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Channel: 【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》
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「90億人の食」、食に纏る世界の話題 =208=

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≡ 世界の人口は2050年までに90億人に達し、十分な食料を確保できるのか ≡ 

= 朝には道ばたでパンを売る姿がよく見られ、ジャガイモ・トウモロコシが主食= 

- 豚肉は高級な食材とされる。クイと呼ばれる天竺鼠の一種も食用としている - 

民族の発酵酒“チチャ” にかける情熱は強く、ボリビア料理を彩る

【この企画はWebナショジオ_「世界魂食紀行 ソウルフード巡礼の旅」】

(文=中川明紀・ライター、編集者  イラスト・史料編纂=涯 如水)

◇◆ 口に広がる汁の旨みがたまらない!ボリビアの朝ごはん =1/3= ◆◇

 東京・西葛西のリトルインディアや高田馬場のリトルヤンゴンなど、東京をはじめ日本各地にはいくつもの“外国人街”がある。規模の大小はあるものの、どこも同じ国、地域の外国人が集まり、飲食店や食材店、寺院などが点在している。今回訪れた神奈川の鶴見にもまた、外国人が集まる地域があるという。

 横浜市の北東部に位置する鶴見はJR東京駅から京浜東北線で30分ほど行ったところにある。その鶴見駅の東口から徒歩で約20分、猛暑の中で汗だくになりながら中心地とされる仲通り商店街の入口に着いたとき、私は思わず立ち止まった。多くの店のシャッターが下り、閑散とした通りが伸びていたのだ。あ、今日は日曜だから休みなのかも……。そうは思っても仕方がない。とりあえず歩いてみることにする。

 この仲通り商店街は別名、「リトル沖縄」と呼ばれている。京浜工業地帯の一角を担う鶴見には、大正時代の初め頃から多くの沖縄の人たちが職を求めて移住した。1953年には沖縄出身者によって横浜・鶴見沖縄県人会が発足、その団体が運営する「鶴見沖縄県人会会館」が仲通り商店街にあるのだ。

 太陽が照り付ける通りには角打ちで昼から一杯やっているおっちゃんぐらいしかいなかったが、会館の一階にあるおきなわ物産センターが開いていたのでサーターアンダギーを買い求める。「サクサクでおいし~い」と一休み……ってちがーーう! 私が食べに来たのは外国の料理だ。

 では、なぜリトル沖縄にいるのか。その理由は、レストラン「エル ボスケ」の知名美枝子(ちなみえこ)さんに話してもらおう。この日の私の目的はここでボリビアのソウルフードを食べることだったのだ。

「沖縄にルーツを持つ南米の日系人たちが就労を目的に来日したんです。一番多いのはブラジル、次いでペルー、ボリビアの人たちですね」。確かに商店街には沖縄系だけではなく、南米系の食材店やレストランがいくつかあった。

 明治時代に始まった移民政策によって多くの日本人が南米を中心に世界各地に移住している。特に沖縄からの移民が多く、ペルーにいたっては日系人の7割が沖縄にルーツを持つそうだ。「私も沖縄に生まれ、1958年、8歳の時に家族でボリビアに移住しました。日本に戻ってきたのは90年頃。妹など家族は今もボリビアにいます」と知名さん。

 ボリビアに移住した沖縄の人たちは原生林を開拓して村をつくった。そこはオキナワ村と呼ばれるようになり、今ではボリビアの地図にも載っているという。知名さんも初めはその開拓地に住んだそうだ。

 そんな話をしているところへ、時々店を手伝っているというボリビア出身のロクサナさんがある飲み物を持ってきてくれた。暑さで顔を真っ赤にして店に入ってきた私にすすめてくれたものだ。アイスティーのような色で大きな梅のような実が浮いている。梅酒みたいなものか?

「モコチンチです」

次回に続く

◇ Cómo hacer SILPANCHO ◇

 

・・・https://youtu.be/zHr95iACBxs?list=PLXvn69OpNCNTBBWVb1aq4oG6KU0r-Bww9・・・

//////参考資料///////

■□ 参考資料: ボリビア文化 □■

プレ・インカ期やインカ帝国の文明圏ではケチュアがアイマラを支配する形で一体化は進み、スペイン統治下のペルー副王領リオ・デ・ラ・プラタ副王領の勢力圏などでもアルト・ペルーと呼ばれ、ペルーとボリビアはほぼひとまとまりの地域として扱われてきたため、現在でも両国は文化的に近い関係にある。

例えば、アンデス地方を特徴づける文化として世界的に有名なのはフォルクローレであるが、その曲調、使用する楽器などはボリビアとペルーでほぼ同じであり、これはアルゼンチン北西部とも共通する。スペイン統治時代に広まった伝統的な衣装を着続けるチョリータと呼ばれる女性たちも、両国に共通する特徴的な習俗である。

アンデス地域とアマゾン地域はその気候の大きな違いや町の起こりの経緯の違いにより、互いに文化的な差異を感じているようである。

アンデス地方の町の多くはインカ帝国時代の集落がペルー副王領時代に町として興されたものであるのに対し、アマゾン地域の町は植民地時代にはパラグアイ方面から開拓されていったものが多いが、スペイン当局にはほとんど手をつけられず、グランチャコ地方の領有問題なども放置されていた。

東部の主要都市サンタクルスが開発されたのも第二次世界大戦前後からである。 俗語では、アンデス地域またはそこに住む人々はコージャと呼ばれ、アマゾン地域またはそこに住む人々はカンバと呼ばれる。

1998年以降、アメリカの指導により、政府はコカ撲滅作戦に取り組んでいるが、国民の6割がコカ常用者とされ、アメリカなどへの密輸も盛んに行われている。

・・・・・明日・次節に続く

◆   Salteñas Bolivianas ◆

・・・https://youtu.be/SH7yD2kHBlY?list=PLXvn69OpNCNTBBWVb1aq4oG6KU0r-Bww9・・・

=上記本文中、変色文字(下線付き)のクリックにてウイキペディア解説表示=

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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

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