世界に800頭ほどしかいないマウンテンゴリラ、ルワンダ共和国には約500頭が生息
1967年にダイアン・フォッシーが設立した「カリソケ研究所」はゴリラ研究で世界的中心のひとつ
映画「愛は霧のかなたに」や、自著『霧のなかのゴリラ』で世界中で認知される
設立から約半世紀がたつ今なお、D.フォッシーの情熱が受け継がれる
【この企画はWebナショジオ_“日本のエキスプローラ”/研究室にいって来た”を基調に編纂】
(文=川端裕人/写真=川端裕人 & イラスト・史料編纂=涯 如水)
◇◆ カリソケ研究所(07) / マウンテンゴリラ ダイアン・フォッシーの後継者たち ◆◇
◆ 第3回 マウンテンゴリラのストレス度チェック =1/2= ◆
今のカリソケに常駐している研究者のうち、すでに博士号を取得し、博士研究員(いわゆるポスドク)として活動しているのが、旧東ドイツ出身のウィニー・アカートゥだ。
1988年にダイアン・フォッシーの生涯を描いた映画「愛は霧のかなたに」をみて、感激した記憶があるものの、自分がこの研究所にやってくるとは思ってもみなかったという。
「ダイアンと話したことはないけれど、今ここであとを引き継いだ仕事ができることをとてもうれしく思っています」と森さんと極めて似たことを、慕情と共に述べる。
彼女の霊長類研究ことはじめは、コートジボアールの「タイ(チンパンジーの研究拠点として有名)」で研究助手をつとめたこと。それをきっかけに、2004年から2007年にかけて、ルワンダ大学で教鞭を取りつつ、カリソケ研究所でゴリラの母親と子どもの相互行動の研究にとりくんだ。その成果で、2010年にイギリスのチェスター大学で学位を得た。
「学位論文のテーマは、ゴリラの母親の子育てへの”投資”にかんするものでした。子どもがオスの場合とメスの場合ではどれだけ子育てにかける労力が違うですとか、母親の群れの中の序列の違いでそれが変わってくるか、ですとか。」
と口で言うのは簡単だが、実は出産後の母親の行動面から「赤ちゃんへの投資」を測定するのはなかなか面倒で先行研究は多くないそうだ。ウィニーは授乳行動や乳離れの時期などに注目し、母親ゴリラの子育て戦略のパターンを読み解こうとして、なかなか面白い結果を得ている。現在投稿の準備が整いつつあるそうで、遠からずいくつかの専門誌に論文として掲載されるはずだ。
さて、なにはともあれ学位を得、ウィニーは、2011年6月、ふたたびカリソケ研究所に戻ってきた。
新しいテーマを思い切り簡単に言うと「ゴリラのストレスについて」。マウンテンゴリラを見守るカリソケ研究所にとって、まさに王道をいく研究だ。
「ルワンダのヴォルカン国立公園を含むヴィルンガ火山群のゴリラたちは、人間に取り囲まれて暮らしています。ダイアンが研究を始めた頃から倍くらい数は増えているんですが、絶滅が危惧されることに変わりないんです。人間がもとになるストレス、自然が与えるストレスに、ゴリラがどのような反応を示すのか、知っておくべきだと思うんです」
観光でトレッキングに参加するとあまりにも簡単にゴリラに出会えるものだから、「マウンテンゴリラは沢山いる」と錯覚を抱きがちかもしれない。事実ぼくもそんな気分になった。しかし実際のところ500頭あまりがごくごく狭い地域に住んでいるという事実は楽観できるものではない。
「2008年には、8頭が密猟者に殺されました。今年も国境地帯で同じ事が起こりました。いまだに密猟はあるんです。2010年には寒波の中で4頭が死にました。低体温症だったと考えられています。環境が少しでも悪くなれば、絶滅してもおかしくない水準から脱していないんです」
ちなみに「観光」も、ゴリラに与える影響が懸念されるストレス要因のひとつだ。
「全個体数の35%が毎日、観光客の訪問を受けてるんです。1年に365日、1週間に7日ですよ。例えば、感染症の心配があります。世界中から飛んでくる人たちと接触することで、ゴリラが免疫を持たない病気にさらされたり。ゴリラは人間と同じ病気にかかりますから。実際に、呼吸器感染症で死んだゴリラを調べたら、南アフリカで流行したウイルスが見つかった例があります。観光客が持ち込んだ、というのは間違いないとされているんです」
授乳の様子。観光客による撮影はやはりストレスになるだろう。筆者もレンズを向けた1人だが……。
そういえば、ゴリラトレッキングのために国立公園の敷地内に入る直前のブリーフィングでは、咳やくしゃみをする時には必ず口を腕の内側に抱き込むようにして、飛沫が散らないようにするべしと指導された。本当はマスクくらい配るべきなのかもしれない。
また、人間が常に接触していること自体がゴリラの行動に与える影響も、長期的には無視できないとウィニーは考えている。たしかに、「観光ゴリラ」は一見、人を怖がらないけれど、さすがに少しは警戒していて、シルバーバックがモックアタック(攻撃の真似)をしてくることもあった。1日に1時間とはいえ、その間、群れは落ち着かないだろう。つまりストレス要因でありうる。
では、こういったことを理解するためにはどうするか。
・・・・・・明日に続く・・・
■□参考資料: 野生マウンテンゴリラの国から (1/2) □■
ルワンダとジェノサイド
マウンテンゴリラを見にルワンダに行った。同行者は平田聡さん。これで2人とも,チンパンジー,ボノボ,ゴリラ,オランウータンと,ヒト科3属4種の大型類人猿すべてを野生で見たことになる。
四国と宮崎県をあわせたくらいの面積で,人口1100万人。人口密度が非常に高い。近年の発展は「アフリカの奇跡」と呼ばれている。しかし何と言っても,フツ族とツチ族の抗争とジェノサイド(大量虐殺)が記憶に新しい。
まず首都のジェノサイド博物館に行った。1994年4月10日に始まり,その後の3ヵ月で,約100万人のツチ族とそれに同情的なフツ族が殺害された。民族抗争に見えるが,要は植民地支配の影だと理解した。第一次世界大戦後にドイツからベルギーの支配下に入り,そこで個人識別カードが導入されて,フツ,ツチ,トゥワという3部族の峻別が始まったのだ。黒人に黒人を差別させて支配する植民地運営である。
博物館を出て,首都郊外ニャマタの虐殺記念教会を訪問した。約4000名のツチ族が避難した場所だ。手りゅう弾が投げ込まれ,銃弾が撃ち込まれ,生き残った者はマシェットと呼ばれる山刀や棍棒で撲殺された。周辺住民を合わせて犠牲者は1万800人にのぼるという。教会のベンチには,おびただしい数の衣服だけが置かれていた。レンガの壁に弾痕が残り,天井には貫通した穴が開いている。無数の頭骨と四肢骨が,隣地の地下に展示されていた。
虐殺という圧倒的な暴力に戦慄した。言葉がない。しかし,平穏な姿をした日常のほうにさらに深い恐怖をおぼえた。街ゆく人の多くが,その係累を亡くしているはずだ。街ゆく人のなかで,本人かその係累が人を殺めた。わずか17年前,阪神淡路大震災と同じころの出来事なのに,何もなかったかのように見える。
ビルンガ火山群のマウンテンゴリラ
ビルンガ火山群の野生マウンテンゴリラを見た。ウガンダのブウィンディ国立公園とあわせて,720個体しか残っていない。ゴリラツアーは,1日10パーティー,1パーティー8人に制限されている。1人1日1時間だけの観察で500ドルという高額である。現地スタッフがあらかじめ早朝から各群れを追っていて,ゴリラの居場所はわかっている。観光客は,鉄砲を携行したレンジャーと国立公園ガイドに付き添われ,彼らのいる場所をめざす。
◆ Meet This Family of Mountain Gorillas ◆
動画のURL: https://youtu.be/ODyB9i6bGwQ
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