○◎ 同時代に、同じ国に、華麗なる二人の女王の闘い/王妃メアリーの挫折と苦悩 ◎○
◇◆ イングランドへ亡命 ◆◇
メアリーは最後のチャンスに賭けた。 メアリーは、脱出は不可能といわれていたロッホリーヴン城に幽閉されていたが、10カ月後の1568年5月2日、そこからの脱出に成功する。 数カ月かけて脱出作戦を練った後、ついに、ロッホリーヴン城を脱出し、ニドリー城まで落ち延びたのだ。 城主サー・ウィリアム・ダグラスの息子ジョージが、25歳の女ざかりのメアリーの美しさに惑わされ、彼女の脱出に手を貸したからだとされている。
変装したメアリーは、侍女たちとともに小舟に乗り、りーヴン湖を渡った。 そこから南へとむかい、フォース湾を船で横切ると、クィーンズフェリーに上陸した。そして、そこからさらに南へとむかい、カークリストンの近くの、セトン卿のニドゥリー城に入った。 メアリーはそこで支持者をあつめ、女王への復位をめざして、反メアリーの貴族たちへの反撃を開始した。 メアリーは6千人の兵を集めて軍を起こす。 一方、摂政のマリ伯のとっては、メアリーの脱出は痛手だった。 ボスウェル伯に反発して1年前の反乱に加わった貴族たちのなかには、メアリーを支持する者がいたからである。
5月13日、メアリー軍は、グラスゴーの近くのラングサイドでマリ軍に決戦を挑んだ。 「ラングサイドの戦い」である。 メアリーはこの戦いに王冠の奪還を賭け、6千の兵を集めていた。 しかし、寄せ集めの軍隊であることは否めなかった。 さらに、メアリー軍の総司令官だった5代アンガス伯アーチボルド・キャンベルは、戦いの決定的な瞬間に弱気になり、勝機を逃していた。 その結果、メアリー軍は敗れてしまったのである。 戦場からかろうじて脱出したメアリーは、ヘリズ卿に助けられ、ダムフリースまでの60マイル(約96キロメートル)を逃げのびていった。 そこからは、追手を避けながら、さらにコラ城、ターレグレス城へと逃避行をつづけていった。
メアリーは、もはやスコットランドにはいられなかった。 そこで彼女は、ひとまずイングランドに亡命することにした。 父の従妹になるエリザベス1世の力を借りて反メアリー勢力を一掃し、ふたたびスコットランドの女王の座につこうと考えたのである。 髪を短く切ったメアリーは、服も変えて、イングランドに近いスコットランド南端のダンドレナン修道院へとむかった。 このときの悲惨な逃避行について、メアリーは次のように書き残している。
「地面の上にそのまま寝て、酸っぱいミルクを飲み、パンもなく、オートミールだけをすすった。 フクロウのように昼間は隠れ、夜、移動することが三晩もあった」
5月16日、メアリーは20人の従者をつれてソルウェイ湾を渡り、イングランド領に入った。 それから、イングランド領内をワーキングトン、クッカーマウスへと移動し、逃避行をはじめてから5日目の5月18日に、カーライル城にたどりついた。 カーライル城は、メアリーをスコットランドの女王として丁重に迎え入れた。 イングランドとスコットランドは対立していたが、メアリーはエリザベス女王の従兄の娘でもあり、賓客だった。 メアリーは、ここでようやくゆっくりと休むことができた。
しかし亡命を果たしたものの、このときからメアリーは、実質的にイングランドの捕虜となってしまったのである。
10年前の1558年にエリザベスが女王に即位すると、その翌年に、イングランドはカトリックからふたたびプロテスタントの国になっていた。 しかし、国内には旧教であるカトリックを信仰するものが多く残っていた。 そればかりか、過激なカトリック勢力は、エリザベス1世を暗殺してカトリックを復活させようとしていた。 そんな状況のなかでは、プロテスタントのエリザベスがカトリックのメアリーを助けて反メアリーのスコットランド貴族を討つわけにはいかなかった。 彼等もプロテスタントだったからである。
それどころか、メアリーのイングランドへの亡命は、逆に国内のカトリック勢力を活気づかせることになってしまった。 エリザベスにとってカトリックのメアリーは、従兄の娘とはいえ、厄介者以外に何ものでもなかった。 メアリーはイングランド各地を転々としたが、軟禁状態とは思えないほど自由に近い、引退した老婦人のような静かな生活を送ることを許されていた。 しかしメアリーは、これらのイングランドの状況を、まったく理解していなかった。 彼女は、「血がつながっているのだから、エリザベスはきっと助けてくれるにちがいない」としか考えていなかったのである。
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