○◎ 同時代に、同じ国に、華麗なる二人の女王の闘い/王妃メアリーの挫折と苦悩 ◎○
◇◆ エリザベス1世の治世 ◆◇
エリザベス1世が即位した後、結婚に踏み込まず処女王と呼ばれることに甘んじたのは、少女期から運命に翻弄されたて形成されたエリザベスの慎重な性格に追うところが多いのではないか。 統治のための男性の助けを必要とせず、いや 退けた感がある。 また、姉のメアリーに起きたように、結婚によって外国の干渉を招く危険もあったが、未婚でいることによって外交を有利に運ぼうという政策が基本にあったという政治的な理由や母アン・ブーリンおよび母の従姉妹キャサリン・ハワードが父ヘンリー8世によって処刑され、また最初の求婚者トマス・シーモアも斬首されたことから結婚と「斧による死」が結びつけられた心理的な要因とする説もある。
一方で、結婚は後継者をもうけ王家を安泰にする機会でもあったのだが。 彼女は50歳になるまで、幾人かの求婚者に対して考慮し、最後の求婚者は22歳年下のアンジュー公フランソワである。
また、彼女の宗教政策は現実主義であった。 大きな理由の一つとして彼女自身の嫡出性の問題があった。プロテスタントおよびカトリックの法に基づけば彼女は厳密には庶子であったが、イングランド国教会派(英国王を最高位の指導者とするがカトリック的な宗教的信条を保持する人々)によって遡及して庶子であると宣言される危険性はローマ派に比べれば深刻な問題ではなかった。 彼女にとって恐らく最も危惧することは、イングランド国教会派の支持を失い嫡出性を否定されることであった。 この理由で、エリザベスがたとえ名目上だけでもプロテスタント主義を受け入れることについて、真剣な疑いは持たれなかった。
エリザベスの最初の対スコットランド政策は駐留フランス軍への対抗であった。 彼女はフランスがイングランドへ侵攻し、スコットランド女王メアリーをイングランド王位に据えようと企てることを恐れていた。 エリザベスはスコットランド・プロテスタントの反乱を援助するようバーリー卿らから説得され、女王自身は消極的だったが、1559年末に出兵を認めた。 イングランド軍はリース城を落とせず苦戦したが、1560年に和議が成立し、フランスの脅威を北方から除くことに西航している。 しかし、スコットランド王・メアリーは条約の批准を拒否している。 そして、1560年末にフランス王フランソワ2世が死去し、メアリーは帰国することになった。 翌1561年に彼女がスコットランドへ帰国した時、国内にはプロテスタントの教会が設立され、エリザベスに支援されたプロテスタント貴族によって国政が運営されていたのである。
1563年、エリザベスは彼女自身の愛人ロバート・ダドリーを、本人の意思を確かめることなく、メアリーの夫に提案した。 この縁談はメアリー、ダドリーともに熱心にはならず、1565年にメアリーは自身と同じくマーガレット・テューダーの孫でイングランド王位継承権を持つ従弟のダーンリー卿ヘンリー・ステュアートと結婚した。 この結婚はメアリーの没落をもたらす一連の失策の端緒となったことは前節で触れている。
メアリーとダーンリー卿はすぐに不仲になる。 そして、ダーンリー卿がメアリーの愛人と疑ったイタリア人秘書ダヴィッド・リッツィオが惨殺されると、彼はその関与を疑われ、スコットランド国内において急速に不人気になった。 しかし、 1566年6月19日、メアリーは王子ジェームズ(後のスコットランド王ジェームズ6世/イングランド王ジェームズ1世)を出産。 翌年の2月10日、ダーンリー卿が病気療養していた屋敷が爆破されて彼の絞殺死体が発見され、ボスウェル伯ジェームズ・ヘップバーンが強く疑われた。 それからほどない5月15日に、メアリーはボスウェル伯と結婚し、彼女自身が夫殺しに関わっていたとの疑惑を呼び起こしたのであった。
これらの出来事はメアリーの急速な失脚とリーヴン湖城への幽閉という事態を招く。 スコットランド貴族は彼女に退位とジェームズ王子への譲位を強いた。 そして、ジェームズはプロテスタントとして育てるためにスターリング城へ移された。 1568年、メアリーは脱出不可能と言われているリーヴン湖城 から逃亡したが、戦いに敗れ、国境を越えてイングランドへ亡命した。 当初、エリザベスはメアリーを復位させようと考えたが、結局、彼女と枢密院は安全策を選ぶ。 イングランド軍とともにメアリーをスコットランドへ帰国させる、もしくはフランスやイングランド内のカトリック敵対勢力の手に渡す危険を冒すより、エリザベス1世とイングランド枢密院は彼女をイングランドに抑留することにし、亡命したメアリー・ステュアート女王はこの地で19年間幽閉されることになる。
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