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Channel: 【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》
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「90億人の食」、食に纏る世界の話題 =047=

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≡ 世界の人口は2050年までに90億人に達し、十分な食料を確保できるのか ≡

= 唐辛子(とうがらし、唐芥子、蕃椒)は、中南米を原産とする =

- ナス科トウガラシ族(Capsicum) の果実あるいは、それから作られる辛味のある香辛料である-

栽培種だけでなく、野生種が香辛料として利用される

ここに一つの未来図がある

【この企画はWebナショジオ_2014年4月~2014年12月期、35回記載に追記・補講した】

(=文:Rebecca Rupp/訳:堀込泰三  イラスト:涯 如水=)

◇◆ コロンブスを航海に向かわせた、トウガラシをめぐる冒険 =1/2= ◆◇

英国のコーンウォール公(伝統的には現国王の長男を指す。現在はチャールズ皇太子)には代々、年に一度、領地から地代を受け取る権利が与えられている。地代として贈られるのは、狩猟用の弓、金色の拍車1組、グレイハウンド犬2匹、大量の薪、そして1ポンドのコショウの実などだ。

 コショウは、決して粗末な贈り物ではない。ヨーロッパの歴史においては、金と同等の価値を有していたのである。ローマは、コショウを使って西ゴート族とフン族のアッティラ王を買収したし、家賃や裁判官へのワイロにも、コショウが使われた。中世の農奴は、1ポンドのコショウをかき集めることができれば、それと引き換えに自由を手に入れることができた。

 ヨーロッパの人々にとって特に価値があったのは、黒コショウだ。「Piper nigrum」という学名を持つ刺激的なその果実は、南インドが原産である。15世紀、オスマン・トルコによってコンスタンティノープルが陥落してから、インドをはじめアジアとの貿易ルートが断たれたため、コショウの価格が急騰した。危なっかしいコロンブスの航海にスペイン王室が出資する気になったのは、気が遠くなるほど高額になったコショウが一役買っているのは間違いないだろう。

香辛料と新世界

 1493年1月15日、コロンブスは自身の日記に、新世界の香辛料のことを綴っている。「新世界に大量にある香辛料aji(アヒー)は、ヨーロッパのコショウよりも価値がある。健康にとても良いため、アヒーなしで食べる者はいないほどだ」。中南米の原住民は当時、数十種もの香辛料を栽培していた。『General History of the things of New Spain』(1569)を書いたフランシスコ会修道士のベルナルディーノ・デ・サアグンは、アステカ時代のメキシコで60年以上を過ごした経験から、香辛料を用いた現地料理の幅広さに触れている。

 新世界の香辛料は、コロンブスによってpepperと名付けられたものの、旧世界のコショウとはまったく別物である。ナス科の仲間であり、トマトやジャガイモ、ナスなどの親戚に当たる。もっと具体的に言うなら、25種からなるトウガラシ属に属している。

 新世界の香辛料トウガラシは、旧世界にも急速に取り入れられることになった。インドには16世紀のはじめにポルトガル人によって持ち込まれ、重要なカレーの材料となった。トウガラシはその後、さらに東に伝わり、コロンブスの航海から50年もたたないうちに、中国や日本でも用いられるようになったのである。

 トウガラシはすべてが辛いわけではない。だが、爆発的な辛さのものもある。黒コショウのピリッとした辛みは、ピペリンと呼ばれるアルカロイドによるものだが、トウガラシが醸す燃えるような辛さは、主にカプサイシンと呼ばれる化合物による。

 カプサイシンは、実に頼りになる存在である。催涙スプレーとして、ジョギング中の人が強盗をやっつけたり、手紙を届ける郵便局員が犬から身を守ったり、ハイカーが熊を撃退するために使うことがある。牧場主は、羊に塗り付け、オオカミを撃退する。庭師はウサギやシカ、リスなどを追い払うのに使う。アステカでは、言うことを聞かない子どもを叩くのではなく、熱々のトウガラシの上に乗せて罰を与えていたそうだ。

◇◆ 【唐辛子味噌】の作り方!byまかないチャレンジ ◆◇

・・・・・・ https://youtu.be/uRWeJFUUa1s ・・・・・

//////参考資料///////

■□ 参考資料:唐辛子のはなし(1/2) □■

唐辛子の原産地は中南米です。メキシコでは数千年前から食用として利用・栽培されており、この地域が唐辛子の発祥といわれています。

突然ではありますが、唐辛子はどことなく船に似た形をしています。半月状の姿はまるで竜骨を携えた船腹を想起させ、実から伸びる「へた」の部分は、勇壮な船首を連想……しませんね。沈んでしまいそうです。

 何はともあれ「船と言えば海!」というわけで、いささか無理やりではありますが、今回は海を渡って日本にやってきた、唐辛子の歴史に焦点を当ててみましょう。

 唐辛子の起源は約1万年前!

唐辛子の原産地は、南アメリカの熱帯地域。何と紀元前7,000年~8,000年ごろにはペルーやメキシコなどで栽培されていたそうです。日本の歴史で言うと縄文時代の真ん中くらいでしょうか。気が遠くなるくらい昔から、異国の地では唐辛子文化が根付いていたんですね。

 地球の裏側から日本に伝わった唐辛子は、一体どのような経路を辿ったのでしょうか? その道程には、教科書にも登場する偉人が大きく関わっていました。

 唐辛子を広めた立役者はコロンブス

唐辛子の世界的な普及の礎となったのは、「コロンブスの卵」で広く知られるクリストファー・コロンブス。「アメリカ大陸を発見した人」と学校で教わった人も多いかもしれませんが、どうやらこれは、史実に反するとの見方が一般的なようです。

 そもそも彼が船旅をしたのは、マルコ・ポーロの書物からインドや中国、日本(ジパング)に高い関心を抱いていたことと、香辛料が欲しかったから。なぜ香辛料を求めたのかと言えば、高く売れるためです。

 大航海時代と呼ばれた当時は、コショウやナツメグ、シナモンやグローブなどの香辛料が高値で売買されていました。特にコショウの価値は高く、金と同等の額で取り引きされていたと言われるほどです。後の世に名を残した偉人が、「よし!大儲けしてやろう!」と考えたかどうかは分かりませんが、何はともあれ、コロンブスは大海原に帆を上げることになりました。

 コロンブスが生きた時代、コショウなどの香辛料はインドかインドネシアで採ることができました。そんなわけで、彼はインドを目指して出航します。そして辿り着いたのは、西インド諸島に数えられる島「サン・サルバドル島」。

「?」

 そう思った方は、きっと地理に明るい方でしょう。サン・サルバドル島はカリブ海に浮かぶ島で、バハマの東、キューバの北に位置します。「西インド諸島」という名前が紛らわしい限りですが、この島は要するに「アメリカの近く」です。

 ポルトガルが東へ進む航路でインド到達を確立させていた当時、「地球は丸いから西に進んでもインドに着くぞ!」という考えから、コロンブスは西へ西へと船を進めました。んで、辿り着いたサン・サルバドル島を「インドだ!」と勘違いしというわけ。

以上、“唐辛子のブログ/ https://www.togarashi.co.jp/blog伊藤 惣一” より

 

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_ 「唐辛子醤油」作り方_

・・・・・・ https://youtu.be/I5SUI57mLwU  ・・・・・・

=上記本文中、変色文字(下線付き)のクリックにてウイキペディア解説表示=

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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

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