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Channel: 【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》
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霊長類学者_D.フォッシーの学究達=186= / カリソケ研究所(12/14)

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世界に800頭ほどしかいないマウンテンゴリラ、ルワンダ共和国には約500頭が生息

1967年にダイアン・フォッシーが設立した「カリソケ研究所」はゴリラ研究で世界的中心のひとつ

映画「愛は霧のかなたに」や、自著『霧のなかのゴリラ』で世界中で認知される 

設立から約半世紀がたつ今なお、D.フォッシーの情熱が受け継がれる

【この企画はWebナショジオ_“日本のエキスプローラ”/研究室にいって来た”を基調に編纂】

(文=川端裕人/写真=川端裕人 & イラスト・史料編纂=涯 如水)

◇◆ カリソケ研究所(12) / マウンテンゴリラ ダイアン・フォッシーの後継者たち ◆◇

◆ 第5回 ゴリラをめぐる、ぼくの幸せな瞬間 =2/2= ◆ 

 最後に、ここまでで描ききれなかった、マウンテンゴリラをめぐる、ぼくの幸せな瞬間を書き留めておきたい。生き物と相対した時の個人的な珠玉の瞬間というのは、本当に忘れがたいものだ。

 最初の日に会ったスサ・グループ以外にも双子の赤ちゃんはいて、むしろ、そちらの方が物怖じせずにぼくたちの前で、しきりと遊んでくれた。黄色い花が咲く草原を、母親の背中に「2人乗り」して去っていく最後の姿は、「お花畑のゴリラ」という印象で、非常に美しく胸にしみた。

 双子にかぎらず子どもたちの遊びは楽しい。竹林を遊動していた群れが小休止をとっている間、子どもたちが竹で遊び始めた。ある者が上まで登って思い切りたわませると、さらに別の子が手を伸ばして横倒しにし、最終的には手を離してびよーんと元通りに戻る。と思いきや、あまりにたわめすぎて、竹が横倒しになってしまうこともある。また、竹林の中では、タケノコではなく、タケノコの皮の部分(それも乾燥したぱりぱりのもの)を食べている連中がいてびっくりした。何かの栄養になるのだろうか。

 妊婦のゴリラがいて、群れからやや離れたところで木登りし、ひとりきりで葉を食べていた。大きなお腹を慈しむようなゆっくりした動きで、地味なこときわまりないのだが、人間も妊娠中の女性ってこんなだよなあと、しみじみ感じ入るところがあった。

 等々。

 わずか3日、トータルで3時間のつきあいでも、本当にきりがない。

 さらに最後の最後。

 カリソケ研究所を訪ね、ケイコ(森さん)、ウィニー、ステイシーと対話をしている時。マウンテンゴリラとの遭遇に感激しているぼくに森さんが言った。

「次はヒガシローランドゴリラを見に行きませんか? 意外と簡単ですよ」と。

 ルワンダとの国境からコンゴ側に入ってもらって、国立公園の研究者を紹介しますから、と……ヒガシローランドゴリラを見るための具体的な手順を教えてくれた。

 ヒガシローランドゴリラは、マウンテンゴリラとはかなり違った存在だ。顔つきもぱっと見で違うと分かるし、果実食が多かったり、よく木に登ったりと、マウンテンゴリラとの差は際立っている。ダイアンがルワンダに来る前に最初に研究したのも、コンゴ(当時はザイール)のヒガシローランドゴリラだったという意味で興味もある。「簡単」なら是非行ってみたいものだ。

 ただ、コンゴ民主共和国といえば、社会が安定していないイメージで、アフリカの中でも入国がためらわれる所との印象が強い。本当に森さんの言う通り「簡単」なのだろうか。

 案の定、周囲から、ノー! ノー! という声が聞こえた。

 ウィニーとステイシーが、「ケイコったらもう!」というふうにくすくす笑っていた。研究者の間でも、コンゴでの研究や取材は難しいという感覚はやはりあるらしい。また、実際、日本の外務省サイトで確認したら、ヒガシローランドゴリラがいる国立公園の地域は「退避勧告」になっていた。森さんは1998年と2009年に訪ねたそうだが、その時は、もう少し穏やかな時期だったのかもしれない。

 この研究所にはまだダイアンがいる。そう言ったのは森さんだった。

 マウンテンゴリラ研究の牙城となったカリソケで、ダイアンの時代にはあり得なかったモダンな研究計画が語られ、彼女の研究の原点でもあるコンゴのヒガシローランドゴリラに話題が及ぶ。もしも、ダイアンが見ていたら、この不思議に微笑ましい光景をどのように捉えるだろうか、とふと思った。 

次回は“番外編 ルワンダってどんな国?”に続く・・・・

■□参考資料: アフリカの森でゴリラと暮らして考えた! (3/5) □

〜類人猿の視点から人類家族の起源に挑む〜霊長類学者・山極壽一 さん

ガボンでの事件で気づいたこと

そういう経緯があったんですね。それから先生はゴリラの研究を長く続けることになりますが、ゴリラにはどういう魅力を感じたのですか?

山極 現在、アフリカには数万頭のゴリラがいるんだけど、ゴリラには大きく分けてニシゴリラとヒガシゴリラがいます。ニシゴリラのなかには、「ニシローランドゴリラ」と「クロスリバーゴリラ」、ヒガシゴリラのなかには、「マウンテンゴリラ」と「ヒガシローランドゴリラ」がいる。そのうちの大部分がニシローランドゴリラで、現在ヒガシローランドゴリラは数千頭、マウンテンゴリラは800頭ぐらい、クロスリバーゴリラはさらに少なくて200頭ぐらいしか生き残っていないと言われています。

この4種類のなかで、僕は1980年からルワンダで「マウンテンゴリラの群れの中に入り、一頭一頭に名前をつけ、行動を記録する」という方法で、類人猿から人類家族の起源を解き明かす研究をしてきました。その後、1985年に師匠であったダイアン・フォッシー博士が殺害されてから、コンゴのヒガシローランドゴリラ、ガボンのニシローランドゴリラを対象に調査を継続してきたのです。

ゴリラはいまから約900万年前に人類と共通の祖先から分かれたと言われていて、人間と共通する特徴もある。ゴリラは家族的な集団をつくって生活しているから、人間の家族の起源を考えるときには、ゴリラの集団を観察することで理解できることも多いのです。

ルワンダでは、朝早く起きてゴリラに会いに行って、夕方に戻ってくるという生活でね。ゴリラの居場所がわかればひとりで行くし、トラッカーという案内役の現地スタッフとゴリラのいる場所まで一緒に行くこともあったけど、ゴリラと接するときはいつもひとり。

最初はもちろんすごく緊張したけど、ゴリラは僕の存在を認めてくれて、2ヵ月もしないうちに僕のひざに分厚い手を置いてくれるようになった。ニホンザルとはそういう心の交流はできないからとても新鮮でしたね。
ニホンザルはヒエラルキーがはっきりとした社会で、相手の目を見ることは威嚇になってしまいますが、ゴリラの場合はまるで会話のような役割を持っていて、じっと見つめ合うことで互いの気分や状況を確認し、コミュニケーションを図るのです。

ゴリラのコミュニケーションはわたしたちと近い部分があるんですね。ゴリラとの交流で何か特別な思い出はありますか?

山極 1980年から2年間、とても親密に付き合っていたタイタスというマウンテンゴリラがいます。タイタスは1974年生まれで、僕が出会ったときには6頭の群れの一員だった。僕を最もたくさん遊びに誘ってくれたのがタイタスで、突然大雨が降ったときには、僕が雨宿りするために入った大木の洞に入ってきて、抱き合うようにして寝入ってしまったこともある。

2008年、26年ぶりにタイタスに会いに行きましたが、驚くべきことに彼は僕のことを憶えてくれていました。そして、実はタイタスに会いに行くことにしたのには、理由があったんです。

同じ年に、僕はアフリカのガボンという国でニシローランドゴリラの調査をしていて、2頭のメスに襲われたんですよ。頭と足を嚙まれてひどく流血したまま、なんとか山を下りて、船に乗って村の診療所に戻って、ガボン人の獣医に傷口を縫ってもらった。頭は5針、足は17針縫うような傷で命にかかわるものではなかったけど、長年研究してきたのに、ゴリラのことをきちんと理解できていなかったんだと思うと、ショックが大きかった。

それで、事件から1ヵ月後、わざわざタイタスに会いに行ったんです。自分がやってきたことは正しかったのか、原点となる場所で改めて確認したかったんです。

◆ Gorilla Documentary - Gorillas: 98.6% Human | Explore Films ◆

動画のURL: https://youtu.be/NdE7bANJIz0 

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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

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