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Channel: 【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》
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「人間は何処に…」新・人類進化の道 =A03=

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世界の人口は2050年までに90億人に達する

宇宙生物として火星移住を非望する人・「地球永住計画」を真意に考える人

霊長類【化石人類】を起点に現生人類が出現して唯一の残存種となる進化と絶滅の経緯

“地球に生き続けることを考える”について人類の研究史や関連事象について言及する

【この企画はWebナショジオ_「新・人類進化の道」を基調に編纂】

(文=ジェームズ・シュリーブ・ライター・ライター、編集者  イラスト・史料編纂=涯 如水)

◇◆ 人類の祖先「アルディ」が暮らしたエチオピア =3/7= ◆◇

100万年前 ホモ・エレクトゥス

 手早く昼食を済ませると、ブーリ半島の尾根からヘルト村の東へと斜面を下り、灰色の砂岩が露出する荒涼とした低地に降り立った。所々に小さな洞窟(どうくつ)や、柱状に浸食された岩が見える。ウォルディゲブリエルの説明によれば、ここの地層は断層運動によって隆起し、激しい風や雨で削られて、今のような風景が生まれたのだという。

 次の“窓”はこの地層にあった。ダカナハイロ、略して「ダカ層」と呼ばれる100万年前の地層だ。1997年12月末、大学院生のヘンリー・ギルバートがこの地層の砂岩から頭骨の頂部が出ているのを発見。その後、調査チームが詳しく発掘を進めると、ホモ・エレクトゥスの頭骨が埋もれていることが判明した。脳が収まる部分は完全な形で残っていたが、顔面の骨は失われていた。

 ホモ・エレクトゥスは初期人類のなかでは特によく知られ、1891年にインドネシアで初めて発見された化石がジャワ原人と呼ばれている。体の大きさと四肢のバランスは現代人とよく似ている。彼らの石器文化はアシュール文化と呼ばれ、左右対称の大きな握り斧(おの・ハンドアックス)が特徴だ。

 握り斧は各地の遺跡で出土している。ここダカ層で見つかったものは、黒い玄武岩の両面から石片をはぎとって鋭くしたもので、とがった先端部だけが欠けていた。ヘルトで見た石器よりも素朴なつくりだ。二足歩行に適した長い脚に加え、こうした道具を手にしたホモ・エレクトゥスは、さまざまな環境に適応できた。おそらく彼らは200万年近く前にアフリカを出た最初の人類で、その子孫ははるばる東南アジアまで進出したのだろう。

 ヘルトからダカまでわずかの距離を歩き、進化の歴史をさかのぼる間に、“人間らしさ”を形づくる要素がまた一つ脱落したことを確認できた。それは、数百立方センチ分の脳だ。ダカ層で見つかった頭骨の脳容積は1000立方センチ。ホモ・エレクトゥスとしては平均的な大きさだが、ヘルトの頭骨よりはるかに小さい。また、アワシュ川の対岸のボドで見つかった60万年前の頭骨と比べても、かなり小さい。

 それでもホモ・エレクトゥスは「それまでの人類と比較にならないほど地球上の広い範囲に進出した成功者」だとホワイトは言う。「エレクトゥスは、進化の大きな枝分かれの後、私たち現代人に連なる系統にある。それは、脳が大きく、道具を使うグループだ。ここからさらに時間をさかのぼると、大きな脳や道具の使用といった要素が脱落して、我々と大きくかけ離れた世界が見えてくる」

250万年前 “驚き”の猿人

 たった一歩進んだだけで、私たちはその見知らぬ世界に入り込んだ。100万年前のダカ層のすぐ下には、250万年前の紫がかった地層「ハタ層」が分布している。両者の間にあったはずの地層は、当時の地殻変動や浸食によって削りとられている。だから、この二つの地層の境界をまたぐだけで、一気に150万年分の時間をさかのぼれるというわけだ。

 1996年、調査チームは250万年前のアンテロープ、ウマなど哺乳類の化石骨をハタ層から掘り出した。それらの骨には、石器で切りつけた跡が残っていた。道具使用の跡としては最古級の痕跡だ。

 「アンテロープのあごの骨には、舌を切り取ったときについたとみられる跡があった」とホワイトは説明する。「つまり、ここにいた誰かが道具をつくっていたことはもちろん、道具で何をしたかもわかるということだ。“彼ら”は、大型の哺乳類の死体から栄養に富んだ部位を取り出して食べていた」

 その“彼ら”とは、誰だったのか。哺乳類の骨が見つかった地点の数メートル先で、一人の初期人類のものとみられる大腿骨(だいたいこつ)、いくつかの腕の骨、下あごの骨の破片が出土した。この化石は、大腿骨がかなり長い点ではホモ属に近いようだが、長い前腕という類人猿の特徴も備えていた。

 ここまでは、古人類学者の夢のシナリオのようだった。250万年前までに、初期人類は二つの系統に枝分かれしたと考えられている。一つはアウストラロピテクス属の系統で、根茎類や他の硬い食べ物をかみ砕くためにあごの筋肉と奥歯が発達していた。もう一つはホモ属で、奥歯は小さく、体格は華奢(きゃしゃ)になり、脚が長く、脳がしだいに大きくなって、現代人に至る系統だ。

・・・・・明日に続く・・・・

◇ Evolution of Human face in 6 million years in 2 minute ◇

・・・https://youtu.be/oQs1GPEmqrM・・・

動画再生不能の時は上記URL(⇑)をクリックしてください

//////参考資料//////

■□ 参考資料: 人類の進化 =後節= (3/7) □■

人類の祖先と思われる化石がアフリカで発見されたのはハクスリーやダーウィンの時代からしばらく後の1920年代であった。1925年にレイモンド・ダートアウストラロピテクス・アフリカヌスを記載した。模式標本は洞穴の中から発掘されたアウストラロピテクスの幼児で、タウングの名にちなんでタウング・チャイルドと呼ばれた。南アフリカ共和国にある発見地タウングの洞窟では、コンクリートの原料が採掘されていた。タウング・チャイルドの化石は非常に保存状態の良い頭蓋骨を保持しており、頭蓋腔を推定できた。脳は小さかったが(410cm3)、その形は洗練されており、チンパンジーやゴリラのものよりも現代人に似ていた。また、化石は短い犬歯を持っており、大後頭孔の位置は直立二足歩行の証拠であった。これらの特徴全てはタウングチャイルドが二足歩行の人類の祖先で、類人猿から人類に変わりつつある証拠であるとダートに確信させた。しかしダートの主張は彼の発見に類似したより多くの化石が見つかるまで軽視され、真剣に検討されるまでに20年かかった。

当時の主流な見解は二足歩行の前に脳の巨大化が起きたというものであり、現代人と同じような知性の発達が二足歩行の必要条件であると考えられていた。

アウストラロピテクスは現在、現生人類が属するヒト属の直接の祖先と考えられている。アウストラロピテクスとホモ・サピエンスは共にヒト亜族の一種である。しかし近年のデータは現生人類の直接の祖先としてアウストラロピテクス・アフリカヌスの位置に疑問を投げかける。彼らは進化的行き止まりの“従兄弟”であったかも知れない。アウストラロピテクスは当初、華奢なタイプと頑強なタイプに分類された。その後、頑強なアウストラロピテクスはパラントロプス属として分類し直されたが、一部の研究者はまだアウストラロピテクスの亜属と考えている。1930年に頑強なタイプが最初に記載されたとき、パラントロプス属が用いられた。1960年代に頑強な変種はアウストラロピテクスに加えられたが、近年では最初の分類どおり異なる属とする傾向がある。

明日に続く・・・・・

地球大進化「第03集 大海からの離脱」 ◆

・・・https://youtu.be/u3Qbycidc8g?list=PLfXD0Z1sfP2WLluOyetTuWEQhVdt3sBTR・・・

=上記本文中、変色文字(下線付き)のクリックにてウイキペディア解説表示=

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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

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