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Channel: 【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》
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「90億人の食」、食に纏る世界の話題 =046=

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≡ 世界の人口は2050年までに90億人に達し、十分な食料を確保できるのか ≡

= ルネサンス期の科学者、博学者であるジャンバッティスタ・デッラ・ポルタ =

- 複数の見えないインクのレシピを、著書『自然魔術』に記している -

ここに一つの未来図がある

【この企画はWebナショジオ_2014年4月~2014年12月期、35回記載に追記・補講した】

(文=文=Rebecca Rupp/訳=堀込泰三  イラスト:涯 如水)

◇◆ ナポレオンも撃退した!レモンの博物誌 =2/2= ◆◇

壊血病の根絶により、イギリス海軍は沿岸部を守り通すことができた。これが、ナポレオン打倒につながったのである。失脚した皇帝が孤島セントヘレナに幽閉されたのち、イギリス海軍医がこのように記している。「経験豊富な役人の中には、壊血病の根絶がなかったら、沿岸封鎖戦術を続けることができず、フランス海軍を壊滅できなかっただろうと言う者もいる」

レモンはハイブリッドだった

 柑橘類は、東南アジアが原産と考えられている。少なくとも、いくつかの種類(おそらくオレンジとシトロン)は、アレクサンダー大王のインド遠征後に、地中海地域に持ち込まれたものだ。8世紀のアラブでは、レモンの栽培が行われていた。それが北アフリカに広がり、エジプトでレモネードが発明された。レモンは15世紀にスペインやポルトガルで人気となり、新世界にも伝わった。コロンブスは1493年、2度目の大西洋横断航海の途中で、中米ハイチにレモンを持ち込んでいる。

 レモンの成り立ちが明らかになったのは、ごく最近のことである。科学者がDNA技術を駆使して、その元となった種を特定した。レモンとは、皮が分厚く果汁のほとんどないシトロン(学名:Citrus medica)と、マーマレードに使われる酸っぱい果実であるダイダイ(学名:Citrus aurantium、別名ビターオレンジ)のハイブリッドだったのである。

 レモンが酸味を持つ理由は、クエン酸にある(レモンのpHは2~3)。その酸性の強さから、避妊のための殺精子剤(レモンジュースで浸したスポンジが使われる)にも応用された。女性遍歴で有名なジャコモ・カサノヴァは、半分に切ったレモンを愛人らに装着させ、避妊具にしていたと言われている(レモンが功を奏したのか、彼の無数の情事に対し、子どもは2人しかできていないらしい)。

レモン神話をもつ男

 レモンは、どんな料理にもマッチする。塩に次ぐ2番手の調味料として、レモンを挙げるシェフもいるほど。どんな食べ物でも、レモンをひとかけするだけで、必ずと言っていいほどおいしくなる。

 レモンを西洋料理に持ち込んだのは(少なくともフランス人の主張では)、書籍『フランスの料理人』(1651)の著者、フランソワ・ピエール・デ・ラ・ヴァレンヌと言われている。デ・ラ・ヴァレンヌは、フランス料理を近代化したことでも有名だ。彼のレシピは、中世の人々に人気のあったスパイスをふんだんに使ったシチューや厚切り肉を離れ、生野菜と刺激的な味のソース、ハーブやレモンジュースによる味付けを多用している(パイ生地やオランデーズソースを発明し、トリュフやアーティチョークを世間に知らしめたのも同氏である)。

 レモン愛好家として世界で最も有名な人物は、アメリカ南北戦争で活躍した軍人ストーンウォール・ジャクソンではなかろうか。ジャクソンは、戦いに乗り込む前にレモンにかぶりつく姿が目撃されている。そのため彼にはレモン神話が根強く残っているが、実際はどんなフルーツでも食べていた。家族や友人によると、いちばんのお気に入りは桃だったようだ。

 しかしながら、バージニア州レキシントンにあるジャクソンの墓には、今もなおレモンを捧げる来訪者が後を絶たない。  (文=Rebecca Rupp/訳=堀込泰三)

◇◆ 万能調味料と言われる 塩レモンの作り方 ◆◇

・・・・・・ https://youtu.be/uOKP-fnyHhQ  ・・・・・

//////参考資料/////// 

■□ 参考資料:“レモン”史、(2/2) □■

17世紀半ばには、イタリア北端に近いガルダ湖の北西岸に位置するリモーネ・スル・ガルダにヨーロッパ最北のレモン農園が作られた。ガルダ湖畔は温暖な気候だがレモンが自然に生育するほどではないので、リモナイア(レモンハウス)と呼ばれる避寒用の小屋を建て、その中にレモンの木を植え、夏は屋根を外し、冬はレモンの木ごと屋根で覆って冬を越させた。

このレモンはレモンの取れないアルプス以北の人々に珍重され、蒸気船と鉄道の登場によって競争力を失う19世紀末までの200年以上の間この地区の重要な産業となっていた]。またこうしたリモナイアはガルダ湖だけではなく、コモルガーノといったイタリア北部の湖水地方にわたって広がっていた。

近代においてはその医療効果が着目された。1753年、イギリス海軍省のジェームズ・リンドは壊血病が食生活から来ると推測し、実験によってこれを証明した。この実験の中で、レモンやレモンジュースが壊血病に効果的であることが発見された。もっとも、リンドの実験はあくまで食生活と壊血病との関係性を立証するものであって、レモンのほかにも多くの食物が推薦されていた。

長期の航海、1768年のジェームズ・クックの第1回航海において、クックはこの結果をもとにザワークラウトを大量に積み込み、またレモンなど柑橘類を食べることを奨励することによって、3年間の長期航海にもかかわらず壊血病で一人も命を失うことなく航海を終了し、この実験の正しさが認められた。その後、1795年にはこれらの結果をもとに、イギリス海軍は自国の艦船にレモンジュースを積み込み船員に配給することを義務付け、これによってイギリス船員の壊血病患者は、1780年-1795年の24%から1798年-1806年の11%にまで激減した。

こうしたレモンはラム酒のカクテルであるグロッグと組み合わされて船員に提供され、これによってグロッグのレシピにはこれ以降レモンジュースが加えられるようになった。また、こうしたレモンの壊血病への効果の立証と船舶への積み込みの義務付けはレモンの消費を拡大させるきっかけとなり、レモン農園は各地に拡大していった。

レモネードは古くからレモンによって作られてきたが、レモンが高価な時代にあってはレモネードもまた高価な飲み物だった。しかし1630年代に入ると砂糖とレモンの供給拡大によってフランスでレモネードが一般的な飲み物の一つとなった。この時代のレモネードはしばしば酒を混ぜられていたが、19世紀のアメリカにおいては、レモネードは禁酒運動と結びつき、ノンアルコールの飲料となった。このレモネードは、健康的な飲み物として1870年代以降消費が拡大した。

・・・・・・次回“コロンブスを航海に向かわせた、トウガラシをめぐる冒険”に続く

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_ 知っておきたい / レモンの皮の効能と利用法 _

・・・・・・ https://youtu.be/j1D26kTW3Ww ・・・・・・

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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

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