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Channel: 【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》
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「90億人の食」、食に纏る世界の話題 =195=

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≡ 世界の人口は2050年までに90億人に達し、十分な食料を確保できるのか ≡ 

= 遠い異国の地にいる時、ふと懐かしくなる料理がある。 我が味噌汁のように = 

- ひとくち口にすれば体が喜び、心が落ち着き、自分のルーツを実感するまさに“魂の食” - 

ヒマラヤ・タクラマカン・北極圏の地を彷徨った小生、“味噌汁の味”に己が自分のルーツを実感した

一昨年に中断した《ソウルフード巡礼の旅へ》再び、ナビ無しで

【この企画はWebナショジオ_「世界魂食紀行 ソウルフード巡礼の旅」】

(文=中川明紀・ライター、編集者  イラスト・史料編纂=涯 如水)

◇◆ 医者要らず?ケニア・カンバ族の食事情 =2/4= ◆◇

   ・・・・・・なんだか心まで温まる。聞けば、この店の料理はフローレンスさんの実家の味そのままだという。来日して25年にわたりケニア大使館に勤めたフローレンスさんは、ケニアの文化を伝える場をつくろうと店を開いた。日本滞在が長く料理がさほど得意ではなかったため、最初はケニアのコーヒーと紅茶が飲めるカフェとして始めたそうだ。

 だが、友人や在日のケニアの人たちからケニア料理が食べたいという声が続出した。そこでフローレンスさんは意を決し、帰国して母親に料理を教わり、さらに学校に通って調理師免許も取得したのだ。

「だから店の料理はぜんぶおかあさん直伝の味。メニューも2~3種類から始めて、まだ完璧じゃないけれどだいぶ種類が増えたんですよ」

 私の問いに答えながら、フローレンスさんは厨房でマッシャー(イモなどをつぶす器具)を使い、トントントンと勢いよく音を立てて何かをつぶしだした。許可をもらって厨房の中を見せてもらうと、大きなボウルの中にあったのはグリーンピース。ある程度つぶしたところで茹でたジャガイモを入れてさらにつぶしていく。けっこうな力仕事だ。

「フードプロセッサーを使ってもいいけれど、適度な食感とねばりを出すには昔ながらの手作業が一番なんです」。ほどよいマッシュポテトになったところでバター、さらに塩茹したコーンを入れて混ぜるフローレンスさん。いったい何をつくっているんだろう。

「ムキモですよ」

 マッシュポテトに豆やコーン、葉物野菜を加えたもので、カンバ族が日常的によく食べる料理だとフローレンスさんはいう。いわばカンバ族版ポテトサラダだ。

「葉物はケールの一種であるスクマウィキを一番よく使うんですが、日本では冬にケールがあまり出回らないので今日はほうれん草にしました。これをニンニクと一緒にバター、オリーブオイルで炒めて、塩コショウで味付けします。緑の葉物なら何でもよく、カボチャの葉を使うことも多いですよ」

 こうして炒めた葉物をマッシュポテトに混ぜるか添えるかして、ココナッツを振りかければ完成だ。グリーンピースが混ざったマッシュポテトは淡い緑色。そのやさしい甘みに塩気が効いたコーン、ニンニクとほうれん草の滋味深いうま味が重なって食が進む、進む。

 ちなみに、ムキモによく使うというスクマウィキ(ケール)をケニアの人々は毎日のように食べるらしい。ケールといえば青汁だが、スクマウィキも栄養価の高い食べ物として知られ、その名にはスワヒリ語で「一週間を乗り切ろう」という意味があるそうだ。ほうれん草も栄養豊富だし、ムキモもまた活力を与えてくれそうな料理だなあ。カンバのポテサラあなどれぬ。

「カンバ族は食にとても気を遣っているんです。農家が多く、みんな畑を持っているけれど、その日に食べる分しか収穫しません。ムキモをつくる時も畑にある葉物野菜を摘んできて使います。家畜がいるからバターも自分でつくる。旬で新鮮なものが、一番栄養がありますからね」

明日に続く…

◇ ンゴマと生きる人々 〜ケニア東海岸 ドゥルマ民族の暮らしと伝統〜 ◇

・・・・・・ https://youtu.be/FppfuJ5RoG0 ・・・・・

//////参考資料///////

■□ 参考資料:ケニアの主要な民族(2/4) □■

キクユ族は第一次世界大戦にケニアに入植した、後のデンマーク作家カレン・ブリクセンは自分のコーヒー園で雇用したキクユの人々について次のように書いている(『アフリカの日々』より)。

反抗心を持たず、羊のように我慢強い土地の人たちは、権力も保護者もないまま、自分たちの運命に耐えてきた。偉大なあきらめの才能によって、今もなお彼らは耐えている。キクユ族はマサイ族のように隷属に耐えず死を選ぶことはないし、ソマリ族のように、傷つけられ、だまされ、軽んじられた場合、運命に挑戦することもない。異国の神とも親しみ、とらわれの境遇にも耐えてきた

こうした背景から、1919年にキクユ人ハリー・ズク(Harry Thuku)がナイロビで東アフリカ協会(EAA)を組織し、これがケニアの民族主義的な政治運動の始まりとなる。1924年には青年層を中核とするキクユ中央協会(KCA)ができ、植民地政府と同調する首長勢力と対決した。KCAは労働問題やアフリカ人への土地返還などと取り組み、近縁の民族だけでなく、ルオ人やルイア人とも超民族的な連帯を達成した。

平和的な手段にあきたらずKCA急進派が起こしたのが1952年からのマウマウ戦争であり、これが白人入植者撤退のきっかけとなった。

1960年にケニアの民族主義者たちはケニア・アフリカ民族同盟 (KANU) に結集するが、1963年の独立後、穏健派のキクユであるジョモ・ケニヤッタ(Jomo Kenyatta)が保守勢力を引き込んで新植民地政策をとると、急進派は社会主義をかかげて対立した。

1978年ケニヤッタが没すると、将来の大統領の座を狙っていたケニヤッタ政権の司法長官のキクユ人らは当時副大統領であったトゥゲンダニエル・アラップ・モイ(Daniel arap Moi)擁立に動き、当初はキクユから軽く見られていたモイが就任したが、彼はやがて強権化を推し進めて行くこととなる。今日でもキクユ人の一部には、不遇の念が強くわだかまっているいい、部族間闘争の因を生む。

2002年以降の第3代ケニア大統領ムワイ・キバキ(Mwai Kibaki)はキクユ族の出身者であり、彼の政策は他部族から露骨なキクユ族優遇政策であると見られている。2007年12月の選挙においてキバキ陣営は対立候補であるルオのライラ・オディンガ(Raila Odinga)候補を僅差で破り再選を果たしたが、不正選挙ではないかと疑った若者たちと治安部隊との衝突を皮切りに、民族同士による虐殺が起きるほどまでに事態が深刻化した暴動(ケニア危機)が起こり、他部族がキクユ族に対してあからさまな敵対行動を見せるようになっている。

キクユ族は歴史的には「伝統信仰」を信じてきたが、現在はほとんどがキリスト教に改宗している。キクユ族の伝統信仰は、ケニア山の頂上に座する神・ンガイ(Ngai)を奉ずる一神教である。ンガイは、マーサイ族からはエンカイと呼ばれているが、同じ神を指している。

・・・・・続く

◆  世界のビーガンレシピ:ケニア-2 ◆

・・・・・・ https://youtu.be/gcO-sbU-h60 ・・・・・

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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

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