≡ 世界の人口は2050年までに90億人に達し、十分な食料を確保できるのか ≡
= ルネサンス期の科学者、博学者であるジャンバッティスタ・デッラ・ポルタ =
- 複数の見えないインクのレシピを、著書『自然魔術』に記している -
ここに一つの未来図がある
【この企画はWebナショジオ_2014年4月~2014年12月期、35回記載に追記・補講した】
(文=文=Rebecca Rupp/訳=堀込泰三 イラスト:涯 如水)
◇◆ ナポレオンも撃退した!レモンの博物誌 =1/2= ◆◇
あなたはスパイである。今すぐ、母国に秘密のメッセージを送らなければならない。手元にあるのはレモン。さて、どうする?
この記事を読んだあなたは幸運だ。敵が偶然この記事を読まない限り、任務を遂行できるのだから。
レモン以外に、玉ねぎのしぼり汁や牛乳、酢、いざとなったら尿でも構わない。これらはすべて、天然の「見えないインク」として機能する。これらの液体で紙にメッセージを書いて乾かせば、加熱しない限り気づかれることはない。「インク」に含まれる成分が紙の繊維と反応し、その紙を炎や電球で加熱するとまっさきに茶色く浮き出るのだ。
見えないインクは、紀元前5世紀には存在していた。ギリシャとペルシャの戦争中、それぞれが見えない書状を交換していたことがわかっている。9世紀のアラブではインクが洗練され、レモン、ビターアップル、オリーブオイル、卵黄を混ぜたものが使われていたようだ。
ルネサンス期のイタリアでは、レモンジュースが秘密のインクとしてもてはやされた。ルネサンス期の科学者、博学者であるジャンバッティスタ・デッラ・ポルタは、複数の見えないインクのレシピを、著書『自然魔術』(1558)に記している。同書では、レモンジュース、玉ねぎのしぼり汁、ミョウバンをベースにしたインクのほか、“ヤマネのジュース”を抽出したというあやしいインクも紹介されている。日中は見えないものの、夜になると「炎のような色」で光るのだそうだ。
レモンを使った見えないインクは、アメリカ独立革命や南北戦争、第一次および第二次世界大戦のスパイたちが、標準的に使用していた。イギリスでは1915年、ドイツの「レモンジューススパイ」組織が摘発された。同組織は、あらゆる情報を、レモンを使って祖国に漏らしていたのである。逮捕されたスパイの裁判で注目を集めた“有罪判決を受けたレモン”は、今でも英国国立公文書館に保管されており、黒く干からびて、クルミほどの大きさになっている。
ナポレオン打倒にレモンが担った役割とは?
こうした秘密の連絡は、数あるレモンジュースの使い道の一例に過ぎない。レモンをはじめとする柑橘類は、豊富なビタミンCの源でもある。レモン1つに、大人が1日に必要なビタミンCの約70%が含まれているのだ。ビタミンCはまた、壊血病の予防に欠かせない栄養素でもある。壊血病は、衰弱性で死に至ることもある恐ろしい病気だ。
18世紀イギリスのジェームズ・リンド医師は、世界初の臨床試験を実施して、レモンの抗壊血病作用を発見したことで知られる。当時海軍に勤めていたリンド医師は、壊血病の重症患者である海兵12人を6つのグループに分け、各グループに異なる副食を与えた。「リンゴジュース」「酢」「海水」「オレンジ2個とレモン1個」といった具合だ。すると、柑橘類を与えた海兵の回復が早く、6日間の療養で現場に戻ることができたという。
リンド医師は、454ページに及ぶ著書『Treatise of the Scurvy(壊血病論)』(1753)に、この発見を綴った。しかし海軍の腰は重く、イギリス海兵に毎日のレモンジュースが義務づけられたのは1795年のことであった(後に安価なライムジュースに変更されている)。それから1814年までの間に、160万ガロン(約730万リットル)ものレモンジュースが、イギリス海軍の船に納入されている(オリーブオイルを保護層として、樽で保管されていた)。およそ1500件あった国立海軍病院の壊血病症例数は、同時期に2件にまで減少した。
壊血病の根絶により、イギリス海軍は沿岸部を守り通すことができた。これが、ナポレオン打倒につながったのである。失脚した皇帝が孤島セントヘレナに幽閉されたのち、イギリス海軍医がこのように記している。「経験豊富な役人の中には、壊血病の根絶がなかったら、沿岸封鎖戦術を続けることができず、フランス海軍を壊滅できなかっただろうと言う者もいる」
◇◆ How To Make Meyer Lemon Chiffon Cake ◆◇
・・・・・・ https://youtu.be/aG2qm99J8gY ・・・・・
//////参考資料///////
■□ 参考資料:“レモン”史、(1/2) □■
レモン(檸檬、lemon、)は、ミカン科ミカン属の常緑低木、またはその果実のこと。柑橘類のひとつであり、なかでも主に酸味や香りを楽しむ、いわゆる香酸柑橘類に属する。 レモンの近縁種の一つ、シトロンの別名が枸櫞(くえん)で、クエン酸の名はこれに由来する。
原産地はヒマラヤ東部。樹高は3mほどになる。枝には棘がある。葉には厚みがあり菱形、もしくは楕円形で縁は鋸歯状。紫色の蕾を付け、白ないしピンクで強い香りのする5花弁の花を咲かせる。果実は開花後約半年で成熟。果実は紡錘形(ラグビーボール形)で、先端に乳頭と呼ばれる突起がある。最初は緑色をしているが、熟すと黄色になり、ライムにもよく似ている。果実のじょうのう(瓤嚢)は硬めで10部屋程度に分かれている。
レモンの原産地は上記のとおりインドのヒマラヤ山麓である。レモンの原種であるシトロンは古くから地中海沿岸において盛んに栽培されてきたが、レモンが栽培され始めた当初はシトロンと混同されることも多かったため、どの時期に栽培され始めたかについては不明な点も多い。ただし、イスラム帝国の成立以前にサーサーン朝ペルシアにおいてペルシャ人が栽培していたことはほぼ確実であり、サーサーン朝を征服したアラブ人たちもレモンを取り入れ、大々的に栽培するようになった。
レモンが独立して文献に現れるのは904年のことで、アラブ人の農業書にシトロンと区別されて記載された。9世紀にはイスラム帝国が征服したシチリアにレモンが持ち込まれ、以後シチリアは現代にまで至るレモンの大産地となった。
11世紀にノルマン人がシチリアを征服したことで、レモンはヨーロッパに持ち込まれた。しかし緯度の高いヨーロッパのほとんどの地域ではレモンを栽培することはできず、レモンや柑橘類は富の象徴とされた。
15世紀にはイタリアやスペインで盛んに生産されるようになった。 17世紀に全盛期を迎えたオランダでは静物画が盛んに描かれたが、なかでもレモンはその高級感から人気の題材であり、レモンを中心に描いた多くの静物画が現在でも残っている。同じく17世紀にはフランスを中心にオランジュリーと呼ばれる柑橘類栽培用の温室が富裕層の間で建設されるようになり、レモンもこの温室の中の主要な樹木の一つとなっていた。
・・・・・・明日に続く
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_ How To Wash The Lemon _
・・・・・・ https://youtu.be/QZTvLM0I8q8 ・・・・・・
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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽 憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・
森のなかえ
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