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現代の探検家《田邊優貴子》 =56=

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○ 南極の凍った湖に潜って、原始地球の生態系を追う =田邊優貴子= ○

◇◆ 第25節 特別編「北緯79度なう!」 =2/4= ◇◆

 さて、私がここにきたのは、植物の調査をするため。

 ツンドラの植生は、氷河が後退して出来た裸地に植物が侵入・定着して、時間をかけて徐々に発達してきました。 つまり、海側から氷河のある山側に向かって、氷の下から露出した時間の順になっています。 氷河に近くなればなるほど最近になって露出した地点というわけです。 おかげで、氷河の近くに生えている植物はかなりまばらで数少なく、海側に近くなるとフカフカの豊かな植生で埋め尽くされています。

 フカフカの植生発達帯には様々な種類の植物がひしめき合っているのですが、氷河近くのまばらな植物たちを観察してみると、ある決まった種ばかりが生えていることが分かります。 そう、彼らはまだ見ぬ土地へと生息範囲を拡大する能力に長けたパイオニアなのです。このパイオニアたちがいち早く入り込んで定着し、徐々に土壌と栄養が蓄積されていって他の種も生育できるような環境に変遷していくのです。

 特に目立つパイオニアは、ムラサキユキノシタ(学名Saxifraga oppositifolia)という地面に這うように紫の花を咲かせる植物。 次に目立つのが、ムラサキユキノシタほどではありませんが、キョクチヤナギ(学名Salix polaris)。真ん丸でツヤツヤ緑色の葉は直径5mm~1cm、背丈も数mm~1.5cm。これが本当にヤナギ?!木の仲間?!と信じられないほどとても小さいのですが、スヴァールバルのツンドラ生態系の中で一番ハバをきかせている優占種です。

 一方、これらに比べてパイオニアにはなれず、植生が発達したエリアで数多く生えている植物の中で、今回調査対象にしたのがArctic Mouse-ear(恐らく和名はつけられていませんが、和訳するとホッキョクミミナグサ?とでも言いましょうか。学名Cerastium arcticum)。ハート形の花びらが5枚並んだ真っ白な花が特徴的。そしてもう一つはタカネマンテマ(もしくはチョウチンマンテマ。学名Silene uralensis)。薄紫の提灯のように膨らんだ萼(がく)、その先端に取って付けたようにポンッと花が咲く、背丈が5cmほどのとってもキュートな植物です。

 それにしても、なぜパイオニアの植物はパイオニアになれるのか? これが今回の調査の一番の目的です。
そのために、
◎ 植生の発達していないエリアと発達しているエリアでの環境の違い(温度、湿度、栄養、土壌など)
◎ それぞれのエリアで、植物にとって成長の基礎となる光合成がパイオニア種とそうでない種とでどのように異なるのか
を調べ、環境データと植物の光合成との関係から、種による光合成の違いを導く環境要因を見つけ、パイオニアになれるメカニズムを明らかにしたいと考えています。

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現代の探検家《田邊優貴子》 =57=

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○ 南極の凍った湖に潜って、原始地球の生態系を追う =田邊優貴子= ○

◇◆ 第25節 特別編「北緯79度なう!」 =3/4= ◇◆

南極の中でも、昭和基地のある大陸性南極(ざっと分けると、南極半島ではないエリアのこと)では、今のところ地球温暖化の影響が確認されていません。けれど、南極半島ではその影響が現れはじめ、さらに北極ではとても顕著に現れていると言われています。 実際に、ここニーオルスンの私たちの調査地にある東ブレッガー氷河は最近急激に後退しています(下の写真)。

 温暖化は、植物の侵入と定着の過程に変化をもたらす可能性があります。 原因は、それぞれの植物の温度に対する応答の違いから来る直接的な変化の場合もあれば、氷河の後退スピードが増加することで植物それぞれの侵入速度の違いから来る変化の場合もあるはずです。

 裸地への植物の侵入と定着メカニズムという純粋な学問的問題に迫ることがもちろん第一にあります。 けれど、そのメカニズムが明らかになることで、それをベースとして環境変動に対して植物や生態系がこれからどう応答していくのかを知るべく、予測を立てやすくなります。 こうやって、今どんなことが起きているのか、これからどうなっていくのかを学問的な根拠によって提示できれば、環境問題に対して方策を考えていくことにもつながっていくのです。

 この夏、スヴァールバル諸島はあいにくの悪天候続きでした。 例年の夏ならば、ある程度天候が安定し、晴れることが多いのですが、なんと今年はほとんど霧か雨・・・。 よくて曇り、でも風が強い・・・なんていう日ばかり。

 こうも天候が悪いと、人間ってやつは心が荒んでくるものです。 限られた日数の中での調査計画を数人で協力して行うわけで、調査に出かけられない日が続くとみな焦り、日本の観測小屋の中は負のオーラで埋め尽くされ、人々は言葉少なになっていきます。 逆に、そんな中で少しでも天候がよくなると、それはそれでもう大変。通称「白夜の魔力」で、早朝から深夜まで馬車馬のように働き続けることとなり、夜が来ない世界が持つアンビバレンスをいやがおうにも感じさせられるのでした。

 珍しく快晴が訪れた日、小屋から西に歩いて2~3時間ほどの位置にある、パフィンという派手顔の海鳥が集団で棲息するバードクリフと呼ばれる高さ250mほどの断崖絶壁を登りました。 バードクリフ直下に生えている植物と、パフィンのフンと卵の殻を試料として持ち帰るためでした。

バードクリフの下から見ると、頂上は礫がゴロゴロした荒々しく険しい雰囲気が漂っています。 この断崖絶壁のおかげで南から吹く風が遮られているものの、頂上に登った瞬間に風が吹き付けてくるに違いない・・・覚悟を決め、地形図を見ながら、アタックできそうなラインを決め、ゆっくりと慎重に登っていきました。

 頂上に辿り着くと、目の前に現れたのは下から想像していた世界とは全く違う、まるで天国のような光景。 真っ白なチョウノスケソウの花が無数に太陽の光を反射し、キラキラと穏やかな風で揺れていたのでした。 振り返ると、眼下に切り立った崖と海が見下ろせ、海を隔てた向こう岸には氷河と山々が連なっています。 空が近いこの場所で、信じられないような花畑の中、少し歩くと、突如目の前に若いトナカイが現れました。 陽光に照らされたトナカイは、神々しくもシルエットが光で縁取られていました。ますます異世界に迷い込んだ気分になった私は、トナカイも人間の言葉を話せるような気がして、

「やぁ。調子はどう?」

なんて、ついつい話しかけてみたのです。
 しかし、トナカイはしゃべるわけもなく、一目散に逃げていき、夢見心地だった私はやっと正気に戻ったのでした。

 小屋への帰路、東ブレッガー氷河と山には、少し低くなった太陽からの光でくっきりとした陰影が刻まれていました。 その光景があまりにも美し過ぎて、たまらず涙が滲んでしまいました。たいして眩しくもないのにサングラスをかけてこっそりと隠したのは言うまでもありません。 そして私はそれまでの悪天候続きなど忘れて、本当に来てよかったと心から思い、また翌日からの調査を頑張ろうと誓うのでした。

 

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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

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現代の探検家《田邊優貴子》 =58= 

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○ 南極の凍った湖に潜って、原始地球の生態系を追う =田邊優貴子= ○

◇◆ 第25節 特別編「北緯79度なう!」 =4/4= ◇◆

 北極と南極。それぞれの野外調査の持ち物で一つだけ全く違うものがあります。 北極でしか持たないもの・・・それはライフルです。 南極では人間を襲うような野生動物はいませんが、ここ北極にはホッキョクグマがいます。 残念ながら(?)私は野外でホッキョクグマに出会ったことはまだありませんが、今ここで現れたら一巻の終わりだろうなぁ・・・と想像して震えることがあります。

 ここ5年ほどで、村にホッキョクグマが出没することが格段に多くなったという話をよく聞きます。 前回来たときは、1カ月の滞在中に3回ほど出没情報が流れてきましたが、今回は平均して数日おきに流れてきます。 北極に何か異変が起きていることを感じずにはいられません。

 最近はすっかり衛星が発達して、日本の研究室の中にいてもリアルタイムに世界各地のデータを得られる時代になっています。 もちろんこれはこれで効率的で素晴らしいことですが、それだけでは絶対に分からないことのほうが確実に多いのです。 いくら論理的に仮説を立てて、それを検証しようと緻密に研究をデザインして進めていったとしても、野外調査をしていくと予想外のことがしょっちゅう出てきます。

 例えば、(さっきのバードクリフに登頂した話もそうですが)南極の湖に1年間設置した水中データを記録するロガーを繋いでいたフロートが冬に発達した氷に飲み込まれて、氷の動きとともに湖内を縦横無尽に動き回ってしまったこともあります。 おかげで、取れたデータは全くもって意味不明・・・。

 これまでの10年間のデータから、氷は最大1.5mまでしか厚くならないと分かっていたので、余裕を持って水面から深さ2m弱の位置にフロートが浮かぶように設計したものの、この年は氷が2m以上もの厚さになってしまったのです。 こんなことは予想をはるかに越えた事態で、一見ただのガッカリでしかないのですが、氷がそれほどまでに分厚くなるのだという事実の発見でもありました。

 他には、大陸性南極の湖には動物プランクトンさえもいないと世界中で信じられてきたのが、実際に調査してみるとウニョウニョと動き回る動物プランクトンがいて「ぎゃあっ!」と現場で悲鳴を上げたこともあります。 他にも、何の発見もなくタダの失敗になってしまった切ない思い出など、挙げれば大小さまざま、 キリがありません。

 こういうことは絶対に自らの身体で野外へ出て調査しなければ出てこないし、見えてこない。 予想外のことっていうのは、わけの分からないこともありますが、それこそが真実であったり、面白い発見であったり。そして、自分の中で完結していたそれまでの世界が単なる思い込みであったことを思い知らされ、新しい考えの世界が生まれます。

 そんなわけで、研究室や実験室での研究とともに、地球の果てのフィールドへ出て研究をしていくこと。 歩けなくなるまで、私は続けていくショゾンであります。

 もっと南極や北極の自然と生き物の表情に触れたいなぁという方は、田邊優貴子著「すてきな 地球の果て」(ポプラ社)を是非手に取っていただきたい。
 目と心に鮮やかな写真がふんだんに使われたこのエッセイ、静かに心に迫る一冊です!
と、最後にちゃっかり宣伝を。

 では、そろそろこの辺で。
 また会えるかな?
 うん、また会えるでしょう!

2013年9月10日 ちょっとだけ秋の訪れを感じる東京・早稲田にて

 

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森のなかえ

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現代の探検家《田邊優貴子》 =59=

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○ 北極・南極、アァー 素敵な地球のはて =田邊優貴子=  ○

= WEB マガジン ポプラビーチ powered by ポプラ社 より転載 =

 

◇◆ 寄稿のはじめに・・・・・・・・ ◇◆

  私が生まれ育った青森という土地には、十和田湖や十二湖をはじめとする美しい湖が数多くあり、静かな湖にボートやカヤックを浮かべて漕ぎ出すと、いつも心が穏やかになった。 それはこどもの頃から今に至るまで、ずっと変わらない感覚である。

 今から14年前の3月、高校卒業を目前に控えた私は、青春18きっぷを購入して、親友と列車の旅に出かけた。 目指した先はサロマ湖。 青森で育ったものの、当時の私にとって北海道の東に位置するサロマ湖は未知の遠い世界。

 たどり着いたサロマ湖は、とにかく広大で、一面真っ白だった。 氷と雪に覆われた湖面を自由に歩き回ることができ、本当にこの下に水をたたえているのだろうか、ととても不思議に思った。 見たところただの地面のようなこの下に、自分の知らない別世界が広がっている。 様々な想像が頭の中を駆けめぐり、空想かおとぎ話のような出来事がこの湖面のふたの下で繰り広げられているような気がした。

 その頃には思いもしなかったのだが、今では南極の湖の世界をさぐることが私の楽しみとなり、仕事になってしまった。

 私は今、国立極地研究所というところで、南極や北極、日本の高山に生きる植物の研究をしている。 そんな研究所だから、僻地にありそうなものだが、 驚くことにそれは東京・立川市にある。 南極や北極の研究をしている研究所なのになぜ、と思うが、なんにせよ東京にあるのだから仕方がない。 普段、私はこの極地研に勤務し、時には現地へ調査に出かける、という生活をしている。

 これまで、幸運にも2度、南極の調査に行く機会を得ることができた。 1度目は2007年11月~2008年3月にかけて(第49次日本南極地域観測隊)、2度目は2009年11月~2010年3月にかけて(第51次隊)である。

 あまり知られていないことかもしれないが、南極には様々なタイプの湖がある。 驚くほど透き通った、少し水色がかった蒼い不思議な色の水。 氷河で削れた土砂が流れ込む、美しいミルキーブルーの水。 その下に広がる、神秘的な世界。

 晴れた風のない日、湖上を手漕ぎボートで進むと、その瞬間、自分の世界に存在する音は、オールが水をかく音だけ。 オールからこぼれ落ちる雫が水面で幾つも滑ると、その姿はまるではしゃいでいるかのようで、私の心も躍る。

 人間が暮らしているのと同じ地球上に存在する、けれどそこからあまりに遥か遠いところにある隔絶された世界。 湖の中だけではない。 南極の大地に果てしなく広がる自然と、そこに暮らす生き物たちの生き様すべてに、私の心は完全に奪われているのだと思う。

 だから、何度でもそこへ行きたい。 そして、いろんな瞬間に出合いたい。 すべての季節を見てみたい。そんな気持ちが私を極地へ向かわせているのだろう。

 南極での調査が終わり、一番初めに戻ってくる場所は東京だ。 あまりの大きなギャップに、しばらくは街の流れの速さについていくことができない。 携帯電話や財布を持ち忘れるのは当たり前。 着の身着のままで暮らしていたので、朝起きて服を着替えるのにも戸惑う。 少人数で道路がないところに暮らしていたので、道で人をよけて歩くこともすっかり忘れている。おかげで簡単に人にぶつかってしまうのはもちろん、駅の中で立ち止まって電車の乗り換えを考えているうちに、人の波に押しつぶされて、いつの間にか体ごと壁にぶつかってしまうこともある。

  論文を書いたり、現場で取ったデータの解析をしたり、持ち帰った試料の分析をしたり、やることは本当にいろいろある。けれど、やろうとは思っているのだが、身体がそう簡単に動いてくれないのだ。 小さなところでは、メールを書くという行為さえもなかなか難しい。

 そんな状態で過ごしているうちに、いつの間にか落ち着いて、もとの暮らしに戻っている。 といっても、後々になって初めて、自分が空回りしていたことや疲れていたことに気づくだけで、その時はわずかに違和感を感じている程度だ。 いや、それさえ感じていない時もある。

 4か月間の南極行きで、帰国後なんとなく調子が戻ってきたような気がするのが2か月も過ぎた頃。 すっかり調子が戻ったと感じるのは半年後くらいだろうか。 もちろん個人差はあるだろう。 もしかすると、私は元に戻るのに少し時間がかかる方なのかもしれない。

 でも、そうなるのは仕方がないと思っている。 悠久の時の流れからすればほんの一瞬に過ぎないけれど、あまりにも、人間が普段生活を営んでいるのとはかけ離れた、もうひとつの時間の中にいたのだから。

  なんにせよ、東京に戻ると本当に知らぬ間に調子が戻っているのだから面白い。 そして、急激にではなく、ほんの少しずつ元通りになるというのが、また人間らしく、とても味わい深く感じる。 時間はかかるが、おかげで、こうやって東京でも日々を暮らすことができているのだと思う。

 こどもの頃から、極北の大地や風景(南極は南だが)に強烈な憧れを抱き続けてきた。 それは、未だにどこから来たものなのかさっぱりわからない。 けれども、私の中にはいつの間にか、とにかく北へ北へ、そして、遠くへ遠くへ行ってみたいという思いがあった。

 大学院の博士課程時代、私と同じように北の自然への憧れと、まだ見ぬ遠くの世界へ行ってみたいという思いを抱きながら生きてきた友人に出会った。 彼もその時、南極へ行こうとしており、初めて話した際に、こんなことを言っていた。

   「遥か昔、南から北を目指した民族がいたのだろう。そして今、なんだかわからないが北へ行きたいと思う人々は、その子孫なのかもしれない」と。
  そうなのかもしれない。 これは一部の人間が持っている本能みたいなもので、だからこそ、太古の昔から人間は絶え間なく旅を続け、こうやって今、地球上のあらゆる土地で生きているのだろう。 私の、北へ、そして遠くへ行ってみたいという思いは、完全に衝動のようなものだ。 だから、私は生まれながらにしてそう思ってしまう人間なのだろう。そう考えればすべて納得がいくような気がした。

 大学時代、バックパック一つ背負って世界中を旅して回った。 ペルー、アンデス山脈、カナダ、アラスカ、北欧、ラオス、チベット、エチオピア……。 様々な土地を様々な季節に訪れた。 とにかく自分の足で、見たこともない場所に行って、匂い、音、温度、湿気、色、風の流れ、世界の広がり、季節の移り変わり、全部を自分の体で知りたかった。

 おかげで、曲がりくねった道を通り、大きく回り道をすることになった。 けれども、自分が焦がれて止まない、圧倒的な広がりを持った自然の中で、純粋な気持ちで生物の研究ができるようになった。

   この連載では、これまでに私が見た地球の果てに広がる自然と、そこに息づく生命、心震えた瞬間、少し変わった私の人生の「旅」について綴っていきたい。 しばし一緒に「旅」をしましょう。 そして、この「旅」を愉しんで頂けたら、それはなんて素敵なことでしょう。

 

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◇◆ 果てしない南極海の氷原で = 1/3 = ◇◆

 2009年12月15日、ついに南極大陸から張り出す定着氷が目の前に迫ってきた。 この光景を目にするのは2度目になる。
 海に浮かぶ氷と言えば、知床あたりで冬に見られるオホーツク海の流氷を思い浮かべるかもしれない。 けれど、「定着氷」はもっと分厚くて、まだ見ぬ水平線の向こうにある南極大陸の沿岸に、定着して動かない氷である。 流氷のように割れた氷がプカプカと漂っているようなたたずまいではなく、一見すると、ただの陸地のようでしかない。

  オーストラリア・フリーマントルを出港して16日目のことだった。 暖房がしっかりと効いた砕氷船「しらせ」の部屋の中は、薄手の長袖一枚でも十分に暖かい。 はやる気持ちを抑えながら、フリースと薄手のダウンを着込み、ヤッケを羽織る。 ネックウォーマー、毛糸の帽子、サングラスと手袋を装着し、甲板に続く廊下を急いだ。

  甲板に出ると、頬にひんやりとした空気を感じるが、思っていたほど寒くはない。 おそらく気温はマイナス10℃くらいだろう。すぐ目の前には青く光る巨大な氷山がそびえ立ち、ビッシリとした氷の海が水平線の向こうまで果てしなく続いている。 頭上には雲一つない晴れ上がった白夜の深い青空がどこまでも広がっていた。 太陽があたり一面の氷や雪で反射してとても眩しく、サングラス無しでは目を開けていられない。
 2年前にも一度来たはずなのに、いざ来てみると、その記憶をはるかに越えている。 やはりここは圧倒的で信じ難い世界だ。

 しらせは氷を割って定着氷の中に入り込み、船体を固定して、いったん停泊した。 船が停まると、辺りは一気に静まりかえり、胸の鼓動が聞こえる。 青と白しか存在しない世界に、私は嬉しくて叫び出したい気分だった。

 しばらくすると、はるか遠く水平線近くの巨大な氷山のあたりに黒い点が動くのが見え始めた。 それは、列をなしてこちら側へ徐々に近寄ってくる。アデリーペンギンの群れである。 40~50羽はいるだろうか。 双眼鏡をのぞき、様子をジーッと観察していると、時折立ち止まりながらも、明らかに船に向かって進んできているように見える。

 さほど時間がたたないうちに、群れはすぐ目の前までやってきた。 こちら側に興味を持って、少し不思議そうに近づいてきているのがわかる。 「グワーッグワーッ」
 彼らに向かって大きな声で鳴き真似をしてみると、彼らも呼応するように、「グワーッ」と鳴き、スピードを上げて走りよってくる。何の警戒心もない彼らを見ると、心が一気にほどけていく。 そうこうしているうちに、しまいには船の真横でみんな身体を休めてしまった。 立ったまま毛繕いするものもいれば、ゴロンと腹這いになって氷の上で寝てしまうものもいる。 陽を浴びた胸の白い羽毛が反射し、驚くほどキラキラと光り輝いている。

 ある一羽が突然走り出すと、打ち合わせをしたかのように、他のみなもいっせいに動き出した。氷縁に向かって、みな氷の上をぎこちなく走ったり、腹這いになってフリッパー(ペンギンで言うところの翼)と足を動かしながら橇のように滑ったりして進む。 そのまま氷縁から順々にジャンプして、水しぶきを上げながら海の中へ飛び込んでいった。

 氷上での、あんなにもぎこちない動きからは想像もつかないほど、弾丸のように俊敏に自由自在に泳ぐ姿が、深い蒼色の透明な南極海の水越しに見える。 一羽が水の中から勢いよく氷の上に飛び乗ると、その他のアデリーペンギンたちも次々とジャンプして海から上がってくる。 何度かこんな行動を繰り返し、また氷の上で群れになって身体を休めていた。

ふと、遠くの方からまた他のペンギンの鳴き声が聞こえた。 その瞬間、それまでのんびりと休んでいたアデリーペンギンたちが少しザワつき出した。ある一羽が立ち上がって周囲をキョロキョロ見回し、先ほどの声に呼応するように鳴き声を出した。 すると、今度はまたそれに呼応するようなタイミングで、先ほどの鳴き声が再び遠くから聞こえた。明らかに何か会話をしている。

しかし、どうも遠くから聞こえる鳴き声に違和感があった。 確実にペンギンの鳴き声ではあるのだが、目の前にいるアデリーペンギンのものとは少し違い、低音なのである。 声のする方向へ目を凝らしてみると、小さな黒い点が遠くに一つだけ見える。ゆっくりと近づいてくるその黒い点の姿が、徐々にはっきりとしてきた。
 一羽だけでノソノソとやって来たそのペンギンは、アデリーペンギンよりもはるかに大きく丸々としており、胸元とクチバシには鮮やかな黄色とオレンジ色の部分がある。コウテイペンギンだ。 コウテイペンギンとアデリーペンギンは何度も鳴き声で呼応し合い、場所を確かめ合っているようだった。
 コウテイペンギンはどんどん近寄ってきて、なぜだかわからないが、アデリーペンギンたちもコウテイペンギンの元へ移動し始めた。 そして、ついに彼らは合流し、声は聞こえないがお互い立ち上がって向き合い、何か会話を交わしているように見えた。本当に道ばたで世間話でもしているような雰囲気で、その様子を見ていると、今にもヒソヒソ声が聞こえてきそうだった。

 

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◇◆ 果てしない南極海の氷原で = 2/3 = ◇◆

  なんと不思議な光景だろう。 まるでおとぎ話の世界に迷い込んでしまったかのような気分になった。 2種のペンギンがこんな野生の中で、こうやって並んで触れ合うような瞬間があるなんて。 いったいどんな会話をしているのだろうか。 それにしても、並んでみるとより一層、それぞれの大きさの差が目立つ。

 アデリーペンギンは体長約60~70センチ、体重約5キロでわりと小さいが、かたやコウテイペンギンの体長は約110~130センチで、体重は25~40キロもある。 立ち居振る舞いもなんとなく貫禄があり、どっしり悠然としている。 そうこうしているうちに、コウテイペンギンは再び腹這いになり移動し始めた。 すると、またもや不思議なことに、アデリーペンギンたちがその後をついていくように行進し始めたのである。

  途方もなく広がる青と白だけの世界の中、大きなペンギンが先頭に立ち、小人のようなペンギンの群れを率いていくその光景は、もはや時間も空間も越えた幻想的で壮大な物語を見ているようだった。

 そんな光景を見ていると、いつまでも決して飽きることはなく、時間が経つのを忘れてしまう。 まるで旅人同士が互いに情報交換をするかのように見えたあの瞬間は、何を意味するのだろう。何より、こんなにも果てしなく広がる南極海の氷原の、単なる一つの点に過ぎないようなこの場所で、彼らが偶然に出会ったこと、そして、そんな彼らと私たちが偶然にも出会ったこと、すべてが本当に不思議でならなかった。単なる奇跡という言葉だけでは片付けられない何かが、そこにはあるような気がした。 

 私にとって、ホッキョクグマもそうなのだが、ペンギンのような氷の世界に棲む生きものは、ある種、空想の中に存在する動物だった。 だから、そんな空想の世界の動物が、まさに今、自分の目の前に立っていることが信じられなかった。 が、私が生活しているのと同じ時間に、確実に彼らもここで同じように生を営んでいる。

  あまりにも捉えどころのないこの空間の広がりを前にすると、私はただただ感嘆し、ひれ伏すことしかできない。 けれど、今、目の前にいるペンギンたちは悠々と、何の気なしに動きまわり、エサを採り、ただひたすらに生きている。 そのただ生きているということ、それだけのことなのに、私はそこに強く惹きつけられ、憧れとともに圧倒的な生命の輝きを感じるのだ。

  2年前に初めて南極に来た時、無限の世界の広がりというものを強烈に感じた。 それまで、世界のどこかへ旅に出るには飛行機を使って行った。 南極でさえ、飛行機を使えば、天候にもよるだろうが数日ですぐにたどり着ける。

  19歳の夏、私はペルーを旅した。 京都から東京へ出て、成田空港を出発してからアメリカで2回飛行機を乗り継ぎ、途中、機内で6時間ほど待たされたりもしながら、48時間くらいかかって旅の入り口となるペルーの首都リマに到着した。

 最初は、やっと着いたか、という気持ちだったのだが、預けたザックを受け取り空港の外に出た瞬間、戸惑ってしまった。 確かにそれは長い時間ではあったが、すぐ目の前に飛び込んできた熱気溢れる異国の景色と匂いは、あまりにも突然過ぎたのだ。自分が移動してきた距離に、心が完全についてきていないと感じた。

 世界というものは、限りなく広がっている存在であったはずなのに、突然それが頭の中で理解できてしまうほどに現実的で限りあるものになってしまったような気がして、なんだか無性に淋しくなったのを覚えている。 けれど、初めて来た南極は、定着氷縁にたどり着くのでさえ、オーストラリア・フリーマントルから2~3週間。 さらに、ここから時間をかけて分厚い氷を割って進まなければ、大陸まで到達できない。 氷状によっては定着氷縁からさらに2週間以上もかかることがある。

 それまで私の人生の中で、船に乗って海を旅するといえば、長くともせいぜい丸1日程度、フェリーに乗るくらいのものだった。

 フリーマントルから南極大陸沿岸まで、1か月もの時間をかけて移動するなんて、効率的に物事を進めることを考えるならば、今の時代には決してそぐわないことなのだろう。が、やはりそれくらい時間がかかって来てみて、やっと、この土地にやって来たという実感が湧くのだと思った。

  フリーマントルを出港してすぐに、あたりは360度、何一つ見当たらない大海になる。 船はひたすら南へ南へ進むのだが、周囲にはずっと果てしない大海原が、ただただ延々と広がっているのである。 まるで、世界の中にこの船だけがポツンと取り残されてしまったような気分で、ひどく不安で孤独を感じるような、 けれど、この上ない最高の自由を得たような気持ちにもなる。

  周囲に何も見当たらない海をゆくと言っても、ただ同じような海がひたすら続くわけではなく、その海の色、頭の上を吹き抜ける風の匂いと冷たさ、空を飛ぶ海鳥の種類と数、様々なものが日々刻々と変化していく。

 しかも、決してゆったりとした航海ではない。 南極大陸の周りには地球を一周する海流があるため、南極海には常に暴風が吹き荒れている。 そして、南極大陸を取り囲むこの暴風が、まるで障壁のようになっていて、生きものたちが南極大陸へ侵入するのを大きく拒んでいる。 おかげで、氷海に入るまでは船が激しく大きく揺れ続ける。

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◇◆ 果てしない南極海の氷原で = 3/3 = ◇◆

  船室に置いている荷物や椅子はすべてロープや金具でしっかりと固定し、机には滑り止めマットを敷く。 私のベッドは過去2回とも二段ベッドの上だったので、船の揺れで床に転げ落ちてしまわないよう壁に貼り付くようにして寝た(余談だが、1度目は先代しらせの南極航海最後の隊で、2度目は新生しらせの処女航海の隊だった)。

 夜中じゅう、床に落ちてしまわないように無意識のうちに身体に力を入れて固定しているせいか、確実に眠りは浅くなっているのが自分でもわかる。 初めての航海では、なんと船が43度まで傾き、荒れ狂う南極海の凄まじさを身をもって体験することとなった。 その時の荒れ狂う海と波はまるで刻一刻と姿かたちを変える壁のようで、私には初めて海というものが自分の意志を持った生きもののように見えたのだった。

  幸い、私は船酔いをしない体質のため気分が悪くなることはなく、いたって平気なのだが、もちろん船酔いをする者が続出する。 船酔いする人達の多くは、体調が優れない状態が航海中ずっと続くようだった。 自分の部屋から出て来ることさえできず、食事をとれなくなる者もいて、見ていて可哀想になってくる。

 ただ、私もあまりに揺れが激しくなると、物理的にパソコンで作業をしたり本を読んだりできなくなる。 けれど、船酔いをする人からすれば、そんなことは論外なのだろう。ある時、椅子から転げ落ちない程度の揺れの中で読書をしていると、そんな私の姿を見ているだけで気持ちが悪くなってくると言われたこともあった。

  ある朝、船が揺れなくなったと思い外へ出ると、海には流氷がポツポツと浮かんでいた。 横から差す光が氷の海に映り、とても美しい朝だった。 それまで空を悠々と滑空していたワタリアホウドリやオオフルマカモメ、マダラフルマカモメはもうどこにも見当たらなくなり、ナンキョクフルマカモメや真っ白なユキドリが海面近くをヒラヒラと舞っている。

  暴風圏という壁を抜けると、突然、そこはこれまでとはまったく違う世界で、本当に異次元に迷い込んだのではない

  かと疑いたくなる。 海は一面鏡のように静まり返り、空の色が信じられないほどに透き通っている。 と同時に、これまで自分が見ていた空は、灰色がかった黄色っぽいフィルターに覆われていたことに気づかされる。

  南下していくうちに、どんどん夜が短くなっていき、いつの間にか夜がなくなってしまった。 とうとう、太陽が一日中支配する世界に入ったのである。 徐々に氷が増え白い世界になっていくが、依然として陸地が見えることはない。 こうやって時間がかかりながら、船は南極大陸に近づいていく。

  効率的ではない南極への旅路は、心をどこかに置いていってしまうことはない。

 日本にいると、時間に追われる生活をしているせいか、どうしても合理的に物事を考えてしまい、南極へ出発する前は飛行機で行きたいと思ってしまうことも少なからずある。 けれど、いざ、果てしない氷原が広がる光景を目の当たりにすると、船で来てよかったと心から思うのである。 そして、船を使った南極行は、 やはり世界とは無限の広がりを持ち、現実的な感覚で捉えることができないものであることを、嫌がおうにも私に実感させてくれるのだった。

  ちょうど定着氷に突入する2日前の12月13日、私は誕生日を迎えた。

 今のところ、南極へ来るときはいつも、南極海の氷の上で誕生日を迎えることが続いている。 だいたいその日から太陽は沈まなくなり、それから1か月以上もの期間にわたって白夜が続くので、毎回なんとなく感慨深いものを感じる。 日本の南極観測隊が、毎年11月末に南極へ向けてオーストラリアを出航するという日程や、船を使った運行スタイルを変えない限り、今後もちょうど南極大陸に到着する寸前に私はいつも誕生日を迎えることになるのだろう。

 これから私は、何度この光景を見ることができるのだろうか。 深夜、といっても白夜の明るい夜、海と氷が一面、鏡のように空を映し出していた。 水平線を転がるオレンジ色の太陽が、海と氷の世界に深い影を作り出し、世界を強く際立たせている。 氷原と鏡のような水面が太陽に照らされ、青色とピンク色とオレンジ色が混じり合う幻想的な淡い青紫色の世界になった。

 南極海の刺すような冷たい風の中、時折、羽ばたいていく海鳥の羽が美しく輝き、その光景に言葉を失い、ただただ心を奪われ見とれていた。 時の流れが止まったかのような、南極海の初夏の夜だった。


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◇◆ ユキドリの舞う谷 = 1/3 = ◇◆

  私はヘリコプターの窓ガラスに顔を押し付け、眼下にどこまでも広がる一面真っ白な世界に見入っていた。 2009年12月18日13時15分、ちょうど30分ほど前に大型ヘリコプターCH-101で砕氷船「しらせ」を飛び立ち、生物調査のために南極大陸を目指していた。 時折、ビッシリと分厚い氷で覆われた海氷に穴があいた氷山の周りに、氷上に横たわるウェッデルアザラシが小さな灰黒色の点で幾つも見える。 ヘリコプターの音に気づき、頭を上げてこちらを向く者もいる。
 
 2年前の2007年12月、私は昭和基地近くの海氷上で調査の手伝いをしていた。 作業も一段落し辺りを散策していると、白い雪と氷、透き通るように青く光る氷山が続く起伏のなかに、灰色の塊がニョロニョロと動いているのが目に飛び込んできた。 はじめてはっきりと見るウェッデルアザラシだった。 起伏のためその存在に気づかず、発見した時にはもはやすぐ目の前まで近づいてしまっていたのである。 こんなにも近くで、しかも生きものの気配などまったくない氷の上で、野生のウェッデルアザラシに出会うなんて。

 よく見るとすぐ傍らには穴が開いており、海水面が見えている。 すぐに海の中へエサを採りに行けるよい場所なのだろう。 丸々と太っていて、ものすごく大きい。 体長3メートルくらいはありそうだった。 お互い完全に視線が合い、アザラシはジーッとこちらを見ている。 張りつめた空気が流れ、まるで時が止まってしまったかのような瞬間だった。

 私が動かずに静かにしていると、ほとんど警戒することはなく、安心したのか前鰭の先に突き出た尖った爪でボリボリと腹をかき、目をつぶって眠ってしまった。 アザラシが腹をかく音、呼吸音がしっかりと聞こえる。アザラシのそばで私も氷の上に寝転び、そんな悠々とした姿をしばらく見つめた。

 太陽で辺り一面キラキラとしている。 空は深い青、風のない静かな午後のことだった。 なんて不思議な時間なのだろう。 決して私たち人間と交わることのない時間の中、はるか遠いところで生を営む野生の動物と私の間に、そのとき確実に同じ時間が流れていた。 ヘリコプターから見下ろすと、あんなにも大きなウェッデルアザラシが、見渡す限りの氷の世界の中で、ほんの小さな点でしかなかった。 それも、じっくりと目を凝らしてみなければ気づくことさえないだろう。

 けれど、その小さな小さなアザラシの姿は、今目の前に存在している、気が遠くなるほどの空間の広がりを私に強く感じさせ、同時に、小さな点でしかないアザラシの息づかいがその広大な世界をより一層際立たせていた。 そして、生命を全く寄せつけないはずの凄まじい世界がほんの少しだけ私に近づき、わずかだが、つかみどころのあるものに感じられた。

 ヘリコプターの中は隣にいる人にさえ声が届かないほどの爆音が響いている。 その爆音のせいも少しあるが、大陸へ向かうヘリコプターの中で、私は明らかに気分が高揚気味だった。ついに南極大陸が遠くに見え始めた。 どんどん胸が高鳴る。 初めて南極大陸が見えたときのことは今もはっきりと覚えている。 それまで南極大陸と言われても、いまいちピンと来ていなかった。もちろん、知識として大陸があるということはわかってはいるのだが、私の頭の中にある「南極大陸」という像はあくまでもぼんやりとしたものだった。

 ヘリコプターに乗り、真っ白な氷原の向こうに茶色い岩肌が見えた時、私は本当に大興奮した。 何よりも、約1か月ぶりに見る陸地。 オーストラリアを出港してからというもの、ひたすら南へ行けども周りは見渡す限り大海原。 この世界に自分たち以外は存在しないのではあるまいかとさえ思えてきて、ずっとこの先、このまま何もない氷の世界だけが存在しているのではないかと考えていた。 本当に、いわゆる何もない地の果てのような場所を目指しているような航海だった。

 けれど、眼下に見えたのは、私が想像していたような真っ白な地球の果てとはまた違った、もっと力強い、地球そのものが見えるような地球の果てだった。 本当に南極は大陸なのだと、知識としてではなく、自分の中で実感として持てた気がしたのである。

  船を飛び立って約1時間、ついに、私たち生物研究者のチームがこれからしばらく調査活動をする、ラングホブデという名のついた露岩域(南極大陸の約97%を覆う氷床から解放され、大陸岩盤が剥き出しになった地帯)が見えた。 ラングホブデとは、ノルウェー語で「長い頭」という意味を持つ。 昔、名前をつけたノルウェー人には、きっとこのラングホブデ露岩域が長い頭のような形に見えたのだろう。 言われてみれば確かにそんな形に見えなくもない。

 1957年1月29日に第1次南極観測隊が上陸するまで、この周辺は前人未踏の地だった。 しかし、それをさかのぼることさらに20年。 1937年に、ノルウェーの探検隊が水上飛行機によって撮影したこの辺一帯の写真をもとにして主な露岩域や島々に名前がつけられた。 そんな歴史があって昭和基地の周辺には ノルウェー語の地名が数多く付けられている。

 

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◇◆ ユキドリの舞う谷 = 2/3 = ◇◆

 私はマイク付きのヘッドホンを装着し、これから約1か月間、野外調査のベースにする「雪鳥沢小屋」近くの着陸地点をパイロットに指示をした。 このヘッドホンがないと、エンジンの爆音でコミュニケーションを取ることができない。 指示通りの地点でヘリコプターは徐々に高度を下げ、何度か地面の状態を確かめながら上下し、前後左右に微妙な移動を繰り返したあと、小屋から100メートルほど離れた少し平らな砂地にゆっくりと着地した。 安堵感と嬉しさで、一緒に乗っていた仲間と握手を交わした。

 ヘリコプターの外へ出て、ついに南極大陸に降り立った。

 約1か月ぶりに踏みしめる陸地。 これから自由に自分の足でどこへでも動き回れるかと思うと、とにかく嬉しくて走り出したい気持ちだった。

 しかし喜びもつかの間、天候が急変する前に、山のような積荷を降ろしてしまわなければならない。 多めに用意した約4~5人分の食料、各自の研究機材、装備などを含めて約2.5トン。 ヘリコプターの飛び立つ強風で飛ばされてしまわないよう、一つ一つ降ろした荷物をヘリコプターから数十メートル離れた辺りに並べ、軽そうな荷物の上には重めの石を載せる。 この作業をできるだけ急ピッチでひたすら繰り返すのである。この日は荷降ろしの手伝いのために5名ほどの乗組員が乗っていたおかげで、作業は10分くらいで終わったろうか。 それでも汗をかきながらなんとか荷物を降ろし終わり、パイロットや乗組員と握手し別れを告げると、爆音と爆風ともにヘリコプターは飛び上がる。

 手を振っていたいところだが、この巨大なヘリコプターが飛び立つ時は、とにかくものすごい爆風なのだ。 自分も荷物も飛んでいってしまわないように荷物の上にうつ伏せになって、ヤッケのフードを被り、サングラスをして、目はしっかりとつぶらなければならない。 上からも下からも、大粒の砂がバチバチと全身を打ち付けてくる。 この砂嵐で、髪の毛はもちろん、体中がジャリジャリになってしまう。 一度、ポケットのジッパーを閉め忘れたことがあり、その時はポケットの中に大量の砂が入り込み、中に入れていたリップクリームやデジカメが砂を被り、デジカメに無数の傷跡が残ってしまった苦い経験がある。 テントマットが飛ばされないよう上に乗って押さえつけた時、風向きが悪くて身体ごと飛ばされてしまいそうになったこともある。

 ヘリコプターが去ったあと、信じられないほどの静寂が辺りを包んでいた。 船の中にいると、停泊中でさえ、どうしてもある程度のエンジン音と振動が響いている。 それにしてもここは本当に、なんて音と匂いのない世界なのだろう。あまりの静けさに、キーンと耳鳴りがするような気がして、自分の鼓動と呼吸の音ばかりが聞こえる。 生き物の気配がまったくしない。 当たり前だが、火星に行ったことなどないのに、ちょうど私の想像の中にある火星と重なって、きっと火星に降り立ったらこんな感じに違いないとさえ思った。

 一見すると生命の気配をまったく感じさせないが、それでも露岩域は、南極大陸の中で生き物たちが生息できるごく限られた場所なのである。 ゴツゴツとした 岩肌が連なったその風景は、まさに地球がそのまま剥き出しになっているかのようで、自分が地球上で生きていることをしっかりと感じさせてくれる。
 
 昭和基地がある東オングル島から南には、大陸の沿岸に幾つかの露岩域が点在している。 その中でも、ここラングホブデは、昭和基地から約25km南という基地にかなり近い場所に位置している。 南極観測隊員の多くは、ほとんどの期間を昭和基地で生活するが、私を含む生物研究チームは露岩域で野外調査をしながら少人数で過ごす。 ここは昭和基地や砕氷船しらせでの生活と違って、風呂もなければトイレもない。 もちろん電子メールも繋がらない。寝泊まりするのは雪鳥沢小屋という小さな生物観測小屋で、ここをベースにして様々な場所へ足を運ぶのだ。 行動パターンや期間は調査内容によって毎回変えるが、今回はこれからここで約1か月間、ほとんど3名だけで過ごし、クリスマスも年末も正月もここで迎える。
 
 ヘリコプターから降ろした山のような荷物を見ると少し途方に暮れたような気持ちになる。 荷降ろしは比較的楽なのだが、ここからは私たちだけで約100メートル離れた小屋の脇まで一つ一つ運んでいかなければならない。 さらにその間にも手分けして、小屋の立ち上げ作業をし、運んだ荷物を食料、装備、研究機材などに分け整理して並べ、小屋の脇にはテントを設営する。 単調でなかなか足腰にくる作業ではあるが、これをしないと何も始められないのだ。


 何往復したかわからないが、やっとすべて運び終え、頑丈そうな荷物に腰かけながら、冷たい空気でキンキンに冷えたオレンジジュースで一服した。2時間ほどかかって、ある程度の作業が終わった頃にはクタクタに疲れている。 しかも、まだ荷物の整理がすべて終わったわけではない。 けれど、長かった狭い船の生活から解放されたこと、久しぶりに自由に地面を歩き回れる嬉しさ、南極大陸に降り立った喜びが重なり、気分は爽快でとても元気だった。

 

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◇      ◆ ユキドリの舞う谷 = 3/3 = ◇◆

  雪鳥沢小屋のすぐそばには、雪鳥沢という谷がある。 南極特別保護区に指定されているエリアで、陸上植生が乏しい南極大陸の中では珍しく、コケや地衣類、 藻類などが生い茂っている。 小屋から雪鳥沢を登っていくと、途中に雪鳥池という湖があり、さらにそこから上流へ行くと東雪鳥池という湖がある。 東雪鳥池のすぐ目の前はもう、南極大陸をすっぽりと覆う氷床の末端だ。

 ラングホブデに到着した明くる日、朝から風のない穏やかな快晴だった。 その日、雪鳥沢沿いに氷床の末端まで出かけることにした。 12月下旬。ちょうど北半球で言うところの夏至頃に当たるのだが、まだまだ雪鳥沢の大部分は雪で覆われていた。 しかし、歩いているとすぐに暑くなり、汗ばんでくる。ヤッケを脱ぎ、アンダーシャツと薄い長袖1枚でちょうどよいくらいだった。 抜けるような青空が本当に美しく、吸い込まれそうでたまらない。

 下流から徐々に登っていくと、植生が発達した中流域に差しかかり、まだまだ厚い氷と雪で閉ざされた雪鳥池が見えてきた。 しかし、24時間照り続ける太陽で、 明らかに急速な雪解けが始まっているのがわかる。 雪の下からかすかに流れる水の音が聞こえ、夏の始まりを感じさせた。

  そこから切り立った断崖に囲まれている上流を登っていき、崖と雪渓を渡ると、氷床の末端が落ち込んだ高い丘にたどり着いた。 ここから先はもう氷の世界だけがずっと広がっているのである。 丘のすぐ下には、雪鳥池よりも深い雪で覆われた東雪鳥池の全容が見える。 目の前には高くそびえ立つ大陸氷床が迫り、これまで登ってきた方角を振り返ると水平線まで続く海氷原と無数の氷山が見下ろせた。 氷床から時折吹いてくる冷たい風が汗ばんだ体にとても気持ちよかった。 本当に音がない。

 360度周囲を見渡せる絶好のポジションに腰を下ろし、一休みしながらその風景に見入っていると、頭のすぐ上で何者かが俊敏に風を切る音がした。 すぐにその方向に目を向けると、青空に映える白い鳥の羽ばたく姿があった。ユキドリだ。 その姿があまりにも美しく、しばし見とれてしまった。

 小屋までの帰り道、往路とは違う壁面沿いを下った。 崖くずれで2~3メートルほどの大きな岩石がそこら中にゴロゴロし、段差の激しい斜面になっている。 幾つもの大岩を渡り歩いていると、突然足下から「ギィ」という鳴き声が聞こえた。 足下にある切り立った岩壁沿いに崩落した大きな岩と岩の隙間を覗き込むと、つぶらなユキドリの黒目と視線が合った。 ジーッとこちらを見ている。 こんなところに巣を作っているのかと驚いた。 しかもよく見ると、一羽だけではない。 その隙間だけでも6羽ものユキドリが棲んでいたのである。

 ちょうどこの時期、ユキドリは抱卵中で少しナーバスになっているので、あまり刺激しないように注意しながら観察した。 一羽だけで卵を抱いているものもいれば、つがいで二羽寄り添っているものもいる。 不安げにこちらを見ているユキドリには申し訳ないが、その真っ白な身体とつぶらな黒い瞳がとても愛らしく、シャッターを切らずにはいられなかった。

 ユキドリはこうやって陸の上に営巣し繁殖しているのだが、彼らは食糧を海に依存して生きている。 つまり、氷が開いた海まで飛んでいって、エサであるナンキョクオキアミを食べては巣に戻り、ヒナを育てあげる。 おかげで、ユキドリを通じてはるか遠い海から多くの栄養が運び込まれ、廻り廻ってユキドリの糞が雪鳥沢のこの豊かな陸上植生(昭和期周辺では唯一南極特別保護区に指定されるほどの)を育んでいるのである。

 その辺一帯には他にも数多くのユキドリが棲んでいることがわかり、私たちはそこをユキドリマンションと名付け、あまり影響を与えてはなるまいと長居することなく帰路についた。
 それにしても、ギィと鳴きさえしなければ決して気づくことなく通り過ぎていただろうに、どうしてそんな自分の居場所を明かすような真似をするのだろうと思ったが、自分の家の上を巨大な何者かが通りがかった時に驚いて声を出してしまう気持ちもわからなくもなく、その姿を想像するとなんだかたまらなく可笑しかった。

  小屋に帰り、入り口の前でザックを置き、遠くの岩山を眺めながら腰を下ろして一休みする。 重かった荷物から解放された肩が驚くほど軽く感じる。 ポケットからチョコレートを取り出して口に含むと、その甘さで疲れた体が少し回復するようだった。 すぐに汗は引き、小屋の裏から少しずつ流れ始めた雪解け水を汲んできて、鍋に入れお湯を沸かした。 勢いよくカセットコンロから出る炎がとても暖かい。 紅茶を飲むと体はゆっくりと温まり、とにかく幸せで満ち足りた気分だった。

  南極の透き通った深い青空、巨大な氷床、ユキドリの舞う風景、果てしない広がり、吐く息さえ白くならない澄んだ空気、静寂。

 この日、すべてが一気に私の中に戻ってきたような気がした。

 

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◇◆ 音が融けだす世界= 1/3 = ◇◆

 ピピピピピピピ…… 小さな音が聞こえる。 朝7時。いつも使っている腕時計の目覚まし音だった。 なんだか久しぶりに熟睡したような気分だ。

 しらせのベッドは布団と枕が硬く、さらにベッドの幅が異様に狭い。 70cmくらいだろうか。 それに比べて、ここラングホブデ・雪鳥沢小屋のベッドは、いわゆる普通の二段ベッドなので、幅90cmほど。 そして何よりも布団が柔らかい。 ごく普通の綿布団なのだが、それでも約1か月間、しらせの狭くて堅い寝床で過ごしていたせいか、異様に快適に感じるのだ。

 それにもう一つ、熟睡できる大きな要因があった。 それは音だ。 しらせの中では常に、エンジン音が鳴っている。 定着氷に停泊している間も、その音は消してなくなることは無い。 それが、ここは驚くほど静寂で、静けさというものがこれほど安眠を与えてくれるものなのかとつくづく感じるのである。

 小屋の外へ出ると、真っ青な空が寝ぼけ眼にとても眩しく、一気に目が覚めた。 ふと、目の前の光景が昨日と違っていることに気づいた。 海がキラキラ輝いているのだ。 それは氷の海ではない。 氷が割れ、水面が顔をのぞかせている。

 嬉しくなって、海岸まで行ってみると、小さな音が聞こえる。ギギギと氷がきしむ音、プツプツと氷が融ける音、それによって水が動く音だった。 とてもとても小さくかすかな音。 24時間、空をまわり続ける太陽で急速に融け出したのである。


 ついに南極の真夏が始まった。

 日本で暮らしていると、人間の生活音がひっきりなしに聞こえる。 と言っても、よほどうるさくない限り、そのことを普段さほど意識することはないだろう。 いつだったろう、たぶん小学生のころだろうか。 ある夏の静かな夜、私は家の中でじっと目をつぶり、意識を耳に集中してみた。 どんな音が聞こえるか知りたかったのだ。 そして、聞こえる限りひとつひとつ数えていった。

 時計が動く音、様々な電化製品の音、隣の家から聞こえる音、遠くで車が走る音、誰かが道を歩く音、自転車の音、どこかで吠える犬の声、たくさんの虫の声、田んぼの用水路を流れる水の音、風で木がざわつく音、草や稲がサラサラと揺れる音、カエルの声、自分の呼吸、心臓の鼓動……。

  静かだと思っていた夜に、すぐに数えられるだけでも30以上の音があった。 けれど、それまで私は普段そんなことに気づいていなかった。 だから、いつも自分の生きている世界にはたくさんの音があって、ほとんど意識せずに暮らしていることにとても驚いたのだった。

  南極に降り立ってすぐに感じた、生き物の気配がない、という瞬間的な感覚。 それは、人間が作り出す数多くの音はもちろん、他の生き物の声や、風が吹いたときに揺れる木や草、流れる水、それさえもないことから来ているものだった。

  無意識に生命の存在を感じさせてくれる風。 私がいつも聞いている風の音は何かにぶつかって、その何かが何かであることを形作らせてくれる音だった。 だから、私は本当の風の音を知らない。
 そして、絶えずどこかで流れている水。 それは海、川、湖、用水路、水道、何かしらの形で存在する。 けれど、南極はそれがなかった。 水も氷となって、音さえも凍りつく世界だ。

  それが、一日で大きく変わっていたのである。 音が凍りつく世界は壊れ、融け出した。 ついに動き出したのだ。 海の氷が融けて、こんなにも小さな水の音がはっきりと聞こえる。 そして何よりも、心臓の動きが速くなるほどに、たまらない嬉しさが私の中にはあった。

 よし、ヤツデ沢に行こう。 その日、調査のため、雪鳥沢小屋の南東にかけて走っている「ヤツデ沢」に向かった。 南極特別保護区に指定されている雪鳥沢とは違い、周辺にユキドリがあまり営巣していないため、植生が発達していない谷だ。 ヤツデ沢の谷沿いをずっと歩いていくと、細長く飛び出た氷河と雪渓にいったんぶつかる。 そこを迂回して氷河の裏側に回ると、氷河池という万年氷に覆われた湖があり、その先は平頭氷河という大陸氷床の末端で行き止まりになる。

 雪鳥沢小屋の裏から私たちがいつも汲んでくる水は、氷河と雪渓が融けたものがこの谷を通って、海まで流れ出す水なのである。 小屋を出発していつもの水汲み場を通り、はやる気持ちを押さえながら少し足早に沢を上流に登っていく。 ここを越えれば、私のお気に入りの場所が見えるのだ。

 

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◇◆ 音が融けだす世界= 2/3 = ◇◆

 ここだ!

 切り立った岩壁が目の前に迫った。 融けだした水が、さわさわと静かに岩壁を伝い、流れ落ちた先には美しい泉ができあがっていた。 その泉は神々しく透き通り、今にも水の女神か妖精が現れそうな気配がただよっている。 声を出してはいけないような気がした。

 美しく深いエメラルド色をした水が穏やかに湛えられた泉、それをひっそりと囲む荒々しい岩壁、バックには眩しいほどに深く青い快晴の空。 自然が作り上げたそのステージを前に、今、観客は私だけ。 なんと贅沢な時間なのだろう。

 人の気配どころか動物の気配さえ何もない。 そして、おそらく数千年前と何も変わらないのだろう。気が遠くなるほどの時間の流れと、この世界の広がりを感じた。 自分の姿など、そこにはもう消えてしまっていた。 まったく人間の存在しない世界、そこに流れる自然の気配に私は立ち尽くしていた。

 壁を伝う水の音が心地よく響いている。 私は禁じられていることをするかのような気持ちで、そーっと泉に手を入れると、零度近い水のあまりの冷たさに一瞬で全身がキンとして、我に返った。

 小屋を出発して30分ほど急峻な岩場をのぼると、平坦なだだっ広い岩場に出た。 すると、どこからか、ピーピーという、か細い小さな鳴き声が聞こえてきた。 声のする方向に目を向けると、薄いグレーのふわふわした小さな塊が動いている。 何かの鳥のヒナだ。おぼつかない足どりで、トコトコと歩き回っている。

 なんて愛らしいのだろう。

 近寄っていった瞬間、かぶっていた毛糸の帽子越しに、小さな衝撃が走った。 風を切る音の方向を見上げると、ナンキョクオオトウゾクカモメが猛スピードで旋回していた。 あんなにも可愛らしくか弱いヒナは、ナンキョクオオトウゾクカモメの子どもだったのである。

  このナンキョクオオトウゾクカモメは通称トウカモと呼ばれ、南極の陸の上で出会う動物の中では一番攻撃的だ。 一見すると、風貌はワシやタカなどの猛禽類のようにも見え、くちばしだけでなく目つきも鋭い。 「盗賊」という名が付けられているだけあって、ユキドリやペンギンの営巣地の近く、もしくは営巣地の中に棲みついて、ヒナや卵を虎視眈々と狙っている姿をよく目にする。

 どうやら好奇心旺盛かつ勝ち気な性格のようで、ユキドリやペンギンに対してだけでなく、小屋の外に置いてある私たちの荷物にもたまにいたずらをしに来ることもあり、近くを歩くと頭の上スレスレまで襲いかかってくることもある。

 南極の陸の上では彼らを襲うものはいないので、まさに敵なしの状態なのである。 おかげで、巣を作る場所も岩陰などの隠れた場所でなければ高い場所でもなく、周りから丸見えの低い平坦な地面の上だ。 こんなところに巣を作るとはなんて大胆な鳥なのだろうと、初めて目にしたときは本当に驚いた。

  そんなわけで、彼らはまるで日本でいうところのカラスのような存在として扱われたりもするのだが、攻撃すると言ってもギリギリで仕掛けてくるので、どこかこちらへの気遣いと優しさのようなものを私はいつも感じる。 それに、攻撃してくるのも当たり前なのだ。 なぜならこの夏の時期、ユキドリやアデリーペンギン達と同じように、彼らも子育ての時期なので、かなりナーバスになっているのである。

いつもは凶悪そうな顔つきだが、ヒナと一緒にいるときの表情はとても穏やかで、優しさに満ちている。 そして何よりも、彼らを見て微笑ましくどこか滑稽に感じてしまうのは、どんなに鋭い目つきとくちばしをしていても、足に水かきがあるからだろう。やはり彼らはカモメの仲間なのだ。

 とは言え、私はこれまでジャケットに糞をかけられたことや、頭上ギリギリの攻撃を何度も受けたことがあった。 今回のように、稀にではあるが実際にぶつかってくることもある。 翼を大きく広げて威嚇するときはまるで、勝ち誇った人間が声高らかに笑っているかのような鳴き声である。 そういう点ではやはり、ほんの少しだけ小憎らしい存在であったりもする。


 けれど、そんなちょっと小憎らしいトウカモでさえ、自分が南極にいることを実感させてくれて、なんだか嬉しかった。 平坦な岩場をさらに奥に向かい、広い雪原を通り進んでいく。 雪原の上にはいくつもの白い翼が落ちている。ユキドリの死骸だった。トウカモに襲われたのだろう。 両翼が綺麗に残っており、体はなくなっている。

 青い空を見上げると、ユキドリが遥か空高く舞っている。 遠くのほうでトウカモが鳴き、融け始めた水の音がかすかに聞こえる。誰の足跡もない真っ白な雪の上に、真っ白な翼。 私がここを通らなければ、きっと永遠に誰にも気づかれることはないのだろう。


 その光景は、決して悲しいというのではない。 なんだか幻想的で、とてつもなく強い生命のたたずまいがあった。

 

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◇◆ 音が融けだす世界= 3/3 = ◇◆

  雪原を越えると、谷がどんどん狭まってきた。 ついに、遠くのほうに青く光る氷河が見えた。 氷河に近づいていくと、氷河の真ん中が黒くなっている。 さらに近づくと、その黒い色の正体がはっきりとしてきた。 ポッカリと穴があいているのだ。

  氷河が目の前に迫ると、その穴はとてつもなく大きい。 2車線道路のトンネルくらい、直径30メートルはあるだろうか。 崖をよじ登って穴の入り口まで近寄ると、穴は氷河を貫通していた。 貫通した向こう側から眩しい光が差し、私は美しく透き通った青い氷河のトンネルにそのまま吸い込まれそうだった。

  けれど、そんな青の世界の中に入ってみたいという気持ちを、グッとこらえた。 というよりも、一瞬でその気がなくなったと言ったほうが正しいかもしれない。 奥をのぞくと、トンネルの天井が崩落して、直径2~3メートルの青い氷の塊がゴロゴロといくつも転がっており、よく見るとトンネルの入り口や下にもたくさん転がり落ちている。
 もし、それが今崩れて落ちてきたら……。 背筋がゾッとした。

  この氷河トンネルの向こう側には、氷河池という湖がある。 氷河池はこの氷河で堰き止められてできている湖だったのだが、ちょうど私がこの場所に来る1年ほど前、この氷河に穴があいているようだという情報が南極で越冬している研究者から入ってきた。 その前の年には穴はないことが確認されていたので、恐らく2年ほど前に、堤防になっていた氷河が決壊して氷河池の水が一気に流れ出し、大きな穴が開いたに違いない。

  それを自分の目で確かめるため、また、その裏側にある氷河池の状況を調査するためにこのヤツデ沢にやってきたのだ。  ここに来る前から、氷河に穴が開いていることを知ってはいたはずなのに、実際にそれを目の当たりにすると、頭の中で想像していたスケールを遥かに越えていた。

  私は氷河トンネルを後にし、もとの谷筋に戻った。そこから氷河を迂回し、狭い岩場をのぼり、雪渓を越えていった。 尾根にさしかかったところで、さっきまでいた氷河トンネルの下流側、氷河トンネルの全貌、上流側の氷河池、さらに上流にある氷床末端の平頭氷河までもがすべて眼下に広がった。 そして、後ろを振り返れば、水平線まで果てしなく広がる氷の海や氷山が見渡せた。 なんて壮大な眺めだろう。

 尾根を降り、氷河池を目指して行く。 湖岸までたどり着くと、そのまま透明な氷で覆われた氷河池の上を歩き、さっきまで向こう側から見ていた氷河トンネルの上流側に立った。 こちら側から見ると、冬の間に降り積もった雪と崩れた氷河によって、ずいぶん穴が塞がっているのがわかった。
 足下の氷河池を覆う透明な氷に目を向けると、湖底の石礫が透けてはっきりと見える。 どうやらかなり浅い。 氷河池の周囲をよく見ると、少し前まで明らかに水の中だった部分が露出している痕跡があった。 それはなんと、今の水位より6~7メートルくらいは高いようだった。

  さっきまで、ずっと登ってきた谷の風景を思い起こした。 湖の水が突然、南極の静寂な空気を引き裂き、氷河の堤防を突き破った瞬間。 轟音とともにおびただしい量の水がこの谷を一気に流れていった様。 ほんの少し前に確実に起きたその出来事を頭ではわかっていても、本当に理解することなどできず、目の前の大きすぎる自然に私はただただひれ伏すしかなかった。

   夕方、太陽はまだ眩しく輝いている。

 谷を下りて小屋の裏まで戻ると、いつもの水汲み場で、トウカモがパシャパシャと音をたてながら水浴びをしていた。 ポカポカとした陽気に照らされて、とても気持ち良さそうだ。 つがいではなく独り身なのか、ゆったりとしており、まったく襲ってくる気配はない。 楽しい風呂の時間を満喫しているかのようだった。

  恐ろしいほどの静寂に包み込まれた南極は、あまりにも情報が少ない世界なのだろう。 だからこそ、そんな世界が持つ豊かさを私は自分の中に確実に感じることができた。 けれど、きっと単に取り戻しただけのことなのだろう。 それは、誰もが持っていたはずの力、あえて言葉を探すとしたら、日々の生活の中で忘れてしまっていた想像力のようなものだと思う。

  トウカモが水浴びでたてる音、融け出した沢の水が海に流れていく音、海の氷が融ける音、きしむ音。どれも本当に小さな音だったが、その音は私の心を豊かにさせる強い力を持っていた。

 

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◇◆ ラングホブデをあとにして = 1/3 = ◇◆

 3週間滞在したラングホブデの雪鳥沢小屋。 おそらく今日が、最後の夜になる。 明日には荷物をすべて撤収して、昭和基地のそばに接岸中のしらせへいったん戻り、一泊する。採取した試料をしらせに置き、新たに食糧補給をしたのちに、別の露岩域に入るためだ。

  午後8時。 いつも通り、昭和基地と無線での定時交信が始まった。 昭和基地からの気象情報によると、今日の午後から天気が荒れ始める予報だった。 なんだか信じられない。 驚くほど平和で、とにかく穏やかな空気が流れている。 天候も、今のところ崩れる気配がまったくない。

  明日、天候がよければ、これをすべてヘリコプターまで運び、積みこまなければならないのか……3週間前に持ってきた大量の荷物を見ると、3週間前に感じた気持ちと同じように、少し途方に暮れてしまう。

 明け方4時頃、徐々に強風が吹き始めてきた。 風速25m/sもの風が、砂と海水を巻き上げながら止まることなく轟々と吹き続け、小屋をガタガタと揺らし、砂粒が壁を打ちつける音が朝まで鳴り響いた。 小屋ごと吹き飛ばされてしまうのではないかと、不安を感じながら浅い眠りが続いた。

  朝になるとそのまま強風が吹き荒れてはいたが、間欠的な吹き方に変わってきた。 しかし、止んだかと思うとまた突風が吹くのであまり油断はできない。 決死の思いで重い玄関を開けて外へ出ると、真正面にいつも見える5km先の長頭山がまったく見えない。 荒い岩肌の間を低い雲が生き物のように動いてゆく。

 この天候ならば、ヘリコプターが飛び立ってここまでくることはないだろう。 まだ数日、ラングホブデに滞在することになるに違いない、そう思い、外の天候と物資を気にしながら小屋の中でゆっくり過ごした。

   夕方になると、あれほど吹き荒れていた風がピタッと止み、急激に天候が回復していった。 夜10時30分、急遽、昭和基地から無線連絡が入った。

  「明日、しらせの大型ヘリコプターCH101でラングホブデへ迎えに行く。 ただし、積載できる物資は500kg程度のみ。 さらに、明日を逃すと、CH101はしらせから昭和基地への物資輸送に専念するため、当分の間、そちらへ迎えに行くことはできない」

  さて、どうしようか……。 今ここにある物資は、全部で約3500kg。 なんとかして、荷物を厳選し持っていくしか他に方法が見つからなかった。
 現在、時刻は夜11時を回っている。 ピックアップは明日の朝8時。 今すぐに、ピックアップに向けた準備を開始しなければ間に合わない。 仲間たちと3名で作業を急いだ。 幸い、今は白夜の季節。 太陽は斜めから差し込み、いつになっても沈むことはない。
  作業を開始して5時間、午前4時になると、やっとのことで作業が終わった。 もはやみな、クタクタに疲れた表情をしている。なんとか物資を500kgほどにまとめ、ヘリコプター着陸地点のすぐそばにかためた。

  少しホッとしたのか、全員に張りつめていた空気がほどけたように感じた。

  物資を全部持っていけないのは本当に困る。 計画していた調査の半分近くができなくなるかもしれないのだ。 しかし、今は他にどうすることもできない。 いつ移動できるかわからない状態で、数日間ないし数週間待つのはきわめて危険だ。 食糧もあと1週間分程度しか残っていないのだ。 それに、南極の夏は極端に短い。 まだまだたくさんやらなければならないことがある。 あと1か月で、南極大陸を離れなければならない私たちは、今ここに残っている場合ではなかったのである。

  それよりも、この状況でできるだけのことをやるのが一番よい選択だと、黙々と荷物の準備をしている間に、自分の中で妙に納得し、すっきりしていた。

  幸い、1か月後に南極大陸を離れる直前にはCH101を使用できるため、またここに戻ってきて、これから残置していく荷物を取りにくることはできる。

 

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◇◆ ラングホブデをあとにして = 2/3 = ◇◆

  さて、今日は久しぶりの風呂だ。そう思うとなんだか口元が緩んでしまう。 楽しみでしかたないのだ。 風呂など、昨日まではどうでもよかったのだが、いざ、もうすぐ入れるとわかると、かなり待ち遠しい。 きっと、他の二人もそう思っているに違いない。 しかし、それよりももっと楽しみなことが私にはあった。 それは、明後日から1か月間滞在する、スカルブスネス露岩域へ行けることだ。

  スカルブスネスは、ラングホブデよりもさらに南、昭和基地から約60kmの位置にあって、この昭和基地周辺にいくつかある露岩域のなかで最も広い。 スケールの大きさ、観測小屋から見える景色、いくつも点在する湖。 どれをとっても素晴らしく、ワクワクする。 私が一番好きなエリアである。

 迎えが来るまでのあいだ、朝食をとり、ゆったりとした空気が流れる中でそれぞれの時間を過ごしながら待った。 いつの間にか、雲はほとんど消え、白夜の晴れ上がった青い空が広がっていた。 向こうには長頭山がくっきりと見える。 その横には、波のような羊のような、帯状の雲が白く光り輝いている。 恐ろしいほどに穏やかな空気だ。 気温はなんと8℃、風もなく、本当に気持ちいい。

 ずっとこんな天候が続けばいいのに。 なんだか急に寂しくなってきた。 さっきまでは荷物の準備でそんなことを考える間もなかったが、ラングホブデと今日でお別れなのだ。 たったの3週間。 短かったが、クリスマスも年末も正月もここで過ごした。 初日の出がない元旦を小屋の外に出て迎え、隊の旗を持ってみんなで笑いながら記念撮影をした。

 まさかこんな正月が来ることなど、こどもの頃は想像もできなかった。

 雪鳥沢、ヤツデ沢、平頭氷河、その途中途中で暮らしている生き物たち。 この小屋をベースにして、毎日のようにいろいろな場所へ足を運び、歩き回った。それでも、時間がなくて、行けなかった場所もある。 できることなら、ヤツデ沢のもっと南側、ハムナ氷瀑(ひょうばく)という氷河の近くまで足を運んでみたかった。 しかし、それはまた今度。 いつかまた、この雪鳥沢小屋に来たら絶対に行こう。

  長頭山がよく見える岩の上に腰掛けていると、ふと、一羽のナンキョクオオトウゾクカモメがすぐ横に飛んできた。 特にいたずらする様子もなく、こちらをじっと見ている。 少しゆったりとした雰囲気とその顔。 間違いない、いつもの水汲み場で水浴びをしているあのトウカモだった。

  「じゃあ、またね」

  小さな声で彼に別れを告げた。 すると、水かきの付いた足でトコトコと歩き、翼を羽ばたかせて去っていった。 あのトウカモはなぜ、私の目の前に飛んできたのか。 トウカモが何を伝えようとしていたのか、私には知る由もない。 彼はただ、黙ってポカポカ陽気を浴びたかっただけなのかもしれないし、なんとなく地面を踏みしめたかっただけなのかもしれない。

 けれど、一瞬だが、あの時、私とトウカモが共有した時間があった。 ただそれだけのことなのに、その時間は私の中である輝きをもっていた。 またここに戻ってくるまでの1か月間、いや、もしその時遭えなければきっと数年間、彼はこの先毎年ここに来て夏を迎え、秋になるとどこかへ旅立っていく。 私が日々の暮らしに追われているのと同じ時、彼もそんないつも通りの時間を生きているのだろう。
 決して交差することのないはずの二つの時間が、あの時、確実に交差していた。

  ゴゴゴゴゴゴゴ…………

  来た!  午前10時15分、予定より約2時間遅れで、迎えのヘリコプターの爆音が聞こえてきた。 発煙筒を焚き、オレンジ色の煙でこちらに誘導する。 久しぶりに見るCH101。 そばに並べておいた500kgの荷物の上で体を伏せ、フードをかぶり防御態勢をとった。 轟音と爆風とともにバチバチと砂粒が全身を打ちつける。 何度経験しても嫌な時間だ。

 

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◇◆ ラングホブデをあとにして = 3/3 = ◇◆

   やっと砂が飛んでこなくなり、エンジン音だけがけたたましく鳴り響いていた。 立ち上がって、体から砂をはらっていると、機内からしらせ乗組員が数名降りてきた。 みな、驚くほど嬉しそうな表情を浮かべ、はしゃいでいる。 そうなるのもしかたがない。 なぜなら彼らはずっと船の中で仕事をしているので、せっかく南極に来ているのに、大陸上に降り立つ機会がほとんどと言っていいほどないのだから。

  500kgの荷物の積み込みはすぐに終わったが、飛び立つのはまだ10分後ということだった。 記念撮影をする人、地面に手を触れてみる人、歩き回る人、岩の上にすわって景色を眺める人、雪鳥沢小屋の中を覗く人、みな思い思いの南極大陸を心の中に焼きつけていた。
 初めて降り立った南極大陸、しかもそこには信じられないような風景が広がっている。 少しでも長くとどまっていたいという気持ちはとてもよくわかる。

  予定の10分間はすぐに過ぎ、みな名残惜しそうに機内に乗り込んでいく。 ついに、ヘリコプターが離陸した。 窓に顔を押しつけ、外をのぞき込む。 雪鳥沢小屋がみるみる小さくなっていく。どんどん高度が上がり北上を始めると、すぐにラングホブデの全景が見渡せた。 小屋はもはや、小さすぎて認識できない。

  ヤツデ沢、氷河池、平頭氷河、雪鳥沢、雪鳥池、東雪鳥池……、3週間歩き回った場所を猛スピードで通り過ぎてゆく。 ついに長頭山を越え、赤茶けた岩肌が広がるラングホブデから離れてしまった。

  眼下にはもう、白と青だけでできあがった世界がどこまでも広がる風景しかない。 海氷上にところどころできた水たまりが、絵の具を落としたような水色をしている。 今私たちが見ているのは、数万年、いや百万年前と何も変わらない世界なのだろう。
 大きなテーブル氷山の脇に、いくつもの小さな黒い点が見える。私はいつまでも、窓の外に広がるすさまじい景色から目が離せなかった。 人間の手が届かない氷原を、そして、小さな黒い点でしかないウェッデルアザラシがのんびり寝そべる世界を、私はただただ呆然と見下ろしていた。

  10分ほど飛ぶと、果てしなく広がる氷原の中に、オレンジ色の点がポツンと見えてきた。 しらせだ。 どんどん大きくなる。 ヘリコプターはゆっくりと飛行甲板に着陸して、ブレードの回転が止まるまで機内で待った。 次第に音が小さくなり、ブレードが止まった。 機内が静かになり、ドアが開くと、真っ白な海氷の照り返しが眩しかった。 サングラスをつけて、慎重にはしごを3段下りたところで、私たちは久しぶりのしらせに降り立った。

  船に残る仲間たちと再会し、握手を交わした。 なんだか不思議な気分だった。

  野外から久しぶりに戻ってきた私は、いろんなことに驚き、違和感だらけだった。 楽しみにしていた風呂よりも、まずはトイレに驚いた。 トイレというものがあって、ドアには鍵がかかり、用を足したあとは水で流す。 それよりも驚いたのは、水道があって、ひねるとそこから水が出てきて、それで手を洗えるということだった。 久しぶりに手がきれいになった。
  時間になると、温かいご飯も出てくる。野外では自分たちだけでご飯を作る。 だから、何もせず、黙っているだけでご飯が食べられることに、またもや驚いた。

  ついに念願の風呂。 久しぶりに鏡でちゃんと自分の顔を見る。 フェイスマスクと日焼け止めのおかげだろう、意外と日焼けしていない。 温かいシャワーがとても心地よく、すぐに最高の気分になった。 しかし、頭と体を1回洗っただけでは泡立つ気配さえない。 3回目にしてやっと泡立ったのだった。 温かい湯船に浸かると、体の芯からあたたまり、私は幸福感に満ちあふれた。


 入浴後、意気揚々と、着の身着のままだった服、帽子、手袋などを洗濯すると、砂や泥で水が真っ黒になった。 これらのことには、驚いた、というよりも、感動した、という表現のほうがより近いかもしれない。 私たちの日々の生活の中で、これらは何の変哲もない、ごくごく当たり前のことだ。 けれど、この日、私はそんな些細なことが本当に新鮮で心から感動したのだった。

  さて、ついに明日はスカルブスネスだ。

  深夜、甲板に出ると、太陽が低く傾いていた。 白い氷原が、オレンジがかったあたたかい色に染まっていた。 もうすぐ白夜が終わり、太陽が沈む季節が来る。

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◇◆ 旅をする本の物語 = 1/3 = ◇◆

 「あの本、北極点の旅へ連れて行くことになったよ」 友人からのEメールが届いた。  6年前のある日、自宅に海外からの小包が届いた。 送り主は大学時代からの友人T。 彼は当時、タイの大学で博士課程に通っていた。 箱を開けると、手紙と、カバーもなく少しボロボロになった一冊の文庫本。

  手紙には、 “バンコクの古本屋で見つけました。 この本をアラスカの旅に連れて行ってあげてね”  と書かれてあった。  本のタイトルは『旅をする木』。 極北の自然を撮り続けて、1997年にカムチャッカでクマに襲われて亡くなった写真家・星野道夫さんの著書である。 

 私は彼の写真が好きで、なかでも、逆光の中でカリブーの群れが川を渡る写真がとりわけ好きだった。 初めて見たのは、中学生の頃だったろうか。 勢いよく川を渡っていくカリブーのシルエットが逆光で浮かび上がり、彼らの息づかい、足音や水の音が聞こえてきそうだった。 

 大学時代、当時住んでいた京都で、なんと写真展が開催されていると知った。 大学に入るまで、私は彼の写真を写真集でしか見たことがなかった。 私はなぜもっと早く写真展の情報を入手できなかったのかと少し悔やみ、はやる気持ちで、すぐに会場へ足を運んだ。 なにせ、高校まで青森に暮らしていた私にとって、そんな写真展がすぐ近所で開かれることなど到底考えられなかったのだ。 

 訪れてみて驚いた。  私の一番好きな写真が展示されているではないか。 それは写真集で見るものとはまるで違う。  大きく引き延ばされた写真にとにかく釘付けになったのを今でもよく覚えている。 写真集で見ていた小さな写真とは比べものにならない迫力に、私はその場から動けなくなった。

  暗い背景にカリブーの角や体が光で縁どられ、彼らが全身で作りだしたキラキラと輝く水のしぶきは、まるで一面にちりばめられた無数の星のようだった。  自分は今、宇宙にいるのではないかというような錯覚に陥った。 しかもそれは無機質な宇宙ではない、とてつもなく強い生命力がその空間全体にほとばしっていたのだ。

 心がザワザワして、気づくと涙がにじんでいた。  理由や意味なんていうものは、もはやなくなっていた。

 それにしても、どうして友人Tは古本なんて送ってきたのか、それに、旅に連れて行ってくれとはどういうことだろう。  バンコクの古本屋にこれが置いてあったこと自体はたしかに驚きだろうが、私の頭の中は疑問だらけだった。  いっこうに謎が解けないまま、 私はその本を手にとり、何気なく表紙をめくろうとした。  その瞬間、違和感があった。 

 表紙に書かれてあるタイトルが何かおかしい。  タイトル文字にボールペンで一本だけ短い線が加えられており、『旅をする木』ではなく『旅をする本』になっていたのだ。 ふっと、笑いがこみ上げてきた。 誰かのいたずら書きだろうか。 裏表紙側からなんとなくページをめくってみると、そこには4人の見知らぬ名前、その横にはそれぞれ異なる国と日付が書かれてあった。

 一番下には、 “⑤友人Tの名前(タイ:バンコク)06.2月 /バンコクの古本屋→インド→カンボジア→ベトナム→日本”

 同じページの右端には縦書きで、 “牛田圭亮(愛知県出身)スペインCadizにて” とだけ記されてあるが、日付はなかった。 この人物がどうやらこの本の最初の持ち主のようだった。  そのままパラパラと逆向きにページをめくると、表紙の裏の左端にメッセージが書き込まれているのが目に入ってきた。  

  “この本に旅をさせてやって下さい” 

 最初にこれを買った牛田圭亮という人物は、日本からスペインへの旅に、この「旅をする本」を連れて行ったのだろう。 その後、様々な国と人の手を通じて、タイの古本屋に売られたのか、もしくは4人目の人物が勝手に古本屋の片隅に置いたのか。 それをたまたま古本屋で見つけた友人Tが近隣諸国への旅に連れて行き、当時、京都にいた私に送ってきたのだった。 

なんて粋なことをする人がいるのだろうか。 自分がまったく見知らぬ、そしてこれからも決して出会うことがないであろう人たちのもとをわたり歩き、たくさんの偶然が重なって、今まさに、私のもとにこの本がたどり着いた。  私はその本を両手でしっかりと握り、額にくっつけてみた。 少しボロボロの裂け目、折れ跡、汚れから、この本がこれまで旅し、見てきたいくつもの物語、遠い異国の気配を感じた。 そして何よりも、偶然というものへの限りない不思議さを感じていた。

 本を受け取ったころ、私はちょうど引っ越しの準備をしていた。数週間後には京都の家を引き払い、東京へ引っ越さなければならなかったのだ。  9年間暮らした京都を離れて東京へ向かうのは、18年間過ごした青森を離れて京都へ行くときよりも、自分の人生の中で大きな転機だった。  これから何かが動きだす、そんな気がしていた。

 私は部屋の中で山積みになっていた引っ越しの段ボールの中にこの本を入れずに、いつも持ち歩くかばんの中にそっとしまいこんだ。

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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

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現代の探検家《田邊優貴子》 =73=

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◇◆ 旅をする本の物語 = 2/3 = ◇◆

  東京で暮らし始めて一年後、ついにあの本を本当の旅に連れだすときがやってきた。 南極へ行けることになったのである。 

 私はその本をいつも本棚の目の届くところに置いていたが、旅をさせることはしなかった。 友人にはアラスカにでも連れて行ってと言われていたので、この『旅をする本』にふさわしい旅をさせたかった。 

 私のもとへやって来て2年目。 アラスカではなかったが、南極はこの本にとって絶対にすてきな旅になる、私はそう確信して、初めての南極へ連れて行くことにした。

 南極を旅させたら、そのまま昭和基地の本棚にそっと置いてこよう。 この本にはしばらく南極で暮らしてもらおう。 そして何年後かに誰かの手で南極から持ちだされ、またどこか一緒に旅をさせてもらえれば、なんて素晴らしいだろう……すっかり南極へ行ったような気分でそんなことを想像し、胸が熱くなった。 こうやって、私は心の中で密かな計画を立てたのだった。
 が、その後、予想もしないことが起きた。 

 私は南極行きへ向けて約一年をかけて準備をし、とにかくバタバタと慌ただしい日常を東京で過ごしていた。 はじめのころ、私は南極というあまりに未知すぎる世界への憧れ、想像もできない、見たことも感じたこともない世界へ行ってみたいという想いに心を占領されていた。 そしてただまっすぐに、脇目も振らず、調査に向けた訓練、研究計画の具体化など、あまりにも多すぎる準備に取り組んでいた。 

 出発まであと3か月を切った、9月に入ったばかりの暑い日。 私は大学の研究室の教員に呼びだされた。

  「……あなたは、南極へ行くことができなくなった」 

 私には、その言葉の意味がすぐには理解できなかった。 まるで、時が止まってしまったようだった。私の頭の中は真っ白で、何も浮かんでこない。 ただただ、その言葉を理解しようとしたが、無音で微動だにしない世界に私は引きずりこまれそうだった。 

  「え、どういう意味ですか……」 

 必死に口を動かし、出てきた言葉だった。 やっと世界の音が聞こえ始め、夏の眩しい太陽の中、窓の外ではセミの声がうるさく鳴り響いていた。

 説明によれば、私は血液検査で引っかかったということだった。

 でも、そんなこと納得できない。 自分でも身体検査結果の控えは見ていたが、はっきり言って、血液検査の項目にたいした異常などないことを知っていたのだ。 もしあるとすれば、花粉やハウスダストなどへのアレルギー、もしくは、既往歴で小児ぜんそくがあったことくらいだろうが、そんなことは大した問題ではないに違いなかった。 しかも、この話を聞くより前に何の説明もなければ、再検査といったものもなかったのだ。 あまりにも突然過ぎた。どう考えても腑に落ちないことだらけだった。

 ただ南極へ行くことだけを考えていた私は、諦められるはずもなく、しばらくの間、なんとかならないものかと先生に取りすがり、その場であがいた。 しかし、私をずっと応援してくれ、南極への準備作業にともに取り組んできた信頼すべき目の前の人物は、辛く神妙な面持ちで、ひどく落胆していた。 その表情から、もうこれは覆ることのない決定事項であることを私は知ってしまった。 

 一年ものあいだ、ひたすらに南極へ向けて準備に取り組んできた。 もう目の前、というところだった。 部屋を出てから、私はどうしたらいいのかわからない気持ちでそれまでのことを思い起こし、現実というものを理解するにつれて涙がこみ上げてきた。 とにかくやりきれない思いで胸が張り裂けそうだったことは覚えているが、その日、その後の記憶がまったくない。 

 翌日は台風だった。 一晩中まったく眠れず、心に穴が開いたまま研究室を休んだ。 嵐の音を聞きながら、家の中でどうしたらいいのかを考えていた。 けれど、何も答えは見つからない。 

 今年行けない、ということは大きな問題ではなかった。 そこに隠されている意味はそんな一回限りのことではなかった。ここでこの結果を受け入れてしまえば、私は一生、日本の観測隊として南極へは行けないのだ。

 外国の基地へ行って研究すればいいよ、などという人もいたが、なんの気休めにもならないどころか、厳然とある矛盾に大きな疑問とやるせなさを感じた。 なぜ外国の南極基地には行けるのに、日本の基地には行けないという事態が起きるのか、と。 

 台風が過ぎ去ると、澄んだ空と空気、夏の終わりの日差しが眩しかった。 ツクツクボウシが鳴いている。 やりきれない、悔しい、先が見えない、そんな気持ちが続いていた。 けれど、今は歯を食いしばるしかない。とにかくできることはすべてしよう、そうするしかない。 あきらめてはいけない。

 それからというもの、希望の糸口を探して私は動き、もがきまわった。 しかし、結果はいっこうに覆る気配はなかった。もはやほぼ正式に近い決定事項のようだった。 私は自分に見えないところに存在する何かに不信感を抱き、大げさかもしれないが絶望を感じていた。 

 ところがその後、事態は急展開を見せる。 2週間が過ぎたころだった。 私はまた呼び出され、すぐに再検査を受けるように言われた。 突然、南極行きの光が差し始めたのである。 

 詳しいことは何も聞かされないまま、私は緊張しながら病院へ行き、検査を受けた。「何の問題もないですよ」と医者から告げられ、その日の検査はあっさり終わった。 どうも腑に落ちない。どう考えても形ばかりの再検査であることはあきらかだった。

 せっかく南極行きの希望が見え始めたというのに、それからしばらく、なぜか虚ろな気持ちだった。 些細なことでも大きく心が動き、浮き沈みを繰り返す、そんなことが続いた。 私は疑心暗鬼になって、さまざまなことへの不信感がずっと消えなかった。 そして、自分のそんな状態がとにかく嫌だった。 

 

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◇◆ 旅をする本の物語 = 3/3 = ◇◆

  その後、少しして正式に南極行きが決まった。 嬉しさの反面、拭いきれないモヤモヤ感が残った。 が、そんなことを気にしている場合ではなかった。 とにかく、南極へ行く、それだけだと自分に言い聞かせた。 しかし、ふと思う。果たして私は何をしたかったのだろう。

 あらめてじっくり思い出してみることにした、南極に行くことしか考えていなかったころ、私は何を思っていたのか。 南極にはどんな世界が存在しているのだろう。 どんな音、どんな色、どんな光、どんな風、どんな匂い。 人間が決して根づくことができなかった世界はどんなものなのか。 生命の気配は本当にないのか。

どんな音が聞こえるか、ひとつひとつ音を数えてみよう。 どんな匂いがするか、ゆっくり空気を吸い込んでみよう。 私は何を思うのだろう、何を感じ、見つけるのだろう。 なぜ自分がこの世界で生まれて生きているのか、もしかしたらほんの少しはわかるのかもしれない。

  目をつぶると、どんどん思いが溢れ出て、次々と鮮明に浮かんで止まらなくなった。 このとき、一番大切なことを、私はやっと取り戻したような気がした。 見えない大きな力、見えない誰かへの不信など、どうでもよかった。 心の中がスーッとし、静まり返っていった。 こんな静かな心はなんだか久しぶりで、自分の中心にある大事なものが、またこれでぐんと強くなったように感じていた。

 そして、私は南極へ旅立ち、いくつもの心震える瞬間に遭遇した。 いくつもの驚きがあった。 刺すような風を感じながら、荒々しい剥きだしの岩肌の大地を毎日のように歩いた。 水晶のように透き通ったいくつもの湖にボートを漕ぎだし、そのたびに心奪われた。 白夜の美しい薄紫色の空、そこにできる地球の影。 頭上に輝く南十字星と青白い炎のように揺れるオーロラ。 いくつもの信じられない光景を見上げた。 3か月という時間があっという間に経ち、南極大陸をあとにし、ついに帰るときがやってきた。

 しかし、密かにあたため続けていた『旅をする本』を昭和基地に置いてくるという計画…………ちょうど帰るころ、私はすっかり忘れてしまっていたのである。 あの本は、確かに南極大陸の旅をしたのだが、そのまま船に乗り、南極海を航海して、私と一緒に再び東京へ舞い戻ってきてしまったのだ。 仕方がない、もう一回一緒に南極へ旅に出よう。そして、その時は絶対に置いてこよう。そう誓った。 

  “⑥田邊優貴子 2007年12月南極・昭和基地→2008年03月東京→” ついに、最後のページに書き加えた。 最後には矢印。 もう1回南極へ行くためのしるしだった。 そして2年後。 私は2度目の南極へ行くことになった。 またいつもの本棚から、前よりももっとボロボロになったその本を取りだした。 

「ついにもう一回行けるよ。 今度は一体どんな心震えることに出会えるかな」 話しかけ、やぶれて取れそうになっていた表紙をセロハンテープで補強した。

 2010年2月、南極大陸上での野外調査が終わり、昭和基地に本を置くときがやって来た。 まるで親友のような存在になっていたその本と別れを済ませ、忘れずに無事、置いてくるはずだった。 しかし、その本はやはりその後も昭和基地で暮らすことはなかった。  なぜなら、そのとき一緒に南極へ行った友人に、この『旅をする本』の話をしたところ、是非譲ってくれないかと頼まれたからだ。

 そういうわけで、『旅をする本』は二度も南極を旅したのちに、友人の手に渡っていったのだった。 帰国後、友人からサハリンに連れて行ったという話を聞いてはいたが、その後の消息を知ることもなく、あの本のことは私の記憶の片隅に置かれ、ほとんど思い出すこともなくなっていった。 きっと、またこの世界のどこかを旅しているに違いない、そう思っていた。 

 「単独無補給徒歩で北極点を目指す若者と土曜日に会うから、あの本を彼に渡そうと思う」 つまりそれは、私がその友人にあげた『旅をする本』のことだった。 もし、一回目の南極で、あのとき忘れずに昭和基地に置いてきたとしたら、あの本は北極点へ行くことなどなかったのかもしれない。 もし、友人Tがバンコクの古本屋に立ち寄らなければ、あの本は南極に行くことなどなかったのかもしれない。 すべては無数の偶然がただ連なっているだけのことに過ぎない。 けれど、確実にあの本はあのとき私のもとへやって来た。 そして一緒に南極大陸を旅し、さらには北極点を目指し始めたのである。
 友人からのEメールを見ながら、私はあの本が私のもとへ来てからのことを思い出していた。 

 北極点への冒険…………想像すると胸が高鳴った。 あの本はどんな旅をするのだろうか。 きっと、想像をはるかに超えた壮大な旅になる。 そしてまた、いくつもの物語がそこから生まれるのだろう。 もしも北極点まで行けたなら、『旅をする本』は本当にすごい本になる。 

 ふっと風が走り抜けていった。 気の遠くなるような真っ白な広がりのなか、若い冒険家の足音、息づかいが聞こえるような気がした。

 

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◇◆ 北緯79度の花畑 = 1/3 = ◇

   足下には一面に無数の小さな花々が咲き乱れている。 見過ごしてしまいそうなほどに矮小化した植物たち。 キョクチヤナギの丸い葉や、チョウノスケソウの白い花びら、夜露で濡れたコケや地衣類が白夜の光を反射してキラキラと光り輝いている。 長靴でフカフカのツンドラの大地を歩くと、少し柔らかな初夏の風が草と土の薫りを運び、頬をかすめていった。 

 やっとここに来ることができた。 私は嬉しくて走り出したくなるような気持ちだった。 2010年7月9日、晴れ上がった空の下、私たちを乗せたセスナ機はロングイヤービンの空港を飛び立った。 滑走路がどんどん遠のいていく。 ロングイヤービンの町はすぐに小さくなり、高度を上げるにつれて切り立った地形全体が見えてきた。

山々は急勾配のまま海岸に落ち込み、その頂上がストンとまっすぐ平らになっている。 氷河で削られた痕跡だ。平地は緑に色づいてはいるが、森や林はない。 地球はつい最近になってやっと最終氷期が終わったばかりなのだということをまざまざと見せつけられる。

  いくつもの氷河が、まるで舌のように山と山のあいだから海に流れ込んでいる。 普段は動いているようには見えない氷の塊。しかし、こうして見ると氷河はやはり氷の河であることがよくわかる。 決してその場にとどまり続けることなく、河のように流れ、常に動きつづけているのだ。 氷河で削られたシルトが混ざり込んだ海は、ミルキーブルーの不思議な色をしている。

 3日前、成田空港からスカンジナビア航空でコペンハーゲンを経由し、オスロに到着した。 オスロから同じくスカンジナビア航空の国内線で世界最北端の大学がある街・トロムソを経由し、ノルウェーの北、北極海に浮かぶスヴァールバル諸島のスピッツベルゲン島にあるロングイヤービンという小さな町にやって来た。 北緯78度、東経15度に位置する人口2000人ほどの町で、ここまではスカンジナビア航空が定期便を運行している。
 ロングイヤービンから10人乗り程度のセスナ機をチャーターし、私たちは目的地であるニーオルスンを目指していた。 私たち、というのは他の研究者や大学院生たちあわせて5名のことである。 ニーオルスンはロングイヤービンから北西に約110km、同じスピッツベルゲン島にある北緯79度、東経12度の国際研究者村だ。 これからちょうど1か月のあいだ、植物の調査をするためにやって来たのだ。

  私はセスナ機の窓ガラスに顔を押しつけ、北極海に浮かぶその島を見下ろしていた。 いくつの山と氷河を越えてきただろうか。 斜めから差し込む眩しい太陽が極北の大地に遅い夏の訪れを告げていた。 眼下に広がるその光景が10年前に見た光景とオーバーラップし、私はすっかりタイムスリップしたかのような気分になっていた。

  10年前、21歳だった私は大学を休学し、真冬のアラスカへ旅をした。 こどものころからずっと憧れつづけていた場所だった。  フェアバンクスから小さなセスナ機に乗り、今日と同じように、私は窓ガラスにひたすら顔を押しつけていた。 窓の向こう、雲の切れ間に広がるのは、恐ろしいほどに険しく切り立った山々と、雪と氷が地平線まで果てしなく続く世界。 時折、カリブーが真っ白になったツンドラを走っている姿が小さく小さく見える。 極夜期手前のぼんやりとしたピンク色の光がやわらかく世界を染め上げていた。

  突如、目の前に雲を大きく突き抜けてひときわ神々しくそびえ立つ山が迫ってきた。 マッキンリーだった。 それはもはや、白い色とは呼べないほどに透き通った光を放っていた。

 すべてが圧倒的だった。 そこは私がそれまで生きてきた日常とあまりにもはるか遠くかけ離れていた。 そして、そんな気の遠くなるような光景すべてに釘づけになり、そこから数年間、私の心はまるで時が止まったかのようになってしまった。 どう表現していいのかわからないまま、時間だけが過ぎていった。

  そのとき出会った風景は、いつまでも私の心の中に蓄積したまま消えることはなかった。 それどころかどんどん大きくなり、どんどん光を放っていき、ついには私の人生を大きく変えてしまった。 アラスカで見た風景によって、大きな自然、遠い自然、凄まじい自然、そんな自然に何らかの形でかかわって生きていくことを私は選択したのである。

  人生の中で出会った、たかが一つの風景に過ぎないのかもしれない。 が、それは私の生き方そのものを変えてしまう力を持っていた。 決して単に美しいというわけではない。 とにかく圧倒的な世界の広がりと、生きていることの脆さと不思議さ、気の遠くなるような時間の流れ、それ自身のために存在する世界、理由や意味というものを超えた世界、そんなものを強く見せつけられたような気がした。

 

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