〇◎ “命のことを知らずして、命の大切さは理解できない” ◎〇
= 探検的調査を実践する “探検昆虫学者” 西田賢司 =
【この企画はWebナショジオ_“「コスタリカ 昆虫中心生活」” に追記・補講し、転載した】
☠ 中米コスタリカで新種の昆虫を見つけまくる男! 「バックマン」 ☠
曰く 『昆虫は、僕たちに自然の変化を教えてくれる一番身近な存在です』
◇◆ =064= ゾウムシの“鼻”はマジックバンド ◆◇
コスタリカは雨季の終盤にさしかかり、ようやく雨がたくさん降り始めた。外の湿度は90%。洗濯物が乾きにくい。でもやっぱり雨季はこうでないと。
さて今回もゾウムシのお話。前回は「鼻(口吻)」の主な使い方として、植物を掘って中身を食べたり、卵を産みつけたりすることを紹介したが、鼻の使い道はそれだけではない。それぞれに独自の使い方を持っているのである。
たとえば、上の写真。キクイサビゾウムシの一種のオスだが、よく見ると、鼻にブラシのような毛が生えている。裏から見るとこんな具合だ。
このようにびっしり毛が生えているのはオスだけ。メスの鼻は短く、ブラシはない。オスはこのブラシを何に使うのかというと、実はメスの体をなでる。
メスがヤシの倒木に産卵用の穴を鼻で掘っているとき、オスはメスの鼻から背中の翅にかけ、横から優しく鼻ブラシでなでて、求愛するそうだ。そこへ別のオスたちがメスと交尾しようとやって来ると、元からいたオスは長い鼻で下からすくいあげるように後から来たオスたちを投げ飛ばすのだ*。
ちなみに南米のアマゾンの先住民は、このゾウムシの幼虫を食べる。ヤシの木を切って、ゾウムシのメスが産卵できる場所を確保し、丸々と大きく太った幼虫を収穫し食べるのである。
*参考文献:Eberhard, W. G. 1983. Behavior of adult bottlebrush weevils (Rhinostomus barbirostris) (Coleoptera: Curculionidae). Revista Biología Tropical 31: 233-244.
ゆりかごを作るゾウムシ
子育てのためのゆりかごを作るゾウムシの仲間もいる。オトシブミだ。
作り手はメス。長い前脚と鼻とアゴで器用に葉を切り取り、しんなりさせてから筒状に折りたたんでいく。折りたたむ初めのほうで、筒に穴を開け産卵する。そうしてできたのが右のようなゆりかご。 幼虫は、このゆりかごの中で孵り、発酵したゆりかごの葉を食べて育つ。
そうしてこのゆりかごから出てきたのが(4匹も)、下の茶色と紫色を混ぜたようなメタリックカラーのオトシブミ。
マジックハンドをもつゾウムシ
お次は、マジックハンドのように長い鼻の先に、がっしりとしたアゴをもつゾウムシ。
これはミツギリゾウムシと呼ばれる仲間の一種。このグループの昆虫は、コスタリカに200種ほど生息していることがわかっている。特徴はすらっとまっすぐ伸びた触角で、下の写真もこの仲間。剣先のようにまっすぐ長く伸びた鼻をもつ種のオスは、その長い鼻を使って産卵中のメスを守るそうだ。
鼻のないゾウムシ
鼻がなく筒状のゾウムシもいる。
キクイムシの仲間だ。上の写真は、自ら掘った穴から「顔」が見えているところ。下の写真は穴から出てもらって、横から見たところ。
「顔」は平らで、伸びた鼻はない。立ち枯れした木の幹に円形の穴を開け、外に木クズを出しながら掘り進む。いわば、からだ全体が「掘るゾウムシの鼻」になった具合だ。キクイムシやナガキクイムシの仲間には、こうして作ったトンネル内に菌を植え付けて栽培する種が多くいて、増殖した菌を幼虫が食べて育つ。
外にも「個性が強めの」ゾウムシたちを紹介しよう。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 今週のピソちゃん ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
一頭のオスのピソちゃんが、家の横にある土手を掘り起こしていた。 前あしと、「ゾウムシのような長い鼻」で掘りほり・・・。 何か美味しい昆虫でも嗅ぎつけたのか? 鼻の先のどろんこが、お似合いだ♪
何をそんなに一生懸命に掘っているのか。 少~しずつ近づいていくことにした。 よほどの好物でもあるのか、ピソちゃんはチラチラとこちらを警戒しつつも掘るのをやめない。
ぼくは、さらに近づいて、とうとうピソちゃんのほぼ真上に! というところで、ついにピソちゃんは行ってしまった。 何をしようとしていたのかは、結局わからずじまい・・・。 何ごとも間合いが肝心かな(笑)。
動画: 掘り続ける」ピソ」ちゃん( https://youtu.be/IfqhvV5tNQ8 )
=参考資料・文献=
コスタリカの歴史概要・1/3
先コロンブス期
紀元前900年から紀元前300年頃の遺跡が確認されている。メソ・アメリカの一部であり、チブチャ系民族やナウアトル文化の交錯する地帯であった。13世紀までには神官を中心とする階級制社会が築かれていた。その後アステカ帝国に服属し、緩やかな支配を受ける形で中央アメリカと南アメリカの交易の仲介地点となった。また、カリブ人も定住していた。16世紀初め頃には約40万人の先住民が居住していたと推測されている。
スペイン植民地時代
1502年9月18日、クリストーバル・コロンがリモン湾付近に上陸し、ヨーロッパ人としてはじめてこの地に渡来した。1524年、征服者フランシスコ・エルナンデス・デ・コルドバにより、内陸部もスペインの支配下に入った。1538年にパナマ市のアウディエンシアの管轄下に置かれ、1542年にヌエバ・エスパーニャ副王領の下位行政組織だった、グアテマラ総督領の辺境の地として編入された。1564年に中央盆地にカルタゴが建設され、以降独立までコスタリカの政治と経済の中心となった。
征服の過程での疫病などにより、先住民人口は17世紀初頭には約1万人になり、労働力や金銀等の鉱物資源が足りなかったためにスペイン人入植者の数は少なく、コスタリカはスペイン植民地の最辺境の地として孤立した。カカオ・プランテーションが築かれ、時折海賊の襲撃があったものの、植民地時代に大きな変化はないまま時を過ごすことになる。また、時期は定かではないが、中央アメリカで最も早く19世紀初頭までには確実にコーヒーが持ち込まれていた。
・・・・・つづく
_ Costa Rica diving at Guanacaste Coast Pacific _
・・・・・・https://youtu.be/vKduIggPd38 ・・・・・・
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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽 憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・
森のなかえ
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