≡ 世界の人口は2050年までに90億人に達し、十分な食料を確保できるのか ≡
= あるところに本当のお姫様をお妃に迎え入れたいと考えていた王子様がいた =
- ある嵐の晩、雨でびしょぬれお姫様がお城にやってきた-
幾重にも重ねたエンドウ豆の敷布団寝に横たわり熟睡した彼女は本当のお姫さまと
ここに一つの未来図がある
【この企画はWebナショジオ_2014年4月~2014年12月期、35回記載に追記・補講した】
(文=Rebecca Rupp/訳=北村京子 イラスト・史料編纂:涯 如水)
◇◆ ルイ14世を魅了したエンドウマメの歴史 =1/2= ◆◇
アンデルセンの童話に、「エンドウ豆の上に寝たお姫さま」というお話がある。ある日、みすぼらしい娘が王子のいる城に現れ、自分はお姫さまだと主張する。娘にはその晩、布団を何層にも積み上げた寝床が用意されたが、朝になると娘の体にはたくさんのあざができていた。重ねられた布団の一番下に、一粒のエンドウマメが置かれていたためだ。これほど繊細な娘ならば、王子の花嫁にふさわしい本物のお姫さまに違いないと、城の人々は納得したという。
豆一粒であざなんて、と言うなかれ。その昔、エンドウマメはたいそう固かったのだ。
1万年前から食べていた
人類は少なくとも1万年前からエンドウマメを食べてきた。スイスの湖上住居跡や新石器時代の農村からは、エンドウマメを使った食事の残りが炭化した状態で発見されている。しかし、われわれの祖先が口にしていたエンドウマメは固いデンプン質の塊で、現代人の食卓に頻繁に登場するジューシーな豆とはまるで別物だった。昔の人々はエンドウをまるごと食べるのではなく、おそらくは焼いてからクリの実のように皮をむいたのではないかと考えられている。
中世においては、このエンドウマメを乾燥させて使うのが一般的だった。長く保存できるし、茹でれば農家の食卓の定番メニューである粥やスープができあがる。イングランドの料理人ロバート・メイが著した『熟練の料理人、あるいは料理の芸術と技能』(1660年)という本には、次のようなエンドウマメのスープの作り方も書かれている。
17世紀のイギリス風野菜スープ
できるだけ良質な古いエンドウマメを用意し、それをきれいな水で洗ってから茹で始め、煮立ったらあくを取り、そこに脂身を混ぜ入れたベーコンの塊を約2ポンド、ミントなどの香草1束を入れる。煮詰め過ぎない程度まで煮たら、ベーコンを薄く切って薄切りのパンの上に載せ、上から煮汁をかける。
上のスープのように、エンドウマメを「ミントの束」と一緒に煮るという手法が用いられるようになったのは、昔の品種に特有の、デンプンの多い淡白な味をごまかすためだったとも考えられる。とはいえ、甘みが強く風味のよい新品種が登場してからも、この調理法は長い間変わることはなかった。
グリーンピース登場
15世紀には、青く未熟な状態で食べるガーデンピー(日本でいうグリーンピース)が登場し、またたく間に上流階級の人々に好んで食べられるようになった。青いエンドウマメは、美食を極めたルイ14世の宮殿でも熱狂的な人気を博した。ルイ14世の愛人のひとり、マントノン夫人が1695年に書いた手紙にはこうある。
「エンドウマメについての話題は尽きることがありません。まずはそれを口にするまでのもどかしさ、それを食べた喜び、そしてもう一度食べたいという渇望。うちの王子たちはここ4日というもの、その3点についてずっと話し続けています」
王族や廷臣たちはどうやら、エンドウマメをソースに浸してから、鞘からチュルチュルと吸い出すようにして食べたらしい。マントノン夫人自身がエンドウマメについてどう思っていたかは定かではないが、ルイ14世はエンドウマメを食べ続けたせいでついには消化不良を起こし、お付きの医者たちから体を動かすためにビリヤードをするよう助言を受けたという。
次回に続く・・・
◇◆ エンドウ豆の上に寝たお姫さま ◆◇
・・・・・・ https://youtu.be/AaYkyItPBtQ ・・・・・
//////参考資料///////
■□ 参考資料:ルイ14世・人物伝 □■
ルイ14世は「官僚王」(Rois Bureaucratie)と呼ばれるほど非常に政務に精励な国王だった。その生活は規則正しく、サン=シモン公は『回想録』で「暦と時計があれば、遠く離れていても王が何をしているか言える」と述べている。身体強健であり、しばしば戦争に出陣した王の馬上姿は颯爽たるもので、自身も野戦攻城戦や閲兵式を好んだ。狩猟、祝祭そして恋愛といった何事にも精力的に打ち込み、一日中活動しても倦むことはなく、また他人にも同じことを強いた。
名誉心が強く、彼の回想録には臣下はもちろん先王たちの名もほとんど登場せず、業績のことごとくが自らのものであったの如く書かれており、その態度をある歴史家は「ファラオ的傲慢」と評した。回想録で国王と議会との妥協によって運営されるイギリス政治を批判し、「決定は頭首のみに帰属し、肢体の役目は命令を執行することに過ぎない」と述べている。
人々から賞賛されることを好み、臣下たちは競って阿諛追従した。臣下には宮廷に常に出仕することを強い、出仕を怠った者には不機嫌な表情で「余はそのような者は知らぬ」と冷たい言葉を投げかけ、逆に出仕と追従に努める者には高価な下賜品と栄典が与えられた。
婦人に対しては貴婦人から身分の低い洗濯女に対してまで礼儀正しく、自分から帽子に手をふれて会釈をした。細事にまで気を配り、兵卒の訓練や家事にまで関心を持ち、疑い深くスパイを用い他人の手紙を平然と開封した。
サン=シモン公は回想録で「ルイ14世は秩序と規律を望んだ」と述べ、フランス王家の伝統だった公式晩餐(グラン・クヴェール)を死去する直前まで欠かさずに行い、ルイ14世は宮殿での礼拝はもちろんのこと単なる起床や飲料といった宮廷生活の細事ことごとくを厳粛な儀式と化させ、礼儀作法を複雑にして人々にそれを課し、彼らの立ち振る舞いをがんじがらめにした。
ルイ14世の宮廷礼式の煩わしさを聞いたプロイセンのフリードリヒ2世は「(自分ならば)国王命令でもう一人国王をつくり彼にやらせるだろう」と言い、19世紀の批評家イポリット・テーヌはこのような常に人前にあらわれ、儀式づくめの国王の宮廷生活を「俳優の仕事である」と評している。
・・・・・・次回へ
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_ ツタンカーメンのえんどう豆 _
・・・・・・ https://youtu.be/do8AGv1IS_I ・・・・・・
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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽 憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・
森のなかえ
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