〇◎ 未知の世界へ飛び込んでいく関野吉晴 ◎〇
= Webナショジオ_“北極探検 二つの物語”に転載・補講 =
☠ 関野吉晴の探求心はどこから来たのか ☠◇◆ 西表島が見えた!=前節= ◆◇
私は食いしん坊で、食べる夢を見ることが多い。自分では気がつかないのだが、寝ている時に、たびたび口をもぐもぐしているらしい。寝起きにたらっとよだれが垂れていて、恥ずかしい思いをする。
縄文号とパクール号は、台湾を出て西表島に向かっていた。初日の航海は夜を迎え、カヌーは星を頼りに順調に進んではいたが、私はというと、前夜に眠れなかったことも影響してひどい睡魔に襲われていた。ナビゲーターとして船尾に立ったまま、とうとう夢を見始めてしまった。
どうやら食べ物をあさる夢を見ていたらしく、私の目の前で舵を握るイルサンの頭や首筋、肩をまさぐっていた。イルサンも「なんだなんだ」と言って後ろを振り向く。「ちょっと寝たほうがいいんじゃないか」と言いながらも、私の奇妙な行動にニヤニヤしている。
私も完全に寝ているわけではない。朦朧としているだけで、食べ物を探しているらしいと言う自覚はある。「このまま寝てしまったらまずい」とも思っている。しかし瞼が垂れてくる。がくんと膝が折れて我に返り、一旦、ライチを取りに行って再び船尾の定位置に戻った。クルーのグスマンとダニエルはビニールシートを被って寝てしまっている。ナビゲーターは私一人なので、やはり寝るわけにはいかない。
イルサンの脱走騒ぎ
イルサンは、マンダール人クルーの中でも一番体格が大きく、力も強い。しかし、精神的には一番弱かった。ホームシックになり、鬱になることがあった。そうなると全くしゃべらなくなり、皆に背を向けたまま食事も一緒に食べようとしない。周囲も腫物を触わるように扱う。
イルサンは脱走を企てたこともあった。インドネシアからマレーシアへ国境を越える時のこと。手続きが終わってもなかなか出航しようとしないので、どうしたのかと思っていたら、どうやら脱走しようとしていたらしい。しかもキャプテンのグスマンも誘っていたのだ。他のマンダール人の説得で、ようやく彼らはとどまった。
躁状態の時のイルサンは元気がよく、よくしゃべる。しかしたびたび鬱の状態が続くので、1年目の航海が終わった後、グスマンら他のクルーから申し出があった。
「イルサンは感情の起伏が激しいので日本人にも迷惑をかけている。日本人に対して恥ずかしいし、私たちマンダール人も扱いにくい。そこで2年目の航海には彼を連れていくのをやめようと思うんだ」
しかし、マンダール人の口からは告げられないので、隊長の私に言ってくれというのだ。彼らは気が弱く、面と向かって相手が気分を害するようなことを言えないのだ。
私はこの申し出に、異を唱えた。4カ月間寝食を共にした仲間だ。それぞれのクルーに優れた面、よい面があるように、当然、悪い面もある。自分の悪い面を棚に上げて、イルサンだけを悪者扱いして締め出すのはまずいと思った。仲間ならば、仲間が調子悪い時は励ましたり、そっとしてあげたり、叱ったりして行くのが真の友情じゃないか。
そこでクルー全員で集まって、話し合いをしてもらった。その結果、「絶対に途中脱出をしないこと」を誓ったうえで、2年目の航海も参加してもらうことで全員の合意が得られた。
2年目、3年目の航海では多少の感情の起伏を表に出すことはあったが、皆が容認できる範囲だった。ホームシックになって帰ろうとも言わなかった。実は帰ろうと思っても、インドネシアからかなり離れて自分たちだけでは帰れないところまで来てしまったのだが。
大海を漂う1本の大木
話を、西表島への航海に戻そう。
夕方には既に台湾領を出ていたので、台湾国旗を外した。日本の国旗を揚げたかったが、持っていなかった。台湾で方々探したが見つからなかったのだ。しばらくは国旗なしでの航行となった。
荒れる海の中、縄文号はバウンドしながら進む。アウトリガーの前方がせりあがり、ドーンと海を叩きつけるように落ちる。木釘や天然樹脂で固定し、ラタン(籐)で縛ったカヌーは、常にきしみ、たわんでいる。アウトリガーが外れないかと心配になるが、まるで競泳のバタフライ選手のようにしなやかに力強くこれまで4000km以上を走ってきた。しぶとく、健気に走っている姿をいとおしく思う。
しぶきを上げて進むアウトリガーの周囲には、無数の夜光虫が騒いでいる。その緑がかった光は、一つ一つが踊るように輝いてすぐに消失する。次から次へと無尽蔵に湧いては消えていく。空の星と海の夜光虫という、光の競演を堪能しながら、何とか睡魔をこらえていたら、そのうち逆に目が冴えてきた。
フィリピンでも台湾でも、航海中は日本の大型貨物船や大型タンカーとよく出合った。彼らは私たちの小さなカヌーに気付くことはないだろう。キャプテンのグスマンは、肝試しをしているのではないだろうかと思うほど、大型船のかなり近くまで寄っていく。彼も長い経験でどこまでが安全かは把握しているので、大型船にぶつかることはないのだが、こんな時、自分たちのカヌーが大海を漂う木の葉のようなものだと感じる。
一方で、インドネシアを出て以来、このカヌーに対して私が抱いてきた感覚がある。それは、木の葉ではなく大木を、それに乗って日本に運んでいるという感覚である。
=補講・資料=
ウェイファインディング(その二;2/3)
ミクロネシアの技術
一つはミクロネシア連邦のカロリン諸島に存在する系統である。代表的な航法師としてマウ・ピアイルックが挙げられる(他にも優れた航法師は多数存在しているが、メディアへの登場という点でピアイルックは突出している)。この系統に特徴的な技術として、島影と天体の見え方の関係を利用する「エタク(etak)」、ある特定の航路上で必要となる知識の概要「ウォファヌ(wofanu)」を詠唱chantの形で記憶するなどの技法がある。後者はケネス・ブラウワーのエッセイ集『サタワル島へ 星の歌(A Song for Satawal)』で有名となり、英語ではしばしば「スター・ソング」と呼ばれるが、明確なメロディやハーモニーを備えた、西洋的な意味での歌唱singingというわけではない。
ピアイルックはカロリン諸島系の技術を応用して、ハワイ・タヒチ間やハワイ・グアム間などポリネシア海域での航海も成功させている他、ルイス・レッパンは沖縄島まで、ベルナルド・ガアヤンは小笠原父島までの航法を行うなど、ミクロネシア海域外での使用例も少なくない。
かつては数多くの流派が存在したとされているが、現在まで残るのはワリユング流とファルーク流の2系統である。前述のピアイルック他、ユルピイ、レパングラング、レパングナップ、ラプウィらの兄弟もワリユング流に属する。ワリユング流の発祥の地はチューク州のプンナップ島であるとされている。ワリユング流やファルーク流の航法術を一通り学び終えたと認定された航海者は、ポゥと呼ばれる儀式を済ませることで一人前と認められる。
域外ポリネシアの技術
メラネシアのソロモン諸島の離島、サンタ・クルス諸島のタウマコ島(Taumako)にも、古代からの航法技術が伝えられている。タウマコ島はメラネシア海域に存在しているが、ポリネシア系の先住民が生活する域外ポリネシア(Polynesian Outlier)である。この系統の技術は上記のミクロネシア系の技術よりも風を用いる割合が多い(この技術は「ウィンド・コンパス」と呼ばれている。ただし「ウィンド・コンパス」そのものはカロリン諸島の航法術にも存在する)。またミクロネシアでは女性に関わるタブーが存在するが、タウマコにおいては航法技術は男女ともが学びうるもので、過去には女性の航法師も存在していた。代表的な航法師としてパラマウントチーフ・クルソ・カヴェイアが挙げられる。この系統の航法術は、メラネシア系の住民との政治的な対立などもあって、後継者育成に困難を抱えており、消滅の危機に瀕しているといわれている。
・・・・・後節につづく・・・・・
=上記本文中、変色文字(下線付き)のクリックにてウイキペディア解説表示=
・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・
前節へ移行 : http://blog.goo.ne.jp/bothukemon/e/268c4828d1d8de406880f0ddae26a0e6
後節へ移行 : http://blog.goo._not-yet////
----------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい--------------
【壺公夢想;如水総覧】 :http://thubokou.wordpress.com
【浪漫孤鴻;時事自講】 :http://plaza.rakuten.co.jp/bogoda5445/
【疑心暗鬼;如水創作】 :http://bogoda.jugem.jp/
下線色違いの文字をクリックにて詳細説明が表示されます=ウィキペディア=に移行
================================================
・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽 憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・
森のなかえ
================================================