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Channel: 【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》
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未知の世界へ 関野吉晴 =004=

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〇◎ 未知の世界へ飛び込んでいく関野吉晴 ◎〇

= Webナショジオ_“北極探検 二つの物語”に転載・補講 =

☠ 関野吉晴の探求心はどこから来たのか ☠

◇◆ グレートジャーニーで「闇」の大切さを知る =後節= ◆◇

◎人類の旅を遡る大遠征へ

 人類がアフリカで誕生したということは間違いない。

 アフリカから出た人類も、最初はそれほど広範囲に居住圏を広げることはできなかった。人類はもともと熱帯あるいは亜熱帯性の動物だ。高緯度地方に進出することは極めて難しい。サルができなかった高緯度地方への進出を果たすには、寒冷に適応しなければならない。

 もちろん寒冷に適応するために住居、衣服を工夫しなければならなかった。それらを克服して極北に進出したのは、たかだか3万年前だと言われている。こうして極北のシベリアに進出した人々の一部が、大型動物を追いかけているうちに新大陸に移動したものと思われる。

 私はこの人類の旅を遡る大遠征のルートを、土地の先住民と交流しながら、自分の脚力(徒歩、スキー、自転車)、腕力(カヤック、カヌー)および自分で操作できればという条件付で動物(犬ゾリ、馬、トナカイゾリ、ラクダなど)の力を借りて、移動したいと思った。「大昔の人々が旅路で感じた暑さ、寒さ、風、匂い、埃、雨、雪に触れ、身体で感じながらゆっくりと進みたい」と思った。

 自分の足で這いずりまわり、自分の目で見て、自分の耳で聞き、自分の頭で考えたい。そして自然と人間との関係について考えたいと思った。

◎旅で見えてきた「闇のある文化」

 長く旅を続けていて、見えてきたことがある。熱帯雨林、極北、砂漠、高地など私たちが過酷な環境だと思っている場所で、私が付き合ってきた人々には闇がある。特に新月の前後で、厚い雲がかかっている時、自分の指先が見えない。漆黒の闇だ。

 こうした夜の闇こそが「恐れ」といった感覚とともに人間の想像力を生み、思想を鍛え、人の心をつなぎ、状況を動かす母胎となってきた。伝統社会の民話や神話は必ず、その社会が世界をどうとらえているかが描かれている。それらは闇の中で生まれたのではないか。人工の灯りが多い日本で漆黒の闇を経験するのは難しい。

 逆に満月の時はアンデスやアマゾン、砂漠などでは人工の灯りなしで、本が読めるし、旅もできる。決して誇張して言っているわけではなく、楽々と読めるのだ。都会で「今日の月の大きさを知っていますか」と聞いても、知っている人はほとんどいない。月の大きさ(月齢)など知らなくても日常生活は全く変わらないからだ。

 日本と南米を行き来していた私は、日本に旧暦があることは知っていたものの、世界中でこれほど多様な暦があることを知らなかった。その多くが月の大きさで決めている。2001年の9月11日、アメリカで同時多発テロがあった時、私はエチオピアのイスラム教徒アファールの家に泊めてもらっていた。なんとその日はエチオピア歴では元旦だった。

現代はIT社会になり、情報が氾濫している。情報の上でも暗闇がなくなったと言える。暗闇がなくなると、想像力が貧困になるように、情報があふれかえると、すべてが見えているようですべてが不確かなものとなった。情報は多いほどいいと思っていたが実は、情報過多によって、私たちは自分たちが将来どのようになるのか、どのように生きていけばいいのか読めない時代になってしまったと言える。

私たちは文明の恩恵を受けてきたが、負の側面も目立ち始めた。エネルギー、環境、人口、食糧などこれから様々な難問が待ち構えている。その解決策を考える時、闇を持った人たちの自然観、宇宙観、そして公平な社会を支える政策、ゴミの処理の仕方などから得られるヒントはたくさんある。グローバリゼーションによって、世界が均一化する中、闇のある伝統社会の探求はますます必要になると思う。

=補講・資料=

人類の誕生(2/2)

約150万年前になるとホモ属はさらに進化を遂げ、原人と呼ばれるようになる。1984年に原人の全身骨格がケニアで出土したのを期にこの時期の人類史の研究が大きく前進した。体格や身長、男女差などはこの時代の原人と我々現代人に大きな差異はないとされている。また、石器の利用もさらに進化しアシュール型と呼ばれる定型化した石器が誕生した。約100万年前には人為的なの利用を思わせる遺跡も東アフリカおよび南アフリカから出土している。道具の利用、火の利用と部分的にではあるが自然環境と闘う手段を手に入れた原人はやがてアフリカを離れ、ユーラシア大陸へと拡散し、その生息範囲を広げていった。

各地へ拡散した原人はその場の環境に適応すべく、それぞれが独特の進化を遂げていった。一方アフリカでは約50万年前までには一般的に旧人と呼ばれる古代型のホモ・サピエンスが誕生する。これらはアシュール型石器に加え、コンベーワ技法ルバロワ技法といった特殊な剥片や尖頭器を作成する技術を身につけていた。これらの石器を取り付けたの使用も認められるようになり、約20万年前までには中期旧石器時代へと移行したと考えられる。

中期旧石器時代には古代型のホモ・サピエンスからいわゆる新人と呼ばれる現代型のホモ・サピエンスへの移行が行われている。この移行方式については複数の説が提唱されており、「アフリカ起源説」とされるアフリカ大陸において古代型から現代型への移行が行われ、それが世界へ拡散していったとするものと、「同時移行説」とされる原人時代に拡散した古代型ホモ・サピエンスがそれぞれの地域で現代型のホモ・サピエンスへと進化したとするもの、あるいはその折衷説などがあり、激しい議論が行われている。

約10万年前に出現した現代型のホモ・サピエンスは体格だけでなく、質的にも現代人と相違ない文化を獲得していったとされる。ケニアでは約5万年前の地層からダチョウの卵殻を加工した装飾品が出土しており、現代型ホモ・サピエンスの特徴は後期旧石器時代に位置付けられるようになった。この特徴は約1万年前までには一部の砂漠地帯を除き、アフリカ大陸全土に分布されるようになった。

一方、寒冷期であるヴュルム氷期が終息に向かうにつれ、アフリカの気候は著しい変化を遂げ、人類の生活環境もそれに合わせて大きな変貌を遂げた。


・・・・・新節につづく・・・・・

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https://youtu.be/-mkUZ_7CT-s

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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

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