○◎ Great and Grand Japanese_Explorer ◎○
探検家になるために必要な資質は、臆病者であることです =植村直己=
= Webナショジオ_“河江肖剰-新たなピラミッド像を追って”より転載・補講 =
☠ 自分が主役になるよりは常にメンバーを影でサポートするような立場でいたい ☠
◇◆ 公子さんのこと・・・・・ =4/4= ◇◆植村の手紙の見本のような一通を、下に全文引用しておく。__《今日3月29日、グリーンランド最後の村シオラパルクを出て3日目。内陸の氷床を越えて海峡をわたるため、標高1000mの氷床の上で悪天にとざされている。昨日より氷床越えを始めたが、強い風の吹き抜けるところで内陸氷床は白く波立つ荒波のように、うねりをなし、なかなか前進できず。今日は一夜明けた天気は、荒れだし犬も吹き飛んでしまう強風が吹き、これから何日かかる〔か〕わからないカナダ旅の始まったばかりに、少しでも前進させようとテントをたたみ、犬を走らせたものの視界のきかない強風の犬橇は顔を凍てさせてもがけど、進めず、氷床で2日目の幕営。___テントの外は目も開けていられない地吹雪、犬はテントの前で風を背中に向け顔を腹わきにつっこみ、まるくなって死んだように身動き一つしない。シオラパルク滞在中、エスキモーに「トコナラヤカイ」(死ににゆくのか)とわが1人旅を心配された。 しかし、私には、どうしても1人でやらねばならなかった。テントが風にブンブンなりタイコの音のように鳴りひびいて、テントの中で、君の便りをくりかえし読んでいる。 3/29》__
これはまだ冒険の旅の日々を報告する手紙としては、穏やかなほうである。公子さんは旅先の植村に手紙を書き、手紙をもらい、東京で静かに生きていることで植村を強く支えていた。 そういう構図が伝わってくる。 冒険家の妻であることの辛さと喜びと、どちらが大きかったのだろう。
大冒険家は東京にいるとき、いつも陽気で明るくて、不器用で照れ屋で、つまりは極地やヒマラヤにいる彼の姿を想像できないほどだった。 また怒らない男だった。 いや、内心は怒っているのかもしれないが、それを人前にはけっして出さないようにした。 しかし、公子さんによると、家にいると月に一度ほど、生理みたいに怒りが爆発して、公子さんがその怒りの受けとめ役になってしまうのだった。
急いでつけ加えておくと、74年に結婚して84年にマッキンリーに行ったきりになるまでほぼ10年だけれど、実質的に2人が一緒に暮らしたのは半分の5、6年ということになる。
先にいった「コヨーテ」のインタビューで公子さんが語っているのだが、植村の定期便のような怒りは、ごくつまらないことからはじまる。 冷蔵庫のなかに残っていたはずのものがない、捨てたんだな、と怒る。 捨ててないというと、「どうして公子ちゃんそんな嘘つくの」と始まって、2、3日かそれ以上、怒りがつづいたようだ。
怒りがふっと収まると、植村はつきものが落ちたようにわれに返る。われに返って、こんどは公子さんに対し、真剣に、深刻に謝る。「それをさせたくない、謝らせたくないと思うから、怒らせないようにしようと思うんだけど、自分のなかのものを全部出さないと収まらなかった」と公子さんは語っている。
結局、植村は自分のなかのエネルギーが爆発しないと収まらなかったのだ。公子さんは2、3年たって、そういう植村のエネルギーのあり方に察しがついた、ということらしい。 植村にとっても、公子さんにとっても切ない話である。
けれども、今そのような話を聞いて思うのは、この怒りの定期便は、植村が公子さんに全身をあずけるようにして頼りにしていた、その現われ方の一つであるということだ。 植村にはそうするより他になかった。
そして公子さんは次のようにもいっている。 《結婚してだいぶ経ってのことですが、だんだん外に対して怒れるようになったと思います。 ある報道関係の人に、すごく怒ったことがあって、この人、変ってきたなと思ったことがありました。 そんなふうに、外に対して自分の怒りの気持ちを出せるようになってきてから自宅の生理も収まってきたんです。 それに、植村も年をとっていったのかもしれません。》
怒りのエネルギーは、そんなふうにあるべき方向にむかうようになったのだろう。 しかし、自分の冒険の結果については、植村は公子さんにもその深い落胆を、多くは語ろうとしなかった。ひとりで、黙々と背負っているようだった。
1980年の、植村が隊長になってこころみた、冬期エベレスト登山の不成功。さらに82年から始まった、南極単独横断とビンソンマシフ登頂の冒険行。これも長い待機の果てに、フォークランド紛争が勃発して不成功に終った。植村は、二つの行動の結果に、深くこだわっていたと思われる。
公子さんは『植村直己 妻への手紙』のあとがき(「夢中で暮らした十年間」)のなかで、次のように書いている。__《……厳冬期のエベレスト、南極のビンソンマシフと失敗が二度続いて彼の中に穴があいたように感じました。その穴の大きさや深さを窺い知ることはできませんでしたが、時折その穴に入り込んでいる彼を見るのは辛いものがあり、失敗は自分自身どうしても許せなかったのでしょう。 その果てが厳冬のマッキンリーになり自爆してしまったと哀しく思うのです。 堂々めぐりのなかから抜けられなかった。 ちょっと気持ちをそらせば違う生き方だって出来たのにと切なく思うのですが、それとて長い時間の中からの結果論であって、当時はとにかく夢中で暮らしていて今となってはあの頃の緊張感が懐かしいのです。》
私はこれにつけ加えたり、これを解説したりする言葉をもたない。
=補講・資料=
ヴァルテル・ボナッティ(Walter Bonatti)は1954年にK2初登頂を狙う遠征隊に参加する。 24歳で最年少であった。 遠征自体は成功したが、ボナッティは仲間から不当な非難を受け、8100m地点までの登攀に終わる。 しかも、心に深い傷を負うことになる。 その経緯はK2遠征の最終段階になり、第8キャンプにいる隊員達でさらにもう一つキャンプを作る必要があった。 隊員のリーノ・ラチェデッリの体調は良かったが、アキッレ・コンパニョーニは消耗が激しかった。 コンパニョーニは「自分は翌日の最終キャンプの設営に加わるが、その後なお不調なら、アタック隊員としてボナッティに交代してもらう」と切り出し、ボナッティは酸素ボンベを荷上げするために下降することとなった。
ボナッティは下から登ってきたフンザ人ポーターと合流して最終キャンプ目指して登り返すが、コンパニョーニとラチェデッリは体調の良いボナッティに自分達の立場が脅かされることを恐れて、約束より高い場所にキャンプを設営していた。 ボナッティとフンザ人高所ポーターのマフディ(Mahdi)は最終キャンプを発見できず、8100メートルの高度で露天ビバークを強いられる。 声の届く距離にいた登頂隊の2人は夜になって呼びかけに反応し、「そこにをボンベを置いて下山しろ」という。
ボナッティは彼らが迎えにくることを望んだが、それ以後いっさい応答はなくなった。 ボナッティとポーターは強風に耐え、翌朝にボンベを残して下山。 登頂隊の2人は酸素ボンベを回収し、K2初登頂に成功する。 ポーターは重度の凍傷を負い、手足の指の切断を余儀なくされた。
その後コンパニョーニは報告書に「酸素ボンベの気圧が低く、頂上に着く前に酸素ボンベが切れた。 抜け駆けして頂上を目指していたボナッティが酸素ボンベを吸ったからだ」と書き、イタリア山岳会の公式見解となる。 しかしボナッティは酸素マスクや混合弁を持っておらず、ボンベを使うことは不可能だった。 ボナッティは失望し、後に裁判を起こして身の潔白を訴えることになる。 そして50年後の2004年、沈黙を守っていたラチェデッリがチェナーキとの共著“K2 il prezzo della conquista”でボナッティの訴えを認め、イタリア山岳会も2007年にボナッティの説明が正しいことを認めた。__
彼の輝かしき山岳活動に対し、イタリア政府は2004年12月にイタリア共和国功労勲章(カヴァリエーレ・ディ・グラン・クローチェ)を授与するも、K2登頂で確執のあるアキッレ・コンパニョーニとの共同受賞であったため、彼は後に勲章を返上した。 そして、2012年6月にフランス政府から最高位の勲章であるレジオンドヌール勲章(コマンドゥール)を授与された。
動画資料: アイガーよ永遠に =クリック➡
動画資料: K2 - Full Climbing Documentary =クリック➡
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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽 憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・
森のなかえ
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