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Channel: 【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》
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消滅危機の日本語を守る_知の学究達=208=/木部暢子(09/10)

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アイヌ語、八重山語、与那国語、沖縄語、国頭語、宮古語、奄美語、八丈語

ユネスコの発表によれば、これらは消滅の危機にある日本の「言語」だ

このユネスコの警鐘と連動する形で共同研究プロジェクトを立ち上げ 

日本の消滅危機言語を守るリーダーを務める木部暢子

【この企画はWebナショジオ_“日本のエキスプローラ”/研究室にいって来た”を基調に編纂】

(文=川端裕人/写真=藤谷清美 & イラスト・史料編纂=涯 如水)

◇◆ 木部暢子(09) / 消滅危機の日本語を守る_知の学究達 ◆◇

◆ 第5回 消滅危機言語をなぜ守らなければならないのか =1/2= ◆ 

最後に非常に素朴な疑問を。

 消滅の危機にある言語を、なぜ守らなければならないのだろう。言語の多様性は、なぜ大切なのか。

 いっそ、世界人類の言葉を、英語か何かの共通語に統一した方が、便利なのではないか。などという意見を言う人は少なからずいる。

 そんな中、あえて、言語を守る意義とは?

 国際的イニシアティヴをとるユネスコのウェブサイトを訪ねると、意外なことが書いてあった。

〈言語の多様性が減ると、生物学的多様性が減少する〉

 もちろん、これは数ある理由の中の一つとして挙げられていたのだが、それにしてはトップページにでかでかとリンクが張られ、詳細なページが作られていた。最初、頭の中に疑問符が乱れ飛んだのだが、まあ、言っていることは理解できた。

 その土地で培われてきた言語では、植物や動物についてきちんと区別されている。しかし、言語が失われると区別も失われる。どんな種があるのか分からなくなる。それを科学者が再発見するのを待っている間に、多くのものが失われてしまう。

「へえ、そんなことが書いてありますか」と木部さんは言った。

「たしかに、ものの名前などは、生活に非常に密着してるので、人間の役に立つか役に立たないか、毒かどうかといったことは、言語として非常に厳密に区別しているわけです。それがわからなくなるっていうことはありますよね。だけど、それを強調するのは、ちょっと政治的な感じがしますね」

 木部さんが指摘するのは、生物多様性を語る時に、よく使われる言説。

「薬になる草があって、それをどの国がどれだけ取っていいかとかね。何かそういう話になってしまいますよね。植物の多様性ってそうじゃないでしょうっていう気がするんですが、どうしても政治的な利益関係みたいなところにいっちゃうんですよね。言語学者は、別にそういう発想じゃないと思いますよ」

 生物多様性についても、重要性を主張してきた人たちは、経済的なメリットのために、活動してきたわけではない。生物の多様性を守ることが、我々が住んでる世界そのものの価値につながっていくと信じている人が多い。これは個人的に取材を通じて確信している。しかし、いざ万人を説得し、例えば生物多様性条約を批准しようとすると、経済的な価値などを強調せざるを得ないようだ。

 では、言語学者が、言語の多様性を重視する本質的な理由はなにか。英語だけで済ます世界ではなく、多様な言語がある世界が好ましいのはどうしてなのだろう。

「──コミュニケーションツールとして、英語なり共通の言語があるのは、いいことだと思います。知らない人でも、初対面でも、ある程度の会話ができる。けれど、それは単なるツールですよね。言葉というのは、人間が人間であることの証ですから。つまりわたしたちは、言葉で思考している。言語がなかったら、多分、考えることもできない」

「──人間として根本的な、生きていくための思考。哲学といったらちょっと抽象的ですけど、色々なことを考える根本にあるのが言語だと思うんです。それはコミュニケーションツールとは違う、別のものなんですね。それこそ生活に根ざしたものであるはずです。まず生まれてから育つまでにいろんな経験をしていくと同時に、それらをあらわす言葉を耳にして、世界を理解し、自分を形づくっていく。それが、世界共通であるはずがない。だって、文化が違うし、気候も違うし、周りの社会構造も違うし。無理に世界共通にするなんて非常に恐ろしいことですよ」

 木部さんの熱の籠もった説明に、すとんと腑に落ちるものがあった。

 人々が長い間同じ場所に住んでいて、土地に根ざして暮らす中で、他の言語にはない語彙や表現を発達させていく。例えば、砂漠に住む人たちの言葉を急に日本に持ってきて四季を語れといっても困るだろう。木部さんが鹿児島弁として挙げた、「よかはだもっごわすな」もまさにその類の言葉ではないかと思うのだ。

・・・・・・明日に続く・・・

■□参考資料: 「大阪弁は消滅危機言語」という意外な現実 (2/3)  □■

--- 方言が消えると、何が困るのか?---

同じく大阪弁の代表格、「こーてもろーた」(買って貰った)も、現在の若者はほとんど使わない。共通語と同じ「かってもらった」である。

このような例は、他にも山ほどある。かろうじて大阪弁の特徴をとどめているものに、アクセントがある。

ただし、現代の若者の多くは、すでに大阪アクセントと東京アクセントのバイリンガルになっているので、これもいつ東京アクセントに取って代わられるかわからない。

大阪弁でさえこうなのだから、全国の方言が消滅の危機にあるのは、言うまでもない。このままでは、近いうちに日本全国のことばが完全に東京のことばに一元化してしまう可能性が高い。

言語が一元化すると…

言語が一元化すると、何が困るのだろうか。

各地の言語や方言がなくなっても、共通語があれば日常生活で困ることはないし、方言よりも共通語の方が全国の人とコミュニケーションがうまくとれる。むしろ、言語が一元化する方がよいという意見もあるくらいだ。

これに対してよく言われるのは、地域の言語は、その土地の環境や文化・社会の中で、長い年月をかけて培われてきた。それを失うことは、「自然の貴重な教科書を失うことに等しい」(2001年のUNEP閣僚級環境フォーラムにおけるテプファー国連環境計画事務局長の発言)ということである。

各地にはそのことばでしか表現できないことがある。

京言葉の「はんなり」は、辞典類では「華やか、陽気、明るい、上品」などの説明がなされているが、真下五一『京ことば集』によると、明るさとか、柔らかさを持つことばでありながらも、淡泊で優雅な水彩画的な味わいがあるという。

もし、「はんなり」が消失して共通語の「華やか」に取り替えられてしまったら、「はんなり」がもつこのようなニュアンスや、その背景にある京都の文化を知るすべがなくなってしまう。

また、「はんなり」ってなんだろうと疑問をもつこともなくなり、地域の文化を深く考えるきっかけを失ってしまう。「自然の貴重な教科書を失う」とは、こういうことなのだ。

一元化に関してもうひとつ考えておかなければならないことは、言語にしても生物にしても、そもそもなぜ、これほど多様になったのか、その意味を解明するのが人間の重要な知的営みの一つだということである。

多様性の背景には、さまざまな要因があっただろう。また、どういう変化が起きて多様性が生まれたのか、まだまだわからないことだらけなのである。しかし、それがわからないまま、多様性が今、失われようとしている。 ・・・・・・明日に続く

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◆ 「危機言語としての方言」木部 暢子(国立国語研究所 副所長) ◆

動画のURL: https://youtu.be/OQyGPrg24Tc 

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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

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