人と関わるロボットを作ろうと思ったら、見かけはどれだけ重要だとか
何をもって人を人らしいと認識するのかをまず研究しなくちゃいけないんじゃないか
そう考えて、自分自身を型にとり、自分そっくりのアンドロイドを作ってしまった
ATR石黒浩特別研究室 石黒 浩
【この企画はWebナショジオ_“日本のエキスプローラ”/研究室にいって来た”を基調に編纂】
(文=川端裕人/写真=的野弘路 & イラスト・史料編纂=涯 如水)
◇◆ 石黒 浩 : 第3回 自分とは何か 人とは何か =1/2= ◆◇
石黒さんの研究室にジェミノイドというロボットを取材に来たはずなのだが、次第に石黒さん自身の研究に対する姿勢への興味が募ってきた。
どうやったら、これほど大胆な発想を、ガツンとインパクトのある形で世に問うことができるのだろう。最初は産業用のロボットに近いところから始め、次第に人間とは何かという哲学的にして普遍的な問いにとらわれるようになったのは、本人は「徐々に」と表現するとはいえ、何かに突き動かされて一直線、というふうにもみえる。だとすると、石黒さんを、突き動かしているものは何なのか。
そのようなことを切り出すと、石黒さんは思いの外、昔のことから説き起こした。
「そもそも、僕、何やりたいとか、何したいとか、まったくなかったんですよ。絵を描いたり、色んなことをやってましたけど。そんな中、ずーっとある疑問は、自分って何かとか、人って何かってことなんですよね。そういう疑問は、小さい頃考えるじゃないですか。僕は、それをそのままずーっと引きずってるんですよ。ただそれだけなんです」
多くの人はそういう問題に折り合いをつけて思春期を終えるのではないか。そんな疑問が湧いてくる。
「答えがない問題を通り抜けるってのは、要するにあきらめちゃうことなんですよね。僕はあきらめられないというか、わからないものはわからないままに残すので、今だってよくわかんないままです。研究者って、その、小さい頃の疑問に折り合いをつけないっていうのが大事なんだなと、逆に今、思いますね」
「自分とは何か」「人間とは何か」とよく分からない問いが元からあって、ロボット研究の世界に入っても、その部分に「徐々に」吸い寄せられてきた。それゆえ今の石黒さんの研究がある。ジェミノイドなど「自分とは」「人間とは」を問うのにもってこいの仕掛けだ。
もっとも、石黒さんが言う「徐々に」は、やはり傍目には非常に急速だ。
自分自身を追いつめるのが好きなんですよ。ほんと、めっちゃ追いつめるんです。誰だって、何かをすればちょびっとぐらい人の関心をひくけど、3日たったら忘れられるじゃないですか。それにまたぼくが死んだら、しばらくして教授のポストが空いて、喜ぶ人だって出てくる.人の命の価値とは何かって考えてしまいます.だから,自分の価値を見つけるために精いっぱい努力してない限り、安心できない。そうじゃない人に会うと,どうやって安心して生きているんだろうと,逆に思ったりします」
泳ぎ続けないと、呼吸困難になってしまう鮫のようだ、と同僚たちに言われると、石黒さんは言う。実にうなずける。
独特の世界観、研究観といってしまえばそれまで。しかし、筋が通っている。余分なものをそぎ落としたら、こういう表現になるのであろう。
・・・・・・明日に続く・・・・
■□参考資料: 世界を仰天させたアンドロイド開発者・石黒浩 (1/3) □■
自分そっくりのコピーロボットで世界を仰天させたアンドロイド開発者・石黒浩
常識破り、型破りの発想をもった“クレイジー”な技術者を紹介する第15回は、人間そっくりの動作と外観を持ったアンドロイドの開発者として知られる石黒浩氏。2006年7月には、遠隔操作可能な自分自身のコピーロボット「ジェミノイド」を開発、さらに世の中を驚かせた。世界が注目するロボット科学者の仕事観とは。(取材・文/上阪徹 総研スタッフ) 作成日:06.10.11
世の中で不思議なことは2つ
科学者を目指そうと思ったのは、大学生のときです。よくこういう取材だと、子どものころからロボットを作りたいという夢をもっていました、などというセリフを期待されますが、それは違うと僕は思っています。子どもの足りない知識で作りたいと言うのと、ちゃんと勉強してから作りたいというのは、まったく次元が違う話です。そもそも夢がそんなに簡単にかなえられるほど甘い世界ではない。
もちろん僕も小さいころから科学的なものには興味がありました。でも、本当は絵描きになりたかった。絵を描くのは楽しかった。しかも、ロジカルに絵を描くタイプでした。なぜここに線を引かないといけないのか。それを常に問う。結果、たどり着いたのは、自分は何を表現していきたいのか、ということでした。もっといえば、自分は一体何なのか、であり、人間とは何か、という興味です。
ただ、絵で生きていくことをなかなか決断できなくて、保険の意味で進んだのが大学(笑)。当時、関心があった計算機科学の学科があった日本で2つしかない大学のうちのひとつに入ったんですが、3年まではずっと絵を描いていました。でも、やっぱり天性のものが足りないことに気づいて、絵には見切りを付けたんです。
世の中で不思議なことは主に2つだと僕は思っています。ひとつは、物事の起源は何か。電子や分子の世界ですね。そしてもうひとつが、人間とは何か、です。こちらは人文系や認知科学の分野です。僕が興味をもったのは、後者。そしてこれが工学的にも挑むことができると教えてくれたのは、保険で進んだ大学でした。僕は、ロボットを作ることで、人間を知ることができると考えたんです。
◆ 人間ってなんだ? ロボット工学の石黒浩教授の問いかけがいつまでも響く ◆
・・・https://youtu.be/RLgz58NISFk・・・
普通の努力で人と違うものが出てくるわけがない
性格的にも会社員には向いていないと思っていました。しかし、研究者としてやっていくのは、ものすごい覚悟が必要でした。将来、それで食べていける保障はない。自分がどこまで通用するかもわからない。博士課程まで進んでも、博士号が取れなかったらお先真っ暗です。技術系の研究者ですから、結果を出さなければ助手にもなれない。いくら頑張っても結果を出さないとダメな世界。それこそ研究者の道は、路頭に迷う覚悟。死ぬ覚悟での選択だったんです。
ただ、自分の可能性を試すことが、人間の生きる意味だと僕は思っていました。ただ日々の暮らしをするだけなら、世の中に存在する価値はあるのかどうか。なぜ自分は生かされているのか。自分がやるべきことをやるためではないか、と。だから、難しい選択をあえてしようと思った。
博士号は取れましたが、偶然でしたね(笑)。研究なんて狙ってできるものじゃないんです。それこそノイローゼになるくらいに考えて、アイデアはようやく出る。僕は1年半、何のアイデアも出ませんでした。ところが、ある日突然、こんなふうに考えればいいんだとパッと浮かんで。苦しかった。いろいろ情報を集めて、必死で考え抜いて。でも、だから人と違ったことができるわけです。普通の努力で出てくるわけがない。努力がなければもちろんダメだけど、ただ単純に努力してもダメです。世の中の商品を作るのも、同じじゃないですか。こうすれば結果が出る、努力すれば報われる、というのは、すでに誰かが答えを知っている話を指示どおりにやっている場合に限ってのこと。そうじゃない挑戦をするからこそ、成功すれば大きな果実があるわけです。
僕はアイデアを考える自分が夢に出るくらいまで考えていました。つらいですよ、それは。でも、僕には持論があるんです。ずっと楽しいことばかりだったら、楽しいことなんてない、と。苦しいことがあるから、楽しいこともあるんです。そして苦しみが大きいほど、その後の成功も大きい。もちろん、生きる目的があって、が前提ですけどね。どれだけの広さの世界で、自分の存在価値を出したいか。それが広いのなら、苦しみに挑む価値はあると思う。 ・・・・・・明日に続く
◆ アンドロイド研究から解き明かす「人間とは何か?」~石黒浩×為末大 ◆
・・・https://youtu.be/WQkuSF2q_8I・・・
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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽 憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・
森のなかえ
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