もしも目の前の光景がホントかウソかまるっきりわからなくなってしまったら――
予め用意した「過去」の映像を「現実」と差し替えて・・・・
何が現実かをカンペキにわからなくする装置がついに開発された
その「代替現実」システムを発明した藤井直敬!!
【この企画はWebナショジオ_【研究室】「研究室」に行ってみた】 を基調に編纂
(文=川端裕人/写真=藤谷清美 & イラスト・史料編纂=涯 如水)
◇◆藤井直敬(02) / 第一回 代替現実でいとも容易く現実は崩壊する =2/3= ◆◇
現実感を喪失した寄る辺なさが漂うセッションが続いた後、SR装置の調整・操作を行ってくれていた研究員の脇坂さんがひとりで出てきて、「これから装置を取り外します」と言った。
「お願いします」と言うと近づいて来て手をさしのべた。頭に装着したSR装置のうち、まずはヘッドフォン、つぎにHMDの順で取り外されるのが分かった。
数分ぶりに肉眼で見るスタジオは、つい数秒前までHMDを通じて見えていたのとは違っていた。藤井さんをはじめ、編集者、カメラマン、理研の広報の方など、多くの人たちがぼくのことをなにやら興味深そうに見つめているのだ。スタジオには、脇坂さんと2人きりだと思っていたぼくは、心底びっくりした。もうおしまいということで、油断していたからなおさらだ。脇坂さんが1人で近づいてくる過去に撮影された映像を流しつつ、実際には大人数が見守る中、リアル脇坂さんが近づいてきて、ぼくの装置を取り外したのだろう。
過去映像は、ぼくの頭の位置と同じ場所に置かれていたパノラマカメラ(Googleのストリートビュー撮影に使われたのと同じ)であらかじめ記録していたパノラマ映像だそうだ。HMDに付けられているモーションセンサーのおかげで、ライブ映像と同じように、首を動かせば追従して映像も変わる。過去映像でも、見え方はライブ映像と変わらない。
では、SR装置をつけていたほんの数分ほどの間で、どの部分がフェイク(過去映像)で、どの部分がリアルだったのだろう。例えば肩を叩かれるなど、SR装置を介していない感覚情報はリアルだが、しかし、そのとき肩を叩いたように見えた藤井さんが実際にそうしたとは限らない。過去に撮影した藤井さんの映像を与えられていて、実際は脇坂さんや、編集者や、その他のだれかが肩を叩いていたとしても区別のしようがないのだ。
映画「ブレード・ランナー」(原作『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』)で有名なSF作家、フィリップ・K・ディックが繰り返し描いた、何が現実なのか分からない寄る辺ない世界にいるかのような不安をつかの間感じ、ふわふわした気分になった。
なおぼくが体験の中で一番衝撃的だったのは、やはりSR装置を取り外された瞬間である。目の前に多くの人が並んでいるのを見て、非常に驚くと同時に「これで今度こそ本当に現実に戻ってきた」というような安堵を感じた。肉眼であること、ただそれだけが、「現実」を担保してくれているように思えた。
2)「外」から見ていた人に状況を聞く
SR装置をつけずにぼくを観察していた編集者に「外」から見た状況を聞いた。編集者は基本的に、スタジオに隣接している調整室にいて、そこでぼくに与えられている画像とスタジオの中のぼくの挙動を同時に見ていたという。
──まず脇坂さんが使い方や注意事項を説明する間、一度スタジオから出てすぐにまた入り直しました。再入室したとき、すでにフェイクの過去映像が使われていましたが、川端さんはどうやらまったく気づいておらず、フェイクの脇坂さんと普通に会話をしていました。つまり「エア会話」状態です。それを見て「へぇ、本当に“まったく”気がつかないんだ!」と驚きました。
・・・・・・明日に続く・・・
■□参考資料: 藤井直敬「正義を掲げる人は危険だ その危うさに気づけるか」(2/2) □■
新型コロナウイルスとナショナリズム =The Asahi_Shinbun GLOBE+ 2020.04.10 より=
■新型コロナと従来の感染症の違い
――新型コロナウイルスがパンデミックに至りました。各国の「国民」意識やナショナリズムにどのような影響を及ぼしますか。
今回ほど世界保健機関(WHO)が言っていることを、みんなが真に受けることはなかった。重症急性呼吸器症候群(SARS)は気づかないうちに収束していた感じだったし、新型インフルエンザの注意喚起は「インフルエンザは昨年もはやった」程度にしか理解されていなかった。
WHOがどれだけ正確でバイアスがなく、中立的な情報を出しているのか分からないが、各国が統一的に参照するのはWHOしかない。
欧州はそんなに広くない地域に国がたくさんあって、それぞれ一つにまとまらないと生きていけず、ナショナリズムが生まれた。新型コロナウイルスのような全ての人類が直面する見えないリスクと、かつての欧州のような敵が隣にいるというリスクは切実さとしては同じ。自分や家族、所属する共同体なりが何らかの命の危機にさらされるとき、人はまとまらざるをえない。
■新型コロナとの戦いはナショナリズムを超える「大義」
――陸路や空路の相次ぐ「封鎖」で、世界中でナショナリズムが高まっているように感じられます。
各国が国境を「封鎖」したのは技術的に感染を防ぐためだ。例えば、イタリア人がイタリアの魂を強く感じるとか、ナショナリズムが高揚し、国と国が分断されているわけではない。物流は動いている。
いま新型コロナウイルスの感染拡大で、世界中の人間が命の危険を同時に感じている。「自分は明日死ぬかもしれない」という実感が、国家を超える唯一のものだと思う。結局みんな自分事にならないと、国家を超えることは考えられない。新型コロナウイルスに対する戦いには、ナショナリズムを超えた、少なくともそこには全員が「うん」とうなずける大義がある。
ふじい・なおたか 1965年、広島市生まれ。医学博士。東北大学大学院医学系研究科を経て、マサチューセッツ工科大学や理化学研究所脳科学総合研究センター(当時)で脳を研究。現在、VRサービスを手掛ける「ハコスコ」CEO、デジタルハリウッド大学教授を務める。
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◆ キヤノン、現実世界とCGを融合するMRシステムを発売 ◆
動画のURL: https://youtu.be/spyB8K0qcf4
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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽 憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・
森のなかえ
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