〇◎ 未知の世界へ飛び込んでいく関野吉晴 ◎〇
= ほぼ日刊イトイ新聞_2013-03-22-FRI “【グレートジャニー人類の旅】展開催時の対談”より転載・補講 =
☠ “人類の旅”に魅せられた関野の探求心はどこから来たのか ☠◇◆ 「やりたくて、できる最高のもの」をやろう 2/3 ◆◇
糸井重里; 関野さんが、アマゾンへ行って、具体的に「これをやろう」とか思われていたことって、ありますか?
関野吉晴; ‥‥当時、冒険家の植村直己さんが、アマゾン川をいかだで下っていたんです。 ただ、それは、けっこう川の中流からだったので、「どうせなら、ぼくは 河口から一番遠いところから下ろう」と計画を立てて行きました。
糸井重里; 関野さんの発想は、基本的にスケールが、大きいですね(笑)。
関野吉晴; ぼくはいつも「自分がやりたくて、できる最高のもの」を「目標」に設定するんです。 もちろん、実際にやって、できなかったような場合には譲っていくこともありますが、 でも、できるかぎり譲らない。
糸井重里; できる最高のものを「目標」にして、譲らずやっていく。
関野吉晴; ええ。 それと「夢」ってあるでしょう? ぼく、自分がやれる可能性があることしかやろうと思わないから、いつも「夢」はなくて「目標」だけなんです。 ‥‥「夢」って、できないから「夢」なわけで。
糸井重里; ああ、そのお話、よくわかります。「夢」って、実現させる責任をとらずに言うものなんですよね。
関野吉晴; そうそう。だから、ぼく、「夢はなんですか?」とか聞かれても「夢はないんです」と答えてしまうんです。 実際、「目標」を考えるほうがたのしいですよね。
糸井重里; 関野さんがそういった「目標」に取り組むときの「定番のアプローチ法」のようなものって、ありますか?
関野吉晴; 「定番のアプローチ法」‥‥。 それでいえば、まず、ぼくはたぶん、特別な能力って持ってなくて、他人と比べたら、「体力」も「知力」もぜんぜん優れてないんですね。 そういうのは、とても「ふつう」なんです。
糸井重里; 関野さんも、ご本人の実感としては、「ふつう」の人。
関野吉晴; でも、ぼくには武器がひとつあって、それは「時間をかける」ことなんです。 やりたいことが一回で実現できなくても、ぼくは「時間」をかけてクリアするんです。
糸井重里; ああ、なるほど。 関野さんがもともと「グレートジャーニー」を「30年かかってもやっていた」
という話も、そうですね。
関野吉晴; そうそう。 ぼくの目的は「やること」ですから、「時間」がかかってもいいんです。 「やりたいこと」が一度でできなくても、ぼくはぜんぜん気にならなくて、つい、繰り返しちゃうんです。 やれるまで、やっちゃう。
=〝グレートジャニー“地球を歩いて気付いたこと / 講演会(2015-05-19-TUE)より=
日本に来た人々のルーツを辿ったら(4/4)
1年で終わる予定が、結局天候などの関係で1回で日本までたどり着くことができず、途中で2度ほど旅を中断することになりました。 ぜんぶで3年かかりました。 最初に旅を中断したとき、インドネシア人たちが周りから「ほら見ろ、行けなかったじゃないか」と馬鹿にされるんじゃないかということをずいぶん心配していました。
ところが実際にはみんなから 「え? フィリピンまで行ったのか。すごいな」 と言われたらしいんです。 それで、2回目以降もみんな「行きたい、行きたい」と同じメンバーが来てくれて、それ以降もいっしょに行けることになりました。
ただ、悲しいこともありました。 2011年の3月11日に地震があったときの直前、津波とは関係なく、事故でなのですがキャプテンの1人がインドネシアで亡くなりました。 だから3年目の航海ではすこしメンバーが変わりました。
また「方角は太陽の位置からわかるから」とコンパスは持っていかなかったのですが、彼らはイスラム教なので、全員ではないですが、朝と夕方、メッカに向かって礼拝します。 その方角がわからない、と彼らに嫌がられたりもしました。 また、年寄りを大切にする文化なので、日本の若い隊員が、年配のインドネシア人に向かってちょっと対等に小言を言ったりすると「馬鹿にされた」と何日も口をきいてくれないとか、そういったトラブルも、けっこうありました。
でも、こういう旅というのはたいてい、学術探検隊でさえも、旅が終わったら「二度と口をききたくない」なんて関係になるのに、みんな今でも付き合いをしています。 あと、おもしろかったのが、
この旅は、島の沿岸部をちょっと行って止まり、ちょっと行って止まり、進むんですね。 ただ、海峡を渡る時だけ時間をかけて海を越えなきゃいけないんで、そのときは時期を見計らって行くんです。 場合によっては、渡るための天候が来るまで延々と待ち続けることもあります。
そして、旅のさいご、台湾から西表島までの300キロの海峡を渡らなければいけなかったんですね。 旅の最後の難所です。 そして、このとき、台風が来ました。 だけどぼくらはこのとき、「東に向かってるから」ということで、台風を利用して進んだんです。 ボロ舟ですから、ちょっと荒れてるほうが走るんです。 (会場笑)
風速15メートルだと怖いんですけど、ちょうど南風10メートルで、メチャクチャ速かった。 まさに神風でした。 もっとかかるかと思っていたのに、さいご、すごくあっさり着いちゃいました。 南米からアフリカまでの旅の途中で難所のベーリング海峡を渡ったときも、天候に恵まれて、思いがけず早く渡れたことがあります。 こういう旅をしていると、そういうことがあるんですよね。
・・・・・つづく・・・・・
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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽 憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・
森のなかえ
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