○◎ Great and Grand Japanese_Explorer ◎○
探検家になるために必要な資質は、臆病者であることです =植村直己=
= Webナショジオ_“河江肖剰-新たなピラミッド像を追って”より転載・補講 =
☠ 自分が主役になるよりは常にメンバーを影でサポートするような立場でいたい ☠
◇◆ 南極の夢 =1/4= ◇◆植村直己のいいようもない暗い顔をたしかに見たはずなのだけれど、確認できないままだ。1982年の12月、南極の一角、アルゼンチンのサンマルティン基地で、南極横断の支援ができなくなったと、アルゼンチン陸軍から告げられた後の植村の横顔。それがいいようもなく暗い表情だった。
毎日放送が取材で植村に同行していて、スタッフによって撮影された映像のはずなのだが、見たと思ったのは私の錯覚かもしれない。後で確めたところでは、植村が南極横断を今回はあきらめなければならなくなった経緯を無線で東京と話している映像はあったのだけれど、私が「見た」と思った暗い顔ではなかった。
私の錯覚なのかもしれない。83年3月に帰国した後、私の勤務先だった文藝春秋に訪ねてきてくれたときに、私が遠くから一瞥した表情を、いつのまにかテレビで見た場面と重ねあわせて、見たつもりでいるのかもしれない。断念した彼の横顔は、慰める言葉を失なうほど、暗く重かった。
82年2月から10カ月間、サンマルティン基地でいたずらに待機したのちの結果である。同年4月、アルゼンチンと英国の間でフォークランド戦争が勃発、戦争は6月半ばにいちおう終わったが、その余波によって植村支援が不可能になった、という話である。私は植村の無念はいかばかりかと思うしかなかった。なるほど、そういうことなのか、とやや疑わしいような思いもあったけれど、どうすることもできなかった。そして植村の暗い顔だけが脳裡に焼きついた。
たんに10カ月の待機時間ではない。
植村にとっては、抱いた夢の実現に向けての長い時の流れがあった。この連載の最初の章から折にふれて述べてきたことと多少重複があるかもしれないが、植村が「南極の夢」と呼んでいたことの、その軌跡をここでもう一度追ってみよう。
1972年1月14日、植村は初めて南極大陸を自分の目で見た。アルゼンチン海軍の船に乗船して、南極のアルゼンチン基地の一つであるベルグラーノ基地に到着したのである。その日の日記に彼は書いている――。
《マッキンリー登頂以来、この南極にかけてきたのだ。何一つ疑う心なくして。》
ここでいうマッキンリー登頂とは、70年8月の単独登頂のこと。同年5月、日本人としてエベレストに初登頂した余勢を借りるようにして北米最高峰にさっさと登頂し(8月26日)、五大陸最高峰登頂者になった。頂上に立ったときに、次の目標は南極の単独横断だと心に決めた。引用した2行は、そのことを指している。
私自身が植村の口から南極への夢を聞いたのは、70年の9月末、マッキンリー登頂後に帰国した植村が、東京の仙川の建設現場でアルバイトをしていたときだった。日時をはっきり覚えていないのだが、バラック建ての飯場のがらんとした広い畳の上に、彼は大きな南極地図を広げてその計画を語ったのだったが、山が専門だと思っていた男が唐突に南極大陸横断といったのに驚くばかりだった。結局は彼の夢のもちようを納得したのだったが、このときはほとんど何も書かれていない白い大陸のその白さだけが奇妙に心に残った。
しかし、南極への夢を抱いたのは、この「マッキンリー登頂後」というのも、わずかに曖昧さを残すのである。
植村は69年の冬、エベレスト越冬隊員として、ヒマラヤ高地のクムジュン村で越冬した。このとき、過去の世界放浪の日々を思いだし、将来の自分について思いをめぐらして、南極で何かできないだろうかと、幻のように心に浮かんだことがあった。それはなにげなく記録されているけれど、計画というほどの意思を示してはいない。一過性の幻のようなもの、だった。
しかし、ある時間が経った後に、幻が深く根を下ろした計画として、改めて姿を現わす。並はずれた粘着力をもつ、いかにも植村らしい発想のあり方であり、夢の生長の仕方でもあった。
1972年の初めての南極偵察日記は、全文活字化されている。雑誌「コヨーテ」の2009年6月発行、No.37に掲載された。1月5日から2月2日までの日付をもつこの日記は、30歳の植村の生き生きした心の弾みを伝えているが、格別に印象深いくだりを少しだけ拾い出してみよう。
まず、先に2行だけ書き出した所がふくまれている、ベルグラーノ基地到着の日、1月14日の記述。
《ちょっとのぞいてみるかと起き上がってベッドから下り、窓から顔を出して船先の方をみると、白い起伏のある線が青い空と接している。流氷の水平線ではない。
南極大陸だ。氷に覆われた南極大陸だ。確かに陸地の氷だ。太陽がさんさん輝いていてギラギラ光っている。
生まれて初めてみる南極大陸だ。いや俺はやってきた、遂にやってきた。神は私に南極の道を開けてくれたのだ。もう俺の心は宙に浮いたように、顔のしまりがなくなってしまった。ねむいどころではない。大陸だ。マッキンリー登頂以来、この南極にかけてきたのだ。何一つ疑う心なくして。
私はズボンとシャツをひっかけ、羽毛服を着て、部屋の外にとび出し、操縦室に上った。そして太陽にキラキラ光る方向に双眼鏡をすえてみると、見える、見える。波のない海面に落ち込んだ氷は次第に高くなって、ゆるやかな地平線をつくっている。
太陽はまさに今日初めて南極に入らんとしている私のために、さんさんと照ってくれているかのように、雲をはらいのけ、空は一面、濃紺の海をつくっている。》
=補講・資料=
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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽 憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・
森のなかえ
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