世界に800頭ほどしかいないマウンテンゴリラ、ルワンダ共和国には約500頭が生息
1967年にダイアン・フォッシーが設立した「カリソケ研究所」はゴリラ研究で世界的中心のひとつ
映画「愛は霧のかなたに」や、自著『霧のなかのゴリラ』で世界中で認知される
設立から約半世紀がたつ今なお、D.フォッシーの情熱が受け継がれる
【この企画はWebナショジオ_“日本のエキスプローラ”/研究室にいって来た”を基調に編纂】
(文=川端裕人/写真=川端裕人 & イラスト・史料編纂=涯 如水)
◇◆ カリソケ研究所(13) / マウンテンゴリラ ダイアン・フォッシーの後継者たち ◆◇
◆ 番外編 ルワンダってどんな国? =1/2= ◆
ルワンダに行くというと、ほとんどの人に心配された。 森さんも、ウィニーも、ステイシーも同様だったという。 なぜなら、ルワンダ=怖い国というイメージが、世間一般では根強いからだ。
直接的な原因を辿れば、1994年、国民の大多数を占めるフツ族の政権過激派が、少数派のツチ族を根絶やしにする政策を強行し、おおよそ100万人(ルワンダ国内で定説になっている数)のツチ族が殺害された「ジェノサイド」だろう。数字を書いてもただの「数」になってしまうが、四国の1.5倍ほどの土地に、当時、500万人あまりが住んでいた国で、毎日1万人もの人間が3ヵ月にわたって殺され続けたというのは想像を絶している。
いや、想像してみるべきだ。1日に1万人という数は、どのような軍隊が通常兵器を用いて達成しようとしても簡単ではないだろう。事実、ルワンダで1994年に起こったことは、隣人による隣人の殺人の連鎖だった。加害者であるフツ族でも、穏健派はまず見せしめに殺されたので、ツチ族を殺さなければ自分も殺されるという恐怖感の中で殺戮が続いた。
もっとも、1994年の時点で国際社会は事態を無視していたから、日本でリアルタイムでそのことを知っていた人は少ないはずだ。むしろ21世紀になって、『ホテル・ルワンダ』(2004年)や『ルワンダの涙』(2005年)といった映画が作られ世界各地で上映されてから有名になった。そのため、ルワンダのジェノサイドは比較的最近のことと思われがちだ。
もちろんまだ事件後20年も経っていないわけで、「最近」であることは間違いない。ただ、ジェノサイド収束後に、海外に離散していた国民が戻って、素早い復興がはかられ、2012年時点では、「アフリカの奇跡」とまで呼ばれる成長を遂げている。人口が1000万人以上に膨れあがっていることも前に書いた。
象徴的な事実を書こう。
ルワンダでは、男女を問わず、首都のキガリで、夜、1人歩きしても、怖くない。まったく怖くない。これは地方都市でも同じだ。
ピリピリした雰囲気がないだけでなく、かりに財布を落としたとしても、「あ、これ落としましたよ」と通りかかった人が届けてくれるほどだ(これは知人の話であり、実体験ではない……念のため)。これが同じアフリカのナイロビやヨハネスブルクでは、財布ではなくとも、カメラのような換金性がありそうなものを外に出しているだけで、いつひったくってやろうかという視線が路上から集中すること請け合いだ。
空港のイミグレーションや税関でも、賄賂を要求されることがない。日本や欧州と同じ水準で明朗入出国できる。政府の強いコントロールが効いており秩序が保たれているのは、ゴリラ観光について、1日の許容人数が厳格に守られているのと同様。
経済面でも、ジェノサイドの翌年1995年から、実質経済成長率で一度もマイナスにならず、平均10%以上の成長を続けており、今や貧困にあえぐアフリカの希望とすら言われる。
というわけで、ジェノサイドについて知ることは大事だが(知らなかった人は是非検索してほしい。知って心地よい事実ではないが、ルワンダの人々も知ってほしいと願っている)、かといって「怖いイメージ」で凝り固まることはないのだ。むしろ今は逆なのだと強調したい。
ほんの10日間、ルワンダに滞在しただけのぼくが、素のままで見たもの、感じたことを素描すればこんなふうになる。
まず、キガリにあるジェノサイドのメモリアルセンターは、衝撃的である。隣人が隣人を殺し、加害者と被害者が今もやはり隣人として、同じ地域で、同じ職場で、顔を合わせ続けているこの国には、よそから来た者には推し量れない強烈な葛藤がある。それは当然だ。ただ、それを「報復の連鎖」にしなかった現政権(ジェノサイド以降の長期政権で、当然、批判意見もある)の手腕は、その点において賞賛されるべきだ。
滞在中言葉を交わした人たちの多くが、日本の津波被害について聞いてきた。地震と津波の区別がついておらず、日本全体が壊滅したと思っている人もいた。そして、津波の話をぼくが語り終えると、今度はジェノサイドのことを聞きもしないのに説明してくれるのだ。余りにも大量の殺戮があったため、心理的な処理として、あれは天災だったのだと考えるような境地に、いくらかのルワンダ人は到達しているのかもしれない。
・・・・・・明日に続く・・・
■□参考資料: アフリカの森でゴリラと暮らして考えた! (4/5) □
〜類人猿の視点から人類家族の起源に挑む〜霊長類学者・山極壽一 さん
僕はアフリカのガボンという国でニシローランドゴリラの調査をしていて、2頭のメスに襲われたんですよ。頭と足を嚙まれてひどく流血したまま、なんとか山を下りて、船に乗って村の診療所に戻って、ガボン人の獣医に傷口を縫ってもらった。頭は5針、足は17針縫うような傷で命にかかわるものではなかったけど、長年研究してきたのに、ゴリラのことをきちんと理解できていなかったんだと思うと、ショックが大きかった。
それで、事件から1ヵ月後、わざわざタイタスに会いに行ったんです。自分がやってきたことは正しかったのか、原点となる場所で改めて確認したかったんです。
そういう背景があったんですね。タイタスに会いに行って、どう感じましたか?
山極 ゴリラのことを誤解していたわけじゃなかったんだ、と思いましたね。
タイタスやほかのゴリラの反応を見て気づいたんです。ルワンダのマウンテンゴリラと、ガボンのニシローランドゴリラは、文化や行動様式が違うんだって。マウンテンゴリラに通じた方法が、ニシローランドゴリラには受け入れられなかったということなんです。
タイタスと再会したあと、ルワンダのキャンプで写真家の星野道夫(*2)のことが頭に思い浮かんでしょうがなかった。彼は僕と同じ歳なんだけれど、拠点にしていたアラスカではクマの撮影に慣れていたし、テントを張っていれば絶対にクマは襲ってこないという自信があったと思うんだ。でも、ロシアで同じようなことをやって、クマに襲われて亡くなった。それはきっと、アラスカのクマとロシアのクマは文化や行動様式が違うんだよね。だから、星野道夫のことを思い出して、僕も同じ間違いを犯したんだな、と思いました。
ただ、あとで気づいたんだけれど、僕が噛まれた頭部は、ゴリラのオスの場合は脂肪に包まれていて、絶対に牙が骨まで届かない場所だった。だから、よく考えると僕を殺そうとしたんじゃなかったんだと、少しほっとしました。
*2 ; 写真家、探検家、詩人(1952—1996)。1978年以後、18年間にわたりアラスカの大自然や人々の営みを写真に収め続けた。1990年、第15回木村伊兵衛写真賞受賞。ロシア・カムチャツカ半島でのテレビ番組の取材に同行し、ヒグマの事故により急逝した。
人間社会の成り立ちと現代の危機
長年、調査をしてこられた「人類家族の起源」について教えてください。
山極 複数の家族を含むコミュニティは、サルやゴリラなどほかの類人猿には見られません。僕は、それがなぜ人類特有の在りようなのかを考えました。
人間は認知能力を段々と高めながら「共感」や「同情」という能力を発達させて、広範囲で複雑な人間関係を一生懸命操作しようとしてきました。
共感や同情を高めるひとつの仕組みは、共同保育です。これは長い進化の歴史のなかで、人間が類人猿やサルが住んでいる森から、捕食動物が多い草原に出ていったことが関係していると思います。人類は、幼児死亡率の高い危険な状況のなかで、多産になった。さらに、脳が大きくなり始めたから、脳にエネルギーを供給するために、身体の成長が遅くなった。人間は、頭でっかちで成長の遅い子どもをたくさん抱えることになって、みんなで協力し合いながら共同保育をすることを始めたのです。
そのお陰で、別々の能力や事情を抱えている人たちが、子どもを育てるというひとつの目標で分担し合うようになって、お互いの共感能力を高めていく方向に向かったのではないかと考えています。
「食物の分配と共食」は、その共同保育を進める上で大いに貢献した人類特有の能力です。人類は、気前よくみんなで食物を分配して平等に食べるということをしながら、相手の食欲を自分のものにすることで共感能力を発達させていった。サルは一緒に食事をするということをしません。ゴリラやチンパンジーはときどき食物を分配しますが、食物を仲間のもとへ運んで一緒に食べるということはありません。食糧が豊かで安全な場所では、食物を運ぶ必要がないのです。
対面で一緒に食べるという経験を共有する。それによって、人類の祖先はほかの類人猿よりもかなり複雑で大きな社会を運営できるようになったのではないかと考えています。
◆ Dian Fossey Biography and Tribute by Grace Stevens ◆
動画のURL: https://youtu.be/ZgWXb_hnf4Q
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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽 憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・
森のなかえ
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