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Channel: 【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》
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未知なる深海へ 高井 研 =030=

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〇◎ “私が知りたいのは、地球の生命の限界です” ◎〇

= 海洋研究開発機構(JAMSTEC)及びナショナルジオグラフィック記載文より転載・補講 =

☠  青春を深海に掛けて=高井研=  ☠

ᴂ  第二話 JAMSTECへの道・前編  ᴂ 

◇◆ その4 アメリカ留学「ケンはなかなか面白いアイデアを持っている」 =2/3= ◆◇

ワシントン大学海洋学部は、言ってみれば世界の深海熱水研究の一大拠点だった。 海洋科学における20世紀最大の発見と言われる深海熱水活動の発見は、1977年から1979年にかけて、東太平洋の中央海嶺と呼ばれる、海洋プレート(地殻)ができる海底山脈の調査によってもたらされた。 このときの「栄光の研究」チームは、主にアメリカのスクリップス海洋研究所、ウッズホール海洋研究所、オレゴン州立大学、カリフォルニア大学の研究者達が中心であった。

この偉大な先達を深海熱水研究第1世代とするならば、その第1世代研究者の下で、大学院生やポスドク(Post Doctoral Fellow)として研究に青春を賭けた研究者達は、深海熱水研究第2世代と呼ぶことができる。 ボクが留学していた研究室のボス、ジョン・バロスは、この深海熱水研究第2世代の一人であり、そんな第2世代のスター達が集まっていたのがワシントン大学海洋学部だったのだ。

今思い出すと確かに、ワシントン大学海洋学部の建物の中ではいつも、深海熱水研究の超ホットな話題が飛び交っていた。ランチを食べながら行われるランチョンセミナーでは、調査を終えたばかりのホヤホヤの深海熱水のビデオ映像が紹介されていたり、海底火山の噴火の最新情報などが熱く語られていた。 そしてワシントン大学海洋学部は、アメリカ西海岸のオレゴン州からワシントン州、カナダ・ブリティッシュコロンビア州沖の、東太平洋にある中央海嶺に点在する深海熱水域を「我が領土」として研究を進めていた。

留学中のボクは、そうした幾つもの深海熱水域から分離された超好熱菌の生理学的多様性が、熱水の化学的特徴や立地条件と関連しているかどうかを調べる研究を任されていた。 しかし当時のボクは、「深海熱水の地質学的・化学的な違い? そんなんどうでもええわ!」的な考え方をしていた。 むしろ、自分が実験を進めている超好熱菌が低温(といっても50℃くらいの温度だが)に晒されたとき、冬眠寸前の状態にシフトする興味深い現象を見つけて、嬉々として実験に精を出していた。

超好熱菌の冬眠寸前現象が、「地球や海洋が冷却されてゆく過程で、超好熱菌から常温菌へ適応していった初期生命進化」を理解するモデルになる。と妄想を膨らませていた。 この研究妄想を、天才的ストーリーテラーのジョンに、「ケンはなかなか面白いアイデアを持っている」とミーティングで褒めてもらったことは、ボクのささやかな自慢だった。

それともうひとつ、ボクのささやかな自慢がある。留学を終えてから、いろいろな国際学会などで、ジョンと再会したとき、ジョンはいつも他の研究者に「オレが見てきた学生の中で、ケンは一番働く学生だった。 24時間営業してるんだよ。ケンには、絶対実験量では勝てないよ」と、半分褒めながら、そして半分バカにしながら紹介してくれた。

確かに、留学中あまり人付き合いがなかったので、ほぼ毎日朝5時まで実験していた。 実際は、昼間にかなりさぼっていたので、24時間働いていたわけではなかった。 しかし、今でもワシントン大学海洋学部の中では、「24時間戦える研究者」という武勇伝が伝わっているらしく、研究競争相手として恐れられているという話を聞くと、研究者としてはちょっとだけ誇らしい気持ちになる。 国際人としては、チョットいかがなものかとも思うが。

そんな苦しくも楽しい留学生活も残すところあとわずかになった1995年の3月下旬のことだった。 実験中のボクに、トム・ハンクスをプチ整形したような顔をした友人のジム・ホールデンが、ニューヨーク・タイムズを手にして、何やら興奮して近づいてきた。

「ケン、この記事を読んだか?」 ボクは毎日、住んでいたシェアハウスに置いてある「シアトル・タイムズ」のスポーツ欄と男女出会い伝言板欄しか読んでいなかったので、「なになに?」と記事を眺めた。

ニューヨーク・タイムズのそのページにはデカデカと「日本人がマリアナ海溝にフィッシュを見つけた」と言うタイトルと日本のJAMSTECの無人潜水ロボット「かいこう」がマリアナ海溝最深部の調査に成功したという記事が載っていた。 そして、その記事とは別に、「深海の開発競争でも日本にしてやられた」というような解説記事も掲載されていた(と言う記憶がある)。

=光の届かぬ海底世界に、」人類が求める宝が眠る=

6,000メートルの潜航能力があれば、海洋の97%は探査できる =1/2=

「今後も、深海は限られた人しか行けない場所だということを忘れることなく、パイロットを続けていきたい」と吉梅氏。パイロットを引退するのは「恐らく、薄暗いコックピットで計器の細かい文字が見えなくなったとき」だと笑いながら話してくれた。 続いて、「しんかい6500」を所有し、吉梅さんが所属するJAMSTECの歴史や目的、意義について、広報部の監物(けんもつ)うい子さんに話を伺った。JAMSTECの歴史は1971(昭和46)年、海洋技術の開発という産業界の悲願を受け、認可法人として前身である海洋科学技術センターの設立によって始まった。

監物 JAMSTECは「海洋国家である日本が海を知り、利用することを可能とする海洋科学、研究開発を推進する」という理念の下に設立されました。

設立当初、JAMSTECの活動は、深海高圧下で人が安全に作業できるような飽和潜水の技術開発からスタート。水圧が人体に及ぼす影響や、海中居住基地の居住性調査を目的とした「シートピア計画」などを推進した。「しんかい6500」につながる深海探査にまつわるプロジェクトは、1970年代中盤から計画された。

監物 一足飛びに6,000メートル級の有人潜水調査船を建造するのではなく、まずは2,000メートル級の調査船「しんかい2000」が建造されました。日本初の本格的な深海の有人潜水調査船として1981年に完成し、20年以上の長期にわたって第一線で活動しましたが、2002年に活動を休止しています。

その後、「しんかい2000」で得られたノウハウや、チタン製耐圧殻(たいあつこく)の製造をはじめとする技術の向上により、当初の目標であった6,000メートル級の有人潜水調査船として「しんかい6500」が完成、1990年から運用が開始された。

監物 目標水深が6,500メートルに設定された理由として、一つには、6,000メートルの潜航能力があれば、海洋のほぼ97%を探査できるという理由があります。もう一つが、世界有数の地震国である日本の地勢的要因です。巨大地震のメカニズム解明のためには、プレート同士がぶつかり合う海溝域、特に太平洋プレートにおける水深6,200〜6,300メートル部分を調べる必要がありました。

現在、JAMSTECでは、「しんかい6500」のほか、AUV(自律型無人探査機)と呼ばれる「うらしま」、「じんべい」、「ゆめいるか」、ROV(遠隔操作型無人探査機)の「かいこう」、「ハイパードルフィン」など、さまざまな研究機材を保有している。また、それらの機材を活用しながら、地震メカニズム解明のほか、並行して7つの分野で研究が進んでいる。

 

・・・・・・・・つづく・・・・・・・

動画 : 「しんかい6500」インド洋での着揚収の様子

  https://youtu.be/TZqcRs2mrtU  

=上記本文中、変色文字(下線付き)のクリックにてウイキペディア解説表示=

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