○◎ Great and Grand Japanese_Explorer ◎○
探検家になるために必要な資質は、臆病者であることです =植村直己=
= Webナショジオ_“河江肖剰-新たなピラミッド像を追って”より転載・補講 =
☠ 自分が主役になるよりは常にメンバーを影でサポートするような立場でいたい ☠
◇◆ 南極の夢 =2/4= ◇◆なんだか、一緒になって喜びたいような、卒直このうえない記述である。
しかし、私はこのような昂揚感もさることながら、もっと静かで、ある意味では平凡な記述のなかに現われる植村の視線に心打たれる。そして、そういう一節を読んだときこそ、南極大陸横断を実現させたかったという思いが、大波のように心中に起こるのである。日記は1月12日付、船はまだ南極の海を航行中だ。
《今日66度を越えて南極圏に入り、これより以南は太陽が沈まないのだ。夕食後、例によって映画を見た後、甲板に出てみると、夜中の12時を過ぎているというのに、日本の夏の6時頃のように明るい。太陽が地平線の上に大きく輝いているのだ。太陽は1時間たっても、まだ、水平線のうえをころげて落ちようとも、昇ろうともしない。
昨日もそうだったが、今日も夜中になって西の空は青空が少しのぞいており、そこから太陽が我々にこの素晴しい光景を見てもらわんと顔を出したのであった。残念なことに今日は太陽の光を受けとめ、はねかえす氷山がない。一面荒波の海であった。》
冒険家という以前の、植村の自然を見る目がここにはある。変ないい方だけれど、彼が冒険家であることからさえも自由であることを示しているようで、私は特別に心ひかれるのかもしれない。植村の登山家・冒険家としての出発点のいちばん底のところに、こういう目と心があった。
しかし、いっぽうで植村は南極横断の可能性を検討する視線を働かせつづけてもいる。
到着した1月14日、空軍中佐が親切に勧めてくれるのにしたがって、ヘリコプターの第一陣に乗せてもらった。上空から氷と雪の世界を一望できた。
内陸から氷河がせり出してきている。ヒマラヤの氷河にくらべても、さほど危険は感じられない。さらに内陸に向うと、棚氷の氷原がえんえんと広がっている。平らで氷の山ひとつない。「これだったら私は南極大陸横断は出来ると直感で感じとった」。
ヘリコプターは基地に着陸。雪上に降りて歩いてみると、雪がかたい。もぐらない。ヒマラヤの雪とそうかわらない、重そうなザラメ雪である。
植村はここでも、まちがいなく「出来る」と思った。
もちろん、初日の風景一瞥であり、氷雪の感触である。横断の困難が細かくチェックされたわけではない。しかし、こういう観察のなかに、私は植村らしさを自ずと感じてしまう。
一つは、自然を見るときに直観力(植村は直感と表記しているが)を頼りにしていること。そしてもう一つは、その直観力は、これまでの体験がいつも判断基準として働いていることである。氷河の姿も、足もとの雪質も、身をもって体験したヒマラヤのそれと比較されている。
植村は冒険家だから、第一に行動の人である。ただしその行動には、いつも体験の積み重ねが導いているところがあった。このような偵察旅行にこそ、植村の思考法がよく見えるといえるかもしれない。
植村はベルグラーノ基地に滞在中、さらにヘリコプターに乗せてもらうなどして、横断の可能性をさまざまな角度から検討した。
基地はフィルヒナー棚氷の末端にあり、ずっと平らな氷原がつづく。クレバス帯があるにはあるが、かつてアルゼンチン隊がウィーゼル車によって南極点まで行ったとき、そのクレバス帯を無事通過している。自分はウィーゼル車よりずっと軽い犬橇でやるのだから、より安全に通過できるはずだ。
これは1月17日付の記述によっているのだが、その日記にはさらに目を引くことがある。
植村は偵察にはアルゼンチン基地に入ったのだが、横断旅行の出発点は南極大陸の反対側にあるアメリカ基地にしたいと考えていた。旅の後半、南極点からこのベルグラーノ基地までは、背中に風を受ける追い風になるはずだから、橇に帆をあげることによって、橇を曳く犬たちの負担はずっと軽くなるはずだ云々。
これは後年、北極点グリーンランド単独行のとき、グリーンランドの氷床上で実際に橇に帆を立てて走った、その最初の思いつきである。注意すべきは、この72年の南極偵察行は、グリーンランドで犬橇の操縦を習得する前であるということだ。頭がくるくると回転し、ややせっかちに胸がふくらんできている感じがある。それはまた、南極の氷雪を実際に踏んでみて、「何か見れば見る程、自分の計画に対する自信がもててきた」ゆえの、喜びの表現だったのだろう。
1月18日、ベルグラーノ基地を離れる日、植村は偵察行の結論のように書いている。
《私の南極大陸の単独横断が、果して実現するかどうか? 自分の行動的には、これから訓練を行うことで、横断のテクニックの点では充分可能性はある。ここ5日間の滞在であったが、自分ではやれる自信を充分にもった。というより肌で確かめた。だがしかし、自分でいくらやれると思ったところで、私を助けてくれる人がいなくてはできないのだ。
アルゼンチン、アメリカの両基地である。アルゼンチンの方は、到達予定地であり協力は求められるが、アメリカの基地より出発に当り、私の物資を運んでもらわなくてはならないのだ。タイム・ライフ社の方でアメリカの基地使用に関し、ナショナル・サイエンス・ファウンデーションの方にPushしてやると言ってくれていたが、いったいどこまでやってくれるのか。》
=補講・資料=
動画資料: 『アンナプルナ南壁 -7,400mの男たち』 =クリック➡=上記本文中、変色文字(下線付き)のクリックにてウイキペディア解説表示=
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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽 憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・
森のなかえ
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