世界の人口は2050年までに90億人に達する
宇宙生物として火星移住を非望する人・「地球永住計画」を真意に考える人
霊長類【化石人類】を起点に現生人類が出現して唯一の残存種となる進化と絶滅の経緯
“地球に生き続けることを考える”について人類の研究史や関連事象について言及する
【この企画はWebナショジオ_「新・人類進化の道」を基調に編纂】
(文=ジェームズ・シュリーブ・ライター・ライター、編集者 イラスト・史料編纂=涯 如水)
◇◆ 人類の祖先「アルディ」が暮らしたエチオピア =2/7= ◆◇
歩いていると、鮮やかな色のトンボが足下にまとわりつくように飛んでくる。ここは化石の形成にはうってつけの場所だ。湖には野生動物が水や食料を求めて集まり、互いに襲ったり襲われたりする。死んだ動物の骨は堆積(たいせき)物に埋もれて風化を免れ、有機物はゆっくりと鉱物に置き換わって化石になる。
その日は、ブーリ半島と呼ばれる丘陵を横切って東に進み、アファール族の村、ヘルトに向かった。湖畔を離れて、低い灰色の砂丘を横切っていくと、ほどなくアファール族の少年と少女がヤギの群れを率いて近づいてきた。
アファール族は牧畜民で、銃を使うようになったことを除けば、今も500年前とほとんど変わらない生活をしている。のどかなヤギの鳴き声を聞きながら、酷暑の乾燥地帯を歩いていると、確かに一歩ずつ、過去へと時間をさかのぼっているような気がした。
遠くのほうに、草を葺(ふ)いた小屋と、灌木(かんぼく)でつくった囲いが見えてきた。「足下に注意してください」とアスフォーに言われて地面を見ると、辺り一面、小石まじりの砂の中に、カバの頭骨の破片が散らばっていることに気づいた。その近くには、長さ10センチ余りの涙形の石器がある。アファール族は石器をつくらないから、過去の人間のものだ。過去をのぞく最初の“窓”に到着した。
1997年11月、ヘルト村から200メートルほど離れたこの地点で、調査チームの一人が人類の頭骨の破片を見つけた。その下の砂には、完全な形をとどめた頭骨が埋まっていた。
化石の発掘と並行して、地質学者のウォルディゲブリエルが、近くの地層から黒曜石と軽石を集めた。これらは火山噴出物で、年代測定が可能なものが多い。ヘルト村近くで出土した頭骨は、こうした岩石の年代をもとに16万年から15万4000年前のものと推定された。
この推定年代は非常に大きな意味をもつ。世界各地の現代人のDNAを比較した遺伝学的な研究から、「アフリカ単一起源説」が長年唱えられてきた。現生人類はすべて、今から20万~10万年前にアフリカに誕生した共通の祖先の血を引いているという説だ。だが、この説の証拠となる化石はほとんど見つかっていなかった。ヘルトの化石はこの空白を埋めるものだった。
この化石は、まゆの部分が隆起した、顔の幅が広い男性の頭骨で、非常に古いホモ・サピエンスの骨とみられ、アフリカ単一起源説の証拠としては完璧なものだ。これまでに発見された最古のホモ・サピエンスの化石ではないかと、ホワイトは考えている。額が広く、頭頂部が丸みを帯びているほか、脳容積が現代人の平均よりも大きい1450立方センチもある。その一方で、長い顔と後頭部のいくつかの特徴は、アフリカの他の地域で見つかったさらに古いホモ属とのつながりも示唆している。
「ヘルト人についてわかっているのは、肉を好んだこと、特にカバを食べていたことだ」。ホワイトはカバの頭骨についた砂をブラシで払って見せてくれた。ヘルトで出土した哺乳類の骨の多くには、石器で切りつけた痕跡がある。だが、肉を食べていたとしても、狩りをして捕ったのか、他の動物の食べ残しをあさっていたのかはわからない。火を使った痕跡など、居住の跡も見つかっていない。そのため、彼らがどこに住んでいたかも謎だ。
脳の大きさから考えれば、ヘルトの男性はまさしく現代人と同じ“ヒト”だと言える。しかし、実際の行動には決定的な違いがあった。現代人にある重要な何かが欠けていたのだ。
ヘルトで見つかった石器は、まずまず高度な技術をうかがわせるが、その10万年前の石器や10万年後の石器と比べても、技術はあまり変わらない。アフリカの他の地域では、これより6万年後のものとみられる穴を開けたビーズが見つかっているが、ヘルトではそうした装飾品は出ていない。弓矢、金属加工品、農耕の跡など、その後に花開く高度な文化や技術の片鱗(へんりん)もない。たった16万年(進化の歴史では一瞬にすぎない)時間をさかのぼるだけで、“人間らしさ”を形づくる決定的な特徴の一つである技術革新の能力が脱落してしまうのだ。
とはいえ、ヘルトでは人類の複雑な行動の前触れとも言うべき痕跡も見つかっている。それは、抽象的な思考の萌芽とも言えるものだ。
成人男性の頭骨が見つかった数日後、アスフォーが推定6歳か7歳の子供の頭骨をヘルトで掘り出した。この頭骨には、遺体がまだ新しいうちにていねいに頭皮をそぎ落とした跡と思われる切り傷がついていた。頭骨の表面は無傷で、つるつるしていて、多くの人が繰り返し手にとったようだ。ひょっとすると、この頭骨は何世代にもわたって人から人へと大切に伝えられ、何らかの宗教的な儀式に使われていたのかもしれない。
・・・・・明日に続く・・・・
◇ 【人類誕生CG】370万年前の人類は虫を食べていた! ◇
・・・https://youtu.be/0jdcR8jr3d0?list=PLDPHugbMl1vGDdL_2Acex8iT6hEBYaDnN・・・
動画再生不能の時は上記URL(⇑)をクリックしてください
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■□ 参考資料: 人類の進化 =後節= (2/7) □■
古人類学の歴史
古人類学は化石、道具のような遺物、居住の痕跡などにもとづく古代の人類研究である。現代的な科学としての古人類学は、1856年のネアンデルタール人の発見から始まったが、初期の研究は1830年以来始まっていた。1859年までに現生人類と大型類人猿の形態的な類似性は議論されていたが、同年11月にチャールズ・ダーウィンが『種の起源』を著すまで「生物の進化」という概念は一般には正当化されなかった。ダーウィンの進化に関する最初の本は人類の進化についてはほとんど何も述べなかった。
「人類の起源と歴史に光が投げかけられるであろう。」
これがダーウィンが人類について述べた全てであった。それでも進化論の暗示は当時の読者にとって明らかだった。
トマス・ハクスリーとリチャード・オーウェンの論争は人類の進化に集中した。ハクスリーは1863年の著書『自然の中の人類の位置』で、類人猿と現生人類の多くの類似性と相違点について説得力を持って論じた。ダーウィンが『人間の由来と性選択』(1871)でその問題について論じる頃までにはその問題は広く知られ議論の的であった。
チャールズ・ライエルとアルフレッド・ウォレスのようなダーウィンの支持者の多くも、現生人類の象徴的な精神性と道徳的な感性が自然選択によって形作られたという考えを好まなかった。
カール・フォン・リンネの頃から類人猿と現生人類は非常に似ているように見えるために、科学者たちは類人猿は人類の最も近い親類かもしれないと考えていた。19世紀にはゴリラ、チンパンジー、オランウータンのいずれが現生人類にもっとも近縁か論争があった。ダーウィンはチンパンジーかゴリラと考え、人類の祖先の化石が見つかるとしたらアフリカだろうと予測した。
エルンスト・ヘッケルはオランウータンを人類にもっとも近縁と見なし、東南アジアから人類の祖先の化石が発見されるだろうと予測した。アフリカからは多くの化石人類が発掘された。一方ヘッケルの東南アジアの予測を信じたウジェーヌ・デュボワは東南アジアのインドネシアジャワ島トリニールでジャワ原人の化石を発見し、後にこれがヒト属のホモ・エレクトゥスの亜種であるホモ・エレクトス・エレクトスに分類されている。
明日に続く・・・・・
宇宙 地球大進化~46億年・人類への旅~ 第2集 全球凍結 ◆・・・https://youtu.be/F4dzyPWXB4Q?list=PLfXD0Z1sfP2WLluOyetTuWEQhVdt3sBTR・・・
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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽 憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・
森のなかえ
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