世界に800頭ほどしかいないマウンテンゴリラ、ルワンダ共和国には約500頭が生息
1967年にダイアン・フォッシーが設立した「カリソケ研究所」はゴリラ研究で世界的中心のひとつ
映画「愛は霧のかなたに」や、自著『霧のなかのゴリラ』で世界中で認知される
設立から約半世紀がたつ今なお、D.フォッシーの情熱が受け継がれる
【この企画はWebナショジオ_“日本のエキスプローラ”/研究室にいって来た”を基調に編纂】
(文=川端裕人/写真=川端裕人 & イラスト・史料編纂=涯 如水)
◇◆ カリソケ研究所(08) / マウンテンゴリラ ダイアン・フォッシーの後継者たち ◆◇
◆ 第3回 マウンテンゴリラのストレス度チェック =2/2= ◆
人間が常に接触していること自体がゴリラの行動に与える影響も、長期的には無視できないとウィニーは考えている。たしかに、「観光ゴリラ」は一見、人を怖がらないけれど、さすがに少しは警戒していて、シルバーバックがモックアタック(攻撃の真似)をしてくることもあった。1日に1時間とはいえ、その間、群れは落ち着かないだろう。つまりストレス要因でありうる。
では、こういったことを理解するためにはどうするか。
大きく分けて、ふたつの手法を組み合わせた複合的な研究になる。
ひとつは、行動の観察。これは研究所の設立以来続いている継続的な研究で、フィールドの動物学として、基本中の基本といえる。ストレスと行動について考えるのだから、行動観察するのは必須だ。
そして、もう一つは──。
「糞を集めます」とウィニーは言った。
英語ではfecesというちょっとお堅い印象の言葉でいうのだが、どう表現しようと、つまりは、糞であり、うんちであり、クソである。
糞を拾い上げて、その中に含まれるホルモンを調べる。コルチコイドという、ストレスの指標になるホルモンがあって、それが平常値からどれだけ離れているか分かれば、その時の行動と、受けていると思われるストレスのレベルとを関連づけることができる。
研究計画としては非の打ち所がない。
ただ……、ウィニーの日々の研究生活を、ぼくはつい想像してしまうのだ。
「朝7時には、ゴリラの追跡をしてくれるルワンダ人のトラッカーたちと合流して、車で国立公園の境界近くまで移動します。先発隊のトラッカーが山に入ってくれて、群れを探しているんですが、発見までにかかる時間は日によりますね。30分で済むときもあれば1日歩いて結局見つからない時も。群れを見つけたら、追跡する時間は4時間と決まっているので、とにかく、特定の個体について観察して1分ごとに記録をとって、糞をしたら採集して……ゴリラは毎日20キログラム近く食べますから、排泄物もたくさんで、サンプルには困らないんです」
ちなみに、森の中にただ糞が落ちていてもそれは採集しない。あくまで観察して「あいつの糞だ」と分かるものだけにしている。DNA鑑定で糞の主を特定しようと思えばできるが、それでも手続きが複雑になるのはなるべく避けるのが鉄則だ。
4時間の追跡を終えて、何個体かの糞のサンプルを研究所に持ち帰り、とりあえずは冷凍保存する。そして、順次、ホルモンを抽出する処理をして、提携しているアメリカのリンカーンパーク動物園に、また、寄生虫の検査のためにアトランタのエモリー大学へ送る準備を進める。事務室で行動観察記録をパソコンに打ち込む。そういう日々だ。山の奥にいる群れだと、そこに到達するまでに時間がかかり、帰ってくるにも時間がかかる。すべての仕事を終えるのが深夜になることもある。
カリソケ研究所内の「ラボ」と呼ばれる部屋を見せてもらった。冷蔵庫の中には、ゴリラの糞が詰まったビニール袋がぎっしりと詰まっていた。
冷凍しているにもかかわらず、うっすらと、植物が発酵した実にゴリラらしい糞の匂いが漂ってきた。
「サンプルをとるのが楽なので、1週間で100から200サンプルくらいは集まるんです。もう7000サンプルは集めました。そのうち、4000サンプルは、ホルモンを抽出する処理を済ませました」
現在で数千の糞、たぶん最終的に万の単位の糞を扱ってはじめて結果が得られる、膨大にして泥臭い(ウンチ臭い)研究なのである。
現在のところは、リンカーンパーク動物園やエモリー大学での分析のための輸出許可待ち。そういう事務的な苦労も多い。無事に分析結果を手にすることが出来れば、行動記録と照合することで、ウィニーの研究は前に進む。それは、ゴリラを守るための基礎知識が蓄積されるということでもある。
明日“第4回 ゴリラにみる「イクメンの起源」”に続く・・・
■□参考資料: 野生マウンテンゴリラの国から (2/2) □■
第1日目は,火山群の中央に位置するサビーニョ山麓のサビーニョ群12人を見た。最初の出会いはブラックバック(背中の毛がまだ黒い若い男性)だった。竹に登って,しなった幹を寄せ集めてベッドを作っていた。群れは,1人のシルバーバック(背中の白くなったおとなの男性)を中心に4人の女性がいて,それぞれ子どもをもっていた。
第2日目は,最南端のカリシンビ山麓のスサ群32人を見た。48人いた大きな群れが2009年に2つに分裂したそうだ。シルバーバックが3人いる。この群れには2組の双子がいた。ルブムという母親にはまだ生後3ヶ月の双子が付いていた。ゴリラの子どもは,もこもこの毛むくじゃら。前日同様,みな野生のセロリをむしゃむしゃ食べていた。
第3日目は,ピソケ山麓のクリャマ群14人を見た。ちょうど午前中の採食が終わって休んでいるところだった。立派な体格のシルバーバックが倒木の上に悠然としゃがみこみ,その横で,3人の子どもがくんずほぐれつ遊んでいた。チンパンジーでもよくするが,ぐるぐるまわって追いかける。やがて遊び飽きたのか,子どもたちはシルバーバックの毛づくろいを始めた。
ゴリラの家族を見て人間を思う
3日間を通して,マウンテンゴリラのすむ場所のようすは共通していた。人間の領域である耕地が,山裾からかなり高いところまでせりあがっている。畑の縁に高い石垣があり,そこから先が国立公園だ。ほどなく竹林になる。それを抜けると,ハゲニアと呼ばれる大木のある雲霧林だ。標高3000m近い。ところどころに緩傾斜の草地が広がり,セロリのような草本が生えている。
ゴリラの群れは家族そのものだ。大黒柱ともいえる,最も大きなシルバーバックという絶対的な父親がいて,そのまわりに安心して暮らす女子供がいる。チンパンジーを見慣れた目には,たいへん物静かに見える。ときおり「ンンー」という挨拶の声。けんかがない。大騒ぎをしない。道具を作らない,使わない。狩猟をしない。食物分配がない。群れ間での殺し合いもない。
人間の狂気に近いものをゴリラからは感じとれなかった。チンパンジーのほうが圧倒的に危ない雰囲気を漂わせている。人間はチンパンジーを殺すが,野生チンパンジーも人間の子を襲って殺すことがある。チンパンジーでは,血を見るほどのけんかをしては仲直り,それが日常茶飯事だ。
ゴリラ偵察の旅のあいだ雇っていた車の運転手は40歳台半ば,物静かな男性だった。最後に,昔のことを聞くと,案の定,27歳だった妻と父親を虐殺で亡くしていた。当時2歳の一人息子を育て上げた。
人間ほど残虐な生き物はいない。狂気のような暴力がある。一方で,宥和し,許す心がある。過去を忘れないことで今を生きる。今を未来につなげる。それはどこから来たのだろう。人間の「アウトグループ」(当該の外にいる者)としてのゴリラを見ながら,人間の由来について深く考えさせられた。
◆ [HD] Silverback Mountain Gorilla eating in the Volcanoes National Park in Rwanda ◆
動画のURL: https://youtu.be/Erg6e5FJnDk
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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽 憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・
森のなかえ
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