ったのである。 メアリーは、もはや逃れようがなかった。
しかも悪いことに、ボスゥエルは命を助けてやったことを恩に着せ、メアリーを誘惑し、レイプしてしまった。 メアリーは泣く泣く身を任せたが、しばらくしてこの男に本気で惚れてしまったのである。 ジェームスの誕生から、まだ一年もたっていなかった。 なのに、ボスゥエルはメアリーと関係してから、暴走し始めた。 同じ年の5月15日、彼は陰謀を目論んだ仲間を裏切ってメアリーとの結婚を宣言する。 この行為に、始めは同情的だった諸国も目を白黒させ、次に激しくメアリーを非難した。 裏切られた大貴族達は、ダーンリー暗殺の責任を全てボスゥエル一人に押し付けて、「王殺しの反逆者」として討伐のため挙兵した。
メアリーも対抗するために軍を収拾したが、呆れ返った人々はメアリーから離れていった。 状況は圧倒的に不利だった。 ボスゥエルはいち早く単身北へ落ち延びた。 メアリーは本拠地のボスウィック城に立て籠ったが包囲され、男装をして脱出し、ボスゥエルの後を追った。 そして、二人が再会した時、破滅が訪れる。
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