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Channel: 【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》
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現代の探検家《小林快次》 =18=

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○ 世界中を飛び回り、恐竜の姿を求める / 小林快次 ○

◇◆ 第7回 「間違った」仮設  =3/3= ◇◆

予想と異なる結果が・・・

 時間を忘れて作業をしていると、予想通り骨はつながって、ずらっと出てくる。全身骨格である可能性がどんどん高くなっていった。
 ただし、1つ問題があった。去年の発掘で取り出した脚の方向を基に、「こんな風に骨格が埋まっているだろう」と予測して上の岩を掘り出したのだが、骨格はまるで新体操の選手のポーズであるかのように、考えられないような曲がり具合で埋もれていた。予想していたのとは違う方向に骨格が埋もれていることがわかったのだ。この3日間、みんなで頑張って掘り下げた崖も・・・もう一度やり直しである。みんな気を取り直そうと互いに励まし合うが、なかなかそうもいかない。

 「休憩しよう」
 フィルがみんなに呼びかける。それぞれ水を補給し、オレンジをバックパックから取り出し、食べはじめる。

 フィルは1人で、発掘された骨を見つめていた。沈黙が続く。「・・・これはケラトプス科じゃない。ハドロサウルス科だ」

 骨を掘っていくと、当初の考えが間違っていることがわかった。あのフィルが、同定を間違っていた。後ろ脚や背骨が出ていたにもかかわらず・・・「弘法にも筆の誤り」だ。

 ここで思い出してほしい。たまに日本でも「恐竜化石発見」と報道されることがある。発見されたものを見ると、歯1本だったり、骨1個だったりする。かなり断片的な化石であっても、「~科の恐竜」や「新種の可能性」と取り沙汰されたりする。この危険性がわかるだろうか。のちにその発表が「間違い」だったとして訂正されることは頻繁にある。
 私は「間違い」と書きはしたが、実のところ、間違いだとは思っていない。その時にできる限りの情報を駆使して判断する。その判断はその時点での「仮説」であって、のちにその仮説が新しい情報によって修正されるというのは、非常に健康的で、サイエンス(科学)そのものだと思う。

 「間違った」仮説を出すくらいなら出さないほうが良い、という考えもあるだろう。もちろん程度にもよるが、「仮説」を出すことで議論が活発になり、「より間違いの少ない仮説」が生まれるかもしれない。言い換えると、サイエンティスト(科学者)は、「情報を増やすことで、『間違った仮説』を『より間違いの少ない仮説』に修正する」という作業を繰り返しているだけなのだ。

 「じゃあ、この恐竜骨格のニックネームが決まったね。ハドロケラトプシアン(ハドロサウルス科とケラトプス科を合わせた造語)だ」
 アロンは落胆を隠しながら、おどけて言った。

※ ロバート・T・バッカー(Robert T. Bakker、1945年3月24日 - )は、アメリカ合衆国古生物学者。長く、ジョンズ・ホプキンス大学解剖学地球科学などの教授を務めた。ニュージャージー州バーゲン郡出身。

古生物恐竜学者のジョン・オストロムの愛弟子として知られ、師とともにいわゆる「恐竜ルネッサンス」(恐竜恒温説、その他)を強力に推し進めた立役者として知られる。その言説は、余りにも「過激である」ため、しばしば物議をかもしている。

※ ジョン・H・オストロム(John H. Ostrom、1928年2月18日 - 2005年7月16日)はアメリカ古生物学者であり、1960年代における恐竜への現代的な理解への改革を行った。彼は恐竜がトカゲ爬虫類)のようなものではなく、むしろ大きな飛ばないであるという、1860年代にトマス・ヘンリー・ハクスリーにより初めて提案されたもののあまり支持を得ていなかったアイディアを論証した。初めてのオストロムによる原始的な鳥類である始祖鳥ついての広範な骨学系統学についてのレビューは1976年に発表された。中国における最終的な羽毛恐竜の発見に対する彼の反応は、何年もの辛らつな討論の後であったため、ほろ苦いものであった(Gentile, 2000)。

※ エドウィン・ハリス・コルバート(Edwin Harris Colbert, 1905年9月28日 - 2001年11月15日)は、著名な古脊椎動物学者であり、多くの研究と著作で知られる。アイオワ州Clarinda生まれ。ネブラスカ大学で学士号、コロンビア大学で修士号および博士号を取得している。

コルバートはアメリカ自然史博物館の古脊椎動物学部門のキュレーター、およびコロンビア大学の古脊椎動物学の名誉教授の地位にあった。 ヘンリー・フェアフィールド・オズボーンの友人であり、恐竜学における最高権威であった。コルバートは何十もの新しい分類群について記述し、主要な系統についてのレビューを発表した。この中にはニューメキシコ州ゴーストランチにおける三畳紀の小型恐竜コエロフィシスの発見と記載や角竜類の系統発生についてのレビューも含まれる。 また、コルバートは後にエフィギア・オケエフェアエ(Effigia okeeffeae)として命名、分類された化石爬虫類も発見した。

恐竜、古生物学、および層位学におけるコルバートの人気と彼の教科書はこの分野の科学者と熱心なアマチュア研究家の一世代に広まり、そして南極大陸での彼のフィールドワークは、大陸移動説が確固たる承認を受けるのに助力した。コルバートは科学の分野での多くの業績を記念し非常に多数の賞と表彰を受けていた。

  ※まだカナダの話は続きますが、調査の状況を報告したいので、来月はアラスカの話をお届けします。そして、再来月は、モンゴルの調査を。話はとびとびになりますが、その後カナダの話に戻ります。

 

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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

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現代の探検家《小林快次》 =19=

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◇◆ 第8回 アラスカは待つていた、美しい花と足跡化石 =1/3= ◇◆

 米国アラスカ州に初めて調査に入ったのは、2007年の夏。州中部にある、マッキンリー山がそびえ立つデナリ国立公園だった。 当初は「1年で終わる調査」と思っていたが、それ以来毎年調査に入り、いつの間にか今年で9年目となる。

 この間、デナリ国立公園に加え、ランゲル=セントエライアス国立公園やユーコン=チャーリー・リバーズ国立保護区も調査で訪れた。 今となっては、アラスカが私の調査の中心の1つになっているのは間違いない。どれも記憶に残る調査だ。

 今年の調査は、恒例のデナリ国立公園。 そして、まだ恐竜調査が行われたことのないスロープ・マウンテンに狙いを定めている。 スロープ・マウンテンは、州北部にある標高1200メートルと低くなだらかな山だ。

 アラスカを縦断するダルトン・ハイウエー沿いにあり、北極圏の扉国立公園・保護区(Gates of the Arctic National Park and Preserve)と、北極圏国立野生生物保護区(Arctic National Wildlife Refuge)の間を抜けたところにある。 ここはもう、北極圏の中だ。

観光客と同じバスで調査地へ

 2015年7月、私はデナリ国立公園に再び戻ってきた。

 この公園にやってくると、まだ肌寒いにもかかわらず、「夏がやってきたな」と思う。 今年は許可の関係で、実際の調査は日帰りでたったの2日間。 しかも、観光客と一緒にバスで調査地に入ることになった。 いつもはヘリコプターで調査に入るが、バスに乗るのは初めて。 なかなか貴重な体験である。

 「ここに並んでていいのかな?」

 私と一緒に調査に入る、ペロー自然科学博物館のアントニー・フィオリロ博士(通称トニー)は、そう言って観光客の後ろに並ぶ。 みんな軽装なのに比べ、私たちは明らかにバックカントリー(へき地) に入るべく、重装備だ。 日帰りではあるが、調査に備え、それなりの装備を整えた。

 ハンマー、フィールドノート、GPSユニット、ブラントンコンパス(方位磁針、水準器、鏡、照尺などを組み合わせた小型の測量測角器具で、クリノメーター機能も備える)、ルーペ、筆記用具といった調査用具はもちろんのこと、雨具、ランチ、水筒、浄水器、予備のジャケットもバックパックに詰め込んだ。

 デナリ国立公園では恐竜の足跡化石が多産しているので、型を採るために数キロのシリコンを持っていく。 そして、忘れてはいけないのが、クマよけスプレーだ。

 これらをすべて詰め込むと、バックパックはかなり重くなる。 そのため、私はトレッキングポールを使って歩く。 トニーは「トレッキングポールを使うなんて情けない」などと冗談めかして言うことがあるが、確かに「情けない」理由があるのだ。  

  以前、トレッキングポールなしで調査を行った際、何度か足を痛めてしまった。 中足骨頭部(足の裏)と膝のじん帯を痛めている。 さらに、これまでに2度、肋骨も骨折しているため、足への負担軽減を第1に考え、トレッキングポールを使うことにしたのだ。

 「タトラー・クリークまで」と運転手に降りる場所を伝え、私たちはバスに乗り込んだ。

 

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◇◆ 第8回 アラスカは待つていた、美しい花と足跡化石 =2/3= ◇◆

快晴の空に姿を現したデナリ

 快晴である。 これは珍しい。 

 私たちの中でデナリ国立公園というと、「湿っていて、寒い」 というイメージがある。 調査中はいつもどんよりとした空模様で、しょっちゅう雪や雨が降る。 必ずと言っていいほど、ずぶ濡れになりながら調査を行うことになる。

 また、夏でも寒いので、幾重にも着込む。 コツは、分厚いジャケットを1枚着るのではなく、薄いシャツやジャケットを何枚も重ね着すること。 デナリ国立公園の調査では、「脱いで、着て」をとにかく繰り返す。

 そうやって体温をうまく調整しながら、作業する。 ちなみに、ダウンジャケットは避けたほうがよい。 濡れると保温効果がほとんどなくなってしまうからだ。 ウールのシャツやジャケットがおすすめである。

 「デナリが見えるよ。すごくキレイだ」

 「デナリ」とは、先住民アサバスカ族の言葉で「高いやつ・偉大なもの」という意味である。 私たちに馴染みがある「マッキンリー山」と「デナリ」は同じ山を指す。


 調査に向かう時にデナリが見えることはほとんどない。 今日はラッキーだ。

 2時間ほどの道のりの間、私たちがこれまで調査してきた山々が見えてくる。 ファング・マウンテン、ダブル・マウンテン、スロープ・マウンテン。 これまでの調査のことを思い出しながら、バスに揺られていく。 バスの揺れが心地よく、ウトウトしはじめた。

 「タトラー・クリーク!」 早く降りろと言わんばかりに、運転手の声が響き、目が覚める。

 「さて、行こう」 狭いバスの中を何とか這い出て、外に出る。

 相変わらず、タトラー・クリークにはきれいな水が流れている。

 「いい天気だ。ヨシ、今日はどこまで行こうか?」

 「取り敢えず、いつものランチスポットまで行ってから考えようか。まだ行ったことのない、イグルー・マウンテンの北面もいいかもね」

 2007年に初めてタトラー・クリークに入ったときは、調査する距離はそれほどでもなかったが、毎年、谷の奥へ奥へと調査地を広げていっているため、距離がどんどん遠くなっている。

 タトラー・クリークが流れる谷は、私たちの好きな調査地だ。 水もきれいで、野生動物に出会うことが多い。 タトラー・クリークの「タトラー」とは、この谷でよく見かける鳥、キアシシギの英語名だ。

 谷の入り口には、木がたくさん生えている。 木々の間を抜けながら、谷を登っていく。木が生い茂っているところは、グリズリー(ハイイログマ) に気をつけなければいけない。

 この谷では、よくグリズリーに出くわす。 以前、1日に7頭ものグリズリーに鉢合わせしたこともあるくらいだ。 ただ、こちらの存在をグリズリーにきちんと知らせながら歩けば、危険な目に遭うことはほとんどない。

 どうやって知らせるかというと、「ハロー、ベア!(クマさん、こんにちは!)」と大声で叫びながら、茂みへと入っていくのだ(クマに英語がわかる訳ではないので、日本語でも何でもよいのだが・・・)。 日本ではクマよけ用の鈴をつけることがあるが、アラスカでは鈴よりも人間の声がいちばん良いとされている。

 この日はグリズリーに出会うこともなく、軽やかに足を運ぶことができた。

 谷を登っていくと次第に山道もなくなり、ゴロゴロと転がる岩の上を歩いていく。 しかし、何年も通っている谷なので、面白いことに1つひとつの岩を認識できそうなものだが自信がない。

 

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◇◆ 第8回 アラスカは待つていた、美しい花と足跡化石 =3/3= ◇◆

 季節の流れを教えてくれる花

 1時間もしないうちに、ランチスポットにたどり着いた。まだ11時になったばかりだ。
 「トニー、今日は調子がいいね。ずいぶん早く着いた。この調子だったら、結構奥の方まで行けるね。ここで一休みして、水を浄水器でこして、水筒に補給しよう」
 そう言いながら、私はいつもの場所へ向かう。

 アラスカの夏は、きれいな花がたくさん咲いていて、私たちを迎えてくれる。 その代表が、ヤナギランとワスレナグサだ。どちらも好きな花だ。

 ヤナギランは北半球に広く分布する花で、日本でも咲く。英語名の「Fireweed」を訳すと、「火の雑草」になる。なぜこんな名前がついたのか。北米では夏になると、山火事がよく起きる。実際、今年は山火事が多発していて、2004年以来の多さだ。

 山火事が起きると、山は焼けこげ、生えていた植物は一掃され、生命を感じられない山となってしまう。 その焼け跡に真っ先に生える植物が、このヤナギランなのだ。 見た目は非常に可憐な美しい花だが、その力強さにはいつも感銘を受ける。

 ヤナギランはたくさんの花が上下に並んでいる。 まず下側の花が咲き、夏が過ぎていくにつれて、上側の花が咲いていく。 毎年アラスカに到着する6月の終わり頃には下側の花しか咲いていないが、帰国する8月始め頃には上側の花まで咲いている。 季節の流れを教えてくれる、美しい花である。

 もう1つのワスレナグサは、英語で「Forget-me-not」。直訳すると「私を忘れないで」だ。アラスカの州花で、花は小さいが、鮮やかでキレイな花を咲かせる。

 「あれ、まだある?」

 トニーはバックパックを下ろすと、すぐに聞いてきた。

 「あれ」とは、このランチスポットに転がっている、恐竜の足跡化石だ。 この足跡化石を見ないと、ここでの調査は始まらない。

 「あった、あった。相変わらず同じところにあるね」
 ハドロサウルス科の足跡の化石・・・このような足跡化石が、この谷だけでも何十と落ちている。

 デナリ国立公園には、約7000万年前の上部キャントウェル層(Upper Cantwell Formation)という地層が露出し、これまで私たちはたくさんの恐竜足跡化石を発見してきた。

  もちろん、このタトラー・クリークでも。このハドロサウルス科の足跡は、約7000万年前につけられたものだ。

 「デナリ国立公園は、俺たちの知らないことをたくさん教えてくれたよな」
 足跡化石を眺めながら、私たちはつぶやいた。

* * *

 アラスカ調査の話はまだまだ尽きませんが、これからモンゴルへ調査に行くので、来月はモンゴル調査の話をします。

 

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 ◇◆ 第9回 大発見は、最終日の夕方に =1/2= ◇◆

 大発見は、予期せぬ形で起きることがある。 しかも必ずと言っていいほど、最終日の夕方に・・・。この営巣地の発見もそうだった。 

 今から4年前、2011年8月のある日の夕方。 いつものように暑い1日だった。 モンゴル西部のゴビ砂漠にあるジャブクラントには、ジャブクラント層というオレンジ色の泥岩(でいがん)の地層が広がっているが、夕日に照らされると、崖が真っ赤に燃えているようにも見える。影とのコントラストが、本当に美しい。 日没近くなって涼しくなったが、日中は灼熱だったため大量の汗が乾き、塩の結晶となって皮膚を覆っている。 

 調査の最終日ということもあって、疲れはピークに達し、気持ちも「帰国モード」に入っている。 首都ウランバートルに帰って、シャワーを浴び、どんなおいしい料理を食べようかと考えながら、集合場所のジープに向かっていた。 

 ジープまであとちょっとという時に、さっきまでいたあたりで、ヤマセラトプスという小さなケラトプス類(角竜類)の骨格が発見されたという声を聞く。 それとほぼ同時に、誰かがジープのそばで手招きして、私の名前を呼んでいる。 調査に参加していた広島県在住の小学校教諭、木吉智美さんだった。 


 どちらに行くか迷ったが、距離が近い木吉さんのところへ行くことにした。 

 「これ何ですか?」

  木吉さんは、小さな卵のかけらを手渡してきた。 かけらを見た瞬間、またかという気持ちで、ため息が漏れた。

  「ダチョウか何かの卵の殻でしょう。 恐竜時代のものではなくて、たまに地面に落ちています」

 私は少し面倒くさそうに答え、ヤマセラトプスの方へ足を向けようとした。 

  「ちょっと待ってください。 殻だけじゃなくて、卵がいくつか地面に埋もれて、巣のようになっているんですけど・・・」

  そんなはずはないと、仕方なくその「巣」というものを見に行く。 木吉さんはその「巣」のところでしゃがみ、指をさす。 

  すると、先ほど手渡された卵の殻がたくさん落ちているのが目に入ってくる。 卵の化石とは不思議なもので、その化石を認識するまでに時間がかかる。 まるで間違い探しのクイズを解いているようで、見えないときはまったく見えないが、見えはじめるとジワリジワリと浮き上がってきて、いったん見えるとそれ以外ないというくらいはっきりと見える。

 

 最初は1個しか見えなかった卵の破片は、10個に増える。 そして10個が50個に、100個にと増えていく。 ついには、無数の卵殻が落ちているだけではなく、リング状のパターンを作っているのが見えてくる。

  それはまさに直径15センチくらいの卵の集団で、木吉さんの言うとおり、紛れもなく恐竜の巣だった。 彼女の方を見ると、「やっと見えたの?」とあきれたような顔をしている。

  予期しない驚きのため、目の前にある巣が何なのか、しっかりと消化することができない。 ただ、この発見がすごいということは、その瞬間、直感的にわかった。

  「(もう日が沈みそうなのに、何でこんなタイミングで発見を・・・)」

  口から出そうになった言葉を飲み込み、地平線に沈もうとしている太陽を見つめながら、目の前の巣をどう処理するかを考える。 あまりの時間のなさに、正直何をすることもできない。 取り敢えずGPSユニットで緯度経度を計測し、フィールドノートにスケッチ。 写真を撮って、一通りのデータを取る。

  「また来年。来年にしましょう」 私は、自分に言い聞かせるように同じことを繰り返し言って、巣の上に土をかぶせた。 

 

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◇◆ 第9回 大発見は、最終日の夕方に =2/2= ◇◆

 2015年8月8日夕方、私たちはウランバートルにあるチンギスハン国際空港に着いた。 今年の最大の目的は、2011年に発見した営巣地の調査に決着を付けることだ。

 参加チームは、日本人、韓国人、そしてもちろんモンゴル人の3カ国で構成されている。 韓国隊はこの日の夜中に到着するということだったので、私たち日本隊は先にホテルへと向かった。町の中心部にあるウランバートルホテルだ。

 ここは私にとって、思い出深いホテルだ。私が最初にモンゴル調査に入ったのは、1996年。 その時初めて泊まったのがここだった。

 当時、ウランバートルで外国人が泊まるホテルは、このウランバートルホテルくらいしかなかった。 夜、夕食を食べようと外に出たが、あたりは真っ暗で、開いているレストランもほとんどなく、結局ホテルに戻って食べた記憶がある。 しかし、現在のウランバートルは近代化が進み、高層ビルが立ち並んで、夜はネオンにあふれている。

  今回の調査は1週間と短いが、いくつかのミッションがあるため、スケジュールがかなりきつく、集中力を要する。 この日はしっかりと体を休めるため、早めに就寝した。

 早朝、私たちはジャブクラントを目指すべく、ウランバートルをたった。 1996年からモンゴルで恐竜化石の調査を行っているが、モンゴルの発展には年々驚かされる。当初はロシア製のトラックやジープで調査を行っていたが、今では私も買えないくらいの高級車で調査に向かう。 今年私が乗った車は、レクサスだった。ウランバートルから現場まで丸1日かかるが、昔とは比べものにならないくらい快適な移動だ。

 私の道中の楽しみに、植生の変化を見ることがある。ウランバートルをたってしばらくは、緑も多く、草原が広がる。この壮大な光景は、日本では見られない。 羊、ヤギ、馬や牛。遊牧民がゲルの周りでたむろしている。

 どんどん南下していくと、緑が少なくなり、フタコブラクダの姿を目にするようになる。 明らかに乾燥地帯へと突入したことがわかる。 ゴビ砂漠だ。

 窓越しに流れる平和な風景を見ていると、日本とは違った時間の流れを感じる。 そこには社会の雑音も無く、動物も人間も仲良く共存し、ゆったりとスムーズな時間が流れている。何時間見ていても、飽きることはなかった。

 「オボー」で調査の成功を祈る

 「休憩だよ」

 知らぬ間に眠りに落ちていた私は、不意に起こされる。そこは丘の上で、立派な「オボー」が立っている。オボーとは小高い丘の上などに石が積み上げられたもので、チベット仏教の祭礼が行われる場所だ。

 ここのオボーは、石垣のように大きな石で囲われ、しっかりと作られている。オボーの正面にはお供えができるところもある。ただ、すべてのオボーがこんなに立派な訳ではなく、その大きさはさまざまで、小さなものもある。

 足元にある小石を3つ拾い、私はオボーへと近づいていった。時計回りに1回オボーの周りを回る。回っている間に安全を祈願しながら、石をオボーの上に投げる。ゆっくりと回りながら石を1つずつ投げる(本当は1回しか回らないそうだ)。

 「今年も、みんな怪我無く、新しい発見がありますように」

 声を出さずに、私は願い事をした。 ・・・・・・・・・つづく


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◇◆ 第10回、 ゴビ砂漠でテントを張るべき場所 =1/2= ◇◆

 モンゴルは今年もいい天気だった。 車に乗り込み、調査地に向かう。
 話によると、今年のモンゴルは雨が少なかったが、私たちがモンゴル入りする前に、数日間連続して雨が降ったという。そのせいか、いつもよりも緑が多い。

  「テメー!」

 一緒に乗っていたモンゴル人が叫ぶ。決して怒っているわけではない。 モンゴル語でラクダのことを「テメー」というのだ。 彼が言うように、ずっと先の方にラクダが見える。 何頭か集団でたむろしているようだった。 ラクダたちは草むらに座り込んで、リラックスしている。私たちの車が近づいていくと、その音でいらついたように立ち上がるものもいれば、何事もないように座ったままのものもいる。

  コブがしっかりと張っている。 食べ物を十分に食べて、脂肪を溜め込んでいるのだ。 

   「あと、どのくらいかかる?」

 モンゴル人のドライバーに聞いてみると、2時間ほどだという。 私はGPSユニットを取り出し、現在地を確認する。直線距離にして40キロほどだろうか。 舗装された道がないため真っすぐ走ることができず、路面の状態もあまり良くないので、時間がかかる。

  いつも驚かされるのだが、モンゴルの人々はGPSユニットも見ずに、ちゃんと目的地に着く。 まったく目印になるものがないこの砂漠で、方向感覚と距離感をしっかりともちながら、運転できるのだ。 その秘訣をちゃんと聞いたことはないが、おそらく太陽の位置や遠くに見える山、町と町を結ぶ電線などを目印にしているのだろう。

 それにしても、モンゴル人には方向音痴がいないのではないかと思う。 遊牧民のDNAがあるからだろうか。

  ドライバーが言っていた通り、ほぼ2時間で今回のキャンプ地に着いた。 ここはコンギル・ツァブという恐竜化石産地だ。 広大な壁が広がり、いかにも化石が出そうな場所だ。 

 どこにテントを張るか

  暗くなる前にテントを張る。 どこにテントを張るかに、結構性格が出るのだ。 私は独自の基準をいくつかもっていて、それを満たすところを探す。

 まず一つ目の基準は、メインテントから離れていること。 メインテントには電灯や冷蔵庫を設置するため、近くに発電機がある。 それがかなりうるさいのだ。 ぜいたくなことかもしれないが、自然の中に来たら、その自然を存分に楽しみたい。

 静けさの中で、テントから見える砂漠や夕日を眺めながら1日を振り返るのが、調査時の私の楽しみの一つだ。

 

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◇◆ 第10回、 ゴビ砂漠でテントを張るべき場所 =2/2= ◇◆

  どこにテントを張るかに、私は独自の基準をいくつかもっていて、それを満たすところを探す。

 二つ目は、崖の中腹であること。 これは人によって意見が分かれるが、私は崖の中腹でテントが張れそうなところを探す。 理由は、風、雷、洪水を避けるためだ。

 崖の上下には平らなところがあり、テントは張りやすい。 しかし、崖の上には何も遮るものがない。ゴビ砂漠は風が強い。いったん風が吹きはじめるとテントはあおられ、バタバタとまるで高架下にいるような騒音を立てる。しまいには、中で寝ている私の顔にテントの壁が押しつぶされてくる。

 この状態で普通なら寝られるはずがないが、調査の疲れで何よりも寝るのが優先になっていると、つぶれてきたテントを腕を伸ばしてしっかりと支えた状態で、寝つづけることになる。

 そして、雷はかなり怖い。夜中に雷が鳴りはじめると、地響きが体に伝わってくる。いつ落ちるかわからない状況で怖くないはずがないが、何もできることはない。 そのような状況下で私がすることといえば・・・寝ることだ。

 風と雷、どちらにしても寝るのだが、できればこうした危険に直接さらされる状況は避けたい。

 では、崖の下の平原ならどうだろう。確かに、風と雷の危険は小さい。しかし大雨が降ると、砂漠は様子が一変する。そこらじゅうに川ができ、洪水のようになる。実際、砂漠で経験のない学生がテントを張った場所は、大雨が降り、川のど真ん中になってしまったことがある。

今年、私は希望通り、メインキャンプから少し離れた崖の中腹に、テントを張ることができた。我ながら良い場所に張れたと思う。

 すると、一緒に参加している韓国チームのリーダーで、私のサイエンティフィックな兄弟でもある韓国人研究者のイ・ユンナム(8月の調査の時点では韓国地質資源研究院所属、現在はソウル大学教授。詳しくは第2回を参照:http://blog.goo.ne.jp/bothukemon/e/8dc8fa4f859cbd93f9ed5072d30564f2)が、私のテントに近寄ってきた。

 「ヨシ、良いところにテントを張ったね。今年の調査も楽しみだ。このキャンプに広がる露頭(地層や岩石が土壌や植生に覆われず、直接地表に現れている場所)もたくさん恐竜化石が出そうだし。明日はみんなでここを調査しよう!」

 「ゴメン。俺はここじゃなくて、ここから西に30キロほど離れているジャブクラントに行って、あの営巣地の調査をするよ。とにかく今年で終えたいんだ」
 私はため息をつきながら答えた。おいしそうなキャンディーを目の前にして、お預けを食らったような気分だ。

 「あの営巣地」とは、2011年8月の調査の最終日に見つけた、恐竜の卵の化石を大量に産出した「恐竜の巣」のこと(詳しくは前回を参照)。あの調査を終えなければならない。そして、その重要性を世の中に伝えなければならない。 私は自分にそう言い聞かせた。 ・・・・・・・つづく 

 

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◇◆ 美しい頭蓋骨を掘りたがらない理由=1/2= ◇◆

 2015年の発掘シーズンが終了しました。 今回は、第6回第7回で紹介していた、カナダ・恐竜州立公園での発掘調査の続きです。当初ケラトプス科と考えられた恐竜の全身骨格化石ですが、発掘を進めると、ハドロサウルス科であることが判明。 ニックネーム“ハドロケラトプシア(ハドロサウルス科とケラトプス科を合わせた造語)”の発掘は続きます。

 

  「まあ・・・それでも全身骨格は全身骨格だからね」

  カナダ、アルバータ大学のフィリップ(フィル)・カリー教授は、地面に座り込み、周りの石を取り除きながらつぶやく。 「取りあえず、明日以降もこの骨格の発掘は続けよう。 アロン、この“ハドロケラトプシア”の発掘をお願いしていいかな。 何かわからないことがあったら相談して」

  この公園には、まだ発掘されるのを待っている恐竜骨格がたくさん眠っている。 実はこの時点で、キャンプ地周辺には、セントロサウルス(ケラトプス科の仲間)のボーンベッド(不完全な骨が1カ所に集まった状態。 第6回参照)と、幼体が含まれるケラトプシア科のボーンベッドがあった。少し離れたところでは、セントロサウルスと思われる美しい頭骨も発見されていた。 これらすべてを発掘するには、限られたメンバーで協力し、効率よく作業しなければならない。

≪:http://blog.goo.ne.jp/bothukemon/e/3fe63a4a7783cb9d0e023995527785ce≫ 

  比較的多く発見されているハドロサウルス科であることが確認されたので、私たちは次の発掘地を確認しに行くことにした。 この“ハドロケラトプシア”の露頭(地層や岩石が、土壌や植生に覆われず、直接地表に現れている場所)は、発見者であるアロンが担当となって、この夏が終わるまでに、ある程度目処を付けなければいけない。 その重要な役目を、フィルはアロンにお願いしたのだ。

  長い発掘で、みんな疲れがたまっている。 毎日の重労働。手作業で崖を崩し、大量の土砂を運んでいるのだから、無理もない。 フィルはみんなに意見を聞いた。 「明日の予定ですが、気分転換に、キャンプ地から離れた調査や発掘をしましょう。キャンプ地から車で30分くらいのところへ行きます。 プロスペクト(新しい化石を探す作業)か、セントロサウルスの頭骨を掘るか、どちらがよいか聞くので挙手してください。 それでは、プロスペクトに行きたい人・・・」

 すると、みんなうれしそうな顔をして手を挙げる。聞いた話によると、セントロサウルスの頭骨の化石はかなり良いものらしい。 にもかかわらず、みんなそちらよりも、プロスペクトがしたいという。 新しいものを探し、見つける楽しみはよくわかるが・・・。

 

  「それではみんな、明日はここから少し離れたところに行って、プロスペクトをしよう。ただ、セントロサウルスの頭骨も掘らなければいけないので、発見者のスコットは私たちと一緒に来てくれ。ヨシも来てくれるか?」

  私は「もちろん」という気持ちを込めてうなずく。 しかし、スコットはちゃんと聞こえているはずなのに、「僕が行くのですか?」と聞き直す。 よっぽど、みんなと一緒にプロスペクトに行くのが楽しみだったのだろう。

 いざ、セントロサウルスの頭骨の発掘へ

  次の日、私たちは何台かの車に分かれてキャンプを離れた。私は助手席に乗り込む。フィルが運転し、フィルの妻のエバとスコットは後部座席に座った。

 「今から掘り出す頭骨は・・・」

  スコットは後部座席から身を乗り出して、話しはじめた。「僕の彼女とプロスペクトをしている時に見つけんたんだ。 斜面にオレンジ色の三角錐のものが突き出ていて。 遠くから見ても、一目でケラトプシア類の角だってわかった。ちょうど日が差していて、オレンジ色に光ってすごくキレイだった。 近づいてみると、角の表面に地衣類がびっしりとついていた。オレンジ色はその地衣類の色だったんだ。 2人で角の周りを掘ってみると、頭骨が丸ごと埋まっているってわかった」

 「すごいね。そんなにすごい頭骨が見つかるところなのに、なぜみんな来たがらないの?」

「このあたりはきれいな地層が露出している。 でも、斜面がきつくて歩きづらい。 それに、なかなか化石が見つからない。だからみんな来たがらないみたい。 他のみんなが今日行くところは、骨がたくさん落ちていて、プロスペクトしていても楽しいしね」 

 

 

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◇◆ 美しい頭蓋骨を掘りたがらない理由 =2/2= ◇◆

 しばらくすると、フィルは車を止めた。 「着いたよ。みんな、スコップかツルハシを1本ずつ持って」

 私が2本持って行こうとすると、フィルが私の手を止めた。 「エネルギーがあるのはわかるけど、1人1本ずつだよ。 セントロサウルスの頭骨を掘るのに必要だから持っていくだけでなく、違う目的があるんだ。 ガラガラヘビが結構いるから、草むらがあったらそれで突いて、いないのを確認してから進むんだよ」

「了解」

 ガラガラヘビには、私もある意味「慣れている」。 私が通ったワイオミング大学のある米国ワイオミング州でも、ガラガラヘビを頻繁に見た。 フィールドを歩いていると、「シャー」という音がする。 立ち止まって周りを見渡すと、地面と色が同化したガラガラヘビがこちらを威嚇している、ということがよくあった。

「ガラガラ」という音よりも、「シャー」という乾いた音だ。 威嚇というよりは、警告してくることが多いので、音が鳴ったら立ち止まって、そのヘビの位置を確認すれば、襲われることはほぼない(と私は思う)。

 良い標本でも喜ばない

  第1発見者のスコットは私たちよりも先に歩き出し、GPSユニットを片手に、頭骨が見つかった現場に向かう。 「そんなに遠くないよ。700メートルくらいだね」

 スコットはさっそうと緩やかな斜面をしばらく下り、手に持ったスコップを地面に突き刺して、足を止めた。足元に広がる急な崖が、彼の行く手を遮っていた。「おかしいな、簡単に見つかると思ったんだけど・・・。みんなはここで待ってて」

 そう言い残して、スコットは早歩きで崖を下りだした。そんなに焦らなくてもいいのにと思って見ていると、スコットはあっという間に崖の下にたどり着き、まるで早送りを見ているかのように、頭骨の見つかった場所に一目散に向かって行った。

  「フィル、あれがそうなの? 遠くから見ると全然わからないね」

  「ああ、発見した頭骨にジャケット(化石を取り囲む母岩から露出した骨化石を、壊さずに運び出すために作るもの)をかけたんだけど、そのままにしておくと目立ってしまう。盗掘に遭わないように、崖とほぼ同じ色の麻袋をかぶせて、土砂をかけたんだ。GPSユニットがないとわからないよ」

  スコットを追うように、私たちもゆっくりと崖を降りていった。

  

 「これがそうだよ」。私たちがたどり着くと、スコットは自慢げに言った。

  かぶせてある土砂をみんなで注意深くどかし、麻袋をめくる。すると、白い岩の固まりのようなものが見えた。ジャケットだ。ジャケットの形から、セントロサウルスの角の形がよくわかる。

  「良い標本だね! こんなにすごい頭骨なのに、みんな発掘したくないなんて」

  「セントロサウルスはたくさん見つかっているから。どんなに良い標本でも、たくさん見つかっていると重要性が落ちるんだ。セントロサウルスの頭骨だと、みんな喜ばないんだよね」

  さっきまで自慢げな様子だったスコットは、フィルの方をチラッと見ながら言った。

 ・・・・・・・・新節につづく 

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◇◆ 第12回 北米の恐竜とアジアの恐竜 =1/3= ◇◆

※   前回に続き、カナダ・恐竜州立公園での発掘調査です。 発掘チームの1人、スコットが発見した、セントロサウルス(ケラトプス類)の頭骨をいよいよ掘り出します。 

 カナダ、アルバータ大学のフィリップ(フィル)・カリー教授は、ナイフを手に取り、頭骨に近づいた。
「ちゃんと外れやすいように、ジャケット(化石を取り囲む母岩から露出した骨化石を、壊さずに運び出すために作るもの)には切れ目を入れてある。  ここがそうだ。 ジャケットと骨の間にはトイレットペーパーを詰めてある。 この割れ目にナイフを入れて・・・」

 割れ目にナイフを刺し、ゆっくりと力を入れる。 最初はビクともしないが、何度も揺らしていると、少しずつジャケットが外れていくのがわかる。


 「あんまり強くやると、骨に圧がかかっているよ」  スコットはそう言いながら手助けを始める。

 メリメリという音とともにジャケットが持ち上げられていく。さっきまで輪郭しか見えていなかった頭骨があらわになった。 誰が見ても恐竜の頭骨とわかる。 スコットが説明していたように、角には濃いオレンジ色の地衣類が付いている。

「すごい! すごいね! これはすごい!!」

 私は頭骨の周りをくるくる回り、ただひたすら「すごい」を連呼していた。 カメラを取り出し、シャッターを何度も切った。 私も20年近く恐竜の発掘調査をしているが、今までにない感動だった。

 感動の瞬間を満喫し、少し冷静になった頃、騒いでいるのは私独りだけだということに気づく。 そして、フィルとスコットの冷ややかな目線を感じた。

「 (この温度差は何だろう? みんなうれしくないのか?)」 私は興奮を抑え、軽く咳払いをして平静を装う。

「 アルバータ州からはセントロサウルスがたくさん発見されているしね。この頭骨を掘るのは、研究用というより、どちらかというと展示用かな。ここまできれいに保存されている頭骨はあまりないからね」

 フィルは私の目を見ず、バッグの中にある発掘道具を探しながら言った。

 彼らにとって、ケラトプス類の化石は珍しいことではない。しかし私にとっては、これだけ大型で保存状態の良いケラトプス類の頭骨を発掘するのは、初体験だった。

 そこで、あることを思い出した。以前、カナダの研究者が私たちのモンゴルの調査に参加した時、テリジノサウルス類の化石に異常に反応していたのだ。

 

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◇◆ 第12回 北米の恐竜とアジアの恐竜 =2/3= ◇◆

北米とアジアで異なる恐竜の多様性

 モンゴルではテリジノサウルス類の化石は比較的豊富で、よく発見される。私たちにとっては「またか」というくらいだが、カナダをはじめ、北米の人たちにとっては、とんでもなく珍しいものだった。

 その逆バージョンで、彼らにとって珍しくない大型のケラトプス類は、アジアではほとんど発見されたことがない。実際、私自身、アジアで発掘したことはない。今までに経験したことのないことが、あの感動と興奮を引き起こしたのだ。

 私の研究テーマに、「アジアと北米の恐竜多様性の比較」というものがある。今回発掘しているセントロサウルスの生息年代は白亜紀末で、私がアラスカやモンゴルで調査しているのも白亜紀末。アジアの恐竜が北米に渡っていき、北米の恐竜がアジアに渡ってくる。


 ある恐竜は大陸間を無事に渡っていくが、ある恐竜は移動に失敗する。移動できなかった恐竜は、その大陸固有の動物となり進化していく。 それゆえ、アジアと北米では生息していた恐竜に違いが出る。 その好例が、白亜紀末に栄え、多様化した北米のケラトプス類とアジアのテリジノサウルス類だ。 

 アジアと北米の恐竜に違いがあることを頭では理解していたが、この発掘によって実感できた。 この実感が、感動と興奮によって現れたのだ。


「(まさに百聞は一見にしかずだな~)」と心の中でつぶやく。

 もうすでに、フィルとスコットは頭骨を掘りはじめていた。私もすぐに自分の発掘道具を取り出し、発掘に参加した。

 頭骨が埋まっている石は比較的軟らかく、掘るのは難しくなかった。石はきれいに剥離し、茶色く光る骨がみるみるうちに露出する。

 新鮮なほうがおいしい食べ物や飲み物があるが、化石も同じだ。掘り出されたばかりの骨の質感はたまらない。こんなに美しいものはない。 しかし、いったん空気にさらされると、その艶が失われてしまう。

  それでも、次の骨を露出すると、また美しい表面が出てくる。この作業を続けていくと、頭骨の形があらわになってくる。

 

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◇◆ 第12回 北米の恐竜とアジアの恐竜 =3/3= ◇◆

 私は、恐竜の骨を含め、生物とは自然界が作り出した芸術品だと思う。骨もその芸術性の塊であり、一つひとつの曲線や突起物などは、無駄なく効率的に作られている(すべてではないが・・・)。

 私は、まさに恐竜時代に造られた「セントロサウルス」という作品を掘り出している。 自分が芸術家になったかのような錯覚に陥る。

 これだから発掘はやめられない。

 体験したことのない人は、あんなに根気のいる地味な作業と思うだろうが、そうではない。 いったん始めると、やめることができないのだ。

 「そろそろ片付けないと。プロスペクトに行ったみんなを迎えに行かなきゃ」
 フィルが膝についた泥を払いながら、私に話しかける。

 「え?? もう終わり?!」

 時間が経つのがあまりにも速い。さっき始めたばかりだと思ったのに! すでに4時間が過ぎていた。

 「明日はここに戻ってこないの?」
 「ヨシは、明日はもう1つのケラトプス類の産地を手伝ってほしい。ここはまた改めて、学生に発掘を続けてもらうよ」

 あまりの短さに不満を感じたが、プロスペクトに行った学生たちが待っている。渋々道具を片付けはじめる。

 「このセントロサウルス、崖の中から飛び出そうとしているように見えるね。すごい化石だ」
 頭骨を見ながら私は言った。 

補足 : セントロサウルス Centrosaurus は、中生代白亜紀後期の北アメリカ大陸に生息していた角竜の仲間の恐竜カナダアルバータ州の白亜紀の地層から大量の化石が産出しており、群れを形成する恐竜だったと考えられている。

セントロサウルスの名称問題 : Centrosaurus の名は、先に現生のトカゲの仲間に使用されており、新たに エウセントロサウルスEucentrosaurus の名が与えられたが、その後、そのトカゲに与えられたCentrosaurusという名称は改名され、Centrosaurus と eucentrosaurus の両方が有効名という紛らわしい事になっている。日本ではセントロサウルスの方が使用頻度が高い。

またCentrosaurus は、「ケントロサウルス」と表記されることもあるが、剣竜類に Kentrosaurus というものがあり、こちらもカナ表記すると同じケントロサウルスになってしまう。混乱を避けるためにカナ表記では Centrosaurus を「セントロサウルス」、 Kentrosaurus を「ケントロサウルス」と呼び分けることが多い。

形態 : 全長は約6メートル。鼻先に1本の角を持ち、後頭部のフリルが発達する。眼窩上部にも、小さな角状突起が存在する。骨質の短い棘がフリルの周縁を囲み、フリルの後端部には鍵型に湾曲した一対の骨が目立つ。このフリルの骨格には穴があり、軽量化されている。胴体は樽状で、太く頑丈な四肢と短い尾を持つ。

モノクロニウス(Monoclonius)は、中生代白亜紀後期の北アメリカ大陸に生息していた角竜。 鼻に一本の角が伸びているのが特徴で一角竜とも呼ばれている。古くから知られている有名な角竜だが、この名前はあまり使用されなくなりつつある。

外見と分類 : 1877年に、アメリカの古生物学者エドワード・ドリンカー・コープは、モンタナ州で発見された断片的な化石を元に、新属 Monoclonius を設立し、新種 M. crassus を記載した。この時点では、角のある恐竜、角竜の本格的な化石はまだ知られておらず、化石も不完全であったため、コープは、モノクロニウスをハドロサウルス科の仲間だと考えていた。

その10年後、別の角竜の化石の発見がきっかけとなって、モノクロニウスも正しく角竜として復元されることになった。角竜の化石は、その後も継続して発見され、いくつかの新しい属が記載され、モノクロニウス属にもコープ自身によりさらに2種が、また、古生物学者ローレンス・ラムによっても3種が記載された。1904年に、ラムは、不完全だが比較的特徴がよく保存された化石を元に新属セントロサウルス Centrosaurus を設立し、C.apertus を記載した。セントロサウルス属は、これまでに記載されてきたモノクロニウス属と一見するとよく似ていたが、後頭部に広がるフリルの後端の形状などに特徴があり、比較すれば明確に区別ができた。

こうして、セントロサウルスとモノクロニウスはどちらも属内の種数を増加させてゆくが、化石の研究が進むにつれ、コープとラムがモノクロニウス属として記載した種の一部は、別属で、新しい属を設立して独立させることになった。

 

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◇◆ 未知の恐竜を求めて、冒険のはじまり 【マガジン幻冬舎より】 =1/9= ◇◆

_______※_______

データ無くして理論立てをするのは致命的な誤りである。

 人は、気づかぬうちに、理論を事実に合わせる代わり、理論に合わせて事実を歪めてしまう。

It is a capital mistake to theorize before one has data.

Insensibly one begins to twist facts to suit theories instead of theories

to suit facts.   

                (『シャーロック・ホームズの冒険』より)

 私のオフィスのドアには、この言葉が貼付けてある。 私は、恐竜研究を始めてからずっとこの言葉を自分に言い聞かせている。「理論」を「仮説」に置き換えることで、私たち恐竜研究者にとっても重要な教訓になる。

 約2億3千万年前、恐竜が地球上に現れた。 二本足で歩き、からだも小さい。 その後、長い時間をかけて恐竜は多様化する。 約6,600万年前に大量絶滅するまで、多彩に体の形を変えていく。 

 背中に大きなプレートを持つステゴサウルス。 全長35メートル、体重70トンにもなった巨大恐竜アルゼンチノサウルス。 頭に長い角を3本も備えたトリケラトプス。 そして、史上最強の肉食動物ティラノサウルス。


 そして、約6,600万年前、直径10キロほどの小天体が、現在のメキシコのユカタン半島付近に衝突し、多くの恐竜たちがこの世界から姿を消す。 しかし、空へと生活圏を変えた恐竜は、鳥類へと進化し、この大量絶滅を生き延びる。そして現在、鳥類と呼ばれる恐竜は約1万種類存在し、私たちほ乳類の倍以上の多様性を持つ。

 「約6,600万年前に恐竜時代は終わり、ほ乳類時代がやってきた」ということを聞いたことがあるだろう。これは間違いである。恐竜は陸上から空へと生活環境を変えたかもしれないが、その繁栄はほ乳類をはるかに越え、約2億3千万年前に始まった恐竜時代は、現在でも続いているのだ。

 恐竜の進化をざっくりと簡単に説明するとこんなものだろうか。
 ・「恐竜の起源」
 ・「恐竜の多様性」
 ・「恐竜の絶滅」
 ・「鳥類への進化」
 の4つのキーワードによって恐竜というものがある程度説明できる。

 現在の恐竜研究は、以前に比べかなり進んでいる。 それは、新しいテクノロジーの応用や新しい手法の誕生があげられる。 恐竜研究者の人口が、急激に増えていることも理由の一つだろう。 そのため、研究の内容は細分化され、かなりのデータを揃えた理論的な研究がなされ、信頼性の高い成果が発表されている。

 その一方、研究の中身に新鮮味が欠け、驚きが少なくなっているようにも感じる。 国際学会に参加しても、以前ほど驚きの発表は少ない。 あくまでこれは個人的な意見だが。
 大きな発見は、どこに潜んでいるのか。 これから恐竜研究者を目指す若者は、どこに行けば世紀の大発見ができるのか。

 私は、主にモンゴル、中国、アメリカ、カナダの恐竜を研究している。毎年、モンゴルのゴビ砂漠に3週間から1ヶ月キャンプ生活をして新しい恐竜を探している。
 ゴビ砂漠は、約130万平方キロメートルあり、日本国土の面積の3倍以上という広大な土地だ。これだけ広大な土地で、恐竜調査をするためにキャンプを張る。 広大な岩砂漠を目の前にし、期待を膨らませる。

 しかし、他の調査隊が近くでキャンプを張っているということが間々ある。 こんなに広い砂漠なんだから、他に行けば良いのに、よりによって近くにキャンプをするなんてがっくりする。 こんなに“混雑する"砂漠で、世紀の発見などできるはずがない。

 この調査が象徴するように、新しい恐竜の発見がたびたび報道されるが、どこかで見たことがあるような恐竜が多い。 かく言う私も、2011年にチウパロンという、中国のダチョウ型恐竜を発表した。 親属新種の恐竜として発表したものの、他のダチョウ型恐竜と全くと言っていいほど区別がつかない。

 近年の世紀の大発見は何か。 それは、今でも世間を騒がせ続けている、羽毛恐竜の発見である。1990年代中頃から次々と羽毛の痕跡を残す恐竜が発見された。 これは、先にあげた4つのキーワードの内の「鳥類への進化」にあたる。 これまで、ぼんやりとしかわかっていなかった恐竜から鳥類への進化過程が明らかになった、一連の発見である。

 現在も、ごく稀ではあるが大発見はある。 それは、どういう時か。 私たち研究者が、まだ誰も足を踏み入れたことの無い場所での調査をする時か、かなりの強運を誰かが持っている時だろう。

 現在私と海外の研究者は、謎の恐竜を追い求めている。 それは、モンゴルから発見されているデイノケイルスとテリジノサウルスである。 どちらも腕の化石しか発見されておらず、まさにベールに包まれている謎の恐竜である。

 例えば、デイノケイルスとは「恐ろしい手」という意味であり、約2.5メートルという巨大な腕である。 これだけ大きな腕をした肉食恐竜。 腕の長さをもとにすると、その全長はティラノサウルスなど軽く超えてしまほど巨大である。 この2つの恐竜は、世界中の恐竜研究者が追い求めている恐竜であり、現在残されている「謎の恐竜」という名にふさわしい恐竜である。

 デイノケイルスとテリジノサウルスが世紀の大発見になるかはまだわからない。 しかし、これらの恐竜はすでに謎めいており、私たちの想像を絶する進化を遂げている。 先ほどの4つのカテゴリーの「恐竜の多様性」という点で、大発見になることは間違いなく、これらの恐竜の解明は、恐竜の学界において大きな振動をあたえるものとなることは間違いない。

 そして、私たち研究者は“世紀の大発見"をもとめて、デイノケイルスとテリジノサウルスを追いかけ続けている。

 

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◇◆ デイノケイルスの発見地を求めて砂漠をさまよう =2/9= ◇◆

 2008年の夏、私たちは写真を片手に炎天下の中ゴビ砂漠を歩いていた。 崖の淵で、右手に持った写真と目の前の風景を見比べていた。

  「似ているけど、違うな……」 その写真とは、ポーランドの調査隊が1960年代に撮っていたデイノケイルス発掘現場の白黒写真。

 デイノケイルスは、1965年にポーランド・モンゴル古生物学調査隊の一人、キエラン・ジャウォロウスカ博士によって発見された。 発見場所は、モンゴルのゴビ砂漠に広がるネメグト盆地のアルタンウルという恐竜化石産地である。 この恐竜化石産地は、アルタンウルという山の麓に広がる谷であるため、アルタンウルと呼ばれている。 “アルタン"は“金の"、“ウル"は“山"という意味である。 この産地からはティラノサウルスの仲間であるタルボサウルスを始め、多くの化石が発見されている世界でも有名な場所だ。

  私たちは、デイノケイルスの発見場所を特定しようと、白黒写真を頼りにアルタンウルをさまよっていたのは、ポーランド・モンゴルの調査隊が、決して発掘場所の記録を残していなかったからというわけではない。 私たち研究者が調査や発掘を行う時には、必ず産地や発掘の記録を残す。 発見場所がどこであるか、化石がどのような状態で発掘されたか、どの地層から発見されたかなど、あらゆる情報を記録として残す。

 彼らももちろん、様々な記録を論文に残している。 その中でも、発見場所を探すのに有効なのが、写真と地図である。現在は、GPSを使って誤差数メートルで位置を記録することができるが、当時描かれた地図は、正確さに欠ける。 地図を頼りに、発見場所を探そうとしても特定の場所にたどり着くことは非常に難しい。 それは、まるで宝探しのように、残されたヒントをもとにデイノケイルスの産地を探し当てる作業である。

  実は、一番信頼できるのは、彼らが残した地図ではなく、発掘当時写された写真である。 写真に映り込んでいる地形をヒントに、私たちの目と足で探し出す方が、発見場所を見つける可能性が高いのだ。 彼らが残しっていった地図をもとに、大まかな場所を特定する。 そして、私たちは、写真と目の前の風景を見比べながら、デイノケイルスの化石産地を特定しようとしていた。

 そうはいっても写真からの特定は困難を極める。 砂漠の風景は、どこもかしこも似ているからだ。 特徴のある崖を見つけ出し、正しい角度からの立ち位置を探し、写真と見比べる。 直感と体力を限界まで使う作業である。

 疲労と焦りのためか、所々から「見つけた!」という叫び声が聞こえる。 そこへみんな集まって写真を見比べると、確かに似ているのだけれども、何かが違う。 誰もが「ここじゃないか?」と納得するくらいの風景が何カ所もでてくるのだ。 その時はどうするか? 私たちは、その付近に釘や板、石膏の破片や新聞、空き缶や空き瓶などが落ちていないか探してみる。 もし、何も落ちていなければ、その場所はデイノケイルスの発見地ではないと判断する。

 恐竜化石発掘は、どのようにするのか。 恐竜化石は、たいていの場合その一部が地表に出ている。 その出ている骨の周りを掘り始める。 すると、その骨が地中に埋もれていることがわかる。 それと同時に、どの部分の骨か、どの恐竜の骨かが明らかになってくる。 骨を丁寧に掘り出し、その周りを掘り込んでいく。 化石は、みんなが思っている以上にもろい。 化石化した骨は、言ってみれば“石"なのだが、保存状態によっては、手にしたとたんにボロボロと崩れていくものがある。

 そのため、私たちは、露出した骨を保護する。 まずは、トイレットペーパーや新聞紙で、露出した骨を覆う。 そして、麻の布を石膏に浸し、骨化石を周りの石ごと覆ってしまう。 石膏に浸された麻布を何層かかぶせたら、乾くのを待ち取り出す。 簡単に説明すると、このようにして骨化石は地面から取り出される。ま た、当時のポーランド・モンゴル調査隊は、化石を石膏で覆う代わりに、木の板で化石と周りの石を覆い取り出していた。

 そのため、発掘の時に、必ずと言っていいほど、新聞紙や石膏、木の破片などが化石産地の周りに散らばってしまう。 また、発掘の最中に食事をしたり酒を飲んだりする。 これらの残骸を探すことで、過去の産地を特定することができる。特に、新聞紙や空き缶などには、いつどの国が発掘したのかという記録まで残されているため、非常に有効な情報となる。

 私たちは3日間、デイノケイルスの発見地を探し続けた。 さて、なぜ私たちは、デイノケイルスの化石産地を特定しようとしていたのか。 その理由は2つある。

 一つ目は、デイノケイルスが発見された地層を特定するためである。 化石は、堆積物の中に保存される。 この堆積物は、層状になって積もっていく。 水の入ったコップに、最初に小石を入れ、その後砂を入れ、最後に泥をいれると、下から小石・砂・泥といった層ができる。 下から上に向かって時間が新しくなるのも理解できるだろう。 恐竜化石が入っている地層も同じように、堆積物に埋もれている。 ただ問題は、どの層に含まれていたかということである。

 先にアルタンウルからは、たくさんの化石が発見されていると紹介した。 ティラノサウルスの仲間のタルボサウルス、マイアサウラやパラサウロロフスの仲間のサウロロフス、大きな爪をもったテリジノサウルスなど、さまざまな恐竜が発見されている。 もちろん、デイノケイルスもそうである。全て同じ化石産地アルタンウルから発見されているが、これら全てが同時に生活していたのかは、それらがどの地層から発見されたかを、特定しなければいけない。 

 例えると、さっきのコップの中から、1円玉・10円玉・100円玉がでてきたとする。 だからといって、これら三枚のコインが同時に投げ込まれたかというとそうではない。 よく見てみると、小石の層に1円玉、砂の層に10円玉、そして泥の層に100円玉が入っていたとする。 同じコップ(恐竜化石産地)に3枚のコイン(3種類の恐竜)が含まれていても、それぞれのコイン(恐竜)は別の時に埋もれたことになる。 または、泥の層から1円玉と100円玉が入っていたら、その2枚はほぼ同時に投げ込まれたと考えることができる。

 言い換えると、同じ地層(層準)からデイノケイルスとタルボサウルスが発見された場合、これらの恐竜が同じ時間を共有していた可能性が考えられるのだ。 これは、当時の生態系を知る上で非常に重要な情報であるが、当時のポーランド・モンゴル調査隊の研究では、情報が足りなかった。  ・・・・・・・続く

 

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◇◆ デイノケイルスの謎とは? 前半  =3/9= ◇◆

 なぜ私たちがデイノケイルスの化石が発見された場所を特定しようとしているのか。 以前の発掘調査隊が発見し、化石産地として認定された場所での掘り残しがないか確かめるためだ。 まるでハイエナのようではあるが、意外に掘り残されていることがある。 これが二つ目の重要な理由である。 発掘は、お金と時間がかかる。 恐竜化石は、大きいこともあり、時間切れまたはお金がなくなってしまい掘りきれずに残して行くことがままある。

  私たちが追い求めているデイノケイルスは、肩の骨と腕、そして脊椎や肋骨などが発見されている。 当時の発掘記録を見ると、まだ残りがあるのか、それとも掘りきったのかが明らかではなかった。 当時発掘したポーランド人に聞いても、「多分掘りきったと思うけど……」と曖昧な答えしか帰ってこなかった。 私たちは、わずかに残された可能性に期待し、デイノケイルスの発掘地を探していた。 

 そしてある日、その瞬間がやってきた。

 何度も通りかかった崖。 あまりにも何度も通り過ぎていたからか、みんなの頭からは除外されていた場所だった。 それは、私たちのキャンプ地に近く、まさに灯台下暗しであった。 初日にも候補にあがった場所の数メートル先で、確定したきっかけは、残された木の屑や釘であった。 ポーランドの研究者が撮影した白黒写真をかざすと、目の前の風景とぴったりと一致する。 そして、足下には木屑と釘が散乱していた。

 「みつけたぞ!!」

 

 みんなが興奮して、その場に集まる。 見つけた喜びと同時に、“こんな近くに……"というバツが悪い雰囲気が漂っていた。 ともあれ、私たちは念願のデイノケイルスの化石産地特定に成功し、これからの作業に大きな期待を膨らませていた。 これで、デイノケイルスの産地と層準が確定した。 次のミッションは、掘り残された骨があるかどうかを確認することだった。

 「こんなに近くを見落としていたなんて信じられない。思い込みって、全ての見方を変えるものだね」とメンバーの一人が言う。

 こんなところにあるはずがない、既に確認したから絶対にここではない、と思っていても、実は見落としていたということはいくらでもある。 非常に苛立たしいが、どんなに自分なりにしっかりと見たつもりでも、思い込みによって見落としが出てしまう。 それでも、我慢強く捜索を続けることによって、私たちはデイノケイルスの産地を見つけ出した。

 白黒写真と、寸分違わずぴったりと合う風景。1965年に撮られた写真ということは、43年前の風景だ。しかし、目の前の風景は、この白黒写真そのものである。全くといっていいほど、変わっていない。丘や谷の形だけではなく、そこに転がっている石までも同じだ。 

 その変わらない風景に驚き、まるで40数年前にタイムスリップしたような感覚になる。 ポーランドとモンゴルの研究者が、デイノケイルスを見つけたその瞬間に立ち会い、彼らと発見の喜びを一緒に分かち合っているような気にもなる。 私たちの頬をかすめていくそよ風を、彼らも同じように感じていたのだろう。 ゴビ砂漠は、私たちの世界とはかけ離れた、ゆったりとした時間が流れ、40数年の月日を感じさせない。

 謎に包まれた恐竜は、ここで発見された。 私たち古生物学者を惑わせる、想像を絶する大きな腕。 デイノケイルス発見地の再発見は、私が初めてデイノケイルスの本物の骨を見たときの驚きを思い起こさせた。

 それは、12年前に遡る。 2001年、場所はフィンランドのヘルシンキ。 私は、オルニトミモサウルス類という恐竜を研究していた。 見た目がダチョウに似ていることもあり、ダチョウ型恐竜とも呼ばれている。 長い首、すらっとした脚、歯はなく、嘴を持っているのが特徴の恐竜だ。 このオルニトミモサウルス類は、ダチョウ型恐竜というだけあって、恐竜の中でも最速だったという。

 私は、アジアと北米から発見されているオルニトミモサウルス類を研究するため、ヘルシンキを訪ねていた。2001年の2月。冷えきった空気は、トゲのように肺に突き刺さり、呼吸がうまくできない。 その一方、その息苦しさを忘れさせてくれる程、空気は澄み切っており、目の前に広がる風景は美しい。私が大学を過ごした、米国ワイオミング州を思いださせる。

 そして、ようやく目的地である科学館に到着した。 ここでは、モンゴルで発見された恐竜化石が展示されている。 私は、展示見学ではなく、展示されている化石を研究するためにここにやってきた。モンゴルは世界でもトップ5に入る恐竜化石産地国であり、その多くがこのヘルシンキの科学館に運び込まれ展示されていたからだ。

 そういった関係もあり、モンゴルで発見されたオルニトミモサウルス類がたくさん展示されていた。 ハルピミムス、ガルディミムスやガリミムス。私はこれを研究の標的としていた。

 展示は、決して艶ではないが、コンパクトにまとまっており品がある。 押し付けがましい説明パネルもなく、恐竜化石の持つ「自然が生み出した造形物」としての美しさを引き出している。

 私は展示室の入口を通り、目的としているオルニトミモサウルス類へと向かう。

 すると、そこへたどり着く前にとてつもなく大きな腕を目の当たりにした。 デイノケイルスの本物の化石だった。

 「でかい……」

 デイノケイルスのことは知っているつもりだったが、本物を目の当たりにすると、その大きさに改めて驚かされ言葉を失った。 そして何よりも驚いたのが、その腕がオルニトミモサウルス類のそれにそっくりだったことだ。

 2001年の時点で、私は世界中のオルニトミモサウルス類の化石を見てきていた。 目をつぶっても頭の中で、あらゆる骨の形状を思い浮かべることもできるくらい、オルニトミモサウルス類三昧の日々を過ごしていた。 だからこそ、デイノケイルスを見た時に、驚きが大きかった。

 「オルニトミモサウルス類だ……」

 独り言を何度もつぶやいた。とにかくそっくりなのである。 しかし、あまりにもでか過ぎる。私にとって、あり得ない大きさだった。 ・・・・・つづく

 

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◇◆ デイノケイルスの謎とは? (後半) =4/9= ◇◆

 2001年の時点で、私は世界中のオルニトミモサウルス類の化石を見てきていた。 目をつぶっても頭の中で、あらゆる骨の形状を思い浮かべることもできるくらい、オルニトミモサウルス類三昧の日々を過ごしていた。 だからこそ、デイノケイルスを見た時に、驚きが大きかった。

  「オルニトミモサウルス類だ……」

 独り言を何度もつぶやいた。 とにかくそっくりなのである。 しかし、あまりにもでか過ぎる。 私にとって、あり得ない大きさだった。

 一番大きなオルニトミモサウルス類で、モンゴルから発見されているガリミムス。 体長が約6メートルある。 この最大のガリミムスの腕の長さが、1メートル30センチほどある。 

 一方で、デイノケイルスの腕は、その倍くらいの2メートル50センチほどある。 単純計算をすると、デイノケイルスの体長は、軽く10メートルを超えてしまう。 ティラノサウルスに匹敵する大きさだ。 デイノケイルスが棲んでいた当時、モンゴルにはティラノサウルスの親戚にあたるタルボサウルスとう凶暴な巨大肉食恐竜が棲んでいたが、このタルボサウルスくらいの大きさだということになる。

  これまで、モンゴルのゴビ砂漠は、様々な調査隊によって100年近く恐竜の調査が続けられているのだが、こんなに大きな“オルニトミモサウルス類"が棲んでいたという証拠は、このデイノケイルス以外には見つかっていない。

 このデイノケイルスは、大きな謎を2つ抱えている。

  第1に、こんなに大きな腕を持った“オルニトミモサウルス類"が棲んでいたということ。 これだけ大きな腕を持った獣脚類恐竜(俗にいう肉食恐竜)は、これまでに例はなく、私たちの想像をはるかに超える。

 第2に、この大きな腕を持っていた恐竜はどのような姿をしていたのか。 そして、いったい何のためにこんなに大きな腕を持っていたのか。 どのようにしてこの腕を使っていたのかという謎である。

 近年の恐竜研究で、驚くような形をした恐竜は数が少ない。 たいていどこかで見たような恐竜であることが多い。その中で、このデイノケイルスは、発見以来、その巨大な腕によって、私たち研究者を惑わし、想像を膨らませている摩訶不思議な恐竜の象徴と言っていい。

  ポーランドによるデイノケイルスの発掘場所を発見した私たちは、論文に記された発掘の記録を取り出す。
 「ここから上腕骨が発見されて……。肩甲骨はここで、手の甲の骨はここ。まてよ。ということは、この辺はまだ掘られていないかも……」

 発見の状態が記された図を指でなぞりながら、発見された骨の位置と、まだ掘られていない場所を確認する。 まるで、宝地図を見ながら宝を探しているようだった。 とりあえず、それらしいところをスコップで掘り返してみる。スコップを突き刺しても、サクッとスコップが簡単に入っていく。 つまりそこは岩ではなく、砂だった。 40数年前にポーランドとモンゴルの調査隊が、発掘中に積み上げた砂だったようだ。

 「こんな中から何も見つかるはずがない」と思いながら掘り続ける。 諦めずに掘り続けると、カチッという音とともに、スコップの先が止まった。 砂ではなく、岩に突き刺さった瞬間である。 半日をかけて砂を全てどけると、岩の表面が露出してきた。 当時の発掘の表面である。

 きれいになった岩の表面と、当時の発掘の記録を照らし合わせる。 すると、わずかではあるがまだ掘られていない部分があることに気づく。みんなの興奮と期待が高まる。 

 「ここを掘れば、掘り残しが見つかるかもしれない!」 

 残された部分は非常に少ないため、私たちは道具を使って慎重に少しずつ岩を剥いでいく。 最初は、ゆっくりゆっくり岩を剥がしていくが、見つかる様子がない。

 そろそろ骨に突き当たってもいいのに、と思いながら剥がしていくが見つからない。 そして、1時間もしないうちに、“残された岩"は、なくなってしまった。 

 それでもみんなは「何も無いはずがない」と思いながら、残された岩のさらに下を掘っていく。 後からよくよく考えてみると、そんなに下に骨がある可能性は少なく、それは悪あがきでしかなかった。その穴はどんどん大きくなり、みんなの会話もなくなっていった。

 おかしいな……。 戸惑いがみんなの顔に現れ始める。 そんな時、発掘された場所から少し離れて作業していたフィル・ベルというオーストラリア出身の研究者から声が上がる。

 「骨だ!」

 彼が発見した骨は、骨の固まりだった。 あまり保存状態の良いものではなかった。 その骨は、私たちが掘っていたデイノケイルスが発掘された場所ではなく、そこから少し離れた積み上げられた砂の中から見つかった。 その骨を手にして見てみる。 すると、それは、脊椎骨であることがわかる。 実際、ポーランドとモンゴルの調査隊が発表した論文にも、脊椎骨が発見されていることが記されている。

 「多分、研究には値しないと判断された脊椎の骨だね」 そう言いながら、とりあえず何かしら発見されたことに安堵する。

 「この細い骨は……?」 フィル・ベルが訪ねる。 彼の手に握られていたのは、脊椎骨ではなく、デイノケイルスのものと思われる肋骨の一部(腹肋骨)だった。 みんなも「ああ、よかったね」と声にしてはいるが、それほど喜んでいる様子でもなかった。

 しかし、フィル・ベルが、その腹肋骨に残されたある痕跡に気がついた。 「この腹肋骨に細い線がたくさん残っている。これって、デイノケイルスが肉食恐竜に食べられた時の噛み痕じゃ……」 

 その傷痕を見た、みんなの顔色が変わった。  ・・・・・つづく

 

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◇◆ 第5回  デイノケイルスを食べた犯人は? =5/9= ◇◆

 フィル・ベルが手にしていたのは、2本の腹肋骨だった。 6センチの長さと7センチの長さで、太さは1.5センチほどである。 そんなに大きな骨ではない。 しかし、その骨をよく見ると、確かにフィル・ベルが言うように、平行に走る溝がたくさんついていた。

  「本当だ。溝がたくさんついている。間違いなく恐竜の噛み痕だ。」  みんながうなずく。

  「噛み痕が残された骨は、なかなか見つけることができない貴重な化石だ。 カナダから発見された数多くの肉食恐竜の骨を調べても、2%にも満たない。 これはすごい発見だ! それにしても、デイノケイルスの体重は、6トンから12トン。 大型のティラノサウルス類と同じくらい巨大な恐竜だ。 いったい誰がデイノケイルスを襲っていたんだろう?」

 ルーペで溝を観察すると、その特徴が把握できた。 溝の幅は、1ミリほどあり、断面がU字型をしている……。

 恐竜が残す噛み痕には、3つのタイプがある。骨ごと肉をガブっと噛んで、穴になった噛み痕。骨を噛んだ時に歯の先で骨を削ってできる溝。 歯の淵にあるギザギザ(鋸歯・きょし)の痕で細い線がたくさんついた痕。 これらのうち、ギザギザの痕が一番重要な証拠であり、これを研究することにより噛み主を解明することができる。

 多くの肉食恐竜の歯には、ギザギザがついている。 これを鋸歯と呼ぶ。 この鋸歯は、ノコギリやステーキナイフのギザギザと同じで、物を切る時に役に立つ。 ノコギリもステーキナイフも切るための道具ではあるが、木を切るためのノコギリの鋸歯は大きく、肉を切るステーキナイフのものは小さい。 用途によって、鋸歯の大きさが違う。

 これと同じように、「肉食恐竜は肉を食べていた」と一言で言っても、肉食恐竜によって食べていた物も違うし、食べ方もそれぞれだった。  そのため、肉食恐竜の鋸歯の形は、人間の指紋のようにそれぞれ異なっている。

  繰り返しになるが、歯の鋸歯の特徴を探ることで、噛み主がわかる。デイノケイルスに残された証拠は、「幅1ミリ、断面がU字型」であるということだ。  では、誰が巨大恐竜デイノケイルスを食べたのか。  まるで殺人事件現場に残された証拠を頼りに、犯人を捜す調査のように探っていく。

 犯人は誰なのか?

 デイノケイルスが棲んでいた時代、モンゴルには何種類かの肉食恐竜(獣脚類恐竜)が棲んでいた。アルヴァレッツサウルス科、アヴィミムス科、カエナグナトゥス科、ドロマエオサウルス科、オルニトミムス科、オヴィラプトル科、ティラノサウルス科、テリジノサウルス科、そして、トロオドン科である。  これらが犯人の候補である。恐竜に少し詳しい読者は、聞き慣れた恐竜名だが、そうでない読者にとっては暗号にしか聞こえないだろう。

 これらの中から、犯人をしぼっていく。  なかには簡単に除外できる恐竜がいる。  アヴィミムス科、カエナグナトゥス科とオルニトミムス科の恐竜である。  なぜなら、これらの恐竜は歯が無い。歯の代わりに、鳥のように嘴を持っていた。歯が無い恐竜は、噛み痕を残すことはできない。

 次に、アルヴァレッツサウルス科の恐竜も除外される。モンゴルのアルヴァレッツサウルス科の歯は非常に小さく鋸歯が残るとは思えない。

  テリジノサウルス科は、肉食恐竜(獣脚類恐竜)でありながら植物を食べていたことが知られているので、これも除外できる。トロオドン科も雑食とも考えられている。 またモンゴルから発見されているトロオドン科はザナバザールと呼ばれ、その鋸歯の幅は0.4〜0.3ミリしかない。 デイノケイルスに残された溝の幅より小さいので、トロオドン科でもない。

 残りは、ドロマエオサウルス科とティラノサウルス科。犯人は、この2種類にしぼられた。ドロマエオサウルス科とティラノサウルス科は、ただの肉食恐竜ではない。私は以前、カナダの研究者と共に恐竜の脳の研究をした。その時に判明したのは、これらの恐竜は、“超肉食恐竜(Hypercarnivory)"であるということだった。  脳の一部に嗅覚を感知する嗅球と言う部分がある。  これが異常に発達しているのだ。

  肉食恐竜には、アロサウルスやギガノトサウルスなど巨大で獰猛な恐竜が数多く存在した。  しかし、ドロマエオサウルス科とティラノサウルス科は、特に嗅覚が優れている。つまり、どんなに離れている獲物でも見つけ出すことが可能であり、また暗闇の中でも獲物を探し出すこともできた。

 ちなみに、ドロマエオサウルス科とティラノサウルス科は、ジュラシックパークという映画にも出演している。  “ラプトル"と呼ばれるドロマエオサウルス科は鋭い爪と歯を持つ恐竜で、キッチンで人間を追いかけるシーンは非常に印象的である。  ティラノサウルス科の代表であるティラノサウルスは、ジュラシックパークの主役級の恐竜であり、その巨体と、車のボンネットも簡単に噛み砕くほどの強靭なアゴを持っている。  また、ティラノサウルスの目は、前を向いており、追いかける獲物との距離感を正確にとらえ襲うことができる。まさに、殺戮マシーンである。

 「将来、タイムマシーンができたらどの恐竜を見てみたいですか?」という質問をよくされるが、私が仮に恐竜時代に戻ることができても、この“超肉食恐竜"であるドロマエオサウルス科とティラノサウルス科は、最も出会いたくない恐竜である。

  デイノケイルスが棲んでいた時代、モンゴルにはアダサウルス(ドロマエオサウルス科)とタルボサウルス(ティラノサウルス科)が棲んでいた。  このどちらかが、デイノケイルスを食べていた犯人である。

 では、これらの恐竜の鋸歯はどうだろうか。 アダサウルスの鋸歯の幅は0.5ミリしかない。 これもデイノケイルスに残された溝よりも小さく、犯人でないことは明らかである。   ・・・・・続く

 

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◇◆ 第6回  “師匠"フィリップ・カリー教授との議論 =6/9= ◇◆

 タルボサウルスの鋸歯の幅は、1ミリと大きく、デイノケイルスに残された痕と一致する。  さらに、その鋸歯の形から推測される溝の形もU字型であり、これも一致する。 デイノケイルスを食べていた犯人は、ティラノサウルス科であるタルボサウルスだったのだ! さらに興味深いのは、その傷が残されたのが腹肋骨であるということだった。  デイノケイルスの産地からは、肩の骨、腕の骨、そして脊椎骨が発見されているが、それらには噛み痕がない。

  一方で、お腹に位置する腹肋骨に噛み痕が集中しているということは、タルボサウルスがデイノケイルスのお腹の部分を食べていたということを示す。 巨大で獰猛なタルボサウルスが、血まみれになりながら巨大なデイノケイルスの内蔵をあさっていたことが想像できる。

 デイノケイルスの産地に残されたたった2本の腹肋骨。 これらの骨から多くの情報を得ることができた。  しかし、それでも私たちが追い求めている「謎の恐竜デイノケイルスの解明」にたどり着くことはできなかった。

  「もっと骨化石が残ってると思ったけど無かったね。  一体どこにいけばデイノケイルスの化石が見つかるんだろうか……」

 私はつぶやいた。  やはり、謎の恐竜は謎のままで終わってしまうのだろうか……。

  カナダ・アルバータ州では、恐竜研究が盛んである。 アルバータ州の州都のエドモントンには、アルバータ大学のフィリップ・カリー教授。  アルバータ州最大の都市であり1988年冬期オリンピックが開催されたカルガリーには、カルガリー大学のダーラ・ザレニトニスキー助教。 そして、ドラムへラーという小さな町にある、世界最大級で最高級の恐竜展示がある王立ティレル古生物学博物館の学芸員のフランソワ・テェリエン博士。

 どの研究者も、恐竜研究では第一線を行く人たちである。 彼らがベースにしている発掘地は、アルバータ州南部に広がる世界有数の恐竜化石産地だ。

 この中でも、特に有名なのがアルバータ大学のカリー教授。 私たちは通常フィル(Phil)と呼んでいる。 特に、獣脚類恐竜の研究では有名で、ティラノサウルスを始め、獣脚類から鳥類への進化についても多くの論文を執筆している。

 ちなみに、私の博士号の指導教員の一人でもあり、一般的にいうと私の“師匠"ということになる。 私たちは、現在も謎の恐竜デイノケイルスの正体を解明しようと一緒に研究を行っている。

 風もなく静かな夜、ゴビ砂漠に建てられたテントの中で私が話を切り出す。

「ねぇフィル、デイノケイルスって一体何者だと思う? 確かに全身が発見されるまで解明できないのはわかるけど、すでに発見されている肩と腕の骨だけでも十分なヒントが隠されていると思うんだけど……」

 「デイノケイルスは、不可思議な恐竜だ。あれだけ大きな腕を持っているということは、その体はとてつもなく大きい。その大きさ重要な情報だと思う」
 フィルは、パソコンに写されたデイノケイルスの論文を見ながら答える。

 「以前ヘルシンキの企画展で展示されていた本物の標本を観察した時には、あまりにもオルニトミムスの仲間(オルニトミモサウルス類)の腕に似ていてびっくりしたよ。全く先入観なしで、展示室に入って角を曲がったら、そこに巨大な腕があって、『こんなにでかいオルニトミムスの仲間なんていたっけ? あ、デイノケイルスか!?』と思ったくらい。デイノケイルスって、オルニトミモサウルス類だと思うんだけどな〜」

 モンゴルのオルニトミモサウルス類、ガリミムスとアンセリミムスの骨格の写真を私のパソコンに写しながら答える。

 「デイノケイルスが発見されているネメグト層という地層からは、同じように腕のでかいテリジノサウルスという恐竜が発見されている。 これだけ巨大な腕を持つ恐竜同士は、何らかの関係があったに違いないんじゃないだろうか。 デイノケイルスはテリジノサウルスに近い恐竜だと思うよ。バルズボルド博士(モンゴルの恐竜研究者)が1976年に提唱しているようにね。 デイノケイルスとテリジノサウルスで、“デイノケイルス類"ってね……」

 決して自信がある言い方ではなく、肩をすくめながらフィルは答えた。

 この連載の第三話でも少し紹介したが、私はオルニトミモサウルス類の恐竜を研究している。 私の考えでは、デイノケイルスはオルニトミモサウルス類の仲間である可能性が高いと考えていたが、ここで“師匠"であるフィルと意見が割れてしまった。 この会話の時に、私は研究上のバトルを宣告した。 と言っても、非常に友好的なバトルであり将来の研究につながる意見の不一致であった。

  「じゃあ、フィルはテリジノサウルス類、俺はオルニトミモサウルス類という意見だね。どっちが正しいか。将来の発見と研究が楽しみだね!」

 少し話は逸れるが、「新聞やニュースで、歯化石一本から恐竜を特定していたりしていますが、どうやってわかるのですか? どの程度の骨格が発見されれば新種かどうか断言できるのですか?」と聞かれることがある。
 簡単にいえば、その恐竜にしか見られない特有な形(固有派生形質という)が見つかれば、歯一本でも同定できる。逆に言うと、どれだけ多くの骨が発見されても(例えば肋骨)、その骨に特徴が無ければ同定は困難を極める。

 主なデイノケイルスの化石は、肩の骨と腕の骨。これだけで、十分ではないのか? これまでの研究では、“不十分"と見なされ、謎の恐竜として有名になってしまった。 ヘルシンキで見た時に、確かにオルニトミモサウルス類の腕にそっくりだった。しかし、そっくりだということでは化石の同定にはつながらない。

 ただ私には、デイノケイルスがオルニトミモサウルス類であるという根拠があった。オルニトミモサウルス類の仲間たちのみが共有する特徴(共有派生形質)が、デイノケイルスに見られるからだ。それらの特徴の三つを紹介する。    ・・・・・続く


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森のなかえ

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現代の探検家《小林快次》 =37=

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○◎ Great and Grand Japanese_Explorer  ◎○

○ 世界中を飛び回り、恐竜の姿を求める / 小林快次 ○

◇◆ 第7回  デイノケイルス発見! =7/9= ◇◆

 まず、肩の骨。 残されているのは肩甲骨と烏口骨。 この二つの骨が合わさって、一見巨大なしゃもじのような形をなす。他の獣脚類恐竜では、これらの骨は癒合していないことが多いが、オルニトミモサウルス類の肩甲骨と烏口骨は、癒合して一つの骨のようになっている。 デイノケイルスの肩甲骨と烏口骨も癒合している。 これが一つ目の共有派生形質。

 次に、上腕骨。 上腕骨には、三角胸筋稜(deltopectral crest)という部分がある。 多くの獣脚類恐竜の三角胸筋稜は大きい。 しかし、オルニトミモサウルス類の三角胸筋稜は小さい。 デイノケイルスはどうか? もちろん、デイノケイルスの三角胸筋稜も小さい。 二つ目の共有派生形質である。

 最後の共有派生形質が見られるのが中手骨。 手の甲にあたる骨だ。 オルニトミモサウルス類にもデイノケイルスにも、中手骨が3本ある。 この3本の中手骨は、第一中手骨・第二中手骨・第三中手骨と呼び、進化型のオルニトミモサウルス類の中手骨はどれもほぼ同じ長さである。デイノケイルスも然り。

  こうして見てみると、肩と腕の骨だけと言いながらも、オルニトミモサウルス類の特徴が伺える。 私は、これらの共有派生形質の存在から、デイノケイルスがオルニトミモサウルス類の仲間であると考えていたのだ。

 しかし、デイノケイルスには問題があった。 よく一般には爪と呼ばれる骨で、正確には指先の骨(末節骨)に問題が潜んでいた。 オルニトミモサウルス類の末節骨は、横から見ると緩くカーブしている。 また、末節骨の下の面には屈筋小結節(flexor tubercle)という突起があり、その突起は少し爪の先端部分方向に位置している。

 

   しかし、デイノケイルスの末節骨は強くカーブし、屈筋小結節は関節面のすぐ近くに位置している。 つまり、デイノケイルスの末節骨は、オルニトミモサウルス類の末節骨とは大きく異なり、非常に原始的な形をしている。

 典型的なオルニトミモサウルス類の肩の骨と上腕骨。 その一方で、原始的な末節骨。原始的に見える末節骨は、巨大化に伴って進化した新しい形なのか? 特殊な生活をしていたため、見た目には原始的な末節骨になってしまったのか? 様々な仮説がたてられるが、どれも十分な証拠がない。

 末節骨の謎は残っているにしても、肩の骨と上腕骨、そして中手骨といった骨に見られる特徴が、フィルに「デイノケイルスはオルニトミモサウルス類の仲間だ」と私が宣言した理由である。 しかし、宣言はしても断言できないのは、末節骨の“矛盾"があったからだ。

 やはり、他の骨格の部分、特に頭骨の発見が、デイノケイルスの謎の解明の鍵になる。 私が正しいのか、フィルが正しいのか。 発見されている肩や腕の骨だけではなく、新しい標本が必要なのは明らかだった。

   「また盗掘の跡だ。タルボサウルスだな……。」  山積みになっている粉々の骨をみながらつぶやく。

  モンゴルは、恐竜化石盗掘という深刻な問題を抱えている。 特に2000年からの盗掘は著しく、これまでたくさんの恐竜化石が盗掘されている。その手段は非常に痛々しい。 盗掘者は、恐竜のある物を探し出すため、それ以外の骨を粉々に壊してしまう。 どんなにすばらしく美しい全身骨格でも、粉々にしてしまう。 そのある物とは、恐竜の歯と爪(末節骨)である。

 全身骨格を掘りだし、売買できれば大金が手に入る。 それなのに、なぜ彼らは歯と末節骨を探すのか。
 簡単に密輸ができ、比較的お金になるからである。

 密輸した化石はどこへ売られていくのか。 それらは、世界中に存在する化石を売買する業者へと流れていく。 たまに日本のマーケットにもモンゴルの化石が売りに出される。 売りに出されている化石は、違法ではないのか。
 映画などで“マネーローンダリング(資金洗浄)"という言葉を聞いたことがあるだろう。 犯罪によって得られたお金の出所を隠蔽し、一般市場に出回っても身元がばれないようにする行為を言う。

   盗掘された化石にもいろいろな業者を間にはさみ、本元を特定できないようにして、一見“合法"に見えるようにして化石を売っている業者がある。 実際そのように販売しているモンゴルの恐竜化石を目にしたら、その業者に聞いてみるといい。 追求していくと言葉を濁すのが彼らの常套手段である。 とはいっても、日本にはモンゴル恐竜を売っている業者は皆無であるが……。

 盗掘者も最初は、地表に落ちている恐竜の歯や末節骨を売って小銭を稼いでいたのだろう。 そのうち、地表からは歯や末節骨が消える。 すると彼らは、まだ地中に眠っている全身骨格を狙いだす。 その全身骨格についている歯や末節骨をだ。
 大きな犠牲を伴った歯や末節骨は市場に出回り、コレクターの手へと渡る。 コレクターの個人的な欲求を満たすために……。 こうして世界的な財産そして私たち研究者が追い求めている貴重な恐竜骨格が粉々に壊されている。

 私たちは、その粉々になった恐竜化石からも残された情報を取り出す。 壊される前はどんなにすばらしい標本であったかを感じながらだ。 やりきれない気持ちでいっぱいになる。
「ため息したくなる気持ちはわかるけど、データをとろう。まずは、タルボサウルスであることを確かめよう。 その後は、残された骨の測定だ。」

壊された骨を観察し、タルボサウルスであることを確認する。そして、粉々になった大腿骨をできるだけ組み立て、その大きさを測る。 「60センチか。まだ大人になりきってないようだね。背骨も癒合してないし。」
 デイノケイルスが棲んでいた恐竜時代のモンゴルは、どのような生態系をしていたのか。 盗掘された骨からでも私たちに教えてくれることはたくさんある。    ・・・・・続く

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