人と関わるロボットを作ろうと思ったら、見かけはどれだけ重要だとか
何をもって人を人らしいと認識するのかをまず研究しなくちゃいけないんじゃないか
そう考えて、自分自身を型にとり、自分そっくりのアンドロイドを作ってしまった
ATR石黒浩特別研究室 石黒 浩
【この企画はWebナショジオ_“日本のエキスプローラ”/研究室にいって来た”を基調に編纂】
(文=川端裕人/写真=的野弘路 & イラスト・史料編纂=涯 如水)
◇◆ 石黒 浩 : 第3回 自分とは何か 人とは何か =2/2= ◆◇
前にも書いた、疑問の答えもここにある。自分の娘や自分自身のコピーロボットを作ることに、ためらいもなく進んでいく突破力はまったく不思議ではない。
「人間と同じ大きさで、どれだけ人間らしい見かけが与えられるかって調べようと思ったら、型とるしかないでしょう。他人の娘の型を取って、怒られたら嫌じゃないですか。別に普通のことだと思うんですけどね」
ましてや、自分の型を取るのはもっと普通のことだ。
「だって、アンドロイドになって何がわかるかって、自分がなるのが一番わかりやすいでしょう」
うんうん、とぼくはうなずいた。石黒さんが語ると、非常に説得力があるのだ。
「研究者、要するに大学なんてのは、はっきり言えばモラルがないわけです。ていうか、新しいことにモラルも何もないわけでしょう。新しいことには、まだ善悪がついてないわけですから。でも、それを生み出すのが大学の研究者の役割で、研究者にしてみたら、善悪のつかないところに踏み出すっていうのは当たり前のことですよ」
もっとも、石黒さんのこういった意思表明はしばしば苛烈な局面を招く。研究はひとりで進めるものではないから、研究室のメンバーから違った反応が出てくることがある。
たとえば、娘さんのアンドロイドの次に女性のアンドロイドを開発した時、実は石黒さんは、自分の配偶者の型を、とも考えてたという。しかし、研究室メンバーが「いくらなんでも、先生の奥さんの体に似せたロボットを、あれこれいじれない」と主張したことで、アナウンサーの女性にしたという。
また、型を取られた娘さんは、自分の似姿であるアンドロイドに対面した時,自然な人間らしい動きが実現できていなかったので、非常に怖がり、「もうお父さんの学校には二度といかない」と拒絶感を示した。
さらに、石黒さん自身がモデルになったジェミノイドのプログラムを開発していた学生が「夢の中に毎日先生が出てくる」と訴えたことがある。石黒さんは、これは少し危ないかもと感じ、担当を別の学生に変えた。
善悪が確定していない分野に足を伸ばす時、頭では理解していても、どこかで既存の善悪の物差しを延長して、推し量るのは人間のごく普通の精神的営みだろう。
しかし、おそらく、こういった研究室のメンバーや娘さんの反応まで含めて、石黒さんにとって、「人間とは」という問いに迫る、ヒントになっているであろうことも間違いないのだった。
次回は“ロボットと類人猿”に続く・・・・
■□参考資料: 世界を仰天させたアンドロイド開発者・石黒浩 (2/3) □■ - MPS16(18ps)文字
苦しみ抜いてひとつの発見ができると、後は芋づる式につながる
僕が大学にいたころのロボット研究といえば、多くが「移動すること」と「ものをつかむこと」でした。でも視覚認識を研究していた僕は、違う考えをもっていました。ロボット自身が自分の目で見て判断すれば、ロボットをもっと賢くできると思ったんです。人は外からの情報の90%を見ることで得ていた。そこでカメラをロボットに付けることを考えました。
では、人はどうやって目で見て判断しているか。ただ見ているだけではダメなんですね。経験値を蓄積しているから判断できるんです。となると、ロボットが自分自身で経験し、情報を集められるようにしないといけない。自分で見て、判断して、認識できるようにしないと。機械の性能をよくしようとプログラムを書いているだけでは、実はダメなんです。コンピュータはコンピュータの形でいるのではなく、人間と同じように経験できる形が、学習できる形が必要になるんです。その意味で、コンピュータにとってロボットはとても重要だと僕は感じました。そして、ロボットを知ることは人間を知ることにつながると思ったんです。
では、この研究をどう進展させていくか。これが博士課程のテーマでしたが、突破口はなかなか見つからなかった。実は、僕は行き詰まると電車に乗るクセがありまして(笑)。博士論文のアイデアが浮かんだときも、阪急宝塚線を何度も往復していました。そして浮かんだのが、360度まわりを見渡す全方位視覚をもつロボットの研究だったんです。ロボットの能動視覚と全方位視覚の両方を研究している人は海外でもほとんどいなかった。そしてここから、「より人間らしさを作る」というテーマが生まれていくんです。苦しみ抜いてひとつの発見ができると、後は芋づる式にアイデアがつながっていきました。
今、学生に言っているのは、こういう方法論に到達できるような経験をすることです。苦しんで自分なりの方法論を作る。電車に乗る、ということではないですよ(笑)。自分独自の発想に到達することです。自分のスタイルが作れると、物事の見方がずいぶん大胆になれるんです。そしてトレーニングしていけば、今まで脳の中でまったく関係がないと思っていた情報が、関係づけられたりする。これは発想するうえで、とても役に立ちましたね。
◆ 「ザ・リーダー」12月31日(火) 放送 大阪大学 石黒 浩 教授 ◆
・・・https://youtu.be/zGXXEVvoWCM・・・
僕は人間を知りたい。そのためにアンドロイドを開発する
だから僕は、今までのロボット研究はある意味偏っていたと思っているんです。見かけの研究を誰もやっていなかった。ロボットを動かすのは技術者が担い、見た目はデザイナーが作る。一体、誰がそんなことを決めたのか。優れたデザイナーもいるかもしれませんが、彼らはそれを、科学的、技術的には説明しません。それで、見た目の研究を始めようと思ったわけですが、見た目は無限にある。そこで、まずは人間そっくりなものからスタートすることを考えた。だから、アンドロイドなんです。どれだけ人間に近づけるか。どれだけ人間らしくできるか。もっといえば、どこまでなら人間はその見た目を許容できるか……。人間型ロボットを作って、引き算して理想のロボットのデザインを作ればいい、と。
アンドロイドを開発する、と聞いてクレイジーだと思われることもあるようですが、僕にしてみればすごく自然なんです。研究の過程で、ごっそりと抜け落ちているものがあった。真剣に、信念をもって研究者をしていれば、躊躇なくそこに取り組むでしょう。まわりから何を言われたとしても。もし、余計な雑音に惑わされてやらないとすれば、職業研究者として甘えがあったと言われても仕方がない。実際、まわりからは反発の声はなかったですけどね。驚きはありましたが、むしろ「よくやった」という声がほとんどでした。
ただ、これは研究者の話。一般の人はその限りではない。特にキリスト教圏では。だから、最初にアンドロイドを発表したのは、国内ではなくイタリアでした。宗教の総本山に近いところを選んだ。結果は絶賛でした。実はイタリアには、人体解剖を世界で初めて行った大学もある。総本山だけに、「人間とは何か」という探求心に対して、すごく純粋なんです。「僕は人間を知りたい。そういう目的にやっている」と説明したら、ものすごく興味を持ってくれて、面白いからもっとやれ、と。ちゃんとした目的をもって研究していれば、反対される理由なんてないんです。 ・・・・・・明日に続く
◆ 知能ロボット学の石黒教授が、その研究で本当に追い求めているものとは ◆
・・・https://youtu.be/WNkprZUV8LE・・・
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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽 憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・
森のなかえ
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