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Channel: 【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》
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未知なる深海へ 高井 研 =029=

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〇◎ “私が知りたいのは、地球の生命の限界です” ◎〇

= 海洋研究開発機構(JAMSTEC)及びナショナルジオグラフィック記載文より転載・補講 =

☠  青春を深海に掛けて=高井研=  ☠

ᴂ  第二話 JAMSTECへの道・前編  ᴂ 

◇◆ その4 アメリカ留学「ケンはなかなか面白いアイデアを持っている」 =1/3= ◆◇

前回まで:1992年。大学院生の高井研は初めて国際ワークショップに参加し、うちのめされ、そして誓った。「見てろよ。今は、誰も注目しないカスみたいな大学院生にすぎないけれど、今日この場にいたJAMSTECの、日本の、そして世界の研究者をあっと言わせる研究をしてやる・・・」

それからほぼ2年後、1994年、ボクはアメリカのシアトルにいた。

京都大学大学院農学研究科博士課程に進んだボクは、とてもイロイロ紆余曲折はあったけれど・・・、石田先生の思惑に始まった留学を実現させた。博士課程の研究をワシントン州立ワシントン大学海洋学部のジョン・バロス教授に指導してもらうという名目で、1年間留学したのだった。

ボクにとって、生まれて初めての海外旅行が留学だった。それはそれは、24歳のボクにとっての大きなイベントだった。笑っちゃうような話だが、行く前は、アメリカで銃犯罪かなにかに巻き込まれて、「日本の若者、アメリカで夢散る」みたいなことまで想像して、「生きて日本の地を踏むこともないかもしれぬ」と死地に赴くような気持ちだった。「大げさなー」というツッコミが聞こえてきそうだが、それくらいウブな若者だったということなんです。

ジョン・バロス、ジョン、は、イタリア人の父親とアメリカ人の母親を持つ、「シシリーマフィアのゴッドファーザー」のような、一見かなり怖い顔をした研究者だった。ボクが留学していたときは40代前半だったはずだが、もっと風格があったように感じる。口数が少なく、やや人見知りなところがあるが、実はスゴク愉快で優しい、そしてその優しさをテレながらにしか見せられない研究者だった。

そして何より、ボクはジョンの「研究の本質的な意味づけや、方向性に関するライティングの巧さ、そして物語や論理展開能力の凄まじさ」に衝撃を受けた。ジョンの研究室で行われていた研究やボクが留学しているときにやっていた研究は、実はあんまりたいしたものではなくて、むしろ京都大学の水産微生物学研究室の方が、はるかに研究環境や設備は整っていて、高度な研究をやっていたと思う。

しかし、そのたいしたことのないはずの研究が、彼の研究グラント(助成金)の申請書や論文になると、突然、まばゆいまでの輝きを放つのだ。

もう一つ、ボクが留学中に衝撃を受けたのが、アメリカの大学におけるIT化の先進性であった。ワシントン大学海洋学部の友人の学生達は、「電子メール」とやらを使っていた。ボクが留学に旅立つ1994年の春、京都大学の農学部では研究用の「パソコン通信アドレスの登録うんぬん」という話があったが、「オタクのやることよ」と言って小馬鹿にしていた記憶があるが、どうやら「電子メール」はとても便利なものらしいということを知って驚いた。

ボクはその時、付き合っていたミズーリ州の大学にいた彼女(現my wife)にほんの刹那電話で話すヨロコビと電話料金のクルシミのハザマで葛藤しながら、せっせとラブレターを書いていたというのに。

さらに、図書館には「メッドライン」という論文検索ツールが装備されたパソコンが整然と並んでいた。日本では、Current ContentsとChemical AbstractsとBiological Abstractsという冊子を一生懸命手作業で調べて、新規論文を探さないといけなかったのが、インターネットという便利なモノを使って、あっという間に探せるのだ。

それに関連して特に記憶に残っている出来事があった。友人のトム・ハンクス似の博士学生ジム・ホールデン(現マサチューセッツ大学准教授)が、「お前の日本の研究室って何の研究しているんだ?」と尋ねるので、「超好熱菌と赤潮プランクトンと貝毒だよ」と答えると、「ふふん、じゃあどんな論文が出ているか調べてやるよ。お前の指導教官の名前を言えよ」

で、コンピューターをカチカチやると「not found」とか言う文字が出た。ボクは「嘘だろ。じゃあ、XXXで検索してみて」

再び「not found」

機械がおかしいんじゃないかと思って、有名な研究者の名前で検索するとドーンと結果が出てきた。その時のジム・ホールデンの「ふーん、お前の研究室、大したことないね、ふふん。まあ、検索の仕方による部分が大きいけどね」という言葉は、ボクにとってショックだった。

ある意味、この経験が「アメリカ人になめられてたまるか」というボクのヘンな「アメリカ上等!」精神を形成するきっかけになったかもしれない。

そしてワシントン大学海洋学部を選んだボクだったけれど、ジツはワシントン大学海洋学部のことをよく知らずに留学していた。さらに言うと、この学部の凄さを知ったのは、ジツはボクがJAMSTECで働き始めて深海熱水の研究にのめり込むようになってからのことだった。 ワシントン大学海洋学部は、言ってみれば世界の深海熱水研究の一大拠点だった。

=光の届かぬ海底世界に、」人類が求める宝が眠る=

“特別なことはするな”。 パイロットとしての心構え(2/2)

吉梅 海の中では、当初の計画通りに進むことは、まずないと思っています。 既に潜航した後で、その場ではどうすることもできません。 いかなる場合も、限られた時間を有効に使うため、その場の最善策を考えるのもパイロットの仕事です。研究者にできるだけ多くの成果を持ち帰ってもらうには、パイロットが現実的な思考で冷静に対処しなければなりません。

 ――パイロットという立場から、吉梅さんが今後の「しんかい6500」に期待していることはありますか?

 吉梅 少しでも長く、海底に滞在できればと思います。現状、深海6,500メートル地点に到達するには、行き帰りだけで5時間かかります。海底での時間を増やすためには、コックピットを広くし、休憩スペースも必要ですが、そうなれば船体はどんどん巨大化していきます。

また、それだけ大きな潜水船が、強力な水圧に耐えられるかどうかという問題も発生してきます。一方で、今よりも深い海域で安全な調査を行うとなると、小型・軽量化の技術革新も実現していかなければなりません。

更に、機体性能よりも大事なことは、研究者の意向にどれだけ寄り添えるかです。これまでの改修も、研究者の希望を反映させてきたケースが多く、事実、次の改修ではパイロットを1人にして、研究者を2人乗せることを検討しています。1人での運航を可能とするために計器の配列などを変える必要はあるかもしれませんが、パイロットの習熟やマニュアルの整備など準備をして、来年から導入したいと考えています。

 「今後も、深海は限られた人しか行けない場所だということを忘れることなく、パイロットを続けていきたい」と吉梅氏。パイロットを引退するのは「恐らく、薄暗いコックピットで計器の細かい文字が見えなくなったとき」だと笑いながら話してくれた。

・・・・・・・・つづく・・・・・・・

動画 : 「しんかい6500」海底調査の1日

  https://youtu.be/nWzz3DzuFcw  

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