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Channel: 【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》
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「人間は何処に…」新・人類進化の道 =B02=

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DNAを分析すると 生物の進化の歴史を辿れる 人間でも同じこと

人間の細胞にある「ミトコンドリアDNA」というモノを扱って

ミイラや古い人骨などからそのルーツを解明、「人間とは何か」を問う

国立科学博物館人類研究部研究グループ長 / 篠田 謙一

【この企画はWebナショジオ_【研究室】「研究室」に行ってみた を基調に編纂】

(文=川端裕人/写真=藤谷清美、& イラスト・史料編纂=涯 如水)

◇◆  篠田謙一(第一回) / インカ帝国の拡大はミイラのしわざ!? =2/2= ◆◇

 ちなみに、篠田さんの専門は、発掘された骨やミイラのミトコンドリアDNAを分析して人類史を解明することだ。アンデスのミイラだけでなく、様々な土地の人骨などを使い、人類の系統関係を解き明かしてきた。アフリカ大陸を出た人類がどのようなルートで世界中に広がっていったのか、研究からあぶり出される「大きな絵」はロマンにあふれている。でも、なにはともあれ、まずは「アンデスのミイラ」そのものの来歴について教えてもらおう。 

 「ミイラの起源というのは、別に作ろうと思って作ったわけじゃないはずなんですね。世界で最も乾燥していると言われるアタカマ砂漠では、おそらく、普通に埋葬するとミイラになっちゃうんです」

 と篠田さんは、なんだか身も蓋もない「ミイラの起源」を述べた。

 たしかに、滅多に雨の降らない砂漠で人が死ぬと、腐るよりも先に乾燥して、ミイラ化してしまうかもしれない。まったく合理的な説明だ。

 篠田さんは続ける。

「自然にミイラになるとしても、ある時期からそのミイラを少しずつ加工し始めるわけです。お腹にガスが溜まると切り開いてやるとか、内蔵をとって詰め物をするとか。有名なところでは、地上絵を作ったナスカの人たちも紀元前後になってミイラを作り始めています。さらに10世紀ぐらいになって、アンデスの山の方でも盛んにミイラをつくるようになる。しかも、体を布で包んだ上で、顔を描いた。たぶん個体識別のためなんですが。アンデス文明の中で一番最後に花開いたインカは、様々な文化の要素を複合して成立する中でミイラを受け入れたんだろうと思ってるわけです」

 南米史に明るくないぼくは、インカの人たちがどのようにミイラを「受け入れた」のか知って、衝撃を受けた。

「一番、特徴的なのは、インカの皇帝が亡くなったらみんなミイラになるんですよ。恐らく貴族もみんなそうだったと思うんですけど、皇帝のミイラをつくって、生前皇帝に仕えてた人たちは、今度はミイラに仕えるんですね。我々から見ると非常に奇妙なんですけど、皇帝が獲得した領土や財産は相続されないんです。そのまま、そのミイラになった前の皇帝が持っているわけです。仕える連中が、それで食べていくわけですね。そうすると、新しく王になった人は自分の領土を持たなければいけないので、まあ、戦争しに行くわけです。次々と領土を広げせざるを得なくなって、もしかすると、結果的にあれだけの大帝国になったのかもしれないんです」

 ミイラ文化が、インカ帝国の版図の拡大に直接的な形で影響していたかもしれない、というのには驚いた。ちなみに、インカ帝国を滅ぼしたスペイン人による記述によると12代の皇帝がミイラにされていたというが、確実なのは4代だという。それらも、スペイン人によって破壊され、今はない。もっとも、どこかに隠されていると信じて探す人は後を絶たないそうだが。

 いずれにもしても、ぼくとしては、アンデスのミイラをめぐる「衝撃の事実」を知った気分である。

 死後も、かしずかれ、着替えさせられたり、食事をさせられたり。晴れた日には輿(こし)に乗って市中を練り歩き、お互いに会うと、挨拶を交わす。「死後も生きている」ミイラというのは、想像を絶しており、それゆえ想像力をかき立てるのだった。

インカ帝国は「不死の国」だった!”につづく・・・・・・

◇ YAP遺伝子と日本にしか見られないD1b遺伝子 ◇

・・・https://youtu.be/1xuXyhceips・・・

動画再生不能の時は上記URL(⇑)をクリックしてください 

//////参考資料///////   

■□ 参考資料: 篠田謙一さんが語る、ミトコンドリアDNAでたどる人類の起源(2/5) □■

ミトコンドリアDNAをたどる。日本人最大のハプログループは「D」

さて、DNA分析でどんなことがわかるのか、ということの一つに、お酒の「強い人」「弱い人」があります。あなた自身はどうでしょうか? もしお酒に弱い人であれば、少なくともあなたの祖先のひとりが中国南部の出身であることがわかりますよ。

ALDH2という遺伝子があります。この遺伝子の正常型を持つ人はお酒に強く、変異型を持っている人はお酒に弱いとされます。アフリカやヨーロッパなどの地域ではほとんどの人が正常型を持つのですが、中国や日本などの極東アジアに目を向けると変異型の人が目立ってきます。

この場合、中国南部から遠ざかれば遠ざかるほど、この傾向が弱くなるように見えるため、正常型の遺伝子が突然変異を起こした(お酒に弱い人が生まれた)起源地が中国南部にあるのではないかと推定されています。

「日本人のルーツを探るのも基本的にはこのやり方と同じなんですよ」と篠田さん。

「ミトコンドリアDNAの種類によって日本人もいくつかのグループに分けられます。そのグループの分布図をもとに、私たちの祖先がどのようにして日本へやって来たかをたどるのです」

ミトコンドリアDNAとは、母方からのみ子どもに受け継がれる遺伝子のことです。さまざまな利点から分子人類学の研究に用いられてきました。このミトコンドリアDNAのタイプによって分けられるグループを「ハプログループ」と呼びます。

日本人のハプログループはだいたい16種類ほどあって(その他は別とします)、そのなかでも最大のハプログループは「D」と判明しました。さらに細かくD4、D5、D6と分けることもできるのですが、日本ではD4、D5の人たちが4割ほどを占めています。ハプログループDは中央アジアから東アジアにかけてもっとも優勢なグループであり、朝鮮半島や中国の東北集団でも3割から4割ほどを占めていることがわかりました。
また、日本人の7人に1人とされる第2の集団がハプログループ「B」。このグループは分布図や人口の多さなどから、およそ4万年前に中国の南部で誕生したということが推定されています。

篠田さん自身のハプログループは「N9a」と判明しました。「DNAのデータバンクを通じて、私も同じハプログループの人たちが現在どこにいるのだろうかと調べてみました。すると数は少ないのですが、東南アジアや漢民族にいることがわかったんです」

このハプログループN9aは、はるかヒマラヤ山脈の北を越えて、東アジアにやって来たのではないかと篠田さんは考えています。

明日に続く・・・・・

岩上安身による篠田謙一氏へのインタビュー ◆

・・・https://youtu.be/r_wWt6CrjcAo・・・

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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

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