≡ 世界の人口は2050年までに90億人に達し、十分な食料を確保できるのか ≡
= イギリス人やアメリカ人の海賊の多くが財宝を求めてカリブ海の外に目を向け始めた =
- 制服政権・スペイン勢力の衰退著しい1690年代が始まった -
“バッカニーア”と呼ばれた海賊達が、スペイン船や植民地からの略奪などを行った
【この企画はWebナショジオ_2014年4月~2014年12月期、35回記載に追記・補講した】
(文=Rebecca Rupp/訳=小野智子 イラスト:涯 如水)
◇◆ 18世紀の海賊が食べていたものは? =2/2= ◆◇
『A New Voyage Round the World(邦題:ダンピア最新世界周航記/岩波文庫)』というベストセラーを著作したダンピアは、クックの80年以上も前にオーストラリアを訪れ、その植物区系と動物区系を記述した。また彼は、難破して無人島に暮らしていた船乗りアレクサンダー・セルカークを救出したが、この逸話が小説『ロビンソン・クルーソー』になった。シマウマについて初めて英語で解説を書いたのも、彼だ。
アルマジロはカメに似た味?
ダンピアは、クックの80年以上も前にオーストラリアを訪れ、その植物区系と動物区系を記述した。また彼は、難破して無人島に暮らしていた船乗りアレクサンダー・セルカークを救出したが、この逸話が小説『ロビンソン・クルーソー』になった。シマウマについて初めて英語で解説を書いたのも、彼だ。
そしてなにしろ、ダンピアはよく食べた。
オックスフォード英語辞典の1000以上の項目はダンピアに由来し、それらの多くが食物に関係するものである。バーベキュー、カシュー、キンカン、醤油、トルティーヤ、パンノキといった言葉は、彼によってもたらされたものだ。
ダンピアにとって、生物学と食事はセットだった。彼は生き物を観察して慎重に記述し、それから食べた。フラミンゴは「黒味を帯び、脂肪が少なくてよい肉」、アルマジロは「カメとすごく似た味」、グアバは「洋ナシと同じように焼いて食べる」といった具合だ。
彼(ダンピア)の報告の一部は料理本のように読まれた。彼は料理用バナナの調理法(タルトやプリンに入れて焼くなど)を伝えたり、ワカモレやマンゴーチャツネについておそらく最初の英語のレシピも残したりした。「熟していないマンゴーを2つに切り、塩と酢に漬け、ニンニクをひとかけ入れると、最高のソースができる」
19世紀には、スティーブンソンの子供向け冒険小説『宝島』などの影響で、ロマンチックな想像上の海賊のイメージが広まった。しかし、実在であれ想像上であれ、食物に対する情熱と関心でウィリアム・ダンピアに及ぶ海賊はいない。
さて、今日私たちが食べられる料理の中で、もっとも海賊料理に近いものといえば「サルマガンディー」だろう(乾パンと塩漬け牛肉をのぞく)。簡単に言えば、さまざまな肉、魚、野菜、果物をごた混ぜにしたサラダである。1712年のレシピでつくってみよう。
「サルマガンディー」(1712年のレシピ)
カメ肉、鶏肉、豚肉、牛肉、ハム、ハト肉、魚を小さく切る。
スパイスの効いたワインでマリネにし、焼く。ゆでて刻んだキャベツ、アンチョビ、塩漬けニシン、マンゴー、固ゆでの卵、パルミット(ヤシの芽)、たまねぎ、オリーブとぶどうを加える。
ピクルスを切って加え、ニンニク、チリペッパー、マスタード、塩と胡椒を加え、大きな皿に盛り付ける。
◇◆ 海賊にまつわる知られざる話10選 ◆◇
・・・・・・ https://youtu.be/Y1zkUPg_n48 ・・・・・
//////参考資料///////
■□ 参考資料:著名な海賊 □■
海賊の黄金時代には現在でもよく知られている多くの海賊が活躍した。17世紀のバッカニーアについてはアレクサンドル・エスケメランの『アメリカのバッカニーア』に、17世紀末から18世紀の海賊についてはチャールズ・ジョンソンの『悪名高き海賊たちの強奪と殺人の歴史』に各人の伝記が詳細に記されている。
ヘンリー・モーガン - パナマ市を陥れた偉大なバッカニーア。イギリス本国で処刑されるはずだったが逆に騎士叙任を受けてジャマイカ副総督に就任した。元海賊船長としては珍しく、1688年に自然死した。 ヘンリー・エイヴリー- 捕まったり戦死したりすることなく、財宝を手に引退できた数少ない著名な海賊船長の一人。財宝を満載したムガル皇帝アウラングゼーブの持ち船ガンズウェイ号を拿捕したことでも有名。 ウィリアム・キッド - 通称"キャプテン・キッド"。1701年、海賊行為の罪でロンドンの海賊処刑場で処刑された。ただし、彼の罪状については今でも議論されている。彼が隠したとされる「キャプテンキッドの財宝」で有名。 サミュエル・ベラミー - 通称"ブラック・サム"ベラミー。海賊船「ウィダーガリー」号船長。1717年の嵐で消息を絶った。 スティード・ボネット - バルバドスの裕福な土地所有者だったが、冒険心から海賊に転向した。1717年に砲10門を備えたスループ船「リヴェンジ」号の船長になり、ヴァージニア沿岸を荒らし回った。1718年に捕まり絞首刑に処された。 "黒髭"エドワード・ティーチ - 1716年から1718年にかけて鉄の爪でいくつもの海を支配した、おそらく史上もっとも有名な海賊。彼の一番有名な乗艦はアン女王戦争にちなんで名付けられた「クイーン・アンズ・リヴェンジ」号である。1718年にロバート・メイナード大尉の部下の一人によって殺された。 ジョン・ラカム - 通称"キャラコ・ジャック"。1720年に捕まり、絞首刑に処されポートロイヤルに死体を晒された。 アン・ボニーとメアリ・リード - ジョン・ラカムの海賊船に男性と偽って乗船していた二人の有名な女海賊。 バーソロミュー・ロバーツ - 通称"ブラック・バート"。20隻もの海賊艦隊を率い、1719年から3年間で400隻の船を拿捕した、歴史上最も成功したと言われる海賊。1722年、アフリカ沿岸で殺された。 エドワード・ロー - 1721年から1724年に活動した。捕虜を殺す前に拷問を行ったことで有名。彼は西インド諸島からアソーレス諸島、ロードアイランド、ヴェルデ岬諸島、シエラレオネまでの広範囲にわたる航海を行い、モイドール金貨が詰められた袋を海に投げ込んだポルトガル船の船長に対しては、その船長の唇を切り落とさせ、それを焼いた上でポルトガル船のクルーたちに食べさせたという話も伝わっている。 ウィリアム・フライ- 1726年に処刑された。歴史家マーカス・レディカーによると、彼の処刑が海賊の黄金時代の終焉となった。・・・・・・明日に続く
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_ 【衝撃】伝説の海賊!恐れられた実在の海賊5選 _
・・・・・・ https://youtu.be/ZW8eIJJzBFA ・・・・・・
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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽 憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・
森のなかえ
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