カメルーン南東部のピグミー系狩猟採集民―研究しようと足を踏み入れた
目を奪われ、魅了されたのは、異質な独自の文化を持つ子どもたちの「遊び」だった
大人たちとは異質で豊かで深遠なる楽しい世界に、我知らず深入りしてしまった
愛知県立大学 アフリカ文化人類学 亀井伸孝
【この企画はWebナショジオ_“日本のエキスプローラ”/研究室にいって来た”を基調に編纂】
(文=川端裕人/写真=藤谷清美、(アフリカ=亀井伸孝) & イラスト・史料編纂=涯 如水)
◇◆ 亀井伸孝 : 第3回 弟子入りで世界は変わる =1/2= ◆◇
亀井さんは、なぜこんなふうに子どもたちに「弟子入り」できたのだろう。
もともと、コミュニケーション一般に興味があり、「人が好き」と公言する人物である。大学の修士時代にはニホンザル社会の研究をしていたのに、「サルはしゃべらない」からちょっと物足りないと、ヒトの研究へと方向転換した逸話もある。
さらに言うと、亀井さんは、狩猟採集民の子どもについての研究を始める前から、手話の話者であり、のちに手話研究にも手を染めた。こちらも、手話が単なる音声言語の代替ではなく、独立した言語であることを知ったことから、興味を持ち、手話で会話するろう者のコミュニティに「弟子入り」して学んだことから始まっている。難関で知られる手話通訳士の資格を持ち、また、アフリカの手話文化と手話言語圏についての研究も行っている。
やはり我々の社会の平均値からいって、かなり「コミュニケーション向き」のキャラだということは間違いない。
そんな亀井さんにしてみれば、アフリカの森の子どもたちに「弟子入り」するのは造作ないことであったろう、と思ったら、そうでもなかったようだ。
なにしろ、カメルーンの当該地域はフランス語圏だし、さらにバカの成人男性はフランス語を理解する人も多いものの、子どもは母語であるバカ語を話している。そこでの調査研究となると、ゼロから言葉を覚えなければ、ということになる。ぼくなら確実に途方に暮れるし、亀井さんにとっても簡単ではなかった。
「やっぱり、滞在期間の最初の半年ぐらいは、調査としてはあまりものにならなかったですね。むしろ現地で暮らして、言葉を覚えていって、準備期間のような感じでした。最初はフランス語とバカ語の両方できる大人の男性に家庭教師のように、給料を払って、机で真向かいに座って、語彙表を使って勉強しようとしていたんですよ。まるで、言語調査やるみたいに。後で振り返るとさっぱりそれでは身につかなかったです」
ちなみに、語彙表というのは、頭・目・鼻・口・首といった、どの言葉でもあるであろう単語を一通り網羅したもので、言語学系のフィールドワーカーが調査対象の言語と向き合う時、まず最初に使うものらしい。
なにはともあれ、亀井さんにしてみると、やや大げさで非効率的なアプローチから始めてしまったようなのである。
それでは、身につく効率的な方法とは……。
「最初は、やっぱり調査しなきゃ、データをとらなきゃっていう頭でっかちな調査者の発想でいたので、これはいけない、と。森のキャンプとかでプラプラしながら子ども達と一緒に戯れてると、むこうからいろいろ言ってくるんですね。魚が捕れたとか、カニが捕れたとか。そういうものの実物を見ながら、言葉を教えてもらったりして。そっちのほうがよっぽど身につきました。プライドを持っているとダメですね。自分は森も歩けないし、猟もできない。だから、教えてもらうんだ、と。謙虚な姿勢で入っていくと、相手の集落に負担をかけてるんだけど大目に見てもらえたり、手ほどきしてくれる──」
というわけで、「弟子入り」に秘訣などなく、まず先に弟子入りしてしまうにかぎる、ということらしい。
もっとも、亀井さんには武器があった。本人としては最初は自覚がなかったそうなのだが、後になってみると非常に有効だった手段。
それは、スケッチだ。
「湿気でカメラが壊れてしまったんですよ。首都までカメラを買いに行こうにも足がない。だからしばらくカメラなしの調査になったんです。ある時、子どもたちが夕食になるキャッサバの葉っぱを持ってきてくれたんです。へえっと思ってスケッチを描いてみたら、とたんに子どもたちが寄ってくるんです」
・・・・・・明日に続く・・・・
■□参考資料: バカ・ピグミー/彼らの生態と社会 (1/2) □■
環境と生態・
フィールドステーションの設置されているバカ集落は、カメルーンとコンゴ共和国の国境を流れるジャー川の北岸に位置している。標高は380m前後、年間降水量は1600~1800mm、平均気温は年間を通じて24~25℃である。季節は12月~2月の大乾季、3月~6月の小雨季、7月~8月の小乾季、9月~11月の大雨季に分かれる。バカの分布域は全体に、平原に川が葉脈状に谷を刻み、起伏を作り出している地形である。
もとは森林の中にキャンプを作り、移動性の高い生活を送っていたバカだが、1930年代以降、フランス植民地政府やキリスト教ミッションによって定住化が促され、またプランテンバナナ、カカオ等の農耕が定着したことにより、今では街道沿いに集落を作って住むようになっている。しかし彼らは乾季には大挙して森に入り、数ヵ月にわたって村から数キロないし数十キロメートル離れた場所で狩猟・漁撈にいそしむキャンプ生活(バカ語でモロンゴと呼ばれる)を送ることが多い。
たとえば、2000年にバカ集落に着いた私と北西功一さん(山口大)は、70人ほどいるはずのバカの人たちが、ほとんど集落に残っていないことを知って唖然とした。その年は森で、フェケ、通称「ブッシュ・マンゴー」、種子から油を取る)が大豊作で、バカはみな森のキャンプに入り、その採集にいそしんでいたのである。このように、彼らと森とのつながりはけっして切れたわけではない。
バカは焼畑農耕によってプランテンバナナ、トウモロコシ、キャッサバ、タロイモ、ピーナッツ、カカオなどを栽培しており、畑は農耕民に劣らず立派なものも多い。カカオ栽培は、彼らの主要な現金獲得源となっている。
ピグミー系狩猟採集民のほとんどは、近隣の農耕民との間に、肉あるいは労働力を提供し、その見返りに農作物をもらうという、いわゆる「共生的関係」を形作っていることが知られているが、バカにおいても、農耕民のカカオ栽培などを手伝い、賃金や食料、物品を手に入れることが重要な生計活動となっている。しかしそこには、ムブティやアカで報告されている、農耕民との固定的なパトロン--クライエント関係は存在せず、両者の関係は雇用--被雇用とでも言うべき、より対等なものである。
狩猟活動は盛んだが、弓矢猟・槍猟はあまりおこなわれず、ダイカーを対象とする跳ね罠猟の比重が高い。また、農耕民に借りた銃を用いた、主としてサル類を対象とする銃猟も盛んである。さらに、狩猟の熟練者「トゥーマ」を中心とした、ゾウを含む大型動物の狩猟もおこなわれている。
これらの獲物は自家消費されるほか、生のままあるいは干し肉の形で売られる。とくに最近は、木材伐採会社で働く人の食料としての肉の需要が増えているようである。蜂蜜採集は大乾季にさかんにおこなわれる。また女性は乾季の間、小川で掻い出し漁にいそしみ、ときには魚毒漁もおこなわれる。 ・・・・・・明日に続く
◆ Yelli - Baka women "yodellers" ◆
・・・https://youtu.be/cATZe_jlc9g・・・
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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽 憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・
森のなかえ
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