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Channel: 【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》
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現代の探検家《田邊優貴子》 =76=

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○ 北極・南極、アァー 素敵な地球のはて =田邊優貴子=  ○

= WEB マガジン ポプラビーチ powered by ポプラ社 より転載 =

◇◆ 北緯79度の花畑 = 2/3 = ◇◆

   なんと表現すればよいのか未だに難しいのだが、自分は地球に生きている、ということをはっきりと意識した瞬間だったのかもしれない。 私にとって、それは自然の風景だったが、誰しもがこうやって何らかの光景に大きな力をもらうことがあるのではないだろうか。

  10年前のことを思い出しながら、眼下に広がる島の海岸線と氷河が作りあげた山とツンドラの景色を飽きることなく見ていた。 アラスカで見たのと少し似ているようでまた違う。 20分ほどすると、セスナ機は徐々に高度を下げ始めた。 海岸沿いに小さな建物がまばらに建っている。 小さな滑走路らしきものも見える。

 平坦にならされた滑走路を目指し着陸態勢に入った。 大きなエンジン音とタイヤ音をたてて、急スピードでセスナ機は止まった。 ドアが開き、外へ降りると想像していたよりもちゃんとした滑走路であることに驚いた。 私は勝手にツンドラの原野へ降り立つことを想像していたのだ。

  それまで上空から見ていた風景が目の中に大きく飛び込んできた。 氷河で削られてできたU字谷、山と氷河の裾まで広がる緑の大地、振り返れば、入り組んだ海岸線と対岸に落ち込んでいる青い氷河が見渡せた。 冷たそうな海がキラキラと輝いている。 深呼吸して潮の匂いと草や土の匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。

  すぐにでもツンドラの大地に駆け出したい衝動に駆られたが、先に済ませなければならないことがさまざま待ち構えていた。 私たちは荷物とともにバンに乗せられ、村の中心へ続く砂利道をガタガタと揺られながら進んでいった。 村の中心と言っても、時速20kmほどののんびりとした運転で、たった3分ほどで到着する。 途中、トナカイやグースの親子たちが道を横切るのを待って、すぐに小綺麗な建物の前に到着した。

   この村はノルウェー極地研究所とノルウェーの企業が一括して管理・運営している。 ここでまず入村の手続きを済ませ、先に航空便で送っていた荷物が届いているかどうかを確認した。 朝昼晩の三食はどこの国の研究者もここに来て食べることになっているとのことだった。

  手続きが終わると、またバンに揺られて、日本が借りている小屋へ向かった。 日本の小屋は村の中心から外れたところ、滑走路のすぐそばに建っていた。 おかげで、ツンドラの原野と氷河へのアクセスにはとても都合がいい。

   小屋の中は私が思っていたよりも綺麗で、部屋もいくつかに分かれており、キッチンや、実験室、倉庫、何部屋かある寝室にはベッドや机が備え付けられてあった。 寝室の窓からは切り立った山と氷河が見渡せ、窓から下をのぞき込むと、可憐な植物で埋め尽くされた急斜面が海へと続く素晴らしい眺めだ。  荷物を部屋の片隅に置き、これからここで1か月間過ごせるのかと思うと心が躍るようだった。

  昼食をすませ、早速、一緒に来ていた仲間とともに二人で原野に出かけることにした。 小屋の目の前にはツンドラの原野が広がっている。 途中までは植生が発達しているが、氷河から流れ込んだ沢によって礫(れき)がゴロゴロと転がり植生が一時的にまったくなくなる氾濫原がある。

氾濫原を越え、さらに氷河と山側に近寄っていくと、一部の植物がポツポツと礫の隙間に生えている程度になり、しまいには植物がまったくいなくなる。 正面にあるのは東ブレッガー氷河。 この原野は、東ブレッガー氷河が後退して剥き出しになった裸地に植物が定着して出来上がったものだ。

  長靴の底からフカフカの大地の感触が伝わってくる。 植物はみな、大きくとも足首ほどの背丈しかない。 切り立った山やダイナミックな地形、氷河ばかりに目を奪われていると、その存在に気づかず通り過ぎてしまう。

  私はその場に寝転んでうつ伏せになり、地面すれすれまで顔を近づけていった。 トナカイの角のような形、キクラゲのような形、霜が降ったような色、多様な形と色をした地衣類、黄緑色に芽吹いたモコモコのコケ。 チョウノスケソウの白、コケマンテマの濃いピンク、ホッキョクヒナゲシの薄い黄色、ムラサキユキノシタの赤紫、タカネマンテマの薄紫……。

  木の仲間であるキョクチヤナギが濃い緑色をした丸い葉をつけ、つやつやとしていた。 木とは言っても、葉のサイズは5mm~1.0cmほど、背丈も1cmほどしかない。 なんて可愛らしいのだろう。本当にこれが木なのかと疑いたくなる。

  辺り一面、色とりどりの可憐な花々が太陽の光を浴びていっせいに咲き乱れ、どこまでも続いていた。 時折吹く風が花畑を通り過ぎていく。そのたびに、花畑は光を反射しながら楽しそうにそっと揺れていた。 立ち上がっては地面にうつ伏せになる。 これを繰り返しながら植物の観察に夢中になっていると、いつの間にか時間が経っていた。 しかし、後ろを振り返ってみても、どうやら自分があまり前へ進んでいないことに気づく。

 

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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

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現代の探検家《田邊優貴子》 =77=

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◇◆ 北緯79度の花畑 = 3/3 = ◇◆

  私はまた立ち上がって歩きだし、ゆっくりと深呼吸をするように一歩一歩進みながらこの極北の原野に漂う匂いを自分の中に残そうとした。 そのまま何気なしに歩いていると、突然ツンドラの起伏の中からけたたましい声でピーピーと鳴きながら一羽の鳥が飛び出してきた。

  ムラサキハマシギだ。 体の色はグレー、茶、黒、カーキ、白が混じり、ツンドラの大地に完全に溶け込み、カモフラージュされている。少し目を離すとどこにいるのかすぐにわからなくなってしまう。 それにしても、不自然に翼をバタつかせたり、足を引きずるような動きをしながら、そこら中をドタバタと走りまわっている。

  ああ、これがそうか。 本で読んだことはあったが、実際に目の当たりにするのは初めてのことだった。 シギの親鳥がわざと傷ついたふりをして外敵の気を引き、ヒナや卵のそばから遠ざける行動である。 演技派なその行動に驚きつつ、微笑ましくも感じたが、卵が冷えてしまってはまずい。 

 「ごめんよ」 とつぶやきながら、すぐにその場から離れた。 その迫真の演技は、北極の短い夏の間に子どもを育て上げることへの必死さを物語っていた。 卵のもとからあれ以上遠ざかってしまったら、卵の温度は急速に低下し、夏とはいえ北極では死に至るだろう。 自然の中では、ほんの一瞬の出来事が命を左右することがある。 生きものは、自然は、たくましさや厳しさとともに、必ずあっけないほどの脆さを秘めている。

  しかし、私たちが離れていったというのにシギはまだ鳴いている。 早く巣に戻ってと願いながらも、シギの鳴き声に気を取られて歩いているうちに、ふと何者かの気配を感じた。 振り向くと、起伏の向こうに角が揺れるのが見える。 それも結構なスピードでこちらに近寄ってきている。高台に姿を現したのはトナカイだった。

 私たちに気づき、50m手前のところでピタッと停止した。 その場は静まり返り、トナカイも私も時が止まってしまったかのような瞬間だった。 が、その静寂はシギが再び鳴き出したことによって崩された。 その瞬間、トナカイは再び小走りを始め、どんどん近づいてくる。もう20mというところでシギは鳴き止み、またトナカイは停止した。

 なぜかはわからないが、どうやらシギの鳴き声が気になって走ってきたようだった。 爛々としているその瞳から、「何? 何があったの? どうしたの?」という声が聞こえてくるような気がした。 彼はこの原野をまるでパトロールしてまわっているかのようで、なんだかたまらなく可笑しかったが、ずっと視線が合ったまま、私たちもどうしていいかわからず、お互いにその場で静止していた。

  シギはもう鳴き出すことはなく、ただ沈黙の時間が流れた。 すると、トナカイは目をそらし、体をクルッと回転し、足下のチョウノスケソウを一口だけ食んで、目の前から走り去っていった。 ほんの数十秒の出来事だったが、とてつもなく長い時間が流れたように思えた。 トナカイは一度だけこちらを振り向いたが、その後は振り返ることなく遠ざかり、その姿はもうすっかり小さくなってしまった。

  シギはもう巣に戻ったのだろう。 鳴き声も翼の音も聞こえない。 白夜の夕方、斜光線が花畑を遠くまで照らしだしていた。 まるで何事もなかったかのように、かすかな風がチョウノスケソウの白い花を揺らしていった。

 なんという不思議な時間だったのだろう。 不思議の国のアリスがウサギを追いかけてもう一つの世界に迷い込んでしまったのと同じように、あのとき私も違う世界に行ってしまったのではないかと錯覚するような出来事だった。 絶対に聞こえるはずもないトナカイとシギの声が、言葉となってはっきりと聞こえたような気がしたのだ。 なんだか滑稽なトナカイの行動と表情はなんだったのだろうか。

  張りつめていた緊張が一気にほぐれ、私たちはフカフカの斜面に腰を下ろした。 力が抜け、笑いがこみ上げてきて、その場で大声を出して笑い転げてしまった。  

 小屋に戻った私たちは、何かに化かされたようなこの不思議な出来事を他の仲間たちに話した。 ところが、どう説明していいものかわからず、なかなか上手く伝えることができなかった。 私たちにとってはなんとも不思議な時間だったが、それはこの目の前のツンドラの原野では何度となく起き続けていることなのだろう。 そんな自然の中の当たり前の出来事を、私たちはほんの少し垣間見ただけに過ぎないのかもしれない。 けれど、その時間はとても鮮やかに私の心を色づけていった。

  その夜、部屋のカーテンを開けると、深夜0時を回っているというのに、外は明るかった。 対岸の山には雲がかかり、オレンジがかったピンク色に染まっている。 徐々に低い霧が立ちこめ、生き物のように山と山のあいだを動いて海を渡り、こちら側へやってくる。 見る見るうちにそれは大きくなり、辺り一面、すっぽりと霧に包まれていった。 あいにくの天候だったが、街からやって来て間もない私の気持ちを、日常からかけ離れた世界へ誘うには十分だった。

 明朝、霧は晴れてくれるだろうか。そんなことをぼんやりと思いながら、ベッドにもぐり込み、心はワクワクとしていた。

 

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森のなかえ

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現代の探検家《田邊優貴子》 =78=

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◇◆ 南極から北極まで旅する鳥 = 1/3 = ◇◆

   「よし、ちょっとあの海岸まで行ってみよう」 晴れ上がった深い青空が眩しい夕方だった。 夕食をすませたあと、小屋の裏手に広がる海岸に出かけることにした。 部屋の窓から見渡せるその砂浜。 気になる鳥がその辺りでヒラヒラと飛んでいるのを、私はいつも双眼鏡で眺めていた。

  ここは北緯79度に位置するニーオルスン。 2010年7月9日にここへやってきてから、まだ1週間。 3か月前、南極から帰ったばかりだった私には、この高緯度に位置する北極のツンドラの大地は、何もかもが豊かに見えてしかたなかった。

 南極で原野を歩くときには、ほんの少しのコケ群落でさえとても貴重な存在で、その緑色を驚くほどまぶしく感じる。 南極で出会う色といえば、白、青、茶、赤茶、オレンジ、黒、薄紫、赤、褐色……。 赤茶けた荒々しい大地を歩いている最中に、突然、めったに見かけない緑色が目に飛び込んでくると、本当に新鮮でまぶしく、心が踊るような気持ちになる。 だから、日本にいると気にも止めない少しのコケでさえ、絶対に踏むことのないようとにかく注意して歩くのである。

 そんな感覚がまだ消えぬ間に北極へ降り立った私は、はじめはどうしたものかと戸惑った。 というのも、ツンドラの大地は一面ふかふかのコケや花のカーペットで覆われているからだ。 どこを歩いても踏むことになり、決してよけて前に進むことなどできない。

  昭和基地の緯度は南緯69度。 それと比べると、実はここニーオルスンは10度も高緯度にある。 しかし、周囲を取り巻く暖流のおかげで、昭和基地周辺よりも気温は高く、植生も豊かになっているのである。 そういえば、南極や北極で野外調査をしているというと、人からよく聞かれることがある。
 それは、「ご飯はどうしているのか?」というもの。確かに端から見れば、これは素朴な疑問なのかもしれない。 このニーオルスンでは南極での野外調査と違って、自分たちで朝・昼・晩の食事を作る必要がない。

  南極でも昭和基地に滞在していれば、調理担当の隊員たちがおいしい食事を作ってくれるのだが、基本的に3名程度の少人数で野外の小屋、もしくはテントに長期滞在しながら調査をする私は、残念ながらほとんどその恩恵に授かることはない。 すべて自分たちで作らなければならないのだ。

  ほぼ毎日白米を炊くし、鍋の日もあれば、豚生姜焼きの日、お好み焼きの日、パスタの日、麻婆豆腐の日などさまざま。 あまりにも調査と作業が忙しい日はレトルトカレーや牛丼、ラーメンになることも多い。 牛肉がふんだんに支給されるおかげで、最終的には特別な調理スキルを必要としない焼肉やすき焼きばかりが増えて、もう肉はいや……と少し贅沢な悩みを抱えることになる。 もちろん水道などないので、水は近くの沢か湖まで、20リットルのポリタンクを背負って汲みに行く。

  とにかく、南極の野外調査での食事は、毎回自分たちで好きに作るという雰囲気なのだ。 とは言っても、さすがに3名だけで食事を作っていると日が経つにつれて少し飽きてくる。 そんなとき、昭和基地の食事はどんなものだろうかと想像して、羨望することもある。 調理担当の隊員は日本でシェフや板前を生業にしている人たちなので、聞くところによると、日本で普段食べているものよりもおいしい食事が日常的に食卓に上るらしい。

  野外調査をしながら食事を毎日作るというのは、それなりに負担が大きい。 忙しいときには特にそう感じる。 その点、ここニーオルスンでは最初に入村の手続きをした村の中心にある建物に行けば、食事をとることができる。 自分たちで食事を作る必要がないので、研究者にとっては非常に有り難い。 その分、集中して調査に時間を割くことができるからだ。

 食事はバイキング形式になっていて、チーズ、スモークサーモン、クッキー、オレンジジュース、牛乳、コーヒー、紅茶などは毎食必ず置いてある。 

 

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◇◆ 南極から北極まで旅する鳥 =2/3 = ◇◆

 今晩のメニューは、レタス、トマト、人参、パン、トナカイの肉を塩胡椒で焼いたもの、少し不思議な味のするホウレン草のスープ、フライドポテトだった。 だいたいはノルウェー人と、たまにロシア人が作っているので、日本人からするとかなりボリューム満点で、味は単調で塩辛く感じる。 が、それでもやはり自分たちでつくらなくてもよいことに、とても感謝するのである。

 トナカイの肉でお腹いっぱいになり、いつものようにミルクティーで一服しながら、食堂の窓の外に広がる景色をながめた。 なんて贅沢な眺めだろう。目を細めながら、雲一つ見当たらない快晴の空を見ていると、いても立ってもいられなくなった。 もうすぐ20時だというのに、辺りはまだまだ明るい。 このまま部屋に戻ってしまうのはなんだかとてももったいない。 そこで、私たちは食後の散歩がてら、いつも部屋の窓から見下ろしている海岸を目指すことにしたのだった。

 小屋のわきを通り、かすかな風でホッキョクヒナゲシが揺れる斜面を下りていった。 砂浜になった海岸まで、20分ほど歩いただろうか。 小屋は遠く丘の上に見える。 斜光線に照らされた海がキラキラと輝いていた。

  水べりに立って海を眺めていると、何者かがゆっくりと漂っている。 顔を出して不思議そうにこちらを見ているその生きものに、そっと近寄ってみると、それはアザラシだった。 近づいて来ては潜り、また水面から顔を出しては呼吸をする、という動きを繰り返している。 そしてどこに行くでもなく、その辺をただ悠々と、気持ちよさそう泳いでいた。 ワモンアザラシだろうか、顔をちらりと出すだけなので、なかなか判別ができない。

 アザラシは近くまでやってきて、仰向けになって漂ってみたり、真正面を向いてゆらゆらしてみたり、真っ黒の大きな瞳が時折こちらを向いてみたり。 そんな姿を見ていると自分もゆったりとした気持ちになっていくのを感じた。 いつまで見ていても飽きることはなく、アザラシがいなくなるまで、海岸からただただその姿を見つめていた。

  私のすぐ目の前の水際を、2羽のハマシギがくちばしで砂浜をつつきながら歩いている。 ほんの少しだけ湿った潮風が心地いい。 あのアザラシも、ただこの心地いい風を感じたかったのかもしれない、仰向けになって夏の太陽をただ浴びたかったのかもしれない・・・そんなことを思いながらしばらく砂浜でたたずんでいると、

 「ギギギギギギギギ───」

  後ろのほうから不思議な声が聞こえた。 とっさに振り向くと、少し離れた辺りを散策していた仲間の一人が小さな鳥から猛攻撃を受けていた。 彼の頭上すれすれを3羽の鳥がくるくると旋回しながら猛スピードで飛んでいる。翼はグレー、体は白、頭は黒い帽子をかぶっているかのようで、くちばしは燃えるような赤。 空中で巧みに上下左右、さまざまな方向にターンしながら、ヒラヒラヒラヒラとまるで舞うような飛び方をしている。

  あぁ、ついに間近で会えた。

  そう、それがいつも部屋の窓から双眼鏡でながめていた鳥、キョクアジサシだった。 襲われている仲間には悪いのだが、私はしばらくそのキョクアジサシが空をひらひらと舞う光景に見とれていた。

  なんて美しいのだろう……。

 キョクアジサシが宙で急旋回するたびに、斜めから差し込む太陽で白い体が反射し、青く澄んだ白夜の空を背景にキラキラと輝いていた。 北極に来て、このキョクアジサシが一番会いたい鳥だった。 今、ここ北極はまさに夏を迎えており、このキョクアジサシもちょうど繁殖のシーズンで、ここにやって来ているのだ。

 初めてキョクアジサシという鳥の存在を知ったのは、私が初めて南極に行く約1年半前だったろうか。 そして、その話を聞いて心から驚き、心から感動したのを覚えている。 このキョクアジサシ、北極で繁殖するものは北半球が夏の間に北極に行って子育てをし、子育てを終えると、その後、夏を迎える南半球のずっと果て、なんと南極まで渡りをするというのだ。 そしてまた、南極の夏の終わりとともに、再び北極を目指して渡りをする。

 

 

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◇◆ 南極から北極まで旅する鳥 =3/3 = ◇◆

 この地球上の果てから果て、南極から北極まで旅をする鳥がいるなんて…………信じられない、どんな鳥なのだろう。

  それ以来、私はキョクアジサシのことが気になってしかたがなかった。 いま自分が東京で地下鉄に乗り、首都高の下をくぐって、いつもの商店街を自転車で通り過ぎているこの瞬間、キョクアジサシは大海原をヒラヒラと舞いながら南極から北極への旅を続けているのだろう。

 そこに圧倒的な生命の輝きというか、凄まじさ、そして自分が生きているこの地球の果てしなさや限りない広がりのようなものを感じ、体の中をフッと風が突き抜けたような気がした。 キョクアジサシがこんなにも小さな体で大空を飛び、信じられないほどの長距離を旅してこの北極の大地にやって来ている。
 ちょうど3か月前、南極の夏の終わりとともに私は南極から戻って来て、まさに今、北極の夏の始まりとともに、ここにやって来た。 私はこのキョクアジサシにほんの少しだけ自分の姿を重ね、なんだか妙な親近感を覚えていた。 

 一緒に来ていた仲間は相変わらずキョクアジサシに威嚇され続けている。ちょうど抱卵中、もしくはすでにヒナが生まれているのだろう。 だからこの時期、親鳥はかなりナーバスになっているのだ。

 あまり近づきすぎないようになるべく気配を消して、彼がキョクアジサシの攻撃を受けている横を通って行こうとしたそのとき、ふと地面にある岩陰で何かが動いたような気がした。 目を凝らしてみると、岩と岩の隙間、コケの上にふわふわの丸い毛玉のようなものが2つ。 大きさは5cmくらいで、薄い茶色にグレー、黒い斑点、白い腹、ふわふわの体にオレンジがかった赤くて細長いくちばしと脚が付いている。

 なんとそれは、可愛らしくぴったりと体を寄せ合いながら座る、2羽のキョクアジサシのヒナだった。

 自分でもよく気がついたものだと驚いた。 キョクアジサシの攻撃を避けようと少し身をかがめてそこを通ったから偶然目に留まっただけで、普通ならば見過ごしてしまうだろう。


 それにしても、周囲の岩とコケに驚くほどに紛れ込んでいる。 ふわふわで小さな体、黒いつぶらな瞳がとても愛らしい。 だいたい、鳥のヒナというものはあまり鮮やかな色をしていないものだが、彼らのくちばしは赤く鮮やかで、すでに細長いフォルムをしている。図鑑でも見たことがなかった私にでもすぐにキョクアジサシのヒナだとわかるほどに、誕生して間もない、こんなにも小さなころから、彼らはすっかり自分がキョクアジサシであるという雰囲気を醸し出していた。

 彼らは、これから北極の短い夏が終わりを告げるまでの1〜2か月で大きく成長し、きっと地球の果てから果てへの長い長い旅に出かけるのだろう。

 ツンドラの原野の中、まるでその存在を隠すように、ポツンと岩陰に寄り添いたたずんでいるこのかすかな2つの生命は、この風景をより深く、より一層広がりあるものにしていた。

 小屋への帰り道、グースの親子に出会った。 子どもたちはまだ小さいのに、海の上をスイスイと泳いでいる。 順々に海からあがり、みんなで仲良くコケや草をついばみながらゆっくりと原野を歩いていった。 丘を登りながら海をながめると、大きな羽音をさせてケワタガモの群れが飛んでゆくのが見えた。 もうすぐ23時になろうとしているが、辺りはまだまだ明るい。 これからみな巣に帰るのだろうか。

 そのとき、なんだか分からないが不思議な感覚に陥った。 これまで決して訪れたことがない場所で起きている目の前のなんでもない光景。 それなのに、いつだったか、この目の前の光景をどこかで見たような気がした。 その光景は、なぜか私の記憶の中の小さな扉をコンコンと叩いていた。

 しばし立ち止まって考えると、私はハッとして、それが何であるかを思い出した。 それは、子どもの頃に夢中になって見ていたアニメ「ニルスのふしぎな旅」で繰り広げられていたシーンだった。 いたずらをしたために妖精によって小さくされてしまった主人公のニルスが、グースの背中に乗って、その群れと一緒に旅をする。 そのとき画面に映っていたのはたしか、氷河で削られた山々とツンドラの大地、そしてその上空をグースの群れが悠々と飛んでいく……そんな絵だった。

 小屋がある丘の上まで登り切ると、眼下にはさっきまでキョクアジサシとアザラシを見ていた海岸がすべて見渡せた。 山のほうにはいつのまにか低い雲が立ちこめている。
 北極の夏の夜、心地よい風に吹かれながら、ツンドラの原野と山を見ていると、低く鈍い、大きな音をたてて、グースの群れがどこかへ飛んでいった。

 

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現代の探検家《田邊優貴子》 =81=

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◇◆ 季節の在り処 = 1/3= ◇◆

 北極の短い夏がもうすぐ終わりを告げようとしていた。日に日に太陽の高度が下がってきている。太陽はまだ沈まないが、深夜になると山々が赤みを帯びた色に染まる光景に変わってきた。 ニーオルスンに来て1か月が経とうとしている。調査もほとんど終わり、もうあと数日でここを後にしなければならない。

  クロワッサンとホットチョコレート。朝食をすませて食堂の外に出ると、なにやら辺りが騒然としていた。 低い雲なのか霧なのかわからない灰色のベールが微かに立ちこめた空に、20羽くらいいるだろうか。 キョクアジサシの群れが渦を巻くように、ある一点を集中的に旋回している。 賑やかな鳴き声がそこら中に響きわたり、その様子はまるで空中に立ち上る竜巻のようだった。

  何事だろう? 近寄ってみると、竜巻の下にはホッキョクギツネの姿があった。 餌を探しに、キョクアジサシの巣の周辺をうろついているのだろう。 せっかく大きくなってきたヒナを守ろうと必死のキョクアジサシたち。しかし、そんなキョクアジサシの束になった猛攻撃にもひるむことなく、こんなことは日常茶飯事と言わんばかりにホッキョクギツネは飄々と、お目当てのヒナを探している。

  その様子をしばらく見ていると、どうやら諦めたのか、少し身の危険を感じたのか、ホッキョクギツネはその場を去っていった。  そこから村の中心部へ向かってなんとなく散策していると、今はどこの国も使っていない小屋の玄関の前に、ホッキョクギツネがたたずんでいた。さっきのキツネだろうか。

  少し離れたところからその姿を見ていると、小屋の玄関の下で何かがひっきりなしに動いている。 それは突然飛び出してくると、玄関の上に元気よく駆け上がっていった。3匹のホッキョクギツネの子どもたちだった。もうかなり成長しているのだろう、親ギツネの3分の2くらいの大きさになっている。 しかしまだまだ表情は幼く、親ギツネにくっついたり、子どもたち同士で駆けまわったり、じゃれ合ったり、無邪気に遊んでいる。 

  ふわふわの柔らかそうな毛に、雲の切れ間から斜めに差し込む朝の光が当たり、輪郭が浮かび上がっていた。 親ギツネは穏やかな表情でそれを見守っている。 もうすぐ夏は終わり、巣立つときが近づいている。

  小屋の奥には大きな水たまりが見えた。 おそらく、そのほとりがねぐらになっているのだろう、100羽ほどのグース親子の群れが集まっている。 その向こうには、海を挟んで氷河がドンと海に落ちこんでいる。 水たまりがキラキラと光輝いていた。

  小屋に帰り、少しずつ荷物の整理と片づけをしていると、低く垂れ下がっていた灰色のベールがすっかりどこかへ消えてなくなり、雲ひとつない青空が広がった。 ここ最近は、霧や曇りだったり、小雨が降ったり、風が強く吹いている日が続いていた。 朝のうちに天候が良くても、午後からは雲に覆われることも多く、気温も少しずつ下がってきている。

  今日は一日中、せめて夕方までは確実に快晴が続くだろう。 もうこんな好天の日はないかもしれない。 私にはどうしても行ってみたい場所があったが、一日がかりになってしまうため、なかなか行けずにいた。 

   片道3時間、小屋から海岸沿いに西北西へ歩いたところ、半島の先端近くにそれはあった。 バードクリフと呼ばれる断崖絶壁。 パフィンやウミガラス、シロカモメなど、さまざまな海鳥の一大営巣地になっている場所だ。 しかも、そのバードクリフの真下には信じられないほど緑鮮やかでフカフカの草原が広がっていて、小屋の目の前に広がる東ブレッガー氷河後退域のツンドラには棲息していない種類の花も咲いているという話だった。

  「今日しかない!」  「うん、そうだね。 行ってみよう!」

   同じくバードクリフに行く機会をうかがっていた仲間と二人で出かけることにした。 私たちは紅茶を入れたテルモスの水筒に、チョコレート、防寒着、GPS、双眼鏡、カメラのレンズをザックに詰めこみ、ライフルを持って外へ出かけた。

   小屋の外へ出ると、まぶしい太陽が目に飛びこんできた。 やわらかな風が吹いている。 屋根の上からユキホオジロのさえずる声が聞こえてきた。 ヒナはもう、だいぶ大きくなっているのだろうか。

   小屋から西へ向かい、川を渡り、海岸を見下ろしながら歩いてゆく。 1か月前にあんなにも咲き乱れていたチョウノスケソウもすっかり輝きを失い、白い花びらはほとんど見当たらなくなった。 まるで閃光のように咲きほこり、短い夏とともに終わっていく。   

  周りの雄大な景色にばかり気を取られていると、たぶん気づかずに通り過ぎてしまう。 そんな、ともすると見過ごしてしまいそうなほどに小さく足下に咲いている花で、もうすぐ夏が終わることを、確実に時間が流れていることを、季節が移り変わっていることをはっきりと実感する。

  起伏を越えると、トナカイの親子が地面に顔をつけて植物をムシャムシャと食べている姿が見えてきた。 親子はずっと寄り添って餌を探し、ひたすらに食べながら歩いている。近くを通ろうとすると、子どもが口をモグモグさせながら不思議そうにこちらを向いた。 その口の周りには黄、白、緑、オレンジ、色とりどりの花や葉がくっついていて、とても微笑ましくてついつい吹き出してしまった。

 

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◇◆ 季節の在り処 = 2/3= ◇◆

 そんなトナカイ親子の様子を見ながら、ふと、1週間前まで滞在していた仲間の研究者の話を思い出した。 彼はチョウノスケソウの成長や一日の花の動きを観察するために、チョウノスケソウの花畑がある斜面に定点カメラを設置してインターバル撮影をしていた。 

約2週間撮影したデータを後でパソコンに取り込んで画像を確認したところ、途中、満開の花畑の中にトナカイが写りこんで、その次の画像では辺り一面に咲き乱れていたはずのチョウノスケソウが完全に消えてなくなっていたということだった。 

「いや〜、トナカイに全部食べられちゃいましたよー……」 残念そうに事の顛末を話す彼には申し訳なかったのだが、トナカイの行動を想像すると可笑しくて、みな笑ってしまったのだった。

 確かにツンドラを歩いていると、トナカイが通ったあとには美しい花畑がすっかり消え去っているのをよく見る。 とは言っても、この広い原野の中で、よりによってカメラを設置した場所にトナカイがピッタリとやってきて、しかも撮影対象物をきれいさっぱり食べてしまうとは、設置した本人もさすがに予想しなかったのだろう。 けれど、観察するのにもってこいの立派な花畑だなと人間が感じる場所は、きっとトナカイの目から見ても魅力的で美味しそうな花畑なのかもしれない。

 トナカイ親子に出会ってから海岸線を歩くこと約1時間半。 ついに、目指していたバードクリフと呼ばれる断崖絶壁が見えてきた。 よく目を凝らしてみると、その断崖と海の間を行き交う海鳥の姿が無数に見える。 期待がどんどん高まり、私たちは足早に歩いていった。

 近づくにつれ、足の裏から伝わるツンドラのカーペットの感触がよりフカフカに、より鮮やかな黄緑色になっていく。 その中には、小屋の周辺では見たことのない、黄色いキンポウゲや可憐な花がいくつも咲いていた。 昼下がりの太陽がちょうど崖のほうから差しこみ、逆光で黄緑色が艶々と反射していた。 時折、もう成鳥と同じくらいの大きさにまで育ったユキホオジロのヒナが岩と岩の間を歩きまわっているのが見える。 フワフワの羽毛が少し抜け落ちて、その下から成鳥の羽が見え始めていた。

 断崖絶壁の真下までは、その断崖よりはやや緩やかな斜面になっている。 恐らく海鳥たちが営巣しているのは切り立った崖になっている部分だろう。 その下まではすんなりと登れそうに見えた。 が、いざ断崖の直下まで近づいてみると、比較的緩やかそうに見えたその斜面は、意外と急勾配であることがわかった。 

鮮やかな緑色をしたコケがところどころに張りつくように生えていて、足をかけると今にも岩が崩れてしまいそうな雰囲気だったので、私たちは背中に担いでいたザックをその場で下ろし、空身で斜面を登ってみることにした。 恐る恐る登っていったが、フカフカの分厚いコケのマットが岩と岩の隙間にしっかりと生えているおかげでクッションのようになり、想像したほど危険というわけでもなさそうだった。 しかし、いつ崩れてもおかしくないので、コケのクッションに足をかけて、両手で岩をしっかりとつかみ、這いつくばるように登っていった。

 やっとのことで崖の真下まで到達したところで、少し平らになったコケのクッションの上に腰を下ろし、崖を背にして一息ついた。 さっきまで近くに見えていた海が、眼下遠くに見わたせた。海から吹いてくる風が汗ばんだ体に心地いい。 そのままコケの上に寝そべると、潮の薫りとツンドラの草が混じりあったいい匂いがした。

 眩しい青空を見上げ、幸福感に満たされてボーッとしていると、突如、真横から鈍い風切り音が聞こえた。 驚いてそちらを向くと、真っ白い大きなカモメの姿がすぐ目の前に飛びこんで来た。 距離にしてほんの1〜2メートルほどだろうか、手を伸ばせば届きそうだった。 眼がギョロッと動き、目と目が合った。私はその野生の鋭い目つきに、身動きが取れず体が硬直した。シロカモメはそのまま何事もなかったように、風に乗って通り過ぎていった。

 それは、高い大空を悠々と羽ばたくシロカモメと同じ目線になった瞬間だった。まるで自分も空に生きる生き物になれたような気がして、たまらなく感動した。

 感動覚めやらぬまま、座りこんでキラキラ輝く海を見ていると、上空に海鳥の群れが数多くいるのに気づいた。 その様子をじっと観察していると、ひときわ不器用に一生懸命翼をばたつかせている鳥が何羽かいるのが目に留まった。 なんて飛び方の下手な鳥だろう。

  しばらくすると、その鳥がバタバタとこちら側に向かって羽ばたいてきた。 近づいてくるにつれて、その姿が鮮明になった。 くちばしと足が鮮やかなオレンジ、口元にはハート形をした真っ黄色の飾り、体は白と黒。なんとも派手で、飛ぶのが下手なその鳥の正体はパフィンだった。

 崖を目指して一直線に飛んで来たパフィンは着陸しようとした。 が、その瞬間、うまく着地できず、体勢を崩しそうになりながら方向転換してまた海に向かって一目散に飛んでいった。 そしてバタバタと羽ばたきながらなんとか海まで行くと、また旋回して、こちらに向かって来た。 今度こそ無事に着陸成功……するかと思いきや、またもや失敗し海に向かっていった。

この一連の行動を3回ほど繰り返し、やっとのことでパフィンは崖への着陸に成功したのだった。 そのあまりに滑稽で可笑しい行動の一部始終に、私は崖の真下で笑い転げてしまった。

 

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◇◆ 季節の在り処 = 3/3= ◇◆

  私たちはパフィンが着陸成功した辺りまで移動してみることにした。 そしてその場に寝転がって真上の崖を見上げてみて、驚いた。 その崖の岩の隙間には、頂上まで何層にも連なってパフィンたちが営巣している姿があった。 それはまるで6〜7階建てのマンションのようで、ちょうど頭上に見える範囲だけでも、ところ狭しと各階に1〜3羽のパフィンが棲んでいるのだった。 すると、ちょうど海側からまた1羽のパフィンが戻って来て、よりによってすでに3羽もいる場所に着陸しようとしたのである。 3羽はザワつきだし、なんだか慌てているように見えた。

  どう考えてもあのスペースには入らない、ただでさえ着陸が下手なのに……。 見ている私までハラハラと心配になって、これから襲いくる恐怖に脅える3羽の気持ちを察した。 案の定、海から飛んで来たパフィンは、すでにいた3羽のうちの1羽にぶつかり、背中にアタックする格好になってそのままゴロンと転んだ。 その瞬間、私は大声を上げてその場で大笑いしてしまった。しかも、新しくやって来たパフィンはそのまま、まるで何事もなかったかのように、その窮屈な場所にぎゅうぎゅう詰めになって居座ってしまったのだから、余計に可笑しい。

 必死で大真面目な彼らを笑うのは失礼かもしれない。 けれど、なんだか間抜けなその行動に、出会ってわずかな時間しか経っていないにもかかわらず、強い愛着が湧いていた。  

 場所を移動してよくよく観察してみると、いたるところにパフィンの姿があった。 しかも、崖の頂上のある一角には数十羽もの姿が。 さらに頂上のわずか下の辺りには、よく見るとパフィンだけでなくヒメウミスズメが小さな岩の隙間に営巣している。 まさにその名の通り、ここはバードクリフ=鳥の断崖絶壁だった。 その光景はいつまでたっても飽きることはなく、しばらくのあいだ仰向けになって崖を見上げ、パフィンたちの様子を眺め続けた。 晴れ上がった青空を背景に、勢いよく飛び立ち、バタバタと戻ってくる何十羽ものパフィンを私たちは見送った。

  いつの間にか、海から吹きこむ風が徐々に強くなり始めていた。 夢中になっているうちに時間がたち、そろそろ帰路につかなければ夕食に間に合わない時刻に差しかかっていた。 名残惜しいが、私たちはこの場をあとにし、海岸線へ降りることにした。 登って来たときよりも、下りのほうが不安定なため、一歩一歩着実にコケをクッションにして感触を確かめるように慎重に下っていく。 ザックを置いていた場所まで戻り、すっかり冷えこんでしまった身体を温めるため、ザックからテルモスを出して紅茶を飲み、ヤッケの内側に薄手のダウンを着込んだ。
 辺り一面、相変わらず鮮やかな黄緑色のツンドラカーペットがキラキラと輝いている。 そんな黄緑色の景色の中、振り返ると、背後には岩肌が剥き出しになったバードクリフが険しく切り立っていた 。風がツンドラを吹き抜け、キンポウゲの花を大きく揺らしていた。

  小屋に戻った私は、夕食をとったあともしばらくのあいだ、今日出会った数々の出来事でなかなか興奮が冷めずにいた。 いつの間にか、さっきまでの快晴が嘘のように、窓の外に見える景色がすっぽりと雲に覆われている。 

 あと数日で、ここを離れなければならない。 日に日に太陽高度は下がり、少しずつ気温は低下している。 そこら中に咲き誇っていた花畑も今やほとんどが枯れてしまい、芽吹きたてだったキョクチヤナギの濃い緑の葉も黄色くなっている。 深夜にはほんのりオレンジ色を帯びた空になり、頬を撫でるように柔らかく吹いていた風はもはやどこにも見当たらない。 あんなに小さかったトナカイやグースの子どもはすっかり大きく成長し、あと少したてば一人前になるのだろう。

 この山々と氷河とツンドラの大地の中ではほんの点でしかない生き物たちだが、それによって、この世界が持つ広がりがより一層際立っていた。 そして、このあまりにも短すぎる夏の瞬間瞬間に生を営んでいる彼らから、とてつもなく強い命の佇まいと閃光のような煌めきを感じるのだ。 子どもの頃に見た極北の映像になぜか目が釘づけになったのは、そんな世界の広がりや果てしなさ、生き物たちが発する煌めき、季節そのもの、そんなことに対してだったのかもしれない。

  子どもの頃から憧れ続け、21歳の時に初めて実際に目の当たりにした極北の大地とそこで過ごした日々のこと。 このツンドラの大地に降り立ったときに感じた、“やっと来ることができた”という気持ち。 ここスヴァールバルでの1か月間は、そんなこれまでのできごとや気持ちをよみがえらせ、再確認させてくれた。 今は、もうここを去らなければならないことが無性に寂しく、名残惜しいのだった。

  出発の日、天候に恵まれ、予定通りセスナ機はニーオルスンに飛んで来た。 この日、ついに私は極北の大地をあとにした。  1週間後、ニーオルスンにまだ残っている仲間から写真付きのEメールが届いた。  “こちらはもう雪が降って、辺り一面真っ白です”

  添付されていた写真に写っていたのは、私がいた1週間前とはすっかり様相が変わり白一色になった、いつも小屋から見ていたはずの景色だった。黄葉していたキョクチヤナギももうどこにも見当たらない。 極北の短い夏は完全に終わり、劇的に季節がめぐっていた。

 

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◇◆ 旅、旅、旅 = 1/3= ◇◆

 2010年11月も終わろうとしているある日のこと。 街路樹はすっかり落葉し、冷たい風が吹いていた。 もうすぐ冬がやってくる。立て続けに行った南極と北極での感覚がやっと抜け、東京の街の流れの速さにほんの少し慣れてきて、もとの暮らしに戻りつつある頃だった。

 三鷹の自宅へ帰ると、郵便受けに一枚の絵葉書が入っていた。 見慣れない切手。 消印には、“Jalalabad”という文字。 消印の日付を見ると、2か月近くも前に投函されていた。 アフガニスタンからの葉書……名前を見るまでもなく、私の頭の中に送り主の顔がすぐに浮かんだ。 それは高校時代からの親友。 彼女は10か月ほど前に、仕事でしばらく滞在していたスーダンからアフガニスタンに移り、そのままアフガニスタンで働いていた。

 ちょうど私が南極から日本への帰路についているさなか、砕氷船しらせの中で“アフガニスタンに行くことになった”というメールを受け取った。 南極から帰ったら、休暇をとってアフリカに会いに行く約束をしていたのだが、新しい行き先を見てさすがに会いに行くことはできないと知ったのだった。

  出会った頃、高校生だった私たちは、お互いに見知らぬ世界への漠然とした憧れを抱いていた。 高校を卒業し、私は京都、彼女は東京へ移り、二人とも大学の講義などそっちのけで、それぞれバックパックを背負って世界中を旅して回った。 一人で旅をすることもあれば、現地のどこかで待ち合わせて二人で旅をともにすることもよくあった。 彼女はアフリカやアジアの世界へ飛び込んでいった。 それは民族や社会、人間そのものへの興味だったのだろう。 そして私はカナダ、アラスカ、北欧……極北の大いなる自然に強く惹かれていった。

 惹かれる対象は違っていたが、そのころから二人とも求めていたものは同じで、今だってもしかするとあまり変わらないのかもしれない。 それは、私たちの現実である日常と並行して流れている他の何か、自分たちの心や存在そのものを動かし揺さぶるような絶対的な何か、確かな何か。 そんな、自分が今生きている日々の暮らしの中では決して見えてこないものごとが存在する世界を求めていたのだろう。

  私はアフガニスタンから2か月もかけて届いた葉書を読みながら、その親友とともに旅したペルーでのある夜のことを思い出していた。 それはもう15年前、私が19歳の夏だった。

 私たちはその旅の中で、ペルーとボリビアにまたがったアンデス山脈の中部、標高3800メートルほどに位置するチチカカ湖に浮かぶ小さな島を訪れ、あるケチュア族の島民の家に泊まることになった。 その夜、家の主人から「今夜は向こうの丘でお祭りをやっているから、見に行ってみたらどうだい?」と促され、私たちはその祭りを見に行くことにした。

  ロウソクを片手に部屋の扉を開け、外へ出たその瞬間、目の前に広がる光景に息を飲んだ。 月明かりもない真っ暗闇の中、天上に覆いかぶさる満天の星空がそこにあった。 それは、ここからそのまま別の星へ旅立ってゆけそうな近さで迫っていた。 言葉を失い、ただただ私はその場に立ち尽くした。 ふと隣を見ると、親友もまったく同じ状態で呆然と星空に見とれていた。

 島には電気は通っていない。 近くに大きな町もない。 そして標高は3800メートル。 しかもその日は新月だった。 恐ろしいほどの真っ暗闇の中、おぼつかない足取りで歩き出すと、前後左右上下の感覚がわからなくなりそうになる。 まるで宇宙に放り出されたような気分だった。

  遠くの丘の上から、祭りの音、村人や子どもたちの声が聞こえてくる。 ──そうだ。 そう言えば、祭りを見に行くんだった。

  「どうする? 行く?」   「いや、ここにいよう」 暗闇の中、私たちは地面に座り込み、その信じられないような星空を見続けることにした。

  ただ無言で星空を眺めて、1〜2時間も経ったろうか。 親友が小さな声でボソッと話した。 「インカ帝国の遺跡とか、インカ道とか、ケチュア族の暮らしとか、古い町並みとか、いろいろすごいものを見てきたよね……でも、今回の旅の中で、何よりもこの星空に一番感動したよ」
  私もまったく同じ感覚だった。 生まれてから19年間。 ほとんどの時間を青森で過ごし、高校卒業後に暮らしはじめた京都でごく普通の大学生だった私にとって、その旅で出会ったのは本当に真新しい出来事、風景ばかりで、毎日が驚きや感動の連続だった。 日々嬉しくて、面白くて、興奮して、ワクワクして、あっという間に3週間が過ぎていった。 それでも、今目の前に広がる、信じられないほど無数の星がまたたくこの空にかなうものは何もなかった。 こんなにも心が震えることはなかったのだ。

 

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◇◆ 旅、旅、旅 = 2/3= ◇◆

 いまだにその光景は色あせることなく心に残っている。 あれから、アラスカ、カナダ、南極、さまざまな場所で満天の星空を目の当たりにした。 けれど、私の中で一番の星空は、やはり、あの夜の、チチカカ湖の島で見た星空だ。 南極や極北の地で見た星空にくらべれば本当のところ星々の明るさや数では劣るのかもしれないが、あの星空は私にとって大切なことを初めてはっきりと気づかせてくれた空なのだ。 

大いなる自然へのひれ伏すような心の震え。 今となってはもう当たり前で、とても単純なことでしかない感覚なのだが、あのとき、あの星空によって、私という人間を知ることができたような気がするのだ。

 ペルーから京都に戻ると、大学生としてのいつもの日常が待っていた。 あの旅のことを周りの友人たちにどんなふうに伝えていいのか、自分の中でどう吸収していいのか、いろいろ考えたのだが、無理だった。 結局、核心の部分は何も話すことができなかった。

 どこかに違和感を抱えながら大学のキャンパスを歩き、アルバイトでお金を貯め、時間を作ってはバックパックで旅をする。 そうやって時間が流れていった。 ペルーであの星空に出会ってからというもの、私の旅はもっぱら大きな自然を求めるものばかりになっていった。 大学4年になるころ、周りの友人たちは研究室に入り、卒業論文や就職活動に忙しそうだった。

 そんな中、私は大学を一年間休学することに決めた。 将来どうしたいのか何も見えないのに、このまま流されるように進んではいけないような気がしていた。 何よりも、私にはどうしても行きたいところがあった。 いつか絶対に行きたい、そう思い続けながら機会を逸してなかなか行けずにいた場所。 そこへ行ったからといって何があるわけでもない、確固たる何かを求めていたわけでもない。しかし、今、行かなければならないことだけはわかっていた。

 それが、アラスカだった。 小学生の頃、家でテレビを観ていた私は、突然流れ始めた映像に目が釘づけになった。 映っていたのは、夜空をゆらゆらと舞う神秘的なオーロラ、氷河とクジラの海、真っ白で険しい山々、ツンドラの原野、蛇行する川、そこに生きるグリズリー、カリブー、ドールシープ……。

 何の番組だったのかは覚えていない。 ただ、とにかくいても立ってもいられない気持ちになったのをよく覚えている。 それからというもの、近所の草むらで遊んでいても、フッと風が吹くだけで胸がワクワクした。 風が吹いて草がなびくと、その風をつかまえようと夢中で走って追いかけた。

 “この風はどこからやって来たんだろう? もしかしたら遠いどこかの国、いや、もっともっと遠い地球の果てで生まれてやってきた風なのかもしれない。 あのオーロラが空で揺れているとき、もしかしたらまさにその瞬間、この風はそこで生まれたのかもしれない” そんなことを思うようになった。

 とにかく、あの映像との出会いは、子どもながらに世界の広がりと時間の流れというものを初めて意識した出来事だったように思う。 大学を休学した私は、約8か月間ひたすらアルバイトをしてアラスカ行きの費用を貯めた。 その間も、旅の計画を練っては胸がザワザワするのを感じた。 はっきりとした行き先はなかなか定まらなかったが、出発時期だけはすぐに決まった。

 冬がいい。 12月になったら出発しよう。そして、まずはカナダのロッキー山脈辺りに行って、それからアラスカのブルックス山脈の周辺に行こう。 2000年12月、ついに私は日本を出発した。 不安なことなど何ひとつなく、これから向かおうとしている世界にただ胸を躍らせていた。 とにかく出発すること、それだけだった。 21歳の冬、もうあと数日で22歳になろうとする頃だった。

  まずカナダに入った私は、ロッキー山脈の麓の小さな町に滞在しながら旅をしてまわった。 気温はマイナス30℃まで下がり、すぐに夜が訪れる。 吐いた息ですぐに髪の毛が凍りつく、キンとした空気が漂っている世界だった。 山間部には、いくつもの氷河と湖があり、どの湖も分厚い氷で覆われていた。

 ある静かな夜、湖の氷の上に立つと、その氷が驚くほどどこまでも透明なことに気づいた。 足下をのぞくと、湖底に沈んでいる倒木や枯れ葉……分厚い透明な氷の下にある水中の世界がはっきりと見えた。 月の光が足下で柔らかく反射し、まるで自分が水の上に浮かんでいるような錯覚に陥った。 天上には満月が上がっていた。

 月夜の凍りついた静けさ。 山々は雪のベールで覆われ、湖の中の世界は氷づけにされている。 動くものは自分以外何ひとつない。 なんて美しいのだろう。 あまりにも神秘的で、時が止まったかのような夜だった。

 

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◇◆ 旅、旅、旅 = 3/3= ◇◆

  1月になり、ついにアラスカへ旅立つことにした。 バンクーバー空港からアンカレッジへ向かう飛行機の中、私はずっと窓ガラスに顔を押し付けて外の風景を見ていた。 眼下には、竜の背中のようなゴツゴツとしたロッキー山脈がどこまでも広がっている。

 雲が徐々に増え、いつのまにか機体の真下はすっぽりと雲に覆われてしまった。 すると、突如、その雲を大きく突き抜けて赤く輝く山が見えてきた。 それこそが、かの有名な山、マッキンリーだった。太陽高度がどんどん低下し、雲はオレンジ色とピンク色に染め上げられた。

 いつかテレビで観た映像と目の前の風景がオーバーラップし、私はどうしていいかわからない思いで見つめていた。 その後すぐ、飛行機はアンカレッジ空港に到着した。 アラスカに降り立つと、すぐにブルックス山脈の周辺を目指した。なんとか人口50人ほどの小さな村へたどり着き、その村にしばらく滞在させてもらえることになった。 ちょうど北極圏に入った辺りに位置している村だった。

 果てしなく広がる雪原に、まばらに生える針葉樹林。 大きくそびえ立つブルックス山脈の峰々は分厚い雪に包み込まれている。 昼間になると辺りはピンク色の光で染まり、すぐに暗い夜がやって来る。 そして、夜になると気温はマイナス45℃まで下がる。 そこは一日のほとんどが夜に支配される世界だった。 ずっとずっと憧れ続けていた世界が、まさにそこにあった。

 私がその村を目ざした理由のひとつは、オーロラだった。 その村はオーロラ帯の真下の山麓に位置し、町からもはるか遠く離れ、周囲から隔てられている。絶対に素晴らしいオーロラが見える確率が高いと思っていた。 私は映像でしか観たことのないオーロラを、どうしても自分の目で見てみたかった。

 それも、町の中ではなく、真っ暗な原野の中で、とびっきりのものを見たい……そう考えたのだ。

 しかし、毎晩のように待ってもなかなか見ることができずに時間は過ぎていった。 ある快晴の夜、今日こそはと祈るような思いで私は空を見上げていた。 真っ暗闇の中、天上には無数の星。北極星はほぼ真上に瞬いている。 こんな快晴の日は今までになかった。 足下からどんどん体温が奪われ、痛いほどの冷たさが伝わってくる。 フェイスマスクを外して直接空気を吸うと、鼻と肺が痛い。 時折吹く小さな風がわずかに木々を揺らし、かすかな音が聞こえる。

 やがてすっかり風は止み、木々が揺れる音も闇の中に消えていった。空 ににじんでいる星の光さえも凍りつき、今にも落ちてきそうな夜だった。 じっと見つめていた北極星の横に、ぼんやりとした細長い煙のような雲が現れ、やがて緑色の光となって揺らめき始めた。 それはゆらゆらと、ゆっくり形を変えながら上空いっぱいに広がっていった。

  「わあ───っ!」 初めて見たオーロラだった。 無意識に声が出て、寒さも忘れ、私は雪原の上に寝転んだ。 オーロラはみるみる輝きを増し、激しく形を変えながら一瞬にして全天を覆ってしまった。 オーロラの光で針葉樹林のシルエットが浮かび上がり、一瞬燃えるような強い光に変わると、周囲の山々が緑色に染まった。 不気味なほどの静寂の中、空から音が聞こえてくるような気がした。

 私の鼓動は速くなり、もはや言葉も失っていた。気がつくと涙がにじんでいた。 この旅を、最後の長期バックパックの旅にするつもりだった。 学部を卒業すれば、もうこんな旅はできなくなるだろう。 だからこそ1年間休学をして、念願だった極北の地へ旅をすることに決めたのである。 大学の4年間、さまざまな旅をしてきたが、これほどまですべての物事に心が震え続けた旅はなかった。 最後の旅としては最高の締めくくりだった。

  京都に戻った私はそのまま大学院に進学し、研究者を志し始めた。 しかし、研究室での毎日に追われながらも、心の片隅にはいつもどこかにあのアラスカでの日々があった。 冬の寒い朝、大学までの道を歩いているとき、実験室で作業をしているとき、研究室の窓から見える空が夕焼けのオレンジ色に染まったとき。 アラスカのほんのりピンク色に染め上げられた雪の世界と、オーロラがゆらゆら舞う夜空を想った。 それだけで世界が果てしなく無限に広がるように感じ、日に日に思いは募っていった。

  2003年8月、私はアラスカ行きの飛行機に再び乗りこんでいた。 もはやじっとしていられない。 もう一度行きたい。 ただそれだけだった。 それは24歳の夏。 あれから2年が経っていた。

 

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◇◆ 旅に出る理由 = 1/4= ◇◆

  2003年8月、アンカレッジ空港に到着した私は、2年前とはまったく違う風景に驚いていた。 あんなにも白いベールで覆われ、夜が支配していた世界はどこにもない。 季節は夏。 町も人々も木々もすべて活気に満ちていた。

 到着した翌日、アンカレッジのスーパーマーケットで食糧を買い込み、旅の準備をして、私はプリンスウィリアム湾へ向かった。 まずはカヤックで氷河の海を旅することにしていたのだ。 プリンスウィリアム湾に到着すると、あいにくの天候だった。

 どんよりとした空、鏡のようにピタッと止まった海。 氷河で削られた急峻な山々が連なり、いくつもの氷河が海に落ち込んでいる。海の上にはいくつもの氷山が浮かび、低く垂れ込めた霧のような雲のようなベールが、まるで生き物のように姿を変えながら山と氷山の間を動いていく。  少し湿気を帯びた空気、不気味な静けさが漂っていた。

 カヤックを海に浮かべ、ゆっくりと漕ぎ出した。 静寂のなか、聞こえるのはカヤックのオールで水を漕ぐ音だけ。 時折、カヤックの横にアザラシが顔を出し不思議そうについてくる。

 徐々に奥へ進み、小さな氷山が無数に浮いている入り江に入っていった。 吸い込まれそうなほど青い色をした氷山と氷山の間を通ろうとしたそのとき、不意に上空から静けさを切る音が聞こえてきた。 バサーッ バサーーッ 大きくて黄色の鋭いくちばし、悠然と黒い翼を広げて羽ばたく、白い頭をした一羽の鳥。 その鳥は目の前の氷山の上にスッと降り立った。 翼を折りたたみ、すべてを見透かすような鋭い目でじっと私を見下ろしていた。 

(ハクトウワシ……) 写真でしか見たことのないその鳥の名前を私は心の中でつぶやいた。 その氷山に近づくと、すぐにハクトウワシは飛び立ち、頭上を通り過ぎてどこかへ消えていった。

 カヤックの旅を終えた私は、デナリ国立公園に向かった。 そこにはツンドラの原野がどこまでも果てしなく広がり、いくつもの蛇行した川が流れている。 短い極北の夏はそろそろ終わりに近づき、もう紅葉が始まる、そんな季節だった。 私は、一瞬でその世界に心奪われてしまった。

 気の遠くなるような広がりのなか、毎日原野を歩き、真っ赤に熟した甘いブルーベリーを食べた。 人の気配がまったくない川べりにたたずみ、キラキラと光りながら流れる水面(みなも)をただ眺めた。 小高い丘に登り、頭上に吹く夏の終わりの風を感じながら、眼下に広がるツンドラの絨毯といくつもの湖沼や川を一日中、見続けた。 22時を過ぎて太陽がやっと沈み、短い夜が来ると、たき火をして暖まった。

 いつものようにふかふかのツンドラのカーペットを歩き、ワンダーレイクという湖の畔まで向かっていたある日、私は起伏の向こうに動く茶色いものを見つけた。 距離にして200メートルほど。  瞬時に緊張が走った。 恐らく親子だろう、2頭のグリズリーだった。

 極北の原野で生を営む野生のグリズリーに初めて出会った。 あの小学生のときに観た映像のなかでも、ひときわ強烈な存在だった。 それ以来、ずっと会いたかった。とてもとても会いたかった。 2頭のグリズリーは、必死にブルーベリーを枝ごと貪っている。  冬眠に向けて脂肪を蓄えているのだろう、その体はとても大きくまるまるとしていた。

 なんという存在感なのだろう。 彼らの姿をついに目前にすることができて、私のなかには緊張感とともに大きな感慨があった。

 9月に入り、ある朝、テントから顔を出すと、そこから見える光景に私は目を疑った。  たったの一晩で、世界の色がガラリと変わっていたのだ。 赤い……真っ赤だ…………。

 気温が低下し、急激に紅葉が進んでいたのである。  もはや昨日とはまったく違う。 ツンドラの原野は燃えるような赤い色になっていた。  またたく間に秋が訪れていた。
 ふと原野のはるか向こうに目を向けると、上空に真っ白な小さい雲が光り輝いていた。 周囲の雲とはまったく色が違う。なぜあの部分だけ……不思議に思ってじっと見つめていると、私は信じられないことに気づいた。

 その瞬間、体から頭に血がのぼるような感覚になった。 地平線よりはるか空高くに浮かんでいたその雲は、雲ではなく、なんとマッキンリーの一部だったのだ。 信じがたいほど高い位置にそれはあった。 しかも、山頂と他の部分は雲で覆われ、全貌が見えない。 つまり、見えているのは山頂の部分でさえもないのである。 私はもういても立ってもいられない、叫びだしたい気持ちだった。

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◇◆ 旅に出る理由 = 2/4= ◇◆

 それから私は、毎日のようにワンダーレイクとマッキンリーが見渡せる小高い山の上に登って、その全貌が現れるのを待ち続けた。 が、マッキンリーの山頂まですべてに雲がかからない日はなく、必ず山全体のどこかが雲のなかに隠れていた。 そして、あっという間に2週間が過ぎ、私はアラスカを発って帰国しなければならない日になってしまった。

 デナリ最後の日、ワンダーレイクの畔に座り込み、ピンクと紫に染まった透明な空と、真っ赤に染まった原野をただひたすら見続けた。 その光景は、いつまでたっても見飽きることはなかった。

 陽がだいぶ傾きだしたころ、ツンドラの起伏の中から一頭のムースが現れ、湖に入っていった。 脚の途中まで水のなかに浸かり、ムースはゆったりと水を飲み始めた。 あんなにも大きなムースが、その原野の広がりのなかではあまりにも小さかった。 その姿は、斜めから差し込む光でキラキラと反射していた。 燃えるような赤がどこまでも続く世界の中で、小さな小さなムースがこれまでより一層輝いて見えた。 時折頬をかすめる冷たい風が、もうすぐ冬が来ることを告げていた。

 このアラスカでの2週間、ずっと胸がザワザワし、ずっと心が震えていた。すべてが圧倒的だった。 音もなく静かな、けれど、体全体にほとばしるような衝撃を私は感じていた。 そこにはもう、理由や意味なんていうものは何もなかった。

 京都に戻ってからの私は、研究室で悶々とした日々を送っていた。 自分の将来など何もわからないままにアラスカへ行った2年半前のことをよく思い起こすようになった。 アラスカで見た風景、アラスカで感じた“理由なんてものはない”という感覚、心が震えたできごと。 自分の胸のなかにあったそれらがどんどん大きくなっていくのを日々感じていた。

 しかし、その気持ちが一体何なのかもわからず、どうしていいのかわからなかった。 その頃の私にはまだ、大学時代のバックパックの旅の数々や、アラスカで感じたことを、自分のなかに吸収して何かに換える土壌が出来上がっていなかったのかもしれない。 そのうち元の暮らしに戻り落ち着いていくのだろう。そう思っていた。

 今はなんとかこの現状を受け入れるように、自分に言い聞かせようとした。 どんどん大きくなる、そのよくわからない思いを必死に抑えつけた。 が、抑えれば抑えるほど、さまざまなことに対して純粋に感動できなくなり、世界を面白くないもののように感じるようになっていった。 それは、私にとってまるで心が凍ってしまったかのような日々だった。

 一年近く経った頃、私はある決心をした。 ──感動や情熱を抑え込むことをやめてみよう。 たったそれだけのことだが、私にとっては大きな決心だった。 そして、時間に追われている日々の生活のなか、それがいかに難しく大変なことかもよくわかっていた。 けれど、今、とにかくそうしなければいけない、それだけは確かなことだと思った。

 いつからか、私の頭の片隅には、常に生きることへの自問自答と、焦りに似た気持ちがあった。 それには、今はもう他界した母方の祖母のことが影響していた。

 母の実家へ遊びにいくと、祖母はいつも座っているか寝ている状態だった。 自由に立って歩くこともできなければ、箸や茶碗を持つこともできない。 話す言葉は不明瞭であまり聞き取ることができない。 もちろん笑った表情や雰囲気でなんとなく何を言っているのかはわかるのだが。

 物心ついた頃からそれがあたりまえの状態だった私にとって、特にその状況を不思議に思うことはなかった。 ただ、祖母は母が中学生の頃に“歩けなくなった”ということだけは話に聞いて知っていた。

 ある時、いつだったかよく覚えていないのだが、それが遺伝性の病であることを知った。 ふとしたときに「あれって何の病気なの?」と母に尋ねたのだと思う。

 病名は、脊髄小脳変性症。 運動神経にかかわる脊髄や小脳が変性する難病で、未だ根本的な治療法は見つかっていない。どうやら親から子へ、徐々に発病する確率は低下し、発症する年齢は上がり、症状は軽減する場合が多いらしい。

 それを聞いたとき、“もしかしたら、私もそのうち歩けなくなるのかもしれない”という思いが湧いた。 とは言え、そのときはたいした絶望感もなく、さほど気にはしていなかった。 が、そのうち、叔父たちの症状が悪化し、いつしか母にもその症状があらわれはじめ、徐々に生きるということへの虚無感のようなものと焦りが私につきまとうようになっていた。

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◇◆ 旅に出る理由 = 3/4= ◇◆

 生きるということは一体何なのかわかるはずもないが、そこにつながる何かがあるような気がして、大学時代からバックパックをかついでさまざまな国へ旅に出ていたのだと思う。 この世界のすべてのものに意味や理由を求めていた私にとって、アラスカで感じた“理由なんてない”という感覚はとてつもない衝撃で、そのときの心の震えは“今自分が生きていること”そのものであり、“これから自分が生きていくこと”へつながるものでもあった。

 感動や情熱を抑え込むことをやめてみよう、と決心することで、今の凍っている心をとかし、生きているという感覚を取り戻したかった。 そうしなければ、これから生きていけないような気がした。 そんなとき、さて、時間も何も気にせずに……と思った瞬間にふと出たのが、 “実家に自転車で帰ろうかな” という、なんてことのない考えだった。

 普通、研究室で日々実験や研究に勤しんでいたこの頃ならば、絶対に無理なことだった。 だから、“自転車で帰ろうかな”と思い浮かんだとしても、“いや、今は休めないからできないな”と、大小さまざまな理由を挙げて気持ちを抑え、行動を起こさなかっただろう。

 しかし、いつも通りここでこの気持ちを抑えてはいけない、色々な困難や面倒ごともあるが、そんなことを気にしていては動けない。 ただそんな思いで自分を激励し、力づけた。

 今になってその頃の日記を読み返すと、まるで自分への果たし状のような気負った文面に気恥ずかしい気持ちになる。 しかし、その頃の私にとって、その自転車の旅はそれほど大きな意味を持つものだったのである。 かくして、私は自転車で旅に出ることにした。

 何をするでもない、ただ自転車で京都から実家のある青森まで行く、それだけの旅。 2004年5月のよく晴れた朝、テントとシュラフ、ガスとコンロを積み込んで、私は自転車に乗り込んだ。 それは25歳、京都にはすでに初夏の薫りが漂っていた。

 朝早いうちに京都の自宅を出発し、すぐに私は汗だくになった。 いくつの峠を越えただろうか。 キラキラと輝く琵琶湖を横目に湖の西側を通り、すっかり暗くなった頃にやっと日本海が見えてきた。 敦賀の港に到着して、ひとまずその周辺で一日目の夜を迎えることにした。 寒くもなく暑くもない、風のない静かな夜。 目の前の日本海は不気味なほどに凪ぎ、ほんのり湿気を帯びた空気が漂っている。 

  今夜、私はどこに寝てもいい。 不安など何もなく、ただそれだけのことなのに、叫びだしたいほどの自由がそこにはあった。

 それから福井、富山、石川を通り、新潟へと進んでいった。 がむしゃらに進む日もあれば、のんびり進む日もあり、ぶらりと町や村や山、自動車の通れないような海沿いの崩れかけたトンネルに寄り道する日もあった。

 北上するにつれ、日に日に気温は低下し、京都を出発した頃には半袖だったのが、新潟の北部に差しかかる頃にはその上に長袖とレインジャケット、さらに山形に入ってからは中にフリースを着込んでいった。 その辺りから、道端に生えている草が急激に変わっていき、木々の緑も深い色から淡い色になっていった。 遠くに見える鳥海山の残雪が美しかった。 初夏の薫りなどどこにもない、東北はまだ春の真っ只中にあった。

 天気のいい日は海岸にたたずみ、日本海に沈んでゆく夕陽をいろんな場所で見た。新潟では入り組んだいくつもの厳しい峠を越えた。 山形では夜中に、小さな村の中心部にある足湯で温まり、村の人と話をしながら疲れを癒した。 秋田ではあまりの強風に、ペダルを漕いでも漕いでも進まなかったり、テントが飛ばされそうになったこともあった。 どしゃ降りの雨に打たれながら走ることもあった。

 そして京都を出発してから15日目、ついに秋田と青森の県境を示す看板が見えてきた。 快晴の空の下、国道101号線をゆっくりと走り、私はあまりの嬉しさに大声を上げながら県境を越えた。

 荒々しい岩に日本海の波が打ちつけ、背丈の低い草が海岸沿いで揺れていた。 そんな人を寄せつけないような風景がそこからしばらく続いていった。 1時間に自動車が1台通るかどうかで、民家も滅多にない。 波の音と風の音がただ聞こえている。妙に静かで妙に不気味な雰囲気が漂っていた。 自分の生まれ育った青森という土地。 それなのに、あまりにも殺風景なその雰囲気は、まるで地の果てにでも来たかのようだった。

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◇◆ 旅に出る理由 = 4/4= ◇◆

  さて、今日はどこに寝ようか。 無意識のうちに、夕方になると寝るのによさそうな場所を探しながら走る癖がついていた。 結局その日は海岸沿いで寝ることにした。 コンロを出し、数日前にスーパーで買ったウィンナーをコッヘルで焼き、おにぎりと一緒に食べた。

  目の前の日本海が荒々しく波の音を轟かせている。 海からの強い風が顔にまっすぐ吹きつけてくる。  空には雲一つない。 太陽が水平線にどんどん近づいていき、波で削られたゴツゴツの奇岩群が真っ赤に染まっていった。 その赤い大きな岩々に幾度も荒波がぶつかっては、砕けたしぶきを水平線に沈む夕陽がオレンジ色に染め上げていった。

 なんだか涙がこみ上げ、溢れそうになった。 目の前で繰り広げられている光景の美しさとともに、“私は生きている”という感覚が爆発したかのように押し寄せ、私の心を震わせていた。 そして、太陽は水平線の向こうへ消えてなくなり、一瞬のうちに世界は夜になった。 海からの風が強さを増してきた。

  翌朝8時、5月の澄みわたった空の下、私は勢いよくペダルを踏み、意気揚々と出発した。 福井に出てからずっと日本海沿いを走ってきたが、ついにこの日、進路を東へと転換させた。 懐かしい匂い。

 まだ頂上に雪を冠った岩木山がそびえ立つ津軽平野には、りんごの白い花がどこまでも咲き乱れていた。 午後4時過ぎ、とうとう実家に到着した。 自転車に乗って実家の庭に帰ってくるなんていうのは高校生以来のことだった。

  自転車に乗って京都を出発してからというもの、毎日、寝る場所を探し、テントをたて、朝昼晩の食事の心配をし、空を見上げては天候を読み、風の匂いと目の前に広がる風景から季節を知った。 いくつもの心震える風景、できごとに出会った。 私にとって、その一日一日が“生きている”ということを実感させるものだった。

  いつ歩けなくなるかわからない、という単なる漠然とした感覚が、いつの間にか自分の中ではっきりしたものに変わっていた。それは、自分の生きる時間が有限であるという実感だった。 そしてそのことはむしろ、生きていくことへの大きなパワーになりうるものだった。 心震えること、自分の持ち時間が限られていること、これらは私が生きる大きな原動力なのだとわかった。

  凍っていた心はすっかり融けきって、それどころか、これまで感じたことのないようなスーッとした気持ちが芽生えていた。 胸のなかがスッキリと晴れわたっていた。  “好きなことをしよう”  なんでもない、ただそれだけのことだった。

 ペルーで出会ったあの星空、エチオピアで見たオレンジ色の月の出、アラスカで出会ったいくつもの風景、出来事、急激に訪れた秋、生きものたちの輝き、人の気配のない世界、果てしない原野の広がり、雪と氷に覆われた世界……。


  いくつもの心震える光景が浮かんでは、どんどん強い光となって煌めき始めた。 “とてつもなく大きな自然とかかわって生きていこう。 そう、それも地球の果ての”

  それから一年後、私は東京へ引っ越すことになった。 京都の家を引き払い、友人たちに別れを告げて出発した。 東京へ向かう車のなか、ステレオにつなげたiPodから、くるりの「ハイウェイ」が流れてきた。 “僕が旅に出る理由はだいたい100個くらいあって……”  

   私は口ずさみ、これから始まる北極や南極での研究に胸を踊らせながら、自転車や引っ越しの荷物をいっぱいに詰めた車で高速道路を軽快に走っていった。

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◇◆ 水玉がはしゃぐ湖へ = 1/3= ◇◆

   「右30度の方向。 入り江からすぐの白いのと緑色のが建ってる、その砂地です」   「了解」 

 ノルウェー語で“口ひげ”という意味の“シェッゲ”という名の付いた、海から垂直に400メートルの高さに切り立った岩壁の目の前をギリギリに飛行し、南極観測船しらせの大型ヘリコプターCH101は進路を右にとった。

 目的地は“きざはし浜小屋”。 昭和基地の南に広がる宗谷海岸沿いにいくつか点在する露岩域の一つ、スカルブスネス露岩域のきざはし浜にその小屋は建っている。 昭和基地のおよそ60km南に位置し、この周辺ではもっとも大きな面積を持った露岩域だ。

 CH101は、きざはし浜小屋を眼下に確認したあと、その上空を通り過ぎ、スカルブスネスの中央部辺りでゆっくりと旋回し始めた。 窓の外にはスカルブスネスの全貌と分厚い南極大陸氷床が見下ろせた。 視界いっぱいに広がるダイナミックな光景。乾燥しきって赤茶けた岩肌の中に、いくつもの湖が散らばっている。 まだ氷に覆われている湖、解氷して間もない湖。雪解け水をたたえた沢は、キラキラと光りながら荒涼とした大地をうねっている。

 —————なんて人間を寄せつけない世界だろう。 いや、人間だけではない。生きものという生きものすべてを拒絶するような世界。氷のわずかな隙間から、地球がそのまま剥き出しになっただけだ。
 はるか何億年、何十億年も昔、きっと、生まれたばかりのころの地球はこんな世界だったのではないだろうか。 自分が今ここに存在していることや、こうやって生きているのがいつの時代かなんていうことはまるでわからなくなってしまう。 そんなものはもはや何の意味も持たないのだろう。
 自分の存在、人間が刻んできた時間などすべて消え失せ、窓の外をながめながら、私も、この世界も、時間も、もっと漠然としていて、脆い、抽象的なものになっていくのを感じていた。 急に入ってきた冷たい風で我に返った。

 ヘリコプターのブレードの爆音とともに、開け放たれたドアから勢いよく入り込んでくる空気音で機内が埋め尽くされた。 機内の天井から伸びるライフロープを腰につないだ乗組員がドアの外に身を乗り出し、私がパイロットに指示した着陸ポイントに機体を誘導していく。 パイロットと身を乗り出した乗組員とが連携しながら徐々に高度を下げ、地面スレスレまで近づくと、ゴロ岩のない平坦な着陸ポイントを探りながらほんのわずかな距離を器用に水平移動する。 慎重に微移動を繰り返し、軽い衝撃と同時に、機体は砂地に着陸した。 

 2009年1月7日、3週間滞在していたラングホブデ露岩域をあとにした私たちは南極観測船しらせで1泊2日のつかの間の休息時間を過ごした。 と言っても、食糧・野外調査物資の準備や洗濯などであっという間に終わってしまったのだが。 そして今日、次の調査地であるスカルブスネス露岩域にやって来たのである。

 “もう一度、ここに来ることができた……”

 ヘリコプターの外に出ると、目の前に広がる海岸風景の懐かしさに心が弾み、自分が今この場所に立っていることが嬉しくてしかたがなかった。 それほど、このスカルブスネスのきざはし浜は私にとって強い思い入れがある場所だった。 しかし、到着した直後は感慨にふけっている間も与えられない。 到着後にいつも待ち構えている、大量の物資をヘリコプターから下ろして運ぶという作業を一刻も早くしなければならないからだ。

 今回の物資は全部で約3トン。 上陸したらすぐに物資を受け取り、ヘリコプターから50メートルほど離れた地点に置き、また小走りで物資を受け取りに行く、という一連の作業を乗組員あわせた7名で協力して繰り返すのである。 みなで協力した甲斐あって、10分もしたのち、荷下ろし作業が終了した。 南極とは言え、真夏の沿岸地帯は意外と暖かい。 砂地に足を取られながらの物資運搬作業で背中が少し汗ばんでいた。

 乗組員とパイロットに別れを告げてヘリコプターを見送り、いつものように3人だけがきざはし浜に残された。 恐ろしいほどの静寂。 混じりっけのない青い空から太陽の光が強い力で差していた。 こうして、約1ヶ月間のきざはし浜生活は始まった。

 翌朝、はやる気持ちで湖めぐりに出かけることにした。 小屋を出てすぐ山手に親子池という湖がある。 今でこそ淡水の湖だが、その昔、この湖は海の下にあった。 最終氷河期が終わって海面より上になり、海から隔離されたあとしばらくは塩湖だったが、長い年月をかけて氷河や雪の融け水が入り込み、淡水に置き換わったのである。 その証拠に、周辺には二枚貝や沙蚕(ゴカイ)の化石がいたるところに転がっていたり、埋まっていたりする。

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◇◆ 水玉がはしゃぐ湖へ = 2/3= ◇◆

湖面の氷が完全に融け、キラキラと光る水面を見つめていると、突然一羽のアデリーペンギンが湖の中から顔を出した。 何食わぬ顔でスイスイとこちらに向かって泳いでくる。 手を振って一応こちらの存在をアピールしてみたが、そんなことはお構いなしといった様子で、そのまま岸までたどり着くと湖から上陸した。 彼らもたまには真水を浴びたいのだろうかと本気で思ってしまうくらい、入浴をしてスッキリといった表情でそのまま歩き出した。 すぐ目の前までやって来るとお互いに目が合い、ピタッと歩みを止めた。

 「グァッ」 たった一鳴きだけして、そのペンギンはまるで何事もなかったかのように再び歩き出し、私の横をヨチヨチと通り過ぎていった。 その野生の動物にあるまじき、あまりにも警戒心のない行動に思わず顔がほころんでしまう。 まるで映画で見た火星のように赤茶けた大地、そこにひっそりと水をたたえた湖、その中を自由に泳ぎ、歩き回るなんとも言えないほのぼのとした一羽のペンギンという存在。 目の前で繰り広げられているその光景はあまりにもアンバランスだった。 そしてその奇妙さによって私は魔法にかけられて、現実離れした空想の世界に迷い込んでしまったのではないかと思うのだった。

 親子池はU字谷の中にあり、ここが氷河で削られたことを物語っていた。 湖岸沿いを上流に向かって歩いていく。湖の上流にある水の流入口まで来て、そこからU字谷の東斜面を見上げた。 直径1〜2メートルほどの大きな岩がゴロゴロしている沢筋に沿って水が流れて落ち、うねる小川を作りながら親子池に流れ込んでいる。 24時間照り続ける白夜の太陽のエネルギーが、そのままこの水の音に乗り移っているかのようだ。

 そこから沢の上に向かって登り始めると、途端に懐かしい気持ちがこみ上げてきて私は少しずつ足早になっていった。

 2年前の2008年12月〜2009年2月にかけて、このスカルブスネス・きざはし浜に滞在して、2〜3日に1回は必ずここを通った。 ゴムボートやさまざまな調査機材を背負子にくくりつけて背中に担ぎ、斜面を登っていった。 道なき道だったその通い道は、数週間も経つと、いつの間にか私たちの長靴の底の模様で目に見える小道になっていた。

 この斜面を登ると、平らで少し開けた景色になる。 そしてさらに奥へまっすぐ進んでいくと、4方向の道が交差する場所に差し掛かる。 私たちはそこを“四ツ辻”と呼んでいた。 その四ツ辻の右手の道を登ると、意中の湖があるのだ。 その湖の名前は“長池”。 細長い形状をしている湖なので、長池。なんとも単純で、これと言って特別な名前ではない。 が、長池は私にとって強い思い入れのある、大好きな湖だった。

 長池は透き通っているけれど、それは深い青というわけではなく、不思議な水色をした湖で、水深は一番深いところでだいたい10メートル。 端から端までは、直線で500メートルほどの淡水湖だ。

 2年前、博士課程に在籍し、研究者を目指す大学院生だった私が博士論文のメインのテーマとして研究対象にしたのは長池だった。 初めて訪れた南極で、このスカルブスネスを歩き回り、いくつもの湖を巡ってから、研究対象にする湖を長池に決めた。それからの2か月間、何度も何度も長池に足を運び、ボートを浮かべて調査をした。

 キラキラとした長池独特の水色の水をオールで漕ぐと、オールからしたたり落ちる雫がいくつもの水玉のようになって、水面を滑っていく。 静寂に包まれ、赤茶けた岩肌にひっそりと取り囲まれているこの場所での調査は、恐らく世界一孤独なフィールドワークなのかもしれない。 けれど、水面を滑る水玉がまるで嬉しそうにはしゃいでいるかのようで、そんな些細なことでさえ宝物のように美しくて、調査をしているわたしの心も一緒に弾んだ。

 2ヶ月のフィールドワークが終わり、南極から帰国した後、そのデータを使って博士論文を書き上げた。 そんなわけで、私がこの湖に強い思い入れがあっても仕方がないことなのだ。 そんなことを思い起こしながら、四ツ辻から右の道を駆け上がった。 キラキラと光る水色の水を湛えた長池の姿を想像しながら、道を登り切った途端、見えてきたのは想像とは全く違うものだった。まだ湖面が白く、氷で覆われていたのである。

 “もう1月中旬だというのに……” 長池の姿を見ることができた嬉しさはあったものの、それとともに、私の頭を不安がよぎった。

 ここ宗谷海岸沿岸にある淡水の湖のほとんどは、例年1月中旬になると氷がほぼ消える。 早い時期だと12月下旬。遅くとも1月中旬にはせめて半分くらいは氷が融けているというのに、どうしたことか、今年はまだ少しも水面が見えていないのだ。 この冬の間に降る雪が多かったのか、極夜が終わってからの日射が少なかったのか。

 すぐにでもボートでの調査をしたかったが、ひとまずそれは延期せざるを得ない。 とにかく氷がある程度融けてくれないことにはどうすることもできない。 しかも、湖の中心、一番深い部分には、2年前に設置したさまざまな観測機器が沈められている。 最も融けやすい湖岸から氷がなくなっていくとしても、中心部に氷が残っていると、その観測機器も回収できないのだ。

 しかし、それよりもさらに不安なことがあった。 それは、潜水調査ができないかもしれないということだった。 エアタンクを担ぎ、スキューバダイビングで湖の中を潜水調査する計画を立てている湖は、長池ではなく、“なまず池”と呼ばれる湖。 この“なまず池”、これまでのデータや立地から考えても、確実に長池よりも氷が融けにくい。 長池でさえこんな状況なのだから、なまず池はもっと分厚い氷と雪に覆われているに違いなかった。 氷が湖面を覆っている状況ならば潜水調査ができなくなってしまう。

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◇◆ 水玉がはしゃぐ湖へ = 3/3= ◇◆

 潜水調査では湖底にビデオカメラを設置し、1年間の水中の映像を撮影するという計画を立てていた。 そして、今回持ち込んだ約3トンの物資のうちの3割は、潜水調査に関連したものだった。 なんとしてでも実施したい。が、南極の大自然の前ではもはや、何もなす術はなく、ただ天候の神様に祈ることしかできないのだった。

 1週間後、ヘリコプターで上空からなまず池の氷状を偵察することになった。 きざはし浜にやってきたヘリコプターに乗り込み、わたしは祈るような思いで、窓にピッタリと顔を押し付けていた。 手元にある地形図を確認しながら、パイロットに指示を出し、どんどんなまず池に近づいていった。

 “あの山の陰だ—————” 不安と期待の入り交じる気持ちで、なまず池の手前にある山の方角をジッと見つめた。 その瞬間、ついになまず池が山の陰から姿を現した。
 “……白い……” 大きく落胆した。そこにあったのは湖面の9割が、まだ分厚そうな氷と雪で覆われている真っ白ななまず池の姿だった。 あと数日で大きく変化するとは到底考えられない。 つまりそれは、潜水調査をすることはもはや不可能ということを意味していた。

 あと4日もすれば、白夜が終わる。太陽が沈むということは、急激に気温が下がり始めることを意味している。 夏が終わり、急速に冬が訪れるのだ。もう時間がない。 しかし、どうしたものか……。

 —————そうだ! 長池! 落胆している場合ではない。 長池に潜るという手があるじゃないかとひらめき、すぐさま反対側の窓に駆け寄った。 ちょうど長池の上空を通っているところだった。 眼下に飛び込んできた長池には、ちょうど真ん中に湖面の半分くらいの大きさの氷が浮いていた。 一見した感じ、それはさほど分厚くない。けれど、それほど小さくもない。 潜水調査は実施可能、とすぐに判断できるほど思い通りの状況ではなかった。

 なまず池での潜水調査は断念し、長池を次の候補地とする。 そこまではいい。 しかし、長池での潜水調査もあと数日で決断しなければならない。

 翌日すぐに、歩いて長池まで様子を見に行ったが、前日と比べてたいして変化していなかった。 不気味なほどに風もなく、湖面には一筋の乱れもない。 ただただ深い静寂がその場を包みこんでいた。

 ツルリとした一枚岩でできている湖岸に腰を下ろし、溜め息まじりに空を見上げると、どんよりとした低い灰色の雲がピッタリと張り付いている。 鼻先にはどこからともなく湿った空気がまとわりつくのを感じた。

  「嵐でも来ないかなぁ……」 今にも落ちてきそうな灰色の雲をながめながら、2年前の最後の調査日のことを思い出していた。

 それは2008年2月10日。 翌日にはきざはし浜小屋を撤収して、昭和基地経由でしらせに戻らなければならないことになっていた。 だから、これが行動できる最後の日だった。気温は急激に低下しつつあったが、最後の日にふさわしい、雲ひとつ見当たらない澄み切った深い青空が広がっていた。

 私たちはその日、ドライスーツとシュノーケル3点セットを持って長池に出かけ、湖岸から水面に泳ぎ出した。 腰につけるウェイトは持ってきていなかったので、ただ水面から水中の様子を観察した。 顔をつけると水に触れる部分があまりの冷たさでキンとしたが、そんなことはすぐに忘れ、水面にプカプカと浮かびながら眼下に見える湖底の様子と水中世界の美しさに一気に引き込まれていった。

 2か月間にわたって、何度も何度もボートの上から調査をした湖。しかし、今目の前にあるのはそれまで見ていた湖とはまったく違う世界だった。水面から差し込む光がいくつもの筋となって、湖底をゆらゆらと照らし出していた。 本当にここは南極だろうか……この地球上にこんな場所があるものだろうか……本気で信じられない気持ちになっていった。

 いつかエアタンクを担いで、この湖の深くまで潜り、まだ見ぬ湖底の世界をじっくりとこの目で見てみたい。 心からそう思った。

 またきっと来る———この日、自分の胸の中でそう誓ったものの、また南極に来て、しかもこの場所に来ることができるなどという絶対の保証はどこにもなく、とにかく不確かなことだった。 ところが今わたしはこうして再び南極大陸の大地を踏みしめて、その長池の目の前にいる。もしかしたら、ここに潜って自分の目で湖の中の世界を見届けることができるかもしれない。

 起き上がって湖を見据え、中心部に静かに浮かぶ大きな氷とは裏腹に気持ちはワクワクとしていた。 あと数日、とにかくこの氷がなくなることを祈り、辛抱強く待とう。 それしかすることができないと分かると、なんだか気持ちがスッキリとしていた。

 その夜、ベッドで寝ていると、小屋全体が小刻みに揺れ出した。 風が吹き始めたのだ。 風は見る見るうちに強さを増し、いつしか轟音となった。 一晩中、暴風が小屋を揺らし続け、砂礫が壁を容赦なくバチバチと打ちつけていた。

 “本当に嵐が来た!” 小屋が壊れてしまうのではないかという恐怖と、決して止むことのないけたたましい音でなかなか眠ることができなかったが、わたしは頭まですっぽりかぶった布団の中で、嵐の到来に歓喜していた。

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◇◆ 南極の森 = 1/3= ◇◆

  朝になっても、いまだ嵐は続いていた。 結局、一晩中眠れずに過ごした。 私は眠くて重い体を起こして、2段ベッドから降りた。 風が容赦なく小屋の壁に砂を打ちつけ、轟音が止む気配はなかった。 天候を確認するために小屋の外へ出た途端、水しぶきと砂が混じり合った強風が全身に襲いかかってきた。 気を抜いて歩くと飛ばされてしまう。

 “雨……?!”

 南極大陸で雨が降るなんて、せいぜい10年に一度あるかどうかだ。 だから、そんな稀な機会に居合わせることなど滅多にないはずだった。 しかし、顔には確かに水気を感じる。まさか本当に雨が降っているのかと驚いたが、すぐにその水しぶきがどこからやって来ているのかわかった。 海岸沿いの、氷がわずかに開いて覗いている水面の海水を強風が巻き上げているのだった。

 海が細かい水の粒となって生き物のように空中に立ちのぼり、猛スピードで変幻自在にうごめいている。 いつもは決して目にすることのできない風、そして、つかみどころのない海の姿、それが今、肉眼で見える形になって、目の前に現れた。 風も海も叫び、荒れ狂っている。そんな彼らの激しい感情がまるでカタチあるものとなって、浮かび上がったかのようだ。 私は何か見てはいけないものを見たような気さえしていた。

 玄関先の壁沿いに張り付くようにして、風から少し避難しながらただ黙って立っていることさえも困難だった。 つかの間の外出ののち、私は退散するように小屋の中へ急いで戻った。

  仲間が気象を計測するために、重装備で外へ出た。小屋の窓からその様子を見ていると、小型の気象測定装置を風上に向かって握りしめ、決死の思いで足を踏ん張りながら風速を計っている。 今にも飛ばされそうなその姿を、ハラハラしながら見守った。 しかし、すぐに堪え兼ねて小屋に戻って来た彼はまるで戦地から帰ってきたかのような様相で、サングラスには小さなキズがいくつもついていた。

 「平均でも秒速18メートル。 瞬間的には25メートルくらい吹いてるよ! そんなに粘ってられなくて、正確には計れなかったけど……」 そう言っているのは無理もない。 さきほど外へ出て、嫌というほど嵐の怖さを私も思い知っていた。

 「雪が全然降ってないね!」

 「うん、願ってもない! このまま雪が降らずに嵐が続くことを祈ろう」

 ずっと待っていた嵐。 ついにそれが本当にやって来た。 私たちはこれにすべてを賭けるしかなかった。 この強風は湖に浮かぶ氷を大きく動かし、氷にはいくつもの亀裂が入るだろう。 そして、割れた氷が水面で大きく揺れ続ければ、一瞬で氷がなくなるのだ。

  なぜなら、今の時点で氷の下にある湖水の温度は5℃〜8℃もある。 グラスの水に浮かぶ氷をかき混ぜると勢いよく融けて無くなっていくように、そんな温度の湖水に浮かぶ氷は、強風によって撹拌されればすぐに融けてしまうだろう。 しかし、もし雪が降ってしまうと、それが氷の上に積もり、なかなか融けにくくなってしまうからとても厄介なのだ。

 だからこそ、初めに長池に張っている氷を見たときからこの10日間、嵐の到来を待ち続けていた。 そして、ついにやって来た嵐は素晴らしく好条件がそろっていた。 あとは、せめて今日一日中ずっと、雪が降らないまま嵐が持続することを願うばかりだった。

 私たちにとって、これが本当に恵みの嵐となった。 嵐は深夜まで続き、小屋を揺らし続けた。 いつの間にか嵐が去っていたのだろう、やがて訪れた静けさの中、昨夜は眠れなかったこともあってか、いつしか私は眠りに落ちていた。

 曇り空が広がる翌朝、私たちは長池の様子を偵察しに出かけた。 いつもの道を通り、四ツ辻につながる斜面を息を切らして登っていく。 そしてついに長池が見える手前まで到着した。 内心不安があったが、勢いよく小走りに斜面を上がった。

 「ない!!」  ユラユラと揺れる水面が目に飛び込んできた。 3〜5メートル四方の小さな氷が一つだけ浮いているものの、湖面の6〜7割が氷で覆われていた2日前の長池はどこにもない。 この湖岸にすわって、ため息まじりにながめていたのとはまるで違う湖のようだった。 私たちは胸を撫で下ろし、喜び合った。

 それにしても、頭ではそうなることを考えてはいたけれど、本当にたったの2日であんなにも大きな氷が消えてなくなるなんて。たかだか風。 しかしそれは、想像を絶する力だった。 改めて自然の力のすさまじさを思い知らされ、ただただ、私は偶然の風に感謝した。 そして肌には、あの荒れ狂った恐ろしい風を感じていた。

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◇◆ 南極の森 = 2/3= ◇◆

  2日後、きざはし浜には昭和基地からのヘリコプターが着陸した。 ヘリコプターからは、潜水調査をサポートしてくれる仲間の隊員たち7名が降りてきた。 1ヶ月ぶりに会う昭和基地の仲間たちはみな、こんがりと日焼けし、たくましい顔つきをしていた。 久しぶりの再会を喜び、みなで抱き合った。 潜水調査前日のこの日、士気は最高潮に達し、明らかに誰もが高揚した様子だった。

 「こちら、きざはし浜。本日の潜水調査を実施する。天候は快晴————」  「こちら、昭和通信。本日のフライトは予定通り実施する」  2009年1月21日、朝6時。 昭和基地に無線で連絡を入れた。

 ついに長池での潜水調査の日がやってきた。 天候は、雲のかけら一つ見当たらない快晴。 この日のために、目に見えない何者かが仕組んでいるのではないかと思うほど、すべてが絶好のタイミングだった。 少し風があるものの、たいした問題ではなかった。 恐らく、昼前には止むだろう。

 朝8時半、ヘリコプターがやって来た。 他の物資と分けておいた潜水調査機材をほんの数分で手際よく積み込み、全員がヘリコプターに乗り込んだ。 ふわりと機体は浮かび、きざはし浜小屋が小さくなっていった。 旋回し、1分もしないうちに長池が見えてきた。 長池に歩いて先回りしていた2名が、オレンジ色の発煙筒を焚きながら大きく手を降って着陸点に誘導している。

 ヘリコプターは地面すれすれで着陸点をさぐりながら微移動し、少し苦戦したのちに長池の湖岸に着陸した。 積み込んだ物資を下ろし、ヘリコプターの乗務員に迎えの時間を再確認して別れを告げた。 すぐにドライスーツに着替え、湖底に設置するビデオカメラを組み立て、動作確認をした。 うまくいくようにと願掛けをした。

 あとはもう、調査を開始するばかりだった。 さほど緊張する間も与えられないままに朝から時間が過ぎていた。 ちょうどよい高揚感と緊張感、これからついに長池の中に入っていけるという期待感。 全員で最終確認をし、無線連絡係が昭和基地に調査開始の連絡を入れた。

 「今から、長池での潜水調査を開始します」 エアタンクを担ぎ、ゆっくりと水の中に入った。 私のあとにはダイバー2名とボート2艘が続いた。 マスクを通した目の前には、2年前にシュノーケリングをして見たときと同じ光景が広がっていた。 差し込む太陽の光が幾重もの筋となって水中を突き進み、湖底には光の波が揺らめいている。

 左手首に装着したダイブコンピューターを見ると、水温は2℃。 確かに入水した直後は、冷たさで頭がギンッと締め付けられるような感覚だったが、それもすぐに慣れた。 湖の中心部に向かって、水面をひたすら泳いで進んだ。 どんどん水深は深くなり、湖底が遠く離れていく。 時折、陸の風景を確認しながら進んでいった。 これまで、何度も何度もボート上から調査をしていたおかげで、周囲の地形や湖岸からの位置関係から、自分が今いる地点の湖底までのだいたいの水深が予測できるのだ。

 きっとこの辺だろう……恐らく水深は6〜7メートルと予測し、近づいてきたボート上の仲間に水深計で測定するようお願いした。

 「6.8メートル」  「よし、じゃあここにします。まずは先に私だけで湖底の様子を偵察してきます」 私は、レギュレーターを口にくわえ、ジャケットに入れていた空気を抜いた。 ゆっくりと潜行していく。 急に自分の周りは静けさで包み込まれ、一人ぼっちになったかのようだ。

 重力が無くなり、空間の中にわたし一人が浮遊している。 距離感がわからなくなる。 ぼんやりとしか見えていなかった湖底が徐々に近づいてきた。 やがてはっきりとした形と明確な色彩になって目に飛び込んできた。  ゴボゴボゴボゴボ……

 「なんだこれ!?!?」 自分がどこにいるのかも忘れ、くわえていたレギュレーター越しに水中で叫び出しそうになった。 いや、もしかしたらそのとき叫んでいたのかもしれない。 目の前に広がる、自分を取り巻く光景にあまりにも驚き、興奮のあまり口から空気がものすごい勢いでこぼれだしていた。

 そこには、湖の外に広がる岩石砂漠のような陸上の様子からは想像もつかない、なんとも幻想的で不思議な世界が湖底一面に広がっていたのだ。 まるで尖塔状の遺跡が無数に林立し、全体が苔むしているような異様な光景。 大きいものだと高さ80センチメートルほどもあり、多様な種の藻とコケが共存してできあがっている。

 

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