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Channel: 【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》
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未知の世界へ 関野吉晴 =031=

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〇◎ 未知の世界へ飛び込んでいく関野吉晴 ◎〇

= ほぼ日刊イトイ新聞_2013-03-22-FRI “【グレートジャニー人類の旅】展開催時の対談”より転載・補講 =

☠ “人類の旅”に魅せられた関野の探求心はどこから来たのか  ☠

◇◆ 「やりたくて、できる最高のもの」をやろう 3/3 ◆◇

関野吉晴; そうそう。 ぼくの目的は「やること」ですから、「時間」がかかってもいいんです。 「やりたいこと」が一度でできなくても、ぼくはぜんぜん気にならなくて、つい、繰り返しちゃうんです。 やれるまで、やっちゃう。

糸井重里; きっと、どうしてダメだったかを考えて、やり直したりも、されるでしょうし。

関野吉晴; そうなんです。 そうやって、失敗しても気にせず成功するまで続けてたら、それは、成功するしかないですよね。

糸井重里; つまり「サドンデス」ですよね。 それは、ぼくもよくやっている「アプローチの方法」です。 
‥‥いまちょっと、その考えていきかたに「同時代の空気」を感じました。

関野吉晴; ああ。「同時代の空気」は、あるでしょうね。

糸井重里; つまり、ぼくらには、現代のような素晴らしいマニュアルはほとんど手に入らなかったじゃないですか。 でも、マニュアルが無かったからこそ、関野さんも、ぼくも、「できるまで、やってみる」という
アプローチを選ぶようになったのかな、と思ったんです。

‥‥ぼくは時代論は好きじゃないし、それが良かった、という話では、まったくないんですが、傾向として。

関野吉晴; マニュアルはなかったけど、そのぶんぼくは、「どんな人や、どんなものからでも学ぶことができる」という教えをもらった気がします。 誰からでも、何からでも。 生きていると学ばせてもらうことばっかりじゃないですか。

糸井重里; わかります。

関野吉晴; 旅の準備段階でも、している途中でも、出会う人みんなが「師」になってくれたし、究極を言えば、アマゾンぜんぶがぼくにとっての「師」になってくれました。

糸井重里; 「師」って結局「自分の体系」のことだから、自分が学ぶことができれば、なんでも、誰もが「師」になるんですよね。 逆に、こちらに学ぶ気がなければ、どんなにすごい人であろうと、「師」にはなり得ないですし。

関野吉晴; まあ、自分の来た道を振り返ると、なんでこんなにじたばたしたんだろう、とは、よく思うんですけど。  ‥‥ぼく、大学生を、14年やってて(笑)。

糸井重里; それは、「時間」をかけましたねえ。

関野吉晴; 無駄なことしたかな、とも思うんだけど。 でもね。

糸井重里; いや。そのじたばたした歴史が「グレートジャーニー」の関野さんを作ったのも事実でしょうし。

関野吉晴; きっと、そうなんですよね。

=糸井重里とAPUの今村正治さんとの対話から(関野さんのことばを抜粋)=

やりたいことをやっているだけ(1/3)

ぼくはよく、いろんな旅を「どう計画するんですか?」って言われることがあります。でも実際のところ、とくにプランニングしないんです。やりたいことが、頭に湧いてくるんです。そして、頭に湧いてきちゃったら、もう動かざるを得ないから、自分で止めようとしても動いちゃって、いつも、やりはじめながら実現方法を考えるんです。

南米最南端からアフリカまで行ったときも 「ええ? 10年もかけて 南米からアフリカまで行くの?」と、よくびっくりされていました。でも、実はぼくは大学に14年通っています。文科系の大学に8年行って追い出されて、次に医学部6年行きました。だから、ぼくを知ってる人たちからは
「こいつ学生14年やってるし、10年なんて短いよ」なんてよく言われていました。

8年大学に行ったあとで、さらに6年かけて医学部に行った理由は、アマゾンの人たちとの関係が理由です。

ぼくは40年アマゾンに通い続けてるんですが、最初に行きはじめた頃は、言葉通じる人と一緒に森に行って、「すいません。泊めてください」と泊めてもらっていました。さらに、彼らと同じものを食べたいから自分も食べものを持っているのですが、ずうずうしく、「食事も食べさせてください」としていたんです。そうやって説得して泊めてもらって、何度も通いながら家族付き合いになっていくことをやっていたんです。

ただ、そういうとき毎回ぼくは、「泊めてもらう代わりになんでもしますから」って言ってたんですけど、
実は、足手まといで何もできないんですね。そうこうするうちに大学を8年で出るわけですが、まだまだアマゾンに通いたいと思ったとき、研究者、ジャーナリスト、写真家‥‥と、職業の選択肢はたくさんあったんです。

でも当時のぼくの気分としては彼達と友達でいたくて、「医者になったら、この人たちの助けになれて、 友達でいられるかもな」と思いました。だから、そこから6年かけて医学部に通って医者になったんです。

ただ、医者になったらなったで 「西洋医学を持ち込んでいいのか」とか考えさせられる部分はたくさんありました。

とはいえ実際には、彼らにとってはどんな方法でも効けばいいんですね。彼ら自身の伝統医学もありますけど、日本人だって「腰が痛い」と言って、まず整形外科行って 「効かねえや」って整体に行ったり、鍼に行ったりするじゃないですか。あの感覚と同じなんです。

ただ、ぼくが診察して薬を処方していると、現地の医者がするっとやってきて同じ患者に向こうの祈ったりするような医学をぼくの目の前でやったりして、「それ、ぼくが消えてからやってくれよ」なんてこともありましたけど。(会場笑)

そんなふうにして、40年付き合ってきました。最初1歳だった子が、今では40歳になりました。

話がすこしもどりますけど、ぼくは、大学に14年行ったこととか、10年かけてアフリカまで旅したこととか、時間がかかることについては、まったく気にしないたちなんですね。

逆に今、大人が若者たちを1年単位とか、短い期間で評価するのはあまりいいことではないと思うんです。 ぼくも大学で教えているので、短期間で評価している面がないこともないのですが、1年とかの短い期間での評価になっちゃうと、失敗することができないから、みんな冒険もチャレンジもできないんです。

・・・・・つづく・・・・・

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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

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