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Channel: 【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》
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現代の探検家《小林快次》 =38=

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○ 世界中を飛び回り、恐竜の姿を求める / 小林快次 ○

◇◆ 第8回  デイノケイルス化石の発掘 =8/9= ◇◆

 私たちが発見した恐竜の種類と数。 そして盗掘現場から得られたデータを掛け合わせると面白いことがわかってきた。 モンゴル南部に広がる白亜紀末の地層。 デイノケイルスもこの地層から発見されている訳だが、骨化石から再現できる当時の環境には、ガリミムスがたくさん棲んでいたということがわかった。 ガリミムスは、ダチョウにそっくりなオルニトミモサウルス類。雑食または植物食である。

 本来、予想される恐竜時代の生態系構成としては、多くがハドロサウルス科や角竜類といった植物食恐竜。 同じ時代のカナダやアメリカの恐竜化石産地から見つかる化石のほとんどが、これらハドロサウルス科や角竜類である。 そして、オルニトミモサウルス類の化石がごくまれに発見される。

 しかし、モンゴルの白亜紀末の地層からは、サウロロフスとバルズボルディアというハドロサウルス科の恐竜が知られているが、発見される化石はそれほど多くない。 また、トリケラトプスと言った大型の角竜は、モンゴルでは発見されていない。

 当時頂点を支配していたティラノサウルスの仲間タルボサウルスは、何を食べていたのか。肉がたくさんついて動きの鈍いハドロサウルス科や角竜は少なくので、ガリガリで逃げ足の速いオルニトミモサウルス類を襲っていたのか。 謎だ。 そして、巨大恐竜デイノケイルスの存在。 これも謎だ。

 この謎のヒントがモンゴルから6,000キロ離れたアラスカにあった。

 米国アラスカ州デナリ国立公園。 私は、この土地に2007年から毎年調査に入っている。 偶然なのか、ここにもデイノケイルスが棲んでいた時と同じ時代の地層がある。 そして、私たちはここで無数の恐竜の足跡化石を見つけている。

 アラスカで調査をしている理由はいくつかあるが、その一つに「アジアの恐竜はいつどこからやってきたのか。 またいつどこへ行ったのか。」というテーマに興味を持っている。 そのため、アラスカから、アジアの恐竜を探していた。

 結論から言うと、未だアジアの恐竜を北米(アラスカ)からまだ発見できていない。 しかし、このデナリ国立公園の調査によって面白いことがわかってきた。 私たちの調査によって、ハドロサウルス科、角竜、テリジノサウルス科の足跡が多数発見された。面白いのはその発見のされ方である。

 ハドロサウルス科とテリジノサウルス科の足跡は、一緒に見つかることが多い。 角竜の足跡が集中しているところからは、ハドロサウルス科やテリジノサウルス科の足跡は、ほとんど発見されない。 これが意味することは何か。

 簡単に言うと、棲み分けをしているということである。 植物食のハドロサウルス科と角竜は、生活様式がほぼ等しいため、生活空間を分けることで競争を回避していたのだ。

 その一方で、植物食のテリジノサウルス科は、ハドロサウルス科と共存できたということから、同じ植物食でも違う植物を食べていたため、競争すること無く仲良く暮らしていたと考えられる。 この考えをひらめいたとき、次々と疑問が浮かんできた。

  「北米の生態系における植物食恐竜はハドロサウルス類と角竜で占められ、ティラノサウルスのお腹を満たしていた。じゃあ、アジア(モンゴル)の植物食恐竜ってどんな恐竜だったのか。 オルニトミモサウルス類とハドロサウルス科なのか。なぜ角竜がいなかったのか。いなかったことで生態系にどのような影響を及ぼしたのか。」  次々と頭に浮かんでくる疑問を考えているうちに、モンゴルでの謎に光が射したように感じた。

 「北米の巨大植物食恐竜(megaherbivores)は、ハドロサウルス科と角竜類。 モンゴルの巨大植物食恐竜は、ハドロサウルス科と数少ない竜脚類。 角竜類がいないモンゴルでは、その空いた生活圏を誰が支配していたのか。 竜脚類で十分だったのだろうか。」

  この時にリンクしたのが、巨大な体をもつデイノケイルスとテリジノサウルスである。

  デイノケイルスやテリジノサウルスは、奇妙な体をしていることによく注目されるが、その体の大きさも異常である。体の巨大化と奇妙な体の進化は、関係しているのではないか。 そして、巨大化した理由は、角竜が存在していないからではないかと考えたときに、私は鳥肌が立った。


  角竜のいない生態系だったからこそ、植物食だったデイノケイルスやテリジノサウルスの祖先が角竜に置き換わってその生活圏を支配した。 生活圏を支配したデイノケイルスやテリジノサウルスの祖先は、まるで北米の角竜が巨大化するように、巨大化していった。 そして、その巨大化に伴って、デイノケイルスは巨大な腕を、そしてテリジノサウルスは巨大な爪を手に入れていったのではないかというふうに私は考えた。

 そう考えると、北米の白亜紀末の地層から、巨大なデイノケイルスやテリジノサウルスが発見されないのもうなずける。

 さらに、私の「デイノケイルスはオルニトミモサウルス類」という説が正しければ、角竜のいない生態系で、植物食だったオルニトミモサウルス類が巨大化したのがデイノケイルスということになる。 白亜紀末のモンゴルは、ガリガリではあるもののたくさん棲んでいた小型のオルニトミモサウルス類と、巨大化したデイノケイルスが、タルボサウルスのお腹を満たしていたのかもしれない。

  そして、2009年夏、ついに待望の日がやってくる。 この年、私はアラスカでの調査のため、数日遅れてモンゴルの調査に参加した。 キャンプに合流した私は、韓国の恐竜研究者イ・ユンナムに近況を聞いた。 「これまでは盗掘現場ばっかり。でもそのうちの一つが、かなりやられてるけど壊されていない骨もたくさんあって良いかもしれない。タルボサウルスじゃなくてテリジノサウルスだって、フィルが言ってる。」

  それから数日間は、盗掘現場で作業を行った。 壊された骨の収集。 そして、まだ地中に残された骨を掘り出した。意外にもかなりの骨が揃っていることがわかった。 予想以上だった。 するとイ・ユンナムが大声で私を呼ぶ声が聞こえた。

  「ヨシ!ちょっとこっちに来て!」 見せられた肩と腕の骨をみてすぐにわかった。 デイノケイルスだと。 テリジノサウルスだと思って掘っていた骨格はデイノケイルスだった。 イ・ユンナムも興奮していた。 フィルも興奮していた。 参加したみんなも喜びに満たされていた。 みんなが何十年も追い続けてきたデイノケイルスの骨格が目の前にあることを。 

  そしてその全貌が私たちの手によって明らかにされることを。

 

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森のなかえ

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現代の探検家《小林快次》 =39=

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○ 世界中を飛び回り、恐竜の姿を求める / 小林快次 ○

◇◆ エピローグとして  “恐竜・デイノケイルス” ◇◆

  デイノケイルス (Deinocheirus ) は、中生代白亜紀末期に生存した恐竜。 1965年にモンゴルで全長2.4メートルに達する巨大な両腕の骨格化石のみが発見されて1970年に記載されたが、長らく詳しい事はわかっていなかった。しかし、2013年の古脊椎動物学会で、2006年と2009年に胴体部分が発見されたと発表された。 属名は、ギリシャ語で「恐ろしい手」を意味する。ギリシャ語のケイロス(χειρος)は手を意味する単語である。

分類

 模式種はデイノケイルス・ミリフィクス (Deinocheirus mirificus ) 。 デイノケイルスはコエルロサウルス類のオルニトミモサウルス類に分類されたが、それまでの獣脚亜目の単純な二分法に再検討をもたらした点で注目される。

  この恐竜の発見・記載以前は、獣脚亜目の恐竜は大型のカルノサウルス類と小型のコエルロサウルス類に明確に分けられていた。  前者はアロサウルスメガロサウルスケラトサウルスなどがふくまれ、ティラノサウルスも当時はカルノサウルスの仲間とされていた。  これらは大きな体躯、大型の獲物を攻撃・捕食するための大きな頭部と口、体と不釣合いに小さな前肢が特徴である。  後者は体が小さく大部分が全長3メートル以下であり、頸部が長くて頭は比較的小さく、自分の体よりずっと小さな獲物を捕らえるか、もしくは雑食であり、前肢は長く大きい。

  それまでは小型のグループとされていたコエルロサウルス類に、カルノサウルスに匹敵する大型のデイノケイルスが加えられた結果、そうした分類は不完全なものである事が明らかになり、コエルロサウルスの仲間が非常に変化に富んだものであるとわかった。  実際には発見と記載はテリジノサウルスの方が早かったが、先に研究者の注意を引いて見直しの機運を導いたのはデイノケイルスである。

形態

  2.4mもある腕だけが発見されていた頃は、どのような恐竜であったかは想像の域を出なかった。  指は3本で、先端には鋭い鉤爪が付いているが、腕の骨そのものはさして頑丈ではない。  コエルロサウルス類に属するので、頸が長く頭部も比較的小さく、二足歩行をしており、体躯に対する前肢の比率はカルノサウルス類より大きかったとの推定から、カルノサウルス類の中でも最大級のものに匹敵する全長12メートルという説があったが、もう少し小さかったのではないかという異論もあった。

  新たに発掘された胴体部の化石を踏まえ、韓国地質資源研究院のイ・ユンナム(李隆濫)は「想像とはまったく異なる形態」として、全長11m(直立した場合の全高5m)とした。  さらに脊椎骨の分析結果として、スピノサウルスにも似た帆を張った背ビレを持っていた可能性も指摘された。

  2006年から2010年までゴビ砂漠で恐竜発掘調査を実施。  2006年と2009年に、2体のデイノケイルスの骨格化石が発見された。  また、同調査とは別にモンゴルから日本へ密輸され、現在はモンゴルへと返還されている標本も研究対象とし、2009年に採取した標本と比べたところ、同一個体であると判断したという。

  これらの個体を調べた結果、デイノケイルスは獣脚類オルニトミモサウルス類の恐竜であることが判明、全長11m、体重6.4tという巨体であったと推測された。  オルニトミモサウルス類は骨を空洞にして軽量化することで、走行性の優れた足の速い恐竜であることで有名で、体長も最大でも6mほど。  一方のデイノケイルスは軽くなった体を巨大化へと利用して進化を遂げたと考えられている。

生態

  胴体部から、胃石と思われる小さな石が1000個以上発見されたことから、草食性であると推定される。  なお、腕の化石のみが発見されていた当初は、恐ろしげな巨腕と鉤爪によって獲物を攻撃・捕食するどう猛な肉食動物とも考えられたが、前述のように腕はそれほど強力ではなく、また想像されるコエルロサウルス型の体型では頭部や口が小さいので、積極的な捕食者とする意見には疑問も出されていた。  そのため、爪で樹木の幹を引っかき、樹皮をはがして食べる草食恐竜との説もあり、腕と爪は肉食恐竜に襲われた時の防衛用とも考えられていた。

  テリジノサウルス : テリジノサウルス(Therizinosaurus)は、中生代白亜紀後期にモンゴルに生息していた恐竜の一種。名前は「刈り取りをする爬虫類」を意味し、前肢の巨大なツメを“刈り取り用の大鎌”に見立てた命名である。  因みに種小名のcheloniformisは「カメのような姿の」と言う意味で、後述の前脚化石と共に幅広の肋骨化石が見つかり、カメのような姿に復元された事に由来する。  推定全長8 - 11m。  「テリズィノサウルス」、「ティリジノサウルス」とも呼ばれる。

  1948年に、全長2メートルもの巨大な前脚が、不完全な後脚、幅の広い肋骨と共に発見された。  その腕についたかぎ爪は70センチにも達し、生存時は表面に角質のサヤがついて90cmほどになったと見られている。  この巨大な前足から、当初は「超巨大肉食恐竜である」「アリクイのように巨大なツメで昆虫を掘り起こして食べる恐竜である」などと推測された。  また、幅の広い肋骨からカメのような姿に復元されたこともある。

  その後、1988年のアラシャサウルスのほぼ完全な骨格の発見により、その正体がようやく明らかになった。  テリジノサウルス自身は獣脚類に属するが、動きの鈍い植物食恐竜であったと見られている。  獣脚類は普通、3本の指を接地させ歩行し、4本目の指は退化する傾向にあるが、テリジノサウルスの場合、後肢は4本の指を接地させて歩いたと考えられる。  原始的なテリジノサウルスであるベイピアオサウルスでは4本目の指が退化したままであり、進化の過程で再び4本目の指が発達していったものと考えられる。  この種には原始的ながら羽毛があった痕跡が残されていた。

  ちなみに、テリジノサウルス科に属する恐竜は側面に腕を広げられ、鳥が羽ばたくような動きも可能な腕構造を持っていたが、なぜこのような進化を遂げたのかはよくわかっていない。  また、食性についても植物食であるという直接の証拠は少なく、魚食性であったとする説もある。


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森のなかえ

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現代の探検家《田邊優貴子》 =01=

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○ 南極の凍った湖に潜って、原始地球の生態系を追う =田邊優貴子= ○

◇◆ プロローグにかえて・・・・・・ =01/30= ◇◆

「今年も南極の湖に潜ってきます」  田邊女史からメールが届いた

 4度目の南極調査に向かうという

 めざすは厚さ4メートルの氷に覆われた極寒の湖

 そこにはなんと“原始地球の生態系”が隠されているのだとか

 『南極なう!』著者による生命史研究アドベンチャー

 「北極と南極 生まれたての地球に息づく生命たち」 田邊優貴子

 <iframe src="https://www.youtube.com/embed/8LJ5UWG__bY" frameborder="0" width="600" height="338"></iframe>

  南極大陸に、不思議な湖がある。 表面が1年中凍ったままで解けることがないにもかかわらず、閉ざされた湖底に植物が息づいているという。 冷たい極限環境で、植物はどのように生きているのか。 そこから原始地球の生態系を知るヒントが得られるのではないか。 田邊優貴子さんは、厚さ4メートルの氷に穴を開け、湖に潜ってその生態を調べている。 研究フィールドは南極だけではない。 

 これまで南極5回、北極地方3回と、最も長距離の渡りをする鳥の一つとして知られ、1年のうちに北極圏南極圏の間を往き来するキョクアジサシのように地球の両極を行ったり来たりしながら、極限環境に暮らす生きものたちの不思議を精力的に観察・調査している。 現在、国立極地研究所生物圏研究グループ助教である。 彼女の冒険的な足跡を追う前に、プロフィールをスケッチしよう。

田邊優貴子(たなべ・ゆきこ)プロフィール

1978年、青森市生まれ。 植物生理生態学者、陸水学者。 博士(理学)。 2006年京都大学大学院博士課程退学後、2008年総合研究大学院大学博士課程修了。 早稲田大学 高等研究所・助教を経て現在は、国立極地研究所・助教。 小学生の頃から極北の地に憧れを抱き、大学4年生のときには真冬のアラスカ・ブルックス山脈麓のエスキモーの村で過ごした。 それ以後もアラスカを訪れ、「人工の光合成システム」の研究者から、極地をフィールドにする研究者に転身する。

2007~2008年に第49次日本南極地域観測隊、2009~2010年に第51次隊に、2011~2012年に第53次隊に参加。 2010年夏、2013年、2014年夏には北極・スバールバル諸島で野外調査を行うなど、極地を舞台に生態系の研究をしている。 2014年~2015年の冬(南極の夏)に、二つの隊に参加し、南極の湖沼を調査した。 著書に『すてきな地球の果て』(ポプラ社)。

2006年、京都大学大学院博士課程退学 2009年、総合研究大学院博士課程修了。 博士(理学)取得。 論文の題は「南極湖沼における藻類群集の光生理・生態学的研究」 2009年-2011年、国立極地研究所・研究員 2011年-2013年、東京大学大学院新領域創成科学研究科・日本学術振興会特別研究員PD 2013年-2014年、早稲田大学高等研究所・助教 2014年-現在、国立極地研究所 生物圏研究グループ・助教 2014年、カナダLaval大学客員研究者

受賞

◎ 2014年4月 / 文部科学大臣表彰 若手科学者賞

◎ 2012年9月 / 日本陸水学会 優秀ポスター賞

◎ 2009年3月 / 総合研究大学院大学研究賞

◎ 2008年10月 / 日本陸水学会 若手研究者 最優秀賞

◎ 2008年5月 / 日本光合成学会 最優秀ポスター賞

◎ 2007年11月 / XXXth Symposium on Polar Biology 若手プレゼンテーションアワード

◎ 2007年5月 / 日本光合成学会 最優秀ポスター賞

〇 本人のホームページ:http://yukikotanabe-online.webnode.jp/
〇 本人のfacebook:https://www.facebook.com/ukkopu


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森のなかえ

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現代の探検家《田邊優貴子》 =02=

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○ 南極の凍った湖に潜って、原始地球の生態系を追う =田邊優貴子= ○

◇◆ 第1回 南極まで6時間 =1/3= ◇◆

「残念だけど、日曜まで出発できないだろうな・・・」

 昨日の夕方、南アフリカ共和国ケープタウンのホテルで調査機材や防寒着の仕分け作業をしていたところに、調査隊のリーダーからメールが飛び込んできた。 予定では今日、つまり2014年11月4日の深夜23時30分に、私たちは旧ソ連の機体イリューシン 76TDに乗って南極大陸に向かうことになっていた。

 ところが現地から届いた天気予報によると、現在2つの低気圧が発生しており、木曜までは風速10~15m/s、金曜から土曜の午後にかけては風速20m/sで、雪も降るという。 そして、文末にはこう添えられていた。

「結論:これから金曜にかけてイリューシン 76が着陸するのには最悪のコンディション。 極めて危険。 土曜の夕方はわずかにチャンスあり。 今のところ日曜以降は良好なコンディションが期待できる」

 そういうわけで、しばらくは南極に向かえそうになかった。

 

4回目の南極は過酷な山岳エリア

 10月28日に日本を出発した私は、ここケープタウンで、南極での調査に向けた準備にいそしんでいた。 これからロシアの南極基地であるノボラザレフスカヤ基地へ入り、そこからさらに120kmほど内陸の山岳地帯に位置するLake Untersee(アンターセー湖)を調査しに行くのである(ちなみに、Unterseeはドイツ語で、訳すと“下湖”というちょっとおかしな名前になる)

 私の南極行はこれで4回目。 けれど、今回はいつもとはちょっと違う心境になっている。 私がこれまで行った3回はすべて、昭和基地を含めた大陸の沿岸部周辺。 広大な南極大陸で言えばほんの一点に通ってきたわけだが、今回は初めて行くエリア、しかも内陸の、より過酷な環境の山岳地帯だ。

 現地に到着する11月初旬は、南極では晩春から初夏という季節。 かなり風が強い場所らしく、南極入りする時期がこれまでより早いこともあって、当初は気温マイナス30℃まで下がるだろう。

 湖を調査する期間はおよそ1カ月におよぶが、その間の生活はキャンプ。挙げ句の果てに、湖面に張った厚さ4メートルもある氷に穴をあけて、そこから湖の中に潜って調査する。 確実に、これまでで一番過酷な南極行となるだろう。 そんなわけで正直なところ、いつもより緊張感が高いのだ。 と言っても、やはりそれ以上に、行ってみたい・見てみたい・この足で歩いてみたい気持ちのほうが遥かに大きい、というのも確かなことだ。

地球の生態系のはじまりが見られる

 2年前、このWebナショジオで連載した『南極なう!』で、昭和基地周辺の湖のことを書いたのを覚えている人はいるだろうか。

 昭和基地周辺の湖のほとんどは、最後の氷河期が終わった1~2万年前に、大陸氷床が後退することによって氷の下から剥き出しになったものだ。 剥き出しになった湖は生物的空白空間、つまり「無生物環境」からはじまった。そこに生物が侵入し、時間をかけて徐々に定着し、生態系が発達していった。 そして今では、湖底に緑の森のような豊かな植物の世界が広がっている。

 ところが、この昭和基地周辺の湖の中には、魚はおろか動物プランクトンもいない。 植物と言っても高等植物はおらず、バクテリアや菌類、シアノバクテリア、藻類、コケの王国になっている。


 地球上でこんなところはほかにない。 きっと、原始地球にはこんな世界が広がっていたんじゃないだろうか。 そう、だから私は、南極の湖は地球の生態系のはじまりを人類が直接垣間見ることが出来る、 類い稀なるフィールドだと思っている。

 

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◇◆ 第1回 南極まで6時間 =2/3= ◇◆

解けない湖の底にピンク色の世界

 そもそも、南極にはたくさんの湖があるが(昭和基地周辺だけでも100以上!)、どこにでもあるというわけではない。 湖があるエリアというのは大陸上にポツリポツリとパッチ状に点在していて、しかも結構限られている。

 私にとってとてつもなく幸運なことなのだが、昭和基地周辺は南極の中で湖が最も多いエリアの一つである。 そして今回行くのは、そんなに湖が多いわけではないが、昭和基地周辺と比べて大きな湖があるエリアだ。

  大陸沿岸にある昭和基地周辺の湖では、そのほとんどが真夏(1月中旬)になると数週間は湖面の氷が解けるのに対して、今回のエリアは内陸にあって気温が低いので、一年中、湖面の氷が解けることはない。  なんと真夏でも、湖面の氷の厚さは4メートルほどもあるそうだ。

 と言うことは、これまで長きにわたってずーっと、湖の中の世界は氷の蓋で外界から閉ざされてきたということになる。 これだけでも、もうワクワクが止まらない。 その上、ここら辺の湖の底には、いわゆる植物っぽい緑色の世界ではなく、何やら不可思議なピンク色の世界が広がっているらしいのだ。

 なんだそれは?! 私の心は鷲づかみだ。 もうこれは行くしかない、湖に潜るしかないのである。

 今回調査するアンターセー湖も、無生物環境からはじまって今に至っているが、湖底にはコケがいない、さらに藻類も少ない。  シアノバクテリアの一大帝国となっているらしい。 そこに行けば、昭和基地周辺の湖よりももっと“はじまり”に近い、もっと原始地球の生態系を探求することができるに違いない。

5カ国6名の国際チーム

  このアンターセー湖南極調査隊は、5カ国・計6名の色々な意味でバラエティ豊かなメンバーで構成されている。  リーダーのデイル(Dale Andersen)は50代後半のアメリカ人で、陸水学・生物地球科学者かつ潜水のプロフェッショナル。  アメリカのSETI研究所の研究者で、なんと今回が南極調査15回目!

 ロシア人のブラジミル(Vladimir Akimov)はロシア科学アカデミーの微生物研究所から来た60歳くらいの微生物学者で4回目の南極。 カナダ人のウェイン(Wayne Pollard)も60歳くらい、カナダMcGill大学の地形学者で6回目の南極。 カナダ人のアリソン(Allyson Brady)は私と同い年生まれの36歳、カナダMcMaster大学の地球化学者で初めての南極。

  オーストリア人のクレメンス(Klemens Weisleitner)は26歳、オーストリアInnsbruck大学で雪氷微生物を研究する博士課程の大学院生で2回目の南極。 そして最後に、日本からは陸水学・植物生理生態学者の私、もう一度書くが今回で4回目の南極調査となる。

 国籍も違えば年齢も専門分野も南極経験もバラバラだ。 アリソンと私以外はみな男性。  けれど、南極でフィールドワークをするチームとしては、6名中2名が女性というのは珍しく高い割合だと思う。

 

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現代の探検家《田邊優貴子》 =04=

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◇◆ 第1回 南極まで6時間 =3/3= ◇◆

南極まで6時間

 今日(4日)はどうやら出発できなさそうではあったが、13時、ホテルにALCIの迎えのバンがやってきた。ALCI(Antarctic Logistic Center International)は南極行きの飛行機を運航する会社。ひとまず、荷物の積み込みと、飛行機に搭乗するためのブリーフィングを受けに行かなければならない。

 南極到着直前に着替えるための防寒着や、ケープタウンで数日過ごせるような荷物だけをホテルに残し、それ以外は全て、あらかじめ飛行機に搭載してしまうのである。

 ケープタウン~ノボラザレフスカヤ基地間、それと、ノボラザレフスカヤ基地からその周辺基地へアクセスするための航空網は、DROMLAN(Dronning Maud Land Air Network)と呼ばれている。ノボラザレフスカヤ基地や、同基地から約1100km離れた日本の昭和基地、他にもいくつかの基地がDronning Maud Landというエリアにある。

 DROMLANは、そのエリアに基地を保有する国など計11カ国が共同出資するかたちで、ケープタウンにあるALCIが運航している。多分、こんな特殊な航空網があるなんて、普通知りもしないだろう。かくいう私もこうやって実際に利用するまで、このシステムをいまいちちゃんと理解できていなかった。もし南極関係者でもないのにこれを知っていたら、それは相当マニアックな人に違いない。

 ALCIに到着すると、建物の前に停まっていた車にこう書かれていた。

“Cape Town to Antarctica ― 6 Hours”

 そう、なんと南極に6時間で着いてしまうのだ。
 これまでの3回、昭和基地周辺の調査地へは片道1カ月かけてたどり着いた。720時間(1カ月)÷6時間=120・・・ふと頭の中をこんな計算式がよぎったが、実際のところこんな割り算はどうでもよくて、その程度の時間しかかからないことは分かってはいたことだけれど、目の前のキャッチコピーになんだか面食らってしまったのだった。

 だって、私がここまでに来るのに飛行機に乗っていた時間は、東京~ドバイ12時間、ドバイ~ケープタウン10時間。なんだろう、この違和感とこみ上げるおかしさは。

ソワソワと、ワクワクと

 荷物を預け、ブリーフィングが始まった。冒頭で「とにかく今日は運航しない」ことが伝えられた。出発する心づもりをしていた私は少し気が抜けたような、けれどソワソワするような、なんとも言えない気分になった。気象情報は毎日アップデートされ、もしかしたらまた明日には状況が変わっているかもしれない。

 いっそのこと、「日曜に決定!」と言ってほしいものだが、そうもいかない。日々、情報をキャッチしながら、いつでも出発できるように常に待機していないといけないのだ。

 そんなわけで、今もまだジリジリとホテルの一室で待たされている。ソワソワしながら、ワクワクしながら。

 ちゃんとあの機械は動くだろうか、怪我や凍傷や事故にしっかりと気をつけないと・・・考え出すときりがないけれど、色んな不安と緊張がよぎる。と同時に、私がこれまで見たこともない世界との出会い、新しい知識の発見に胸を膨らませてもいる。

 南極に到着してしまえばキャンプ生活。当然、インターネットなどなく、原稿も写真も送る手立てがない。ということで、残念ながら、次回お送りできるのはケープタウンに戻って来る12月中旬になると思う。

 まずは南極に到着できる日が早く来ることを願って、 ・・・・・・いざ、

to a journey of DISCOVERY and ADVENTURE!!

 5カ国6名の国際チーム

 このアンターセー湖南極調査隊は、5カ国・計6名の色々な意味でバラエティ豊かなメンバーで構成されている。 リーダーのデイル(Dale Andersen)は50代後半のアメリカ人で、陸水学・生物地球科学者かつ潜水のプロフェッショナル。アメリカのSETI研究所の研究者で、なんと今回が南極調査15回目!

 ロシア人のブラジミル(Vladimir Akimov)はロシア科学アカデミーの微生物研究所から来た60歳くらいの微生物学者で4回目の南極。 カナダ人のウェイン(Wayne Pollard)も60歳くらい、カナダMcGill大学の地形学者で6回目の南極。

 カナダ人のアリソン(Allyson Brady)は私と同い年生まれの36歳、カナダMcMaster大学の地球化学者で初めての南極。オーストリア人のクレメンス(Klemens Weisleitner)は26歳、オーストリアInnsbruck大学で雪氷微生物を研究する博士課程の大学院生で2回目の南極。

 そして最後に、日本からは陸水学・植物生理生態学者の私、もう一度書くが今回で4回目の南極調査となる。

 国籍も違えば年齢も専門分野も南極経験もバラバラだ。 アリソンと私以外はみな男性。けれど、南極でフィールドワークをするチームとしては、6名中2名が女性というのは珍しく高い割合だと思う。

 

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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

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現代の探検家《田邊優貴子》 =05=

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◇◆ 第2回 飛行機で南極大陸へ =1/2= ◇◆

  11月9日、朝6時。ケープタウン空港行きの14人乗りのバンがホテルの前にやってきた。 当初予定から遅れること5日、ついに南アフリカ共和国から南極へ出発する日が来た。
 空港に到着し、飛行機の出発案内モニターを見ると、

行き先:Antarctica  便名:82Y9173  搭乗ゲート:B3

 シンガポール行き、ドバイ行き、ロンドン行きなど、通常のフライトに混じって、当たり前と言わんばかりに南極行きのフライトが表示されているではないか。

 チェックインカウンターにも、アデリーペンギンのイラストと一緒に“Antarctica”の文字。 みな、カウンターの前に並んで、順番に荷物を預け、パスポートを提示して搭乗券をもらっている。

 どれもこれも、ごく普通に飛行機に乗る流れなのだが、これまで「しらせ」という特別な船で1カ月ほどの特別な航海を経て南極へ向かってきた私から見ると、逆にその普通さが全て驚きの連続だ。 まさか、ケープタウン空港でセキュリティーチェックを受けて、免税店で酒を物色して、搭乗ゲートで搭乗券の半券がピリッと破られて、南極行きの飛行機に乗ることになるなんて。

南極行きイリューシン76TD

 搭乗ゲートで我々を乗せたバスは、様々な飛行機の横をひたすら通り過ぎ、空港の建物からどんどん離れていった。やがて駐機場の最果てと言わんばかりのエリアに着くと、これまで横目に見てきた他の飛行機とはちょっと様相を異にする機体が停まっていた。 南極行きの航空機イリューシン76TDだ。

 客室に窓がなく、コックピットの足元にたくさんの窓、なんだか丸みを帯びた馴染みのないフォルムをしている。 バスを降りると、イリューシンの前には搭乗前に預けた全員分のかばんがズラリと並べられていた。 これらのかばんの中には防寒着が入っている。 機内に持ち込み、南極に到着する前にみな、服を南極仕様に着替えるのだ。

 搭乗者は全部で66名。南極の夏の間だけ運航するこの飛行機の今シーズン第1便目のフライトなので、設置されたシートは満席だった。 そのうち科学者は、私たちアンターセー湖調査隊の6名と、インドが保有するマイトリ基地へ向かうインド人10名だけ。 残り約50人は、ノボラザレフスカヤ基地の設営関係者や航空会社スタッフ、観光ツアーの参加者、冒険家という面々だった。

 イリューシンに乗り込むと、運良く私は一番前の席。機内は天井が高く、各国の国旗がずらりと並び、そして今までに見たことのないような年季の入った雰囲気を醸し出していた。 見渡してみると、5日間の待機後かつ今シーズン初のフライトということも相まってか、66人分の熱気と高揚感が機内に充満しているような気がした。多分これは単なる私の勘違いではないと思う。

 エンジンがかかると、機内は隣同士で普通に会話が出来ないくらいの騒音になった。離陸して上空まで行くと、サンドイッチや飲み物が配られ、その後ずっと、前方の大きなモニターに英BBCの自然ドキュメンタリー番組が上映されていた。南極へ行こうという人たちにはやはりこういう番組が人気なのかもしれない。

 

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◇◆ 第2回 飛行機で南極大陸へ =2/2= ◇◆

着替え戦争

 離陸から3時間くらい経った頃、ぽつぽつと防寒着に着替える人たちが出てきて、4時間経った頃には着替えがピークを迎えた。シート後方のかばん置き場周辺をチラリと見てみると、『黒タイツ+上半身裸の人々』がぶつかり合って、もはや戦場と化していた。搭乗者66名のうち、女性は私とアリソンの他に2名の計4名。この着替え戦場に突入するなんてとんでもないと判断した私はしばし待つことにした。

 それから1時間もすると、あれほど壮絶だった着替え戦争はすっかり沈静化し、かばん置き場には平和が訪れていた。おかげで、私はゆったりと優雅に防寒着・防寒靴へ着替えることができた。南極へ向け、みなが鼻息荒く興奮気味な中でその雰囲気に飲まれることなく、我ながらよくもまぁ冷静なナイス判断を下せたものだ。

 しばらくして、着陸に向けイリューシンは下降し始めた。シートのそばには外の様子を伺えるような窓がなく、その代わり、機体前方に取り付けられたカメラの映像が目の前の大きなモニターに映し出されるはずだった。が、カメラの故障か何かで、なんだこりゃ??というようなよく分からない灰色のぼやけた映像がただ映し出されるだけ。とにかく時折エンジン音が大きく変化しながら、確実に下降していることだけは感覚で分かった。

離陸から6時間半、強い向かい風のために予定飛行時間より30分遅れて、大きな音と振動とともに、イリューシンはついに氷の上に着陸した。その瞬間、機内では歓声と拍手が起こった。

南極大陸

 私の方は、いまだ本当に南極大陸に到着したのかどうか半信半疑だったが、右前方のドアがゆっくりと開け放たれると、眩しい光が薄暗い機内に入り込んできた。 私はニット帽とネックゲイターと分厚い手袋を装着し、ザックを背負い、サングラスをかけ、かばんを持ってゆっくりとイリューシンの外に出た。 その途端、凍てつくような風が横から吹き付けてきた。辺りを見渡すと、どこまでも果てしなく雪と氷だけが続いていた。 ここには空港らしき建物も何もない。 私が立っているのは、ただただ白の世界だった。

 ケープタウンを出発して、たったの6時間半。 さっきまで初夏のケープタウンの暖かく心地よい風に吹かれ、免税店にいたのが嘘のようだ。 何もかもが大きくかけ離れていた。 南極へやってくるのに6時間半という時間は、私にとってずいぶん急だったようだ。 異次元の世界にワープしたような気分だった。けれど、どこか心の片隅に懐かしさも感じていた。またここに戻ってきたのだ。
 兎にも角にも、こうして私はついに南極大陸に到着した。

 貨物室から大量の物資が降ろされること3時間、イリューシンは氷の上を猛スピードで滑走し、再びケープタウンへ向けて飛び立っていった。 インド人研究者たちも、冒険家も、観光ツアー客たちも、いつの間にかいなくなり、私たち6名は白の世界にポツンと残された。 凍てつく風を遮るものがない場所で、私たちは荷物の陰に隠れて風をやり過ごしながら、ノボラザレフスカヤ基地からの迎えを待った。 ほどなくして、やって来たトヨタのピックアップ型自動車とスノーモービルの橇に荷物とともに乗せられ、15分ほどで基地に到着した。

 これから数日間、基地に滞在して調査行に向けた準備に取りかかる。 それが終われば、いよいよ目的の地、アンターセー湖に向かって出発する。
 私の心の中にあった期待と緊張はそのどちらもが明らかに大きくなっていた。

 

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◇      ◆ 第3回 南極の洗礼 =1/2= ◇◆

  南極の朝はミルク粥から始まった。

 みな、至極当たり前にミルク粥を皿に盛って、砂糖とシナモンをかけて食べている。 正直なところ、私はミルク粥が好きではない。  牛乳も米も私の大好物だからこそ思うのだ、何ゆえに、米をミルクと砂糖で煮て、こんなふうにしてしまうんだろう・・・と。

  北極スヴァールバル諸島での調査の時もよくミルク粥が出るが、いつもそれを避けて他のものを食べてきた。  しかし今回はそうはいかないようだ。何せミルク粥の他には紅茶とコーヒーしかないのだから。

 隣りに座るクレメンスを横目で見ると、ミルク粥に砂糖とシナモンばかりか蜂蜜まで加えているし、目の前のデイルに至ってはチェリージャムとヨーグルトを加えている。  そんなわけで、私も周囲に合わせて何食わぬ顔でモリモリ食べた。   これはもしかしたら、今回の南極で私に課された大きな試練なのかもしれないとさえ思った。

ノボラザレフスカヤ基地

 気温マイナス18℃。私たちはロシアの南極基地の一つであるここノボラザレフスカヤ基地で、アンターセー湖調査の準備を整える。  移動のためのスノーモービルを整備し、保管している荷物と、持ち込んだ荷物を雪上車に積み込む。

 その間、寝泊まりするのは、基地の中心から徒歩15分ほどの外れにあるゲストハウスだ。室内とは言え、昨晩寝る前の室温はマイナス10℃。  まだ寒さに体が慣れていなくてあまり眠れなかった。  ゲストハウスは夏の間だけ開かれるのだが、全部で3棟建っていて、そのうち1棟には管理人的なロシア人夫婦・ルーニヤとナディアの部屋とダイニングがある。

  この夫婦も私たちと同じイリューシン第1便で到着したので、ゲストハウスの出入り口には雪が吹きだまり、裏の湖から補給する水もまだ開通していない。  とりあえずアンターセー湖へ出発するまでの間、朝食だけはそこで、昼食と夕食は基地の食堂でとることになった。

 ノボラザレフスカヤ基地ではメールが出来ると事前に聞いていたので、昭和基地のように普通にインターネットがつながっているのだろうと思っていたのだけれど、それはガセネタだった。  確かに食堂に共用パソコンがあり、メールが出来るのだが、添付ファイル無しの普通の短いメールを送るだけで10分。  デイル曰く、「2年前に50kBのファイルを添付して送ったら、時が永遠に感じられた」らしい。

 まあ、メールが出来ないくらい別にどうと言うことはない、と思っていると、基地の要所要所にテレビが設置されており、ロシアのテレビ番組が流れている。  録画だろうと思ったが、リアルタイムに衛星で繋いでいるそうだ。  ロシア人的にはインターネットより、テレビのほうが優先度が高いのかもしれない。

  1日目:荷物を運び出す

 曇り空だが風があまりない天候の中、調査に向けての準備作業を開始した。  やることは山のようにあった。  まずはゲストハウス玄関前の雪の壁をシャベルやチェンソーを使って切り崩したり、1年間動かしていなかったスノーモービルの整備をしたり、基地の一角にある小屋に保管している荷物から必要なものを捜索したりする。

 私は小屋の荷物を運び出す班へ加わった。  高台にある古びた小屋まで行き、入り口の南京錠を開けたのだが、凍りついた扉は全くもってびくともしない。  雪かきシャベルでガンガン叩き、なんとか扉を開けると、今度は雪と氷の壁がそびえ立っていた。  3人で力を合わせて氷と雪をかき出し、30分ほどでやっと中に入ることができた。

 薄暗い小屋の中には驚くほど大量の荷物がぎゅうぎゅうに押し込められていた。  何から手をつけてよいのやら、途方に暮れかけていると、

 「Hey, ユキコ!これを外へ!ほら、これも!これもだ!」 とデイルからどんどんと謎の荷物を手渡される。

  謎の黒い袋、謎のドラム缶、大量の黒い箱。  私はその中身が分からないまま、ロボットのようにひたすら荷物を小屋の外にいるブラジミルとアリソンに渡していった。  寒いだろうとダウン入りヤッケを着ていたのだが、すぐに汗をかき始め、私はもはや薄手の長袖2枚だけになっていた。

 途中、昼食をはさんで、ただただ小屋から荷物を出し、スノーモービルでゲストハウスの前まで運び続けた。  気づくといつの間にか19時。  すぐに夕食の時間になってしまい、南極の初日が終わった。

 

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◇◆ 第3回 南極の洗礼 =2/2= ◇◆

2日目:ブリザード

 翌朝、目覚めると、窓の外が真っ白だった。 寝泊まりしている棟からダイニングのある隣りの棟までは20メートル。朝食に向かおうと外に出ると、息ができないくらいの強風と雪が吹き付けてきた。 そして昨日雪かきをした場所には高さ1メートルの雪の吹きだまりが出来ていた。 たったの一晩、10時間でここまでになるとは。 朝食にありつくのでさえ命がけだ。こうして積み込み作業ができないまま、ブリザードは2日間続いた。

 明けたのは11月13日のこと。初日に整備を終えてゲストハウス前に置いてあったスノーモービルとその橇は、半分くらい雪に埋もれていた。 スノーモービルは木製の下駄の上に載せて高床にし、橇は風で飛ばないようにアイススクリュー(氷の中に埋め込み固定する器具)とピッケルで固定していた。
 スノーモービルや橇を雪の中から掘り出し、エンジンルームに入り込んだ雪を除去し、ハンドルを動かせる状態にして、小一時間ほど試運転をして残りの雪を解かし終えると、もう夜だった。

 調査行の準備がすべて終わったのはそれから3日後、もうすぐ白夜が到来するという11月15日の夜10時のことだった。到着早々に、なんだか南極の洗礼を浴びたような気がした。 みなが持ち込んだ物資と基地に保管してあった物資、あとは今年購入した食料や燃料など、すべてを橇に積み込んでみると、2家族くらい引っ越せそうなほど大量の荷物だった。あとはもう出発するのみだ。

7日目:アンターセー湖へ出発

 アンターセー湖までは120~130kmの道のり。この行程を1台の雪上車と3台のスノーモービルで向かう。

 当初聞いていたのは、トヨタのものすごい大きなタイヤのピックアップ型の自動車(ここでは誰もがトラックと呼んでいる)で行くという話だった。ところがこのトラックでは2往復しないと物資を運べないことが分かり、予算とか時間とかそういうものの兼ね合いで、1回で物資を運べる雪上車を使うことになった。

 チーム6人のうち3人はスノーモービルを運転し、残り3人は雪上車の橇に載せたキャビンに乗って向かう(雪上車はALCIのドライバーが運転する)。 私はてっきり雪上車で行くものと油断していたら、リーダーのデイルから、スノーモービル隊に指名された。
 現地までは、天候と氷の状況が良くてもスノーモービルで10時間はかかるらしい。 聞くところによると、前回のアンターセー湖調査でも3人がスノーモービルで向かったが、途中でホワイトアウトとなって、出発してから4時間後には基地に戻る羽目になったそうだ。

 なぜデイルが私をスノーモービル隊に選んだのかは分からない。 私のこれまでのスノーモービルの旅と言えば、長くてもせいぜい1~2時間程度の運転で、あとはちょっとした移動で使うのみ。 決して強そうな外見ではないのは明らかなわけで。 こいつなら大丈夫だろうと勝手に感じ取ったのか、単に南極経験を買ってなのか、なんなのか。 

 基地でこの話を聞いた時、私も暖房の利いたキャビンに乗って雪上車で行きたい、と言うのが正直な気持ちだった。 けれど、これもよい経験、たくさん学ぶことがあるだろう、そして、なんとかなるだろう。 何よりも、南極大陸を直接肌で感じ、この目で見ながら、自分の意志で目的の地へ進みたどり着いたほうが絶対に面白いに違いない。 そんなことを考えていると、次第に不安は薄れていった。 いや、そうやって不安を消そうとしていたのかもしれない。

 2014年11月16日、朝7時、アンターセー湖への旅立ちの日がやってきた。 先に出発する雪上車に乗るブラジミル、アリソン、クレメンスを慌ただしく見送り、その30分後、私たち3人のスノーモービル隊も出発する時が来た。 いざという時のビバーク用に、ベビーサック(簡易の寝袋型テント)、エアマット、光反射用ミラー(太陽光で緊急事態を知らせるもの)、お湯とチョコレートとクッキーをザックに詰め込んだ。 防寒着を着込んでもこもこになった私は、スノーモービルを暖気運転し、傍らで見守るルーニヤ、ナディア夫妻と抱き合った。

「スパシーバ!
 1カ月後、必ず帰って来るからね」

 そう告げてアクセルを握り、ノボラザレフスカヤ基地をあとにした。

 

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◇◆ 第4回 ヌナターク =1/3= ◇◆

 「わーーーーー南極だーーーーっ!」

 すっかりテンションが上がってしまった私は、大声でそう叫んでいた。この1年間での大きな声ベスト1だったと思う。もちろん、エンジン音と裸氷帯の上を走る振動音がけたたましく響いて、それは誰にも聞こえないのだけれど。

 ノボラザレフスカヤ基地をスノーモービルで出発して最初の30分は雪上を走っていたのだが、そのあとは裸氷帯に入った。そこは一面ツルツルの青い氷の風景。太陽でまぶしく輝く、デコボコの不思議な形をした氷の地面が、視界の先にどこまでも果てしなく広がっている。その風景は圧倒的で、私は思わず声を上げたのだ。

振動と気合いのスノーモービル

 ところが、それはすぐに違う感情に変わっていった。デコボコを通り越し、尖った形になった氷の上を走ると、小刻みな衝撃と振動が延々繰り返されるのだ。脳と体全体にその振動が加わり続け、脳がしびれたような感覚になってきた。あまりスピードを出すと、体はもちろん、橇に載せている荷物やスノーモービル自体にもよくないので、その間、アクセルを微調整し続けなければならない。

 ノボラザレフスカヤ基地を出発してから8時間。このアクセル微調整が、スノーモービル隊を苦しめていた。私たちが採ったのは、途中にあるクレバス帯を避けながら大きな“くの字”を描くようなルート。それまで1~2分程度の休憩を3回取っただけで、私たち3人はひたすら大陸氷床の上を内陸に向かっていた。

 私たちが運転していたスノーモービルには、右ハンドルのそばに親指を使って操作するアクセルレバーが付いている。右手の親指からその付け根辺りでアクセルをコントロールし、他の4本指でハンドルを握る。おかげで、さすがにそれが7時間半以上も続いた頃には、アクセルをちょうど良い加減で握る力もなくなってきて、とにかく気合いだけで腕と手を保っていた。

 ノボラザレフスカヤ基地から離れるにつれ、遮るものがなくなっていった。空は真っ青で雲一つない。一見すると風が強いようには見えないが、氷床上には凍てつく強風が吹き続けていた。顔を覆っているフリース地のフェイスマスクは私自身の息ですっかり凍りついてパリパリになっていた。

 先頭を行くデイルも、スノーモービルを停めるたびに右手をプルプル揺らしたり、グーパーを繰り返していた。いくつものクレバス帯を迂回し、あとどれくらいで着くのだろう、このまま青白い世界が永遠に続くんじゃなかろうか・・・指と手が完全に限界を超え、強風に吹かれながら、私はすっかり意気消沈気味になっていた。もはや、今年ベスト1の大声を出した7時間半前が遠い昔の出来事で、若気の至りだったとさえ思えてきた。そんな頃、視界の先、白い地平線の向こうに、山が見えてきた。

「陸地だ!!」

と咄嗟に思ったのは、嬉しさでちょっと気が動転していたからに違いない。もちろん私はずっと陸地を走ってきたわけで、向こうに見えたのは “ヌナターク”=内陸の大陸氷床から高く突き出た峰々だ。そして、何を隠そう、それが私たちの目指すアンターセー湖を抱くグルーバー山地(正式なその辺りの山岳地帯の名前は“Otto-von-Gruber山地”)だった。

 

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◇◆ 第4回 ヌナターク =2/3= ◇◆

はるか昔から生命を閉じ込めてきた露岩地帯

 私はこのヌナタークに、生物の調査をしにきた。
 南極大陸の大半を占める氷床地帯では、基本、生物は生きていけない。生命が息づいているのは岩が露出した一部の地域だけだ。ヌナタークはそうした露岩地帯の一つである。

 このヌナタークがさらに貴重なのは、今から6万年前も岩が露出していたこと。
 昭和基地やノボラザレフスカヤ基地がある南極大陸の沿岸部にも露岩地帯はあるが、この地域の氷床が後退して剥き出しになったのは、最終氷期の終わりごろ、今から1~2万年前のことだ。一方、このヌナタークは、今より氷表面の標高が約1000メートル高かった最終氷期の間も、ずっと氷に覆われることなく陸地が孤島のように取り残されていたのである。

 その前の氷期はどうだったのかは明らかになっていないが、地形から考えるにその前の氷期にも山々は氷床から突き出ていたと考えるのが妥当だろう、という話だ。とにかく、大陸沿岸よりもヌナタークのほうが、ずっと古くから岩が露出してきたわけだ。

 つまり、はるか昔からヌナタークは、周囲を氷床という物理的に大きな障壁に取り囲まれ、極端に分断・隔離された環境にずっと置かれてきた。そうなると、移動能力の低い生き物は周囲へ分散・拡大することがとても困難になり、その場にとどまって環境に適応し、独自に進化していく道を歩むことになる。しかも、環境が特に過酷な南極大陸だからその淘汰圧はより強いものとなりうるだろう。

 こういうヌナタークの状況のことを、“レフュージア” =“退避地”(生物が絶滅するような環境下で、局所的に生き残った場所)と呼ぶこともある。地球上で一番隔離され、厳しい環境に置かれているこのレフュージアで、そこに暮らしている生物とその生き方について調べることによって、原始地球の生態系を知る手がかりを得てやろうじゃないか、というのが今回の最大の目的だ。

到着

 さて、すでに気合いだけで走っていた私だが、やっと目的地が見えてきたことによって、「とにかくまだこの気合いを保ってゴールまで走り続けることを誓います!」という自分の心の声が聞こえてきたような気がした。

 グルーバー山地に近づくと、これまで以上に裸氷のデコボコが鋭く大きくなった。信じられないくらい手と体にこたえる。ゴールを目の前に、とどめを刺されているような気分だ。残り少ない力でなんとかアクセルを保ち、時速5kmくらいでゆっくり進んでいった。デコボコは激しくなったものの、山の近くでは風が格段に弱まり、急に暖かくなってきた。山が風を遮り、露出した黒い地面が熱を吸収しているのだ。

 とは言え、寒さよりも、このにっくきハードデコボコがこの時の私にとって最大最強の敵であって、スノーモービルの旅の中で今思えばそこが一番の難所だった。橇に載せている荷物の中の電子機器類がすべて壊れたに違いないと思った。

 

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◇◆ 第4回 ヌナターク =3/3= ◇◆

 この氷地獄を走ること2時間。急に氷のデコボコが小さくなって、やたらと走りやすくなった。 表面が氷なのは変わりないのだが、やたらとフラットなのだ。 さっきまでの氷地獄どころかこれまで走ってきたのと全く感触が違う。 氷の色も違うし、なんだここは?? と思いながら走っていると、前を走っていたデイルがピタリと停まった。

「Lake Untersee!!」

 2014年11月16日18時過ぎ、ノボラザレフスカヤ基地を出てから飲まず食わずの11時間。 休憩時間は合計してもせいぜい5~6分ほど。ついに私たちはアンターセー湖の上に立った。 みな、急にスピードを上げ、平らな湖を横切り、湖畔のキャンプ地でスノーモービルを停めた。

 エンジンを止めると、右手に力が入らない上に酷くしびれていて、出発時にナディアから受け取ったサンドイッチをザックから取り出すだけでとても時間がかかった。 朝6時に朝食のミルク粥を食べて以来、今日は何も口に入れていない。岩に腰掛け、低温で固くなったサンドイッチをモグモグとほお張った。 目の前には切り立った山々がそびえ立ち、こんな内陸なのに真っ白なユキドリたちが忙しそうに空を舞っていた。

 疲れ果てていたけれど、天候が急変する前に1つでもテントを建てなければならなかった。 テントを設営していると、私たちが到着してから遅れること1時間半、途中で私たちが追い越した雪上車隊がやってきた。 1時間かけて大量の荷物を降ろし、その後も設営作業が深夜まで続いたが、なんとかみな寝る場所とお湯を沸かす設備だけは整えた。

 深夜には空が曇り、風速20m/sを超える強風が吹き始め、気温はマイナス20℃に下がっていた。 クタクタの状態で寝袋に入ったが、風でテントがギシギシバタバタときしむ音が止むことはなく、テントが飛ばされてしまうんじゃないかという心配と寒さで、ほぼ一睡もせずに朝を迎えた。 その間、何度か外に出ては、テントの張り綱が緩んでいないかチェックした。

 到着翌日はずっと強風が続いていた。 1日経ってもまだ私の手にはいつもの1割程度の力しか入らなかったが、幸い、悪天のおかげで少しゆっくりと過ごせた。 ただ、その夜も強風の音と寒さであまり眠れなかった。 アンターセー湖に到着して3日目には天候が回復傾向になり、夕方には晴れ間が広がった。

 ドイツのノイマイヤー基地から毎日届く天気予報によると、これから3日間は好天が続くということだった。 到着から4日間かけて、なんとかキャンプ地のテント設営や生活・調査の基盤を整える全ての作業を終えた。


 やっと明日から調査が開始できる。 私の右親指に変なしびれは残っていたが、もうすっかり手の力は戻っていた。

 

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◇◆ 第5回 風の谷の湖 =1/3= ◇◆

  目の前には青白い氷河をいくつも抱いた茶色く険しい山が迫っている。 足元は一面の氷の世界。見上げれば、空は驚くほど透明で真っ青。雲は一つもない。

 「なんて美しいのだろう・・・」

 本当はそんな感じで静かに感慨に浸りたいのだが、そんな優雅な時間はなかった。

 ゴゴゴーービュオーー・・・
 ブィーーン・・・ガガガガガガ・・・ブィーーン・・・

 調査1日目。 驚くほど冷たく強い風が山の上の氷河から吹き付けてくるなか、私たちはアイスドリルのエンジンを全開にして、湖の氷に穴を開けていた。

アイスドリル

 ここは南極大陸の沿岸から120kmほど内陸にあるアンターセー湖。 湖面の標高は600mほどだが、周囲を標高約3000mの山々が取り囲み、湖は広いU字谷になっている。山の上には2つの氷河があり、その向こうには大陸氷床が南極点まで延々と続いている。氷床で冷やされた重い風が、その2つの氷河から山の斜面を勢い良く滑り降りてくる。 おかげで、アンターセー湖にはいつも2方向から強い風が吹き下ろし、決して止むことがない。

 アイスドリルの先に付けるドリルビット1つの長さは1m。それで湖面の氷を掘り進み、もう掘れないところまでいくと、次のビットを付け足していく。このときすでに3つ目のビットが氷に埋もれそうで、つまり、深さ3mに差し掛かっているところだった。

 氷が固いせいで、1m掘るのに15分~20分かかる。その間、2人がかりで重いアイスドリルを氷に押しつけ、削れた氷の粉がたまってきたらドリルを引き上げて排出する、という作業を幾度も繰り返す。 とにかく、かなりの重労働だ。

「オンナコドモの仕事じゃあないね、これは・・・」

 なんて思いながら、私はアイスドリルを握りしめていた。対面でドリルを握っているのはデイル。 彼の身長は185cm、体重は100kg。 身長170cm、体重50kgの私がいくら体重をかけてドリルを押しつけても、到底彼には及ばない。なんというか、ものすごい不公平感が胸に芽生えてくる。

 ちなみにデイルの靴のサイズは33cm。「えぇっ・・・33cm?! そんな靴って普通に売ってるの?!」と初めは思ったが、我がチームメンバーの一人であるブラジミルの靴のサイズも全く同じ33cm。おかげで、愛すべきオトボケもののブラジミルは、デイルの防寒靴をよく履き間違えて、デイルが「ブラジミル! こらーっ」と叫ぶシーンを度々目にしていた。


 さらに補足だが、ブラジミルは身長186cm、体重98kg(自称)、デイルと似たようなサイズ感だが、デイルと違って結構お腹が出ているせいで、“お腹の中には双子がいる”とからかうのが我々のなかで定番となっている。言い出しっぺは私らしいが。

 

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◇◆ 第5回 風の谷の湖 =2/3= ◇◆

貫通

 ドリルビットは5つ目に突入し、しばらく掘ったところで穴から水が吹き出してきた。 湖氷を掘りぬくことができたのだ。厚さは4m15cm! 南極は夏だというのに。

 私がよく知っている昭和基地周辺では、夏になると氷が解けてなくなる湖がほとんど。 ここの湖氷は4mと事前に聞いてはいたけれど、実際に自分で穴を開けてみると、その厚さが初めて実感できた。

 半日かけてアンターセー湖に直径25cm × 厚さ4m15cmの穴を開けたのち、そこの水深を測定した。先端におもりをつけたメジャーをスルスルと水の中に降ろしていく。 途中まで見えていたおもりはゆっくりと水の青色に溶け込み、消えていった。 私はこの、水の中に静かに機材が消えていくのを見るのがとても好きだ。 いつも、なんだか憧れと羨望のような気持ちで、機材が吸い込まれていく瞬間をじっと見つめている。

 おもりを降ろすこと5分、持っていたメジャーがふわっと軽くなる瞬間が訪れた。 おもりが湖底に到達したのだ。 メジャーのメモリを見ると、水深100mを示していた。

 その日の午後、湖の違うポイントへもう一つの穴を開けにいった。 午前のポイントよりも氷が少し薄かったが、途中から水っぽいシャーベット状の氷になったので、もっと時間がかかった。 穴を開け終えて水深を測定すると、こちらはなんと深さ160m! この透明な水がここから下に160mも続いているのだ。

 アンターセー湖には2つの湖盆がある。 湖盆というのは、湖の底が深くなっている部分のことで、1つ目が午前中に穴を開けた湖盆で水深100m、2つ目が午後に穴を開けた水深160mの湖盆だ。

 南極で露岩域上にあって水深100mを超える湖というのは、実はかなり稀だ。 南極の露岩域の湖の全てが調査されているわけではないのだが、恐らくその数は片手の指で数えられるくらいだろう。 南極のほとんどの湖は氷河に削られてできあがった氷河湖なので、水深はそれほど深くなく、湖盆はのっぺりとした形をしている。ところが、アンターセー湖は氷河で削れたのはもちろんだが、それだけではなく地殻の活動によりできあがった湖(構造湖)でもあるので、ドーンと深い湖盆になっているのだ。

 翌日、水の環境の指標となるさまざまな項目(光・水温・pH・塩分濃度・溶存酸素・酸化還元電位・植物プランクトン量)を測定しに行った。 これらを測定することで、水面から湖底にかけて水中がどんな状態になっているか、つまり湖のプロフィールが分かる。 こうして彼の自己紹介に耳を傾け、彼がどんな性格なのかをつかむのである。

 水深100mの一つ目の湖盆では、水深48mまで水温は一様に0℃付近で淡水。 ところが、そこからたったの1m深くなると、それまで一様だった環境が急に崩れる。 水温が4℃まで跳ね上がり、そのまま水深65mまでつづくのだ。 さらに、水深70m付近で5℃まで上がり、同時に急激に水中の酸素濃度が減っていく。 水深75mでは、酸素濃度はもはやほぼゼロ。 ここより深い部分は酸素のない還元環境になっていて、この還元層とその上の酸化層は半永久的に混じり合うことがない。

 

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◇◆ 第5回 風の谷の湖 =3/3= ◇◆

湖水はなぜ混じり合わないのか

 どうしてこんなことになるのか。 低温で乾燥し、かつ風が強いこの場所では、湖の氷は解けて液体になるよりもむしろ、どんどん昇華して気体になっていく。 すると、氷の中にわずかながらに含まれている塩分が水中を沈降し、塩分濃度の高い重い水が湖の深い部分に徐々に蓄積されていく。

 重い水の上に軽い水が乗っかるようになると、まるで二重底のような状態である。 大気に触れることがなくなった重い水は、有機物の分解とともに酸素を失い、還元環境になる。 一見するとただただ連続的につながって見える水だけれど、実はとても不連続で、あるところでポンッと環境がジャンプする。 なんだかいつも驚きとともに騙されたような不思議な気持ちになる。そしてこれが水中環境の面白いところの一つだと私は思う。

 ところが、もう一つの湖盆である水深160mの水はまったく違う様子だった。 表層0mから湖底160mまで、水温0℃付近かつ酸素濃度の高い水がただひたすら同じようにずーっと続いていたのだ。 つまり、ここの水は表面から湖底までが鉛直的に混じり合っていることを意味している。

 実はこちらの湖盆には、現在大きな氷河が接していて、水中に氷河が落ち込んでいる。 この氷河から酸素をたっぷり含んだ融解水が少ないながらも流れ込み、湖水がかきまわされる。そのため、深い部分に重い水が溜まることがないのだ。

 アンターセー湖の正確な湖盆マッピングはまだされていないのだが、2つの湖盆の間には水深50~60mと浅くなったエリアがある。これが障壁のようになって、双方の深い部分の水は混じり合うことがない。こうやって、対照的な二つの環境ができあがったわけだ。

 ちなみにこれは、このたび水中環境の鉛直プロファイルデータを測定し、周辺環境と地形と湖盆形状を見た上で、私が組み立てたシナリオである。 極めて地道な行為ばかりではあるがやはり、ジッと黙って彼のプロフィールに耳を傾けて、ちょっとずつちょっとずつ、彼のことを知っていくのだ。

潜水用の穴を開ける

  調査開始から4日目、今度は湖岸に近くて浅いポイントにアイスドリルで穴を開けた。 水深を測定すると20m。私たちは、この穴から潜水するのである。ただ、直径25cmでは人が入ることはできないので、どうするかというと、“融解する”。水を熱して蒸気にし、コイル状にした金属パイプ内を循環させる装置を直径25cmの穴に入れて、氷を解かすことによって穴を広げる。

 辺り一面の分厚い氷の中に、透き通った深い青色の水が揺らめく穴が、少しずつ大きくなっていく過程はなんだか幻想的だった。

  このスチーマーで湖氷を解かし始めてから4日目、穴の大きさは直径1.5mを超えた。 水面は湖氷の表面より35cmほど低くなっているので、解けずに残っている厚さ35cmの表面の氷をチェンソーで切って取り除いた。 そうしてついに潜水調査用の“ダイブホール”が完成した。

  いつも調査機材が水の色に溶け込み吸い込まれるように消えていくのと同じように、この神秘的な青い水の中に私ももうすぐ入っていくのだ。 そう思うと、なんだかドキドキが止まらなかった。

 

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◇◆ 第6回 南極ダイビングはトラブルとともに =1/3= ◇◆

  私は朝からひどく緊張していた。

 今日はアンターセー湖での潜水調査初日。この日が近づくにつれて、楽しみでワクワクしていた気持ちと裏腹に、色んな不安が募りつつあった。 戦場におもむくというほどではないのだけれど、なんとなくそれに近い気持ちで、「もしかしたら死ぬかもしれない」なんてことも考えるようになっていた。

 辛抱強さや動じなさ、なんとかなるさ精神、という極地のフィールドワークで重要な性質が平均より恐らく高めの私だが、昨日から「もう湖の藻屑となっても構わない・・・いや、ちょっと待て、藻類に“屑”をつけるのはなんたることだ。ブツブツブツ・・・」なんてことが頭の中をぐるぐる巡っていた。 敢えてシンプルに表現すれば、不安と緊張で昨夜は眠れなかった、ということである。

 自分なりに分析してみたところ、この不安にはいくつかの要因があった。 アンターセー湖の寒さや風が尋常でないことはもちろん、これまで経験したことのない分厚い4mの氷の下へ潜っていくこと、いったん潜ると外界に通じている穴は1つしかないこと、穴はすぐに凍り始めること。

  そのうえ今回は初めて使う機材があまりにも多かった。 地上とコミュニケーションを取るためのフルフェイス型マスク、アメリカ製の特注ドライスーツ、インナーのダウンつなぎなどだ。 どれをとっても、これまで潜ってきた南極の湖とは全然違う。

 とは言え、なるようにしかならないのだから、ジタバタしても仕方がない。 できる限りを尽くそう、死なないように。  と、今回ばかりはいつもと違って、“なんとかなるさ”ではなく“なるようにしかならない”という同じように見えて結構違う意味合いの心境に変化していた。

これまでにない重装備

 分厚い氷で塞がれた南極の湖での潜水調査は、バディを組んで2人で潜るのはでなく、1人ずつ潜るというやり方がほとんどだ。 ダイバーはロープをつなぎ、1人しか通れない穴から潜って作業をするので、2人一緒に潜ると作業やロープの取り回しが煩雑になり、逆に危険性が高まるのである。

 ちなみに、今回の調査隊6名のメンバーのうち、ダイバーはデイルと私の2人だけ。 今日はこれといった潜水調査はせず、浮力の調整や機材の動作チェックをする“チェックダイブ”といった感じだ。

 昨日までに準備しておいた潜水機材を再度丹念に確認し、スノーモービルの橇に積み込んでいった。 インナーのつなぎダウン、ダウンソックス、ドライスーツを着込み、すっかりモコモコで動きにくくなった体でスノーモービルに乗り込んだ。 ダイブホールまでは10分弱。 橇から機材が落ちないようにゆっくり進むと、より緊張感が増してきた。

 ダイブホールに到着すると、すぐさま潜水準備に取りかかった。 機材が冷えすぎてはいけないからだ。 ダイブホールに張った厚さ5cmほどの氷をアイスチゼル(氷を砕く金属の棒)で割って氷を取り除き、束ねていた長さ70mのダイブロープを湖氷上に延ばした。

 ロープの片方を氷上の通信機に繋げ、もう一方をまるでガスマスクのようなフルフェイスの潜水マスクに繋いだ。 フィン、ウェットフード、ウェットグローブ、ウェイト、BCジャケット(空気を出し入れして浮力を調節する機材)を装着し、エアタンクを担ぎ、マスクを顔に固定した。

 マスクを付けたら最後、潜水が終わるまで取り外すことは出来ない。 マスクを外すと、呼吸で湿ったレギュレーター内の空気が凍り付き、レギュレーターが作動しなくなる。 つまりその日はそこで潜水終了となるのである。 さらに、マスクをつけたら即座に水中に入らなければならない。 マイナス16℃の外気に接していると、徐々にマスク内の水蒸気が凍るからだ。

 

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◇◆ 第6回 南極ダイビングはトラブルとともに =2/3= ◇◆

体が沈まない

 氷の上に座っていた私は、マスクを付けて5秒もしないうちに思い切って水の中へチャプンとジャンプした。 水面から見上げると、ダイブロープを持つクレメンス、通信機の近くで私に話しかけるデイルの姿が見えた。 まるでアザラシにでもなったような気分だ。

 「ユキコ、聞こえるか?」
 「うん、聞こえるよ。これから潜行開始する」
 「OK。ロープ、浮力、機材、体調、すべてじっくりチェックして」

 氷上のデイルの声がマスクのスピーカー越しにモゴモゴした音で聞こえた。 会話に支障はないようだった。  “よし、いざ氷の下の世界へ・・・”

 息を吐き、肺の空気を全部外へ出して息を止めた。 普通ならこれで体が沈んでいくはずなのに、その気配がまったくない。 ダイブホールの氷の壁を両手で押して体を沈めようとしても、すぐに水面に浮かび上がってしまう。

 なぜだろう? 浮力の大きい装備であることを考慮して、いつもよりウェイトはかなり多めの16kgにしている。 それでも足りないということか?

 頭の中でそんなことを考えながら、何度も息を吐いて止めて氷の壁を押すという動作を繰り返しているうちに、息が切れ体力が消耗してきた。 どう考えても、ウェイトが足りない。 マスクのレギュレーター部分を空中に出したくはなかったが、クレメンスとデイルにダイブロープを引っ張ってもらい、いったん、氷上に這い出た。

 ウェイトを追加し、すぐにまた水中へ入ったものの、やはり水中へ沈降していかない。 もう一度氷上に引っ張り上げてもらう。 氷上に這い出るのも一苦労だ。 どんどん体力が消耗し、とても息苦しい。 マスクを外して、普通に思いっきり外の空気を吸いたいが、決してマスクを外すことは出来ない。 ウェイトを追加すると、なんとか気持ちを平静に保ち、呼吸を整え、また水の中にジャンプした。

氷のトンネルを抜けて

 今度はようやく体がゆっくりと沈み始めた。 息を止めたまま、 ゆっくりゆっくり、氷のトンネルの壁が目の前を動いていく。さっきまで見えていた地上の世界はもう見えない。 丸い開口部はどんどん小さくなっていった。 やっと潜ることが出来た。

 いつもならすんなりできることができないだけでこんなに体力を消耗し、ナーバスになるものなのか・・・そんなことを考えているうちに水深4m、氷の下へたどり着いた。

 深くなるにつれ水圧で浮力が低下し、沈む速度が速くなっていくのが分かった。 スーツの中の空気が圧縮されていくからだ。 これもいつものことだ。 私は中性浮力を保つため、いつも通りBCジャケットに空気を送り込むボタンを押した。

 ところが、ボタンはびくともしない、いくら押しても動かない。 どうやらボタンが凍り付いてしまったのだ、と理解するのに1秒もかからなかった。 どんどん体は沈んでいく。 思いっきり空気を吸い込むと少し沈降速度が遅くなったが、徐々に沈んでいくのには変わらない。

  “え?!このままだと水面に再び浮かび上がれない・・・地上に戻れない?!”

  一瞬パニックになりかけた私だったが、ドライスーツに空気を送り込めばよいことに気づいた。 ドライスーツとエアタンクはホースでつながっており、スーツ内の空気が調整できるようになっている。  深くなるとスーツ内の空気と体が圧縮されてしまうからだ。  ドライスーツの胸の部分にあるボタンをプシュップシュッと押して、スーツ内に空気を送り込んだ。

  すると体が沈むのが止まった。 ダイブコンピューターを見ると、水深15m、残圧120bar。  初めは200barもあったのに、たいして潜っていないにもかかわらず色々なトラブルですでに80barも消費していた。

  ふぅ・・・と一息ついた瞬間、 プシューーーーーーーーーッ! 大きな音がして、私の視界がなくなった。

 

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◇◆ 第6回 南極ダイビングはトラブルとともに =3/3= ◇◆

  次のトラブルが発生したのだ。私の視界を遮っているものは、無数の空気の泡。驚きで、状況を理解するのに10秒近くかかった。 泡をかき分けて下を向き、ダイブコンピューターを見ると、残圧ゲージが急スピードで減っている。 レギュレーターから空気がだだ漏れの状態、つまりフリーフローしているのだった。

 レギュレーターのどこかが凍り付き、エアタンクから送り込まれる空気が全て水中に排出され続けている。 もはや潜水終了である。 なんとか気を平静に保ち、慌てずに光が差す穴を目指して浮上していった。 フリーフローは止まらない。 氷の下からゆっくりと氷のトンネルに入っていった。

 水面に顔を出し、クレメンスの1・2・3の声に合わせてドルフィンキックをした。 すぐさまデイルに体を起こされ、マスクが外された。 やっと静けさがおとずれ、ゆっくりと深呼吸した。 身につけた全ての機材が素早く取り外され、スノーモービルでキャンプ地に戻った。

恥ずかしいけど単純な原因でよかった

 ダイブテントでまずは凍り付いたドライスーツを解かし、着替えてから体をヒーターで温めた。 それから、トラブルの原因を一つ一つ追及していった。

 まず1つ目の大きなトラブルはウェイト不足。 けれど、当初の16kgで不足だったうえに、2回も追加しなければならなかったことが腑に落ちていなかった。 厚着で浮力が大きいとは言え、そこまでウェイトが必要とは思えない。 なぜならいつも昭和基地周辺で潜水する時は、7kgのウェイトだからだ。

 2つ目のトラブルはBCジャケットの操作部の凍結、3つ目のトラブルはレギュレーターの凍結によるフリーフロー。 これらはウェイト追加のために水から外に出たことが原因ということはすぐに想像できた。 水に濡れたままマイナス16℃の外気に触れたせいで、いずれも凍り付いたり氷核が出来たり、というところだろう。 これは、ウェイト不足でなければ起こらなかったことだ。 つまりウェイト不足問題さえ解決できればよいのだ。

  その後、デイルとともに潜水機材を片付けているとき、原因が発覚した。 2ポンドと書かれたウェイトが思ったより軽く感じられたからだ。 恥ずかしいことに、原因はポンドとkgの換算間違いだった。 ポンド表示のウェイトを用意する際に、「1ポンド=2kgでは」というデイルの言葉を、私が確かめもせずに鵜呑みにしてしまったのである。 実際は1ポンド=0.45kg。想定のおよそ4分の1のウェイトしか装着していなかったわけだ。 一連のトラブルで半ば自信を喪失しかけていた私だったが、あまりにも単純なことが原因だったおかげで、南極ダイビング恐怖症になることは避けられた。

  同時に、これまで南極で潜ってきた状況とはかなり違うことも学べた。 0℃の水はいつ凍ってもおかしくない状態にある。マイナス20℃近い気温では、水中から陸に上がると濡れた部分が10秒もしないうちに凍り付く。 実際に、水中で浮力調整するBCジャケットが凍り、呼吸を調節するレギュレーターが凍り付いてしまった。 これまで南極で何度もダイビングをしているというのに、この日生まれて初めて“南極ダイビングの危うさ”を実感したのは言うまでもない。

  「明日も天気が良ければ、ユキコはまた潜るよね。あと6~7回は潜るかな」

  夕食中、デイルはさらりと言った。 今日潜ったから明日はないだろう、なんていう私の甘い考えは一瞬で崩された。 コンディションさえ許せば、潜水漬けの日々になるであろうことをこのとき悟った。 ここでは昭和基地周辺で潜水する時のように、潜水調査というものが一大イベントという雰囲気ではないのだ。

 この日短いながらも、ここアンターセー湖でちょっと過酷な潜水をしたおかげで、それまでの緊張と不安は和らいでいた。 が、やはりまだ私はナーバスなままだった。そう、私には水中に潜ってやらなければならないことがたくさんある。それなのに、ただチェックダイブをしただけで(しかもトラブルだらけの)、私の潜水調査はまだ何も始まっていないし、水中の世界を何一つ堪能していないのだから。

・・・・・ 南極点到達競争 =壮絶な英国隊・スコットの遭難= ・・・・・・・

 

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◇◆ 第7回 湖底はまるでSFの世界 =1/4= ◇◆

  アンターセー湖での第1回目の潜水で自信を喪失しかけていた私に、次のチャンスが訪れたのは2日後のことだった。

 実は翌日も潜水する予定だったが、風が強すぎて延期となっていたのだ。水中にいるダイバーに地上の風は関係ないのだが、氷上でサポートをする側にとっては非常に過酷。寒い、通信機の声が聞こえない、転倒しないように氷上で立っているのがやっとという状況で1時間近く耐えなければならないからだ。最初の潜水でクタクタになっていた私は、心の中で密かにその強風を喜んだ。

潜行開始

 第2回目の潜水は、まずウェイト問題を解決することが先決だった。ウェイトをきちんと11kgにして浮力をチェックしなければならない。それが問題なければ水深20mの湖底まで潜り、そこから水深が浅くなる方向へ湖底に沿うように移動しながら、湖底の様子をじっくりと観察し、一眼レフカメラとビデオカメラで記録する。そうして次回以降の潜水で湖底の生物群集を採取するポイントや、生物群集の光合成を測定するポイントを決めるのだ。

 相変わらず緊張気味ではあったが、やらなければならないことを強く意識すると、不安と緊張よりも“よし、やるぞ!”という気持ちのほうが強くなった。手早く機材のセッティングを終え、マスクをつけると、私はためらいなく水中へスッと飛び込んだ。そのまま息を吐いて止めると、ちょうど水面くらいにあったマスク越しの視界は、ゆっくりと水中に沈み込んでいった。

「おお! 浮力はちょうどいいよ。今から潜行開始する」
「OK。安心したよ、グッドラック」

 通信マスク越しにデイルに告げ、そのまま氷の穴を降りていった。

 頭上の穴はどんどん小さくなっていく。目の前に見える氷の壁の内側には縦に長い不思議な気泡がいくつも入っていた。 氷にできた不思議な縦模様の連なりが終わり、私は氷の下まで到着した。

   氷の下は、その不思議な縦模様を作り出す小さな空孔が無数に開いていて、まるで青いシャンデリアのようだ。よく見ると鏡のように反射している場所がところどころにあり、近寄ってみると、ゆらゆらと氷に貼り付くように浮いている大きなガスの塊だった。湖底の生き物たちの活動によって発生したガスだろう。

 光合成生物による酸素ガス、メタン生成菌によるメタンガス・・・生命活動があまり活発でないこの環境では生物がそれほど大量にガスを発生するとは考えられない。長い時間分厚い氷で覆われることによってこんなにも大きくなるまで蓄積するのだろう。時折、その泡の塊はダイブホールに吸い込まれるように、この閉じられた世界から外界へと逃げていくのが見えた。あの泡は一体いつからこの氷の下にとどまっていたのだろう。

 「氷の下まで来た。これから湖底20mに向かう」

 「OK。呼吸もゆったりしていて、いい感じだ」

 私は潜水前にナーバスになっていたことなど忘れていた。機材がモコモコしていて少し動きにくくはあるが、すっかりいつもの調子を取り戻していた。

・・・・・ 南極点到達競争 =壮絶な英国隊・スコットの遭難= ・・・・・・・

 

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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

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