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Channel: 【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》
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「90億人の食」、食に纏る世界の話題 =207=

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≡ 世界の人口は2050年までに90億人に達し、十分な食料を確保できるのか ≡ 

= 数世紀に及ぶ外部世界の相互作用の結果 世界で最も多様性に富んだ料理を生んだ= 

- ベルベル、スペイン、コルシカ、ポルトガル、ムーア、中東、地中海、アフリカの混合料理 - 

数千年来輸入され続けた香辛料が独自のモロッコ料理を彩る

【この企画はWebナショジオ_「世界魂食紀行 ソウルフード巡礼の旅」】

(文=中川明紀・ライター、編集者  イラスト・史料編纂=涯 如水)

◇◆ モロッコの金曜日は“クスクスの日” =3/3= ◆◇

粉からつくると優に3時間はかかるという料理。 「この大皿にのせたクスクスを家族で囲み、それぞれ右手を使って食べるんです。そして、最近の出来事や考えていることなどいろいろな話をする。とても大切な時間なんです」

 クスクスのほかには飲み物だけ。お肉も野菜もたっぷりだから、これだけで十分なのだとヒシャムさんはいう。そして、ゆっくり時間をかけて食べ終えたらまた職場や学校に戻るのだそうだ。宗教は異なるが、イタリア(前記参照参照)やスロベニア(前記参照参照)の話の際に出た欧州の「サンデーランチ」の風習にも似ている。

 さらに、「このほかに、クスクスは日本でいう葬儀の時にも食べますよ」とヒシャムさん。そういえば、ヒシャムさんの友人も「お祝いの時にはあまり食べない」と言っていた。「誰かが亡くなった家の人は悲しいし、慌ただしいからなかなか料理を用意する余裕がないでしょう。だから、近所の人が集まってクスクスをつくり弔問客などに出すんですよ」

 クスクスはモロッコ人の信仰に結びついているとともに、人と人を結ぶ食べ物なんだなあ。私がそういうと、ヒシャムさんはうなずいて話を続けた。

「市販のクスクスがなかった時代は、クスクスは娘が母親に教わる最後の料理だったんですよ。モロッコの女性は10歳になるとキッチンに立って手伝いを始めます。野菜を切るといった簡単なことから始めて、スパイスの使い方など母親に少しずつ教わっていく。最後に上手に粉からクスクスをつくれるようになったらお嫁にいく準備が整ったとされたんです。だから、モロッコのお母さんはみんな料理が上手。私のおかあさんもね」

 毎日食べていた料理が自分にとっていかに大事なものだったかということは日本に住むようになってからわかったとヒシャムさんは言う。

「私はモロッコの文化を伝えたくてレストランを開きました。でも、どんなにがんばってつくっても、モロッコで食べる料理にはかなわない。モロッコにはどの街にもスーク(市場)があって採れたての野菜や新鮮な肉、魚介が売られています。野菜なんかは種類も豊富で日本で売られているものとは違う。みずみずしくて味が濃いんです」

 しかも、母親たちは毎朝、市場に出かけて美味しそうな食材を自分で見極めながらその日のメニューを決めるという。

「家に帰ればおかあさんが料理をつくって待っている。それが日常だったので当たり前のことだと思っていたけれど、モロッコの土地で育った食材でおかあさんがつくる料理は他で味わうことのできないものでした。母国を離れて初めてそのありがたさに気づいたんです」

 家族のためを思ってより新鮮な食材を選び、時間をかけてつくる母の愛情。それは何よりも勝るスパイスなのかもしれない。

Le Maghreb Chandelier(ル マグレブ シャンデリア)/ 東京都港区西麻布1-12-5 1F

ホームページ:http://www.lemaghrebchandelier.com/

次回“口に広がる汁の旨みがたまらない!ボリビアの朝ごはん”に続く

◇ ザアルーク(焼きナスとピーマンのペーストサラダ) ◇

・・・・・・https://youtu.be/xREdXlRC-ak?list=PL9alnBpYlsiXkhlNAy5_27m4Di_1uNFUM・・・・・

//////参考資料///////

■□ 参考資料:イブン・バットゥータ □■

イブン・バットゥータ(Ibn Battuta/アブー・アブドゥッラー・ムハンマド・イブン・アブドゥッラー・アッ=ラワーティー・アッ=タンジー、1304年2月24日/25日 - 1368年/69年)は、マリーン朝のモロッコ人である。彼の旅行記『諸都市の新奇さと旅の驚異に関する観察者たちへの贈り物(Rihla)』にまとめられた広範にわたる旅行で知られ、30年間をかけ既知のイスラム世界、そして非イスラムの地を旅した。彼の旅した地には北アフリカ、アフリカの角、西アフリカ、東ヨーロッパ、中東、南アジア、中央アジア、東南アジア、中国が含まれる。よって、イブン・バットゥータは史上最も偉大な旅行家の一人と考えられている。

イブン・バットゥータに関しては出自にしろ旅の記録にしろ自叙伝として伝えられている以外の情報はない。それによれば彼は1304年2月24日/25日、マリーン朝の治世のモロッコタンジェのイスラム法学者、すなわちウラマーの一家に生まれている。彼の家はラワータ(Lawata)として知られるベルベル人の部族の出身であると記されている。1325年6月、21歳のときに彼は巡礼、すなわちハッジのためにメッカを目指し故郷を発った。本来は往復16ヶ月の道程である。しかし彼が再びモロッコの地を踏むのは24年後となった。

1326年の早春、故郷から3500キロの旅の後 彼はバフリ朝の支配にあったアレクサンドリアの港に着く。そこで2人の禁欲的で敬虔な人物にあっている。1人はシャイフ・ブルハヌッディーン、いわく「私にはあなたが世界を旅することが好きな人間におもえる。あなたはインドにいる私の門弟ファリドゥッディーン、シンドにいるルコヌッディーン、そして中国にいるブルハヌッディーンを訪れるだろう。よろしく伝えておいてほしい」と、彼はイブン・バットゥータが世界の旅人となることを予言していたのだと考えられている。

もう一人の敬虔な人物、シャイフ・ムルシドはイブン・バットゥータの見た夢に対し、彼は世界の旅人になることになっている、と解釈を与えている。・・・・・・・・

=== 小生のブログ“壺公夢想” (2014年4月4日連載開始) 【イブン・バットゥータ / 14世紀中葉、三大陸周遊(20節)】 参照 : https://thubokou.wordpress.com/2014/04/04/  ===

・・・・・明日に続く

◆   モロッコの優しいスープ「ハリラ」のレシピ ◆

・・・・・・https://youtu.be/FO4YaSp1Szw?list=PL9alnBpYlsiXkhlNAy5_27m4Di_1uNFUM・・・・・

=上記本文中、変色文字(下線付き)のクリックにてウイキペディア解説表示=

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後節へ移行 : http://blog.goo._not-yet//208//

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【壺公夢想;如水総覧】 :http://thubokou.wordpress.com

【浪漫孤鴻;時事自講】 :http://plaza.rakuten.co.jp/bogoda5445/

【疑心暗鬼;如水創作】 :http://bogoda.jugem.jp/

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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

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