〇◎ “私が知りたいのは、地球の生命の限界です” ◎〇
= 海洋研究開発機構(JAMSTEC)及びナショナルジオグラフィック記載文より転載・補講 =
☠ 青春を深海に掛けて=高井研= ☠
ᴂ 第二話 JAMSTECへの道・前編 ᴂ
◇◆ その1 東京地検特捜部か、ノーベル賞か =2/3= ◆◇
その先生は、いかにも生物教師っぽくって、のどかな昼下がり、学校の生物実験室でホゲーッて感じで飼育生物の世話をしたり、テレテレと実験の準備をしたり、時間の進み方が他の教科の先生とは明らかに違っていた。
あの緩やかな時間の進み方は、ぜったい生物を扱う実験とか研究に由来するものだと思ったんだ。後でそれは、単なるあの先生の個人的人間性によるものだとわかったけれど、でもやっぱり「生物を扱う研究」というのは研究対象の生物に時間を合わせなければならない側面はあって、一般的な社会活動の時間とはズレてくるものなのだ。
「我、生物系研究者。故に我、朝苦手」。ゲノム(ヒトとかイヌとかウマとかの生物細胞内のすべてのDNA)研究の魔王と呼ばれるアメリカのベンター研究所のクレイグ・ベンターもそう言っている。ある国際学会で、クレイグ・ベンターは、自分のゲノムDNAの完全塩基配列を読んで、「夜型」遺伝子を見つけたと嬉々として話していたっけ。さすが「変人」と呼ばれるだけのことはある。
もう一つなりたいなと思っていたのは、東京地方検察庁特別捜査部、つまり東京地検特捜部、の検察官だった。
まあその理由は、若者にありがちなとっても青クサーイ正義感がもたらすものなので、恥ずかしくて告白したくないモノだが、要するにあの頃の大物政治家は(いつでもそうだけど)、みんなココロザシを忘れて、ナントカ疑惑でお金をガッポガッポ懐に入れていたわけだ。「巨大権力を牢屋にぶち込める」のは東京地検特捜部だけ、とボクは思っていた。その頃のスレていないボクは、「特捜部だって巨大権力じゃん。それに特捜の人間も牢屋にぶち込まれているYo・Ne」ということには残念ながら気付いていなかったのだ。
とにかく、幸運なことにどちらも合格した18歳のボクは、ある意味その時点で、人生の職業選択を迫られていたとも言える。
そして、明治生まれの教育ママだったおばあちゃんの悲願「ワタシの子供か孫の誰でもいいから、一族郎党の誰かが京大に入学を!」という希望や、「京大とソルボンヌ(パリ)大学に共通するアカデミアの空気感がサイコー」という、当時パリに行ったこともないはずなのに何故かパリ大学の空気感を知っていた我が母の謎の名言、に惑わされたのかそうでないのかわからないけれども、意外にあっさり京都大学農学部を選択したのだ。
もちろん「パリ大学の空気感」は知らなかったが、確かに京都大学のキャンパスや周辺の大学街の持つ「自由な学風と伝統に支えられたアカデミアの空気感」とやらを感じ、圧倒された(ような気がした)のは間違いなかった。そして、将来は「生物系の研究者になり、ノーベル賞をとる!」とすぐさま決意したのだ。
そんな短絡マル出しの過去を持つボクは、配属研究室を決めるにあたり、既に壮大な「ノーベル賞受賞への道」戦略を練り上げていた。「ノーベル賞をとる生物系の研究者になるためには、利根川進よ、分子生物学よ、そらそうよ」。(注:利根川進博士=日本人初であり唯一のノーベル医学・生理学賞受賞者。私が高校生のとき最も感銘を受けたニュース第2位にあたる。第1位は阪神タイガース日本一)
我が京都大学農学部水産学科で、分子生物学っぽい研究(つまりDNAと大腸菌を扱いそうな研究)をやっていたのは、水産微生物学研究室ぐらいしかなかった。それは3回生の専門課程の段階で、あっさりわかっていたので、ボクの進路は既に決まっていた。そしてその研究室の教授、助教授、助手に、研究室ドラフト「逆指名」していたのだった。
そんなドラフトを控えた2月のある日の夕方、学部生居室というタコ部屋の卓球台でへんちくりんなサーブを練習していると、意中の研究室である水産微生物学研究室の石田祐三郎教授がひょっこり顔を出した。
「おう、タカイ!オマエ、うちのラボに来るよな。ちょうどええトコにいた。今から教授室に来いや」
うちの学科の豪腕教授と噂される石田先生に呼び出しを食らって、ボクはかなりビビった。「さらわれて、どこか瀬戸内海あたりの研究所に売り飛ばされるんじゃないか」と若干おしっこをちびりそうになったのは秘密だ。
教授室に入ると、「オマエ、うちのラボに来るんやろうな。もう逃げられへんぞ!」と早速、一喝された。まるで悪徳金融業者のような見事な手管だ。
「オマエ、成績は・・・、ふーん、見かけによらず、まあまあ優秀やな。でも成績はどうでもええわ。オレはオマエの運動能力に惚れたんや。勝ちたいんや! これで今年から、研究室対抗ソフトボールも野球も安泰や」
そうなのである。ボクは小学校の時はプロ野球選手、中学校の時はプロテニスプレーヤー、高校の時はサッカー高校選手権国立競技場を目指していたほどスポーツ少年だった。運動が苦手な学生の多い京都大学では、かなり運動が「デキル」学生だったのだ。
=有人潜水調査艇・しんかい6500=
システム(1/2)
耐圧殻(たいあつこく)
1平方センチメートルあたり約680kgfという水圧がかかる深海で、3名の乗員が安全に調査活動を行えるように、そして繰返し何度も深海を往復できる高い信頼性を得るために、コックピットは内径2.0mの球(耐圧殻といいます)の中にあります。この球は軽くて丈夫なチタン合金でできています。高圧下の深海では僅かなゆがみも許されません。なので、この球の真球度は1.004、外径は僅か±2mm以下の製作精度で製造されています。
浮力材
有人潜水調査船は浮くように造られています。と言うと不思議な感じがしますが、これが軍用潜水艦と大きく異なる点です。「しんかい6500」をただ単に海に入れても絶対に沈みません。この浮くように造られた潜水船に「おもり(バラスト)」を積むことで潜航します。
空中での重さが約26tもあるこの潜水船を海中で浮くようにしているのが、浮力材(シンタクティックフォーム)です。これは、100ミクロン以下の中が空洞の小さなガラス球(ガラスマイクロバルーン)をエポキシ樹脂で固めたもので、深海の高圧環境に耐えうる強度と浮力を持ったこの浮力材が、潜水船の隙間という隙間にぎっしり組み込まれています。
マニピュレータ
耐圧殻内からパイロットが遠隔操作をするロボットハンドです。岩石の採取、柱状採泥器を用いた柱状コアの採取、採水器による熱水噴出口からの熱水の採取、各種ペイロードの操作等海底での作業になくてはならないものです。チタン製で軽量、高強度であり、マスター・スレーブ式油圧7軸制御なので操作性が良く、比較的容易に複雑な作業が行えます。
※可動する様子を写真でご覧いただけます。
覗き窓
有人潜水船の最大の特徴は「人が乗って直接海底を観察できる」ことであり、その特徴を担う重要な部品が覗き窓です。覗き窓は全部で3個装備されていて、乗員はこの窓から海底を見て潜水船を操縦したり調査作業を行ったりします。深海の高い水圧に耐える必要がある一方、水圧によって僅かに変形する耐圧殻に追従する柔軟性も不可欠なので、この覗き窓は厚さ138mmのメタクリル樹脂によってできています。
・・・・つづく・・・
動画 : “しんかい6500“ 耐圧殻内の改修工事の様子(360度動画)
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