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現代の探検家《田邊優貴子》 =96=

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○ 北極・南極、アァー 素敵な地球のはて =田邊優貴子=  ○

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◇◆ 南極の森 = 3/3= ◇◆

  この地球の果ての水中の世界には、遥か遠い昔、わたしたちの知らない小人たちの文明があって、それが滅び、長い年月をかけて植物に覆われ失われようとしている姿を、今こうして見つけた———そんな失われた世界の物語を話し聞かされたとすれば、わたしは信じただろう。 あるいは、今まさにこの一つ一つの小さな緑の塔の中に不思議な生きものが棲んで暮らしている、ここは誰も知らない不思議の森なんだよ———そう聞いたとしても信じてしまったかもしれない。


 気が遠のいてしまいそうだった。 現実を確かめるために、今自分が降りてきた水面のほうを見上げた。 ボートが水面でゆらゆらと揺れている。 宙に浮かぶ飛行船のような、輪郭が不確かなその様子は、ますますわたしを非現実の世界に引き込んでいった。

 この辺りにある100以上もの湖は、最終氷期が終わるころに氷床が後退して誕生した。 地球最果てにあるこの緑の森は、数万年かかって築き上げられたのだ。 不気味なほどの沈黙が押し寄せ、聞こえるのは私の呼吸音だけだった。 それは一度も乱されることなく流れてきた太古の静けさのような気がした。

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 誰かに伝えたい衝動に駆られた私は、水面に向かって浮上し始めた。 上には水色のゆらゆらした空の蓋、下には針葉樹林の森のジオラマのような光景。 まるで空中を自由に飛び回り、小さな地球を見下ろしているかのようだった。 徐々に水面が近づき、湖の外に顔を出すと、輪郭がくっきりとした世界が飛び込んできた。 仲間たちの視線はすべて、水中から帰ってきた私に集中している。目が覚めた瞬間だった。

 「すごい! すごいよ!!!」  レギュレーターを外した瞬間、自分の口から出てきた言葉はそれだけだった。 興奮していた私は咄嗟にうまい表現を見つけられなかった。 しかし、このあと冷静になってどんな言葉を使って説明したとしても、今私が見てきたあの不思議の森をうまく言い表わすことができないこともよくわかっていた。

 その後、昼に休憩をはさみ、午前と午後に1回約1時間ずつ、合計2回のダイブをしての作業となった。 他のダイバーたちとともに水中に潜り、水上の仲間たちと協力し合いながら、計画していた水中ビデオの設置と湖底の植物の採集を滞りなく終えた。

 調査を終えるころには体温がかなり奪われた状態になっていた。 陸に上がった私は手がかじかんでしまい、自分でグローブを脱ぐ力さえなく、陸上で待機していた隊員の医師に手を差し出し、外してもらった。 かぶっていたフードを脱ぐと、髪の毛がみるみるうちに凍りついていった。

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 潜水調査の成功を祝し、その夜はみんなで宴となった。 小屋の中には収容人数を有に超えた10名もの人。 誰もが高揚し、賑やかな熱気が溢れていた。 私も全身疲れているはずなのに、数時間前に目にした神秘という言葉だけでは片付けられない水中の世界に未だ興奮冷めやらぬ状態がいつまでも続き、宴が終わり静かになってもなかなか寝つくことができなかった。
 深夜0時、小屋の外に出ると、同じようにこの素晴らしい気分の日を惜しむかのように浜辺には数名の仲間が座り込んでいた。 浜の向こうに険しくそびえ立つ岩壁“シェッゲ”が、高度の下がり始めた太陽でオレンジ色に染められていた。 私も座り込み、そのオレンジ色の光景をしばらく見続けた。

 いつの間にか全員が寝静まり、浜辺にはわたし一人だけになっていた。 冷えた体を暖めようと、海岸沿いを少し歩いた。 風のない静寂の中、立ち止まると、ふと、海からかすかな音が聞こえてきた。 それは、わずかな物音にかき消されてしまうほど小さい、透き通る高音の歌声のようだった。 歩き出すと、自分の足音で聞こえなくなる。 音の正体がなんなのかは結局わからないまま、いつしか海の中に消えていった。

  氷の海の妖精が歌を唄っていたんだろうか……そんなことを思いながら、もとの方向にゆっくりと歩いていった。
 この日、ついに白夜が終わった。

もうすぐ本当の夜がやって来る。

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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

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現代の探検家《田邊優貴子》 =97=

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◇◆ 生と死の風景 = 1/3= ◇◆

  その日、わたしは椿池という湖を調査していた。 南極大陸に覆い被さる巨大な氷床の末端にある淡水の湖である。 スカルブスネス露岩域の最南東の氷河に接し、氷河で削られた細かい粘土質の粒子が大量に流れ込むため、椿池の水はミルキーブルーの色をしている。 まるでソーダアイスのような色だ。

 チャプ…………。 湖の真ん中辺りにボートを浮かべ、水面から水質計をゆっくりと下ろしていく。 水中に沈み込んでゆく水質計をジッと見つめていると、その輪郭はすぐおぼろげになり、ミルキーブルーの水に吸い込まれるように一瞬で消えてなくなった。 そこから下はもう暗闇に包まれた世界だ。

  南極の湖のほとんどはかなり透明度が高く、いつもなら水質計の姿は湖底に到達するまで水面から見ることができるのだが。これがミルキーブルーの色をしている所以である。 この、水の中へと調査器材が沈んでいく様子がわたしは大好きだ。 静かに、静かに、ゆらゆらと。 色が変わり、輪郭がおぼろげになり、水に吸い込まれ、同化していく。 

  今自分がいる陸上の世界とはまったく違う世界がすぐ真下に存在していることを実感できて、無性にワクワクするのだ。 このまったくと言っていいほどに環境が連続していない境界面に、自分が相対していることが感動的なのかもしれない。 だって、ほんの1cm先にはわたしが決して生きることのできない、劇的に異質な環境があるのだから。

 南極のとある湖を調査していたときのこと。 気温は0℃、まだ湖面には半分以上もの氷が残っていた。 そんななか、水面から湖底に向かって水深1メートルごとに水を採取していった。 初めに汲んだ水深1メートルの水は気温や氷の温度と変わらない0℃くらいだった。 ところが、水深5メートルになると自分の手に持ったボトル越しに、汲んだ水からなんとなく温もりを感じるということに気づいた。 水温を測定すると、水温計にはなんと“15℃”と表示されているではないか。

 また、とある別の湖でのこと。 その日の気温は5℃以上にもなる真夏の盛りだった。 いつものように水質計を水中に下ろし、水面から湖底までをゆっくりと往復させて水質を計測した。 湖岸に戻り、水質計のデータを見てみると、そこに表示されていた水面の温度は5℃。 

  が、水深2メートルで15℃。 そして水温は湖底の直上で急激に下がり、最深部である水深8メートルの水温はなんと“マイナス12℃”であった。 液体の状態のマイナス12℃の水なんて……信じがたい気持ちになったのを今でもよく覚えている。

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 椿池の真ん中でボートに乗ってひっそりと調査をしていると、氷河末端側の湖岸から水が流れる音が聞こえてきた。 

  水上からの調査を終え、水の音がするほうを目指してボートを漕いだ。 ちょうどそこの湖岸は平らになっており、ボートを着けやすそうな地形になっている。 湖の周囲の様子を歩き回って調べるため、どこかに上陸しようと考えていたわたしはそこへ向かうことにした。

 ほどなくして、氷河から融け水が流れ込む湖岸に到着した。 上陸し、ボートが流されないように陸の上に引き上げ、早速わたしは歩き出した。 目の前には急峻な沢があり、水が勢いよく岩壁沿いに落ちてくる。沢の上には真っ白な雪と氷の塊が迫ってきている。

 湖の畔を歩いてみても、生き物の気配がまったくない。 赤茶けた荒々しい岩肌が湖を取り囲み、岩にピッタリと貼り付いて暮らす地衣類がわずかに見つかるだけだった。 知らない惑星に迷い込んだような気分だった。 岩石砂漠のような世界が続くなか、湖岸の砂地をしばらく歩き回っていると、ふと前方の砂地に見慣れない色を見つけた。

 “緑色だ! きっと、コケの群落かな” 南極を歩いていると、普段なかなか目にすることのない緑色。 鮮やかなその色に嬉しくなり、わぁっと駆け寄った瞬間だった。 

 “!!!!”   “アザラシのミイラだ—————”  急に飛び込んできたその光景にわたしは釘付けとなった。

 そこに横たわっていたのは小さい、体長80〜90センチメートルくらいのアザラシのミイラだった。 おそらく、まだ赤ちゃんだろう。 その状態から、かなり古いものだと想像できた。 すぐ傍らには鮮やかな緑色のコケが眩しく輝いている。

 小さなアザラシが横たわっている背後では、椿池の水面(みなも)が午後の太陽でキラキラと反射していた。 椿池の向こうには氷で閉ざされた白い海と、そこに浮かぶいくつもの巨大なテーブル氷山が果てしなく遠くまで続いていた。

 南極から一部持ち帰ったアザラシのミイラを年代測定すると、2千年ほど前のものだという値が出たことを最近聞いたばかりだった。 バクテリアも少なく、低温で乾燥しているこの土地では、ものがなかなか腐敗しない。 はるか昔、この幼いアザラシは海から湖に迷い込み、そのまま命を落としてしまったのだろう。 それから何百年、いや、何千年もの時間、その体は朽ち果てることなく、静かに、静かに、人知れずこの場所で眠り続けているのだ。

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現代の探検家《田邊優貴子》 =98=

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◇◆ 生と死の風景 = 2/3= ◇◆

 静寂の中、亡骸を取り囲むように、コケや地衣類など、小さな生命が力強く息づいていた。 アザラシは栄養となって、いつの日か自分の姿がすっかり消えるまで、この小さな生命を大きく育てあげるのかもしれない。 生き物の気配など何もない荒涼とした世界で、まるでそれは、小さなアザラシのために誰かが作ったお墓のようだった。

 その、あまりにもわかりやすい生と死の風景に、わたしはしばらくその場で呆然と立ち尽くした。 ゆっくりとゆっくりと、生命は廻っている。

 それから数日経ったある日のことだった。 その日の調査も終わり、夕食の用意のかたわら、わたしはきざはし浜小屋の外へ出ていた。 風のない静かな海は鏡のようになり、ちょうどいい光の加減が当たった岩壁“シェッゲ”が海に映し出され、空には紫色の半月が昇っていた。

 プシュ────ッ。 急にすぐ近くから聞き慣れない音が聞こえた。 とっさに音がする辺りを見ると、そこにはちょうど頭だけを海面から出し、鼻をプクッと広げて呼吸をしている一頭のアザラシの姿があった。 目が合った瞬間、アザラシはまた海の中に潜り込んでしまった。

 わたしも突然の訪問者に驚き、かがんで水中に目を凝らすと、思ってもみないことに、アザラシはなんとすぐ目の前に顔を出したのである。 お互いの顔が、距離にしておよそ30cm。 真ん丸の潤んだ大きな黒い目が、なんの警戒心もなく、好奇心旺盛にこちらを真っ直ぐに見つめている。 一瞬、時が止まったような気がした。細長いヒゲが前後に小さく動くのさえもはっきりと認識できる。

 それにしても、顔つきがなんだか幼い。 浮かび上がってきた体を見て、その感覚が間違いでないことがわかった。 体長はピンと伸びている状態で1メートルちょっとくらいだろうか。 きっと、今年産まれたばかりの、離乳して間もない赤ちゃんだろう。 顔だけでなく、体全体もまだ丸みを帯びた可愛らしい形をしている。

 水中に潜り、ウロウロと少し泳いでは顔を出し、わたしが話しかけるとまたこちらにス──ッと寄ってくる。 こんな行動をしばらく繰り返し、いつの間にかどこかへ行ってしまった。

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  “何か探しているのかなぁ……” そんなことを思いもしたが、一日の終わりにアザラシの赤ちゃんにあんなにも至近距離で出会えたことに心が弾み、その日はなんとなく幸せな気分で眠りについた。

 それから2週間くらい経った頃だった。 夕方になって外に出ていると、不意にどこからか大きな唸り声のような重低音が響き渡ってきた。

 「ヴォ──ッヴォ────ッ」 耳を澄まして音のする方向を探すと、小屋のすぐそばにある湖“親子池”から海へ水が流れ出る辺りからだった。 小屋の周囲を取り巻く岩壁にその音は反響し、繰り返し、繰り返し聞こえてくる。明らかにただ事ではない声だった。

 声のするほうへ走り、少し小高くなっている岩を越えると、海岸の砂地にニョロニョロと動く灰色のものが見えた。 近寄るにつれ、正体が分かった。2週間前に現れた、あのアザラシの赤ちゃんだったのだ。 少しパニックになった様子で、ひたすら大きな声で鳴き続け、周囲をバタバタと動き回っている。 声も枯れそうだった。 鳴き疲れ、動き疲れたのか、アザラシはその場で眠り始めた。

 きっと、母親を捜しているのだろう……しばらくのあいだその様子を見つめ、なんとか海に戻ってくれることを祈りながら、わたしは小屋へ戻った。 翌朝、少し心配になって、昨夜アザラシが眠っていた場所まで行ってみたが、そこにはもうアザラシの姿は消えてなくなっていた。

 “よかった…………きっと海に帰っていったんだ”  胸を撫で下ろし、いつものように湖の調査に出かけた。

 しかし、その10日後、あのアザラシの赤ちゃんはわたしの前に再び姿を現した。 すっかり白夜も終わり、夜になると海岸から見える岩壁“シェッゲ”が、地平線に沈む太陽で真っ赤に染まる時期になっていた。 海岸に腰を下ろし、まるでそこだけが燃えているような赤い光景に見とれていた。

 ふと、ピタッと張り付いたように静かだった海の、とある一点がほのかにざわめきはじめた。 小さな波紋が現れたのだ。 ジッと目を凝らすと、黒い何かがわずかに水面から出ている。

 “あ!! もしかして————”  近寄ってきて海の中から顔を出したのを見て、確信した。 また戻ってきたのだ。

 背後には赤く輝くシェッゲ。 不気味なほどに静まり返った海はこの世のものとは思えないほど不思議な青緑色に染まり、その中をゆっくりと、流れるように泳ぎ回る幼い小さなアザラシ。 時折、アザラシが顔を出すと水面にそっと波紋が生まれる。

 言葉にしがたいほどに美しい光景だった。

 わたしはなんて素晴らしい世界に生きているのだろう。 この世界に生まれてきたこと、これからも生きていくこと、それ自体意味のあることではないのかもしれない。 が、わたしは今見ているこの光景だけで、そのことを心から肯定できると思った。 それくらい、この光景は強い力を持ってわたしの心の中に入り込んできた。

 アザラシはしばらくの間、いつものようにウロウロと泳ぎ回って、いつのまにかどこかに消えていなくなっていた。 少し心配だったが、もしかしたらしっかりと独り立ちして、自分の力で餌を採って暮らしているのかもしれない、そう思うと少し落ち着いた。

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◇◆ 生と死の風景 = 3/3= ◇◆

 2日後の夕方のことだった。

 その日も大きな唸り声が小屋の外で轟いていた。 またあの親子池の流出口のほうからだった。 駆けつけると、いつもの幼いアザラシは砂地を這い回って、騒々しく鳴いていた。 よく見ると、少し体長が大きく、というよりも長くなってはいるのだが、体は痩せ細って、肋骨が浮かび上がっている。

 アザラシは海には向かわずそのまま湖の中に入り込み、泳ぎ出した。 途中途中で水面に顔を出しては、何度も何度も叫ぶように鳴き続け、海とはまるで真逆のほうに向かって進んでいく。

 「そっちじゃないよ!」  幾度か話しかけてはみるが、どんどん海から離れていく。 途中の湖岸に上陸し、パニックを起こしたように鳴きながらさまざまな方向へ進もうとするが、角ばった石でゴロゴロとした陸地を痩せ細った体を引きずっている姿がとても痛々しい。 腹部にはいくつもの傷がついている。

 恐らく、長時間にわたって、そしてこれまで何度も必死に陸の上を動き回っているに違いなかった。

 しばらくすると、鳴き疲れ、動き疲れたのか、憔悴し切った様子でその場で目をつぶって力なく横たわった。 しかし、少しすると動き出し、また湖のほうへ戻ってしまった。

 アザラシの進む方向へ、わたしも湖岸を走りながら追いかけていった。 心の中で“海のほうへ戻ってくれ……”と願いながら。

 しかし、アザラシはそのまま湖の向こうへ泳いでゆき、海からはすっかり遠く離れてしまった。 あそこから戻ってくるのはもはやとても難しいだろう。

 アザラシの行方を追うのはもうやめよう……わたしは歩みを止め、遠く離れていくアザラシの姿を目に焼きつけ、小さくなる声が消えるまでただ黙って湖の畔で立ち尽くしていた。

 わたしはただ傍観していることしかできない。 手出しをすることは決して許されることではない。 わたしたちは境界を越えてはならない。 それは目に見えない掟のようなものだ。

 切ない気持ちでいっぱいだった。 当たり前の自然がそこにあった。 その時、椿池の畔で見つけた、人知れず横たわる幼いアザラシのミイラと目の前で繰り広げられている光景とがオーバーラップした。

 自然はいつも脆く、そして力強い。 その脆さに煌めきを感じ、わたしはいつも心を揺さぶられる。 それは、日常の暮らしの中で忘れている、生きていることの根源的な悲しさと、いとおしさを問いかけてくるからなのかもしれない。

 誰かの生命(いのち)が無くなって、誰かの生命になっていく。 生き物は、生まれたときからすでに悲しみを背負っているのかもしれない。 生きるということは悲しいものなのかもしれない。 けれど、それが生きることなのだろう。生き物はそうやって長い間、生命を紡いできた。

 さまざまな生き物が絶え間なく生まれては消え、この星にはこんなにもたくさんの、こんなにもすてきな生態系が出来上がってきた。

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 この夏、何度も迷い込んできたあの幼いアザラシと、鮮やかな緑のコケに囲まれた幼いアザラシのミイラは、そっと、遥かなる生命の物語を語りかけてきた。

 それから2日間、雪が降り続けた。 すべてをリセットするかのように、雪は南極の大地を真っ白に覆い尽くしていった。 雪が止んだ朝、劇的に季節がめぐっていた。 つい数日前まで見ていた世界はもうどこにもない。 空にはどこまでも透明な青が広がっていた。 宇宙まで見えてしまいそうな青だった。

 この日、ついにこの夏最後の調査に出かけた。 真っ白な、サラサラとした雪の上を長靴でしっかりと踏みしめて歩いてゆく。自分の歩いた後ろに道ができていく。 サングラスをはずすと、澄んだ太陽光線の照り返しが眩し過ぎて目を開いていることができない。

 親子池の脇を通り、長池の方向へ進んでいくと、いつもの斜面の手前で、わたしが通っていたのとは対岸側へと続く小さな道を見つけた。 10センチメートル弱の小さな三つ又の足跡が無数についている。アデリーペンギンの歩いた跡だった。 よく見ると、歩くたびに揺れる尻尾がつけたジグザグの線も描かれている。

 それはきざはし浜とは逆方向にある海岸から一直線につながっていた。 早朝から餌採りにやって来ているのだろう、そろそろヒナも換羽を終えて旅立つころだろうか……なんとなく微笑ましくその足跡を辿っていくと、途中でそのペンギン道と交差する不思議な道にぶつかった。 太い一本の筋と、その筋の両側に短い斜線が等間隔で描かれていた。

 アザラシの通った跡だった。 その形跡を目で追ってみると、クネクネとさまざまな方向へ行ってはまた戻り、いくつもの蛇行した道がその辺一帯に残されていた。 わたしはアザラシの道を辿って歩いた。

 ずいぶんと海から離れた斜面へと登っていった。 そして、小高い丘の中腹あたりでいつしか沢のなかに迷い込み、道はそこで途絶えていた。

 丘の上から親子池のほうを見下ろすと、わたしがそれまで見たことのない真っ白なきざはし浜の風景があった。

 澄んだ空気から、懐かしい冬の匂いがした。

 あと2日。 南極から旅立たなければならない日がすぐ目の前に迫っていた。

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◇◆ 人間の時間と地球の時間-最終章- = 1/3= ◇◆

「白い谷にはね、青い石が眠ってるんだよ」 わたしは秘密の地図を広げながら、白い谷の場所を指差してみせた。

 2010年1月30日、午前9時30分。きざはし浜小屋の撤収を5日後に控え、スカルブスネス露岩域からさらに30キロメートル南に離れたスカーレンという露岩域にわたしたちは来ていた。

  2泊3日の野外調査の予定だった。 必要最小限の調査用具、テント、シュラフ、食糧。 できる限り荷物を少なくして、オーストラリア人パイロットのピーターが操縦する小型ヘリコプターでやってきた。 この年、しらせには、自衛隊の大型ヘリコプターCH101が2機の他に、観測隊がオーストラリアからチャーターした5人乗りの小型ヘリコプター、通称“Aussie−1”が搭載されていた。 

  あまり物資を運ぶことができないAussie−1だが、その分とても小回りが効き、徒歩で行けないようなエリアへ調査に出かけるのには素晴らしく適していた。 CH101では着陸できないような恐ろしく狭い地点にも着陸することができ、わたしはいつも驚かされた。

 ピーターに別れを告げ、すぐさま3人分のテントを設営した。  「みんな、久しぶりの1人暮らしだね」   「はは。うん、そうだね」  笑いながら、テントの中にマットを敷き、自分の荷物を入れ、シュラフを広げた。 いつもは小屋の中で3人暮らし。 けれど、今日は贅沢に1人につきテント1張りだった。

 1人の空間で寝るのは45日ぶりくらいだろうか。 と言っても、みなすぐそばにテントを張っているのだが。

 短い期間での調査だったので、すぐに出かける準備をした。 ここスカーレンに来たことがあるのはわたし1人だけ。 ポケットから1枚の秘密の地図を取り出し、ここのエリアの湖や植生について一通り説明し、おもむろにある一点を指差した。 そこが、青い石の眠る白い谷がある場所だった。

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 青い石———それはサファイアのことだ。

 南極ではいたるところに宝石がある。 と言ってももちろん原石そのままの状態で、とりわけよく見つかるのがガーネットだ。 この赤い石は本当にもうどこにでもあり、とある海岸はガーネットの砂で覆われて赤い色をしているほどである。そして、ここスカーレンの一角には白い大理石でできた谷があって、そこにはサファイアの原石がたくさん見つかるのだ。 2年前に来たときにわたしは自分の地形図上に“白い谷”と書き込み、まるで宝の地図のように思わせぶりに、そのポイントに星印をしるした。

 だから、ポケットから出した秘密の地図は、秘密でもなんでもないのだ。 普段から使っている国土地理院発行のスカーレンエリアの地形図を、使いやすいようにA4サイズに印刷し、必要な情報を自分で書き込んであるだけものである。 しかも当たり前のことだが、わたしを含め、みな、青い石なんかよりも先に湖の調査をして、コケ群落がある岬に行こう、という意見で一致した。

 わたしたちはいつものように湖の調査を手際よく終え、正午過ぎにはコケ群落がある岬のほうへ向かった。 その岬はベースキャンプから歩いて2時間ほどの距離にある。

 この1か月間歩き慣れたスカルブスネスとはまた違った風景がスカーレンには広がっていた。 湖から平坦な砂地をずっと歩いていくと、向こう側に大きな氷河がいくつも見えてきた。 いくつかの小高い丘を越えていくうちに、どんどん氷河が大きく迫ってくる。丘を越え、氷河に近づくたびにわたしの胸は大きく高鳴っていった。 ついに海岸線が見える最後の丘を登り切った。 視界を遮るものは何もなく、急激に海へと落ち込んでいる切り立ったいくつもの氷河が凄まじい迫力で目に飛び込んできた。 一気に心が震え、頭の先まで閃光のようなものが突き抜けた気がした。

 「わぁ────!!!」  抑えきれず、わたしたちは声に出して叫んでいた。

 青く澄んだ空が海に映り込み、太陽が氷河の亀裂に青く陰影を落としている。 その光の差し方と色、360度のパノラマ。 とてつもなく壮大な景観だった。

  海岸線と平行したまま丘の上を歩いていくと、海岸沿いに緑色のコケ群落が見えてきた。 砂浜にコケのカーペット、そして背後には無数の氷塊が浮く海とダイナミックな氷河。

 なんとも不可思議だった。 けれど、その不釣り合いな光景こそ、南極が持っている一面なのだろう。わたしにとって、生まれて暮らしてきた場所で出会ったことがわたしの世界であり、常識であるだけなのだ。 南極で目にするものの多くを不可思議に感じるのも無理はない。 

  わたしの常識をはるかに超えているのだから。 そしてそれは、いつも何かを語りかけてくる。 わたしの心を震わせ、好奇心を駆り立て、想像力を解き放ってくれる。

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◇◆ 人間の時間と地球の時間-最終章- = 2/3= ◇◆

 コケの岬で試料の採集をし終えてから、わたしたちはベースキャンプに向けて戻り出した。 往路とは違う、氷河沿いのルートを通ることにした。 比較的平坦な砂地がメインだった往路とはまったく異なり、一枚岩でできたいくつもの小さな山を越えるルートだ。 アップダウンはあるが、ベースキャンプまでは往路とほぼ同じ2時間ほどで到着する。

 いくつの山を越えただろう。ちょうど進行方向、南東の空から低くなった太陽が真っ直ぐに差し込んでくる。 サングラスをしていても目が眩みそうだ。 左手には大陸からつながる氷河の末端が迫り、背後を顧みると、さっきまでいた岬の向こうにそびえ立つダイナミックな氷河がまだ見えている。

 越えてきた山々はどこもかしこも、ヤスリをかけたように滑らかな一枚岩でできており、よく見ると、地面には “氷河擦痕”が無数にあった。何万年、何百万年と、氷河期と温暖期が訪れるたびに、氷河が前進と後退を繰り返してできた地球の傷跡。 まだ風化が進んでいない滑らかな岩肌は、つい最近までここが氷河で覆われていたことを物語っている。 こんなにも硬い岩を削るほどの氷河の凄まじい力、そして、この傷跡をつくり出した気の遠くなるような時間の流れをわたしは感じていた。

 徐々に高度が低くなる太陽光線が、すべてのものに深く陰影をつくり出した。 同時に、丸みを帯びツルンとした岩々の表面が反射し輝きはじめた。 世界が黄金色に煌めいていた。 まるでツルツルの赤ん坊の肌のようだった。

 その瞬間、わたしの内側で音もなく静かに、何かが爆発したような気がした。涙がこみ上げてきた。

 “あぁ、そうか……” わたしが今見ているのは、わたしが今この足で立っているのは、生まれたての地球の姿だった。

 数千年後、数万年後、もっともっと先、ここはどうなっているのだろう。緑に覆われているのだろうか。 つやつやと煌めく岩肌をしっかりと踏みしめながら、ベースキャンプへと戻っていった。

 その夜、ピンク色とオレンジ色に染め上げられた空と氷河を見ながら、みなで地面にすわって外で夕食をとった。 眠りにつく直前、テントの入り口を開け、暗がりの中で目の前に迫る氷河をしばらく眺めた。 ぼんやりとした空が幻想的な夜だった。

 翌日、きざはし浜に帰ることになった。 当初2泊3日の予定だったが、“天候が急変しそうなので、撤収するように“という連絡が昭和基地から朝の時点で入ってきたのだ。 空は時折青い部分が見えるが、ほとんどが雲で覆われ、雪がちらつき出しそうだった。なんとか天候は持ちこたえ、昼過ぎにやって来たAussie−1に乗り込み、わたしたちは無事にきざはし浜に帰った。

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 雪が降り出したのはその翌朝からだった。

 スカーレンからきざはし浜に戻り3日経った、2010年2月4日。 とうとう、きざはし浜最後の夜だった。

 その日、1か月前に持ってきた物資を全員でパッキングし直し、小屋の中を片づけ、なんとか撤収の準備を終えた。もういつでも帰ることができる状態になると、なんだか急にさびしい気持ちになってきた。 この夏、やれることはすべてやったのだが、そうは言ってもやはり南極を離れるときはいつも名残惜しくなる。 撤収のために食糧もほとんどパッキングしてしまったので、その夜はレトルトカレーやレトルトビーフシチューなど、それぞれ思い思いのレトルト食品を夕食にした。

 夕食後、小屋の中に置いてある宿帳に、 ──次にここへ戻って来るのはいつだろう。 数年後、戻って来ることを願って。 

 それではまた。 と書き残した。 ふと、窓から外をのぞくと、シェッゲが赤く染まっていた。

 慌ててダウンを羽織って外に出ると、ほのかに風が吹いていた。 わたしは海岸に立って、どんどん赤くなるシェッゲをただ黙って見ていた。 ふと、風がピタリと止まり、海が群青色の鏡になった。 そこにはもう一つのシェッゲがくっきりと写し出された。

最後の残照が一瞬、シェッゲを燃えるような赤に変えると、じわじわと夜の闇が押し寄せた。 シェッゲの背後から丸い月がゆっくりと姿を現し、地平線の近くだけに青い地球影が浮かび上がった。 同時に、急激に気温が低下し、海はまたたく間に凍りついていった。幻想的だった海の鏡は消えてしまった。

 閃光のような出来事だった。 今年、もし日照が少なければ、海岸沿いの海氷が融けることはなかっただろう。 ほんの数日前ならば、シェッゲはこんなにも赤く燃える色にはならなかっただろう。 もし風が止まなければ、もしほんの数分くらい海が凍るのが早ければ、海は鏡にならなかっただろう。

 来年だって、50年後だって、わたしが生きているあいだには、もうあんな光景に出会えることはないのかもしれない。 あの瞬間、すべての偶然が重なって、確かに、わたしはあの光景に出会った。

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現代の探検家《田邊優貴子》 =102=

○◎ Great and Grand Japanese_Explorer  ◎○

○ 北極・南極、アァー 素敵な地球のはて =田邊優貴子= ○

= WEB マガジン ポプラビーチ powered by ポプラ社 より転載 =

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◇◆ 人間の時間と地球の時間-最終章- = 3/3= ◇◆

  生まれたての地球に出会ったときに感じた悠久の時間──それはめぐりめぐって、より一層、その“瞬間”を際立たせ、煌めくものにしていた。 奇跡だったのかもしれない。 地球に流れるはるかな時間、そして、人間が生きることができる時間と、その中で起きたほんの一瞬の出来事。 そんな出来事に、この世で何度めぐり会えるのか。 あの光景はずっとわたしの胸に焼きついたまま、いつまでも消えないだろう。

  深夜になると、暗い夜の闇が訪れた。 もうすぐ長い夜が支配する季節がやって来る。 冷え切った空気の中、シェッゲの肩にかかった夜の月が透明に輝いていた。

 翌朝、予定通りきざはし浜をあとにしたわたしたちは、昭和基地を経由したのちに、しらせへと戻った。 2月14日、観測隊員を全員載せたしらせは、とうとう北上を開始した。 1週間後には氷海の縁に達した。 氷縁は、比較的たくさんの動物に出会うことができるエリアだ。 氷縁の内側では、アデリーペンギンの群れの他に何組ものコウテイペンギンの群れ、外側ではザトウクジラの群れと遭遇した。

 アデリーペンギンやザトウクジラは、冬が来る前にそろそろ北へ向けて旅立つころだろうか。 そして、コウテイペンギンはこれから過酷な繁殖期に向けて南へ旅をするのだろうか。 

 氷海を脱出したしらせは針路を東にとった。 まだ南緯60度ではあるが、海が氷に閉ざされていない風景は、急に南極から遠く離れてしまったような気分にさせられる。 

 東進中のある夜、わたしの船室の電話が鳴った。 「オーロラ・オーストラリスから無線で呼び出しが来ています。 至急、艦橋(ブリッジ)へ」

  オーロラ・オーストラリス号──それはオーストラリアの南極観測船のことである。 近くを航行中らしいという噂は聞いていた。

 帽子をかぶり、わたしは急いでブリッジへ向かった。 ブリッジに入ると真っ暗闇だった。 夜の航海中は船外部の監視の妨げにならないよう、灯りを消しているのだ。 すぐには暗闇に目が慣れず、ブリッジで任務遂行中の人とぶつかりそうになる。

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  「こちらです」 手すりを伝いながら、声のするほうへ慎重に歩いた。 少しずつ目が慣れ、無線担当者の姿がおぼろげに見えてきた。 無線機を手にとり、呼びかけた。 「オーロラ・オーストラリス、オーロラ・オーストラリス、こちらしらせ。 感度いかが?」

 「しらせ、しらせ、こちらオーロラ・オーストラリス。 感度良好、どうぞ」 ブリッジに上がってくる前から、相手が誰かはもうわかっていた。 無線機の向こうから聞こえてくる声の主は、大学院博士課程時代の研究室の同期だった。 彼はペンギンの研究者で、オーストラリア南極局で研究していた。 この夏、オーストラリアの南極基地へ調査に出かけ、ちょうどオーストラリア基地からタスマニアへ向けての帰途のようだった。

 目を凝らしても、外は深い闇。 まるでオーロラ・オーストラリス号が見えるような気配はない。 しかし、無線が届くのはほんの35マイル圏内だという。 この地球の果ての広大な南極海で、同じ瞬間にばったり出くわす……なんて奇跡的なのだろう。

 わたしたちは束の間の交信を楽しんだ。 お互いの野外調査の話、5か月ぶりに日本語を話すということ、今日の午後に双眼鏡でしらせが見えたこと、おかげで嬉しくて無線交信したい気持ちを抑えられず呼び出してしまったこと。

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 月のない真っ暗闇の夜、懐かしい声なのに実体の見えない話し相手、穏やかで静かな南極海……まるで時空旅行でもしているような気分だった。 世界はぼんやりとした輪郭でしかなかった。 この2か月間、白夜の世界で暮らしてきたわたしにとって、闇夜は少し恐ろしく、けれどその反面、忙しく騒がしかった心に落ち着きが戻ってきたことも感じていた。

 不思議な、不思議な夜だった。 闇夜の交信が終わり、ブリッジの外へ出ると、天上には無数の星が瞬いていた。 ひときわ明るく輝く白い星“カノープス”……一万数千年もすれば南極星になるという。 それは、気の遠くなるような、つかみどころのない時間ではないような気がした。 南極で出会ったいくつもの風景がわたしの体の中に同化し、いつの間にか、はるかな時の流れが漠然としたものではなくなっていた。

 刻々と風が強さを増してきた。 進行方向の空に、ぼんやりと青白い光が現れ、一本の狼煙のように上がっていった。 やがて明るくなり、ゆっくりと生き物のように形を変え始め、放射状に広がった。

 わたしはその場に寝転び、深呼吸するように南極海に漂う冷たい空気と匂いを体の中に残そうとした。 オーロラはしばらくゆらゆらと揺れながら、南極海の上空を悠然と舞っていた。 オーロラの背後には、空高く、南十字星が凛然と光り輝いていた。

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森のなかえ

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現代の探検家《河江肖剰》 =001=

○◎ Great and Grand Japanese_Explorer  ◎○

新たなピラミッド像を追って、エジプト考古学の魅惑の世界=河江肖剰=

= Webナショジオ_“河江肖剰-新たなピラミッド像を追って”より転載・補講 =

☠ 発掘調査と先端技術によって、古代のピラミットの実像に迫る ☠

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◇◆ 第一回 ピラミッド発掘調査への道のり = 1/3= ◇◆

河江 肖剰(かわえ ゆきのり、1972年9月26日- )は、日本のエジプト考古学者、博士(歴史学)。 名古屋大学大学院文学研究科附属人類文化遺産テクスト学研究センター共同研究員。 米国ナショナルジオグラフィック協会のエマージング・エクスプローラー。 米国古代エジプト調査協会のメンバー。 専門は、エジプト学、ピラミッド研究、3D計測、住居考古学。・・・・とウイキペディアは記す。

来歴としての紹介文は、兵庫県宝塚市出身。 1992年から2008年までエジプトのカイロ在住。 1992年、エジプトのランド・オペレーターであるバヒ・トラベル・エージェンシーでガイド/通訳として働く。 そして、2003年、カイロ・アメリカン大学人文社会科学エジプト学卒業。

2004年からピラミッド研究の第一人者であるアメリカ人考古学者マーク・レーナー率いる米国古代エジプト調査協会の調査プロジェクトに参加。区画責任者として、ギザのピラミッド群を造営した人々の居住地であるヘイト・エル=グラブ遺跡(通称「ピラミッド・タウン」)の発掘に従事。

2006年、米国古代エジプト調査協会の日米合同調査によるケントカウエス女王墓の3D計測調査を担当。 2007年、アメリカ・エジプト調査センターによるルクソール東岸修復保全プロジェクトに考古写真の専門家として参加。 同年、米国古代エジプト調査協会によるルクソール緊急考古学調査に参加。

2008年、エジプト考古最高評議会事務総長ザヒ・ハワスの要請を受け、エジプト最古のピラミッドであるサッカラの階段ピラミッドの3D計測プロジェクトにフィールド・ディレクターとして従事。 

2012年、論文"3D Data of the Tomb of Khentkawes [I] and its interpretation"(『ケントカウエス一世女王墓の3Dデータとその解釈』)で、名古屋大学大学院文学研究科人文学専攻博士課程後期課程修了、博士号(歴史学)取得。 2012年から15年まで日本学術振興会特別研究員として、メンフィス地区の3D計測調査に従事。

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2013年からギザ3D調査(Giza 3D Survey)プロジェクトを立ち上げ、TBS「世界ふしぎ発見」の協力を得て、2度に渡りクス王の大ピラミッドに登頂。 大ピラミッドの『頂上部』と『くぼみ』と『洞穴』の3D調査を完遂させた。

2015年からチェコ・エジプト学研究所と共同で、アブシールのピラミッド群の3D計測調査を開始。 同年には、ナショナルジオグラフィック日本語版から、創刊20周年を記念して企画された「日本のエクスプローラー」の一人として選ばれ、翌年の2016年には、米国ナショナルジオグラフィック協会によって、先進的なビジョンをもった気鋭の科学者や探検家の一人として「新世代の探求者(エマージング・エクスプローラー、Emerging Explorer)」に選出された。

2017年には、再び、TBS「世界ふしぎ発見」の協力を得て、ドローンを用いた世界初のギザの三大ダイピラミッドの計測に成功している。 先端技術や数理計画を導入するといった異分野融合的な考古学調査を行いつつ、さらに民間企業やメディアともスクラムを組むという新しいスタイルで、古代エジプトの研究を推進している。

「そんなに興味があるなら行ってくれば」と言われて、エジプトへ飛んだのは19歳のときだった。 それから現地の大学を卒業し、世界的な考古学者のチームに加わって、3大ピラミッドで知られるギザで発掘調査に明け暮れた。 情熱と行動力、そして、客観的なデータを積み重ねる科学者の視点をあわせもった河江肖剰さんは、いま注目のエジプト考古学者だ。 3D計測などの先端技術を取り入れる一方で、巨大な建造物を造った人々の営みにも思いを馳せ、「人間くさい」ピラミッド像を伝えてくれる。

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現代の探検家《河江肖剰》 =002=

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新たなピラミッド像を追って、エジプト考古学の魅惑の世界=河江肖剰=

= Webナショジオ_“河江肖剰-新たなピラミッド像を追って”より転載・補講 =

☠ 発掘調査と先端技術によって、古代のピラミットの実像に迫る ☠

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◇◆ 第一回 ピラミッド発掘調査への道のり = 2/3= ◇◆

 あれは中学2年生か3年生の頃だった。 日曜日の夜にサッカーの練習から帰ってくると、リビングのテレビがついており、エジプトのピラミッドの前で、2人のフランス人が何かを熱心に話す姿が映っていた。

 彼らは、「北面に位置する大ピラミッドの入口が中心になく、東側に7.2メートルほどずれているのは、とても奇妙なことだ」、 「内部の通路や部屋も大ピラミッドの中心軸の線上ではなく、すべて東側に位置しているが、それは左右対称を伝統とする古代エジプトの建築と合わない」、 「そのため、もしかすると西側には、これまで発見されていない未知の空間があるのではないか」……そんなことを熱く語っていた。

 座ることも忘れて、立ったままそのテレビ番組を見ていたと思う。

 この2人、ジャン=パトリス・ゴワダンとジル・ドルミオンというフランスの建築家は、その後、「オペラシオン・ケオプス」(「ケオプス作戦」の意。 ケオプスとは大ピラミッドを造ったクフ王のギリシア名)というプロジェクトを立ち上げ、エジプト政府から許可を得て、精密重力計を使ったピラミッドの密度調査を行った。  調査の結果、ピラミッド内部の「水平通路」の西側に密度の異常が見つかった。

 そこで2人は、水平通路の壁にドリルで穴を開け、もしその奥に未知の空間があれば、ファイバースコープで内部を撮影しようと考えた。 しかし実際に穴を開けてみると、予想だにしないことが起きた。 穴から砂があふれ出てきたのである。

 なぜ砂が出てきたのかはわからなかったが、ピラミッドは石材を積み重ねただけの建造物でないことはわかった。 しかし、遺跡に穴を開けて調査するという行為に世界中から非難が殺到し、彼らのプロジェクトは中止に追い込まれた……

 このテレビ番組が、私がエジプトに興味を持ったきっかけだった。 そして、このWebナショジオの連載で追々書いていくが、不思議な縁から、四半世紀を過ぎたいま、この未知の空間と関わるピラミッド研究に取り組み始めている。

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砕け散った夢とロマン

高校時代は勉強もそっちのけで武道三昧だった。 大学受験に失敗したとき習っていた古武道の師匠から、なんのために大学に行きたいのか聞かれた。 「古代エジプトの歴史が好きなので、できれば、そのことを勉強したい」と答えると、ではまず、エジプトに行ってくればいいと助言された。

 師匠は半ば冗談で言ったのかもしれないが、私は「なるほど!」と単純に納得し、その日からエジプト行きの準備を始めた。 当時を振り返ると、最も有り難かったことは、両親や友人を含め、誰一人としてエジプト行きに反対しなかったことである。

 1年ほどかけてお金を貯め、大阪の伊丹空港からシンガポール航空で、エジプトの首都カイロに向かった。 機内では、不安を感じながらも、エキゾチックな砂漠の冒険が始まることを夢見ていた。 しかし到着すると、そのような幻想はすぐに砕け散った。

 カイロは東京以上に人が多いという印象を受けた。 砂ぼこりの舞う町の雑踏は車のクラクションと排ガスに満ちあふれ、半分壊れたようなタクシーに乗ったり、店でものを買ったりするたびに交渉しなければならず、とにかく疲れる町だった。逃げるようにピラミッドがあるギザの遺跡に向かったが、そこも都心部以上に騒がしい場所だった。
 ピラミッドは、砂漠の真ん中に孤立して立っているのではなく、町のすぐそばに立っている。 実際、泊まっていた安宿から車でわずか30分ほどの距離にあり、毎日、数万人の観光客と、何百人もの物売り、むちを持った厳めしい顔のツーリスト・ポリスがひしめく、喧噪に満ちた世界有数の観光地だったのである。

 日本で想像していたことと、まったく違う世界に戸惑う日々だったが、帰ろうとは思わなかった。 とにかく、まずここで生活を始めたかった。 遺跡のガイドの仕事があると聞いたため、日本人を専門とする現地の旅行会社バヒ・トラベル・エージェンシーに連絡してみた。 すると、アラビア語どころか、英語もおぼつかない10代の若造であるにもかかわらず、雇ってもらえることになった。

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ギーザ (Giza/Gizeh)は、ナイル川中流の西岸に位置する。 首都・カイロからみてナイル川を挟んでおよそ20km西南にあり、現在では拡大したカイロの都市圏に内包されているが、行政上はカイロから独立したギーザ県の県都である。 人口はおよそ200万人。

古代エジプト以来の町であり、クフ王のピラミッドをはじめとするギザの三大ピラミッドと、ギザの大スフィンクスがある遺跡の町として世界的に有名である。 その一帯からダハシュールにかけてのピラミッド地帯は、1979年に「メンフィスとその墓地遺跡」として世界遺産に登録された。

ギーザの台地がエジプトの人々によって着目されたのはきわめて古く、エジプト第四王朝の諸王によって三大ピラミッドや寺院群が築かれた。 7世紀にエジプトを征服したアラブ人が現在のカイロの地にエジプトの首都を置いて以来、ギーザは首都近郊の都市として歴史に登場する。 エジプトの外港であるアレクサンドリアから陸路でカイロに向かうとナイル川の西岸を進むことになり、交通路はギーザからナイル川の中洲を経てカイロに至った。

このため時代によってはギーザからカイロにかけてはナイル川を渡る石橋がかけられるほど緊密に結ばれ、首都近郊の都市として有力者の邸宅が置かれることもたびたびであった。 軍事的にもギーザはカイロを巡る戦争における重要な拠点であり、10世紀のファーティマ朝や18世紀末のナポレオンなどナイル川の西岸からカイロに迫った勢力は、まずギーザを制圧してからカイロを征服している。

19世紀のムハンマド・アリー朝期にはギーザのピラミッドとスフィンクスがヨーロッパからやってくる外国人が必ず訪れる名所となり、カイロとギーザを結ぶ近代的な大通りも建設された。 20世紀にはカイロの都市化とともにギーザはその郊外地区としてカイロにいっそう結びつき、人口が爆発的に増大した。 またギーザのピラミッド地区は観光地化され、エジプトを代表する観光地として世界中から観光客を集めている。

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現代の探検家《河江肖剰》 =003=

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新たなピラミッド像を追って、エジプト考古学の魅惑の世界=河江肖剰=

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◇◆ 第一回 ピラミッド発掘調査への道のり = 3/3= ◇◆

カイロ・アメリカン大学に入学

 ガイドの仕事は楽しかった。 勉強しなければならないことは山ほどあったが、墓や神殿を歩き回り、体感するように歴史を覚えていった。 しかし、ガイドをすればするほど、本格的に大学で勉強したいという思いは年々増していった。 そんなある日、会社のマネージャーの中野正道さんの自宅に呼ばれた。 時折、奥さんの眞由美さんが作る日本料理をごちそうになりながら、仕事のことや、将来のことを話していたため、今回も近況報告を兼ねた夕食会だと思っていた。

 しかし行ってみると、奨学金を出すので、カイロ・アメリカン大学(The American University in Cairo、以下、AUC)でエジプト学を勉強しないかと勧められた。 思いがけない申し出に驚いていると、中野さんはこんな温かい言葉をかけてくれた。 「会社のなかに、専門家が一人くらいいてもいいと思います。 しかし、会社に縛りつけるつもりもまったくないので、考古学の道に進みたければ、ぜひ進んで欲しいんです」

 本当に有り難い申し出だった。 当時、私は26歳になっていたが、ここから大学に入り、エジプト学を志すことにしたのである。

 AUCはエジプト学を学ぶには最も適した大学だった。 使用言語は英語で、完全にアメリカの教育システムが導入されていた。遺跡や博物館にすぐ行くことができるというだけでなく、教授陣も充実しており、発掘現場で働く一流の考古学者たちも、特別に授業を持つことがあった。

 入学してみると、アメリカの大学と同様に、とてつもなく課題が多かった。 毎週読まなければならないテキストが何百ページもあり、小論文などの課題の提出は数日おきにあった。 ただ、私は勉強できることが幸せだった。

 エジプト学の授業は、本館から少し離れた貴重書図書館の一室で行われることが多かったが、収蔵されているナポレオンの『エジプト誌』やレプシウスの『エジプト・エチオピア記念碑』など、古い文献を手にするだけで至福を感じた。

 大学で勉強を始めて気づいたのは、数年間ガイドをするなかで、極めて重要な基礎知識が身についていたことだった。 たとえば、多くの学生は、授業のスライドで遺跡を見ても、どれも同じに見えてしまうが、私は、壁の一部しか写っていなかったとしても、それがどこの遺跡で、誰が作ったのか、いつ頃建てられたのか、周りには何があるのかが、すぐにわかった。

 ガイド時代に基礎知識を身につけていたことに加え、一心不乱に勉強した甲斐もあったのか、在学中にエジプト学専攻の学生のなかで最も優秀な学生に贈られるアハメッド・ファクリ賞(Ahmed Fakry Award)や、学部の優秀な学生に贈られる人文社会科学賞(Humanities Social Science honor)を受賞することができた。お世話になっていた中野ご夫妻に、少しでも勉強の成果を示すことができて、ほっとしたものである。

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 レーナー博士との出会い

 大学での勉強は充実していたが、ひとつ不満があった。 それは、発掘の実地授業がなかったことである。 私の専攻はエジプト学だったが、学んだことは、ヒエログリフなどの古代語、古代エジプトの歴史や社会、芸術、建築であり、考古学の授業はなかったのである。

 エジプト学と考古学は似て非なるものである。 重なるところも多分にあるが、エジプト学は基本的に歴史学であり、過去の史料を検証し、解釈する。それに対して、考古学は、発掘や測量調査を通じて、まず史料を生み出す学問と言える。

 そこで学部の4年生になったとき、自分で研究テーマを決めて単位を取得できる自主研究(independent study)の制度を利用して、発掘調査チームに参加しようと考えた。 AUCでも、歴代のファラオが眠る「王家の谷」のなかで最大の墓であるラメセス2世の息子たちの複合墓を発掘していたが、私はやはりピラミッドと関わる発掘に参加したかった。しかし当然ながら、知識も技術もない学生が学外の発掘隊に参加するのは容易なことではなかった。

 そんなとき、好機が訪れた。 中野ご夫妻とガイドの先輩であった紺野文彰さんが、毎月、最前線で活躍するエジプト考古学者たちを招いて講演会を開いていたのだが、そこにピラミッド研究の第一人者であるアメリカ人考古学者マーク・レーナー博士が来ることになったのである。

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ギザの大ピラミッド(Great Pyramid of Giza)は、エジプトギザに建設された、世界の七不思議で唯一現存する建造物である。紀元前5世紀のギリシャの歴史家ヘロドトスの『歴史』において、「クフ王のピラミッド」として報告されているが、この時点で建設から2000年以上経過していた。

「ケオプス(クフ)王は50年間統治したと言われている。ケオプス王が崩御した後、兄弟のケフラン(カフラー)が王となった。ケフランもピラミッドを造った。それはケオプスのピラミッドよりも12メートルほど低かった。だがそれ以外は同じような大きさのピラミッドだった。ケフラン王は56年間国を統治した。その後はケオプス王の息子ミケリノス(メンカウラー)が王位を継承した。ミケリノス王は父親よりも小さなピラミッドを残した。」

建築年代については諸説あり、一般的にエジプト第4王朝のファラオ、クフ王の墳墓として紀元前2560年頃に20年前後かけて建築されたと考えられている。

なお、19世紀のフランス人考古学者オーギュスト・マリエットによってギザで発見され、現在カイロ博物館にあるインベントリー石碑には、ピラミッドは「ピラミッドの女王」女神イシスに捧げられたものであり、スフィンクスも大ピラミッドも、クフ王が王位につくはるか昔から存在していたのであり、またクフ王の墓は東側の脇にある3つの補助的建造物の一つがそれであると書かれている(他の幾つかの遺跡も同じ)。

完成時の高さ146.6mは、14世紀にリンカン大聖堂が完成するまで世界で最も高い建造物であった。

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森のなかえ

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現代の探検家《河江肖剰》 =004=

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新たなピラミッド像を追って、エジプト考古学の魅惑の世界=河江肖剰=

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☠ 発掘調査と先端技術によって、古代のピラミットの実像

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◇◆ 第二回 マーク・レーナー博士との出会い = 1/2= ◇◆

エジプトでピラミッドが最も密集して建てられているのは、カイロ近郊のギザからダフシュールまでの南北25キロほどに広がる「メンフィス・ネクロポリス地区」である。 ここは世界遺産に登録されており、古代エジプトの時代区分でいう古王国時代(紀元前2543-2120年頃)に、大小様々なピラミッドが70基以上造営された。

 この時代の研究をしている世界的に高名なエジプト考古学者が3人いる。 1人目は、クフ王の父親であるスネフェル王が造営した赤ピラミッドと屈折ピラミッドが立つダフシュールの研究を行っているドイツのライナー・シュタデルマン教授。 2人目は、第5王朝時代(紀元前2435-2306年頃)のピラミッド群が立ち並ぶアブシールで長年にわたって調査を行っているチェコのミロスラフ・ベルナー教授。 そして3人目が、三大ピラミッドが立つギザ台地で発掘調査を行っているアメリカ人考古学者マーク・レーナー博士である。

 それぞれが個性的な経歴を持ち、数多くの考古学的に重要な発見をし、啓蒙的な論文や報告書を書いているが、他の2人と比べても、レーナーの経歴は極めてユニークだった。 実は、彼はもともとアメリカのニューエイジ運動の影響を受けた研究者だったのである。

 1973年、レーナーは「眠れる予言者」とうたわれたエドガー・ケイシーという心霊治療家のリーディング(催眠状態で語る内容)を信じて、1万2000年前に栄えたという超古代文明アトランティスの存在を証明するためにエジプトにやって来た。 しかし、そこで見つけたのは「神々の足跡」などではなく、まぎれもない「人々の足跡」だった。そのため、彼はケイシーのリーディングは内的世界の話であり、現実世界のことではないと考え、そこから現場を重要視する実践的な考古学者へと180度方向転換する。 そして、以後40年以上にわたり、ギザ台地の発掘調査に力を尽くすことになったのである。

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「ピラミッド・タウン」の発見

 考古学者としての道を歩み出したレーナーは、その後、ギザの大スフィンクスを初めて精密に実測し、その遺物から神秘性を剥ぎ取り、歴史を明らかにすることで博士号を取得している。

 次に、彼はクフ王の母親であるヘテプヘレス女王について研究している。 彼女の墓は大ピラミッドの東の竪坑から発見されているが、不思議なことに、未盗掘であったにも関わらず、棺の中はからっぽだった。 発見者であるジョージ・ライスナーは想像に富んだ仮説を立てたが、レーナーは、刑事事件の現場検証のように、発掘現場と報告書を綿密に調べ上げ、その理由を解明した。

 さらに1985年には、ギザのピラミッドを造営した人々の町があるはずだという大胆な仮説を発表した。 これまではナイル川を挟んで、太陽が昇る東に生者の町があり、西には死者の町である墓しかないと考えられていた。 しかし、レーナーは、ピラミッド建造が国家プロジェクトとして行われていたのであれば、町は、ピラミッドのすぐ近くにあったはずだと推論したのである。

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ダハシュールは、カイロの南約40キロメートルのナイル川西岸の砂漠にある王家のネクロポリス(王家の墓地・埋葬場所)である。いくつかのピラミッドがあることで知られており、中でも2つのピラミッドが特に古く大きく、保存状態もよい。

エジプト古王国時代のクフ王の父スネフェル(紀元前2613年-2589年)が建設した屈折ピラミッド赤いピラミッドがある。 屈折ピラミッドは独特の形状をしており、建設中に技術的問題が発生したためにこのような形状になったと見られている。 赤いピラミッドは世界初の階段状でないピラミッドである。

エジプト第12王朝アメンエムハト2世(紀元前1929年-1895年)のピラミッドは保存状態が悪い。 その隣から王家の女性の盗掘を免れた墓が見つかっており、多数の宝石類が出土している。 センウセルト3世のピラミッドは、南方のもう1つのピラミッドや王家の女性の小ピラミッド群と共に巨大な複合体を形成している。 このピラミッドに隣接する通廊墓からはセンウセルト3世の娘の2つの宝物が見つかっている。

黒いピラミッドアメンエムハト3世の治世後期のものとされ、浸食が激しいが、スネフェルの2つのピラミッド以外では最も印象的な記念碑である。 黒いピラミッドの頂上部にあった花崗岩製のピラミディオンは、カイロのエジプト考古学博物館のメインホールに展示されている。 このピラミッドの隣から、エジプト第13王朝の王ホルの墓(一部盗掘済み)とその娘と思われる Nubhetepti-khered の墓(未盗掘)が見つかっている。

ダハシュールには他にもエジプト第13王朝のピラミッドがいくつかある。 発掘調査が行われたのは、そのうち Ameny Qemau のピラミッドだけである。 尚、ダハシュールのピラミッド群の周辺には、エジプト古王国エジプト中王国の役人の墓地も多数見つかっている。

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新たなピラミッド像を追って、エジプト考古学の魅惑の世界=河江肖剰=

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☠ 発掘調査と先端技術によって、古代のピラミットの実像に迫る ☠

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◇◆ 第二回 マーク・レーナー博士との出会い = 2/2= ◇◆

 当時、ピラミッドに関する主な研究は、何百万個とも言われている石材の運搬方法や、あるいは宗教の発展についてだったが、レーナーはまったく違う視点でピラミッドを理解しようとしていた。 彼はピラミッド建築を、人間が実際に行う「建造プロジェクト」として見ようとしていた。 ピラミッドを造ることは、周囲の地形に途方もないスケールでの変化を引き起こしたはずであり、そのことを示す人為的な痕跡(特に傾斜路、石切場、港、居住地)がギザ台地のどこかに必ず残っているはずだと考えた。

 この仮説を証明すべく、レーナーはギザ台地全体を改めて測量し直し、その得られた遺構と地形の情報からスフィンクスの南400メートルほどに位置する「鴉(からす)の壁」に注目した。 自然石でできた長さ200メートルのこの壁の南側を発掘したところ、見事、ピラミッド時代の居住地である「ピラミッド・タウン」を発見したのである。

レーナー博士に直談判

 このレーナーの講演をカイロの国際交流基金で聴講したのは、大学4年生のときだった。 そのときの興奮を今でも覚えている。

 私たちの前に現れたレーナーは、発掘現場の熱気をそのまま身にまとった人物だった。 彼が説明する古代のギザ台地は、4500年前の人々の動きが生き生きと見えるようで、それはこれまで自分が知っていたこととはまったく違っていた。

 レーナーは、過去のピラミッド研究は仮説ばかりが提示され、地形や地質を考慮した現場のデータがなく、特に「人間」という重要なファクターが抜けていることを強調した。 そして、息もつかせぬストーリー展開で「ピラミッド・タウン」を発見するまでの過程と、最新の発掘状況について語ったのだった。

 講演会が終わり、レーナーと講演を企画した関係者と共に食事をすることになった。 私はこれまで彼の書いた50本ほどの論文や報告書をすべて読み込み、ファイリングしていたため、食事をしながら、これまで読んできた中で疑問に思ったことをあれこれと質問してみた。 レーナーは「これまで書いたものを一つにまとめると、ここまで分厚くなるのだな」と笑いながら、丁寧に質問に答えてくれた。

 質問の後に、卒業後はどうするつもりだと聞かれた。 私は、一息つくと、冷静でいながら熱意のこもった口調で(あらかじめ、この質問を想定し、実は何度も答える練習をしていた)、「できればどこかの発掘調査隊に入りたいと思っています。 ただ、まず卒業する前に、カイロ・アメリカン大学の自主研究(independent study)の制度を利用して、私が現在最も興味を持っているレーナー博士のギザ台地マッピング・プロジェクトへ参加させてもらうことはできないでしょうか?」と尋ねた。

 レーナーは、ファイリングされた自分の論文と報告書に手を置きながら、私の目をじっと見ると、「きみにやる気があるのであれば、歓迎しよう」と言ってくれた。

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ギザのピラミッド群

ギザの共同墓地はエジプトの首都カイロの郊外にあるギザ台地の上にある。 この古代の遺構の一群はカイロの中心街から20kmほど南西のナイル川のほとりにあるギザの旧市街から8kmほど砂漠に入ったところにある。 この古代エジプトの共同墓地はギザの大ピラミッドカフラー王のピラミッド、比較的小さめなメンカウラー王のピラミッド、そしてそれらに付随する、王妃のピラミッドとして知られるたくさんの建築物、スフィンクスで構成されている。

エジプト第4王朝期に建てられたピラミッドは王への信仰と権威を強調するためのものであった。 それらのピラミッドは墓所、そしてファラオの名前を人々の記憶に永遠にとどめておくために建造された。 その大きさと簡素なデザインはエジプトのデザインと大規模なものに対する工学の技術の高さを示している。

紀元前2580年に完成したと言われるギザの大ピラミッドはピラミッドの中で最も古く最も巨大なものであるが、世界の七不思議の中で唯一現存するものでもある。 カフラー王のピラミッドはカフラー王の治世末期である紀元前2532年頃にできたとされており、カフラー王は先祖のピラミッドの隣に自分のピラミッドを建てることに執念を燃やした。

彼のピラミッドは彼の父のものほどには高くなかったものの、ピラミッドの基礎を約10m父のものより高い場所に作ったことにより彼のピラミッドの方が高いような印象を与えることができた。

ピラミッドを建てるにあたって、カフラーは墓所の守護者として大きなスフィンクスを造らせた。 ファラオを想起させる人間の顔にライオンの体というデザインは神性を表す象徴として500年後のギリシャ国家で見られるものである。 スフィンクスは砂岩の巨大なブロックを彫って造られたもので、高さは約20mある。 メンカウラー王のピラミッドは紀元前2490年前後に建てられたものでその高さは3大ピラミッドの中では最も小さい約65mである。

太古にはギザ台地は海の底であり、石灰質の生物の死骸が長い時間をかけて堆積し、その後隆起し、石灰岩の台地が形成された。 そのためギザ台地の石灰岩は硬い層と柔らかい層が交互に積み重なっている。

胴体の凸凹は硬い層より柔らかい層が風化により差別侵食された結果である。 それに加え、ギザ台地はその由来から塩分を多く含み、毛細管現象により表面に析出した塩分が膨張することで表面が脆くなって剥離し、大スフィンクスは建造以来常に、そして現在も、崩壊し続けている。 そのためその歴史において度々修復されており、そのおかげでかろうじて現存しているともいえる。

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現代の探検家《河江肖剰》 =006=

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◇◆ 第三回 情熱あふれる発掘のプロたち = 1/2= ◇◆

世界中で、1カ所、発掘現場を選ぶとすれば、迷うことなくギザのピラミッドを選ぶ。 その場所にいま自分がいる――レーナー隊に入り、ピラミッド・タウンの発掘を始めたとき、最もいたい場所で、したいことをしているという高揚感は、これまで覚えたことがないものだった。

 夜明け前に起きて朝食を食べ、住んでいたカイロ市内のアパートから、ギザのディグ・ハウス(Dig House=宿舎兼研究室兼アーカイブ保存所)へ向かう。 早朝のミーティングに参加し、その日のチーム全体の動きや注意点を聞いた後、他のメンバーたちとともに機材を持って、トヨタの古いハイエースに乗り込み、ぎゅうぎゅう詰めになりながら現場へと出発する。

 ギザの現場はいつも清涼としていた。 凛とした冷たい空気。 民族衣装を着たエジプト人の人足たちの歌声(彼らは威勢をつけるときに皆で歌う)。 つるはしで地面を削る音。日の出前の透き通るような青から、徐々に赤みを帯びてくる空。 朝日に照らされ、燃え立つように赤く染まるピラミッド。 掘り返されたばかりの足下の遺跡。ここにいるだけで幸福感が強く、静かに湧いてきた。

 レーナー隊には、実に20カ国以上の様々な国籍の人たちが参加していた。 彼らの多くは、発掘や製図や写真を生業とする専門家で、エジプトだけでなく世界中の現場を渡り歩き、プロジェクトごとに雇用契約を交わす、言わば考古学におけるプロの傭兵のような人々だった。

 彼らはミッションからミッションへ、季節ごとに、世界中を渡り歩く。 例えば、1月から4月まではエジプト、5月から7月まではイギリス、8月から9月はトルコ、10月から12月はバーレーンと。

 この連載前記第一回に書いたように、エジプト学と考古学は似て非なるものである。 ピラミッド・タウンの現場には、エジプト学者がほとんどおらず、大半は考古学者だった。 ちなみに現場では、彼らは、自分たちのことを考古学者ではなく、ディガー(digger=発掘家)と呼んでいた。 それは、発掘に重きを置く現場主義の自負と、学者でありながら、いつも砂や泥にまみれている照れのようなものがあったからだ。

 ディガーのなかには、エジプトの歴史をまったく知らず、「あそこに見えている2つのピラミッドって、どっちがクフ王のものだっけ?」と聞いてくるメンバーもいたが、彼らは層位(地層の時間的関係)や遺構の切り合い関係(どちらが新しく、どちらが古いかを示す、重複の痕跡)を読むことに長け、丁寧に発掘し、きめ細かく記録をとることができるプロだった。

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 あるインタビューのなかで、レーナー博士は、自分のチームのことを聞かれた際、次のように答えている。

「このチームを一言で表すのであれば、“マーベリック”だ。 そして、我々の原動力は“パッション(情熱)” だ。 夜明け前に起き、日が沈むまで現場で働き、ディグ・ハウスに戻ってからも報告書や地図の製作、写真の整理など、真夜中過ぎまで作業している。それが数カ月間も続く。パッションがないと、とてもできない仕事だろう」

 マーベリックとは焼き印の押されていない仔牛のことであり、そこから、どの組織にも所属しない一匹狼を指すようになった。 レーナー博士は古代エジプト調査協会(Ancient Egypt Research Associates, Inc.)という組織を自ら立ち上げてはいたが、独立した研究者としての自負を持っていた。 そしてピラミッド・タウンの発掘メンバーも、そのほとんどが大学機関に所属している教員ではなく、プロの発掘家や専門家として働きながら研究している人たちだった。

 私はこのチームの一員になったことを心から誇りに思っていたが、大学では歴史学たるエジプト学しか学んでいなかったために、恥ずかしながら、発掘方法についてはほとんどなにも知らなかった。 そのためレーナー隊に入った後、知らないということを包み隠さず、分からないことがあれば、貪欲にあらゆることをメンバー一人一人に尋ねようと決め、ことあるたびに、質問を浴びせかけた。

 しかし、ありがたいことに、そういったことを嫌がるメンバーはここには誰もいなかった。 ベテランのメンバーである古植物学者のマリアンに色々なことを質問した後、「なんでもかんでも聞きすぎて、すいません…」と謝ったときには、「気にしないで。ユキ、あなたはパッションで有名だから」と笑われた。 そのときには、ほっとすると同時に、レーナー博士の話を思い出し、少し嬉しくなったものである。

///// ピラミッドの不思議 ///////

=不思議 その一= ピラミットの不思議なことは、東西南北を正確に向いている。 太陽や星の動きを参考にしていたとする説がある。 ギザの三代ピラミッドを例に挙げると、この三つのピラミッドは同時期に作られたものではないが、最初に作られたのはクフ王のピラミッドです。 このときの星の位置から計算していくと、残る二つのピラミッドの東西南北も恐らく太陽や星の動きから方向を決めたのだろうと推測できます。 しかし、太陽や星の動きを参考にすると年代が違うのでズレが生じてくる。

確かに3~14分のズレが生じていますので、太陽と星の動きを基準にしたのではないかと言われたが、反論する説もあります。 このズレの差を計算すると、クフ王のピラミッドは定説よりも古くなければいけないのです。 こうして様々な説が論じられているが、結局は解明されていないのです。

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◇◆ 第三回 情熱あふれる発掘のプロたち = 2/2= ◇◆

なぜ古代について知りたいのか

 ピラミッド・タウンの発掘は1月に始まる。 エジプトの冬は、実は、とても寒い。砂漠であればなおさらだ。 その時期には、朝、太陽が出るのがいつも待ち遠しく感じられた。コンクリートのように堅くなった地面をかじかみながらピッケルやこてで掘り進む作業をしていると、あっという間に手にひび割れが生じる。 横で働いているイギリス人考古学者を見ると、30代だというのに彼の手はひび割れ硬くなり年寄りの手のように見えた。

 2月、3月はハムシーン(砂嵐)の季節だ。 不安定な気候が続き、砂嵐が吹き荒れたり、雨が降ったりするなか、測量し、遺構の地図を作る。 4Hの硬い芯が入ったステッドラーのシャープペンシルでも砂混じりの雨に降られると、描いていくそばから線がにじみ、かすれていった。 1日が終わり、家に帰って服を脱ぐと、体中から砂が床に溜まるほどこぼれ落ちた。

 春が終わり、初夏になると暑さが急激に増していく。 それに比例するように、参加メンバーたちはそれぞれの国に帰り始めた。 私はエジプトに住んでいたということもあり、最後まで残っていた一人だった。 ある日のこと、最後まで現場で一緒に作業をしていたエジプト人の同僚アシュラフが、別の現場で用事があるということで、私は一人、ピラミッド・タウンで作業をすることになった。

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 現場は、1.5メートルの巨大な石灰岩の壁が立ち並ぶ"Standing Wall Island"と名付けられた場所だった。 ピラミッドを造った王の宮殿の周壁かもしれないそれらの壁のなかには、日干しレンガの壁の跡が縦横に走り、小部屋や通路、門戸などがあった(この場所はじつはまったく違う機能を持つ建物だということが10年後に分かったが、それはまた今度)。

 堆積した土壌の違いや、そこに含まれる土器や骨、壁の崩れ方や方向や長さを観察し、測量し、時折、休憩に甘いシャイ(お茶)を飲み、そして地図を製作していった。 砂の中から掘り返された古代遺跡は、現代人にとっては未知のものである。 その建物はどのような形をしていたのか、ここはどのような場所なのか、ここにはどのような人々がいたのか。 誰も知らない未知のものに触れる感覚は独特だった。

 そのとき、ふと、この現場のことを知っている人間は世界中で自分しかいないということに気がついた。 それは単に古代の建物の一部に過ぎなかったが、今、世界で、ただ自分だけがこの未知なるものを知っている。 自分一人だけが、その未知であるものを知ろうとしていると感じた。 この「自分が」という感覚は途方もないエゴイズムだが、なにか同時にとても大切な、人間であることの根幹のひとつであるようにも思えた。

 なぜ私たちは、古代について知りたいのだろう。 そうした強い欲求が生まれるのは、古代が決して知り得ない未知の世界だからかもしれない。 影のように跡を残しながら、実物は決して見えない。 追いかけても決して追いつけない。 時間という絶対的な存在に阻まれた私たちは、その場所に立つことはできても、時間を共有することは叶わない。 だからこそ追い求めているのかもしれない。 そんなことを一人考えながら、初めての発掘シーズンは終わっていった。

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///////// ピラミッドの不思議 //////////

=不思議 その二= かつては王の墓だと信じられていたピラミッドが、どうもそうではないようです。 なぜならピラミッドの内部にはファラオの棺は置かれていませんでした。 かの有名な黄金マスクのツタンカーメンが発見されたのは、ピラミッドではなく「王家の谷」と呼ばれる場所からでした。 ではピラミッドの存在の意味って一体何なのでしょうか。

これにも様々な説が飛び交っています。 「大規模なポンプ」とする説や、「暦を正確に伝えるための日時計」とする説、「ナイル流域を測量するための経緯儀」とする説まであります。 数多くある説の中に、「ピラミッドの存在が永遠の暦」とするものまでありますが、真偽のほどはやはり分かっていません。

 =不思議 その三= 現在ギザのピラミッドは、観光地として内部に入ることができるようになっている。 その入り口は中心部よりも横にズレているのです。 これはあとから入り口として開けた穴で、上部に本来の入り口がある。 しかし、この入り口も横にズレており、人為的にふさがれていたことが分かっています。

東西南北を正確に向いているピラミッドに、このようなズレが存在するのでしょうか。 また、わざわざ入り口を塞いだわけは? あくまでも憶測ですが、どうやらピラミッドは建造したあとに、外部からの侵入をできないようになっていたようです。 そして現在発見されている入口とされている場所がズレているのは、恐らく反対側に対になっている入り口があるのではないかという事です。 内部調査でも、分かっている控えの間や大回廊、王の間など、現在確認されているピラミッドの中も対になっていると考えられています。 これも超音波の検査結果からの憶測であり、内部を壊して確認したわけではないので、本当のことは分かっていません。

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◇◆ 第四回 ゴミの山は宝の山 = 1/3= ◇◆

「泥の塊?」と思うかもしれないが、実は、そこには情報価値がある。 封泥とは、泥の密封材のことだ。 それは現在で言うところの封蝋に当たる。 欧米では、いまでも封書やワインなどの瓶に蜜蝋(ミツバチの巣から得られる天然の蝋)で封印をし、個人や家系や機関などの紋章をその上に刻印する。

 古代エジプト人も、パピルス文書、箱、素焼きの陶器、ドアなどに、泥で封印を施し、そこに印章や手書きで、仕える王の名前や、持ち主の称号や役職、あるいは内容物の生産地や年の印を付けた。

 私が発掘している4500年前の都市遺構であるピラミッド・タウンでは、有機物であるパピルスはまったく残っていない。 そのため、唯一の残された文字資料が封泥なのである。 古代においては、封印されたものを開けるときに壊され、廃棄されてしまうゴミだが、考古学的には極めて貴重な情報を与えてくれる。 そのため、この泥の小さな塊が発見されると私たちは好奇心をかきたてられる。

 1988年にピラミッド・タウンの発掘が始まってからの17年間で、文字が刻まれた703個の封泥が発見されていた。 書かれてあったのは、ワアベト〈清めの場所〉という名称や、第3のピラミッドを造ったメンカウラーの名前、あるいは〈王家の書記〉という称号だった。 しかし、2005年、私のチームが「土器の丘」と呼ばれるピラミッド・タウンの一区画で発掘すると、そこからなんと2500個を超える封泥が発見されたのである。

ピラミッド・タウンの「貝塚」

「土器の丘」を最初に見たとき、遺物の圧倒的な量に唖然とした。 見つかったのは2004年の発掘シーズンの終わり頃だった。ピラミッド・タウンの南のエリアに堆積していた砂を除去すると、そこから迷路のような町並みが現れた。 そして、その一角の東西に約10メートル、南北に約5メートルの区画に、ぎっしりと土器片や動物の骨が山積みになっていたのである。

 シーズンの終わりに突如現れたその巨大な古代のゴミの山は、ひときわ目立つ存在だった。 私がその場所を見たのは、自分の現場での仕事を終え、帰り支度をすませたある日の夕刻だった。 日暮れの淡い太陽の光の中で、何人もの人足たちが、ゴミの山に堆積していた最後の砂を丁寧に刷毛で払っていた。 そのすぐ側には、彼らをまとめるライース〈親方〉が、仕事の様子をじっと見つめていた。

 私はライースの横に立ち、その巨大なゴミの山を茫然と眺めた。 私に気がつくと、ライースは手に持っていた小さなモノを渡してきた。 それは封泥だった。 夕陽の光を利用して、封泥に書かれたヒエログリフを読むと、メンカウラー王の別名、カーケトと書かれていた。

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=資料・文献=

封泥(ふうでい)とは古代の西アジアや中国において、重要物品を入れた容器や公的内容を記した木簡竹簡の束を封緘するとともに、責任の所在を示す証明書として用いられた粘土の塊のこと。 封緘、保管、輸送などを担当する責任者を記す記号や文字が刻まれたり、印が押捺されているのが普通。 中国のものは印章と同様に蒐集・鑑賞、篆刻の参考資料として研究されている。

西アジアの封泥はシュメール文明にさかのぼることができる。 紀元前5000年頃から使用例が見られるほか、紀元前3000年頃にはシュメール文明で板ではなく粘土玉により封泥を使用している。

この時期の封泥は交易品など重要物品の容器にかぶせた布や皮を封緘するためと、その内容と発送者の証明書に用いられた。内容物の品目を示し責任を明らかにするとともに、中身の改変を防ぐためである。 いずれにせよ封緘力が極めて強く、破壊しなければ開けられない=開けられたか否かが一目瞭然となる封泥は、その中身を保護・保存する目的には最適であったといえよう。

そして封泥で封緘を行った後は、封緘・保管に関する責任の所在を明らかにするため、必ず封緘した者を示す文字や記号が書き込まれた。 後に印章の使用が一般化すると印が押捺されるようになっていく。

シュメルやアッカドの封泥はローマやギリシャなどにも影響を与え、楔形文字や筆記媒体としての粘土板の発明にも寄与した。しかし封泥自体は8世紀にが伝わり使用が一般化すると衰退し、代わりに蝋を用いて封をかける「封蝋」として生き残った。 封蝋は重要な手紙の封緘や、条約締結書など最重要書類の署名を封じて改竄を防止するために使われるほか、高級ワインのボトルのラベルなど装飾目的でも使用されている。

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◇◆ 第四回 ゴミの山は宝の山 = 2/3= ◇◆

「表層だけでも、土器片のほかに、かなりの封泥が見えている。 ここは特別なゴミの山のようだな」 振り向くとレーナー博士とフィールド・ディレクターのモハセンがいた。

「すごいですね。 日本の貝塚を思い出しますね」 私は発見された封泥を渡しながら、一言感想を述べた。 レーナー博士は、その前の年に、日本に招聘されており、その際、東北の博物館に展示されている貝塚の「断面剥ぎ取り」を見ていたために(特に、この展示にひどく興味を惹かれていた)、貝塚についてもよく知っていた。

 ここは間違いなく、ピラミッド・タウンの貝塚であり、住居考古学者にとっては宝の山だった。 しかし同時に、実際に発掘する担当者にとっては、出土する遺物の整理、煩雑な記録、層位の判断を含め、悪夢のような発掘になるだろうなと、私は半ば他人事として想像した。

記録、記録、また記録

 翌年、新たな発掘シーズンが始まり、フィールド・ディレクターであるモハセンのもと、6人のエリア・スーパーバイザーが発表され、担当区画が割り当てられた。 ゴミの山は「土器の丘」と名付けられ、その発掘チームの責任者として、なんと私の名前が呼ばれた。

 "What?!" 普段あげないような素っ頓狂な声を出して、聞き返してしまった。 確かに、その前年まで私が発掘していたエリアは、「土器の丘」のすぐ側の「ユニット1」と呼ばれる邸宅跡だった。 そのことから考えても、私が担当になるのは、ある種、当然の成り行きだったが、それでも、このような貴重なエリアは、自分よりももっと経験豊かなディガーが担当するのだと思っていた。 しかし考えて見れば、ほかのエリアもそれぞれ重要な課題を抱えており、「土器の丘」はその地区を受け持っていた私がするほかないのだった。

 同僚のディガーたちは、心から同情するふりをしながら「層位なんぞ無視して、一気に掘ったらすぐに終わるぜ」、「いやいや、ここにアサインされるのは本当にラッキーだよ」と、軽口をたたいた。

「土器の丘」の発掘チームは、スウェーデン人の骨の専門家であるトヴェ・ビジョーク、ギザの遺跡査察局で働く2人のエジプト人女性ニヴィーン・ファラグとファーティマ・ムハンマド、ベテランの人足であるザブート・ムハンマド、そして屈強で無骨な人足ハッサン・ハッサン。そして、日によって変わる3人のアシスタントの計9人だった。

 私たちの目的は、この山のような堆積物を取り上げて、分類し、「土器の丘」のゴミの種類を明らかにし、これが徐々に年数をかけて堆積したのか、それともある一定の短い期間に堆積したのかを探ることだった。

 実際、もしかすると表面だけが土器に覆われていて、その下は、ほかのエリアと同じように、建造物が倒れた跡だったり、砂や粘土状の堆積物だったりするかもしれなかった。

 さらに、この土器の丘のゴミが、家の隣の空き地に捨てられるように捨てられたのか、それとも、何かの目的で集められたりしたのかを探りたいとも思っていた。

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=資料・文献=

《河江肖剰》:考古学における新たな計測の可能性(その一)

考古学は、墓に埋葬された財宝やミイラなど、「モノを掘り出す」仕事だと考えられています。しかし、実は、私たちの主な仕事というのは、過去の「情報を記録する」ことです。これによって、人間がどのように文明を築き上げたのか、巨大なピラミッドはどのように建造されたのか、当時の社会はどのように機能し、そこで人々はどのように暮らしていたのかを探ることができます。突き詰めて言えば、私たちが知りたいのは「人間とはいかなる存在であるのか」ということです。それを知るために、私たちは記録するのです。

エジプト考古学の父と謳われたイギリス人考古学者フリンダース・ピートリー卿は、発掘現場に持って行く最も重要な道具としてカメラを挙げました。それは瞬時に、素早く、あらゆるものを記録します。考古学において、写真は生データとして最もインフォーマティブなものとして考えられています。

近年、私は、多国籍産学共同プロジェクトのメンバーとして、エジプトの世界遺産の1つであるメンフィス地区で、巨石建造物の3D計測を始めました。これまでの写真のような2Dの記録から、さらに現実に近い3Dの記録を行うことにしたのです。信じられないかもしれませんが、実は、大ピラミッドの石を一つ一つを示すような計測データはいまだ取られていません。

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◇◆ 第四回 ゴミの山は宝の山 = 3/3= ◇◆

封泥は語る

 発掘はやはり大変だった。 表面だけにゴミが堆積しているという心配はすぐに消え、出土した遺物の記録に追われ、いったいどこまで掘れば、ゴミがなくなるのかという心配に変わった。 出てきたのは、ビールを入れる壷の大量の破片(じつに60パーセント以上)、大量の動物の骨(それも10カ月以下の仔牛)、大量の炭(90パーセント以上がナイルアカシア)、石製の道具、銅製の釣り針、ファイアンス(釉薬の施された陶器)のビーズ、そして、2500もの封泥だった。

 私たちは来る日も来る日も記録に追われた。 倉庫で働く遺物の専門家たちも「もう出土物を送ってくるな」と冗談を言うほどだったが、そんな中、封泥の専門家ジョン・ノーランだけは狂喜して「もっと掘れ!」と叫んでいた。 彼はピラミッド・タウンの封泥の研究で博士号を取ろうとしていたが、それまでの17年間で発見された703個の封泥は、異なるエリアの、異なる層から出土していたために、包括的に理解し、意味づけするのが非常に困難だった。 しかし「土器の丘」から出土した封泥によって、ようやく研究をまとめるめどが立ったのである。

 実際、ジョンの封泥の解読によって様々なことが示唆された。まず、この大量のゴミの山は隣接する邸宅「ユニット1」から来ているようだった。 なぜなら、〈王家の教育に携わる王室文書の書記〉という称号が、この2つのエリアから発見されたからである。これは王子と直接関わる人物に与えられる極めて珍しい称号であり、この称号を持つ人物は、現在では一人しか知られていない。それは有名な書記の一族の一人であるセシェムネフェル2世という人物だった。

 実はこれまで、ピラミッド・タウンでは、そこに住んでいた人物の名前がわかる遺物はひとつも出てきていなかった。 先に述べたように、パピルスのような文字資料は残っておらず、発見されていた封泥も、人物名を記しているものはなかったためである。しかし「土器の丘」の発掘と、封泥の発見、そしてその書かれたヒエログリフの研究によって、初めてピラミッド・タウンに住んでいた人の名前が浮かび上がったのである。

 さらに封泥の分析によって、当時の王が持つ「ホルス名」という称号が、生きているときだけに使われ、亡くなるとホルス名は使われなくなったり、その一部が外されたりすることがわかった。

 私たちが発掘した、これらの泥の小さな塊は、貴石からでは知ることができない、ピラミッド・タウンに住んでいた人の名前、そして、当時の王権についても語ってくれる、非常に重要な発見だったのである。

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=資料・文献=

《河江肖剰》:考古学における新たな計測の可能性(その二)

3D計測としてよく知られているのがレーザー・スキャニングです。 1秒間に何万、何十万点ものレーザーを対象物に放射し、「点群」として形状を記録します。しかし、問題は、多大なコスト、そしてトータルステーションのように地面に設置して測るため、ピラミッドのような形状の計測を行うと、上部のデータが取れないということです。

この二つの問題を解決する技術として紹介されたのが、αUAVによる写真測量です。 これまで極めて困難だったピラミッドの超高解像度オルソ画像の生成や、そこから3Dデータを生成することも可能であり、ピラミッド建造に関する新たな情報が手に入るのではないかと期待しています。 さらに、通常のUAVとは異なり、αUAVの8枚構造のプロペラは、墜落事故による遺跡の損壊のリスクも大幅に減らしてくれるため、文化財の計測に向いているでしょう。

UAVによる写真測量は、ピラミッドだけでけでなく、『王家の谷』のような入り組んだワディ(砂漠の涸れ谷)の全域の3Dデータを造り上げたり、ギザの『ピラミッド・タウン』を定期的に撮影することで、サイト・マネージメントの一環としても役に立つでしょう。 おそらく、この技術は、エジプト考古学におけて新たな、スタンダードな計測方法になり得るのではないかと思っています。

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現代の探検家《河江肖剰》 =011=

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新たなピラミッド像を追って、エジプト考古学の魅惑の世界=河江肖剰=

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◇◆ 第五回 3Dモデル生成、舞台裏の奮闘 = 1/3= ◇◆

 ナショナルジオグラフィック日本語版2015年12月号に、現在私が行っている大ピラミッドの3D調査が紹介された。 エジプト滞在中、考古学の研究とともに、半ば趣味で写真を撮っていた私にとって、ナショジオは憧れの雑誌であり、そこに載るというのは一つ大きな目標だった。

 今回、日本版というローカルなものではあるが、ここに自分の研究が取り上げられたのは感慨深い。 しかし、これは私一人の力ではなく、本誌でも説明しているように、総合科学としての考古学プロジェクトで働く、チームの全員の力である。

 そこで、今回のWebナショジオでは現場の話ではなく、現場から得たデータを解析すべく、舞台裏で活躍している3Dチームについて紹介したいと思う。 そこには表舞台以上のドラマや葛藤があり、その奮闘の中から生まれたデータが誌面を飾っている。

 最初に、本誌にも記載した、今シーズン最大の成果物である大ピラミッドの”窪み”と”洞穴”の3Dデーターを、Webならではの方法である映像でお見せしよう。 これが大ピラミッドの内部の石組み構造を知る手掛かりとなったものである。 そして、以下に、そのデータができ上がるまでのこの2年間の闘いについて述べていこう。

ピラミッドに登る

 2013年3月、TBSの番組「世界ふしぎ発見!」の撮影に同行した私は、特別な許可のもと大ピラミッドに登った(普段、登ることは禁じられている)。 考古学者がピラミッドに登るのは、そこにピラミッドがあるからではない。 学術的な目的があるから登るのである。 私の目的は、北東の角80メートル地点にある、石材が剥がれ落ちてできた「窪み」のような場所と、その奥にある「洞穴」のような空間を観察し、ピラミッドの石組み構造について新たな知見を得ることだった。

 大ピラミッドは、世界で最も有名な古代建造物であるにも関わらず、実は石材の一つ一つを実測した図は存在しない。 あるのは内部の部屋や通路の大きさを示す部分的な立面図や平面図、あるいは現存する201段ある各石材の高さだけを示す図である。

 さらにギザのピラミッドを含む第4王朝のピラミッド群は、建造技術が高く、崩れている場所がほとんどないため(後のピラミッドのように崩れていれば、内部構造の観察が可能である)、内部の石組み構造が判明していない。 しかし、この「窪み」と「洞穴」は、石組み構造の手掛かりを与えてくれるかもしれない場所だったのである。

 これらの場所は、もともとフランスの建築家であるジャン=ピエール・ウーダン氏が、彼が唱える「内部螺旋(らせん)傾斜路」説を裏づけるものだと主張して有名になった場所だった。 彼によれば、230万個と言われている石材を運び上げるためには、従来考えられてきたように外側に傾斜路を設けたのではなく、ピラミッドの内部に螺旋状の傾斜路が造られたのだという。 そして、その一部が「窪み」と「洞穴」だというのである。

 しかし実際、撮影クルーとともに、私が登ってみて観察したところ、ウーダン氏が主張するような証拠は何も見当たらなかった。しかし同時に、興味深いことに、これまで考えられていたように、大ピラミッドの石材はすべて完璧に整ったものではなく、「洞穴」の石材は不ぞろいで、整然と東西南北に向いてすらいなかった。 この場所をさらに理解するためには、実測図が必要だったが、今回の登頂は考古学調査のためではなく、あくまでテレビ撮影のためであったため、その場所を細かく記録する時間も機材もなかった。

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=資料・文献=

エジプト・ピラミッド学(1)

ピラミッドは、エジプト・中南米などに見られる四角錘状の巨石建造物の総称であり、また同様の形状の物体を指す。 なかでも最も有名なものはエジプトにあるギザの大ピラミッドをはじめとする真正ピラミッド群で、その形からかつては金字塔(きんじとう)という訳語が使われていた。 エジプトのピラミッドは世界でもっとも有名な遺跡の一つとされており、現代においても「金字塔」は、ピラミッドのように雄大かつ揺るぎもしない後世に永く残る立派な業績(偉大な作品や事業)などを表す代名詞となっている。

上記のとおり、ピラミッドとして最も著名なギザの大ピラミッドが明確な四角錐の形状をしているために、ピラミッドは四角錐または三角形のものの代名詞となっているが、こうした形状のピラミッドが存在した場所は基本的に古代エジプトおよびその影響を受けたヌビア、そしてそれを模倣した後世の建築のみであり、メソポタミアジッグラトメソアメリカ各文明のピラミッドといった世界各地に存在するピラミッドの多くは、階段状に層を積み重ねていき上部のとがっていない、いわゆる階段ピラミッド(後述参照)が主流となっている。 また古代エジプトにおいても、真正ピラミッドが出現するまでは過渡的な形態として階段ピラミッドが存在していた。

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3Dチームの闘い

 日本に戻ると、3Dチーム・メンバーである関西大学の安室喜弘先生と、大阪大学の金谷一朗先生に相談をしてみることにした。彼らは考古学者ではなく、コンピューター・サイエンティストである。当時、安室先生と金谷先生とは、ギザの第4のピラミッドと言われていたケントカウエス女王墓の3Dデータを用いた共同研究を行っていた。 事情を話すと、Structure From Motion(以下SFM)という技術を使えば、撮影した映像から3Dデータを生成することは可能かもしれないという。 もしそれができれば、今度はそこから立面図や平面図をおこすことができる。

 そこでまず、今回得た貴重な映像を使わせてもらえるかどうかを、番組のディレクターの岩垣保氏に尋ねてみた。すると二つ返事で承諾していただいただけでなく、オリジナルのデータが必要なのか、それとも別の映像フォーマットが必要なのか、こちらのリクエストに合わせて、どのような形でも対応しますという有り難い言葉までいただいた。 オリジナルデータをハードディスクに入れて送ってもらい、3Dモデルの生成を試みたが、これが一筋縄ではいかなかった。

 当時、SFMは、コンピューター・サイエンスの分野としても一種のブームになっており、様々なソフトがでていた。 安室先生はPhotoModeler Scannerというソフトを用い、映像をそのまま3Dモデルにすることを試みたが、しかし、すぐにこれがほぼ不可能であることが分かった。

 送られてきた映像は、カメラの設置場所を固定して上下左右にカメラを振ったり、ズームしたりして撮影されていた。 SFMに適している映像素材は、カメラの設置場所を変えながら、様々な角度でオブジェクトを撮影する方法であるため、こういった通常のテレビ番組向けのカメラワークで撮影された映像はSFMに適していなかったのである。

  さらに、問題になったのは、ほとんどの映像に、私が映り込んでいることだった。 3Dモデルを生成する対象は、洞穴であって、私ではない。そのため、私の姿ははっきり言って邪魔だったのである。

 紆余曲折を経て、映像そのものを用いるのではなく、20分ほどの元の映像から、7分弱の使えそうな映像を選出し、QuickTimeというソフトを用いて、約3万枚の画像としてエクスポートし、今度そこから、使えそうな画像をPhotoModelerでマッチングさせてみた。 それでも画像はうまく重ならなかったが、最終的に、Photosynthという無償のソフトを試したところ、3Dモデルを生成できたのである。

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エジプト・ピラミッド学(2)

古代エジプトにおけるピラミッドは、巨石を四角錘状に積み上げ、中に通路や部屋を配置した建造物である。 王が天に昇る階段としての役割や、その斜めの外形が太陽光を模したものであるとも考えられている。

ピラミッドは単体で完成したものではなく、付随する葬祭殿等との複合体として考えるべき特徴を持つ。 (大ピラミッドなどの代表的な例では)ピラミッド本体には基本的に北面に入り口があり、玄室(と思われる部屋)に至る道や「重力分散の間」と呼ばれる謎の機構など、未解明の仕掛けがある。

 ヘロドトスの『歴史』に記述されて以来、一般的には奴隷強制労働で築いた王墓とされてきたが、1990年代に入ってからギザの大ピラミッド付近でピラミッド建造に関わったとされる人々の住居跡や墓が見つかり、ピラミッド建設に関わった道具や手術跡など高度な外科治療が施された人骨が発見された。更には、女性や子供達の骨も数多く発見され、家族で暮らしていたことが推測された。

このような事実から、定住しピラミッド建設に携わっていたのは虐げられていた奴隷ではなく、専属の労働者がいたことが明らかになった。 また、ピラミッド建設に必要な高い建築技術は専門の技術者でなければ持っていないこと、建設に関する労働者のチーム編成や作業記録が文字で残っていることから、専門的な知識を持った技術者がいたことも推測される。

また、住居跡があることから技術者は年間を通してピラミッド建設現場に居住していたことが分かっている。 ナイル川が上流のサバナ気候の影響で氾濫し、農業ができない間農民が労働力として使われていた救済土木事業説もあるが、それに関する論文などは存在しない。

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◇◆ 第五回 3Dモデル生成、舞台裏の奮闘 = 3/3= ◇◆

ウーダン氏からの友達リクエスト

 関大チームが3Dモデルの生成に奮闘しているある日、私の元に「内部螺旋傾斜路」説を唱えたウーダン氏から、突然、Facebookの友達リクエストが送られてきた。 驚いたが、承認したところ、すぐに以下のようなメッセージが届いた。

「君が、クフ王のピラミッドに登った話と、そこでダッソー・システムズ(註:フランス最大のソフトウェア会社。 ウーダン氏のスポンサー)についてツイートしているのを見つけた。 ……知っての通り、私は13年以上にわたってクフ王のピラミッドについて調べている。……是非、君たちが持っているオリジナル映像を見せて欲しい」

 さらに、彼は、自分が考えるクフ王の「洞穴」の本来の機能をCG化した映像を送ってきて、こう言ってきた。

「こちらは映像や画像を送ったので、君の方からの(映像の貸し出しについての)ポジティブな答えを期待している」

「世界ふしぎ発見!」の撮影で大ピラミッドに登った話はツイートしたが、彼やダッソー・システムズが、ピラミッドに関する発信を日本語までチェックしているのは驚いた。しかし、いずれにせよ、彼が送ってきたCG映像や画像は、別に私が求めたわけでもないし、それらはすでにYouTubeにもアップされており、見たこともあった。

 さらに私が興味あるのは、仮説をイメージ化したCGなどではなく、あくまで現場の生の情報であったため、彼のように、自分の説ありきという姿勢で証拠を集めるアプローチには、正直、違和感を覚えていた。

 そこで、私たちの目的は、誰もが使え、アクセスできる「学術データ」を構築することなので、それができたときに改めて議論しようと返事を出した。

先に発表しなければ!

 しかし、実はそのとき、私が警戒したのは、ウーダン氏とダッソー・システムズが、映像を使って、独自に3Dモデルを生成することだった。 彼らはすでに「窪み」と「洞穴」に登っており、映像も撮っている。 今回、TBSの映像を欲したのは、自分たちの映像が、暗くて、よく見えない箇所があるからだと言う。しかし仮説のCG化にしか興味がない彼らは、現場をありのままに3Dモデルで再現するというアイデアは浮かばなかったようだ。

 だが、少し調べれば、私たちが行おうとしていることに気づくかもしれない。 そうすると、ダッソー・システムズという巨大な複合企業の力をもってすれば、あっというまに3Dモデルはできそうである。 彼らが学術的なデータとして公開するのであれば、一番にデータを作り上げた栄誉はなくなるが、学術的には問題はない。 しかし、これまでの方法を見ていると、自分たちに都合のいいデータだけを「内部螺旋傾斜路」説の裏づけとして使うように思われた。

 となると、やはり最初に、こちら側で3Dモデルを生成し、実測図を完成させ、国際会議での発表や学術誌への投稿など、データを公の場で発表する必要があった。

 私たちは、早々にデータを完成させなければならないという強い焦りを感じ始めていた。

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=資料・文献=

エジプト・ピラミッド学(3)

ピラミッドが「なんのために」「どのような建築方法で」作られたかについては定説が無い。 最も有名な「王墓説」は王家の墓が別に発見されることから否定される傾向にあり、その他「日時計説」「穀物倉庫説」「宗教儀式神殿説」「天体観測施設説」もその後の研究や物証によって否定されるなど主たる意見となっていない。

またドイツの考古学者であるメンデルスゾーンが提唱した「農民救済の公共事業説」のように物証を伴わない説は反証されることもないが、同じく実証を伴わないアイディアに留まる傾向が強く、主たる論とはなっていない。

そのためピラミッドは「王墓」であるという説明が続けられていることが多い。 また、王墓であるかどうかとは別に、葬祭殿や付随する墓地群などから見て、ピラミッドが葬礼と関連があること自体は確実視されている。

なお、2008年11月にサッカラで発見されたシェシェティ女王のピラミッドはエジプト国内で118基目である。

ピラミッドと言う語源は、ギリシャ語で三角形のパンを指すピューラミス(πυραμίς; pyramis; ピラミス、ピラムスとも)に由来するという説が最も有力。 古代エジプト語ではギザのピラミッドに「昇る」という意味の「メル(ミル、ムルとも。ヒエログリフでは△と書く)」という言葉を当てていた。

因みに、現在我々が見るようなピラミッドの形態はある時点で突発的に形成されたわけではなく、何世代もかけて練り上げられてきたものである(ただし、それぞれのピラミッドはその形状で完成形態であるとする研究も出てきている)。

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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

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