≡ 世界の人口は2050年までに90億人に達し、十分な食料を確保できるのか ≡
= 唐辛子(とうがらし、唐芥子、蕃椒)は、中南米を原産とする =
- ナス科トウガラシ族(Capsicum) の果実あるいは、それから作られる辛味のある香辛料である-
栽培種だけでなく、野生種が香辛料として利用される
ここに一つの未来図がある
【この企画はWebナショジオ_2014年4月~2014年12月期、35回記載に追記・補講した】
(=文:Rebecca Rupp/訳:堀込泰三 イラスト:涯 如水=)
◇◆ コロンブスを航海に向かわせた、トウガラシをめぐる冒険 =2/2= ◆◇
カプサイシン:舌への拷問
最近では高速液体クロマトグラフィーを使ってトウガラシの辛さを分析できるようになったが、1912年に考案された辛さ測定法は、スコヴィル味覚テストと呼ばれる人間の舌を使う方法。トウガラシをアルコールに浸してカプサイシンを浸出させたのち、抽出液を希釈する。人間が口に含み、辛みを感じなくなるまでに必要な希釈液が多いほど、そのトウガラシの辛みが強いことを意味する。
トウガラシの辛さは、今でも慣習的にスコヴィル値(単位はSHU)を用いて表現される。スコヴィルスケールの最小値は辛みのまったくないピーマンで、SHUスコアはゼロである。比較的辛みが穏やかなポブラノは500から2000SHU、威勢のいいハラペーニョは2500から8000SHU、口から火を噴くほどのハバネロは30万から57万5000SHUにもなる(気温などの環境によってカプサイシン含有量が変わるため、結果には幅が生じる)。
スコヴィル値が50万を超えるトウガラシは「superhot」と分類されるが、もしかしたら「破滅的」と呼んだ方がいいかもしれない。そのような「megapepper」としては、ブート・ジョロキア(またの名をゴーストペッパー)が有名だ。インドで作られたハイブリッドで、世界で初めて100万SHUを記録した。2007年には、世界で最も辛いトウガラシとして、ギネスブックにも登録されている。これを口にした者は、「溶岩を食べたようだ」という感想を抱くという。
それ以降、数々のブリーダーたちの手によって、さらに辛いトウガラシが開発されている。ナガ・バイパーは、134万9000SHU、トリニダード・モルガ・スコーピオンは200万9231SHU、現在のチャンピオンはキャロライナ・リーパーで、220万SHUを記録した。
トウガラシを食べたときに感じる熱さは、感覚細胞の表面に存在するTRPV1受容体と呼ばれるたんぱく質の働きによる。TRPV1は、私たちを火傷から守る機能を司っていて、通常は43℃を超えると活性化し、熱すぎることを脳に伝える。しかしながら、カプサイシンはこのTRPV1をだまし、体温でも活性化させる作用を持つ。言い換えると、カプサイシンを食べると、脳は火傷をしているように感じてしまうのである。
No Pain, No Gain
こんな焼夷弾のような食べ物を私たちが欲するのはなぜなのか。
トウガラシを食べると気持ちがよくなるから、とする説もある。その説によると、カプサイシンが口内にある熱と痛みの受容体を活性化し、その後、モルヒネによく似た内因性のエンドルフィンが放出されるため、ストレス解消や高揚感をもたらすと言われている。つまり、ソファに座ってトウガラシを食べているだけで、ランナーズハイのような高揚感が得られるということだ。
ペンシルベニア大学の心理学者、ポール・ロジンは、別の説を唱えている。私たちがトウガラシを求めるのは、「制約されたリスク」の一例だというのだ。つまり、怖い映画を見たい、バンジージャンプをしてみたい、ジェットコースターに乗りたいという欲求と同じ。これらの行為は、実際には何の危険も伴わないにもかかわらず、アドレナリンによるスリルが得られるものである。
いずれにしても、トウガラシへの情熱は、われわれ人類に特有のものらしい。心理学者ポール・ブルームは言う。「タバスコを好んで食べる動物は、人間ぐらいだ」と。 (文:Rebecca Rupp/訳:堀込泰三)
・・・・・・次回“脇役から主役へ、バニラの下剋上な歴史”
◇◆ 青唐辛子のしょう油漬けのレシピ ◆◇
・・・・・・ https://youtu.be/3jxIu-PmaVY ・・・・・
//////参考資料///////
■□ 参考資料:唐辛子のはなし(2/2) □■
インドに行こうとしたら、アメリカに着いちゃったんですね。コロンブス!ドンマイです!
ちなみに、現在でもカリブ海一帯の島々が「西インド諸島」と呼ばれているのは、コロンブスがサン・サルバドル島に上陸したときに「ここはインドだ!」と言ったからだとか。彼の地の先住民を「インディアン(インディオ)」と呼ぶのも同じ理由で、彼の勘違いが元。そろそろ訂正してもいいようなものですが…。
唐辛子が日本に伝わった経緯は?
1492年にサン・サルバドル島に到達したコロンブスは、近隣諸島を巡って唐辛子と出会います。ここでも彼はちょっとした勘違い。唐辛子をコショウの仲間だと思ってしまったようです。唐辛子の英語名は「Red pepper」ですが、コショウを表す「Pepper」が名称の一部になっているのはそのためです。
翌1493年にコロンブスが持ち帰った唐辛子は、香辛料の需要の高さからか、すぐにヨーロッパ広域に広がります。その後日本に伝達された経緯については諸説あるので、いくつかご紹介しましょう。
1.南蛮渡来船説
ポルトガル人が種子島に鉄砲を伝えた「鉄砲伝来」。その折に、同時に持ち込まれたとされる説です。1543年に起きた出来事で、場所は九州ということになりますね。
2.ポルトガル人宣教師説
キリスト教を日本に広めるために来日した宣教師のひとりに、「バイタザール・ガコ」という人がいます。彼が、豊後国(現大分県)の大名である大友義鎮に、唐辛子の種を献上したという説。西暦でいえば1552年ごろの話になります。
3.豊臣秀吉朝鮮出兵説
16世紀の終わりに豊臣秀吉が起こした朝鮮出兵。天下統一では飽き足らず、海の向こうも手中に入れようとしたとされる事件ですね。この折に、加藤清正が日本に唐辛子を持ち帰ったという説があります。
その他にも、逆に朝鮮から伝わったとされる説などが入り乱れ、渡来の真相は定かではありません。有力な説としては、15世紀から16世紀あたりでしょうか。日本の元号でいえば、戦国時代から安土桃山時代ということになりそうですね。
日本に伝わってからの唐辛子
戦国時代から安土桃山時代、江戸時代の初期にかけて、唐辛子は日本国内へ普及の一途を辿ります。食用としての用途はむしろ近代にかけての話で、唐辛子が入国した当初は、その辛みから毒として扱われたり、足袋に入れて霜焼け予防として使われたりしたという話もあります。
どんぶらこと海を渡り、宗教や戦争や、さまざまな時代の波に揉まれて、唐辛子は香辛料として確固たる地位を確立します。その需要と存在感は、他の香辛料の追随を許さないと言っても差し支えなく、私のように心から唐辛子に魅了される人間をこしらえるまでになっています。
正確な経緯は分からないけれど、一翼を担ってくれた先人たちに感謝です!
以上、“唐辛子のブログ/ https://www.togarashi.co.jp/blog :伊藤 惣一” より
・・・・・・次回へ
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_ やげん掘り七味唐辛子 西新井大師 _
・・・・・・ https://youtu.be/exvhanC8EOE ・・・・・・
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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽 憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・
森のなかえ
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