『ナショナル ジオグラフィック』は直訳すれば「米国地理学雑誌」か
それなのに、ちっとも地理学誌らしくない記事を掲載 でも、そもそも地理学ってなんだろう
そんな疑問をたずさえて、世界で活躍する地理学研究者であると同時に
“ナショジオ”全巻の蔵書を誇り “ナショジオ”にまつわる展示会まで開催した堀信行
【この企画はWebナショジオ_“日本のエキスプローラ”/研究室にいって来た”を基調に編纂】
(文=川端裕人/写真=的野弘路、堀信行 & イラスト・史料編纂=涯 如水)
◇◆ 堀 信行(09) : 第四回 すべては地理学だった =3/3= ◆◇
実に含蓄のある言葉だ。地理学が持つ「統合する欲望」「トータルで理解する欲望」よりも、もっと前にあるこの世界をどこまでもあるがままに受け止めるポジティヴさを感じる。
120年にもわたって存続する「地理学雑誌」ナショジオの不思議から、日本のある地理学者の研究史を経て、ぐるりと一周すると、そんな領域にまで連れて行かれてしまった。
最後に、冒頭に紹介したWikipediaでの記述をもう一度見てみる。
それによれば地理学の中の自然地理学という大分野には、気候学、水文学、地形学など8領域が挙げられ、別の大分野、人文地理学には経済地理学、社会地理学、政治地理学、都市地理学など14領域が挙げられている。実際には、すべて独立しているというわけでなく、複数領域をまたぐ研究も多いだろう。
逆にここに挙げられたもの以外にも数多くの研究領域が構想できるだろう。こういったふうに考えると、堀さんが語ってくれたような「トータル」な地理学の印象はどうしても希薄になる。数少なくなった総合的な「地理学科」で、ザ・地理学者を自認する堀さんは、非常に珍しい例なのかもしれない。
しかし、ここから先はどうか。
空気のように存在感が希薄になってしまった総合的な地理学を復権するかもしれない新しい流れがすでに始まっているかもしれない。それは、GIS(地理情報システム)を用いた研究だ。コンピュータ上の地図に様々な情報を集積し、共有したり、分析したりできる。「地面」で起きている森羅万象を地図と関連づけて、他の要素と比較できるのだから、活用の仕方はそれこそ「なんでもあり」だ。
奈良大学の地理学科では、最近、「平城ニュータウンの今昔」という括りで、地形、植生、地質、開発、歴史、人口、交通、商業、犯罪の10テーマをGISを駆使して研究した(学生による平成23年度奈良大学博物館企画展示)。世界のサンゴ礁をテーマに同じことをしたら、まさに堀さん好みの「トータル」な一大研究になるのではないか。
GISは、目下、自治体が導入し、それぞれの部署で必要な情報を活用する例が増えている。防災関係では、ハザードマップや災害弱者である高齢者などの分布、避難所の位置などが即座に把握できるようになる。また、インフルエンザや麻疹など感染症の集団感染が起きた時には、保健所がリアルタイムで変動する状況を反映した感染地図を作り、小中学校の分布や交通網、病院の位置などを把握し、対策を練ることができる。
実際に「有事」の際、GISが非常に威力を発揮することは、阪神淡路大震災の時に実証済みだ。東日本大震災に際しても、奈良大学では地理学科の教員だけでなく学生が中心となって、 津波遡上域マッピング、津波流亡家屋マッピング、全国自治体の被災者受入状況調査などをいち早く手がけ、自治体にも活用された。
おそらくGISは、近未来、社会の情報インフラとしてとても重要な役割を果たすようになる(いや、すでにそうなっているという人もいるだろう)。あまりに幅広い潜在力を持つがゆえに、これまた「地理学」として認識されない空気のような存在になるかもしれないのだが、堀さんのような「統合への欲望」「トータルで理解する欲望」を抱く者にとって、これほど便利なツールはないことも間違いない。
GIS世代の新しい「ザ・地理学者」は登場するのだろうか。
堀さんの話を伺い、地理学科の学生さんたちがつくったまさに「地理っぽい」各種災害関連マップや「平城ニュータウン」の変遷を見つつ、そのような研究者の登場を期待してしまう。
次回は“日本ハンザキ研究所 栃本武良/激録・オオサンショウウオ夜間調査”に続く・・・・
■□参考資料: “地理学”の歴史俯瞰 (3/3) □■
また、この時代(大航海時代後の17~18世紀)の他の実績として、スネリウスによる三角測量の発明が挙げられる。また、学問の細分化が進み、自然科学が目覚ましく発展した時期でもある(ニュートンなどが現れたのも、この時期である)。こうした自然科学の発展とそれに伴う測定機器の発展は、後の地理学発展の下地になっていった。
一時期停滞していた地理学の歴史を動かしたのは、哲学者でもあるイマヌエル・カントである。彼はケーニヒスベルク大学で地理学を講じ、「地理学はそこに山があり、そこに川があるのを決して神の摂理とするのではなく、科学的に解明され得るものとしなくてはならない」と説いた。
しかし、このような精神で地理学を論ずるものは少なく、この時代の多くの地理書は、知らない土地の自然の不思議な現象を興味本位に書き立てたり、地理学とはおおよそ関係ないその土地の歴史や政治制度を記載してあったり、それを元にしたあまり正確ともいえない考察がされていたりしていた。
またこの時代は、地質学など近接分野にも目覚しい発展が見られ地理学に影響を与えたのも見逃せない。このように、地理学が近代学問としてその姿を見せるようになったのであるが、それを決めるのは19世紀のフンボルトとリッターという人物の出現を待たないくてはならない。また、地理学が近代的な姿になるのは、現代でいう自然地理学の分野によってである。人文地理学に光が当てられるのも、19世紀に入ってからである。
現在見られる地理学の内容の大半は、近代以降に作られた。この近代地理学の成立を促したものは、古代以来徐々に拡大し、大航海時代に世界中に拡大された世界観、あるいは各地の地理の知識のほかに、物理学や天文学、数学など自然科学の発達とそれに伴う観測機器の発達が挙げられる。
近代以前では、地誌のような知識は集積されても、それを科学的に分析・把握するという行為は、ワレニウスなどがその先見的な理論を提示しても、技術の未発達さからそれがしたくてもできようがなかったのであろう。したがって、地理学は現代から見れば地表空間の記述がその目的であり、それ以上の可能性を見出すのは難しかったのである。
現在では、地理学は環境問題やGISの検討など時代のニーズにあわせて多様化している。また経済学や社会学、気象学など近接学問分野なども、従来のディシプリン的な研究を超えた新しい領域の開拓などもが試みられており、地理学もこうした諸分野との提携も欠かすことができなくなってきた。しかし、こうした動きは地理学独自の見方や領域というものの意義について考える必要が大きくなってきたことも意味する。現在はそのような他の学問との連携や兼ね合いの部分で地理学はどのような主張ができるのか検討されている時期といえる。
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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽 憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・
森のなかえ
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