カメルーン南東部のピグミー系狩猟採集民―研究しようと足を踏み入れた
目を奪われ、魅了されたのは、異質な独自の文化を持つ子どもたちの「遊び」だった
大人たちとは異質で豊かで深遠なる楽しい世界に、我知らず深入りしてしまった
愛知県立大学 アフリカ文化人類学 亀井伸孝
【この企画はWebナショジオ_“日本のエキスプローラ”/研究室にいって来た”を基調に編纂】
(文=川端裕人/写真=藤谷清美、(アフリカ=亀井伸孝) & イラスト・史料編纂=涯 如水)
◇◆ 亀井伸孝 : 第3回 弟子入りで世界は変わる =2/2= ◆◇
なるほど、言葉は分からずとも、絵は世界共通だ。
亀井さんがいうスケッチとは別に芸術的である必要はなく、観察したものを書き留めておく自然科学的な、もっといえば博物学的なものだ。自分が特に大事と思う部分は詳しく描くし、そうでもなければラフでいい。また、必要に応じて文字情報も付け加える。想像だが、バカの子どもたちにとって、見た目にも新鮮に映ったのではないだろうか。
「それから、子どもたちがいろいろ物を持ってきて、「ノブウ、デデ」って言うようになりました。「デデ」っていうのは絵を描いてっていうお願いなんですね。それで、5分か10分ぐらいでバーッと描いて。同時に言葉も教えてもらって。カニは「カラ」っていうんですね。で、これは「おいしい」ってのは「ジョコ」ってふうに──」
言葉が不自由な初期段階は、このスケッチに随分助けられて学びつつ調査が進んだという。
もっとも、ある時、森で採集した蜂の巣を分配してもらって、スケッチに熱中していると、まわりはいつの間にか蜜の匂いにつられた蜂だらけになっていたそうだ。火をおこして煙で蜂を追い払うのに集落中大騒動になってしまったという。熱中もほどほどにということ。
そんな失敗もありつつ、スケッチには、言葉によらないコミュニケーションの他にも、さまざまな利点があると亀井さんは気づいた。亀井さんは文化人類学の世界に飛び込む前には、自然科学系の勉強をしていたわけで、生物学や地学で行われるスケッチの重要性は認識していた。それが、やはりこのような社会調査でも役に立つことを発見した。
具体的に言うなら、写真を撮るのでは目が行き届かない細部をしっかり捕らえ正確に理解できることなど。これは生物学や地学でのスケッチと同様。
一方、社会調査特有の利点として、調査対象との信頼関係(ラポール)の形成がある、という。先にも述べたように、絵を描くと受ける。さらに、子どもたちが次々と「デデ」とねだってきたように、調査を円滑に行うきっかけにもなった。
もっとも、描きためたスケッチ帳を繰りながら亀井さんが浮かべる表情を見ていると、研究うんぬんは抜きにして「思い出」として「記憶」として、写真よりも貴重なものに思えるのではないか、という気もしてくる。
とんでもなく私事になって恐縮なのだが、ぼくには3歳違いの子どもが2人いて、上の子が6歳になった時から、3年ごとに「ちょっと遠く」に子連れ旅をしてきた。1度目は6歳になった息子と2人で南米のフォークランド諸島へ。2度目は9歳になった息子と6歳になった娘と一緒にニュージーランド亜南極の島々へ、といったふうに。ぼくは写真を撮るのだが、子どもたちには必ず、スケッチを描かせた。正直にいって、今のぼくにとって、自分が撮った写真より、子どもたちのスケッチの方が宝物だ。将来、子どもたちもそう感じるようになるかもしれない。
ちょっと脱線が過ぎたか。
いずれにしても、亀井さんの「弟子入り」法は、ぼくたちの日々の生活を稔り豊かなものにするためにも、学ぶべき点がある気がしてならない。
興味があるコミュニティがあるなら、とにかくプライドなど捨てて「弟子入り」してしまうこと。
そして、アナログなスケッチなど(手話コミュニティなら、手話の他にジェスチャーや筆談も使えるだろう)、コミュニケーションツールを工夫して活用すること。
こんなことを念頭に置いておけば、「弟子入り」の道は、きっといろんな方面に拓けている。
次回は“夢は「世界遊びの大百科事典」”に続く・・・・
■□参考資料: バカ・ピグミー/彼らの生態と社会 (2/2) □■
社会構造
バカの社会には、「イェ ye」 と呼ばれる父系のクラン、「共通祖先が伝説となっている、規模の大きい出自集団」のことだが、バカの場合、共通祖先が認識されているわけではない)が存在する。イェは外婚的であるとされているが、それ以上の社会統合の機能はもたないようである。居住形態は、夫方居住婚の傾向が強いが、婚資労働のため、夫がしばらくの間妻方に住み込むということもしばしばある。
集落には「ココマ」と呼ばれる集落の代表者的な人物はいるが、強い政治的権力を持っているわけではない。大型動物の狩猟の名手トゥーマも、その権威が発揮されるのは、狩猟の場においてのみである。こういった意味で、バカ社会はあまり階層化のみられない社会であると言える。
定住集落間の人々の行き来はかなり頻繁で、森の中を歩いてしかたどり着けない、何十キロも離れた集落の間でも、「この間あそこから来た男に会った」などといった話はよく聞く。またバカの歌と踊りの集会「ベ」の分布調査では、近隣の農耕民よりもはるかに広いバカの居住域の中でも、メジャーな「ベ」は非常に分布していることが明らかになっている。このようなバカ文化の均質さは、人々の流動性によって支えられていると考えられる。
農耕民との関係
バカの分布域には、バクウェレ、バンガンドゥ、ボマン、ボンボン、コナベンベ、ンジメ、ンジェムといったバントゥー系・ウバンギアン系の農耕民が居住している。一般に狩猟採集民は、地域社会の中で他の民族集団に対して低い地位に押しやられていることが多い。バカは生業活動においては農耕民との差がなくなってきているのだが、両者の間にはいまだに明瞭な差異意識が存在する。農耕民はことあるごとに、バカたちに命令しようとする。農耕民の男性はバカの女性と結婚することができるが、バカの男性は農耕民の女性と結婚することはできない。
しかし、他のピグミー系狩猟採集民に比べれば、バカと農耕民の関係は、より対等に近づいていると言える。たとえば、バカは農耕民から肉を買うことがあるが、アカでの長い調査経験を持つ北西氏はそれを見て「アカでは絶対に見られないことだ」と驚いていた。またバカは農耕民に対してかなりの「敵愾心」を抱いているらしく、私に対しても、ことあるごとに「Kaka (農耕民)は悪い」「Kakaはわれわれを殴る」などと愚痴をこぼしていた。ピグミー系の人々の特徴である社会的態度の変幻自在さが、このようなところにあらわれていて興味深い。
◆ Mbuti Pygmies of the Rainforest ◆
・・・https://youtu.be/-X5cD6jd914・・・
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森のなかえ
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