世界に800頭ほどしかいないマウンテンゴリラ、ルワンダ共和国には約500頭が生息
1967年にダイアン・フォッシーが設立した「カリソケ研究所」はゴリラ研究で世界的中心のひとつ
映画「愛は霧のかなたに」や、自著『霧のなかのゴリラ』で世界中で認知される
設立から約半世紀がたつ今なお、D.フォッシーの情熱が受け継がれる
【この企画はWebナショジオ_“日本のエキスプローラ”/研究室にいって来た”を基調に編纂】
(文=川端裕人/写真=川端裕人 & イラスト・史料編纂=涯 如水)
◇◆ カリソケ研究所(10) / マウンテンゴリラ ダイアン・フォッシーの後継者たち ◆◇
◆ 第4回 ゴリラにみる「イクメンの起源」 =2/2= ◆
本当にフィールドでの活動は、ウィニーとほぼ同じだ。 わずかな違いと言えば、ステイシーはフィールドで簡易デバイスにゴリラの行動を打ち込んで、研究所に戻ってからPCに吸い上げて処理していることくらい。
「前の論文から深める点としては、まず、親子関係のDNA鑑定をしていることですね。複オスの群れだと、すべての子どもが優位のシルバーバックの子どもだとは限らない。劣位のシルバーバックもこっそり交尾するのは観察されていますから。親子関係を確定してそれが行動に反映するか見たいですね」
なお、観光ゴリラのトレッキングに参加すると、出会う群れの家族構成をプリントアウトしたものを見せてくれる(個々のゴリラの写真撮影者は、森啓子さん!)。それには母子関係はもちろん、父子関係も明記されているのだが、実は「この母子は、わりとこのシルバーバックの近くにいる」といった観察から、トラッカーが推測しているレベルなのだそうだ。
実際の父子関係を特定した上で、ステイシーが博士号論文のために研究しようとしているのは──、
「ゴリラのオス・コドモの関係は、人間の男性と子どもの関係に似たところがあると言われているんですね。授乳はもちろんできないけれど、遊んであげるのは人間の男性もよくやりますよね。社会構成としても、フレキシブルだし。今、生理学的な研究として、プロラクチンとテストステロンというホルモンに注目しています。ワタボウシタマリンも、他の霊長類でも、オスにプロラクチンが多いと子育てに参加しがちだという説があります。一方で、睾丸から分泌されるテストステロンが多いと攻撃的になるので、子どもが産まれると、オスもこれが下がる種が多いんですよ」
20世紀後半からの本格的な研究開始以来、ゴリラの群れは、「家族の起源」「父性の起源」といったトピックをめぐって、人口に膾炙してきた。この点については、日本のゴリラ研究者で、国際霊長学会会長を務めた山極寿一・京都大学教授の『ゴリラ』(東京大学出版会)にも詳しい。ステイシーはそこにあらたな知見を付け加えたいと願っている。
ちなみに、ぼく自身のマウンテンゴリラ体験でも、シルバーバックが、赤ちゃんや、コドモの毛づくろいをする平和な光景が目に焼き付いている。コドモの方も、あの大きなシルバーバック相手に物怖じせず自分からじゃれついて、それでもシルバーバックは意に介さず相手になっていた。そのあたり、実に「いいかんじ」なのだ。ステイシーの研究がどのようなものになるか興味深い。
そして、最後にやはり、ステイシーも「ダイアン」への慕情とも言える感情を吐露した。
「ここでは、彼女のことを、みんなダイアンと呼ぶんですね。ドクター・フォッシーとか、ダイアン・フォッシーとかではなく。研究者も、彼女を知るルワンダ人も。親しみと、尊敬が一緒になったかんじがします。わたし自身、彼女が成し遂げたことは純粋に凄い! と思います。ダイアンがいなければ、わたしたちはここにいなかったし、マウンテンゴリラもいなくなっていたかもしれない。ここにいるとダイアンを含むゴリラ研究の伝統の中に自分もいるんだなあと感じるんです」
次回は“第5回 ゴリラをめぐる、ぼくの幸せな瞬間”に続く・・・・
■□参考資料: アフリカの森でゴリラと暮らして考えた! (1/5) □
〜類人猿の視点から人類家族の起源に挑む〜霊長類学者・山極壽一 さん
<取材・文:川内イオ/写真:江森康之/編集:川村庸子>
ゴリラには、どんなイメージがあるだろう? 強そう? 怖そう? かっこいい?
たいていの人にとってゴリラは動物園でしか見ることがない存在で、野生の姿は想像がつきにくい。学生時代の山極壽一さんも、最初は同じようなものだった。
しかし、ひょんなことからゴリラの研究を始めることになると、アフリカの森で野生のゴリラの群れの一員のようにして関わり、ゴリラ研究の第一人者になった。
一緒に遊びながら、彼らの家族や社会を子細に観察する。そうすることで、類人猿から人類家族の起源を解き明かすことに挑んでいる。
長年ゴリラと接するなかで、ときには嚙みつかれて大怪我をしたこともあると言う。まさに身体を張った研究を通して見えてきた、わたしたち人間の「社会のかたち」について伺った。
= 小生が別冊ブログ【壺公夢想】記載➝ “地球永住・山極壽一/ 11” 知的冒険 https://thubokou.wordpress.com/2020/04/28/ 参照 =
きっかけは雪山での偶然の出会い
山極先生、突然ですが、失礼します。(唇を震わせる感じで)「グフ~ム」!
山極 んん? ああ、ゴリラの挨拶か(笑)。それは発声の仕方がちょっと違うね。そんなに唇を震わせないで、もっと腹に響かせるように低音で言うんだ。こんな感じで。
「グフーム」(重低音)。
ゴリラは仲間に近づくとき、必ずこの挨拶をするんですよ。ほかにも、求愛するときには「ホロホロホロ~」と高い音で歌うように声を出すこともあります。
おお! これがリアルなゴリラ語! 山極さんは1978年から、アフリカの森のなかでゴリラの群れの一員のようにして研究を続けてこられたんですよね。
山極 そうですね。少し当時を振り返ると、僕がゴリラの研究を始める少し前、アフリカは独立運動や内戦で混乱していたから、日本のゴリラ研究がストップしていたんです。
でも、アメリカやイギリスの研究者は、現地で調査を進めていた。そのなかでも、ダイアン・フォッシー(*1)というアメリカの研究者が「ゴリラの群れの中に入って交流しながら、一頭一頭に名前をつけ、行動を記録する」という手法で彼らの社会を描き出し始めていた。僕は1978年、26歳のときにコンゴ民主共和国(当時のザイール)でゴリラの調査をしたあと、1980年に彼女がルワンダの火山国立公園に設立したカリソケ研究センターに入って、同じような手法で調査を始めたんです。
*1 ; 霊長類学者、動物学者、動物行動学者、生物学者(1932—1985)。ルワンダにて古生物学者のルイス・リーキーと共に18年間、マウンテンゴリラの生態系の調査を行った。何者かによって殺害され、事件は未解決となっている。マウンテンゴリラ研究の第一人者。
日本では決して盛んではなかったゴリラの研究をしようと思ったのは、なぜですか?
山極 若い頃はゴリラどころか、動物自体に特に思い入れはありませんでした。でも、いま思えば未知の世界を知りたいという気持ちがあって、小中学生時代は探検家に憧れていたな。なかでも『不思議の国のアリス』や『ドリトル先生』など動物と話ができるストーリーが好きでした。でも、しばらくそのことをすっかり忘れていましたね。
僕が中高生のときはベトナム戦争や高校、大学紛争の時代だから、本を読んだり映画を観たり大学の研究会に出入りしたりしながら、「人間って何だろう?」と考えていました。それでなんとなく煮詰まって、一度リセットしようと思って京都大学(以下、京大)に入ったんです。
◆ National Geographic Documentary | Mountain Gorilla | BBC Nat Geo Wild ◆
動画のURL: https://youtu.be/5asOQMYUnug
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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽 憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・
森のなかえ
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