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Channel: 【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》
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現代の探検家《植村直己》 =052=

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○◎ Great and Grand Japanese_Explorer  ◎○

探検家になるために必要な資質は、臆病者であることです =植村直己=

= Webナショジオ_“河江肖剰-新たなピラミッド像を追って”より転載・補講 =

☠ 自分が主役になるよりは常にメンバーを影でサポートするような立場でいたい ☠

◇◆  公子さんのこと・・・・・ =3/4=  ◇◆

 植村が公子さんと結婚したのは1974年の5月18日。前述したように、結婚直前までヒマラヤのダウラギリに遠征偵察隊として行っていて、帰国するや否やバタバタと挙式したのだった。 新婚生活約半年の後、11月22日に日本を出発してグリーンランドに向い、年の瀬も迫った12月29日に西海岸のケケッタを出て一万二千キロの旅が始まった。

 妻のほうからすれば、そしてごく常識的な見方からすれば、茫然とするしかないような成り行きという以外にないだろう。___「暗闇の中に暗中模さく、俺を助けてくれ」/「君が俺のことを心配してくれて、思ってくれて、本当に俺は幸せものだと感じている」___ この冒険は自分の使命である、これだけはやらなければならない。 そう自他に宣告するかのようにいって、日本を飛び出す。飛び出した後で、ほとんど毎日、日記のような手紙を書き、終りのほうで上に引用したような1行2行を書きしるす。全体の姿を見れば、まったくのわがまま、といえなくもない。

 しかし植村にあっては、使命のように冒険があり、出かけていけば唯一無二の心の支えとして公子さんがいる。 両方が真実であり、両方にすがりつくようにして生きているのである。 植村は、生真面目なほど、生きる拠り所を求めつづけ、それを必要としていた。 冒険と日常生活がそんなふうに絡んでいるとき、日常生活の側に置かれて夫の冒険を見つめつづける公子さんの立場を思うと、この人はよほど聡明であるのに違いないという私の印象はいよいよ強まるのである。

 作家の南木佳士氏が『植村直己 妻への手紙』について、これ以上ないようなみごとな書評を書いているが、そのなかで「収録されている手紙には生活の匂いがしない」と指摘している。 あるのは、これからの冒険旅行の予定、酷寒の地での犬橇旅の詳細、そして、手紙の末尾にある、妻への一方的な気づかい。植村について、「こういう人が町で生きてゆくのは大変だったろうな」と思うと同時に、「この種の手紙を受け取り続けた妻もそれ以上に苦労したのではないかと考え込んでしまう」と南木氏は書いている。

 まさにそのとおりで、公子さんが、これは私ひとりだけの「北極圏一万二千キロ」の旅だったという意味が、そう考えることではっきり現われてくる。 植村には植村らしい気づかいがいつもあったことは確かである。彼はそれを手紙のなかで率直に出している。まだコペンハーゲンでグリーンランドの旅の許可が下りるのを待っていたとき、大使館付に公子さんの手紙が届いた。

《早速読み、残された公子君の気持を知った。 46-8の野崎荘、空屋になった家も残されたものにとって、そんなに淋しいことがわかる気がする 。同情もこのCopenhagen(コペンハーゲン)で強くしているが、何もしてあげられない。この北極計画は私にとって、是が非でもやらなければならない使命であった。待つ身は行動をとっているものより長くつらいことと思うがカンベンしてくれ。 俺とて、今までの行為と違って今度は自分のためにやるということばかりでなく、バックにいる公子君の為にもどんなことがあろうと、成功して帰らなければならないと、すごい意志のささえとなっている。》(12月5日付)

この後に、現地で世話になった人たち宛に、日本語でいいから毛筆でクリスマス・カードを書いて送ってくれ、と依頼しているのがおかしい。公子さんを慰めるのも、頼りにするのも、植村にとっては両方が本気なのだ。

 2月15日、メルビル湾の薄い新氷の上を走っていた植村の橇が海に落ちた。 植村自身は間一髪で氷の上にのがれたが、犬と橇が海につかるという危機があった。 運よく橇が浮いて助かったのだが、このとき植村はまっさきに公子さんの顔を思い浮かべたと、『北極圏一万二千キロ』(文春文庫)で書いている。それにひきかえ、公子さんへの手紙では、海水に落ちたけれど、とっさに逃げて助かった、と短く報告しているだけだ。 植村の心づかいを見ることができるのである。

 もう一例。その後、チューレ基地を過ぎてカナックに到着した後、植村はゆえ知らぬ憂うつに襲われ、旅を続けられるかどうか思い悩んだ。一万二千キロの旅のなかでも、いちばんの心の危機に襲われた。それについては彼自身が詳しく書いている(3月5日付の日記)。

 しかしこの危機についても、公子さん宛の手紙にはごく短くふれているだけ。《3月4日、グリーンランドを終え、どうにかチューレにたどりついたものの、これから続くカナダ、アラスカへの旅を思うと、ちっとゆううつなり。》

 ここでも、自分の心のなかに踏みとどまって、家で待つ妻にあまり心配をかけまいとする植村の思いがあるようだ。勝手なことをしていながら、いっぽうであくまでも心やさしい。そういう矛盾のなかに、植村の生きている姿がある。

=補講・資料=

メスナーだけじゃない!すごい海外の登山家まとめ=ワルテル・ボナッティ(1/2)

ヴァルテル・ボナッティ(Walter Bonatti, 1930年6月22日 - 2011年9月13日)は50~60年代を代表するイタリアの登山家。 北イタリアのベルガモ生まれ。 アルピニズムの結晶ともいえる人物だが、あまりに妥協を許さぬその姿勢から周囲と衝突し足を引っ張られる事も少なくなく、K2初登頂の際にはチームメイトの妨害を受けアタックメンバーから外されるという事態にも追い込まれている。 2011年に癌のため永眠。 パートナーは、事実婚だが、イタリアの名女優ロッサナ・ポデスタである。

1948年夏にレッコのグリーニャの尖峰で初めて本格的な岩壁登攀(クライミング)を行った。 翌年の1949年には早くも難ルートのピッツ・バディレ北西壁、モンブランノワール針峰)西壁、グランドジョラス北壁の登攀に成功する。 資金が乏しいため、初期の登山はごく基本的な装備しかなかった(自分で作ったハーケンを多用していた)。 最初の数年間、ボナッティは製鋼所で働き、土曜の夜シフトが終わったらそのままクライミングに向かったという。 1951年にはモンブラン山塊のグラン・カピュサン東壁を初登攀、1953年にはチマ・オヴェスト北壁の冬季初登攀を成し遂げた。 1954年に山岳ガイド資格を取り、クールマイユールに移った。

1954年にK2初登頂を狙う遠征隊に参加する。 24歳で最年少であった。 遠征自体は成功したが、ボナッティは仲間から不当な非難を受け、8100m地点までの登攀に終わる。 しかも、心に深い傷を負うことになる。 その経緯は後述するが__K2から戻った後も欧州アルプスで多くの初登攀を成し遂げる。 1955年にモンブラン、プティ・ドリュ南西岩稜を単独で初登攀。 1958年にはカラコルムガッシャーブルムIV峰に初登頂。 1963年にグランド・ジョラス北壁を冬季初登攀。 そして、1965年にマッターホルン北壁を新ルートから冬季単独初登攀をやってのけ、先鋭的な登攀から引退した。

彼は上記のごとく、50~60年代の欧州山岳会の理念=スーパーアルピニズム=を実戦するを代表するスーパースターであった。 ロープ(ザイル)を積極的に使用して安全確保(ハーケン使用)を図りつつより困難な岩壁を克服する登山スタイル。 人工的な補助(安全確保)道具の積極的使用で未知なる高峰を克服する人工登攀のスペシャリストであった。 しかし、岩壁にノミとハンマーで埋め込みボルトを固定・附設して、手がかりや足場にする器物の人工的埋設行為に対し、「不可能を取り除いてしまい、未知の要素は消え、冒険性を無くしてしまう」として、使用に反対した。

動画資料: 映画「K2 初登頂の真実」予告編  =クリック➡

https://youtu.be/tL09D0V_WXc 

=上記本文中、変色文字(下線付き)のクリックにてウイキペディア解説表示=

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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

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