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断頭台の露と消えた王妃 =42=

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◎ マリー・アントワネット・ジョゼファ・ジャンヌ・ド・ロレーヌ・ドートリシュ  ◎

○ フランス国王ルイ16世の王妃、フランス革命中の1793年10月16日に刑死 ○

◇◆ 「ヴァレンヌ事件」の顛末; ハンス・アクセル・フォン・フェルセン =5/7= ◇◆

 実行は1ヶ月以上も遅れ、1791年6月20日、国王一家はテュイルリー宮殿を後にした。 その日に変わった真夜中に、ルイ16世と王妃、王子と王女は、それぞれ変装してばらばらに分かれて宮殿を抜けだした。 予定では午前0時の出発のはずだったが、国王の監視役であったラファイエットの予定外の長居によって、結局、国王が宮殿を出たのは午前1時を過ぎていた。

 一行は、ロシア貴族のコルフ侯爵夫人に成りすまして、近衛士官マルデンの手引きで、幌付き2頭立ての馬車に乗って誰にも止められることなく宮殿を出ていった。 王子と王女は仮面舞踏会にいくと言い含められていたので驚いたようである。 一方、護衛を務めるショワズールとゴグラーは、この10時間前に猟騎兵を連れてすでにパリを出ていた。

 旅券には書かれた一行の人数は6人で、コルフ侯爵夫人の役には王子たちの保母であったトゥルゼール公爵夫人がなり、その子供には王太子ルイ=シャルル王女マリー・テレーズが、旅行介添人が王妹エリザベート、デュランという名前の従僕にルイ16世が、マダム・ロッシュという名前の侍女にマリー・アントワネットが扮していた。

 馬車の御者は変装したフェルセンであった。 まずクリシー街のサリヴァン夫人の邸宅に着くと、ここで用意していた大型の豪華なベルリン馬車に乗り換えた。 さらに2人の従者が車後に乗った。 フェルセンは自ら手綱を操って、回り道しながら2台の馬車は北に向かった。 すでに午前2時半を過ぎていた。

 フェルセンは御者に扮して追っ手がつかないように回り道をして北へ行き、パリ郊外まで来たが、ルイ16世がフェルセンの同行を拒否したため別れることとなった。 ルイ16世は、王妃マリー・アントワネットとフェルセンの関係を知っていたが、フェルセンの王家への献身ぶりは認めざるを得なかったため、王妃にもフェルセンにも何も言うことはなかったという。 いかし、この段階に至って、ルイ16世はフェルセンを拒絶したのである。 逃亡する国王一家にフェルセンが最後にかけた言葉は「さようなら、コルフ夫人!」だけだった。 一行は、ロシア貴族のコルフ侯爵夫人に成りすましていたのである。

 その頃、ショワズールは、40名の猟騎兵とともにシャロンの町の近くのポン・ド・ソルヴェールの橋でずっと待っていたが、待てども待てども国王の馬車は到着しなかった。 何事かと訝る住民の目に晒されて、だんだん不安になったショワズールは、部隊を分散させ、街道から隠すことにした。 国王の馬車は、銀食器やワイン8樽、調理用暖炉2台など必要品をたっぷり載せ、ゆっくりとした速度で進んでいた。

 国王一行がシャロンに到着したのは午後4時だった。 扮装した国王一行は安心しきっており、ここで優雅に食事をして、豪華な馬車と荷物を人々に見せびらかせて悠々と去っていった。 すぐに町中に王室一家が通過したという噂が広まった。 ポン・ド・ソルヴェールで国王は最初の護衛に会えると思っていたが、ショワズールの愚かな判断によって行き違いになった。 次のサント=ムヌウの町でも別の竜騎兵部隊が待っている予定であったので、国王はさらに2時間進んでこちらと遭遇することを期待した。

 しかしサント=ムヌウでも、不審な部隊を警戒した地元の国民衛兵隊300名が武装して集まってきたので、衝突を恐れた指揮官のダンドワン大尉は解散を命じて、竜騎兵たちの多くは市民と一緒に酔っぱらっていた。 しかしダンドワン大尉は何とか国王の馬車を見つけ、彼は近寄って会釈した。 ところが運悪く、それを夕涼みに出ていた宿駅長のジャン=バプティスト・ドルーエ が見ていた。 彼は大尉や竜騎兵たちが馬車の中の従僕や侍女に恭しく挨拶するのを怪訝に思った。 そこにシャロンから王室一家が通過したという噂が流れてきたので、ハッとしたドルーエは、アッシニア紙幣の肖像を見て一行の中にいたのがルイ16世であったと確信して、間道を抜けて先回りした。

 クレルモン・エン・アルゴンヌの町で国王はようやく護衛の竜騎兵部隊と合流できたが、国王の逃亡はすでにこの町ではニュースになって騒ぎになっていた。 町の当局者は、一行を怪しんだものの、コルフ侯爵夫人の旅券をもつ国王の馬車を止める権限がなかったので、行かせることにした。 しかし明らかに不審な部隊の随行は禁止した。 再び護衛と引き離された国王の馬車がヴァレンヌに到着した時、ドルーエらは先に到着して、大勢の群衆と共に待ち構えていた。

 6月22日、国民議会の使者ロメーフが国王一家を拘留せよとの命令を持って現れた。 すべてが露見したが、ルイ16世はさらに時間稼ぎをしてブイエが救援するのを待とうと試みた。 国王は疲れているのでパリに立つまで2、3時間の休息が欲しいと言った。 ロメーフはラファイエットの副官で、内心では王党派であったのでこれを受け入れた。 しかしもう一人の使者のバイヨンが拒否し、「パリへ、パリへ」と群衆を煽った。

 群衆の怒声と熱気に恐れをなした町長や町議員、商店主が出立を懇願するので、国王もついに観念し、しょうがなく国王一家は車中の人となった。 マリー・アントワネットは屈辱に唇を噛みしめていた。 その僅か半時後、ブイエ侯爵は部隊をつれてヴァレンヌの町の手前まで来て、国王がすでに屈服したと知らされた。 彼はそのまま踵を返して道を引き返し、国境を越えて亡命した。

 一方で、同じ日に逃亡した王弟のプロヴァンス伯爵夫妻は、同じ頃には無事にベルギーに到達していた。 プロヴァンス伯は、6月20日の夜に兄ルイ16世に会ったのが、今生の別れとなった。 彼は2年後の兄の死と前述の王妃を摂政職から排除する法律によって、自動的にフランスの摂政となる。

 6月25日夕方7時、国王一家はテュイルリー宮殿に連れ戻された。 議会を代表する護衛としてバルナーヴ、ペティヨン、モブールの3議員が途中で加わっていた。 道中の各地に「国王に礼を尽くすものは撲殺。国王に非難を加えるものは縛り首」との警告ビラが貼られた。 パリは国王一家を沈黙で持って迎えた。 以後の国王は「民衆にとっては裏切り者、革命にとっては玩具」となってしまった。 そして、マリー・アントワネットは、妹エリザベート宛ての遺書を書き残してギロチンで刑死する。 遺書の内容は「犯罪者にとって死刑は恥ずべきものだが、無実の罪で断頭台に送られるなら恥ずべきものではない」であった。

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断頭台の露と消えた王妃 =43=

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◎ マリー・アントワネット・ジョゼファ・ジャンヌ・ド・ロレーヌ・ドートリシュ  ◎

○ フランス国王ルイ16世の王妃、フランス革命中の1793年10月16日に刑死 ○

◇◆ 敬愛する国王の突然の死 / フランス革命戦争期 ;

ハンス・アクセル・フォン・フェルセン =6/7= ◇◆

 国王一家がパリのテュイルリー宮殿に軟禁されると、他の貴族は亡命下にもかかわらず、ハンス・アクセル・フォン・フェルセ伯爵もヴェルサイユを引き払って、テュイルリー宮殿の近くに間借りをする。 そして、ルイ16世一家をテュイルリー宮殿から導き出している。 綿密な計画を立てた王家の国外脱出の手引きをした。 私財を投げ打った支援であった。

 しかし、太陽が登る前、パリ郊外に至った折にルイ16世の私憤で以降の同行を拒否される。綿密な計画を立てたにもかかわらず、その後の王家一行は数多くの手違いや国王一家の危機感のなさで、この逃亡は失敗に終わり、再び国王一家はパリに連れ戻された。 俗に言う「ヴァレンヌ事件」の顛末である。

 逃亡事件失敗の後、フェルセンは、ある晩に国王一家が幽閉されているテュイルリー宮殿に変装して忍び込み、国王と王妃に新たな亡命計画を進言するが、パリに留まることを決意した国王から拒否されてしまう。 そして、革命政府によって裁判にかけられるため、国王一家がタンプル塔に移送されると、フェルセンはこれを救うためあらゆる手を尽くしたが、全て失敗に終わった。 タンプル塔は死刑を宣告される囚人を収監する獄舎であった。

 フェルセンはこれを救うためあらゆる手を尽くしたが、全て失敗に終わった。 革命が激しくなると、フェルセン伯爵はブリュッセルに亡命しますが、このブリュッセルでもグスタフ3世や、オーストリア駐仏大使と救出のために奔走する。 革命政府によって裁判にかけられるため、国王一家がタンプル塔に移送されると、フェルセンはこれを救うためあらゆる手を尽くしたが、全て失敗に終わった。革命が激しくなると、フェルセンはブリュッセルに亡命し、ここでグスタフ3世やオーストリア駐仏大使と共に王妃救出のために奔走した。

 しかし、1792年3月にグスタフ3世が暗殺される。 グスタフ3世は母の影響で演劇に興味があった。 自分で劇を手がけ、それを演出したこともあったという。 特に彼のお気に入りだった離宮ドロットニングホルム宮殿で、で華やかな舞踏会や演劇が毎年開かれ、北欧のヴェルサイユ宮殿とまで賞賛される様になっていた。

 グスタフ3世は1792年3月16日、ストックホルムのオペラ座で開かれた仮面舞踏会の最中、背後から拳銃で撃たれた。 手術を受けたが2週間しか持たず、合併症を併発して、46歳でこの世を去った。 グスタフ3世の暗殺は、欧州諸国に衝撃を与える。 フランス革命の脅威と重なり、欧州各国は、保守色を強め国内の統制を強めていった。

 

 定かではないが、この暗殺の裏にはスェーデン貴族らからの反発があった。 グスタフ3世は国の大きな柱にした軍隊にかかる費用をまかなうために貴族らに増税を強制していた。 暗殺の黒幕として、フレデリック・アクセル・フォン・フェルセン侯爵(ハンス・アクセル・フォン・フェルセンの父)が噂された。 実行犯ヤコブ・ヨハン・アンカーストレム伯爵は地所と特権剥奪の上、3日間鞭打ちを受け、右手を切断された上で4月27日に斬首刑に処せられた。

 スウェーデンは革命から手を引き、フェルセンは政治的に失脚する。 そして愛するマリー・アントワネットが革命政府によって処刑=1793年10月16日=される。 ギロチン刑が実行されたことを知ったフェルセンは、嘆き悲しみ、愛想のない暗い人間になってしまう。 救い出せなかった後悔の念に支配されて生きていくことになる。 マリー・アントワネットを殺した民衆を憎むようになった。

 マリー・アントワネットなきあと、フェルセン伯爵は多くの女性と関係を持ちますが、『あの方の代わりにはならない』と書き残している。 スウェーデンでグスタフ4世が親政を始めると、フェルセン伯爵も復権し、栄達の道を進み始める。 復権して外交顧問に任じられた彼は、1798年にフランス革命戦争の講和条約としてのラシュタット会議にスウェーデン代表として参加。 ここでナポレオン・ボナパルトに会っている。 この席でフェルセンは、ナポレオンにマリー・アントワネットとの関係を聞かれたという逸話がある。

 その後、フェルセンは1789年に元師にまで出世昇進し、スウェーデン国政に携って行くこととなった。 しかし、フェルセンの中の絶望感は消えることなく、フランス民衆を憎むようになっていて、更には自国の民衆への不信を抱くようにも成っていた。 その結果、民衆に対して強圧的な振る舞いが目につくようになる。 それは憎悪の連鎖を呼び起こすことになる。 民衆から反感を買うことにもなり、民衆も彼を激しく憎むようになった。

 ただ、 マリー・アントワネットなきあと、フェルセン伯爵は多くの女性と関係を持ちますが、『あの方の代わりにはならない』と書き残している。

 1809年、グスタフ4世は失脚し、新しくカール13世が戴冠し、スウェーデンの王になった。 カール13世には世継ぎがなかったために、アウグステンブルグ家のクリスチャン・アウグストが王太子として指名されましたが、1810年に王太子がなくなる。 当時のスウェーデンは、フランス革命の余波で、政治的危機に直面していた。 そこで、王太子の死は、王位を狙った事件であると囁かれ、その首謀者がフェルセン伯爵だと噂される・・・・・。 

 

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断頭台の露と消えた王妃 =44・終節=

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◎ マリー・アントワネット・ジョゼファ・ジャンヌ・ド・ロレーヌ・ドートリシュ  ◎

○ フランス国王ルイ16世の王妃、フランス革命中の1793年10月16日に刑死 ○

◇◆ 残酷な最後 ; ハンス・アクセル・フォン・フェルセン =7/7= ◇◆

 1809年、グスタフ4世は失政を糾弾され、クーデターにより廃位させられ失脚した。 新しくカール13世が戴冠し、スウェーデンの王になった。 フェルセンはクーデターには関与しなかったが、貴族たちが作った臨時政府には加わった。 新しく王位に就いたカール13世には世子がなかったため、アウグステンブルク家のクリスチャン・アウグスト(カール・アウグストと改名)が王太子に指名された。 しかし、1810年に王太子が事故死した。 当時のスウェーデンは、フランス革命の余波で、政治的危機に直面していた。   

 その直後から、王位を狙った暗殺事件であるとの噂が飛び交い、暗殺の首謀者としてフェルセン伯爵の名が取り沙汰された。 噂の根底には、「グスタフ3世の暗殺後、グスタフ4世がフランスへの政策を引き継いだため、フランス革命期に暗躍したフェルセンを復権させていたのだが、グスタフ4世が失脚すると、彼がスウェーデン王になり、マリー・アントワネットをギロチンに処したフランスの民衆に復讐するために、国民を戦争に引きずり込もうとしている」という噂が立っていたのである。

 グスタフ3世の目的は、フランスの王制を存続できるようにし、同盟国としての関係を保ち、スウェーデンがヨーロッパの大国としての地位を確保できる状態にしたかった。 この政策を継承したのがグスタフ4世であり、国策として、マリー・アントワネットの信頼を得ているフェルセンを通じて窮地に陥ったフランス・ルイ王朝を革命の嵐から救出するように命じていたのである。 

 グスタフ4世の失政を糾弾するクーデターによって戴冠したカール13世は、名門のフェルセン伯爵に疑惑をもちつつ、わざわざ彼をカール・アウグスト皇太子(カール14世)葬儀の責任者とした。 フェルセンもそれに従った。 当日、クリスチャン・アウグストの遺骸がストックホルムに運ばれ、市内の広場で葬儀が行なわれたが、そこに馬車で現われたフェルセンに群衆が暴動を起こした。 

 現場にいた近衛連隊の指揮官と兵士たちはあえて暴動を制止しようとせず、激昂した民衆に襲われたフェルセンは必死に剣で抵抗するも、最後には殴り殺されてしまう。 その衣服や勲章は剥ぎ取られ、誰かも分からないほどに痛めつけられ、全裸で側溝に投げ捨てられました。 きしくも、事件が起こった6月10日は、19年前にヴァレンヌ事件が起こったその日であった。 ちなみにカール13世の王妃ヘトヴィヒ・エリーザベトの愛人の一人がフェルセン。

※  追稿 

当日中に撲殺された遺体はステーニンゲ城(Steninge Slott)に置かれたらしい。 カール14世の嫌疑が晴れたとして、翌年の4月12日、リッダホルム教会で盛大な葬儀は行われた。

妹のソフィア・パイパー(1757–1816) は同年に記念碑を建てた。 彼女もカール14世の死で、嫌疑がかかっていたらしい。 彼女はバクスホルム城に身柄を預けられたようだ。 彼女はグスタフ3世の弟フレドリク・アドルフ (エステルイェートランド公)に求婚された一人。 父や兄らは王家からの失寵をこうむることを恐れ、反対した。

宮廷の侍従アドルフ・ラディック・パイパーと結婚。 死別すると恋人のエバート・ウィルヘルム・タウベの元に行くが、死別しストックホルムに戻る。 フェルセンとの手紙のやりとりが有名だが、王妃アントワネットの崇拝者で、アントワネットの髪を一房持っているという。

父親のフレデリック・アクセル・フォン・フェルセン侯爵(1719-1794)は王室顧問であり、ハット党(ハッタナ党)の党首であったと伝えられている。 グスタフ3世の暗殺の黒幕と噂された。 アドルフ・フレドリク(Adolf Fredrik, 1710 - 1771)は、ハント党に擁立され、推戴されたスウェーデン国王。 

アドルフ・フレドリクの息子がグスタフ3世になる。 噂の真意は政敵が流したものであろうが、グスタフ3世以降の政権はメッソナ党が握るが、スウェーデンの「自由の時代」はフェルセンの死と共に終わった。

 

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現代の探検家《小林快次》 =01=

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○◎ Great and Grand Japanese_Explorer ◎○

○ 世界中を飛び回り、恐竜の姿を求める / 小林快次 ○

◇◆ 小林快次、“恐竜の謎”を突き止めた男 ◇◆

 最初の化石発見から半世紀の間、謎に包まれてきた恐竜デイノケイルス。

2014年、ついに全貌が解明。

その一翼を担ったのが日本の恐竜学者、小林快次だ。 

 

 恐竜学者の小林快次が初めてデイノケイルスの実物化石を見たのは、2001年、フィンランドのヘルシンキで開催されていたモンゴル化石展でのことだった。当時、博士課程の大学院生だった小林は、その時のことをこう語る。


「とにかく大きい、というのが第一印象です。一目見て、これは間違いなくオルニトミモサウルス類だと確信しました」

 オルニトミモサウルス類は、ティラノサウルスなども含まれる獣脚類の恐竜のうち、「ダチョウ恐竜」といわれる一群の恐竜である。小さな頭に長い首、ほっそりとした長い後肢という、ダチョウに似た体つきの二足歩行をする恐竜で、足が速かったと考えられている。

 オルニトミモサウルス類の数少ない専門家である小林は、デイノケイルスの肩と前肢の化石に、オルニトミモサウルス類に共通する特徴を見いだしていた。
「しかし、問題もありました。オルニトミモサウルス類にしては、大き過ぎた」

新たな化石発見でデイノケイルスの正体に迫る

 当時、デイノケイルスの分類には、さまざまな仮説があった。たとえば、小林の師の一人、カナダ・アルバータ大学のフィリップ・カリー教授は、大きな前肢をもつテリジノサウルスの仲間ではないかと考えていた。「オルニトミモサウルス類と似ている部分は多かったが、断言するには材料が足りなかった」と、小林は振り返る。

 デイノケイルスの謎の解明が大きく進展したのは、2006~10年。モンゴルのゴビ砂漠で、国際チームによる恐竜化石の発掘調査が行われた。フィールドでよく化石を発見するという定評がある小林は、毎年の発掘シーズンにはこの調査に参加し、オルニトミモサウルス類をはじめとする獣脚類の研究を担当した。

 この一連の調査で、1965年に発見されたデイノケイルスの化石の発掘地点を特定することについに成功。さらに幸運なことに、2006年と2009年に待望の新たな骨格化石が2体発見されたのだ。最初に発見された化石と合わせると、デイノケイルスのほぼ全身の骨格が得られ、オルニトミモサウルス類であることが明らかになった。研究成果は2014年10月、英科学誌「ネイチャー」に発表され、世間を驚かせることになる。

 さて、彼はNHKが放映した≪『恐竜vsほ乳類 1億5千万年の戦い』 NHK「恐竜」プロジェクト(高間大介・植田和貴)≫の監修を行ったが、National_Geographic_Journalniに長期間のフィールドワークを記載している。

 2015年1月19日の第一回より、今年3月の第12回投稿(各回の平均4節)まで年に3~4の長期連載である。 この“恐竜化石フィールド日誌”を紹介しよう。

 毎年4、5カ月かけて、恐竜化石を産出する世界各地のフィールドを飛びまわり、新たな恐竜化石を探しつづける小林快次さん。 でも、そもそも恐竜化石の発掘調査とは、どんなことをするのでしょう? フィールド調査の様子を中心に、最新の恐竜研究の動向など、幅広く彼は語っている。

 

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現代の探検家《小林快次》 =02=

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○ 世界中を飛び回り、恐竜の姿を求める / 小林快次 ○

◇◆ 第一回 恐竜化石は”歩いて探す” =1/2= ◇◆

恐竜化石は「歩いて探す」

 恐竜化石の発掘調査に参加するモンゴル人は、ニックネームをつけるのが好きだ。 私もこれまで「ザラ」「ファルコンズ・アイ」「ウォークマン」の3つのニックネームをもらっている。

 「ザラ」はモンゴル語で、ハリネズミのこと。どうも、私が頭を洗った後、髪の毛が逆立った様が、ハリネズミに似ているらしい。 自分ではわからないが、顔もそっち系なのだろうか・・・。

 「ファルコンズ・アイ(ハヤブサの目)」は、私がよく化石を見つけることからつけられたニックネームだ。ただ、時によって、「イーグルズ・アイ(鷲の目)」や「ホークス・アイ(鷹の目)」と呼び名が変わったりするので、どの猛禽類かはあまり重要ではないようだ。

 自分で言うのも変だが、確かによく見つける方だと思う。 その理由の1つに、身長の低さがあると私は考えている。国際調査になると欧米の研究者が参加するが、みんな背が高い。化石を発見するにはもちろん経験が必要だが、背の低い方が地面に目が近く、より多く化石を発見できる。

 もう1つ私が心がけているのは、「人と同じところを探さない、同じ場所を通らない」ということだ。砂漠や山の中を探すとき、人はどうしても楽な道を求め、同じようなところを歩く。 そんなところには、宝(新しい化石)は落ちていない。 人の歩いた形跡のないところ、つまり、歩きづらいところを敢えて歩き、化石を探す。

 キャンプから化石を探しに歩いていき、1日過ごした後、元来た道をたどって帰る人が多い。 確かに楽だが、せっかくのチャンスを無駄にすることになる。 どんなに疲れていても、敢えて違う道を歩くように心がけ、常に化石を探す。

 最後の「ウォークマン」は、ポータブルオーディオプレーヤーのことではない。 私がよく歩くことから「歩く人」という意味でつけられた。 どれだけの面積をカバーできたかで発見する化石の数が決まると思っているので、とにかく歩いて、広い表面積に目を通す。

 新しい化石産地に行ったときには、「必ずここに恐竜化石はある」と考える。そして「とにかく人が歩かないところを歩き、なるべく広い面積をカバーする。そうすれば見つかるのは当たり前」と信念を持つ。


 しばらく探して化石が見つからないと、たいていの人はあきらめモードに入ってしまう。しかし私は違う。 むしろワクワクしてくる。そもそもそこに「恐竜化石がある」ことを前提にしているので、見つからなければ見つからないほど、まだ目を通していない残された土地に恐竜化石の埋もれている確率が、相対的に上がることになる。 次の1歩で見つかるかもしれないと、ワクワクするのだ。

「全身骨格」を探して

 モンゴル南部に広がるゴビ砂漠。 そこに、ヘルミンツァフという恐竜化石の産地がある。 2008年9月、ある日の朝9時、私はそこに立っていた。

 「ここで降ろして。キャンプから22キロ離れているから、ここから歩いて帰るよ」

 キャンプから歩いて化石を探すと遠くのエリアが探せないと考えた私は、早朝に車でできるだけ遠くに連れて行ってもらい、そこから歩いてキャンプに帰ることに決めた。 正直、ちょっと遠いかなと思ったが、1日あれば帰れる距離だと思った。

 調査を始めて1週間が経っていた。キャンプ地の周りはある程度目を通していたし、調査を共にしている他の研究者と鉢合わせが多く、新しいものが見つかるような気がしなかった。 その証拠に、この1週間、みんなが見つけるのは、元々つながっているはずの骨格から遊離してバラバラになった、歯や骨の化石ばかりだった。

 全身骨格なんて出る気配すらなく、みんな落胆していた。 これは、もっと違う場所を、違う目線で探さなければと、ひそかに考えた。

 私はこの時、なぜ見つかるのは遊離した歯や骨だけなのかと、自分に問い続けていた。 一緒に参加している研究者の動きを思い返してみると、みんなは歩きやすい平坦な砂岩の上をひたすら探していた。 

 

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現代の探検家《小林快次》 =03=

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○ 世界中を飛び回り、恐竜の姿を求める / 小林快次 ○

◇◆ 第一回 恐竜化石は”歩いて探す” =2/2= ◇◆

  私はこの時、なぜ見つかるのは遊離した歯や骨だけなのかと、自分に問い続けていた。 一緒に参加している研究者の動きを思い返してみると、みんなは歩きやすい平坦な砂岩の上をひたすら探していた。

 ここにある砂岩の層は、平坦で確かに歩きやすい。 断片的なものではあるが、たくさんの歯や骨の化石も見つかる。 2メートルごとくらいに、キレイな肉食恐竜の歯や指の骨が落ちている。 これは歩いていて楽しい。 しかし、これではいつまで経っても、全身骨格は見つからない。

 そこで、目の前の露頭(※)をよく見ると、平たい砂岩層の上に高さ10メートルくらいの泥岩層からなる急な斜面があり、人が歩いた形跡がほとんどない。 斜面が急で、足場が悪いからだ。

 泥岩の地層は、砂岩の地層と違い、水の流れが遅い所で積もったものだ。 みんなが探している砂岩は、比較的水の流れが速いところで堆積した砂からできている。 そこに残る恐竜化石は水に流されてきているため、どうしても断片的になりがちだ。

   一方、泥岩の地層は水の流れが遅いところで堆積した泥からできていて、もし恐竜の死骸があれば、1体分丸ごと残っている可能性がある。恐竜の全身骨格を探すなら、ここを探す価値はあるだろう。確率はかなり低くなるが、見つかれば全身骨格の可能性がある。

 そこで私は、この泥岩の急な斜面を歩いてみることにした。

 この斜面は、泥岩が風化してできたもの。細かく壊れた泥岩は、砂場を歩いているようで、歩くと足を取られてしまう。しかも急な斜面なので、3歩上がっても、2歩分くらい下がってしまう。 歩いているとすぐに足ががくがくし始めた。

 さらに最悪なことに、化石の出る雰囲気がない。 みんなが探している砂岩とは大違いだ。 

怪しい「白い砂」

 午前中は何とか頑張って、この斜面を歩き続けた。 さすがの「ウォークマン」も足腰が疲れてきた。 ハンマーで斜面をお尻の形に掘り、重力に従い、そこに腰を下ろした。 少し潰れたサンドイッチと温かい缶ビールをバックパックから取り出した。

 目の前の美しい渓谷を見ながらランチを食べ始めたところで、私は後悔した。 キャンプまではまだ遠い。 ここで足腰を使ってしまうと、帰る体力が無くなってしまうかもしれない。 持ってきた水の消費も思ったより早く、このままではキャンプまで持たないかもしれないと不安がよぎる。

 GPSユニットを見ると、キャンプまでまだ15キロ以上ある。 ずいぶん歩いたと思ったが、まだ7キロほどしか歩いていない。 それもそのはず、7キロは直線距離で、斜面を上がったり降りたりし、砂丘の中も歩いたりしたから、思った以上に疲れているのだ。 水を3リットル持ってきたが、半分は残すことを決め、立ち上がった。

 取り敢えず、水があれば大丈夫。残り15キロと言っても、キャンプに近づけば慣れた道だから、それまでの辛抱だ、と自分に言い聞かせる。 ランチをとり終え、バックパックを肩に担ぐ。お昼の分が無くなっているから軽くなっているはずなのに、なぜかさっきよりも重く感じる。

 これまでの泥岩の地層よりも少し下に下がって、斜面を歩いた。 同じような急な斜面だが、さらさらとした黄色っぽい砂が広がっている。 ずっと泥岩の風化したところを歩いていたと思っていたが、ここは砂岩の地層だ。 でも、みんなが遊離した歯や骨を見つけている砂岩層よりも、砂の粒が細かい。 

 よく見ると、その黄色い砂の中に、今まで見たことのないものがある。 白い砂だ。

 少しずつその白い砂に目を近づけていくと、砂ではなく、風化して細かくなった骨のようだった。 手のひらに載せ、ルーペで見てみる。 間違いなく骨だ! この時は1人でうなった。 なぜこんなところに骨があるんだろう。

 取り敢えず掘ってみようと、ハンマーとピック、ブラシをバックパックから取り出す。 砂と化した骨の周りをブラシで掃いてみると、さらに砂状の骨が出てくる。 そして次第に骨の粒の大きさが大きくなり、やがて骨の固まりが出てきた。 しかもその骨はどんどん大きくなっていく。 周りの石は軟らかく、簡単に掘り込むことができた。

 1時間ほど掘り続けると、形があらわになっていく。 長細く、大きく湾曲している。掘り出した部分だけでも、長さ70センチ、幅5センチを超える。 それが恐竜の肋骨であることは簡単にわかった。

 時計を見ると、午後2時を回っていた。 もうキャンプに戻らないとまずい。 取り敢えずこの場所をGPSユニットに登録して、更なる発掘は明日にしようと心に決めた。

 埋め戻す前にもう1度、大きな肋骨を見つめる。 これまでの遊離した歯や骨とは様子が違う。 より流れが遅いところで保存された肋骨。 続きがあるかもしれないと、淡い期待が湧いてくる。 長居もできないので、さっさと道具をバックパックにしまい、肩に担ぐ。 同じバックパックが、さっきよりも軽く感じた。

 

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◇◆ 第二回 恐竜化石の“掘り出し方” =1/2= ◇◆

 何とか暗くなる前にキャンプにたどり着いた。足は文字通り、棒のようになっていた。汗が塩の結晶と化し、頬にこびりついていた。 顔を洗ってもジャリジャリと音がする。 メインテントからいい匂いがする。晩ご飯ができているようだ。 顔を洗い終えた私は、その匂いの方向へと歩き出した。


 メインテントの前では、この調査に参加している研究者がはだしになって座り込み、日が沈みかけて冷たくなった砂の中へ素足を潜り込ませ、冷たいビールを飲んでいた。

 「ファルコンズ・アイ、今日はどうだった? だいぶ歩いていたけど、何か見つけた?」

  米国サザンメソジスト大学のルイス・ジェイコブスが頭のバンダナを外し、笑いながら語りかける。 私がよほど疲れて見えたのか、それとも、何も発見していないという落胆ぶりが表情に現れていたのだろう。

   この調査は、「ユン」というニックネームで呼ばれる、韓国地質資源研究院のイ・ユンナムが中心となり、世界中の恐竜研究者をかき集めて結成された国際調査隊によるものだった。 大きく、韓国チーム、米国チーム、カナダチームの3つで構成され、私は米国チームとして参加していた。 何を隠そう、ルイスは私の大学院の師匠で、ユンは先輩だった。

 私が博士号を取得したとき、博士論文の審査委員が5人いた。 主査がルイスで、他の4人もこの調査に参加していた。 その中には、カナダ、アルバータ大学のフィリップ・カリーや、モンゴル科学アカデミーのリンチェン・バルズボルド、米国ペロー博物館のトニー・フィオリロが含まれる。
 また、この調査に参加していた中国地質科学院のル・ジュンチャンも、サザンメソジスト大学で博士号を取っている。

   つまり、私、ジュンチャン、調査の中心を担うユンの3人は、サイエンティフィックな兄弟なのだ。 ルイスは、アジアの恐竜研究の次世代を担ってもらいたいという思いで、私たち3人に博士号を与えていた。みんなの夢が叶ったのが、この調査だった。

 「まあ、いくつか化石は見つけたよ。気になるのは、肋骨・・・。ま、肋骨1本かもしれないけれど。でも、もしできるならもう1人2人、助っ人が欲しいかな。 砂岩なんだけど、砂粒が細かくて、流れが遅いところでできたものだ。もしかしたら、もっと骨が埋まっているかも」

  すると、ジュンチャンが手を上げた。  「俺が行くよ」 

 巨大な腰の骨を発見するも・・・

 次の日、私たちは肋骨の場所へと戻った。 昨日と同じ、雲1つない暑い日。景色がいいのが、せめてもの救いだった。

 昨日掘った肋骨を掘り起こす。 ジュンチャンが声を上げた。 「これは良い化石だ!」 相変わらず、キレイな骨だと思う。

 時間が経つのを忘れて、骨の周りを掘っていった。 1本の肋骨が2本になり、3本になっていく。 それもかなり大きい。 これで終わるかと思ったら、さらに平たい大きな骨が出てきた。 2人で顔を見合わせる。 「なんだこれ?」

 さらに掘り続けると、その平たい骨は1メートルほどの長細い骨だとわかった。 腰の骨の1つである腸骨だ。 しかも、肋骨と腸骨がつながっている。 私たちは、これはバラバラの骨ではなく、骨がつながった状態の全身骨格であることを確信した。 私は1人でガッツポーズをした。

 「やっと見つけた! 全身骨格だ」 

  腰の幅だけで2メートル近くあり、形から、この恐竜がアンキロサウルスのようなヨロイ竜であることがわかった。 モンゴル南部のゴビ砂漠にある、ここヘルミンツァフで以前発見された「タルキア」という恐竜である可能性が出てきた。 ただ、それを確認するには、さらに特徴のある骨が必要だ。何でもよいが、できれば頭骨が欲しい。私の欲は増してきた。

 腰の骨の周りを掘るだけで1日かかってしまった。 全身骨格であることを確信した私たちは、キャンプに戻ってみんなに報告した。 みんなは半信半疑ではあったが、さらに数人、人を送り込むことに同意した。

 その日から、この骨格を掘り続けた。 発掘地を広げるために、削岩機と発電機を投入する。 風が強く、これまで掘ってきた砂が舞う。 目や鼻、穴という穴に砂が舞い込んでくる。ゴーグルを付け、顔をバンダナで巻き、砂が入らないようにする。

 モンゴル人がひもを引き、発電機をかける。爆音が響き、削岩機を持っている私に親指を立てて、ゴー・サインを出す。 斜面にいとも簡単に刺さる削岩機。これで一気に崖を崩し、作業を進める。目の前の削岩機が削る新しい岩に集中し、この骨格が全身であることを期待する。

 しかし、待っていたのは、その期待に反した結果だった。 

 

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◇◆ 第二回 恐竜化石の“掘り出し方” =2/2= ◇◆

 巨大な腰の骨を発見する。 しかし、待っていたのは、その期待に反した結果だった。  腰の骨しか残っていない・・・。 

 胴体や頭があるはずの場所をいくら掘っても、軟らかい砂岩で、骨が出てこない。 先端にハンマーのような「こぶ」がついているはずの尻尾はどうかと、腰の後ろの部分を一生懸命掘ってみる。

 しかし、尻尾も無くなっている。 まるで、ちょうどお腹のところだけを残して、すべてを何かに切断されたかのように、腰の部分しか残っていない。

 悔しさのあまり、奥歯を噛みしめる。 このヨロイ竜の頭骨や尻尾は、死後流されてしまい、保存されなかったのだろう。

 「腰の部分だけでもすごい発見だよ! これを掘り出して研究しよう」。 ユンが私の肩を叩きながら、優しく声をかける。 さっきよりもハンマーを叩く速度は落ちたが、目の前の巨大な腰の骨を掘り出すことに集中した。

 さっきまで、この巨大さに歓喜していたが、今はそれが憎しみに変わっている。

 「こんな大きな腰の骨・・・。大きいだけだ」

次々と見つかる不可解な骨

 周りの岩を外側から骨に向かって掘り込み、腰の全体像を把握する。 どんなに周りを掘り込んで小さくしても、直径2メートルほどの大きな固まりよりも小さくできない。 これでは掘り出したとしても、運び出すことすらできない。

 そこで私たちは、その腰の固まりを何とか分割できないかと模索する。 狭い骨と骨のすき間を探し、それを皮切りに、大きな固まりを小さな固まりにして取り出す作業だ。 世界各地で恐竜発掘を行っている私たちでも、かなり困難な作業だった。

 腰の骨がちょうど「かご」のようになっていて、その中をほじくっていく。 本来なら何も無いはずの腰の中。 それなのに、次々と部位不明の骨が見つかる。

 「邪魔だな・・・」とつぶやきながら掘っていると、表面がごつごつしている骨にぶち当たる。 こんな骨、腰の中にあるはずがない。

 おかしいなと思いながら、そのごつごつしている骨の表面を出してみると、大きな卵を縦に二分した片割れのような形をしている。 最初はわからなかったが、もう半分が出てきて、それが何か、ようやくわかった。

 「ヨロイ竜の尻尾だ!!!。 尻尾の先端についている、ハンマーのようなこぶだ!」

 こんなこともあるもんだと感心しながら、こぶの先端からたどっていくと、つながった尻尾の骨が続く。 なぜなのかはわからないが、尻尾は根元で180度折れ曲がり、腰の骨の中へと伸びていた。 そして、尻尾の先にあるこぶまでが残っているという偶然だった!

 この尻尾を回避しつつ、大きな固まりを分割していかなければいけない。 運良く、尻尾の真ん中あたりで亀裂が入っている。 この亀裂を利用すれば、ダメージを最小限にして尻尾を取り出し、固まりを分割できるかもしれない。

 これまで1人でやっていた尻尾の発掘作業を、ユンと2人で手分けした。 ユンは瘤(こぶ)の部分を、私は尻尾の脊椎の部分を担当した。 どんどん掘り込んでいくと、尻尾の保存状態の良さがわかってくる。 尻尾は複数の椎骨(ついこつ)でできているが、重い骨の固まりであるこぶを支えるように、ずらっとつながっている。

 掘り進んでいくと、表面がごつごつした骨が出てきた。 「こぶにたどり着いたかな?」と顔を上げ、ユンの顔をみる。しかし、彼が作業している骨は、私の目の前にあるごつごつしている骨から、数十センチ離れている。

 こぶがもう1つあるのかと疑問に思いながら、ごつごつした骨の周りをもう少し掘り込んでいく。

 どうもユンが作業しているこぶとは違う。 表面のごく一部だが、露出した骨の形はまるで皿のような形をしている。その“皿”の下側はざらざらだが、内側はざらざらしていない。 不可解な形である。

 「ユン、何だと思うこれ?」

 するとユンも、「こっちからも、三角錐の表面がざらざらした骨が出てきた。 こぶじゃない。 ヨシの骨とつながっているのかな?」

 しばらく2人に沈黙が走る。 顔をかしげ、角度を変えながら、この骨が何か考える。 顔をほぼ逆さになるくらい回したときに、パズルが解ける瞬間が来た! ひらめいた私は大きく目を見開き、ユンの顔を見た。

 まるで鏡を見るかのように、ユンも私と同じ顔をしている。

 「頭だ!!!」  ・・・・・2人は叫んだ。 

 

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◇◆ 第3回 急斜面から2トンの化石を運び出すには =1/2= ◇◆

 私が掘り当てた皿状のものはヨロイ竜の上顎の「くちばし」の部分で、ユン(調査隊を率いる、韓国地質資源研究院のイ・ユンナム)が見つけた三角錐の部分は、頭の後ろの方にある突起だった。
 私たちはハイタッチをし、子どものように飛び跳ね、抱き合った。「こんなことなんてあるの? 尻尾も頭骨も、腰の骨の中にある空間に入っているなんて!」

 

 少し冷静になった私たちは、お互いに疑問を投げかけた。
 目の前にあるヨロイ竜の腰の骨は、大きな「かご」のようになっている。 岩を見ると、このヨロイ竜が生きていた当時の川は、頭の方から尻尾の方にかけて流れていたことがわかる。

 私たちの見解は次の通りだ。

 川辺で死んだヨロイ竜。肉の腐敗は進み、骨が露出していく。手や足の骨は少しずつバラバラになり、下流へと流されていってしまう。 頭や残された骨格は1つの大きな岩石のようにまとまった状態で、次第に川の流れに従い、少しずつ下流へと流される。

 しかし、尻尾の先にある「こぶ」が、船のいかりのように川底に引っかかる。腰の骨が水の流れに押されつづけるうちに、引っかかったこぶを軸にして、尻尾が根元で折れる。 さらに水が腰の骨を押しつづけるが、こぶが重りになって、流されずにいる。そこに上流から頭骨が流されてきて、幸運にも、かごのような腰の骨の中に収まる。 そのうち土砂が次々と流れてきて、ヨロイ竜の骨格をゆっくりと埋めていった・・・。

 通常、全身骨格の発掘は、多少分散している骨を収集するために、広い面積を発掘するケースが多いが、今回はその逆だった。 運良く、大事な骨がすべて腰の「かご」に収まった状態なのだ。

 喜んだのもつかの間、次の問題が出てきた。

 「大事な尻尾と頭骨を犠牲にすることはできない。この大きな固まりを二分しようと思ったが、できなくなった。こうなったら、これを1つの固まりのまま、ジャケットにして持っていくしかない」

巨大な化石をひっくり返す

 ジャケットとは、化石を取り囲む母岩(ぼがん)から露出した骨化石を、壊さずに運び出すために作るものだ。
 母岩の外側から骨に向かって掘り込む。ある程度掘り込んだら、準備完了。 まず、露出した骨にトイレットペーパーを掛ける。 次にかける石膏を後ではがす際に剥離剤として作用し、骨に石膏がくっつかずに済むからだ。

 次に、バケツに水を入れ、石膏を溶かす。 帯状に切った麻布を石膏に浸し、母岩ごと骨を覆っていく。骨折したときなどにする、ギプスの要領だ。 石膏に浸した麻布を何重かに巻いたら、石膏が固まるまで待つ。 乾いたらひっくり返して、反対側も同様に麻布で覆う。

 こうしてできた、石膏に覆われた固まり全体を「ジャケット」と呼ぶ。

 私たちは巨大なジャケットを作り始めた。 かなり大きいため、ジャケットがゆがみにくくなるように、2×4(ツーバイフォ)の板を這わす。 板ごと石膏で覆い、強度を高める。 かなりの石膏を使った。 直径1.5メートルほどの、円盤状の巨大なジャケットの上側が完成した。 推定2トンくらいはあるだろうか・・・。

 乾くのを待ちながら、とんでもないジャケットを作ってしまったことを後悔する。 ジャケットを完成させるには、ひっくり返して下半分も石膏で覆わなくてはならない。 しかしここには重機が無い。 あっても入れるような場所ではない。

 トラックは化石を発掘した急斜面の50メートルほど上に停めてある。 この崖の中腹までトラックを持ってこられるはずもない。 巨大なジャケットの上半分が乾いたところで、どうやってひっくり返せばいいのだろう。

モンゴル人スタッフの妙案

 私たちが英語で話しているそばで、モンゴル人たちがモンゴル語で話し始めた。 先進国出身の私たちは、技術に頼りすぎて、知恵が乏しい。 一方、モンゴルの人たちは、道具が無い状態でも何とかしてしまう、知恵の塊のような人たちだ。

 しばらく話し合ったと思ったら、彼らはどこかへ消えてしまった。 そして、10分もしないうちに戻ってきた。 その手には、ジャッキが2個、土のう袋、けん引ロープ、分厚い板が握られていた。

 彼らが説明を始める。 計画はこうだ。

 発掘の際に出た大量の砂を袋に入れ、土のうをたくさん用意する。 ハンマーでジャケットの下を掘り込み、十分な隙間ができたら、ジャッキを噛ます。 これは、下を掘り込んでも、ジャケットが落ちてきて怪我をしないため。 そして、ジャケットそのものを持ち上げるためだ。

 ジャッキで少しずつジャケットを持ち上げ、隙間に土のうを噛ます。 安定させたら分厚い板を土台にし、そこにジャッキを入れ、さらに持ち上げて隙間に土のうを噛ます。 これを繰り返してジャケットを角度45度くらいまで傾けたら、けん引ロープをジャケットに掛けて、垂直になるまでゆっくりと引っ張る。

 続いて、垂直に立ったジャケットを倒す方に、土のうを大量に積む。 勢いよく倒すと、ジャケットの中の化石が衝撃で壊れてしまうので、そっと倒さなければならない。 そこで、ジャケットを土のう側に押す人と、けん引ロープで倒す反対側から引く人に分かれ、力を調整しながら作業する。

 ジャケットが土のうに届いたら、あと1歩。 ここからは、さっきの逆をやればいい。 ジャッキを噛ませ、土のうを抜く。 ジャッキを降ろし、土のうを抜く、という風にだ。

 感心しながら、モンゴル人の指示に従う。 すると、時間はかかったが、不思議なくらいうまく、巨大なジャケットをひっくり返すことができた。 人間っていうのは、こうやって知恵を使い、自然を味方につければ、不可能に思えることも可能にすることができるのだ。

 

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◇◆ 第3回 急斜面から2トンの化石を運び出すには =2/2= ◇◆

 ひっくり返したジャケット。裏側を見ても、その巨大さは変わらない。私たちは黙々と、反対の面に石膏を浸した麻布を掛けていく。1時間もしないうちに、巨大な白い固まりが完成した。

  ジャケットを完成させてはみたものの、これをどうやってトラックへ運ぶのか。  ここは急斜面の中腹。トラックが入れそうな下へも上にも、標高差30メートルはある。考えている振りはしたが、何の名案も無い。
 「(何か良いアイディアよろしく・・・)」と声に出さず願い、モンゴル人の方をチラチラ見る。しかし、今度ばかりは、モンゴル人もお手上げのようだった。 何せ重量が2トン。ひっくり返すのがやっとだった。

  平坦な土地だったらまだしも、目の前にあるのは急斜面だ。斜面の下に車を持ってくればよいとも思ったが、こんな峡谷の底に車を持ってくるのは自殺行為そのものだと言う。  仮に車を斜面の下に持ってくることができたとしても、2トンのジャケットを積んだ車は、そのまま身動きが取れなくなる。

 トラックには、長いワイヤーがついたウインチ(巻き上げ機)があった。伸ばしてみると予想以上に長く、もう少しでジャケットに届くことがわかった。  距離にして10メートル。高さの違いが3メートルほどだろうか。けん引ロープをジャケットに巻いてワイヤーにつなげれば、何とか届く!

 ウインチで上まで引っ張れば、ジャケットを崖の上まで持っていけそうだ。

2トンのジャケットと格闘

 すぐにけん引ロープを巻き、準備をした。  あとは上から引っ張り上げてもらうだけだ。トラックのエンジンを掛け、ウインチでワイヤーを巻く。  間もなくして、ワイヤーもけん引ロープも、ピンと伸びていく。

 私たちは固唾をのんで、その様子を眺めていた。  ウインチの力がジャケットにゆっくりと伝わり、ジリっとジャケットがずれたのがわかった。  その途端だった。  けん引ロープがジャケットの重さに耐えきれずに、轟音(ごうおん)を発して切れた。  渓谷中に音が響きわたる。

  誰もが声を失った瞬間だった。

 これではうまくいかない。  けん引ロープを二重に巻けば何とかなるかもしれないが、二重にすると長さが短くなり、ジャケットまで届かない・・・。

 二重にしたけん引ロープをワイヤーにつなぎ、どこまでジャケットを移動すれば届くか考えた。横に5メートル、上に1メートル動かせば、何とか届きそうだ。  大した距離には聞こえないが、何せ相手は2トンのジャケットだ。

 ジャケットをひっくり返す要領で、横へと移動させていく。 ここまでは問題ない。  問題は、高さ1メートルの移動だ。

 横に移動させたのと同じ要領で、斜面の上に向かってジャケットをひっくり返してみたが、高さはあまり稼げなかった。  ジャケット自身の重みで下にずれ、砂に埋もれてしまうのだ。高低差にしてやっと30センチくらい上がっただろうか。  めげずに再度やってみる。  さらに30センチ上がったような気がする。

 クタクタになった私たちは、崖すれすれに停めてあったトラックをもっとギリギリまで近づけられないかと、運転手に頼んでみる。  反応は良くなかったが、何とか了承してくれた。  浮かない顔をした運転手は、数センチ単位で慎重にトラックを前に出す。  しかし1メートルも前に出さないうちに、これが限界とサインを送ってきた。

 斜面を駆け足で降り、ジャケットの元へと戻る。  ワイヤーを引っ張り、けん引ロープをジャケットの方へ持っていくと、何とか届いた!

 ウインチをゆっくりと巻いていくと、ついにジャケットが動き出した。

  ズルッ、ズルッ、と音を立てながら、ジャケットが少しずつ斜面を上っていく。  斜面を滑るというよりも、削っている。  ジャケットの重さが溝の深さからもわかる。私たちは「ゆっくり、ゆっくり」と大声を上げながら、ジャケットを見つめる。これまでの苦労が嘘のようだ。数分もしないうちに、巨大ジャケットは斜面の上に上がっていた。

 さて、最後の作業だ。この巨大ジャケットをトラックに積み込まなければいけない。  地面とトラックの荷台の高低差は、1.2メートルほど。みなさんならどのようにして、この巨大ジャケットをトラックの荷台に乗せるだろうか?

 私たちが出した答えは、次の通りだ。

 深さ1.2メートルほどの大きな穴を2つ掘る。穴の間隔は、トラックのタイヤの間隔。  トラックの後輪を穴に入れる。もう気づいただろうか? ジャケットを上げるのではなく、トラックの荷台の高さを下げればよいのだ。

 地面と荷台を渡す板を2枚敷く。 ジープにあるウインチを使い、トラックの荷台の隙間からワイヤーを通す。   ワイヤーをジャケットに引っ掛けてウインチを巻けば、2枚の板の上をジャケットが滑り、荷台へを導かれていく。

 自然と拍手が沸いた。

* * *

 調査後、巨大ジャケットは韓国の施設へと運ばれ、「クリーニング作業」が進められた。  クリーニング作業とは、骨化石を岩から取り出す作業だ。周りの岩を慎重に削っていく。  この化石を発見した際に期待していたとおり、美しい頭骨が残り、こぶ付きの立派な尻尾も掘り出された。  このヨロイ竜がどんな恐竜だったのか、詳細は現在、研究中だ。

 現在、このヨロイ竜は骨格が組み上げられ、韓国南西部にある華城(ファソン)市の市役所で展示されている。  この化石の産地からはティラノサウルスの仲間であるタルボサウルスの歯も見つかっていることから、このヨロイ竜の遺骸はタルボサウルスに食べられた可能性がある。  その様子を再現して、隣にはタルボサウルスの復元骨格を並べている。

  華城市では現在、恐竜博物館の建設が計画されていて、完成すればそちらに展示される予定だ。

 

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◇◆ 第4回 「恐竜研究者」に向いている人 =1/2= ◇◆

 恐竜化石の調査でフィールドを歩いていると、ふと思うことがある。「いつからこんな“探検家”のようなことをするようになったのだろう?」

 現在、米国アラスカ州とモンゴル南部を中心に、毎年3~4カ月間は恐竜化石のフィールド調査に出ている。 5月くらいになると準備に追われるようになり、6・7月はアラスカ、8・9月はモンゴルに向かう。

 アラスカでは、夏のフィールドといっても雪に見舞われることも多く、グースダウンの寝袋やウールのシャツ、GORE-TEXのジャケットなどで、寒さ対策をしなくてはならない。 しかも、かなりの僻地に、限られた物資を持って少ない人数で行動するため、しっかりとした準備が必要だ。

 数十キロの荷物を担ぐので、自分の体にあったバックパックを用意しなくてはならないし、足下の悪いツンドラを延々と歩くには、自分の足に合ったブーツを探さなければならない。 

 小川がたくさんあるので豊富に水があるように見えるが、川の水には、氷河によって削られて運ばれてきた泥やランブル鞭毛虫(べんもうちゅう)という寄生性の原生生物が含まれているので、濾さなければ飲めない。 準備するものが山ほどある。

 一方、モンゴル南部の調査はゴビ砂漠で行う。夏は猛暑で、昼間外に出続けていると、熱中症になってしまうほどだ。 しかも、洗濯がほとんどできないため、1カ月間、なるべく少ない衣服で過ごせるように準備する。

 砂対策も欠かせない。 特にカメラやパソコンといった精密機器に砂は御法度なので、密封できるような工夫をする。アラスカとはまったく異なる準備を強いられる。

 真の探検家からすると、そんなの当たり前だと言われそうだが、そもそも私は恐竜化石を発掘するのが目的なので、このような調査が続くとは思ってもみなかった。

 日々、怪我をしないかと心配し、一緒に調査する研究者の安否を気遣い、野生動物に襲われないように注意する。 こういった緊張感の中で、恐竜化石を見つけ出さなければならない。 

フィールド調査の魅力

 毎年、アラスカのフィールド調査が終わりに近づくと、「今年も生きて帰れる」と思うし、モンゴルのフィールドでも、「やっと家に帰れる」と思う。 そのくせ、帰りの飛行機に乗ると、「早く来年の夏にならないかな」と切望する。

 フィールド調査の良さは何か?

 まず何と言っても、誰も足を踏み入れていない、未開拓の地を調査できる快感がある。 大げさな表現ではあるが、宇宙飛行士のニール・アームストロングが人類で初めて月面に第一歩を踏み出したときのような感覚だ。・・・・・・おそらく、多くのハイカーがアラスカのほとんどの地域に足を踏み入れているだろうし、モンゴルでは現地で暮らしている遊牧民がゴビ砂漠のほとんどを歩いているだろうが、ま、そこは目をつぶるとして・・・。

 一歩足を踏み出すたびに現れる風景。 目の前の岩は、もしかしたら人類で初めて目にするものであるかもしれない。 化石が見つかろうものなら、それは間違いなく人類初となる。 このような“大発見”を自分の足と目で達成できるというのは、間違いなく快感だ。 

 

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◇◆ 第4回 「恐竜研究者」に向いている人 =2/2= ◇◆

  大学にいると、次々と雑務(もちろん重要な雑務ばかりだ)が襲いかかってくるが、フィールドにいると、かかってくる電話もチェックするメールもない。 目の前にあるのは、白い息を吐きながら集団で歩くドールビッグホーン(Ovis dalli)であったり、オレンジ色に照らされる美しい崖だったりする。 温かいコーヒーを片手に、研究仲間と恐竜について議論する。

 アラスカの場合、そこに生きる厳しさは、実体験によって感覚的に理解できる。 夏でもこんなに寒く、日照時間が短くて、食料は限られている。 このような環境で恐竜はどうやって過ごしていたのかということを、眠くなるまで語り尽くす。

 運のいいことに、アラスカの夜は長いため、延々と議論は続く。議論は毎日続き、論文の内容のほとんどがフィールドで組み立てられる。 こんなに刺激的・生産的で、ストレスフリーである環境は、(少なくとも私にとって)大学では得るのが難しい。

 アラスカのフィールド生活は、実に原始的だ。

 朝起きたら、お湯を沸かし、コーヒーとオートミールを食べる。歯を磨いたら、バックパックに必要な荷物を詰め、準備ができたら出発だ。 山や砂漠をひたすら歩き、お昼になると、ビーフジャーキー、チーズ、ナッツを食べる。 食べ終わったら、またひたすら歩く。 その頃には、晩ご飯を何にするか話しながら調査を続ける。夕方になったら、キャンプに戻り、フリーズドライフードに湧かしたお湯を注ぐ。この毎日が続く。

 エンターテインメントは、食べ物の話をすることくらい。 イタリア料理、ギリシャ料理、当然日本料理、韓国料理・・・。

 食べ物の話があまりにも頻繁に出始めると、「そろそろ家に帰る時期だね」と笑う。 食べ物以外の話もたくさんする。 ただし、政治と宗教の話は厳禁。 こういうゆっくりとした時間の流れの中で研究仲間と時間を共有すると、他では生まれない団結力が生まれる。

 とにかく地味、それでも行きたい

 恐竜研究者って、私が昔抱いていたイメージと、現在私が行っているものとは、かなりかけ離れているようにも思う。 何か華やかなイメージがあったが、今現在は、非常に地味な作業だと実感している。

 フィールドに行くと、ひたすら歩く。 今日も歩いて、明日も歩く。 とにかく気力と体力の勝負。恐竜骨格を見つけると、削岩機やスコップ、ハンマーを片手に土砂と格闘である。 よく発掘映像に骨を掘り出している作業が映るが、それは調査期間のほんのひと時であって、ほとんどは土砂をスコップで掻いている。

 映画「ジュラシック・パーク」では、恐竜の全身骨格がわかるような発掘風景が描かれているが、あれもほとんどない風景。 見つけた骨化石は、現場ではあまり岩から露出させないで、丸ごと掘り出すのがいちばん良い。 骨を露出するような細かい作業は、ラボ(研究室)に戻ってからやる作業だからだ。

 現場では、恐竜骨格の全貌がわからないまま、発掘が進む。 もちろん、私たちの専門家の目には、一部の露出でもその骨格の重要性がわかるため問題ないが、経験のない人が発掘を見学に来ると、「どこが骨なの?」とよく聞かれる。

 恐竜化石調査のフィールド作業は、危険が伴うくせに、とにかく地味なのである。 それでも無性に行きたくなる。 不思議な魅力だ。 この魅力がわかる人は、恐竜研究者向きなのだろう。

 

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◇◆ 第5回 恐竜を研究する意味・・・・ =1/3= ◇◆

 いったい何のために恐竜を探し出し、研究をしているのか。 恐竜研究は、どのような形で人のためになっているのか。 どんな人たちのためになっているのか。 そもそも人のためになっているのか・・・。

 私はよく自問する。

 そのきっかけとなっているのは、父からもらったある教訓だ。 「自己満足の研究になっていないか。 常に人のためになっているかを考えろ」。 これは、私の恐竜研究の後押しになっている。

 たまに実家に帰ると、生真面目な性格で、曲がったことの嫌いな父は、いつもこの言葉を発する。 恐竜の研究は話題性があって、華やかかもしれない。 でもそれは、人のためにならなければ意味がないと。

 もちろん、その答えは用意しているつもりだった。 「恐竜は子どもたちに夢を与える」「恐竜はサイエンスの楽しさを伝える」「恐竜研究は進化メカニズムの解明につながる」などなど・・・。 父はいまいち納得していなかった。

入り口はアンモナイトの化石

 初めて化石採集に行ったのは、中学生の時だ。 理科クラブの活動の一環で、担任の吉澤先生が連れて行ってくれた。 もともと理科は好きだったので、そのクラブに所属したのだ。 私は福井県出身で、高校卒業まで福井で暮らしたが、吉澤先生が「福井県では、アンモナイトや三葉虫の化石が採れます」と教えてくれた。

 化石に興味がなかった当時は、「へ〜」というくらいにしか思っていなかった。

 初めてアンモナイトの化石を採りに行った日のことは、今でも鮮明に覚えている。 周りの人たちは化石をたくさん見つけているのに、自分だけが見つけられない。 悔しかった。 帰り道、吉澤先生に「もう一度連れて行ってください」とお願いした。

 後日、同じ発掘地に戻り、必死に探した。

 ハンマーでいくら石を割っても、化石が出てこない。 見つからない。 腕に疲れを感じ、自分には才能がないと思いはじめた。 その時、「小林君、割れば割るほど、見つかる可能性は上がりますよ」と、吉澤先生が声をかけてくれた。

 なるほど、と思った。 すると、ハンマーを振る力が湧いてきた。

 これが、私が化石の世界に足を踏み入れた瞬間だった。 この瞬間の延長線上に、現在の自分があるように思う。あの時諦めていたら、もう一度連れて行ってくださいとお願いしなかったら、今の自分はいなかっただろう。 

 もしあの時、周りの人たちと同じくらいアンモナイトの化石を見つけられていたら、「こんなもんか」と興味も湧かなかったかもしれない。

 恐竜は、老若男女、国籍も問わず、人気がある。 「興味がない」という人はたくさんいるだろうが、「恐竜が大嫌い」という人に出会ったことはない。 そして、たくさんの子どもたちが恐竜に興味をもつ。 「子どもの時、必ず一度は通る道」と言う人もいる。

 サイエンスは面白い。 恐竜に限らず面白い。

 ある疑問をもつ。 その疑問にいかにアプローチするか作戦を立てて、データを集めていく。 すると、自分なりの仮説が生まれていき、その疑問が明らかになる。 自分の手でだ。これが快感なのである。

 一方で、サイエンスにあまり興味のない人々もいる。 それは、サイエンスというものに、十分に足を踏み入れていないからだと思う。 興味のない人々にとってサイエンスとは、「難しい理論や公式であふれ、理解困難なもの」なのだろう。

 しかし、そうではないと私は思う。 いったんサイエンスの入り口に足を踏み入れ、自らの手で謎を解く快感を知ると、その面白さのとりこになり、抜け出すことができなくなってくる。 問題を解決したかと思うと、新しい問題が現れる。 興味や探究心は尽きることなく、ぐいぐいとサイエンスという重力に引き込まれていく。

 その入り口の一つに「恐竜」があると思う。 恐竜を通して、サイエンスの楽しさや重要性にたどり着いてもらえることを望んでいる。

   

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◇◆ 第5回 恐竜を研究する意味・・・・ =2/3= ◇◆

「大発見」を伝えることの難しさ

 ある取材で「先生にとって『大発見』とは何ですか」という質問をぶつけられたことがある。 なかなか良い質問だった。

 私はこれまで多くの大発見をしてきたつもりだ。 フィールドを歩き、新しい恐竜を発見したり、新しい知見を考え出したりする。 しかし、自分自身はその発見に興奮していても、その気持ちはなかなか伝わらない。 プレスリリースを出すと、メディアの人たちが取材に来る。 私は自信満々にその重要性を語り出すが、どうも記者の人たちは私の言っていることに付いてきていないのが、ありありとわかる。

 例えば、ナショナル ジオグラフィック日本版2015年4月号に取り上げられた恐竜、デイノケイルスの発見も然りである。 私たち研究チームは、デイノケイルスの全身骨格の発見を、科学誌「ネイチャー」に論文として発表した。 ネイチャーに掲載されるのだから「大発見」であるはずだし、重要な研究であるはずだ。

 私が用意したデイノケイルスの論文の要旨をまとめたプレスリリースでは、「研究成果のポイント」の最初の2つに以下を挙げた。 

1. 今世紀最大の謎の恐竜デイノケイルスの全身骨格を2体発見
2. デイノケイルスの分類・系統的位置が判明し、オルニトミモサウルス類であることがわかった

 これを読んで、皆さんはその重要性が理解できるだろうか。 非常にマニアックなので、よほどの恐竜好きでなければ、ピンとこないのではないか。

 そこで、噛み砕いて説明しようとするのだが、なかなかうまくいかない。

記者: この恐竜は、どういった点が今世紀最大の謎なのですか?

私: 大きな腕しか見つかっておらず、全貌がわかっていなかったのです。 恐竜研究者の間では、恐竜研究最大の謎と言われています。

記者: 大きな腕の何が謎なのですか?

私: 腕の長さが2.4メートルもあり、獣脚類恐竜のなかでも非常に大きな腕です。 このような大きな腕をもっている獣脚類恐竜が、どのような姿形をしていたのか、どのような生活をしていたのか、あらゆる研究者が解き明かそうとしてきました。 しかし、これまで発見されていたのは腕だけで、よくわからなかったのです。そして、私たちがようやく全身骨格を発見し、全貌が明らかになりました。

記者: ・・・なるほど。

  いまいち?伝わっていなかったような気がする。

 優秀な日本人研究者が、世の中を変える大発見をしている。 例えば、青色LEDやiPS細胞。 私たちの生活を変える大発見だ。

 このような研究こそ、必要とされ、人のためになる研究である。 大発見の内容もわかりやすく、実生活に変化が起こるため、実感しやすい。

 しかし恐竜の大発見はというと・・・なかなかわかりづらいものだ。 

 

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◇◆ 第5回 恐竜を研究する意味・・・・ =3/3= ◇◆

恐竜研究は、人のためになっているのか

 先の「先生にとって『大発見』とは何ですか」という問いに、私は次のように答えた。

 「私たちの研究分野である恐竜は、非常に主観的です。 デイノケイルスに謎が多いというのも、私たち恐竜研究者がそう言うから、謎だということになっていました。

 今回発表した発見についても、権威者がそう言うのだから大発見に違いない、世界最高峰の科学誌ネイチャーが論文を掲載するのだから大発見に違いないと、専門家でない多くの人々は考えるでしょう。言い方は悪いですが、専門家の言うことを信じるしかない。

 そうなると、『大発見』とは、私たち専門家次第ということになってしまいます。 専門家が『これは大発見だ』と言えば、大発見になってしまう。 言い換えると、私たちが大発見を作り出してしまっていることになる。

 しかし、私が考える大発見とは、実は私たちの身の回りに転がっていて、データも現象も見えているのに、それが他とは違う特別なものだと気づいていなかったことに『気づくこと』なのです。 大事なのは、大発見を大発見として認識する能力を高め、それを他の人にわかりやすく説明できるかだと思います」

 つまり、「大発見」の基準は相対的なもので、ノーベル賞を受賞するような発見でなくても、ネイチャーに掲載されるような発見でなくても、自分が大発見だと思えば、大発見なのだ。これは私だけではなく、皆に言えることだと思うし、サイエンスの醍醐味につながると思う。

 興味をもつこと、好きになることが重要であり、その先に、自分なりの大発見が待っている。

   私はサイエンス中毒にかかっている。 サイエンスの面白さに病み付きなのだ。 今年は、カナダ、アラスカ、モンゴルでの調査を予定している。 私は、自分なりの大発見を探しに、世界へ足を運ぼうと思う。 そして、恐竜研究の面白さのほんの一部でも、皆さんに届けることができることを願う。

  それと同時に、これを読んでいる皆さんにも、外に出て新しい第一歩を踏み出すことで、自らもエクスプローラーとなり、自分なりの大発見をしてほしいと思う。

 ここで再度自問する。 「恐竜研究は、人のためになっているのか」

 今、はっきりとした答えはない。 しかし、私が初めてアンモナイトの化石を掘りに行ったときに抱いた、ちょっとした興味。 これが、私の人生を変えた。 もしかしたら、恐竜を切り口に新しい道ができ、子どもたちの夢の選択肢が増えるかもしれない。

 私は、自分がサイエンスの面白さを伝えるという重要な役割を担っていると信じている。 恐竜にはその力があり、その力を多くの人に伝える大きな責任が自分にあるように感じている。  非常に大きな責任だ。

 私事だが、今年の4月11日に私のおいが亡くなった。 20歳の若さだった。朝、起きてくるのが遅いので部屋に起こしに行ったら、もう冷たくなっていたそうだ。 前夜まではいつもと変わらない生活をしていた。 「お風呂に入ってくる」という言葉を最期に、この世から去ってしまった。


 4月13日、おいに会いに東京へ行った。 家に着いたのは夜中だった。 明るい部屋に入ると、真っ白なベッドに横たわるおいがいた。 まるでただ寝ているかのように、きれいな顔をしていた。 本当に今にも起きてきそうだった。

 兄が涙をこらえて笑いながら、「どこかにスイッチがあって、そこを押すと起きるはずだ」と、おいの頭をなでて必死にそれを探す。 そんな私たちを見ているのだろうか、おいはうっすらとほほ笑んでいるようにも見えた。

 私は、おいにいったい何ができたのだろうか。 確かに世の中の子どもたちには夢を与えられたのかもしれない。でも、すぐ身近にいるおいには何もできなかった。 忙しさに取り紛れて、おいに会うこともなかなかできなかった。悔いが残る。 手足がしびれるくらい、体の中が悔しさで一杯になる。

 今、何かおいのためにできることはないのか。 私にしかできないこと・・・。

 おいの部屋を見回すと、10年以上前にお土産であげた米国の国旗が下がっている。 あんな昔にあげたものを、取っておいてくれた。 でも、米国に連れて行ってあげることすらできなかった。

 私は心に決めた。 今年はおいを一緒に調査へ連れて行く。 一生かけても行けないようなへき地、世界でもごく少数の人しか見られない絶景、厳しい自然に生きる美しい動物たち、経験したことのないようなおいしい料理とビール。 そして、新しい恐竜を見つける興奮。

  今年の調査は、彼に捧げようと思う。 そしてフィールドで、彼と恐竜について語り明かそうと思う。

 

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◇◆ 第6回 2015年調査がスタート!!  Fromカナダ・・・・ =1/3= ◇◆

  「ヨシ、来年はカナダに来いよ」

 カナダ、アルバータ大学のフィリップ(フィル)・カリー教授が、コーヒーを片手に声を掛けてきた。2014年、中国河南省での恐竜シンポジウムでのことだ。

  フィルとはここ数年、モンゴルでは共同で調査をしていたが、カナダでは2009年に王立ティレル古生物学博物館(Royal Tyrrell Museum of Paleontology)のサポートで行ったのが最後。それ以来、カナダには縁がなかった。

 「そうだね、時間があればね」

  毎年のモンゴルでの調査の折、カナダにも来るように誘われていた。しかし、私の夏はいつも他の調査で予定が詰まっていて、なかなか参加できないでいた。

 「毎年、6・7月はアラスカ、8・9月はモンゴルだから」
 顔をしかめながら私がそう言うと、フィルが「5月の終わりなら空いてるね」とニコリと笑う。

  それがきっかけで、今年の5月はカナダ南部にある恐竜州立公園(Dinosaur Provincial Park)に行くこととなった。この公園は、恐竜の聖地である。カルガリーの南東約200キロに位置し、レッドディア川沿いに露出するバッドランド(風雨によって侵食され、峡谷状の涸れ谷になった荒地)から、700体ほどの恐竜の骨格が発見された。重要な化石が多産するため、ユネスコの世界遺産にも登録されている。

 ちなみに、現在1000種類を超える恐竜に名前(学名)がつけられているが、その約75パーセントは6つの国から発見されている。米国、中国、モンゴル、アルゼンチン、英国、そしてカナダ。これらは真の「恐竜王国」といえるだろう。

 見つけた化石をそのままに!

  恐竜州立公園の北側にあるハッピー・ジャックスは、ハッピー・ジャックという牧場主が100年前に住んでいたキャビンの跡地だ。今回の調査では、その近くにテントを立てることにした。川沿いで緑も多く、キャンプには非常にふさわしいところだ。

 今回の参加メンバーは、フィルが教えるアルバータ大学の大学院生やボランティアを中心にした調査隊で、総数15人ほど。キャンプのサイズとしては大きめである。私たちの胃袋を満たすキッチンテントには、約1週間分の食べ物が保管されている。少し離れたところには、調査道具や標本を一時保管するオフィステントが立っている。今回は、ここで2週間過ごすこととなった。

 「ヨシ、ここがティラノサウルスの仲間、ゴルゴサウルスの全身骨格が発見されたところだよ」

 フィルはそう言うと、さっさと崖の中腹に降りたが、私の目の前にはハドロサウルスの仲間の尻尾の骨が露出している。思わず、「お~」と声を上げた。ハドロサウルスの仲間の化石といえば2011年、北海道むかわ町穂別地区で14個つながった尻尾の骨を確認したが、それによく似ていたからだ。

 

  「このハドロサウルス科の尻尾は・・・」と話しかけると、「最初はその尻尾を掘ろうかと思っていたんだけど、4メートル下の、ちょうど今、私がいるところから、ゴルゴサウルスの指の骨が見つかってね。 こちらを掘ってみたら、全身骨格だったんだ! それに、そのハドロサウルス科の尻尾、見ればわかる通り、尻尾の先しか残っていないから、そのままにしておいたよ。

  この公園からは、ひと夏だけでいくつもの恐竜骨格化石が発見される。見つけるのも課題だけど、その中からどれを掘り出すかを決めるのが大変なんだ。  時間も資材も限られているからね」とフィル。

  日本の状況から考えると、なんとも贅沢な悩みである。

 この調査のミッションは2つ。歩いて新しい恐竜化石を探すこと。そして、選んだ恐竜骨格を発掘することだ。まずは「プロスペクト」という、歩いて探すことから始める。実際に何をするのかというと、崖を登り降りして、ひたすら地上に落ちている化石を探すのだ。

  恐竜化石の発見パターンは2通りある。  「ボーンベッド」を見つけるか、骨格を見つけるかだ。どちらも重要だが、それぞれ私たちに伝えてくれるメッセージが異なる。


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2種類のボーンベッドが伝えること

 ボーンベッドとは、不完全な骨が1カ所に集まった状態をいう。「ボーン」は骨、「ベッド」は層を表す。日本語に訳すと、「骨化石密集層」だ。


 この骨化石密集層は、さらに大きく2つに分けることができる。1種類の恐竜の骨化石がバラバラになって密集している層。これを「モノタクシック・ボーンベッド」という。このタイプのボーンベッドは、その動物の行動を表していることがある。

  その良い例に、ティラノサウルスの仲間、アルバートサウルスのボーンベッドがある。1カ所に、少なくとも8体の個体の骨が集中していたことから、ティラノサウルスの仲間も集団で行動していたと考えられている。

 一方、いろいろな恐竜や他の脊椎動物が混ざった状態で骨が密集している層を、「マルチタクシック・ボーンベッド」と呼ぶ。こちらからワニの鱗板骨(りんばんこつ)、あちらからティラノサウルスの仲間の歯。さらにオルニトミムス科の末節骨(まっせつこつ)や魚の歯、というように、さまざまな動物の骨が同じ地層に集まっている。

  一見、化石としてはそれほどきれいでもないし、完全でもない。しかし、これによって、同じ時代の環境に、どのような動物が一緒に生息していたかがわかるのだ。

 

化石の宝庫「バッドランド」は危険がいっぱい

 「結構暑いな」
 目の前に広がるバッドランド。6年ぶりの恐竜州立公園だが、5月の終わりということで、ここまで暑くなることを予想していなかった。厳しい日差しが、地面を照り返す。

 地層を観察し、化石の出そうなところをめがけて、崖を降りていく。厳しいところもあるが、ちょっとしたハイキングのようでもある。ただ、気をつけなければいけないのは、思わぬところにたくさんの落とし穴があることだ。当然ながら人が作ったものではなく、自然にできた「落とし穴」で、シンクホールと呼ぶ。

 シンクホールができる仕組みはこうだ。 激しい雨が降ると、小さな川が所々に現れる。落差の激しいところには滝ができ、地面をえぐっていく。 深く彫り込まれたくぼみには、次々と水が流れ込み、しまいにはトンネルを作ってしまうことがある。 このトンネルが厄介で、表面から見るとただの地面なのだが、よく見ると下がない。薄いところを歩いたりすると、地面が崩れ、落ちてしまう。

 そーっとそのシンクホールの中をのぞくと、骨が散らばっている。 いろいろな動物がシンクホールに落ちて、死んでしまっているようだ。 自分もその仲間にならないように、気をつけながら歩く。

 しばらく歩くと、地面にバラバラになった骨が落ちている。 どの動物かわからないほど断片的になっているが、恐竜の骨であることは間違いない。 その近くには、肉食恐竜の歯があった。ティラノサウルス科の歯だ! 肉食恐竜の歯を見つけるのは快感だ。 表面のツルっとした質感、ステーキナイフのようなギザギザな鋸歯(きょし)が、いかにも「恐竜の化石です!」と主張しているようにも思える。

 顔を上げると、カメの甲羅の一部が1つ、その先には魚の骨が1つと、骨が転々と落ちている。 すべて同じ地層(層準)からだ。 これは間違いなくボーンベッドだ。もう少し詳しく言うと、先に挙げたマルチタクシック・ボーンベッドということになる。地面に這いつくばり、さらに何か落ちていないか、目を凝らして化石を探す。

 すぐに手のひらは化石でいっぱいになった。 「日本だったら、こんなに化石が出たら大ニュースなのに」とつぶやきながら、目の前の化石から重要そうなものだけを選ぶ。

 

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 バラバラの骨で3次元ジグソーパズル

  5メートルほど向こうに、どこかで見たことのある骨がバラバラになって散乱している。 恐竜の頭骨っぽい。
 「頭骨っぽい」という表現はまったく科学的ではないが、私たち古脊椎動物の研究者は、骨の形を体で覚えている。 解剖学的に骨の形を知識として理解するのは当然だが、それよりも私が大事だと思うのは、世界中にある多くの化石に触れることだ。

 目から入ってくる情報だけでなく、触感による3次元の形の記憶。体に刻み込まれた骨の「知識」が、フィールドで役に立つ。地面に落ちているバラバラになった骨を見て、それがどの恐竜のどの骨であるかを考える。これが意外に楽しい。

 バラバラになった骨を組み上げていく、3次元のジグソーパズル。 夢中になって、時間がたつのを忘れてしまう。 _「あの骨だろう」と想像し、_「だったらここに出っ張りがあるはず」と考えながら、組み立てていく。 すると、ある時点で、その骨が何なのかがわかる。 この時私が組み立てていたのは、ハドロサウルス科の鱗状骨という骨だ。 大きさは中ぐらい。 大人になりきっていない亜成体のハドロサウルス科のものだろう。

 そこから10メートルほど離れたところには、アンキロサウルスの仲間の皮骨(背中の装甲板)らしきものが落ちている。 これもバラバラだ。さっきと同じように組み立てると、想像していたものと違って、なんだか三角錐の形をしている。 出来上がった骨を手にして考える。 どうも皮骨にしては、違和感を感じる。

 「何だこりゃ?」
 骨をくるくる回転して、自分の頭の「データベース」に入っている骨と照らし合わせる。 _「あ!」

 その三角錐の骨がある角度になった時に、何なのかがわかった。 アンキロサウルスの仲間の骨ではなく、ケラトプス科(角竜ともいう)のクチバシ(前上顎骨か前歯骨)の部分だった。 この瞬間がたまらない。 スッキリ! の瞬間だ。

 この時だけで、この地層からは、ティラノサウルス科、ケラトプス科、ハドロサウルス科、カメと魚の化石が見つかった。おそらく、川が流れていて、魚が泳ぎ、川辺にはカメが、そしてそのそばには恐竜たちが歩いていたことを、そよ風にあたりながら想像する。

 「ボーンベッドもいいけど、発掘に値するものを探さなきゃ・・・」
 2時間もここで化石を探していたことに気づいた私は、さっさと採集した化石を梱包し、バックパックを担ぐ。より貴重なものを探すため、私は先を急ぐことにした。

※ ティラノサウルス科もしくはティラノサウルス類は、代表的な種としてティラノサウルスを含む獣脚類恐竜分類群であり、分類学においては科が与えられている。 上顎の前方(前上顎骨)にあるD字型の断面をした歯、および癒合した鼻骨が共通の特徴である。

羽毛: コエルロサウルス類であることから羽毛を持っていた可能性が指摘されていたが、2004年にティラノサウルス科のディロングの発見により証明された。 ただ大型のティラノサウルスの成体では現代の大型哺乳類などからの推測で体温保持用の羽毛の必要性は少なく、羽毛は存在しなかったと考えられている。 ただし幼年のティラノサウルスには羽毛があった可能性がある。

指: ティラノサウルスやアルバートサウルスなど科の後期の属では2本の指を持つ非常に短い腕が特徴的である。ティラノサウルスの上腕骨は、大腿骨の三分の一の長さまで退縮していた。 しかしディロングやエオティラヌスなどティラノサウルス上科の初期群は、他のコエルロサウルス類と同じように3本指の長い腕を持つため、これらの特徴はグループ内で2次的に発達した特長であることが分かっている。 

ティラノサウルスやアルバートサウルスでは中央の中足骨が両隣から挟まれた(アークトメタターサル)構造を持つため同様の構造をもつオルニトミムス科トロオドン科 と共にアークトメタターサリア (Arctometatarsalia) をなすと考えられたが、現在では初期の種では見られない特徴であるため収斂であるとされている。 また、同様に2本の指を持つ事からコンプソグナトゥス科と近縁と考えられたことがあるが、これも3本指のエオティラヌスなどの存在により収斂であることが分かっている。 そのためコエルロサウルス類の中でのより詳細な位置は未だ不明である。

 

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森のなかえ

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○ 世界中を飛び回り、恐竜の姿を求める / 小林快次 ○

◇◆ 第7回 「間違った」仮設  =1/3= ◇◆

※前回まで:2015年の発掘シーズンをカナダ南部、アルバータ州の恐竜州立公園でスタートさせた小林さん。恐竜の聖地であるこの公園では、至る所から化石が出てきます! 今回も引き続き、カナダからお届けします。

 「ガガガガガガ・・・」

 遠くから機械の音がする。音の方向を見ると、オレンジ色のシートのようなものが見えた。目の前に、今回の発掘を指揮するフィル(カナダ、アルバータ大学のフィリップ・カリー教授)がいたので、近づいていって尋ねてみた。

 「あんなところにテントを立てている人がいるよ。」

 「あ、あれはテントじゃないよ、シートだよ。私の学生が見つけた、ケラトプス科(トリケラトプスなどの角をもつ恐竜のグループ。 角竜類とも)の発掘現場だ。削岩機とか燃料とかいろんなものを持っていったから、雨よけのシートだね。あの音は、私の学生が削岩機を使っている音だよ。みんな頑張っているようだ」

 その現場は、私たちが立っているところよりも随分高い位置にある。「高い」というのは、「今、立っているところよりも、標高的に100メートルほどの高低差がある」というのと、「足元の地層よりも時代が新しい」という2つの意味がある。

 「ダイノソーパーク層(アルバータ州に露出する、白亜紀後期約7660万~7480万年前の地層)でも、随分上のほうだ。あんなところからも恐竜が見つかるんだね」と私が感心していると、フィルが汗を拭いながら答える。

 「あの層準(地層)からも恐竜は見つかるんだ。プロサウロロフスというハドロサウルス科の恐竜が多いけどね。 でも、今回私たちが見つけたのは、ケラトプス科だと思う。 これだけ層準が上のほうからケラトプス科が見つかるのは、まれなんだ。

 今、発掘している化石が重要な発見なのは、間違いないよ。 去年、脚を発掘して、骨格がつながっていることは確認済み。あとはどれだけの骨格が崖に埋まっているかなんだ」

 随分の自信だ。それだけ、この谷からは全身骨格がたくさん見つかっているということなのだろう。

 ケラトプス科の発掘現場に向かって20分ほど歩いていくと、絶壁が目の前に広がる。絶壁といっても、頑張れば登れるほどの斜面だ。


 「ヨシ、ちょっと遠回りになるけど、この崖の左を回って、もう少し緩やかな斜面を歩いていこう」
 「このくらいだったら登れるよ」
 「いや、エバ(フィルの妻)から、無理してヨシに怪我をさせないようにってキツく言われているから・・・」

 そんなに体力がないように見られているのだろうか。

「人と同じ道は歩かない」を実践

 仕方がないので、崖を避けて緩やかな斜面を歩きはじめる。すでに人が歩いた足跡があり、道になっている。 確かに歩きやすいが、少し物足りない。 その時ふと、中国の恐竜研究者ドン・チミンに昔言われたことを思い出す。

 「シャオリン(小林の中国語読みで、中国ではこう呼ばれている)、化石を見つけるコツは、人と同じ道を歩かないこと。できる限り、誰も歩いた形跡のない所を歩く。往復するときも、自分の足跡さえもたどって帰ることなく、新しい道を行きなさい」と。

 「人と同じ道は歩かない、常に新しい道を」とは、なかなか意味深い。

 そうだ、こんなときこそ、あえて人と違う道を行こう。 フィルの後ろから少し外れたところを1人で歩きはじめる。足場は悪いが、こっちのほうがしっくりくる。地面は乾燥し、表面に小石が無数に落ちている。 そのせいか、気をつけないと足が滑る。所々にシンクホール(水に削られて自然にできた「落とし穴」のこと。 前回記事参照)もある。

 シンクホールの縁を歩くときは、細心の注意を払う。滑って落ちないとも限らないし、落とし穴のようになっているかもしれない。 身軽にヒョイヒョイとシンクホールを飛び越え、上へ上へと登っていく。

 シンクホールの近くには植物が生えていることがある。その中にサボテンもあった。 「メキシコではたくさんのサボテンを見たけれど、こんな北のほうにもあるんだ。冬を越えるのは驚き」
 サボテンがあるといったん気がつくと、そこら中に生えているのがわかる。 少し向こうには黄色いキレイな花を咲かせているサボテンもある。 不注意に手をつかないように気をつける。どんなにキレイな花を咲かせていようが、鋭いトゲが私たちを威嚇している。

 「どの辺に埋もれているの?」 発掘現場に到着した私は、フィルの学生で、化石を発見したアロンに話しかける。
 「ちょうど俺の足元あたりさ。ヨシも手伝うか?」

 「・・・」

 言葉を失う。なぜなら、みんながツルハシ、スコップ、削岩機を使って作業しているところと、アロンがいる位置とは、2メートルほど落差がある。これを手作業で掘り込むのか? 2メートル掘り下げるには、相当の量の岩石を取り除かなければならない。かなりの作業だ。

 バックパックから私の「七つ道具」セットを引っ張り出し、そこから革でできたグラブを取り出す。 ここからは体力勝負だ。

 総勢8人での作業。力作業なので交代で行う。削岩機で岩を崩し、ツルハシでその岩を砕き、最終的にスコップで岩をかき出す。 スコップでかき出す際に、より遠くに岩を移動させなければならないので、オレンジ色のシートをうまく使う。 斜面にシートを張り、その上に岩を滑らせて、遠くへと移動させるのだ。

 

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◇◆ 第7回 「間違った」仮設  =2/3= ◇◆

発掘作業は総力戦

 恐竜の発掘というと、「偉い研究者は発掘の指示をするだけで、あとは学生やボランティア、雇われた人たちが力仕事をする」というイメージがあるだろうか。しかし、多くの場合、「上下関係」はない。この時も、世界的な研究者であるフィルであろうが、学生であろうが、身分も立場も関係ない。周りを見て各自ができることを探し、自分の役割を見つける。私はスコップとツルハシの役割を交代で行った。

 土とは違い、岩のがれきをスコップですくうにはコツがいる。スコップの使い方はいろいろあるだろうが、私は以前、中国の元軍人から教わったやり方を採っている。私は右利きなので、スコップの付け根に左手を添え、右手は柄の後ろのほうを握る。足を前後にしっかり開き、腰を曲げる。スコップをがれきに突き刺してもなかなか入っていかないが、上下に揺らしながら奥へと入れていくと、がれきがスコップの上に次々と載ってくる。

 ある程度がれきがスコップの上に載ったら、足を固定し、体の軸はそのままで腰をうまく左に回転させて、がれきを後ろへと投げる。投げる時は、スコップの付け根に添えた左手の力を抜き、右手でスコップを後ろへ素早くスライドさせる。すると、力を入れなくても、反動でがれきは遠くへと飛んでいく。この方法だとテンポよく作業できる。

 スコップを使いはじめて10分もしないうちに、額から大粒の汗が流れ出す。なかなか気持ちがよい。しかも、この恐竜骨格が大発見である可能性も高いとなれば、なおさらである。

 作業を続けて3日間。ようやく2メートルという膨大な岩が取り除かれ、いよいよ発掘が始まる。これはボーンベッド(不完全な骨が1カ所に集まった状態。前回記事参照)と違い、骨格1体がそのまま埋もれている発掘現場だ。

 ボーンベッドでは当時の生態系が見られる点が重要だと前回書いたが、骨格の場合は、その恐竜そのものの解剖学的な情報を得られる点が重要だ。新種なのか否か。新種でなければ、どの恐竜なのか。新種であれば、どのようなところがユニークで、どの恐竜に最も近縁か。どのような生活をしていたのか、などなど多くの疑問に答えてくれる。

 「七つ道具」セットから、小さいハンマーとタガネを取り出す。デンタルピック(金属製の歯間ようじ)も取り出し、さらに細かい作業の準備をする。これまでは完全な力仕事だったが、ここから先は神経を使う細かい仕事だ。どんなに日が照ってフライパンの上にいるような猛暑でも、冷たい風が吹いて小雨が降ってきても、集中力を欠かすことなく、骨を壊さないように注意深く掘っていく。

 注意しなければならないのは骨だけではない。この地層からは、羽毛の痕が残っているオルニトミモサウルス類の化石も発見されている。一見シミのように見える部分が、羽毛だったりすることがあるのだ。ま、この骨格はケラトプス科ということなので、その心配は少ないと思うが・・・。

 化石が含まれている岩を軽くハンマーで叩き、周りの岩を剥がす。骨に近づいてきたら、デンタルピックを使って岩を剥いでいく。すると、キレイな骨が次々と露出していく。この作業は楽しい。骨が出た瞬間の、表面の艶(つや)がたまらない。空気に触れて変色したり、有機溶媒に溶かした接着剤を塗ったりすると、オリジナルの美しい色つやが失われてしまう。この美しさが見られるのは、発掘する人だけの特権である。

 

 ※ ローレンス・モリス・ラム(Lawrence Morris Lambe、1848年-1934年)はカナダの地質学者者、古生物学者。Geological Survey of Canada(カナダ地質学調査局)に所属。 カナダ最初の、偉大な地質学者である。 アルバーター州の化石層から発掘された多種多様の恐竜に関する彼の著作は、公衆の目を恐竜に引き付け、なおかつこの地方に「恐竜の黄金時代」をもたらすきっかけとなった。

 この時代、すなわち1880年代から第一次世界大戦の期間には、恐竜発掘者たちが世界中からアルバータ州に集まった。 ランベオサウルス(Lambeosaurus)は、ラム(Lambe)の栄誉を讃え、その名に因んで命名された(1923年)。

 彼が発見したのは恐竜だけではない。 Leidyosuchus canadensisは1907年に報告されている。 これは、アルバータ州の白亜紀後期の地層に見られるワニの一種である。

 なおラムはニューブラウンズウィック州のデヴォン紀の地層から発掘された魚や古生代サンゴについても研究した。 ブリティッシュ・コロンビアの第三紀昆虫や植物も収集した。 とはいえ彼が有名なのはカナダ西部での脊椎動物(特に恐竜)の発掘によってである。

 

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