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Channel: 【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》
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未知の世界へ 関野吉晴 =007=

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〇◎ 未知の世界へ飛び込んでいく関野吉晴 ◎〇

= Webナショジオ_“北極探検 二つの物語”に転載・補講 =

☠ 関野吉晴の探求心はどこから来たのか ☠

◇◆ 出航は、逆風に弱い帆で =新節= ◆◇

 世界で最も静かだと言われるスールー海の夜、まだ空一面に星が輝き、そのど真ん中に天の川が帯となって、水平線まで連なっている。赤道に近いので、北斗七星と南十字星が一緒に見える。村のそばのサンゴ礁に錨をおろして停泊していると、パチャパチャと波がカヌーにぶつかる音が聞こえる。

 2009年7月、私たちはフィリピンの南西にあるスールー海にいた。4月13日にインドネシアのスラウェシ島を出航して3か月が経っていた。コンパスやGPS、海図を使わず、島影と星を頼りに、かつてこの海を渡った先人たちに思いを馳せての航海。当初の予定では4か月でゴールの石垣島に着く予定だったが、とても計画通りにはいきそうになかった。

 2隻の手造りカヌー、縄文号とパクール号のクルーは10人。うち日本人メンバーは4名。渡部純一郎はベーリング海峡や宗谷海峡、パタゴニアなどを一緒にカヤックで漕いだマルチ冒険家だ。佐藤洋平と前田次郎はともに武蔵野美術大学の卒業生。道具作り、カヌー造りを一緒にした後、クルーとして参加した。6名のマンダール人クルーたちはマグロ漁師で、出航地のランベあるいはその近くに住んでいる。年齢も宗教も異なるメンバーが、狭いカヌーの上で生活を共にしていた。

 午前4時起床、5時出発と決めていた。縄文号のキャプテンはできればもっと早く出発したいのだが、信仰深いパクール号のキャプテン、グスマンは5時前に礼拝を済ませてから出発したいと主張した。気候が安定している午前中にできるだけ距離を稼ごうということで全員の意見が一致していたので、グスマンの礼拝が終了次第出発しようということになったのだ。

あえて順風でしか進まない帆を張った

月明かりがあれば、水平線ははっきり見える。雲が海に映って、揺れる。星明りだけでは海と空の境界はあいまいだ。素焼きのコンロの上で薪を燃やして、湯を沸かす。湿った薪はなかなか火がつかない。ようやく火が付きコーヒーが飲めるようになるには30分以上かかる。

 船首は常に風の吹いてくる方向を向いている。その風は湿っていて、昼間の暑さが信じられないほど冷たいので、コーヒーをすすると身体が温まり、眠気も覚めてくる。

 午前5時近くに出発する。薪や水の調達のため、村の近くに錨をおろして停泊していたので、鶏がけたたましく鳴いている。野鳥たちの声も聞こえる。縄文号は後方あるいは斜め後方からの風、少なくとも横風でないと進まない。人類が最初に風を利用して船を進めることを考え付いた時、後方からの風を利用したはずだ。前方から吹く風に逆らって進めるまでにかなり時間がかかったと思う。

 私たちはそのことを承知の上で、あえて順風でしか進まない効率の悪い古い型の帆を作って張った。後方から吹いていれば帆を張る。無風の時と逆風ならばオールを握り、思い切り漕ぐ。漕ぎながら、風が変わる又はいい風が吹き始めるのをひたすら待つ。オールの軌跡に合わせて、黒い海に無数の夜光虫の蛍光色の光の点が走る。

=補講・資料=

スールー海

スールー海(Sulu Sea)は、東南アジアにある西太平洋の一海域。フィリピンの南西、マレーシアの北東に位置する。北西はパラワン島で南シナ海と、南東はスールー諸島セレベス海と隔てられている。南西はカリマンタン島、北東はビサヤ諸島。スールー海にはクーヨー諸島カガヤン諸島カガヤンデタウィタウィ島などの島がある。

近代以前から、島や国を超えて住民や交易船が行き来してきた。太平洋戦争では戦場になった。近年はイスラム過激派の移動ルートとして使われている可能性が浮上。このため2017年6月19日、フィリピンやマレーシアは、南のセレベス海に面するインドネシアのタラカンに三国の合同警備司令センターを設置し、テロリストなどを警戒する海空のパトロールを開始した]

スールー王国(スールー・スルタン国、Sultanate of Sulu)は、フィリピン諸島とボルネオ島の間に連なるスールー諸島るにかつて存在した国。スルタンを戴くイスラム教国で、1450年代に成立したが、資料によってはその成立時期はより早い。ムスリムの研究者の中には、さらに1世紀前のラジャ・バギンダ・アリ(Raja Baguinda Ali)の時代からスールー王国が存在したと見る者もいる。

ホロ島の都市ホロを都とするスールー王国は、アラビア語を公用語としたほか、マレー語や現地のタウスグ語・バンギギ語・バジャウ語などを使い、中国と東南アジア・西アジアを結ぶ海上交易の一端を担って栄え、最盛期にはスールー海の島の多くを支配した。東はンミンダナオ島の西部(サンボアンガ半島)、南はボルネオ島北部(現在のマレーシアのサバ州)、北はパラワン島までその支配は及んだ。スールー諸島やミンダナオ島西部といったかつての支配地域は、現在もムスリムの多く住む地域になっている。

1898年にスールー王国は米領フィリピンに併合された。最後のスールーのスルタンは1936年に没し、以後スルタンは即位していない。1823年から1936年までスルタンを出してきたのは王族のうちキラム家(Kiram)であるが、王国滅亡後は王家の複数の家系がスルタン位を主張しはじめ、現在、スルタン一族の間で継承順位を巡る論争が起きている。

・・・・・後節につづく・・・・・

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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

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